《相映四十年》
---------------
【千万里我追寻着你】
2023年7月3日 星期
一
黄帝開元4720年五月十六(癸卯 戊午 壬戌)
晴時多雲20-32℃
日出4:01 日落19:25
July 3rd
Monday
滿地是藥!
又到了“金蟬脱壳”的時節。曾經在德雅村、年嘉湖岸、嶽麓山都拍到过“金壳”,由於圖庫欠條理,一時没找到自己拍的照片。只好先抓一條網上視频過來。
古人對蟬挺用情,評價也不低。比如唐代李商隠的《蟬》:
本以髙難飽,
徒勞恨費聲。
五更疏慾斷,
一樹碧無情。
薄宦梗猶泛,
故園蕪已平。
煩君最相警,
我亦舉家清。
再如唐代虞世南的《蟬》:
垂緌飲清露,
流響出疏桐。
居高聲自遠,
非是藉秋風。
更如宋代蘇軾的《蟬》:
蜕形濁污中,
羽翼便翾好;
秋來閑何闊,
已抱寒莖槁。
《本草網目》言蟬蜕:其氣清虚, 故主療一切風熱之症。
中醫認為,蟬蜕味甘性寒,歸肺、肝經。功在疏散風熱,透疹、利咽,明目退翳,止痙等作用。
(16:28)
---------------
【年轻的朋友来相会】
1983年7月3日月曜日
陰、小雨
July 3rd
Sunday
あの人どこまで追いかけたって
幸せ戻る訳じゃない
想い出いつまでひきずったって
明日の邪魔になるばかり
心のぬけがら
都会の空蝉
声もない
夢もない
罵る言葉もない
脱げ捨てドレスの横で眠る空蝉
星座の占いいつでも同じ
私に悪い星がある
悲しい時ほど皮肉なことに
心カラカラ
都会の空蝉
風の中
人の中
移ろう季節の中
引き裂いた日記のように
蒼い空蝉
引き裂いた日記のように
微笑浮ぶ癖がある
蒼い空蝉
空蝉
(夜)
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【千万里我追寻着你】
2023年7月3日 星期
一
黄帝開元4720年五月十六(癸卯 戊午 壬戌)
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又到了“金蟬脱壳”的時節。曾經在德雅村、年嘉湖岸、嶽麓山都拍到过“金壳”,由於圖庫欠條理,一時没找到自己拍的照片。只好先抓一條網上視频過來。
古人對蟬挺用情,評價也不低。比如唐代李商隠的《蟬》:
本以髙難飽,
徒勞恨費聲。
五更疏慾斷,
一樹碧無情。
薄宦梗猶泛,
故園蕪已平。
煩君最相警,
我亦舉家清。
再如唐代虞世南的《蟬》:
垂緌飲清露,
流響出疏桐。
居高聲自遠,
非是藉秋風。
更如宋代蘇軾的《蟬》:
蜕形濁污中,
羽翼便翾好;
秋來閑何闊,
已抱寒莖槁。
《本草網目》言蟬蜕:其氣清虚, 故主療一切風熱之症。
中醫認為,蟬蜕味甘性寒,歸肺、肝經。功在疏散風熱,透疹、利咽,明目退翳,止痙等作用。
(16:28)
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あの人どこまで追いかけたって
幸せ戻る訳じゃない
想い出いつまでひきずったって
明日の邪魔になるばかり
心のぬけがら
都会の空蝉
声もない
夢もない
罵る言葉もない
脱げ捨てドレスの横で眠る空蝉
星座の占いいつでも同じ
私に悪い星がある
悲しい時ほど皮肉なことに
心カラカラ
都会の空蝉
風の中
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引き裂いた日記のように
蒼い空蝉
引き裂いた日記のように
微笑浮ぶ癖がある
蒼い空蝉
空蝉
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又到了“金蟬脱壳”的時節。曾經在德雅村、年嘉湖岸、嶽麓山都拍到过“金壳”,由於圖庫欠條理,一時没找到自己拍的照片。只好先抓一條網上視频過來。
古人對蟬挺用情,評價也不低。比如唐代李商隠的《蟬》:
本以髙難飽,
徒勞恨費聲。
五更疏慾斷,
一樹碧無情。
薄宦梗猶泛,
故園蕪已平。
煩君最相警,
我亦舉家清。
再如唐代虞世南的《蟬》:
垂緌飲清露,
流響出疏桐。
居高聲自遠,
非是藉秋風。
更如宋代蘇軾的《蟬》:
蜕形濁污中,
羽翼便翾好;
秋來閑何闊,
已抱寒莖槁。
《本草網目》言蟬蜕:其氣清虚, 故主療一切風熱之症。
中醫認為,蟬蜕味甘性寒,歸肺、肝經。功在疏散風熱,透疹、利咽,明目退翳,止痙等作用。
(16:28)
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幸せ戻る訳じゃない
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明日の邪魔になるばかり
心のぬけがら
都会の空蝉
声もない
夢もない
罵る言葉もない
脱げ捨てドレスの横で眠る空蝉
星座の占いいつでも同じ
私に悪い星がある
悲しい時ほど皮肉なことに
心カラカラ
都会の空蝉
風の中
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移ろう季節の中
引き裂いた日記のように
蒼い空蝉
引き裂いた日記のように
微笑浮ぶ癖がある
蒼い空蝉
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【千万里我追寻着你】
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滿地是藥!
又到了“金蟬脱壳”的時節。曾經在德雅村、年嘉湖岸、嶽麓山都拍到过“金壳”,由於圖庫欠條理,一時没找到自己拍的照片。只好先抓一條網上視频過來。
古人對蟬挺用情,評價也不低。比如唐代李商隠的《蟬》:
本以髙難飽,
徒勞恨費聲。
五更疏慾斷,
一樹碧無情。
薄宦梗猶泛,
故園蕪已平。
煩君最相警,
我亦舉家清。
再如唐代虞世南的《蟬》:
垂緌飲清露,
流響出疏桐。
居高聲自遠,
非是藉秋風。
更如宋代蘇軾的《蟬》:
蜕形濁污中,
羽翼便翾好;
秋來閑何闊,
已抱寒莖槁。
《本草網目》言蟬蜕:其氣清虚, 故主療一切風熱之症。
中醫認為,蟬蜕味甘性寒,歸肺、肝經。功在疏散風熱,透疹、利咽,明目退翳,止痙等作用。
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脱げ捨てドレスの横で眠る空蝉
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心カラカラ
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空蝉
(夜)
『どうする家康』諸説ある「築山殿・信康事件」で斬新な解釈を打ち出した背景
NHK大河ドラマ『どうする家康』で、新しい歴史解釈を取り入れながらの演出が話題になっている。第24回「築山へ集え!」では、瀬名と信康が各方面に密書を送り、多くの者が築山を訪ねていることを家康は知る。訪問者のなかには武田方の者もいて、いよいよ見過ごせないと家康が瀬名のもとに向かうが・・・。今回の見所について『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)
家康の息子・信康が自刃した二俣城跡
■ カオス状態の岡崎城に置き去りにされた築山殿
大河ドラマ『どうする家康』の放送が始まるやいなや、注目されたのが、徳川家康と正室の築山殿(瀬名)との運命である。
家康は天正7(1579)年9月15日に、嫡男である信康を自害させた。それに先立って、8月29日には家康の正妻で信康の生母である築山殿も、家康は自害させている。
そんな凄惨な事件を思えば、家康と築山殿の夫婦仲はよくなかった、もしくは、どこかですれ違ったと考えるのが自然だが、『どうする家康』での松本潤演じる家康と、有村架純演じる築山殿は仲むつまじい夫婦として描かれてきた。
最初のターニングポイントは、やはり家康が桶狭間の戦い後、今川方から離れて岡崎城で独立し、織田方についたことだろう。
というのも、築山殿は今川氏の重臣である関口氏純の娘にあたる。夫の家康が今川方を見限るとは、婚姻時には全く想定していなかったに違いない。結果的には、築山殿と子ども達は岡崎城に迎え入れられるが、そのあたりから家康への不信感があってもおかしくはない。
しかも、岡崎城には、家康の生母である於大の方が、夫の久松俊勝とともにすでに入っていた。さらに、息子・信康の妻として迎えることになったのは、織田信長の娘、徳姫である。
そんなカオス状態のなか、家康は築山殿を岡崎城に置き去りにして、新たに居城とした浜松城へと移ってしまう。岡崎で何も対立が起きないほうが難しいような状態といってよいだろう。
案の定、徳姫は夫の信康とも、姑の築山殿とも折り合いが悪くなり、父の信長に「十二カ条の弾劾状」を書いて送ることになる。そのことが信康と築山殿の処断につながった、とされてきた。
文献ではキーパーソンだった大賀弥四郎の暗躍ぶり
だが、『どうする家康』では、築山殿はむしろ岡崎城で生き生きと過ごしている。家康が側室を迎えることにも理解を示し、姑や嫁との軋轢も深刻化することなく、穏やかに過ごしていた。
家康と築山殿との間に、これという対立ポイントがないまま武田信玄が病死し、長篠の戦いでは家康軍と織田軍が連合して、勝頼率いる武田勢に大勝するところまで来てしまった。
そうなると、家康が築山殿と信康を処断せねばならなくなる理由としては、「武田との内通」ということになるだろう。
その場合にキーパーソンとなるのが、大賀弥四郎である。大賀弥四郎については、江戸時代初期に旗本の大久保忠教の著作『三河物語』や、徳川幕府の正史『徳川実紀』などで説明されているが、とりわけ詳しいのが、家康の言行録『東照宮御遺訓』である。
『東照宮御遺訓』によると、浜松城にいる家康のもとに、大賀弥四郎なる人物が現れた。弥四郎は立ち居振る舞いも美しく、文筆に優れ、年貢勘定など財政実務にも長けていたため、家康は大喜びでいつもそばに置いていたという。
だが、実は弥四郎は武田家のスパイで、岡崎城にいる築山殿に近づくと、息子の信康とともに取り込んでしまい、武田と家康とで密約を結ばせる寸前まで事が運んだという。
そんななか、信康の妻、徳姫がこの陰謀を知り、父の信長に書状で知らせたために、築山殿と信康は処断されたというものだ。『東照宮御遺訓』自体は信頼性の高い史料ではないものの、弥四郎の動きについては『三河物語』や『徳川実紀』の記述と合わせても、それほど違和感はない。
しかし、大賀弥四郎が事件を巻き起こしたのは、長篠の決戦の目前で、信康と築山殿の事件が起きる時期は異なるという説もあり、今回のドラマでもそのように描かれている。大賀弥四郎の乱が、築山殿や信康に与えた動揺は大きかったが、事件としての直接的な関係は、ドラマ上では持たされていない。
そのほかの説として、家康と信康との間で、父子関係の悪化が事件の背景にあり、家康の家臣団と信康の家臣団との間に、いさかいがあったとも言われている。
だが、この説も今回のドラマでは採用されていない。信康が勇猛さを見せて、何かと慎重な家康と険悪になる場面があったものの、自分の家臣たちを従えて、父と対立軸をつくるほどの求心力は信康に見られなかった。
築山殿と信康の「クーデター説」を採用せず
そうなると、今回のドラマでは、築山殿と信康の事件について一体どんな見解が打ち出されるのか。注目が高まるなか、いよいよ瀬名が動き出したのが、今回の第24回「築山へ集え!」であった。
ドラマの冒頭から、築山殿は武田家の人間と接触し、交流を始めたことから、信康と築山殿のクーデター説をとったかと思いきやそうではなかった。
ドラマでは、築山殿が長年胸に秘めていた夢が語られる。それは、戦をなくして、各戦国大名が手を取り合い、自分たちの土地ではとれないものを物々交換によって補い合い、平和的な外交を行うというもの。同じ通貨を用いての経済圏の構想まで飛び出して、築山殿は家康らに頭を下げてこう言った。
「どうかわたくしたちと、同じ夢を見てくださいませ」
築山殿の頬には、涙が一筋流れる。感動的なシーンのように見えるが、すでにこの段階で、築山殿は信康と共に、各方面へ勝手に働きかけていた。不穏な雰囲気を信長に指摘されて、家康が岡崎に向かったところ、築山殿から壮大な構想を打ち明けられることとなったのである。
まさかの事後報告を受けた家康だったが、意外なほどすんなりとそれに乗り、家臣たちもそんな家康に追従。武田と手を結びながら表面上の戦を続け、信長には内密にしたまま各方面と連携を進める。そんな予想外の展開となった。
築山殿の真意を知った家康が「そなたは途方もないことを考える」とこぼす場面があったが、視聴者も同様の感想を持ったことだろう。
■ 家康が築山殿の謀をすんなり受け入れた「違和感」
しかし、結局ドラマの展開としては、築山殿のもくろみは織田側に露見してしまう。キーパーソンとなったのは、眞栄田郷敦演じる武田勝頼である。
勝頼は築山殿の壮大な構想に賛同し、家康と連携したふりをしていただけで、腹の底では「父・信玄を超える」という野心を捨ててはいなかった。古川琴音演じる千代と、田辺誠一演じる穴山信君を呼び出して、まさかの指令を出すことになる。
「すべてを明るみに出す頃合いよ。噂を振りまけ。徳川は織田を騙し、武田と裏で結んでおると」
これで築山殿の謀(はかりごと)は露見することとなる。ここからは怒れる信長のターンとなり、次回を迎えることになった。
これまでの歴史ドラマで、これほど勝頼が存在感を発揮したことはなかった。てっきり勝頼は良い役どころを与えられたと思いきや、まさかの裏切りとなった。だが、勝頼の次の言葉に「ごもっとも」とうなずいた視聴者のほうがむしろ多かったのではないか。少なくとも筆者はその一人である。
「すまんな。やはりわしは、女子(おなご)のままごとのごとき謀には乗れん」
築山殿が実は、戦のない世を夢見ていたというのは、これまでのドラマ上の流れからも納得がいく。また、築山殿から夢を託された家康が江戸幕府を開くことで、それを実現させるという壮大な物語も斬新ではある。しかし、築山殿が家康に相談せずにここまで動いていたこと、またこれほどの大きな方針の転換を、家康や家康の重臣たちが受け入れて、すぐさま実行に移したのは違和感がある。
今回の大河は回想シーンが多用されるのも特徴の一つだ。次回で、家康や家康の家臣たちが、築山殿の構想に賛同した背景が描かれることを期待したい。
【参考文献】
大久保彦左衛門、小林賢章訳『現代語訳 三河物語』(ちくま学芸文庫)
大石学、小宮山敏和、野口朋隆、佐藤宏之編『家康公伝〈1〉~〈5〉 現代語訳徳川実紀 』(吉川弘文館)
太田牛一、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)
中村孝也『徳川家康文書の研究』(吉川弘文館)
所理喜夫『徳川将軍権力の構造』(吉川弘文館)
本多隆成『定本 徳川家康』(吉川弘文館)
二木謙一『徳川家康』(ちくま新書)
菊地浩之『徳川家臣団の謎』(角川選書)
真山 知幸
NHK大河ドラマ『どうする家康』で、新しい歴史解釈を取り入れながらの演出が話題になっている。第24回「築山へ集え!」では、瀬名と信康が各方面に密書を送り、多くの者が築山を訪ねていることを家康は知る。訪問者のなかには武田方の者もいて、いよいよ見過ごせないと家康が瀬名のもとに向かうが・・・。今回の見所について『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)
家康の息子・信康が自刃した二俣城跡
■ カオス状態の岡崎城に置き去りにされた築山殿
大河ドラマ『どうする家康』の放送が始まるやいなや、注目されたのが、徳川家康と正室の築山殿(瀬名)との運命である。
家康は天正7(1579)年9月15日に、嫡男である信康を自害させた。それに先立って、8月29日には家康の正妻で信康の生母である築山殿も、家康は自害させている。
そんな凄惨な事件を思えば、家康と築山殿の夫婦仲はよくなかった、もしくは、どこかですれ違ったと考えるのが自然だが、『どうする家康』での松本潤演じる家康と、有村架純演じる築山殿は仲むつまじい夫婦として描かれてきた。
最初のターニングポイントは、やはり家康が桶狭間の戦い後、今川方から離れて岡崎城で独立し、織田方についたことだろう。
というのも、築山殿は今川氏の重臣である関口氏純の娘にあたる。夫の家康が今川方を見限るとは、婚姻時には全く想定していなかったに違いない。結果的には、築山殿と子ども達は岡崎城に迎え入れられるが、そのあたりから家康への不信感があってもおかしくはない。
しかも、岡崎城には、家康の生母である於大の方が、夫の久松俊勝とともにすでに入っていた。さらに、息子・信康の妻として迎えることになったのは、織田信長の娘、徳姫である。
そんなカオス状態のなか、家康は築山殿を岡崎城に置き去りにして、新たに居城とした浜松城へと移ってしまう。岡崎で何も対立が起きないほうが難しいような状態といってよいだろう。
案の定、徳姫は夫の信康とも、姑の築山殿とも折り合いが悪くなり、父の信長に「十二カ条の弾劾状」を書いて送ることになる。そのことが信康と築山殿の処断につながった、とされてきた。
文献ではキーパーソンだった大賀弥四郎の暗躍ぶり
だが、『どうする家康』では、築山殿はむしろ岡崎城で生き生きと過ごしている。家康が側室を迎えることにも理解を示し、姑や嫁との軋轢も深刻化することなく、穏やかに過ごしていた。
家康と築山殿との間に、これという対立ポイントがないまま武田信玄が病死し、長篠の戦いでは家康軍と織田軍が連合して、勝頼率いる武田勢に大勝するところまで来てしまった。
そうなると、家康が築山殿と信康を処断せねばならなくなる理由としては、「武田との内通」ということになるだろう。
その場合にキーパーソンとなるのが、大賀弥四郎である。大賀弥四郎については、江戸時代初期に旗本の大久保忠教の著作『三河物語』や、徳川幕府の正史『徳川実紀』などで説明されているが、とりわけ詳しいのが、家康の言行録『東照宮御遺訓』である。
『東照宮御遺訓』によると、浜松城にいる家康のもとに、大賀弥四郎なる人物が現れた。弥四郎は立ち居振る舞いも美しく、文筆に優れ、年貢勘定など財政実務にも長けていたため、家康は大喜びでいつもそばに置いていたという。
だが、実は弥四郎は武田家のスパイで、岡崎城にいる築山殿に近づくと、息子の信康とともに取り込んでしまい、武田と家康とで密約を結ばせる寸前まで事が運んだという。
そんななか、信康の妻、徳姫がこの陰謀を知り、父の信長に書状で知らせたために、築山殿と信康は処断されたというものだ。『東照宮御遺訓』自体は信頼性の高い史料ではないものの、弥四郎の動きについては『三河物語』や『徳川実紀』の記述と合わせても、それほど違和感はない。
しかし、大賀弥四郎が事件を巻き起こしたのは、長篠の決戦の目前で、信康と築山殿の事件が起きる時期は異なるという説もあり、今回のドラマでもそのように描かれている。大賀弥四郎の乱が、築山殿や信康に与えた動揺は大きかったが、事件としての直接的な関係は、ドラマ上では持たされていない。
そのほかの説として、家康と信康との間で、父子関係の悪化が事件の背景にあり、家康の家臣団と信康の家臣団との間に、いさかいがあったとも言われている。
だが、この説も今回のドラマでは採用されていない。信康が勇猛さを見せて、何かと慎重な家康と険悪になる場面があったものの、自分の家臣たちを従えて、父と対立軸をつくるほどの求心力は信康に見られなかった。
築山殿と信康の「クーデター説」を採用せず
そうなると、今回のドラマでは、築山殿と信康の事件について一体どんな見解が打ち出されるのか。注目が高まるなか、いよいよ瀬名が動き出したのが、今回の第24回「築山へ集え!」であった。
ドラマの冒頭から、築山殿は武田家の人間と接触し、交流を始めたことから、信康と築山殿のクーデター説をとったかと思いきやそうではなかった。
ドラマでは、築山殿が長年胸に秘めていた夢が語られる。それは、戦をなくして、各戦国大名が手を取り合い、自分たちの土地ではとれないものを物々交換によって補い合い、平和的な外交を行うというもの。同じ通貨を用いての経済圏の構想まで飛び出して、築山殿は家康らに頭を下げてこう言った。
「どうかわたくしたちと、同じ夢を見てくださいませ」
築山殿の頬には、涙が一筋流れる。感動的なシーンのように見えるが、すでにこの段階で、築山殿は信康と共に、各方面へ勝手に働きかけていた。不穏な雰囲気を信長に指摘されて、家康が岡崎に向かったところ、築山殿から壮大な構想を打ち明けられることとなったのである。
まさかの事後報告を受けた家康だったが、意外なほどすんなりとそれに乗り、家臣たちもそんな家康に追従。武田と手を結びながら表面上の戦を続け、信長には内密にしたまま各方面と連携を進める。そんな予想外の展開となった。
築山殿の真意を知った家康が「そなたは途方もないことを考える」とこぼす場面があったが、視聴者も同様の感想を持ったことだろう。
■ 家康が築山殿の謀をすんなり受け入れた「違和感」
しかし、結局ドラマの展開としては、築山殿のもくろみは織田側に露見してしまう。キーパーソンとなったのは、眞栄田郷敦演じる武田勝頼である。
勝頼は築山殿の壮大な構想に賛同し、家康と連携したふりをしていただけで、腹の底では「父・信玄を超える」という野心を捨ててはいなかった。古川琴音演じる千代と、田辺誠一演じる穴山信君を呼び出して、まさかの指令を出すことになる。
「すべてを明るみに出す頃合いよ。噂を振りまけ。徳川は織田を騙し、武田と裏で結んでおると」
これで築山殿の謀(はかりごと)は露見することとなる。ここからは怒れる信長のターンとなり、次回を迎えることになった。
これまでの歴史ドラマで、これほど勝頼が存在感を発揮したことはなかった。てっきり勝頼は良い役どころを与えられたと思いきや、まさかの裏切りとなった。だが、勝頼の次の言葉に「ごもっとも」とうなずいた視聴者のほうがむしろ多かったのではないか。少なくとも筆者はその一人である。
「すまんな。やはりわしは、女子(おなご)のままごとのごとき謀には乗れん」
築山殿が実は、戦のない世を夢見ていたというのは、これまでのドラマ上の流れからも納得がいく。また、築山殿から夢を託された家康が江戸幕府を開くことで、それを実現させるという壮大な物語も斬新ではある。しかし、築山殿が家康に相談せずにここまで動いていたこと、またこれほどの大きな方針の転換を、家康や家康の重臣たちが受け入れて、すぐさま実行に移したのは違和感がある。
今回の大河は回想シーンが多用されるのも特徴の一つだ。次回で、家康や家康の家臣たちが、築山殿の構想に賛同した背景が描かれることを期待したい。
【参考文献】
大久保彦左衛門、小林賢章訳『現代語訳 三河物語』(ちくま学芸文庫)
大石学、小宮山敏和、野口朋隆、佐藤宏之編『家康公伝〈1〉~〈5〉 現代語訳徳川実紀 』(吉川弘文館)
太田牛一、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)
中村孝也『徳川家康文書の研究』(吉川弘文館)
所理喜夫『徳川将軍権力の構造』(吉川弘文館)
本多隆成『定本 徳川家康』(吉川弘文館)
二木謙一『徳川家康』(ちくま新書)
菊地浩之『徳川家臣団の謎』(角川選書)
真山 知幸
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