【新闻】髙橋ひかるインタビュー「やっぱり何か意味を持って。伝えたい意思を持って、お芝居をしたい」。舞台「あの夜であえたら」での経験を自信に、「リビングの松永さん」で模索する“愛される”ということ
2024年1月9日スタートの連続ドラマ「リビングの松永さん」(カンテレ・フジテレビ系)でヒロインを務める髙橋ひかるさん。中島健人さん演じる主人公・松永純らが住むシェアハウスに同居することになる女子高校生・園田美己を演じます。
23年は主演ドラマ「ハレーションラブ」(テレビ朝日系)で自身初のラブサスペンスを見事に演じ切り、さらに12月8日に公開された映画「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」では吹き替え声優に初挑戦。ドラマや映画、舞台のほか、バラエティー、ラジオ番組のパーソナリティー、モデルなど、活躍の幅を広げる髙橋さんですが、本作においては「“愛される”ってなんだろう?」「必死に模索中です」と胸の内を明かします。
14年、「第14回全日本国民的美少女コンテスト」でのグランプリ受賞を機に芸能界デビューし、22歳にして芸歴は来年で10年目。今の心境や、「刺激的だった」という作品での経験についてお聞きしました。
必死に模索中「“愛される”ってなんだろう?」
――演じる美己はどんな役柄ですか?
「ミーコ(美己)はすごく真っすぐで、一つ一つの物事にいろんな感情が動く、感受性が豊かな女の子。今の時代って情報があふれていて、誰もが刺激に慣れているというか。そんな世の中でここまで感情が豊かに動かせる子って、そう多くないと思うんです。原作もそうなんですけど、私は台本を読んでいて、ミーコにすごく元気をもらったんですよね。だからドラマを見てくださった方にもこのミーコの元気を届けて、元気を乗り移らせたいです」
――「美己は自分と正反対」と感じたそうですね。
「そうなんですよ。ミーコは裏表がないし、物事を真っすぐ捉えて自分の心に落とし込める子。『どうやったらこんなにピュアでいられるんだろう?』と思ってしまうくらいです。中島さんからは『このドラマは、ミーコが愛されるようになってもらわないと困るよ』という熱いお言葉をいただいて。そこから私、『“愛される”ってなんだろう?』と考え込んでしまったんです。今は『愛することすら難しいのに、人に愛してもらえる、そんな魅力的な人間になるにはどうしたらいいんだろう?』ということを必死に模索中です。でも、絶対にそれをちゃんと見つけないとミーコを演じることはできないと思っているので、しっかり考えて見つけたいです」
――美己の魅力が映し出されていると感じたシーンはありますか?
「松永さんに買ってもらったストラップを大切にするシーンがあるんです。ストラップ自体は100円ショップの商品でいつでも買えるものなんですけど、“誰からもらったか”や“どういう思いが込められたものか”という部分を大切にしていて。ミーコが、見た目や値段じゃなくてそこに込められた思いを大切にする子というのが分かるんです。そのシーンを読んだ時、高校生だけど大人びているなと思って。振る舞いや話す言葉は若いんですけど、精神性は意外と大人なんじゃないかなと思うんですよ。そんなところから垣間見える優しさや大人びた考え方が、ミーコの魅力だなと思います」
――中島さんとは初共演ですね。
「以前、バラエティーで共演させていただいたことはあるのですが、しっかりコミュニケーションを取るのは本作が初めてです。緊張していたのですが、最初から“包み込んでくださる兄貴感”がもうすごくて、びっくりしました。ほぼ初対面なのに『こんなに空気を引っ張ってくださるんだ!』って。ほっとしました」
――シェアハウスでの生活の中で、だんだん松永に惹かれていく美己。中島さんに対して、松永と重なると感じる部分はありますか?
「中島さんは大先輩なのに、私たちのような若手と同じ目線で考えてくださる方だなと思います。そんな優しさや温かさは、松永さんにも通ずるところだなって。松永さんがミーコに『このデザイン、どう思う?』って尋ねるシーンがあるんですけど、それって本心で“ミーコの意見を知りたい”から聞くんです。そこにプライドとか恥は全くなく、ただただ『知りたい』って思って、自分の思いを行動に移すことができる。そういう部分は、中島さんにも重なるなと思います。あとは松永さんがたまに見せる、ちょっと抜けたところやポンコツなところ。これから現場で、中島さんのそういう部分が見られたらより面白くなるだろうなと思っています」
#高桥光[超话]##高桥光##髙橋ひかる#
2024年1月9日スタートの連続ドラマ「リビングの松永さん」(カンテレ・フジテレビ系)でヒロインを務める髙橋ひかるさん。中島健人さん演じる主人公・松永純らが住むシェアハウスに同居することになる女子高校生・園田美己を演じます。
23年は主演ドラマ「ハレーションラブ」(テレビ朝日系)で自身初のラブサスペンスを見事に演じ切り、さらに12月8日に公開された映画「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」では吹き替え声優に初挑戦。ドラマや映画、舞台のほか、バラエティー、ラジオ番組のパーソナリティー、モデルなど、活躍の幅を広げる髙橋さんですが、本作においては「“愛される”ってなんだろう?」「必死に模索中です」と胸の内を明かします。
14年、「第14回全日本国民的美少女コンテスト」でのグランプリ受賞を機に芸能界デビューし、22歳にして芸歴は来年で10年目。今の心境や、「刺激的だった」という作品での経験についてお聞きしました。
必死に模索中「“愛される”ってなんだろう?」
――演じる美己はどんな役柄ですか?
「ミーコ(美己)はすごく真っすぐで、一つ一つの物事にいろんな感情が動く、感受性が豊かな女の子。今の時代って情報があふれていて、誰もが刺激に慣れているというか。そんな世の中でここまで感情が豊かに動かせる子って、そう多くないと思うんです。原作もそうなんですけど、私は台本を読んでいて、ミーコにすごく元気をもらったんですよね。だからドラマを見てくださった方にもこのミーコの元気を届けて、元気を乗り移らせたいです」
――「美己は自分と正反対」と感じたそうですね。
「そうなんですよ。ミーコは裏表がないし、物事を真っすぐ捉えて自分の心に落とし込める子。『どうやったらこんなにピュアでいられるんだろう?』と思ってしまうくらいです。中島さんからは『このドラマは、ミーコが愛されるようになってもらわないと困るよ』という熱いお言葉をいただいて。そこから私、『“愛される”ってなんだろう?』と考え込んでしまったんです。今は『愛することすら難しいのに、人に愛してもらえる、そんな魅力的な人間になるにはどうしたらいいんだろう?』ということを必死に模索中です。でも、絶対にそれをちゃんと見つけないとミーコを演じることはできないと思っているので、しっかり考えて見つけたいです」
――美己の魅力が映し出されていると感じたシーンはありますか?
「松永さんに買ってもらったストラップを大切にするシーンがあるんです。ストラップ自体は100円ショップの商品でいつでも買えるものなんですけど、“誰からもらったか”や“どういう思いが込められたものか”という部分を大切にしていて。ミーコが、見た目や値段じゃなくてそこに込められた思いを大切にする子というのが分かるんです。そのシーンを読んだ時、高校生だけど大人びているなと思って。振る舞いや話す言葉は若いんですけど、精神性は意外と大人なんじゃないかなと思うんですよ。そんなところから垣間見える優しさや大人びた考え方が、ミーコの魅力だなと思います」
――中島さんとは初共演ですね。
「以前、バラエティーで共演させていただいたことはあるのですが、しっかりコミュニケーションを取るのは本作が初めてです。緊張していたのですが、最初から“包み込んでくださる兄貴感”がもうすごくて、びっくりしました。ほぼ初対面なのに『こんなに空気を引っ張ってくださるんだ!』って。ほっとしました」
――シェアハウスでの生活の中で、だんだん松永に惹かれていく美己。中島さんに対して、松永と重なると感じる部分はありますか?
「中島さんは大先輩なのに、私たちのような若手と同じ目線で考えてくださる方だなと思います。そんな優しさや温かさは、松永さんにも通ずるところだなって。松永さんがミーコに『このデザイン、どう思う?』って尋ねるシーンがあるんですけど、それって本心で“ミーコの意見を知りたい”から聞くんです。そこにプライドとか恥は全くなく、ただただ『知りたい』って思って、自分の思いを行動に移すことができる。そういう部分は、中島さんにも重なるなと思います。あとは松永さんがたまに見せる、ちょっと抜けたところやポンコツなところ。これから現場で、中島さんのそういう部分が見られたらより面白くなるだろうなと思っています」
#高桥光[超话]##高桥光##髙橋ひかる#
231222 日経 更新福山相关
ミュージシャン、俳優、写真家……。デビュー以来30年あまり、多彩な顔を持ち、時代を代表するアーティストとして福山雅治さんは疾走してきた。心を動かす言葉と旋律は純粋であるばかりではない自己と厳しく向き合うことによって、紡がれているらしい。
長崎から、音楽活動のために上京した18歳当時を、苦笑まじりに振り返る。
「(高校を出て)5カ月間就職したけれど『井の中の蛙(かわず)大海を知らず』のままで10代、20代を過ごすのも嫌だな、と。ロックバンドを組みたくて考えたのが、新宿のピザ屋さんのアルバイト。35年くらい前、ピザのデリバリーがはやっていて、最先端のアルバイト先なら、文化的に感度の高いやつが集まって来るはずだ、と思って」
感受性が強く、音楽活動に興味を持つ仲間もいるにはいたが、結局はみんな夢だけ、みたいな素人の甘さがあり「ハモれなかった」。うだつのあがらない日々の転機は、芸能事務所アミューズの映画俳優オーディションに合格したことだった。この時の「偶然」が、すでに伝説の一つとなっている。
「偶然」と「好意」が重なり、映画俳優への道を開く
最終面接の通知が、手違いで東京都昭島市のアパートに届かず、落ちたと思い、ドライブにでかけた。ところが車のマフラーが腐食していたらしく、横田基地の辺りではずれて爆音になった。「こりゃいかんと、マフラーを拾ってアパートに戻り、車の下にもぐっていたところに、自転車に乗った配達の方が、電報届いていますよ、とやってきたわけです」。今すぐ来て、という事務所からの連絡だった。
当時9万5千円で買った中古の「いすゞジェミニZZ/R」のマフラーが、もし落ちていなかったら……。
「『タラレバ』でいえば、いろんなことはあったでしょう。今とは違う仕事をしていた可能性もあるし。でも1回は(音楽活動を)形にしようという頑張りや、あがきはしていたはず」
運、不運にかかわらず、やがては芽吹くはずの才能だったのだろうが、周囲の好意が、希代のアーティスト誕生にあずかっていたのは確からしい。
ピザ屋を辞めた後に勤めた材木店の家族は、ご飯を食べさせ、風呂に入れてくれ、クリスマスのケーキを持たせてくれた。アミューズの担当者は、審査に来ない青年に電報を出して呼び寄せた。とにかく人にかわいがられる。
「(かわいがられる)才能やすべがあったかどうかは、当時も今もよくわからないけれど、人にかわいがられたい、とは思っているし、そう思うことは大事なんじゃないか、と。老若男女問わず、好かれるって嫌な気持ちはしません。だから僕のなかでも、好きになってもらいたかったら(自分が)まず好きになること、と決めているところがある」
オーディションに合格してからの活躍は周知の通りだが、作った歌がすぐに売れたわけではなかった。
「とにかくヒットしている楽曲を、自分なりに因数分解してみました。自分が好きかどうかとか、自分はこの曲しかやりたくないとか、自分から出てくる音楽はこれだとか、自分らしさとはこうだ、とかは全部二の次にして、ヒットチャートに入っている楽曲のコードをとって、こういうのが当たっているんだとか、歌詞、メロディー、アレンジ、それぞれ自分なりに分解して」
ヒット曲を腑(ふ)分けし、共通するキモをかっこにくるみ、という行き方だ。いいとこ取りの模倣に終わってしまいそうだが、そうはならなかった。あるとき目にしたビートルズのメンバーのインタビュー記事が、その方向で間違いない、と示唆していた。
「ビートルズも最初は、(憧れの)エルビス・プレスリーみたいなロックンロールをやりたいと思い、一生懸命作るわけです。でも、やれどもやれどもエルビスみたいなサウンドは出せず、そういう曲も作れない。だけど、結果どうなったか。エルビスになれなかったビートルズはビートルズになっていった。コピーがうまくできなかったからこそ、オリジナルになった、と」
模倣できずにはみ出す個性、磨き上げて高みを目指す
人は完全に人をコピーできない。模倣できず、元の作品からはみ出す部分が出てくれば、それが個性かもしれない。そこを究めていけば――。ビートルズという存在と自分を同一線上に並べるわけではない、と前置きしつつ「バカボンのパパじゃないけれど、これでいいのだ、と思いましたね」
オリジナルであることの難しさを知ればこそ、芸術の根幹と思われている「自己表現」に対して距離を置く。「自分を表現するって、相当難易度が高いですから」。先立つものは方法論や技術であり、ただただ自分の感情をぶつけよう、では足りない。「野球をしたことがないのにホームランを打ちたい、といっているようなもので」
方法論は得ても、それだけで作品はできない。最後は自分と向き合う、という坂が待っている。
「ソングライティングで言葉を紡ぎだし、感動を与えようとか、人に何か感じてもらいたいと思うなら、自分が発した言葉に責任を持たなければいけないと思う。その責任とは何かというと、本当の自分自身とちゃんと向き合ったか、です。一言一句、全部が全部、本心じゃなくていいんですけれども、あ、この1行って、この人の本当のことを言っているな、というその1行があれば……」
人の心を動かす言葉というものがあるなら、それは自己の心の真実を語る1行、1行でしかない。しかし、自分の深奥に分け入り、本当の言葉を拾ってこようとするとき、どんな顔が出てくるかはわからない。
人は性善、性悪、どちらでもあり、自分も例外ではない。「いい人でありたいとは思っているけれど、めちゃくちゃいい人かといったら、僕はそうじゃなくて、嫌な部分もいっぱいあるし」。セルフカウンセリングとも呼ぶその作業には入ったまま、戻れなくなりそうな怖さがあるという。
「愛と知っていたのに 春はやってくるのに……」(「桜坂」)。シンプルでピュアな言葉たちが、そこまでの力を持つわけの一端を知る。
【My Charge】週1トレーニング充実5時間、ベンチプレスで110キロ挙げる
分刻みのスケジュールのなか、心安らぐ時間はあるのだろうか。
「トレーニングをしたあとは、心身ともにすっきりしますね」。週に一度、ジムに通い、前後1時間のマッサージなどを含めて5時間、みっちり鍛える。
ベンチプレスでは110キロを持ち上げる。軽いところから始めて、ここまでくるのに20年ほどかかったという。1990年代後半の格闘技ブームのなか、「プライド」の選手たちが「なんか格好いい体をしているな」と思ったのがきっかけ。
ウエートトレーニングの良さは成果が数字に出ることだ。「当然、人間は年を取るので、昔、速かった足が遅くなったというのはあると思うけれど、筋肉の量は年を取ってもトレーニングをやればやるだけ増やせる。一応の目標を120キロに設定していて、頑張ればもっといけると思う。若かったころの自分より、今の方が重たいのが挙げられている。つまり若いころのオレより、今のオレの方が強い、ということが納得できるわけです」
個展も開く写真など、多趣味で知られる。ギターの収集でも有名だ。いずれの分野でもプロ級、一級の専門家になり、すぐ仕事との境目がなくなる。そのなかでは最も「業」から遠く、ほっとする時間というトレーニングだが「いつでも3時間のステージ(上の写真はアミューズ提供)ができる体を維持しておく」という効果ももちろんある。
ステージに出た瞬間の立ち姿にオーラがある、と人は言う。そのオーラもただの雰囲気やら、いわゆる「顔」から発せられるものではなく、筋肉という裏付けがあってこそのようだ。理詰めの人らしいところかもしれない。
腹背筋、臀部(でんぶ)、脚周りの大きな筋肉とともに、意識しているのが声帯を動かす筋肉だという。「年を取ってしわがれ声になるのは(2枚合わさった)声帯が痩せて、間が開いてくるから、というんですけど、声帯を動かす筋肉はよくしゃべったり、歌ったりして動かし続ければ維持できるらしい」
ライフワークとなった感のあるラジオのパーソナリティーも、それが決して目的ではないけれど、結果として声帯の筋肉保持につながっている。「関心があるものに正直でありたい」と、心の赴くところに全力投球し、その充足感がまた炉心に投入され……。永久機関のごとき無尽のエネルギーの源がうかがえるようだ。
篠山正幸
山口朋秀撮影
【NIKKEI The STYLE 2023年12月17日付「My Story」】
ミュージシャン、俳優、写真家……。デビュー以来30年あまり、多彩な顔を持ち、時代を代表するアーティストとして福山雅治さんは疾走してきた。心を動かす言葉と旋律は純粋であるばかりではない自己と厳しく向き合うことによって、紡がれているらしい。
長崎から、音楽活動のために上京した18歳当時を、苦笑まじりに振り返る。
「(高校を出て)5カ月間就職したけれど『井の中の蛙(かわず)大海を知らず』のままで10代、20代を過ごすのも嫌だな、と。ロックバンドを組みたくて考えたのが、新宿のピザ屋さんのアルバイト。35年くらい前、ピザのデリバリーがはやっていて、最先端のアルバイト先なら、文化的に感度の高いやつが集まって来るはずだ、と思って」
感受性が強く、音楽活動に興味を持つ仲間もいるにはいたが、結局はみんな夢だけ、みたいな素人の甘さがあり「ハモれなかった」。うだつのあがらない日々の転機は、芸能事務所アミューズの映画俳優オーディションに合格したことだった。この時の「偶然」が、すでに伝説の一つとなっている。
「偶然」と「好意」が重なり、映画俳優への道を開く
最終面接の通知が、手違いで東京都昭島市のアパートに届かず、落ちたと思い、ドライブにでかけた。ところが車のマフラーが腐食していたらしく、横田基地の辺りではずれて爆音になった。「こりゃいかんと、マフラーを拾ってアパートに戻り、車の下にもぐっていたところに、自転車に乗った配達の方が、電報届いていますよ、とやってきたわけです」。今すぐ来て、という事務所からの連絡だった。
当時9万5千円で買った中古の「いすゞジェミニZZ/R」のマフラーが、もし落ちていなかったら……。
「『タラレバ』でいえば、いろんなことはあったでしょう。今とは違う仕事をしていた可能性もあるし。でも1回は(音楽活動を)形にしようという頑張りや、あがきはしていたはず」
運、不運にかかわらず、やがては芽吹くはずの才能だったのだろうが、周囲の好意が、希代のアーティスト誕生にあずかっていたのは確からしい。
ピザ屋を辞めた後に勤めた材木店の家族は、ご飯を食べさせ、風呂に入れてくれ、クリスマスのケーキを持たせてくれた。アミューズの担当者は、審査に来ない青年に電報を出して呼び寄せた。とにかく人にかわいがられる。
「(かわいがられる)才能やすべがあったかどうかは、当時も今もよくわからないけれど、人にかわいがられたい、とは思っているし、そう思うことは大事なんじゃないか、と。老若男女問わず、好かれるって嫌な気持ちはしません。だから僕のなかでも、好きになってもらいたかったら(自分が)まず好きになること、と決めているところがある」
オーディションに合格してからの活躍は周知の通りだが、作った歌がすぐに売れたわけではなかった。
「とにかくヒットしている楽曲を、自分なりに因数分解してみました。自分が好きかどうかとか、自分はこの曲しかやりたくないとか、自分から出てくる音楽はこれだとか、自分らしさとはこうだ、とかは全部二の次にして、ヒットチャートに入っている楽曲のコードをとって、こういうのが当たっているんだとか、歌詞、メロディー、アレンジ、それぞれ自分なりに分解して」
ヒット曲を腑(ふ)分けし、共通するキモをかっこにくるみ、という行き方だ。いいとこ取りの模倣に終わってしまいそうだが、そうはならなかった。あるとき目にしたビートルズのメンバーのインタビュー記事が、その方向で間違いない、と示唆していた。
「ビートルズも最初は、(憧れの)エルビス・プレスリーみたいなロックンロールをやりたいと思い、一生懸命作るわけです。でも、やれどもやれどもエルビスみたいなサウンドは出せず、そういう曲も作れない。だけど、結果どうなったか。エルビスになれなかったビートルズはビートルズになっていった。コピーがうまくできなかったからこそ、オリジナルになった、と」
模倣できずにはみ出す個性、磨き上げて高みを目指す
人は完全に人をコピーできない。模倣できず、元の作品からはみ出す部分が出てくれば、それが個性かもしれない。そこを究めていけば――。ビートルズという存在と自分を同一線上に並べるわけではない、と前置きしつつ「バカボンのパパじゃないけれど、これでいいのだ、と思いましたね」
オリジナルであることの難しさを知ればこそ、芸術の根幹と思われている「自己表現」に対して距離を置く。「自分を表現するって、相当難易度が高いですから」。先立つものは方法論や技術であり、ただただ自分の感情をぶつけよう、では足りない。「野球をしたことがないのにホームランを打ちたい、といっているようなもので」
方法論は得ても、それだけで作品はできない。最後は自分と向き合う、という坂が待っている。
「ソングライティングで言葉を紡ぎだし、感動を与えようとか、人に何か感じてもらいたいと思うなら、自分が発した言葉に責任を持たなければいけないと思う。その責任とは何かというと、本当の自分自身とちゃんと向き合ったか、です。一言一句、全部が全部、本心じゃなくていいんですけれども、あ、この1行って、この人の本当のことを言っているな、というその1行があれば……」
人の心を動かす言葉というものがあるなら、それは自己の心の真実を語る1行、1行でしかない。しかし、自分の深奥に分け入り、本当の言葉を拾ってこようとするとき、どんな顔が出てくるかはわからない。
人は性善、性悪、どちらでもあり、自分も例外ではない。「いい人でありたいとは思っているけれど、めちゃくちゃいい人かといったら、僕はそうじゃなくて、嫌な部分もいっぱいあるし」。セルフカウンセリングとも呼ぶその作業には入ったまま、戻れなくなりそうな怖さがあるという。
「愛と知っていたのに 春はやってくるのに……」(「桜坂」)。シンプルでピュアな言葉たちが、そこまでの力を持つわけの一端を知る。
【My Charge】週1トレーニング充実5時間、ベンチプレスで110キロ挙げる
分刻みのスケジュールのなか、心安らぐ時間はあるのだろうか。
「トレーニングをしたあとは、心身ともにすっきりしますね」。週に一度、ジムに通い、前後1時間のマッサージなどを含めて5時間、みっちり鍛える。
ベンチプレスでは110キロを持ち上げる。軽いところから始めて、ここまでくるのに20年ほどかかったという。1990年代後半の格闘技ブームのなか、「プライド」の選手たちが「なんか格好いい体をしているな」と思ったのがきっかけ。
ウエートトレーニングの良さは成果が数字に出ることだ。「当然、人間は年を取るので、昔、速かった足が遅くなったというのはあると思うけれど、筋肉の量は年を取ってもトレーニングをやればやるだけ増やせる。一応の目標を120キロに設定していて、頑張ればもっといけると思う。若かったころの自分より、今の方が重たいのが挙げられている。つまり若いころのオレより、今のオレの方が強い、ということが納得できるわけです」
個展も開く写真など、多趣味で知られる。ギターの収集でも有名だ。いずれの分野でもプロ級、一級の専門家になり、すぐ仕事との境目がなくなる。そのなかでは最も「業」から遠く、ほっとする時間というトレーニングだが「いつでも3時間のステージ(上の写真はアミューズ提供)ができる体を維持しておく」という効果ももちろんある。
ステージに出た瞬間の立ち姿にオーラがある、と人は言う。そのオーラもただの雰囲気やら、いわゆる「顔」から発せられるものではなく、筋肉という裏付けがあってこそのようだ。理詰めの人らしいところかもしれない。
腹背筋、臀部(でんぶ)、脚周りの大きな筋肉とともに、意識しているのが声帯を動かす筋肉だという。「年を取ってしわがれ声になるのは(2枚合わさった)声帯が痩せて、間が開いてくるから、というんですけど、声帯を動かす筋肉はよくしゃべったり、歌ったりして動かし続ければ維持できるらしい」
ライフワークとなった感のあるラジオのパーソナリティーも、それが決して目的ではないけれど、結果として声帯の筋肉保持につながっている。「関心があるものに正直でありたい」と、心の赴くところに全力投球し、その充足感がまた炉心に投入され……。永久機関のごとき無尽のエネルギーの源がうかがえるようだ。
篠山正幸
山口朋秀撮影
【NIKKEI The STYLE 2023年12月17日付「My Story」】
福山雅治さん 心動かす言葉と旋律、自己と向き合い紡ぐ
ミュージシャン、俳優、写真家……。デビュー以来30年あまり、多彩な顔を持ち、時代を代表するアーティストとして福山雅治さんは疾走してきた。心を動かす言葉と旋律は純粋であるばかりではない自己と厳しく向き合うことによって、紡がれているらしい。
長崎から、音楽活動のために上京した18歳当時を、苦笑まじりに振り返る。
「(高校を出て)5カ月間就職したけれど『井の中の蛙(かわず)大海を知らず』のままで10代、20代を過ごすのも嫌だな、と。ロックバンドを組みたくて考えたのが、新宿のピザ屋さんのアルバイト。35年くらい前、ピザのデリバリーがはやっていて、最先端のアルバイト先なら、文化的に感度の高いやつが集まって来るはずだ、と思って」
感受性が強く、音楽活動に興味を持つ仲間もいるにはいたが、結局はみんな夢だけ、みたいな素人の甘さがあり「ハモれなかった」。うだつのあがらない日々の転機は、芸能事務所アミューズの映画俳優オーディションに合格したことだった。この時の「偶然」が、すでに伝説の一つとなっている。
「偶然」と「好意」が重なり、映画俳優への道を開く
最終面接の通知が、手違いで東京都昭島市のアパートに届かず、落ちたと思い、ドライブにでかけた。ところが車のマフラーが腐食していたらしく、横田基地の辺りではずれて爆音になった。「こりゃいかんと、マフラーを拾ってアパートに戻り、車の下にもぐっていたところに、自転車に乗った配達の方が、電報届いていますよ、とやってきたわけです」。今すぐ来て、という事務所からの連絡だった。
当時9万5千円で買った中古の「いすゞジェミニZZ/R」のマフラーが、もし落ちていなかったら……。
「『タラレバ』でいえば、いろんなことはあったでしょう。今とは違う仕事をしていた可能性もあるし。でも1回は(音楽活動を)形にしようという頑張りや、あがきはしていたはず」
運、不運にかかわらず、やがては芽吹くはずの才能だったのだろうが、周囲の好意が、希代のアーティスト誕生にあずかっていたのは確からしい。
ピザ屋を辞めた後に勤めた材木店の家族は、ご飯を食べさせ、風呂に入れてくれ、クリスマスのケーキを持たせてくれた。アミューズの担当者は、審査に来ない青年に電報を出して呼び寄せた。とにかく人にかわいがられる。
「(かわいがられる)才能やすべがあったかどうかは、当時も今もよくわからないけれど、人にかわいがられたい、とは思っているし、そう思うことは大事なんじゃないか、と。老若男女問わず、好かれるって嫌な気持ちはしません。だから僕のなかでも、好きになってもらいたかったら(自分が)まず好きになること、と決めているところがある」
オーディションに合格してからの活躍は周知の通りだが、作った歌がすぐに売れたわけではなかった。
「とにかくヒットしている楽曲を、自分なりに因数分解してみました。自分が好きかどうかとか、自分はこの曲しかやりたくないとか、自分から出てくる音楽はこれだとか、自分らしさとはこうだ、とかは全部二の次にして、ヒットチャートに入っている楽曲のコードをとって、こういうのが当たっているんだとか、歌詞、メロディー、アレンジ、それぞれ自分なりに分解して」
ヒット曲を腑(ふ)分けし、共通するキモをかっこにくるみ、という行き方だ。いいとこ取りの模倣に終わってしまいそうだが、そうはならなかった。あるとき目にしたビートルズのメンバーのインタビュー記事が、その方向で間違いない、と示唆していた。
「ビートルズも最初は、(憧れの)エルビス・プレスリーみたいなロックンロールをやりたいと思い、一生懸命作るわけです。でも、やれどもやれどもエルビスみたいなサウンドは出せず、そういう曲も作れない。だけど、結果どうなったか。エルビスになれなかったビートルズはビートルズになっていった。コピーがうまくできなかったからこそ、オリジナルになった、と」
模倣できずにはみ出す個性、磨き上げて高みを目指す
人は完全に人をコピーできない。模倣できず、元の作品からはみ出す部分が出てくれば、それが個性かもしれない。そこを究めていけば――。ビートルズという存在と自分を同一線上に並べるわけではない、と前置きしつつ「バカボンのパパじゃないけれど、これでいいのだ、と思いましたね」
オリジナルであることの難しさを知ればこそ、芸術の根幹と思われている「自己表現」に対して距離を置く。「自分を表現するって、相当難易度が高いですから」。先立つものは方法論や技術であり、ただただ自分の感情をぶつけよう、では足りない。「野球をしたことがないのにホームランを打ちたい、といっているようなもので」
方法論は得ても、それだけで作品はできない。最後は自分と向き合う、という坂が待っている。
「ソングライティングで言葉を紡ぎだし、感動を与えようとか、人に何か感じてもらいたいと思うなら、自分が発した言葉に責任を持たなければいけないと思う。その責任とは何かというと、本当の自分自身とちゃんと向き合ったか、です。一言一句、全部が全部、本心じゃなくていいんですけれども、あ、この1行って、この人の本当のことを言っているな、というその1行があれば……」
人の心を動かす言葉というものがあるなら、それは自己の心の真実を語る1行、1行でしかない。しかし、自分の深奥に分け入り、本当の言葉を拾ってこようとするとき、どんな顔が出てくるかはわからない。
人は性善、性悪、どちらでもあり、自分も例外ではない。「いい人でありたいとは思っているけれど、めちゃくちゃいい人かといったら、僕はそうじゃなくて、嫌な部分もいっぱいあるし」。セルフカウンセリングとも呼ぶその作業には入ったまま、戻れなくなりそうな怖さがあるという。
「愛と知っていたのに 春はやってくるのに……」(「桜坂」)。シンプルでピュアな言葉たちが、そこまでの力を持つわけの一端を知る。
【My Charge】週1トレーニング充実5時間、ベンチプレスで110キロ挙げる
分刻みのスケジュールのなか、心安らぐ時間はあるのだろうか。
「トレーニングをしたあとは、心身ともにすっきりしますね」。週に一度、ジムに通い、前後1時間のマッサージなどを含めて5時間、みっちり鍛える。
ベンチプレスでは110キロを持ち上げる。軽いところから始めて、ここまでくるのに20年ほどかかったという。1990年代後半の格闘技ブームのなか、「プライド」の選手たちが「なんか格好いい体をしているな」と思ったのがきっかけ。
ウエートトレーニングの良さは成果が数字に出ることだ。「当然、人間は年を取るので、昔、速かった足が遅くなったというのはあると思うけれど、筋肉の量は年を取ってもトレーニングをやればやるだけ増やせる。一応の目標を120キロに設定していて、頑張ればもっといけると思う。若かったころの自分より、今の方が重たいのが挙げられている。つまり若いころのオレより、今のオレの方が強い、ということが納得できるわけです」
個展も開く写真など、多趣味で知られる。ギターの収集でも有名だ。いずれの分野でもプロ級、一級の専門家になり、すぐ仕事との境目がなくなる。そのなかでは最も「業」から遠く、ほっとする時間というトレーニングだが「いつでも3時間のステージ(上の写真はアミューズ提供)ができる体を維持しておく」という効果ももちろんある。
ステージに出た瞬間の立ち姿にオーラがある、と人は言う。そのオーラもただの雰囲気やら、いわゆる「顔」から発せられるものではなく、筋肉という裏付けがあってこそのようだ。理詰めの人らしいところかもしれない。
腹背筋、臀部(でんぶ)、脚周りの大きな筋肉とともに、意識しているのが声帯を動かす筋肉だという。「年を取ってしわがれ声になるのは(2枚合わさった)声帯が痩せて、間が開いてくるから、というんですけど、声帯を動かす筋肉はよくしゃべったり、歌ったりして動かし続ければ維持できるらしい」
ライフワークとなった感のあるラジオのパーソナリティーも、それが決して目的ではないけれど、結果として声帯の筋肉保持につながっている。「関心があるものに正直でありたい」と、心の赴くところに全力投球し、その充足感がまた炉心に投入され……。永久機関のごとき無尽のエネルギーの源がうかがえるようだ。
ミュージシャン、俳優、写真家……。デビュー以来30年あまり、多彩な顔を持ち、時代を代表するアーティストとして福山雅治さんは疾走してきた。心を動かす言葉と旋律は純粋であるばかりではない自己と厳しく向き合うことによって、紡がれているらしい。
長崎から、音楽活動のために上京した18歳当時を、苦笑まじりに振り返る。
「(高校を出て)5カ月間就職したけれど『井の中の蛙(かわず)大海を知らず』のままで10代、20代を過ごすのも嫌だな、と。ロックバンドを組みたくて考えたのが、新宿のピザ屋さんのアルバイト。35年くらい前、ピザのデリバリーがはやっていて、最先端のアルバイト先なら、文化的に感度の高いやつが集まって来るはずだ、と思って」
感受性が強く、音楽活動に興味を持つ仲間もいるにはいたが、結局はみんな夢だけ、みたいな素人の甘さがあり「ハモれなかった」。うだつのあがらない日々の転機は、芸能事務所アミューズの映画俳優オーディションに合格したことだった。この時の「偶然」が、すでに伝説の一つとなっている。
「偶然」と「好意」が重なり、映画俳優への道を開く
最終面接の通知が、手違いで東京都昭島市のアパートに届かず、落ちたと思い、ドライブにでかけた。ところが車のマフラーが腐食していたらしく、横田基地の辺りではずれて爆音になった。「こりゃいかんと、マフラーを拾ってアパートに戻り、車の下にもぐっていたところに、自転車に乗った配達の方が、電報届いていますよ、とやってきたわけです」。今すぐ来て、という事務所からの連絡だった。
当時9万5千円で買った中古の「いすゞジェミニZZ/R」のマフラーが、もし落ちていなかったら……。
「『タラレバ』でいえば、いろんなことはあったでしょう。今とは違う仕事をしていた可能性もあるし。でも1回は(音楽活動を)形にしようという頑張りや、あがきはしていたはず」
運、不運にかかわらず、やがては芽吹くはずの才能だったのだろうが、周囲の好意が、希代のアーティスト誕生にあずかっていたのは確からしい。
ピザ屋を辞めた後に勤めた材木店の家族は、ご飯を食べさせ、風呂に入れてくれ、クリスマスのケーキを持たせてくれた。アミューズの担当者は、審査に来ない青年に電報を出して呼び寄せた。とにかく人にかわいがられる。
「(かわいがられる)才能やすべがあったかどうかは、当時も今もよくわからないけれど、人にかわいがられたい、とは思っているし、そう思うことは大事なんじゃないか、と。老若男女問わず、好かれるって嫌な気持ちはしません。だから僕のなかでも、好きになってもらいたかったら(自分が)まず好きになること、と決めているところがある」
オーディションに合格してからの活躍は周知の通りだが、作った歌がすぐに売れたわけではなかった。
「とにかくヒットしている楽曲を、自分なりに因数分解してみました。自分が好きかどうかとか、自分はこの曲しかやりたくないとか、自分から出てくる音楽はこれだとか、自分らしさとはこうだ、とかは全部二の次にして、ヒットチャートに入っている楽曲のコードをとって、こういうのが当たっているんだとか、歌詞、メロディー、アレンジ、それぞれ自分なりに分解して」
ヒット曲を腑(ふ)分けし、共通するキモをかっこにくるみ、という行き方だ。いいとこ取りの模倣に終わってしまいそうだが、そうはならなかった。あるとき目にしたビートルズのメンバーのインタビュー記事が、その方向で間違いない、と示唆していた。
「ビートルズも最初は、(憧れの)エルビス・プレスリーみたいなロックンロールをやりたいと思い、一生懸命作るわけです。でも、やれどもやれどもエルビスみたいなサウンドは出せず、そういう曲も作れない。だけど、結果どうなったか。エルビスになれなかったビートルズはビートルズになっていった。コピーがうまくできなかったからこそ、オリジナルになった、と」
模倣できずにはみ出す個性、磨き上げて高みを目指す
人は完全に人をコピーできない。模倣できず、元の作品からはみ出す部分が出てくれば、それが個性かもしれない。そこを究めていけば――。ビートルズという存在と自分を同一線上に並べるわけではない、と前置きしつつ「バカボンのパパじゃないけれど、これでいいのだ、と思いましたね」
オリジナルであることの難しさを知ればこそ、芸術の根幹と思われている「自己表現」に対して距離を置く。「自分を表現するって、相当難易度が高いですから」。先立つものは方法論や技術であり、ただただ自分の感情をぶつけよう、では足りない。「野球をしたことがないのにホームランを打ちたい、といっているようなもので」
方法論は得ても、それだけで作品はできない。最後は自分と向き合う、という坂が待っている。
「ソングライティングで言葉を紡ぎだし、感動を与えようとか、人に何か感じてもらいたいと思うなら、自分が発した言葉に責任を持たなければいけないと思う。その責任とは何かというと、本当の自分自身とちゃんと向き合ったか、です。一言一句、全部が全部、本心じゃなくていいんですけれども、あ、この1行って、この人の本当のことを言っているな、というその1行があれば……」
人の心を動かす言葉というものがあるなら、それは自己の心の真実を語る1行、1行でしかない。しかし、自分の深奥に分け入り、本当の言葉を拾ってこようとするとき、どんな顔が出てくるかはわからない。
人は性善、性悪、どちらでもあり、自分も例外ではない。「いい人でありたいとは思っているけれど、めちゃくちゃいい人かといったら、僕はそうじゃなくて、嫌な部分もいっぱいあるし」。セルフカウンセリングとも呼ぶその作業には入ったまま、戻れなくなりそうな怖さがあるという。
「愛と知っていたのに 春はやってくるのに……」(「桜坂」)。シンプルでピュアな言葉たちが、そこまでの力を持つわけの一端を知る。
【My Charge】週1トレーニング充実5時間、ベンチプレスで110キロ挙げる
分刻みのスケジュールのなか、心安らぐ時間はあるのだろうか。
「トレーニングをしたあとは、心身ともにすっきりしますね」。週に一度、ジムに通い、前後1時間のマッサージなどを含めて5時間、みっちり鍛える。
ベンチプレスでは110キロを持ち上げる。軽いところから始めて、ここまでくるのに20年ほどかかったという。1990年代後半の格闘技ブームのなか、「プライド」の選手たちが「なんか格好いい体をしているな」と思ったのがきっかけ。
ウエートトレーニングの良さは成果が数字に出ることだ。「当然、人間は年を取るので、昔、速かった足が遅くなったというのはあると思うけれど、筋肉の量は年を取ってもトレーニングをやればやるだけ増やせる。一応の目標を120キロに設定していて、頑張ればもっといけると思う。若かったころの自分より、今の方が重たいのが挙げられている。つまり若いころのオレより、今のオレの方が強い、ということが納得できるわけです」
個展も開く写真など、多趣味で知られる。ギターの収集でも有名だ。いずれの分野でもプロ級、一級の専門家になり、すぐ仕事との境目がなくなる。そのなかでは最も「業」から遠く、ほっとする時間というトレーニングだが「いつでも3時間のステージ(上の写真はアミューズ提供)ができる体を維持しておく」という効果ももちろんある。
ステージに出た瞬間の立ち姿にオーラがある、と人は言う。そのオーラもただの雰囲気やら、いわゆる「顔」から発せられるものではなく、筋肉という裏付けがあってこそのようだ。理詰めの人らしいところかもしれない。
腹背筋、臀部(でんぶ)、脚周りの大きな筋肉とともに、意識しているのが声帯を動かす筋肉だという。「年を取ってしわがれ声になるのは(2枚合わさった)声帯が痩せて、間が開いてくるから、というんですけど、声帯を動かす筋肉はよくしゃべったり、歌ったりして動かし続ければ維持できるらしい」
ライフワークとなった感のあるラジオのパーソナリティーも、それが決して目的ではないけれど、結果として声帯の筋肉保持につながっている。「関心があるものに正直でありたい」と、心の赴くところに全力投球し、その充足感がまた炉心に投入され……。永久機関のごとき無尽のエネルギーの源がうかがえるようだ。
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