中島健人「海外から注目される作品作りを」 20代ラストに抱く夢を語る

 Sexy Zoneの中島健人が、俳優として新たなフェーズに差し掛かっている。20日公開の映画『おまえの罪を自白しろ』では、政治家一族・宇田家の次男で、内閣府副大臣の父・宇田清治郎(堤真一)のやり方に疑問を持ちながらも、やむなく父の議員秘書を務める宇田晄司役で、サスペンス映画初主演に。そんな中島に今回クランクイン!はインタビューを実施。話を聞くと、アイドルとしても、役者としても、常に“完璧”という形容詞をまとってきた中島の“完璧”に達するまでの努力が浮かび上がってきた。

■晄司は“冷徹な色気”がある男
ーー『心が叫びたがってるんだ。』『未成年だけどコドモじゃない』『ニセコイ』など、これまでコメディーやラブストーリーを題材としてきた映画出演が多かった中島さんですが、昨年の『ラーゲリより愛を込めて』や本作を見ると、“俳優・中島健人”として新たなフェーズに差し掛かっているように感じます。

中島:本作のお話をいただいたのが、テレビドラマ『彼女はキレイだった』(カンテレ・フジテレビ系)が終わったくらいの時期で、同作もラブストーリーだったので、「こういう役をいただけるのか」と自分でもネクストフェーズへ突入した感覚がありました。自分自身を表現する環境を変えてみるのはすごくいいことだと思いますし、そんな場所を与えてくださった本作の制作陣の方には感謝の気持ちでいっぱいです。新たな僕を見ていただけると思います。

ーー晄司は中島さんの新境地となるキャラクターのように思います。これまでの経験とのギャップはありましたか?

中島:過去に出演させていただいたラブストーリーでも、全部かっこよかったり、セクシーだったりする役かと言ったらそうではなくて、“できない男のラブストーリー”や“めっちゃかっこいいやつのラブストーリー”など多岐にわたってきました。今回「中島さんはセクシーを封印しましたね」って言われることも多いんですけど、僕自身これまでの役も、セクシーに振り切って演じてきた気持ちはないんです。

今回の晄司は、かっこいい言葉でいうと“冷徹な色気”がある男だと思っています。自分の家族を守るために、うそを貫き通す。うそも方便と言いますか、その使い方がうまい人なんじゃないかなと。実は最初は全然そういう雰囲気のキャラクターではなかったんです。最初に脚本を読んだ時に、晄司以外のキャラクターがあまりにも強くて、晄司が平たく見えるように感じたので、水田伸生監督とどういう風に見せていくかディスカッションし、自分で演じていく上で、そういう魅力を持った人間だなと解釈していきました。

社会派で無骨な映画に、こんなアイデンティティーを持つ僕が出演するからこそ、広がりが生まれる気がするので、本作はたくさんの方にフィットするんじゃないかと思います。自分の映画人生の中で、社会派映画に呼んでいただけたことは本当に感謝していて、水田監督にすごく恩返しがしたいです。

ーー“冷徹な色気”は腑に落ちる表現です。晄司を作り上げる中での、具体的な役作りのアプローチを教えてください。

■「怖い振り付け師さんがいて…」晄司と重なる自身の経験
中島:衆議院予算委員会を傍聴し、岸田文雄首相や衆議院の方々の姿を実際に拝見しました。議員秘書の方にお会いするために議員会館にもお邪魔したのですが、秘書の方の机には、ものすごい量の書類があって、日々これくらいの問題量に追われ、1つずつさばいているのかと驚きました。量もそうなのですが、これだけの膨大な責任があるというのを体感できたのが一番大きな経験だったと思います。行くと行かないのとでは全然違っていて、国会議事堂に足を運んでいなかったら、また芝居への気持ちも変わっていただろうなと思います。

でも僕はスーツで行ったんですけど、マネージャーさんがだいぶカジュアルな服装で来たんですよ(笑)。「やっぱスーツで来ると思ったよ」って言われたんですけど、そりゃスーツ着るでしょ!

ーーそんなハプニングが(笑)。晄司は劇中であまりバックボーンが描かれていないキャラクターでした。中島さんなりの解釈を反映させた部分はありましたか?

中島:これは映画に携わってきた中ですごく思っていることなんですけど、自分の中だけの解釈を強くしてしまうと、他のキャストさんたちとのバランスが合わなくなることが意外とあるんですよね。晄司に関してはバックボーンの想像はしたんですけど、作り上げていくというよりは、ナチュラルに演じることができたと思っています。

晄司の気持ちってすごくわかるんです。彼っていつも鬱屈としていて、いつもそういう気持ちを抱えている若者って多いと思うんです。ぶっちゃけ言うと、僕も持っています。でもそういう人は、いろんなことに対して鬱屈とした気持ちがあるからこそ、爆発した瞬間に、ものすごいエネルギーを持っている。僕もそうだから、晄司の気持ちを理解したまま、1番の理解者として僕は彼を演じられたかなって思います。

ーーご自身とも重なる点があったのですか?

中島:そうですね。ジュニアの時に本当に怖い振り付け師さんがいて、僕、正直すごく苦手だったんですよ。もうめちゃくちゃ注意されたし、強い言葉で言ってくる方なんですけど、ある年齢を境にその人とあまり仕事をしなくなっていくんですね。徐々に巣立っていって。でも結局それから何年か経つと、その振り付け師さんの振り付けを欲する自分がいて…。「言われたい」「あのリズムを感じたい!」って。その関係性は、晄司と父・清治郎(堤真一)の間柄に重なる部分を感じています。

その振り付け師さんは、全然電話に出てくれないし、メールも返してくれないんですけど、会ったら普通に話しかけてくれるんですよ(笑)。「なんで!? 電話出てくれないのに!?」って(笑)。昔は敵対視していたんですけど、一度離れてみると、「健人にはこれが合う」って僕が進むべき道を開いてくれたんだって気付くことができました。やり方は強引であれど、清治郎も晄司に対してそういう態度を取っていたんじゃないかなと思います。

ーーなるほど。実際の撮影では、堤さんから影響を受けたことはありましたか?

中島:この映画のポスターの堤さんってめちゃくちゃ怖いけど、実際はおもしろおじさんなんです(笑)。映画に緊張感がなくなってしまいそうで言いたくないんですけど、本当に面白い人。ギャップがすごくて、現場で堤さんと山崎一さんは四六時中舞台の話をしているんですけど、その交流の仕方は高校の朝の教室みたいで(笑)。二人の空気感が温かいんですよね。

堤さんは僕にプライベートの話から、どんな人生を歩んできたのかまで、ざっくばらんに話してくれました。「俺はテレビはあんま興味なかったんだ。でもドラマに出始めて、劇場に人が集まって、映画界からオファーが来て…。でも全然順風満帆じゃねえよ」って。

ーーちょっとモノマネ入ってません?(笑)

中島:自信あるんです。本気出したら結構似てると思っていて(笑)。堤さんって苦労人だから、本当にいろんな経験を話してくださって、だからこそ怖いみたいなことはなかったですね。それでも芝居になると圧がすごいんですよ。関西の方だからか「キレさせたらやばい」みたいなオーラが出ていて。でも堤さん、ボケてくださるから、ツッコまざるを得ないし、ツッコんで欲しそうな感じを出してるんですよね。「それ違うでしょ」ってツッコむと「まあな(笑)」ってうれしそうで。こんな風にカジュアルなコミュニケーションができたから、伸び伸びと撮影ができました。

ーー堤さんから芝居のアドバイスなどをもらったりしましたか?

中島:堤さんって、「こうしろ」というタイプではないんです。「俺を見て学べ」なんて風には思っていないと思うんですけど、見ているだけで学べるところがいっぱいありました。空気感や雰囲気の醸し出し方というんでしょうか。言葉でそういうやり取りはしたことないですね。演技のディスカッションをしたのは、池田エライザさんと中島歩さんくらいです。

そういえば「馬刺しがうまいんだぁ。今度健人にやるよ」って堤さんに言われたんですけど、まだいただいてないな…。連絡先も交換してるんですけど、やっぱり緊張するじゃないですか。最近は織田裕二さん(ドラマ『シッコウ!!~犬と私と執行官~』(テレビ朝日系)で共演)に連絡できるようになりました。レインボーブリッジの写真撮って、「どうします?」って(笑)。なので堤さんにも馬刺しの写真を送ってみようかな。

ーー面白すぎます(笑)。ところで、本作のクランクインは昨年の7月と聞いたんですけど、その時期はSexy Zoneがライブツアー中でしたよね。役作りや撮影で過密スケジュールだったんじゃないかと想像するのですが、どうやって切り替えていたんでしょうか?

■櫻井翔の言葉で得た“気付き”
中島:確かに。どうやっていたんでしょう…。そういえば櫻井翔くんがツアーを見に来てくれたときに、「ケンティ、一皮むけたね」って言ってくれました。だから多分、この役の影響がツアーにも出ていたんじゃないかな。映画では晄司としての存在感を出さなきゃいけなかったので、内から出るものがライブにもあふれていたんじゃないかと思います。

ーーアーティストと俳優の仕事が相互作用していたんですね。いろんな面で成長し続け、夢をかなえていく中島さんですが、20代も終盤に差し掛かっています。中島さんが今抱く夢を最後に教えてください。

中島:もっといろんな日本映画に出演したいと思っています。吉永小百合さんともご一緒できたらうれしいですね。いろんなレジェンドを知って、いろんなレジェンドから見る自分を知ることで、今の自分の現在地がわかるんじゃないのかなと。

あとアーティストとしては、楽曲制作をしていきたいです。自分が作った音楽を今度はたくさん出していくっていうフェーズになってくのかな…。インスタグラムにもすでに何曲かアップしてるんですけど、今後もトラックメイクして、それが何かのタイアップになればいいなと思いますし、日本のみならず、海外の方にも聞いていただきたいとも思います。海外から日本に関心が向くような楽曲制作をしていきたい。映画も同じですね。日本映画に出ることで、海外から注目される。そんな作品作りをしていきたいです。

(取材・文:阿部桜子 写真:小川遼)

古代エジプトと現代イギリスには共通点はあるのか…新たな視座を教えてくれる“国家の起源の探求”
人類の歴史は、これまで語られてきたものと異なり、遊び心と希望に満ちた可能性に溢れていた――。考古学、人類学の画期的な研究成果に基づく 『万物の黎明』 (光文社)より一部抜粋。全世界で注目を集めている本書より、ここでは「国家」の起源を解き明かす。

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◆◆◆
国家とはどのように定義されるのだろうか
「国家の起源」の探求は、「社会的不平等の起源」の探求とほとんどおなじくらい古い。そして、それとおなじくらい熱い議論が交わされてきた。そしてまた、多くの点で、それとおなじように骨折り損である。今日、世界中のほとんどの人間が、国家の権威の下で暮らしているとふつうには考えられている。

 おなじように、ファラオ時代のエジプト、殷の中国、インカ帝国、ベニン王国などの過去の政治体も、国家ないし、すくなくとも「初期国家」とみなしてよいという感覚は浸透している。しかし、国家とはなにかについて社会理論家のあいだにコンセンサスがないため、問題は、これらの事例をすべて包摂しながら、それでいて、ガバガバすぎて無意味にならないような定義をどのように設定するか、になる。ところが、これが意外とむずかしいのである。
「国家」という言葉が一般的に使われるようになったのは……

「国家」という言葉が一般的に使われるようになったのは、16世紀後半になってからのことである。フランスの法律家ジャン・ボダンが、この言葉をひねりだしたのがことのはじまりだ。ジャン・ボダンは、魔女、狼男、邪術師の歴史などをテーマにした、影響力のある論文を執筆した人物でもある(さらにボダンは、女性に対する極度の憎悪によっていまだに記憶されている)。しかし、おそらく最初に体系的な定義を試みたのは、ルドルフ・フォン・イェーリングというドイツの哲学者であろう。
 かれは19世紀後半に、「国家とは、所与の領域内で合法的な強制力の使用を独占することを主張する機関である」とする定義を提起した(この定義は、それ以降、社会学者マックス・ヴェーバーのものとみなされるようになる)。すなわち、まずある一定の範囲の土地の領有権を主張する。そして、その境界線の内部では、人を殺害すること、殴打すること、肉体の一部を切断すること、監禁することをゆるされる唯一の機関がわれなりと宣明するイェーリングの定義によれば、そのとき、政府は「国家」となるのである。

 フォン・イェーリングの定義は、近代国家にはかなり有効であった。ところが、人類史のほとんどにおいて、支配者はそのような大仰な主張をしていなかったことがすぐにあきらかになった。あるいは、われは強制力を独占するものなり、などと口ではいうが、そこにはほとんど実質がなかったのである。つまり、その主張は、われは森羅万象を支配するものなりといった言明と変わるところがなかったのだ。

 フォン・イェーリングやヴェーバーの定義を保持するならば、たとえばハンムラビのバビロン、ソクラテスのアテネ、征服王ウィリアム支配下のイングランドなどは、まったく国家ではないと断じるか、あるいはもっと柔軟でニュアンスのある定義をひねりだす必要にせまられることになろう。マルクス主義者にも、国家の定義がある。
20世紀のほとんどを通して社会科学者が行なったこと

 かれらによれば、国家が歴史的にはじめて登場するのは、新興支配階級がわが権力を防衛するためである。他者の労働力に依存して日常的生活をいとなむ人間があらわれるや、かれらは必然的に支配の装置を構築することになる。公式的にはみずからの所有権を守るため、実質的にはみずからの優位性を保つためにである(まったくルソー的思考の系譜に属している)。

 この定義ならば、バビロン、アテネ、中世イングランドは、あらためて国家の名に値するものとなる。だが、それはまた、搾取をどのように定義するかなどといった、あたらしい概念上の問題も導入した。また、リベラル派にとっては、このような定義は、国家が善良なる機関となる可能性を排除するものであり、好ましくないものだった。

 20世紀のほとんどを通じて、社会科学者たちは、国家をより純粋に機能的観点から定義することを好んだ。社会が複雑になるにつれ、あらゆるものごとを調整するため、トップダウンの指揮構造を形成する必要性が高まってきたと主張したのである。現代の社会進化論者のほとんどが、基本的にこの論理を踏襲している。そこでは「社会の複雑性」を示す証拠があれば、反射的にそれはある種の統治機構の存在を示す証拠とみなされる。(たとえば、都市、町、村落、小村といった)4段階の集落ヒエラルキーについて語るとして、それらの集落のすくなくとも一部にフルタイムの専門家(土器づくり職人、鍛冶屋、僧侶や尼僧、職業兵士や音楽家)がいたとすれば、それを管理する装置は、それがどのようなものであれ、事実上、国家でなければならない。
そして、その装置が実力の独占を主張したり、めぐまれぬ労働者の労苦で生活するエリート階級を支えたりはしていなかったとしても、遅かれ早かれそうなることは避けられなかった、とこういうわけだ。この定義にも利点はある。とりわけ、断片的な遺物からその性質や組織をあきらかにしなければならない超古代社会について推測するばあいには、この定義は役に立つ。とはいえ、その論理は完全に循環している。基本的には、それは「国家は複雑であるからして、複雑な社会組織は国家である」といっているにすぎないからである。
大規模で複雑な社会には必ず国家が必要なのか?

 実のところ、前世紀の「古典的な」理論的定式化のほとんどすべてが、まさにこの想定から出発している。つまり、大規模で複雑な社会には必ず国家が必要だという想定だ。とすれば、真の争点は、以下の点にある、なぜそうなるのか? なにがしかの筋の通った実際的理由からか? それとも、そのような社会は必然的に物質的余剰を生みだすからなのか? すなわち、物質的余剰があるならば、―たとえば太平洋岸北西部の魚の燻製のように ―分け前を他より多く手に入れようとする人間たちが必然的に存在することになるからか?
 第8章ですでにみてきたように、最初期の都市に対して、このような想定はとりわけ有効ではない。たとえば、初期のウルクは、いかなる意味でも「国家」ではなかったようにおもわれる。それに、古代メソポタミア地域でトップダウンの支配が出現したとしても、そこは低地の河川流域に位置する「複雑な」大都市ではなく、周辺の山麓に位置する小規模な「英雄」社会だった。

 ところが、それらの社会は行政管理の原理を嫌っていたため、結果的にこれもまた「国家」とみなしえないようにおもわれる。後者のグループ[「英雄」社会]に民族誌的に比肩しうるものがあるとすれば、それは北西海岸の社会かもしれない。というのも、そこでも政治的リーダーシップは、自慢好きで虚栄心の強い戦士貴族の手にゆだねられ、かれらは、称号や財宝、平民の忠誠や奴隷の所有権をめぐって派手な争いをくり広げていたからだ。ここで想起してほしい。ハイダ族やトリンギット族らは、国家装置と呼べるものをもたないだけではなかった。かれらはフォーマルな統治機関のすべてを欠いていたのだった。
国家が不在であっても可能なこと

 すると「国家」は2つの統治形態(官僚的形態と英雄的形態)が融合したときにはじめて出現したのだな、と考えるむきもあるだろう。それもありえないわけではない。しかし、それと同時に、そもそもそんな問いに本当に意味があるのか、と疑義を呈することも可能だ。

 国家が不在であっても、君主支配、貴族支配、奴隷制、極端な形態の家父長制の支配は可能であり(実際にあきらかに可能であった)、国家がなくても複雑な灌漑システムを維持したり、科学や抽象的な哲学を発展させたりすることが同様に可能であるならば(これもまた実際にそうであったようにおもわれる)、ある政治体は「国家」であって、ある政治体は「国家」じゃないと区分することで、人類の歴史について本当に意味あることを学ぶことができるのだろうか? もっと退屈でなく、もっと重要な問いがあるのではないだろうか?

 この章では、その可能性を探ってみたいとおもう。古代エジプトと現代イギリスの統治機関のあいだには深いところで共通するものがあるにちがいないから、それを正確に解明しなければならない、というふうに考えるのではなく、問題全体をあらたな視角から検討してみるなら、歴史はどのようにみえてくるだろう。都市が誕生したほとんどの地域で、やがて強力な王権や帝国が誕生したことはまちがいない。

 しかし、それらにはどんな共通点があるのだろうか? はたして実際に共通点はあったのか? それらの出現は、人間の自由と平等、あるいはその喪失の歴史について、なにを物語っているのだろうか? それ以前のものとの根本的な断絶を示すものがあるとすれば、それはどのようなものだろうか?
デヴィッド・グレーバー,デヴィッド・ウェングロウ/Webオリジナル(外部転載)

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