堺……我也是没想到会在这里看到你,笑晕了…………
顺便,wiki对加贺这个总结,老贼写的时候完全就是照着你宽写,唯一不同的是宽在加贺系列影视里把黑西装白衬衫焊死在身上了2333
長身で肩幅が広くがっしりとした体型。彫りの深い顔立ちであるため、逆光で目元が黒く見え、顎は尖っている。喫煙をしないので歯が白く、笑うと爽やかな印象を周囲に与える。『新参者』では少し髪を伸ばしている。
心優しくリーダーシップと協調性があったが、警察官になってからは単独行動が目立つ。能弁ではないが寡黙でもない。情は深いが冷静沈着。犯罪者に対しても優しさや思いやりを失わないで、隙のない鋭い人間観察眼ですばやく事件を見通せる。社会学部出身の文系だが、工学・化学・情報科学にも詳しい。『新参者』では何度も事件に関係ない質問をするので、町の一部の人からは変人扱いでTシャツにシャツといったカジュアルな服装で周りの警察官達からはいけすかない奴と思われている。
顺便,wiki对加贺这个总结,老贼写的时候完全就是照着你宽写,唯一不同的是宽在加贺系列影视里把黑西装白衬衫焊死在身上了2333
長身で肩幅が広くがっしりとした体型。彫りの深い顔立ちであるため、逆光で目元が黒く見え、顎は尖っている。喫煙をしないので歯が白く、笑うと爽やかな印象を周囲に与える。『新参者』では少し髪を伸ばしている。
心優しくリーダーシップと協調性があったが、警察官になってからは単独行動が目立つ。能弁ではないが寡黙でもない。情は深いが冷静沈着。犯罪者に対しても優しさや思いやりを失わないで、隙のない鋭い人間観察眼ですばやく事件を見通せる。社会学部出身の文系だが、工学・化学・情報科学にも詳しい。『新参者』では何度も事件に関係ない質問をするので、町の一部の人からは変人扱いでTシャツにシャツといったカジュアルな服装で周りの警察官達からはいけすかない奴と思われている。
<現代語訳>
捕蛇者(ほだしゃ)の説(せつ)
柳宗元
永州(えいしゅう、今の湖南省永州市)の原野では、変わった蛇が産出する。
(その蛇は)黒地に白い模様がある。
猛毒を持っており、草木に触れると、ことごとく枯れてしまう。
人をかめば、防ぎようがない(=かまれると、死んでしまう)。
(このように大変危険な蛇だが)これを捕らえ乾し肉にして薬にすると、皮膚や神経が冒される病気、手足の曲がる病気、首が腫れ上がる病気を癒し、血の通わなくなった皮膚を治し、人の体内にいる三匹の虫を殺すことができる。
始め、宮廷付きの医師が、王の命令で、この蛇を捕獲し一年に二匹を租税として納めるようにさせた。
この蛇を捕まえられる者を募り、租税の代わりとした。
(そうすると)永州の人々はわれ勝ちに(蛇を捕るのに)駆け回った。
その中に、蒋氏という者がいた。
(蛇をつかまえ、租税の代わりとする)利益を独り占めにすること三代にわたっていた。
彼に尋ねてみると、こう言った。
「私の祖父は蛇の毒で死に、父も蛇の毒で死にました。
今、私がこの(蛇取りという)仕事を継いで十二年になりますが、もう少しで命を落としそうになったことがしばしばあります。」
そう言う彼の顔は大変に心配している者のようだった。
私はこのことを悲しみ、またこう言った。
「あなたはこの仕事を苦痛と感じているのか。
(もしそうならば)私は州の政治を行っている者に言って、あなたの(蛇捕りという)労役を改めて、もとの租税に戻そうと思うがどうだろうか。」
蒋氏は大変悲しみ、盛んに涙を流して言った。
「あなた様は私のことを哀れんで生かそうとするのですか。
それならば、私のこの仕事の不幸は、私の租税をもとに戻す不幸のひどさには及びません。
もともと私がこの仕事をしていなかったら、ずいぶん前にすでに病気になっていたでしょう。
私の家が三代、この村に住むようになってから、今、六十年になります。
村の隣人たちの生活は日々に苦しくなり、土地の産するものを(租税のために)すっかり出し、家の収入を使い果たし、泣き叫んでよその土地へ移り、飢え渇いて倒れてしまいました。
雨風に打たれ、暑さ寒さの中で働き、毒や悪気の中で呼吸し、死んだ者がさらに下に死んだ者を敷く(=死者が重なる)こともしばしばありました。
以前、私の祖父の頃に住んでいた者で、今、その家は十軒に一軒もありません。
私の父の頃に住んでいた者は、今、その家は十軒に二、三軒もありません。
私のいっしょに十二年住んでいる者は、今、その家は十軒に四、五軒もありません。
死んだのでなければ、よその土地へ移り住んだのです。
私は蛇を捕ることで、ひとりだけ残っているのです。
厳しい徴税の役人が村に来ると、東西にわたって大声を上げて叫び、南北にわたってあたりちらし、騒がしく驚き恐れることは、鶏や犬でさえも落ち着いてはいられないほどです。
(そんなとき)私は恐る恐る立ち上がり、つぼの中を見て、私が捕った蛇がまだ残っていれば、安心して身を横たえます。
慎重に蛇にえさを与え、その時になったら(役所に行き)献上します。
家に帰ったら土地から取れるものを心ゆくまで食べ、そうして私の人生を終えるのです。
思うに、一年のうち死の危険を冒すことは二度だけです。
そのほかのときは、心安らかに楽しく暮らすのです。
(このことが)どうして村人たちが毎日苦しむことと同じでありましょうか(同じではありません)。
今、この仕事で死んだとしても、私の村人の死に比べれば、すでに長生きしているのです。
また、どうして(この仕事を)苦しみとしましょうか(苦しみとは思いません)。」
私はこれを聞いてますます悲しんだ。
孔子は「税の取り立てが厳しい政治は、虎よりも凶暴なものである。」と言った。
かつて私はこれを疑っていた。
(しかし)今、蒋氏のことでこれを見ると、やはり孔子の言葉は真実であった。
ああ、誰が税の徴収が厳しいことが、この毒蛇(の怖さ)よりも甚だしいことを知っているであろうか(誰も知らないのである)。
だからこの「捕蛇者の説」を書き、民衆の生活を観察する為政者がこのことを知るのを待つのである。
(唐宋八大家文読本)
<書き下し>
捕蛇者(ほだしや)の説(せつ)
柳宗元
永州(えいしう)の野に異蛇(いだ)を産す。
黒質(こくしつ)にして白章(はくしやう)なり。
草木(さうもく)に触るれば尽(ことごと)く死(か)れ、以て人を齧(か)めば之を禦(ふせ)ぐ者無し。
然れども得て之を腊(せき)して、以て餌(じ)と為せば、以て大風(たいふう)・攣踠(れんゑん)・瘻癘(らうらい)を已(や)め、死肌(しき)を去り、三虫(さんちゆう)を殺す。
其の始め、太医(たいい)王命(わうめい)を以て之を聚(あつ)め、歳(とし)に其の二(に)を賦(ふ)す。
能く之を捕らふる有る者を募りて、其の租入(そにふ)に当(あ)つ。
永(えい)の人、争ひて奔走(ほんそう)す。
蒋氏(しやうし)といふ者有り、其の利を専(もつぱ)らにすること三世なり。
之に問へば則ち曰はく、
「吾が祖是(これ)に死し、吾が父是に死す。
今吾(われ)嗣(つ)ぎて之を為すこと十二年、幾(ほとん)ど死せんとせしこと数(しばしば)なり。」と。
之を言ふに、貌(ばう)甚だ慼(うれ)ふる者の若(ごと)し。
余之を悲しむ。
且つ曰はく、
「若(なんぢ)之を毒とするか。
余将(まさ)に事に莅(のぞ)む者に告げ、若の役(えき)を更(あらた)め、若の賦を復(ふく)せんとせば、則ち何如(いかん)。」と。
蒋氏大いに戚(いた)み、汪然(わうぜん)として涕(なみだ)出(い)だして曰はく、
「君(きみ)将に哀れみて之を生かさんとするか。
則ち吾が斯(こ)の役(えき)の不幸は、
未(いま)だ吾が賦を復する不幸の甚だしきに若(し)かざるなり。
嚮(さき)に吾(われ)斯(こ)の役を為さずんば、則ち久しく已(すで)に病めるならん。
吾(わ)が氏(し)三世(さんせい)是(こ)の郷(きやう)に居りし自(よ)り、今に積むこと六十歳(ろくじつさい)なり。
而して郷隣(きやうりん)の生(せい)は日(ひび)に蹙(せま)り、其の地の出(しゆつ)を殫(つ)くし、其の廬(ろ)の入を竭くし、号呼(がうこ)して転徒(てんし)し、饑渇(きかつ)して頓(ぼく)す。
風雨に触れ寒暑を犯し、毒癘(どくれい)を呼噓(こきよ)し、往往(わうわう)にして死せる者相(あひ)藉(し)くなり。
曩(さき)に吾が祖と居りし者、今其の室(しつ)、十に一無し。
吾が父と居りし者、今其の室、十に二三無し。
吾と居ること十二年になる者、今其の室、十に四五無し。
死せるに非ずんば則ち徒(うつ)れるのみ。
而るに吾蛇を捕らふるを以て独(ひと)り存す。
悍吏(かんり)の吾が郷(きやう)に来たるや、東西に叫囂(けいがう)し、南北に隳突(きとつ)す。
譁然(くわぜん)として駭(おどろ)く者、鶏狗(けいこう)と雖ども寧(やす)きを得ず。
吾恂恂(じゆんじゆん)として起き、其の缶(ほとび)を視て吾が蛇尚(な)ほ存すれば、則ち弛然(いぜん)として臥(ふ)す。
謹(つつし)みて之を食(やしな)ひ時にして献ず。
退(しりぞ)きて其の土(ど)の有(いう)を甘食(かんしよく)し、以て吾が歯(よはひ)を尽くす。
蓋(けだ)し一歳(いつさい)の死を犯す者二(ふた)たびなり。
其の余は則ち熙熙(きき)として楽しむ。
豈(あ)に吾が郷隣(きやうりん)の旦旦(たんたん)に是(これ)有るが如くならんや。
今此(ここ)に死すと雖ども、吾が郷隣の死に比すれば、則ち已(すで)に後れたり。
又安くんぞ敢へて毒とせんや。」と。
余聞きて愈(いよいよ)悲しむ。
孔子曰はく、
「苛政(かせい)は虎よりも猛(たけ)し。」と。
吾嘗(かつ)て是(これ)を疑へり。
今蒋氏を以て之を観るに、猶ほ信(しん)なり。
嗚呼(ああ)、孰(たれ)か賦斂(ふれん)の毒、是の蛇よりも甚だしき者有るを知らんや。
故に之(これ)が説(せつ)を為(つく)り、以て夫(か)の人風(じんぷう)を観る者の得んことを俟(ま)つ。
(唐宋八大家文読本)
<漢文>
捕蛇者説
柳宗元
永州之野産異蛇。
黒質而白章。
触草木尽死、以齧人無禦之者。
然得而腊之、以為餌、可以已大風・攣踠・瘻癘、去死肌、殺三虫。
其始、太医以王命聚之、歳賦其二。
募有能捕之者、当其租入。
永之人、争奔走焉。
有蔣氏者。
専其利三世矣。
問之則曰、
「吾祖死於是、吾父死於是。
今、吾嗣為之十二年、幾死者数矣。」
言之、貌若甚慼者。
余悲之。
且曰、
「若毒之乎。
余将告於莅事者、更若役、復若賦。
則何如。」
蔣氏大戚、汪然出涕曰、
「君将哀而生之乎。
則吾斯役之不幸、未若復吾賦不幸之甚也。
嚮吾不為斯役、則久已病矣。
自吾氏三世居是郷、積於今六十歳矣。
而郷隣之生日蹙、殫其地之出、竭其廬之入、号呼而転徙、饑渇而頓踣。
触風雨、犯寒暑、呼噓毒癘、往往而死者相藉也。
曩与吾祖居者、今其室、十無一焉。
与吾父居者、今其室、十無二三焉。
与吾居十二年者、今其室、十無四五焉。
非死則徙爾。
而吾以捕蛇独存。
悍吏之来吾郷、叫囂乎東西、隳突乎南北。
譁然而駭者、雖鶏狗不得寧焉。
吾恂恂而起、視其缶而吾蛇尚存、則弛然而臥。
謹食之、時而献焉。
退而甘食其土之有、以尽吾歯。
蓋一歳之犯死者二焉。
其余則熙熙而楽。
豈若吾郷隣之旦旦有是哉。
今雖死乎此、比吾郷隣之死、則已後矣。
又安敢毒耶。」
余聞而愈悲。
孔子曰、
「苛政猛於虎也。」
吾嘗疑乎是。
今、以蔣氏観之、猶信。
嗚呼、孰知賦斂之毒、有甚是蛇者乎。
故為之説、以俟夫観人風者得焉。
(唐宋八大家文読本)
捕蛇者(ほだしゃ)の説(せつ)
柳宗元
永州(えいしゅう、今の湖南省永州市)の原野では、変わった蛇が産出する。
(その蛇は)黒地に白い模様がある。
猛毒を持っており、草木に触れると、ことごとく枯れてしまう。
人をかめば、防ぎようがない(=かまれると、死んでしまう)。
(このように大変危険な蛇だが)これを捕らえ乾し肉にして薬にすると、皮膚や神経が冒される病気、手足の曲がる病気、首が腫れ上がる病気を癒し、血の通わなくなった皮膚を治し、人の体内にいる三匹の虫を殺すことができる。
始め、宮廷付きの医師が、王の命令で、この蛇を捕獲し一年に二匹を租税として納めるようにさせた。
この蛇を捕まえられる者を募り、租税の代わりとした。
(そうすると)永州の人々はわれ勝ちに(蛇を捕るのに)駆け回った。
その中に、蒋氏という者がいた。
(蛇をつかまえ、租税の代わりとする)利益を独り占めにすること三代にわたっていた。
彼に尋ねてみると、こう言った。
「私の祖父は蛇の毒で死に、父も蛇の毒で死にました。
今、私がこの(蛇取りという)仕事を継いで十二年になりますが、もう少しで命を落としそうになったことがしばしばあります。」
そう言う彼の顔は大変に心配している者のようだった。
私はこのことを悲しみ、またこう言った。
「あなたはこの仕事を苦痛と感じているのか。
(もしそうならば)私は州の政治を行っている者に言って、あなたの(蛇捕りという)労役を改めて、もとの租税に戻そうと思うがどうだろうか。」
蒋氏は大変悲しみ、盛んに涙を流して言った。
「あなた様は私のことを哀れんで生かそうとするのですか。
それならば、私のこの仕事の不幸は、私の租税をもとに戻す不幸のひどさには及びません。
もともと私がこの仕事をしていなかったら、ずいぶん前にすでに病気になっていたでしょう。
私の家が三代、この村に住むようになってから、今、六十年になります。
村の隣人たちの生活は日々に苦しくなり、土地の産するものを(租税のために)すっかり出し、家の収入を使い果たし、泣き叫んでよその土地へ移り、飢え渇いて倒れてしまいました。
雨風に打たれ、暑さ寒さの中で働き、毒や悪気の中で呼吸し、死んだ者がさらに下に死んだ者を敷く(=死者が重なる)こともしばしばありました。
以前、私の祖父の頃に住んでいた者で、今、その家は十軒に一軒もありません。
私の父の頃に住んでいた者は、今、その家は十軒に二、三軒もありません。
私のいっしょに十二年住んでいる者は、今、その家は十軒に四、五軒もありません。
死んだのでなければ、よその土地へ移り住んだのです。
私は蛇を捕ることで、ひとりだけ残っているのです。
厳しい徴税の役人が村に来ると、東西にわたって大声を上げて叫び、南北にわたってあたりちらし、騒がしく驚き恐れることは、鶏や犬でさえも落ち着いてはいられないほどです。
(そんなとき)私は恐る恐る立ち上がり、つぼの中を見て、私が捕った蛇がまだ残っていれば、安心して身を横たえます。
慎重に蛇にえさを与え、その時になったら(役所に行き)献上します。
家に帰ったら土地から取れるものを心ゆくまで食べ、そうして私の人生を終えるのです。
思うに、一年のうち死の危険を冒すことは二度だけです。
そのほかのときは、心安らかに楽しく暮らすのです。
(このことが)どうして村人たちが毎日苦しむことと同じでありましょうか(同じではありません)。
今、この仕事で死んだとしても、私の村人の死に比べれば、すでに長生きしているのです。
また、どうして(この仕事を)苦しみとしましょうか(苦しみとは思いません)。」
私はこれを聞いてますます悲しんだ。
孔子は「税の取り立てが厳しい政治は、虎よりも凶暴なものである。」と言った。
かつて私はこれを疑っていた。
(しかし)今、蒋氏のことでこれを見ると、やはり孔子の言葉は真実であった。
ああ、誰が税の徴収が厳しいことが、この毒蛇(の怖さ)よりも甚だしいことを知っているであろうか(誰も知らないのである)。
だからこの「捕蛇者の説」を書き、民衆の生活を観察する為政者がこのことを知るのを待つのである。
(唐宋八大家文読本)
<書き下し>
捕蛇者(ほだしや)の説(せつ)
柳宗元
永州(えいしう)の野に異蛇(いだ)を産す。
黒質(こくしつ)にして白章(はくしやう)なり。
草木(さうもく)に触るれば尽(ことごと)く死(か)れ、以て人を齧(か)めば之を禦(ふせ)ぐ者無し。
然れども得て之を腊(せき)して、以て餌(じ)と為せば、以て大風(たいふう)・攣踠(れんゑん)・瘻癘(らうらい)を已(や)め、死肌(しき)を去り、三虫(さんちゆう)を殺す。
其の始め、太医(たいい)王命(わうめい)を以て之を聚(あつ)め、歳(とし)に其の二(に)を賦(ふ)す。
能く之を捕らふる有る者を募りて、其の租入(そにふ)に当(あ)つ。
永(えい)の人、争ひて奔走(ほんそう)す。
蒋氏(しやうし)といふ者有り、其の利を専(もつぱ)らにすること三世なり。
之に問へば則ち曰はく、
「吾が祖是(これ)に死し、吾が父是に死す。
今吾(われ)嗣(つ)ぎて之を為すこと十二年、幾(ほとん)ど死せんとせしこと数(しばしば)なり。」と。
之を言ふに、貌(ばう)甚だ慼(うれ)ふる者の若(ごと)し。
余之を悲しむ。
且つ曰はく、
「若(なんぢ)之を毒とするか。
余将(まさ)に事に莅(のぞ)む者に告げ、若の役(えき)を更(あらた)め、若の賦を復(ふく)せんとせば、則ち何如(いかん)。」と。
蒋氏大いに戚(いた)み、汪然(わうぜん)として涕(なみだ)出(い)だして曰はく、
「君(きみ)将に哀れみて之を生かさんとするか。
則ち吾が斯(こ)の役(えき)の不幸は、
未(いま)だ吾が賦を復する不幸の甚だしきに若(し)かざるなり。
嚮(さき)に吾(われ)斯(こ)の役を為さずんば、則ち久しく已(すで)に病めるならん。
吾(わ)が氏(し)三世(さんせい)是(こ)の郷(きやう)に居りし自(よ)り、今に積むこと六十歳(ろくじつさい)なり。
而して郷隣(きやうりん)の生(せい)は日(ひび)に蹙(せま)り、其の地の出(しゆつ)を殫(つ)くし、其の廬(ろ)の入を竭くし、号呼(がうこ)して転徒(てんし)し、饑渇(きかつ)して頓(ぼく)す。
風雨に触れ寒暑を犯し、毒癘(どくれい)を呼噓(こきよ)し、往往(わうわう)にして死せる者相(あひ)藉(し)くなり。
曩(さき)に吾が祖と居りし者、今其の室(しつ)、十に一無し。
吾が父と居りし者、今其の室、十に二三無し。
吾と居ること十二年になる者、今其の室、十に四五無し。
死せるに非ずんば則ち徒(うつ)れるのみ。
而るに吾蛇を捕らふるを以て独(ひと)り存す。
悍吏(かんり)の吾が郷(きやう)に来たるや、東西に叫囂(けいがう)し、南北に隳突(きとつ)す。
譁然(くわぜん)として駭(おどろ)く者、鶏狗(けいこう)と雖ども寧(やす)きを得ず。
吾恂恂(じゆんじゆん)として起き、其の缶(ほとび)を視て吾が蛇尚(な)ほ存すれば、則ち弛然(いぜん)として臥(ふ)す。
謹(つつし)みて之を食(やしな)ひ時にして献ず。
退(しりぞ)きて其の土(ど)の有(いう)を甘食(かんしよく)し、以て吾が歯(よはひ)を尽くす。
蓋(けだ)し一歳(いつさい)の死を犯す者二(ふた)たびなり。
其の余は則ち熙熙(きき)として楽しむ。
豈(あ)に吾が郷隣(きやうりん)の旦旦(たんたん)に是(これ)有るが如くならんや。
今此(ここ)に死すと雖ども、吾が郷隣の死に比すれば、則ち已(すで)に後れたり。
又安くんぞ敢へて毒とせんや。」と。
余聞きて愈(いよいよ)悲しむ。
孔子曰はく、
「苛政(かせい)は虎よりも猛(たけ)し。」と。
吾嘗(かつ)て是(これ)を疑へり。
今蒋氏を以て之を観るに、猶ほ信(しん)なり。
嗚呼(ああ)、孰(たれ)か賦斂(ふれん)の毒、是の蛇よりも甚だしき者有るを知らんや。
故に之(これ)が説(せつ)を為(つく)り、以て夫(か)の人風(じんぷう)を観る者の得んことを俟(ま)つ。
(唐宋八大家文読本)
<漢文>
捕蛇者説
柳宗元
永州之野産異蛇。
黒質而白章。
触草木尽死、以齧人無禦之者。
然得而腊之、以為餌、可以已大風・攣踠・瘻癘、去死肌、殺三虫。
其始、太医以王命聚之、歳賦其二。
募有能捕之者、当其租入。
永之人、争奔走焉。
有蔣氏者。
専其利三世矣。
問之則曰、
「吾祖死於是、吾父死於是。
今、吾嗣為之十二年、幾死者数矣。」
言之、貌若甚慼者。
余悲之。
且曰、
「若毒之乎。
余将告於莅事者、更若役、復若賦。
則何如。」
蔣氏大戚、汪然出涕曰、
「君将哀而生之乎。
則吾斯役之不幸、未若復吾賦不幸之甚也。
嚮吾不為斯役、則久已病矣。
自吾氏三世居是郷、積於今六十歳矣。
而郷隣之生日蹙、殫其地之出、竭其廬之入、号呼而転徙、饑渇而頓踣。
触風雨、犯寒暑、呼噓毒癘、往往而死者相藉也。
曩与吾祖居者、今其室、十無一焉。
与吾父居者、今其室、十無二三焉。
与吾居十二年者、今其室、十無四五焉。
非死則徙爾。
而吾以捕蛇独存。
悍吏之来吾郷、叫囂乎東西、隳突乎南北。
譁然而駭者、雖鶏狗不得寧焉。
吾恂恂而起、視其缶而吾蛇尚存、則弛然而臥。
謹食之、時而献焉。
退而甘食其土之有、以尽吾歯。
蓋一歳之犯死者二焉。
其余則熙熙而楽。
豈若吾郷隣之旦旦有是哉。
今雖死乎此、比吾郷隣之死、則已後矣。
又安敢毒耶。」
余聞而愈悲。
孔子曰、
「苛政猛於虎也。」
吾嘗疑乎是。
今、以蔣氏観之、猶信。
嗚呼、孰知賦斂之毒、有甚是蛇者乎。
故為之説、以俟夫観人風者得焉。
(唐宋八大家文読本)
前川泰之(@maekawa_yasuyuki_official)
平日休みだった長男12歳とドライブへ。
うちの3姉弟の中で1番繊細で、ちょっと気難しい彼。で、インドア派(お家大好き)。
放っておくといくらでも家の中で過ごしてしまうので、僕がいる時はあの手この手で連れ出します
で、いくつか選択肢を挙げた中で、彼が選んだ小田原城へ。
凄く小さい時に行ったけどあまり覚えてはいなかったようで。
でもこの日は行く車内からご機嫌。
なぜなら6歳の弟が幼稚園で居ないから。6歳も離れてると『じゃあ、可愛がるでしょ?』なんてよく言われますが、まぁもちろん良い時もあるけれど、、
でも静かに秩序を保って暮らしたい長男君には、いつも『お兄ちゃん!お兄ちゃん!』と付き纏う弟は残念ながら煙たい存在のようで。。
ま、自分の機嫌の良い時だけ楽しく遊んで、言う事を聞かないとすぐ機嫌悪くなって『あっち行け!』て言う自己中なお兄ちゃんも、お喋りで日に100回近く『ねぇお兄ちゃん、これなーに?ねぇお兄ちゃん、あれやってー』て言う愛情過多の弟、、どっちもどっちなんだけどね
なので、やっぱりパパと二人きりの時間は大事なのね。
本を読むのが好きな彼は大人も驚くぐらいの知識があって(ミリタリー、武具、など偏りはあるが)、城の作りやら、仕掛けやら興味を持って良く観察し、色々話してくれました。
小さい時はもっとゆっくり見ればいいのに、、と思うぐらい何でもサッと通り過ぎてたのに、今回は何でも興味持ってゆっくり見てたなぁ。成長してんのね
いつもはすぐ『帰ろう』とか言うけど、この日は『じゃあ先にお昼食べて、その後あそこ見に行こうか』とか、ランチもいつもは『分からない』とか言うのに『俺はこれにしようかな。でも、この小田原丼てどんなか見てみたいからパパこれにして』とかそんな会話も。かなり地味な見た目のメニューに『ええー!パパこれ?!』とか言いながらも長男のそんな好奇心が嬉しくて『いいよ、パパそれにするわ』と頼んでみたり。
それが5枚目の写真だけど。これが美味しくてね✨大正解!
長男も味見して『美味しい!』となり、二人して『地味とか思ってごめんなさい』と言いながら頂きました
そんなこんなで父と子の楽しい社会科見学は終わりました。
少し前までは何処か連れてっても帰りに機嫌悪くなって、『あーあ、今日はイイ事なかった』とか『もっと早く帰りたかったなー』とか言って、僕も『もう絶対どこも連れて行かない!』なんて事も多々ありましたが、本人はストレスを抱えやすいようで、それさえ無ければ本当に素直で楽しく過ごせるから、日頃のストレスをなるべく減らしてあげなきゃなぁと思ったり。
やっぱり幼稚園ぐらいの子がいると(特にウチのはお喋りだし)、引っ掻き回されちゃうから、長男としては落ち着かないみたいで。
二人でいたらこんなに穏やかで素直なんだなぁ、と改めてパパも感じる事が出来て良い1日になりました✨✨
子供3人いるし、いつも家族5人でごちゃごちゃっと行動するから、もちろんそれはそれでワイワイ楽しいけど、子供達もやっぱり親を独り占めしたいもんね。話たい事も色々あるしね。
ほんとパパも勉強になります
紫陽花、見頃で綺麗でしたよー✨✨
#子育てパパ #息子と #父と子 #小田原城 #あじさい祭り #ドライブ
#長くなったけど
#この日感じた事を
#整理したくて
#文章化してみた
平日休みだった長男12歳とドライブへ。
うちの3姉弟の中で1番繊細で、ちょっと気難しい彼。で、インドア派(お家大好き)。
放っておくといくらでも家の中で過ごしてしまうので、僕がいる時はあの手この手で連れ出します
で、いくつか選択肢を挙げた中で、彼が選んだ小田原城へ。
凄く小さい時に行ったけどあまり覚えてはいなかったようで。
でもこの日は行く車内からご機嫌。
なぜなら6歳の弟が幼稚園で居ないから。6歳も離れてると『じゃあ、可愛がるでしょ?』なんてよく言われますが、まぁもちろん良い時もあるけれど、、
でも静かに秩序を保って暮らしたい長男君には、いつも『お兄ちゃん!お兄ちゃん!』と付き纏う弟は残念ながら煙たい存在のようで。。
ま、自分の機嫌の良い時だけ楽しく遊んで、言う事を聞かないとすぐ機嫌悪くなって『あっち行け!』て言う自己中なお兄ちゃんも、お喋りで日に100回近く『ねぇお兄ちゃん、これなーに?ねぇお兄ちゃん、あれやってー』て言う愛情過多の弟、、どっちもどっちなんだけどね
なので、やっぱりパパと二人きりの時間は大事なのね。
本を読むのが好きな彼は大人も驚くぐらいの知識があって(ミリタリー、武具、など偏りはあるが)、城の作りやら、仕掛けやら興味を持って良く観察し、色々話してくれました。
小さい時はもっとゆっくり見ればいいのに、、と思うぐらい何でもサッと通り過ぎてたのに、今回は何でも興味持ってゆっくり見てたなぁ。成長してんのね
いつもはすぐ『帰ろう』とか言うけど、この日は『じゃあ先にお昼食べて、その後あそこ見に行こうか』とか、ランチもいつもは『分からない』とか言うのに『俺はこれにしようかな。でも、この小田原丼てどんなか見てみたいからパパこれにして』とかそんな会話も。かなり地味な見た目のメニューに『ええー!パパこれ?!』とか言いながらも長男のそんな好奇心が嬉しくて『いいよ、パパそれにするわ』と頼んでみたり。
それが5枚目の写真だけど。これが美味しくてね✨大正解!
長男も味見して『美味しい!』となり、二人して『地味とか思ってごめんなさい』と言いながら頂きました
そんなこんなで父と子の楽しい社会科見学は終わりました。
少し前までは何処か連れてっても帰りに機嫌悪くなって、『あーあ、今日はイイ事なかった』とか『もっと早く帰りたかったなー』とか言って、僕も『もう絶対どこも連れて行かない!』なんて事も多々ありましたが、本人はストレスを抱えやすいようで、それさえ無ければ本当に素直で楽しく過ごせるから、日頃のストレスをなるべく減らしてあげなきゃなぁと思ったり。
やっぱり幼稚園ぐらいの子がいると(特にウチのはお喋りだし)、引っ掻き回されちゃうから、長男としては落ち着かないみたいで。
二人でいたらこんなに穏やかで素直なんだなぁ、と改めてパパも感じる事が出来て良い1日になりました✨✨
子供3人いるし、いつも家族5人でごちゃごちゃっと行動するから、もちろんそれはそれでワイワイ楽しいけど、子供達もやっぱり親を独り占めしたいもんね。話たい事も色々あるしね。
ほんとパパも勉強になります
紫陽花、見頃で綺麗でしたよー✨✨
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