采访:平野綾「オファーを頂いてもあえて控えていた」2.5次元への葛藤と、デビュー25年目の初挑戦
テレビアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」(2006年)の涼宮ハルヒ役でブレイクし、一躍人気声優となった。子役時代から数え、今年で芸能生活25周年となる。現在は俳優、声優、歌手とマルチに活躍し、主戦場のミュージカルでは帝国劇場公演作「レディ・ベス」(レディ・ベス役)、「レ・ミゼラブル」(エポニーヌ役)で主演、メインキャストを務める躍進を遂げている。そんな平野が「あえて控えていた」という2.5次元に「チェンソーマン」ザ・ステージのマキマ役で初出演を果たす。今回の決断の理由はどこにあるのか。マルチに活動するからこその葛藤と挑戦を聞いた。
2.5次元出演を控えてきた理由
――今作は平野さんにとって初めての出演となる2.5次元作品です。2.5次元にどのようなイメージをお持ちですか?
2.5次元はプライベートで観に行くほど好きで、以前から挑戦してみたい分野ではありました。ただ、自分が声のお仕事をしていることもあって、オリジナルのイメージを壊さずに演じるのは難しいんじゃないかと思い、オファーを頂いてもあえて避けてきたジャンルでもあります。私の声を聴くことで別の役を思い浮かべてしまうかもしれないし、アニメキャストをリスペクトする意味でもやらない方がいいんじゃないかという思いがありました。ですが今回はマキマという大変素敵な役で声を掛けていただいたこともあり、また『チェンソーマン』 が好きすぎて、今までの壁を取り払って挑戦しようと決めました。
――例えばご自分の出演役でオファーが来ていたら受けましたか?
伝え方が難しいんですが、私の場合、アニメならではの声やデフォルメした芝居をする作品も多く、2次元を意識した声で3次元の芝居をすることに、自分の役だからこそ違和感があります。アニメ芝居だから成立するキャラクターらしさが、本人が演じることで生じる難しさになることもあると思います。もちろん違和感なくできる方もいらっしゃいますし、作品によってだとも思うので、あくまで私の演じてきたキャラクターに限っての話ですが…。
――平野さんのそうした気持ちを取り払うほど、原作のどのようなところに惹かれたのですか?
今まで読んだことがないくらいのダークファンタジー。ここまでのダークヒーローって、今までのジャンプ作品にいなかったんじゃないかと思うほどです。デンジの中には根本的な欲求はあれど、信念が一切ない。それが今までのジャンプヒーローと真逆な魅力ですね。
――個人的には殺伐とも違う、渇いた印象がある作品です。
そうなんですよ。いわゆる王道のジャンプらしさというか、人情や熱がなく、ものすごく異質。全く新しい作品が出てきたという衝撃を受けて、連載は欠かさず読んでいました。
マキマの京都神社でのシーンは鳥肌もの
――大好きな原作の中、今回演じるマキマに対してはどんな目線で見ていましたか?
職業柄、読んでいるときにどうしても「自分が演じるんだったら」という目線が入り、そうするとマキマは一番演じてみたかったキャラクターでした。とにかく得体が知れない感じ。ヒロインのはずなのに底知れぬ怖さがあって、そこが魅力に感じたところです。
――稽古はこれからとのことですが(取材時)、台本を読んでの印象はいかがですか?
ほぼ原作通り、アニメ通りの台本になっていて、こんなにカットしないままやるのはすごいと思いました。これをどうやって体現するのだろうという部分ばかりです。やってみないと分からないことが多いので、後は稽古が始まっての判断になりますが、台本上では全てをやる。それは確かでした。それと驚いたのが、演出家の松崎(史也)さんがイメージボードを作っていて、シーンの様子をビジュアルで伝えてきてくださったことです。映画やドラマ、実写映像を撮るような感覚で、舞台でこの経験は初めてでした。
――その中で特に楽しみだというシーンを挙げるとすると、どこになりますか?
マキマのシーンでいうと、京都の神社でのところですね。イメージボードを見てもゾクッとしたので、生の舞台で表現したらかなり鳥肌が立つと思います。ただ単にアニメと同じように再現していくわけでなく、「あ、そうくるか」という演出がされていました。
テレビアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」(2006年)の涼宮ハルヒ役でブレイクし、一躍人気声優となった。子役時代から数え、今年で芸能生活25周年となる。現在は俳優、声優、歌手とマルチに活躍し、主戦場のミュージカルでは帝国劇場公演作「レディ・ベス」(レディ・ベス役)、「レ・ミゼラブル」(エポニーヌ役)で主演、メインキャストを務める躍進を遂げている。そんな平野が「あえて控えていた」という2.5次元に「チェンソーマン」ザ・ステージのマキマ役で初出演を果たす。今回の決断の理由はどこにあるのか。マルチに活動するからこその葛藤と挑戦を聞いた。
2.5次元出演を控えてきた理由
――今作は平野さんにとって初めての出演となる2.5次元作品です。2.5次元にどのようなイメージをお持ちですか?
2.5次元はプライベートで観に行くほど好きで、以前から挑戦してみたい分野ではありました。ただ、自分が声のお仕事をしていることもあって、オリジナルのイメージを壊さずに演じるのは難しいんじゃないかと思い、オファーを頂いてもあえて避けてきたジャンルでもあります。私の声を聴くことで別の役を思い浮かべてしまうかもしれないし、アニメキャストをリスペクトする意味でもやらない方がいいんじゃないかという思いがありました。ですが今回はマキマという大変素敵な役で声を掛けていただいたこともあり、また『チェンソーマン』 が好きすぎて、今までの壁を取り払って挑戦しようと決めました。
――例えばご自分の出演役でオファーが来ていたら受けましたか?
伝え方が難しいんですが、私の場合、アニメならではの声やデフォルメした芝居をする作品も多く、2次元を意識した声で3次元の芝居をすることに、自分の役だからこそ違和感があります。アニメ芝居だから成立するキャラクターらしさが、本人が演じることで生じる難しさになることもあると思います。もちろん違和感なくできる方もいらっしゃいますし、作品によってだとも思うので、あくまで私の演じてきたキャラクターに限っての話ですが…。
――平野さんのそうした気持ちを取り払うほど、原作のどのようなところに惹かれたのですか?
今まで読んだことがないくらいのダークファンタジー。ここまでのダークヒーローって、今までのジャンプ作品にいなかったんじゃないかと思うほどです。デンジの中には根本的な欲求はあれど、信念が一切ない。それが今までのジャンプヒーローと真逆な魅力ですね。
――個人的には殺伐とも違う、渇いた印象がある作品です。
そうなんですよ。いわゆる王道のジャンプらしさというか、人情や熱がなく、ものすごく異質。全く新しい作品が出てきたという衝撃を受けて、連載は欠かさず読んでいました。
マキマの京都神社でのシーンは鳥肌もの
――大好きな原作の中、今回演じるマキマに対してはどんな目線で見ていましたか?
職業柄、読んでいるときにどうしても「自分が演じるんだったら」という目線が入り、そうするとマキマは一番演じてみたかったキャラクターでした。とにかく得体が知れない感じ。ヒロインのはずなのに底知れぬ怖さがあって、そこが魅力に感じたところです。
――稽古はこれからとのことですが(取材時)、台本を読んでの印象はいかがですか?
ほぼ原作通り、アニメ通りの台本になっていて、こんなにカットしないままやるのはすごいと思いました。これをどうやって体現するのだろうという部分ばかりです。やってみないと分からないことが多いので、後は稽古が始まっての判断になりますが、台本上では全てをやる。それは確かでした。それと驚いたのが、演出家の松崎(史也)さんがイメージボードを作っていて、シーンの様子をビジュアルで伝えてきてくださったことです。映画やドラマ、実写映像を撮るような感覚で、舞台でこの経験は初めてでした。
――その中で特に楽しみだというシーンを挙げるとすると、どこになりますか?
マキマのシーンでいうと、京都の神社でのところですね。イメージボードを見てもゾクッとしたので、生の舞台で表現したらかなり鳥肌が立つと思います。ただ単にアニメと同じように再現していくわけでなく、「あ、そうくるか」という演出がされていました。
日本全国花火大会(10月篇)
【9/29-10/2 静岡】堂ヶ島夕映えの花火
【10/1 千葉】市原国府花火大会
【10/1 三重】僧兵まつり
【10/1 京都】JOYO秋花火
【10/1 長崎】福江みなとまつり
【10/1 熊本】宇城市花火プロジェクト
【10/1 沖縄】宜野湾はごろも祭り
【10/5 北海道】地獄の谷の鬼花火
【10/7 秋田】大曲の花火 秋の章
【10/7 茨城】おみたま花火大会
【10/7 埼玉】三郷市花火大会
【10/7 埼玉】こうのす花火大会
【10/7 埼玉】三郷流山橋完成記念花火大会
【10/7 千葉】流山花火大会
【10/7 東京】運河花火まつり
【10/7 神奈川】藤沢江ノ島花火
【10/7 新潟】栄ふるさと祭り
【10/7 石川】宝達志水大花火
【10/7 長野】諏訪湖
【10/7 愛知】常滑焼まつり花火大会
【10/7 愛知】江南市民花火大会
【10/7 京都】木津川市民祭り
【10/7 和歌山】田辺花火大会
【10/7 長崎】ハウステンボス 大花火まつり(2.2万発
【10/8 岩手】三陸花火競技大会(1.5万発
【10/8 岡山】ドイツの森 ミュージック花火大会
【10/8 岡山】岡山フォレストパーク
【10/8 広島】BIHOKU FireDRONE FANTASIA
【10/8 宮崎】福島港花火大会
【10/9 神奈川】足柄金太郎まつり
【10/13 山梨】山中湖
【10/13 広島】宮島/厳島
【10/14 北海道】釧路大漁どんぱく花火
【10/14 茨城】鉾田花火大会
【10/14 茨城】鹿嶋市
【10/14 栃木】やいた花火大会
【10/14 埼玉】さいたま市政令指定都市20周年
【10/14 神奈川】宮ヶ瀬ふるさとまつり
【10/14 静岡】熱海海上花火大会
【10/14 宮崎】西米良村やまびこ花火大会
【10/15 神奈川】よこすか開国花火大会
【10/15 神奈川】愛川夏祭り
【10/15 三重】いなべ市商工まつり
【10/16-20 兵庫】みなとHANABI -神戸-
【10/18 千葉】船橋港親水公園花火大会
【10/20 神奈川】藤沢江ノ島花火
【10/21 岩手】奥州花火大会
★【10/21 茨城】ちくせい花火大会(2万発
【10/21 千葉】浦安市花火大会
【10/21 東京】世田谷区たまがわ花火大会
【10/21 神奈川】川崎市制記念多摩川花火大会
【10/21 神奈川】茅ヶ崎サザン芸術花火
【10/21 大阪】Disney Music & Fireworks
【10/21 福岡】福智町
【10/21 熊本】やつしろ全国花火競技大会(1.4万発
【10/22 福島】いわせ悠久まつり
【10/22 熊本】宇城市花火プロジェクト
【10/28 茨城】常総きぬ川花火大会
【10/28 茨城】水郷潮来花火大会
【10/28 愛知】花火甲子園
【10/28 広島】江田島湾
【10/28 山口】防府ふるさと想い出花火
【10/28-29 沖縄】浦添てだこまつり
【11/3-4 愛知】炎の祭典(豊橋)
【11/4 茨城】土浦全国花火競技大会
【11/4 熊本】松橋町ふるさと祭り
【11/4 熊本】玉名花火大会
【11/11 埼玉】川口花火大会
【11/11 埼玉】日高市民まつり
【11/18 宮崎】Disney Music & Fireworks
【11/19 神奈川】えびな市民まつり
【11/23 長野】長野えびす講煙火大会
【12/3 静岡】熱海海上花火大会
【12/9 茨城】Disney Music & Fireworks
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【9/29-10/2 静岡】堂ヶ島夕映えの花火
【10/1 千葉】市原国府花火大会
【10/1 三重】僧兵まつり
【10/1 京都】JOYO秋花火
【10/1 長崎】福江みなとまつり
【10/1 熊本】宇城市花火プロジェクト
【10/1 沖縄】宜野湾はごろも祭り
【10/5 北海道】地獄の谷の鬼花火
【10/7 秋田】大曲の花火 秋の章
【10/7 茨城】おみたま花火大会
【10/7 埼玉】三郷市花火大会
【10/7 埼玉】こうのす花火大会
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【10/7 千葉】流山花火大会
【10/7 東京】運河花火まつり
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【10/7 新潟】栄ふるさと祭り
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【10/8 岡山】岡山フォレストパーク
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【10/9 神奈川】足柄金太郎まつり
【10/13 山梨】山中湖
【10/13 広島】宮島/厳島
【10/14 北海道】釧路大漁どんぱく花火
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【10/14 茨城】鹿嶋市
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【10/15 三重】いなべ市商工まつり
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【10/20 神奈川】藤沢江ノ島花火
【10/21 岩手】奥州花火大会
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【10/28-29 沖縄】浦添てだこまつり
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【11/4 熊本】松橋町ふるさと祭り
【11/4 熊本】玉名花火大会
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【11/18 宮崎】Disney Music & Fireworks
【11/19 神奈川】えびな市民まつり
【11/23 長野】長野えびす講煙火大会
【12/3 静岡】熱海海上花火大会
【12/9 茨城】Disney Music & Fireworks
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「美濃のマムシ」と恐れられた下剋上の体現者・斎藤道三とはいかなる人物だったのか⁉
織田信長の義父としても知られる斎藤道三。出自にもさまざまな説が飛び交い、その性格すら悪者だったのか良者だったのか不明。ここでは斎藤道三の生涯をたどる。
■「美濃の蝮(まむし)」と恐れられた下剋上の体現者
斎藤道三(どうさん)とは、これまでよく語り継がれてきたところによれば、一介の油売りから戦国大名へのし上がった上、「美濃の蝮」とまで恐れられたという戦国武将である。北面(ほくめん)の武士・松波基宗(まつなみもとむね)の子といわれているが、京都妙覚寺の元僧侶・新左衛門尉(しんざえもんのじょう)が父だったとの説もある。12歳の時に京都の日蓮宗妙覚寺に預けられて法蓮坊(ほうれんぼう)と呼ばれたとか。その後還俗して松波庄五郎を名乗ったことを鑑みれば、一介の僧として生涯を終えることなど、野心満々な彼には耐えられなかったのだろう。早々に油問屋の奈良屋又兵衛の娘を娶(めと)って山崎屋庄五郎と名を改めたとか。
ここで特筆すべきが、量り売りの油を、漏斗(ろうと)を使わず一文銭の穴にこぼさずに通すという妙技と売り口上で評判を得たことである。これが、彼の才覚の最初の顕現(けんげん)で、成功を収めたことはいうまでもない。
しかし、それだけで納得する御仁ではなかった。商人であることに飽き足らず、一念発起。槍と鉄砲の稽古に励んで武芸の達人になったというから、際立つばかりの才覚の持ち主だったことは間違いなさそうだ。妙覚寺時代の弟弟子の日運(にちうん)を頼って、美濃守護代斎藤氏の重臣・長井長弘(ながいながひろ)に仕えることに成功。これが、彼の第2の躍進の舞台となった。その才能と武芸に惚れ込んだ長弘に引き立てられ、長井氏家老・西村氏の名を継いで西村勘九郎正利(まさとし)を名乗ったという。
ただし、ここまでの事績は、道三ではなく、父・新左衛門尉が成し得たものとの説があることも記しておこう。仮にそれが事実だとすれば、親子2代で国盗りしたということになる。
ともあれ通説では、次第に頭角を現しはじめた道三は、美濃守護・土岐(とき)氏の次男・頼芸(よりのり)の信頼を得ることに成功して、その直臣となった。自らを引き立ててくれた主君・頼芸の期待に応えようとしたものか、長弘と共謀して5500の兵を動かし、川手城を拠点としていた頼芸の兄・頼武(よりたけ/政頼/まさより)を急襲。その頼武を追い出して、主君・頼芸を美濃国守護に押し上げるという手柄を立てた。この荒っぽい手法には、さすがの長弘もいや気がさしたものか、その後、道三と対立。逆に道三は、これ幸いとばかりに長弘を殺害して、長井氏を乗っ取ったのである。
さらに、守護代・斎藤氏が断絶すると、その家督をも継いで斎藤山城守利政を名乗っている。そればかりか、土岐氏乗っ取りまで目論み、頼武の子・頼充(よりみつ/頼純/よりずみ)を毒殺。主君・頼芸の居城・大桑城を攻撃して、頼芸を尾張に追放してしまった。こうして美濃国一国一城の主として成り上がったのである。後に、追われた頼芸が織田信秀に支援を依頼したことで織田軍との抗争が始まるも、今度は信秀との和睦に成功。証しとして、信秀の子・信長に娘(濃姫)を嫁がせるなど、あの手この手を使って難局を乗り越えている。
■下剋上の時代を象徴する乱世の奸雄に相応しい最期
ただし、彼の躍進(やくしん)もここまでであった。天文23年(1554)、家督を子の義龍(よしたつ)に継がせて剃髪(ていはつ/道三と号す)。楽隠居(らくいんきょ)したかのようにも見えるが、その実、引退は家臣たちの総意によるものだったとか。そればかりか、後に不和となった我が子・義龍とも武力衝突。この父子の戦いにおいて、道三に味方する土岐氏家臣団はほとんどいなかった。弘治2年(1556)に勃発した長良川の戦いがそれである。義龍軍1万7500に対し、道三率いる兵はわずか2500(2700とも)だった。娘婿の信長に援軍を要請するも間に合わず、あっけなく戦死。ただし、負けを覚悟の出陣、その散り際の潔さは特筆に値する。
実は義龍の父は道三ではなく、道三が殺した土岐頼芸だったとか。その事実を知った義龍が、道三を実の父の仇(かたき)として討ったという。なお、この戦いの最中、娘婿・信長に対して、美濃一国譲り状を与えたことで、美濃侵攻の大義名分を与えたとも。これが、信長躍進にひと役買ったことはいうまでもない。
油売りの商人から身を起こし、策を弄(ろう)して主君をも次々と追い出した道三(父をも含めての話か)。勝つためなら手段も選ばぬ男、その散り際もまた、潔いものであった。
下剋上の時代を象徴するに相応しい奸雄(かんゆう)であったことは間違いなさそうだ。
監修・文 小和田哲男/藤井勝彦
歴史人2023年3月号「戦国レジェンド」より
歴史人編集部
織田信長の義父としても知られる斎藤道三。出自にもさまざまな説が飛び交い、その性格すら悪者だったのか良者だったのか不明。ここでは斎藤道三の生涯をたどる。
■「美濃の蝮(まむし)」と恐れられた下剋上の体現者
斎藤道三(どうさん)とは、これまでよく語り継がれてきたところによれば、一介の油売りから戦国大名へのし上がった上、「美濃の蝮」とまで恐れられたという戦国武将である。北面(ほくめん)の武士・松波基宗(まつなみもとむね)の子といわれているが、京都妙覚寺の元僧侶・新左衛門尉(しんざえもんのじょう)が父だったとの説もある。12歳の時に京都の日蓮宗妙覚寺に預けられて法蓮坊(ほうれんぼう)と呼ばれたとか。その後還俗して松波庄五郎を名乗ったことを鑑みれば、一介の僧として生涯を終えることなど、野心満々な彼には耐えられなかったのだろう。早々に油問屋の奈良屋又兵衛の娘を娶(めと)って山崎屋庄五郎と名を改めたとか。
ここで特筆すべきが、量り売りの油を、漏斗(ろうと)を使わず一文銭の穴にこぼさずに通すという妙技と売り口上で評判を得たことである。これが、彼の才覚の最初の顕現(けんげん)で、成功を収めたことはいうまでもない。
しかし、それだけで納得する御仁ではなかった。商人であることに飽き足らず、一念発起。槍と鉄砲の稽古に励んで武芸の達人になったというから、際立つばかりの才覚の持ち主だったことは間違いなさそうだ。妙覚寺時代の弟弟子の日運(にちうん)を頼って、美濃守護代斎藤氏の重臣・長井長弘(ながいながひろ)に仕えることに成功。これが、彼の第2の躍進の舞台となった。その才能と武芸に惚れ込んだ長弘に引き立てられ、長井氏家老・西村氏の名を継いで西村勘九郎正利(まさとし)を名乗ったという。
ただし、ここまでの事績は、道三ではなく、父・新左衛門尉が成し得たものとの説があることも記しておこう。仮にそれが事実だとすれば、親子2代で国盗りしたということになる。
ともあれ通説では、次第に頭角を現しはじめた道三は、美濃守護・土岐(とき)氏の次男・頼芸(よりのり)の信頼を得ることに成功して、その直臣となった。自らを引き立ててくれた主君・頼芸の期待に応えようとしたものか、長弘と共謀して5500の兵を動かし、川手城を拠点としていた頼芸の兄・頼武(よりたけ/政頼/まさより)を急襲。その頼武を追い出して、主君・頼芸を美濃国守護に押し上げるという手柄を立てた。この荒っぽい手法には、さすがの長弘もいや気がさしたものか、その後、道三と対立。逆に道三は、これ幸いとばかりに長弘を殺害して、長井氏を乗っ取ったのである。
さらに、守護代・斎藤氏が断絶すると、その家督をも継いで斎藤山城守利政を名乗っている。そればかりか、土岐氏乗っ取りまで目論み、頼武の子・頼充(よりみつ/頼純/よりずみ)を毒殺。主君・頼芸の居城・大桑城を攻撃して、頼芸を尾張に追放してしまった。こうして美濃国一国一城の主として成り上がったのである。後に、追われた頼芸が織田信秀に支援を依頼したことで織田軍との抗争が始まるも、今度は信秀との和睦に成功。証しとして、信秀の子・信長に娘(濃姫)を嫁がせるなど、あの手この手を使って難局を乗り越えている。
■下剋上の時代を象徴する乱世の奸雄に相応しい最期
ただし、彼の躍進(やくしん)もここまでであった。天文23年(1554)、家督を子の義龍(よしたつ)に継がせて剃髪(ていはつ/道三と号す)。楽隠居(らくいんきょ)したかのようにも見えるが、その実、引退は家臣たちの総意によるものだったとか。そればかりか、後に不和となった我が子・義龍とも武力衝突。この父子の戦いにおいて、道三に味方する土岐氏家臣団はほとんどいなかった。弘治2年(1556)に勃発した長良川の戦いがそれである。義龍軍1万7500に対し、道三率いる兵はわずか2500(2700とも)だった。娘婿の信長に援軍を要請するも間に合わず、あっけなく戦死。ただし、負けを覚悟の出陣、その散り際の潔さは特筆に値する。
実は義龍の父は道三ではなく、道三が殺した土岐頼芸だったとか。その事実を知った義龍が、道三を実の父の仇(かたき)として討ったという。なお、この戦いの最中、娘婿・信長に対して、美濃一国譲り状を与えたことで、美濃侵攻の大義名分を与えたとも。これが、信長躍進にひと役買ったことはいうまでもない。
油売りの商人から身を起こし、策を弄(ろう)して主君をも次々と追い出した道三(父をも含めての話か)。勝つためなら手段も選ばぬ男、その散り際もまた、潔いものであった。
下剋上の時代を象徴するに相応しい奸雄(かんゆう)であったことは間違いなさそうだ。
監修・文 小和田哲男/藤井勝彦
歴史人2023年3月号「戦国レジェンド」より
歴史人編集部
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