采访接上:
マキマがまとう、場を支配する超然とした雰囲気
――2.5次元は一般的な舞台と異なり、まずキャラクター再現が前提にありますが、マキマについてのイメージや、どのように役作りを練られているかを教えてください。
まずスーツが新鮮すぎて(笑)。私、現代劇をやる機会が少なくて、圧倒的にドレス衣裳が多いんです。なので、衣裳合わせのときはちょっとソワソワしました。ドレスだと布の動きや広がりを駆使した所作を考えますが、今回はシンプルに身ひとつですから。とは言えロングコートを着ているので、それはマキマの格好良さを引き出す武器になると思います。
役作りについては原作、アニメで大事だと思う部分はいくつもあって、そこはそのまま活かすべきだと考えています。ただ、松崎さんからは、私が作るマキマでいいですというお話をいただいています。全てをコピーするような再現にはこだわらず、自分から生まれたものを重視して大丈夫ですと。
――冒頭ではアニメキャストへのリスペクトを話していただきました。そことのバランスはどうお考えですか?
めちゃくちゃアニメをリピートしています。台詞の1つ1つ、どういうトーンで発していたのかを頭に叩き込むくらいに。私も経験がありますが、原作からのアニメ化は大変なプレッシャーなんですよ。しかもあれだけの大作ですから、相当大変な苦労をしてマキマを作られたと思います。そこにしっかりとリスペクトを持ち、アニメのオリジナルキャストさんが作られたものを守りながら新しいマキマを作っていくことを考えています。
――では、どんな部分にマキマの特徴を見つけていますか?
マキマは、出てきた瞬間に場の空気が変わる存在。彼女がひと言発すると、魔法にかけられたように周囲の空気がガラッと変わるんですよね。原作、アニメともに練りに練って作られたキャラクターだと思いますし、あの超然とした雰囲気は必ずまとわなければいけないと考えています。それは台詞だけでなく、視線や指先ひとつまでという意識で。
2.5次元は世界に発信していくべき文化
――舞台、ミュージカルで培った経験はどう還元されそうですか?
“そこにいる”という存在感でしょうか。表現の仕方は色々ありますが、すごく簡単にいうと、一瞬でオーラを全開にするというような。その役者が姿を現しただけで緊張が張り詰め、鳥肌が立つ。所作や台詞の温度で場を支配する殺気に近い威圧感。そういった表現は舞台、ミュージカルで磨いてきたものなので、それこそ今回のマキマに活かせる部分だと思います。
――声優業が生かされる点についてはどうでしょうか?
声優は、すでにある絵に対してどうアジャストさせていくかが大切なので、お芝居のエモーショナルな部分はもちろんですが、まず技術的な面が大きく問われます。そういった点では2.5次元との親和性は高く、「ここはこういう音で、こういう台詞の言い回しで」というディレクションに対してアジャストさせる技術は備わっているという自信はあります。
――テレビとは違い、演劇は能動的に観に行く方でないと足を運ばない。アニメは好きでも舞台は敷居が高いと感じている方は多くいると思います。そういった層に向けて伝えたいことはありますか。
それでいうと、今回私は大役を担っていると思っていて、普段アニメしか観ていないという層、舞台、ミュージカルは観るけど2.5次元は未体験という両方の層の方を引っ張ってきたいという思いがあります。2.5次元は世界に通用する新しい文化だと思っていて、それこそ国を跨いだ発信ができるといいと思います。日本が独自に作り出したこのジャンルをこれからもっと大きく育てていくべきだし、その1作品に参加できたのは大変光栄です。
自分と一番かけ離れているのがアニメの芝居
った多彩な楽曲を披露されています。音楽活動での歌と、ミュージカルでの歌の楽しさにはどのような違いがありますか?
ミュージカルに関しては、イタコみたいになります(笑)。自分に役をおろすような作業で、やはりお芝居として歌う部分が大きいです。なので、その役を演じていたときの感情を思い出しながら、お客さまが劇場に来ている気持ちになれるように歌うことを意識しています。アニソンに関しては皆さんそれぞれに思い出が詰まっていると思うので、なるべくそれを思い出せるようにキラキラ感を乗せて歌っています。自分の楽曲では、初期のものは自分で作詞している曲が多く、私自身にもすごく思い出があります。皆さんにも楽しんでいただきながら、自分も一緒に楽しむという気持ちを心がけていますね。
――先日はドラマ「量産型リコ」でのゲスト出演が話題になりました。舞台に立ってのお芝居と、映像作品でのお芝居にはどのような違いがありますか?
映像は日常生活の延長のような、いかに自然なお芝居をするかが大切だと思います。ただ、昔はそれが全くできなかったんですよ。アニメっぽいお芝居になったり、舞台っぽいお芝居になったり。そのバランスに苦戦しましたが、今はわりと自然に身に馴染むようになってきています。濃い役は相変わらず多いですが(笑)、年齢を重ねて年相応の役が多くなってきて、等身大で演じられているからかもしれません。
対して舞台は真逆で、演目によって国も変われば時代も変わるというものです。幕が開けた瞬間に全てを変えるという意識でお芝居しているので、自分であって自分でない感覚。お芝居の深度でいったら演じ込みがより深く、リアリティを乗せながらもフィクションを意識する。私は現代劇より時代劇が多いので、特にそういう印象を持っています。
初ミュージカルまで13年。遠回りは必要な道だった
――1998年の子役デビューから、舞台初出演が2011年のミュージカル「嵐が丘」。これ以降、活動の主軸がミュージカルに移りますが、平野さんにとってミュージカルとはどのような存在ですか?
ミュージカル出演は幼い頃からの一番の夢です。子役…児童劇団に入団したのもアマチュアから本格的なミュージカルに出たかったがため。色々なジャンルのお仕事を経験して、今、ようやく夢だったミュージカルを主軸に活動させていただいています。
――「嵐が丘」まで13年。遠回りをしたという気持ちはありませんか?
ないと言えばウソになります。ただ、遠回りの道はマイナスだったわけでなく、経験しておいて良かった道でした。舞台、特にミュージカルは求められるスキルがとても多く、総合力を上げてからでないと挑戦してはいけなかったと思います。声優、歌手の経験がなければできなかった仕事だと思っていて、多方面の能力を身に付けたからこそ今、充実した活動ができています。海外留学(2016年)もできるときにしておいて本当に良かったと思います。英語力、歌唱だけでなく、仕事の仕方まで全てが変わりましたから。今この場所まで長かったかもしれませんが、一番良いタイミングで夢だったミュージカルに立てていると思います。
――声優、歌手、映像、舞台、ミュージカルがグラデーションのように1つのを作っているようです。
本当にそうですね。
――10月で36歳を迎えられますが、俳優としてご自身の年齢についてはどのようにお考えですか?今後オファーされる役柄にも変化が出てくると思いますが。
おっしゃる通り、舞台女優の30代はとても難しい時期です。若手の台頭もあれば、上にはベテランの方々がひしめいていて、ちょうど中間の一番難しい年齢。ですが、そのタイミングで「チェンソーマン」ザ・ステージのような作品に巡り合えたのは感謝しかなく、私の可能性を広げてくれる出会いをさせていただけたと思っています。今後は年齢を考えたら最後のチャンスという役もあるかもしれないし、今この年齢でしかできない表現というのもあります。これは絶対にやっておいた方がいいという思う役があったら、難しいことは考えず、後悔しないように何でも挑戦していこうと思っています。
舞台「チェンソーマン」ザ・ステージは9月16日(土)〜10月1日(日)まで東京・天王洲 銀河劇場にて、10月6日(金)〜10月9日(月・祝)まで京都・京都劇場にて公演が行われる。
マキマがまとう、場を支配する超然とした雰囲気
――2.5次元は一般的な舞台と異なり、まずキャラクター再現が前提にありますが、マキマについてのイメージや、どのように役作りを練られているかを教えてください。
まずスーツが新鮮すぎて(笑)。私、現代劇をやる機会が少なくて、圧倒的にドレス衣裳が多いんです。なので、衣裳合わせのときはちょっとソワソワしました。ドレスだと布の動きや広がりを駆使した所作を考えますが、今回はシンプルに身ひとつですから。とは言えロングコートを着ているので、それはマキマの格好良さを引き出す武器になると思います。
役作りについては原作、アニメで大事だと思う部分はいくつもあって、そこはそのまま活かすべきだと考えています。ただ、松崎さんからは、私が作るマキマでいいですというお話をいただいています。全てをコピーするような再現にはこだわらず、自分から生まれたものを重視して大丈夫ですと。
――冒頭ではアニメキャストへのリスペクトを話していただきました。そことのバランスはどうお考えですか?
めちゃくちゃアニメをリピートしています。台詞の1つ1つ、どういうトーンで発していたのかを頭に叩き込むくらいに。私も経験がありますが、原作からのアニメ化は大変なプレッシャーなんですよ。しかもあれだけの大作ですから、相当大変な苦労をしてマキマを作られたと思います。そこにしっかりとリスペクトを持ち、アニメのオリジナルキャストさんが作られたものを守りながら新しいマキマを作っていくことを考えています。
――では、どんな部分にマキマの特徴を見つけていますか?
マキマは、出てきた瞬間に場の空気が変わる存在。彼女がひと言発すると、魔法にかけられたように周囲の空気がガラッと変わるんですよね。原作、アニメともに練りに練って作られたキャラクターだと思いますし、あの超然とした雰囲気は必ずまとわなければいけないと考えています。それは台詞だけでなく、視線や指先ひとつまでという意識で。
2.5次元は世界に発信していくべき文化
――舞台、ミュージカルで培った経験はどう還元されそうですか?
“そこにいる”という存在感でしょうか。表現の仕方は色々ありますが、すごく簡単にいうと、一瞬でオーラを全開にするというような。その役者が姿を現しただけで緊張が張り詰め、鳥肌が立つ。所作や台詞の温度で場を支配する殺気に近い威圧感。そういった表現は舞台、ミュージカルで磨いてきたものなので、それこそ今回のマキマに活かせる部分だと思います。
――声優業が生かされる点についてはどうでしょうか?
声優は、すでにある絵に対してどうアジャストさせていくかが大切なので、お芝居のエモーショナルな部分はもちろんですが、まず技術的な面が大きく問われます。そういった点では2.5次元との親和性は高く、「ここはこういう音で、こういう台詞の言い回しで」というディレクションに対してアジャストさせる技術は備わっているという自信はあります。
――テレビとは違い、演劇は能動的に観に行く方でないと足を運ばない。アニメは好きでも舞台は敷居が高いと感じている方は多くいると思います。そういった層に向けて伝えたいことはありますか。
それでいうと、今回私は大役を担っていると思っていて、普段アニメしか観ていないという層、舞台、ミュージカルは観るけど2.5次元は未体験という両方の層の方を引っ張ってきたいという思いがあります。2.5次元は世界に通用する新しい文化だと思っていて、それこそ国を跨いだ発信ができるといいと思います。日本が独自に作り出したこのジャンルをこれからもっと大きく育てていくべきだし、その1作品に参加できたのは大変光栄です。
自分と一番かけ離れているのがアニメの芝居
った多彩な楽曲を披露されています。音楽活動での歌と、ミュージカルでの歌の楽しさにはどのような違いがありますか?
ミュージカルに関しては、イタコみたいになります(笑)。自分に役をおろすような作業で、やはりお芝居として歌う部分が大きいです。なので、その役を演じていたときの感情を思い出しながら、お客さまが劇場に来ている気持ちになれるように歌うことを意識しています。アニソンに関しては皆さんそれぞれに思い出が詰まっていると思うので、なるべくそれを思い出せるようにキラキラ感を乗せて歌っています。自分の楽曲では、初期のものは自分で作詞している曲が多く、私自身にもすごく思い出があります。皆さんにも楽しんでいただきながら、自分も一緒に楽しむという気持ちを心がけていますね。
――先日はドラマ「量産型リコ」でのゲスト出演が話題になりました。舞台に立ってのお芝居と、映像作品でのお芝居にはどのような違いがありますか?
映像は日常生活の延長のような、いかに自然なお芝居をするかが大切だと思います。ただ、昔はそれが全くできなかったんですよ。アニメっぽいお芝居になったり、舞台っぽいお芝居になったり。そのバランスに苦戦しましたが、今はわりと自然に身に馴染むようになってきています。濃い役は相変わらず多いですが(笑)、年齢を重ねて年相応の役が多くなってきて、等身大で演じられているからかもしれません。
対して舞台は真逆で、演目によって国も変われば時代も変わるというものです。幕が開けた瞬間に全てを変えるという意識でお芝居しているので、自分であって自分でない感覚。お芝居の深度でいったら演じ込みがより深く、リアリティを乗せながらもフィクションを意識する。私は現代劇より時代劇が多いので、特にそういう印象を持っています。
初ミュージカルまで13年。遠回りは必要な道だった
――1998年の子役デビューから、舞台初出演が2011年のミュージカル「嵐が丘」。これ以降、活動の主軸がミュージカルに移りますが、平野さんにとってミュージカルとはどのような存在ですか?
ミュージカル出演は幼い頃からの一番の夢です。子役…児童劇団に入団したのもアマチュアから本格的なミュージカルに出たかったがため。色々なジャンルのお仕事を経験して、今、ようやく夢だったミュージカルを主軸に活動させていただいています。
――「嵐が丘」まで13年。遠回りをしたという気持ちはありませんか?
ないと言えばウソになります。ただ、遠回りの道はマイナスだったわけでなく、経験しておいて良かった道でした。舞台、特にミュージカルは求められるスキルがとても多く、総合力を上げてからでないと挑戦してはいけなかったと思います。声優、歌手の経験がなければできなかった仕事だと思っていて、多方面の能力を身に付けたからこそ今、充実した活動ができています。海外留学(2016年)もできるときにしておいて本当に良かったと思います。英語力、歌唱だけでなく、仕事の仕方まで全てが変わりましたから。今この場所まで長かったかもしれませんが、一番良いタイミングで夢だったミュージカルに立てていると思います。
――声優、歌手、映像、舞台、ミュージカルがグラデーションのように1つのを作っているようです。
本当にそうですね。
――10月で36歳を迎えられますが、俳優としてご自身の年齢についてはどのようにお考えですか?今後オファーされる役柄にも変化が出てくると思いますが。
おっしゃる通り、舞台女優の30代はとても難しい時期です。若手の台頭もあれば、上にはベテランの方々がひしめいていて、ちょうど中間の一番難しい年齢。ですが、そのタイミングで「チェンソーマン」ザ・ステージのような作品に巡り合えたのは感謝しかなく、私の可能性を広げてくれる出会いをさせていただけたと思っています。今後は年齢を考えたら最後のチャンスという役もあるかもしれないし、今この年齢でしかできない表現というのもあります。これは絶対にやっておいた方がいいという思う役があったら、難しいことは考えず、後悔しないように何でも挑戦していこうと思っています。
舞台「チェンソーマン」ザ・ステージは9月16日(土)〜10月1日(日)まで東京・天王洲 銀河劇場にて、10月6日(金)〜10月9日(月・祝)まで京都・京都劇場にて公演が行われる。
損保ジャパン社長 ビッグモーターとの取り引き再開促す発言
2023年8月29日 4時24分
「損害保険ジャパン」の白川儀一社長がビッグモーターの保険金請求に不正の可能性があるという情報を得ていながら、去年7月の役員会議で追加調査は行わずにいったん中止した取り引きを再開してはどうかと促していたことがわかりました。
役員会議では、副社長など他の役員からもビッグモーターへの追加の調査の必要はないという発言が相次いだということで金融庁が詳しい経緯を調べています。
この問題をめぐって金融庁は、損害保険ジャパンがビッグモーターの保険金請求に不正の可能性があるという情報を得ていながら、去年、大手3社の中で唯一、取り引きを再開した経緯について会社に詳しい報告を求めています。
複数の関係者によりますと、取り引き再開の方針を協議した去年7月6日の役員会議で、白川社長は、ビッグモーターの保険金請求をめぐって不正が行われていたと推測されるという見解を示した一方で、ビッグモーターがみずから行った一部の工場への調査で不正はなかったと結論づけていることから、当時の兼重宏行社長を信じるしかないと発言していたということです。
白川社長は、追加調査を行えばビッグモーターとはこれまでのような関係には戻れなくなるという懸念を示し、工場への追加調査を行わずに取り引きを再開してはどうかなどと発言したということです。
また会議では、飯豊聡副社長が、追加の調査がうまくいかなかった場合、ビッグモーターとの関係が悪化するなどとしてこれ以上過去の話を掘り返すことは疑問だと主張したほか、一部の執行役員からも再発防止策を講じて取り引きを再開すればこれ以上の調査をしても意味がないという発言があったということです。
これに対し、別の執行役員から、追加のヒアリングや残りの工場への調査が必要だという意見が出たということです。
金融庁はこうした経緯をふまえ、経営陣の判断に問題がなかったか詳しく調べることにしています。
白川社長 “37人抜き”の社長就任で注目も
損害保険ジャパンの白川儀一社長(53)は、1993年に会社の前身である安田火災海上保険に入社しました。
2019年に執行役員経営企画部長、2020年に取締役執行役員となり、去年4月に社長に就任しました。
当時、51歳での社長就任は損害保険ジャパンの設立以来最も若く、“37人抜き”の人事としても注目されました。
両社は親密な関係 ビッグモーターへ「執行役員」での出向者も
損害保険各社はビッグモーターとの間で互いの顧客を紹介し合う親密な関係を続けてきました。
損害保険会社が事故にあった保険契約者にビッグモーターの修理工場を紹介すると、ビッグモーターは代理店として紹介された数に応じて、中古車の購入者に損保会社が手がける自賠責保険などを販売するという仕組みがあり、双方にとって収益源となっていました。
損害保険ジャパンはビッグモーターに2011年以降、あわせて37人を板金部門や営業部門に出向させ、なかには執行役員を務めた出向者もいました。
また、損害保険ジャパンは、2015年の時点でビッグモーターの株式の7%あまりを保有する大株主だったほか、ビッグモーターの創業者の長男で先月、引責辞任した兼重宏一前副社長は2011年から1年あまりの期間、損害保険ジャパンの前身企業の1つ「日本興亜損保」に在籍していました。
こうした親密な関係が続く中、損害保険ジャパンは2019年、社内にビッグモーターに対応する専門のチームを設けて、修理する車の損害査定を簡略化していたことも分かっています。
ビッグモーターが修理の見積もりを作成して写真を送れば、損害査定の手続きを大幅に簡略化して保険金を決めることができるようにする仕組みで、金融庁は損害保険ジャパンに対し、査定を簡略化していたことに問題がなかったかを検証し、実態を報告するよう求めています。
“不正請求”疑い強まるも損害保険ジャパンだけが取り引き再開
ビッグモーターが故意に車を傷つけるなどして自動車保険の保険金を不正に請求していた問題。
去年3月、損害保険防犯対策協議会を通じて不正請求の疑いがあるという情報が損保各社に寄せられたことをきっかけに各社は調査に乗り出しました。その結果、不正請求の疑いが強まると、去年6月に3社は相次いで、契約者にビッグモーターの修理工場を紹介する業務を停止しました。
ところがこの翌月、3社のうち損害保険ジャパンだけが、取り引きを再開しました。この理由について会社は、ビッグモーター側から、工場長の指示による不正はなく、過剰請求の原因は現場の連携不足による過失だったという報告を受けたためだとしていました。
しかし先月、ビッグモーターが公表した外部の弁護士による調査委員会の報告書で不正の実態が明らかになり、損害保険ジャパンが去年、ビッグモーターとの取り引きを再開するにあたって不正の可能性があるという情報を得ていながら詳細な調査をしていなかったことも新たに分かりました。
金融庁もなぜ損害保険ジャパンだけが取引再開の判断をしたのかを重点的に調査して報告するよう会社側に求めていて、社内の意思決定をめぐる経緯が焦点になっていました。
2023年8月29日 4時24分
「損害保険ジャパン」の白川儀一社長がビッグモーターの保険金請求に不正の可能性があるという情報を得ていながら、去年7月の役員会議で追加調査は行わずにいったん中止した取り引きを再開してはどうかと促していたことがわかりました。
役員会議では、副社長など他の役員からもビッグモーターへの追加の調査の必要はないという発言が相次いだということで金融庁が詳しい経緯を調べています。
この問題をめぐって金融庁は、損害保険ジャパンがビッグモーターの保険金請求に不正の可能性があるという情報を得ていながら、去年、大手3社の中で唯一、取り引きを再開した経緯について会社に詳しい報告を求めています。
複数の関係者によりますと、取り引き再開の方針を協議した去年7月6日の役員会議で、白川社長は、ビッグモーターの保険金請求をめぐって不正が行われていたと推測されるという見解を示した一方で、ビッグモーターがみずから行った一部の工場への調査で不正はなかったと結論づけていることから、当時の兼重宏行社長を信じるしかないと発言していたということです。
白川社長は、追加調査を行えばビッグモーターとはこれまでのような関係には戻れなくなるという懸念を示し、工場への追加調査を行わずに取り引きを再開してはどうかなどと発言したということです。
また会議では、飯豊聡副社長が、追加の調査がうまくいかなかった場合、ビッグモーターとの関係が悪化するなどとしてこれ以上過去の話を掘り返すことは疑問だと主張したほか、一部の執行役員からも再発防止策を講じて取り引きを再開すればこれ以上の調査をしても意味がないという発言があったということです。
これに対し、別の執行役員から、追加のヒアリングや残りの工場への調査が必要だという意見が出たということです。
金融庁はこうした経緯をふまえ、経営陣の判断に問題がなかったか詳しく調べることにしています。
白川社長 “37人抜き”の社長就任で注目も
損害保険ジャパンの白川儀一社長(53)は、1993年に会社の前身である安田火災海上保険に入社しました。
2019年に執行役員経営企画部長、2020年に取締役執行役員となり、去年4月に社長に就任しました。
当時、51歳での社長就任は損害保険ジャパンの設立以来最も若く、“37人抜き”の人事としても注目されました。
両社は親密な関係 ビッグモーターへ「執行役員」での出向者も
損害保険各社はビッグモーターとの間で互いの顧客を紹介し合う親密な関係を続けてきました。
損害保険会社が事故にあった保険契約者にビッグモーターの修理工場を紹介すると、ビッグモーターは代理店として紹介された数に応じて、中古車の購入者に損保会社が手がける自賠責保険などを販売するという仕組みがあり、双方にとって収益源となっていました。
損害保険ジャパンはビッグモーターに2011年以降、あわせて37人を板金部門や営業部門に出向させ、なかには執行役員を務めた出向者もいました。
また、損害保険ジャパンは、2015年の時点でビッグモーターの株式の7%あまりを保有する大株主だったほか、ビッグモーターの創業者の長男で先月、引責辞任した兼重宏一前副社長は2011年から1年あまりの期間、損害保険ジャパンの前身企業の1つ「日本興亜損保」に在籍していました。
こうした親密な関係が続く中、損害保険ジャパンは2019年、社内にビッグモーターに対応する専門のチームを設けて、修理する車の損害査定を簡略化していたことも分かっています。
ビッグモーターが修理の見積もりを作成して写真を送れば、損害査定の手続きを大幅に簡略化して保険金を決めることができるようにする仕組みで、金融庁は損害保険ジャパンに対し、査定を簡略化していたことに問題がなかったかを検証し、実態を報告するよう求めています。
“不正請求”疑い強まるも損害保険ジャパンだけが取り引き再開
ビッグモーターが故意に車を傷つけるなどして自動車保険の保険金を不正に請求していた問題。
去年3月、損害保険防犯対策協議会を通じて不正請求の疑いがあるという情報が損保各社に寄せられたことをきっかけに各社は調査に乗り出しました。その結果、不正請求の疑いが強まると、去年6月に3社は相次いで、契約者にビッグモーターの修理工場を紹介する業務を停止しました。
ところがこの翌月、3社のうち損害保険ジャパンだけが、取り引きを再開しました。この理由について会社は、ビッグモーター側から、工場長の指示による不正はなく、過剰請求の原因は現場の連携不足による過失だったという報告を受けたためだとしていました。
しかし先月、ビッグモーターが公表した外部の弁護士による調査委員会の報告書で不正の実態が明らかになり、損害保険ジャパンが去年、ビッグモーターとの取り引きを再開するにあたって不正の可能性があるという情報を得ていながら詳細な調査をしていなかったことも新たに分かりました。
金融庁もなぜ損害保険ジャパンだけが取引再開の判断をしたのかを重点的に調査して報告するよう会社側に求めていて、社内の意思決定をめぐる経緯が焦点になっていました。
陸上世界選手権 やり投げ北口榛花が金メダル パリ五輪内定
2023年8月26日 11時46分
陸上の世界選手権、女子やり投げ決勝で前回大会の銅メダリスト、北口榛花選手が6回目の投てきで66メートル73センチをマークし、逆転で金メダルを獲得しました。
この種目で日本選手が金メダルを獲得するのは初めてで北口選手は、来年のパリオリンピックの日本代表に内定しました。
ハンガリーのブダペストで行われている陸上の世界選手権は、25日、女子やり投げの決勝が行われ、日本からは、前回大会の銅メダリストで、
世界ランキング1位の北口選手が出場しました。
北口選手は1回目から61メートルを超える投てきをみせると、3回目では63メートルちょうどに記録を伸ばし2番手に順位を上げました。
このあと4番手に順位を落として迎えた最終の6回目で、66メートル73センチのビッグスローを見せ、逆転で金メダルを獲得しました。
北口選手は去年の銅メダルに続き、2大会連続のメダル獲得で、世界選手権のこの種目で日本選手が金メダルを獲得するのは初めての快挙です。
この結果、北口選手は日本陸上競技連盟の基準を満たし、来年のパリオリンピックの日本代表に内定しました。
陸上競技でパリオリンピックの代表に内定したのは北口選手が初めてです。
北口榛花選手とは
北口榛花選手は北海道出身の25歳。
身長1メートル79センチの恵まれた体格を生かした力強い投てきが特長です。
今シーズンは、7月の国際大会で自身が2019年に記録した日本記録を1メートル4センチ更新する67メートル4センチの日本新記録をマークし、世界ランキング1位で世界選手権に臨んでいました。
中学校までは競泳やバドミントンに取り組み、高校から陸上に本格的に取り組み始めると、高校3年だった2015年に世界ユース選手権で金メダルを獲得して注目を集めました。
やり投げの強豪国、チェコのジュニア世代の代表コーチを務めていたダヴィッド・セケラックさんに師事して、2019年10月には66メートルちょうどという当時の日本記録をマークし、2021年の東京オリンピックでは、この種目で日本選手として57年ぶりの決勝進出を果たし12位でした。
その後、徹底的に体作りを見直し、高いパフォーマンスとけがをしないための柔軟性を両立するためのトレーニング方法や専門家の指導を受けながら姿勢を矯正するなど様々な取り組みを行ってきました。
そして、昨シーズンは、陸上の世界最高峰の大会、ダイヤモンドリーグで日本選手として初めての優勝を果たし、去年7月の世界選手権ではこの種目では日本選手として初めての銅メダルを獲得していました。
北口選手「自分が歴史作ると決めてやってきた」
女子やり投げで日本選手初の金メダルを獲得した北口榛花選手は「自分が必ず歴史を作ると決めて世界選手権にやってきた。本当はもっと時間がかかると思っていたが今まで頑張ってきて本当によかった。つらいことはたくさんあるがきょうだけは世界で一番幸せです」と喜びをかみしめました。
そして「両親など応援してくれるみんなの前で金メダルをとれてよかった。トップで居続けることは簡単ではないが来年のパリオリンピックや2025年には東京で世界選手権もあるので努力し続けたい」と先を見据えていました。
取り戻した“体の柔らかさ”
2大会連続のメダル獲得を目指して、世界選手権の舞台に戻ってきた北口榛花選手。
予選では2回目に63メートル27センチをマークして全体の3番手で決勝進出を決め「緊張していろいろなところに力が入ったが、思ったより投げられた」とトレードマークの笑顔を見せていました。
しかし、わずか2か月前の日本選手権では自身の投てきを見失い、記録は59メートル92センチにとどまり、大会3連覇を逃し大粒の涙を流しました。
このとき北口選手は「1本も自分の思い描いた投てきができなかった。理想の投げ方ができれば絶対飛ぶとわかっているが、今はそれができず苦しい」と話していました。
惨敗した日本選手権のあと、理想のやり投げができないのはなぜなのかを考え抜いた結果、持ち味である「体の柔らかさ」を生かし切れていないことに気がついたといいます。
北口選手は「トレーニングをすればするほど記録が出ると思っていたが、自分の持ち味は体の柔らかさなので自分の体を思うように動かせることが必要だと感じ日本選手権のあとコーチに相談してメニューを変えてもらった」と振り返ります。
筋力レーニングの負荷や回数を7割ほどにとどめ、パワーの向上よりも体の柔軟性を伸ばすトレーニング方法に切り替えたといいます。
さらに、拠点とするチェコにフィジカルケアを専門にするトレーナーを置くなど、体の柔軟性を高める取り組みを強化してきました。
その成果はすぐにあらわれ、7月の国際大会で自身の日本記録を4年ぶりに更新しました。
世界選手権を前に北口選手は「68メートルぐらいまでは想像できる範囲にある。日本記録の更新もすべての条件が整っていたわけではなかったので、条件が整えば70メートルを超える可能性もある」と自信を示していました。
2023年8月26日 11時46分
陸上の世界選手権、女子やり投げ決勝で前回大会の銅メダリスト、北口榛花選手が6回目の投てきで66メートル73センチをマークし、逆転で金メダルを獲得しました。
この種目で日本選手が金メダルを獲得するのは初めてで北口選手は、来年のパリオリンピックの日本代表に内定しました。
ハンガリーのブダペストで行われている陸上の世界選手権は、25日、女子やり投げの決勝が行われ、日本からは、前回大会の銅メダリストで、
世界ランキング1位の北口選手が出場しました。
北口選手は1回目から61メートルを超える投てきをみせると、3回目では63メートルちょうどに記録を伸ばし2番手に順位を上げました。
このあと4番手に順位を落として迎えた最終の6回目で、66メートル73センチのビッグスローを見せ、逆転で金メダルを獲得しました。
北口選手は去年の銅メダルに続き、2大会連続のメダル獲得で、世界選手権のこの種目で日本選手が金メダルを獲得するのは初めての快挙です。
この結果、北口選手は日本陸上競技連盟の基準を満たし、来年のパリオリンピックの日本代表に内定しました。
陸上競技でパリオリンピックの代表に内定したのは北口選手が初めてです。
北口榛花選手とは
北口榛花選手は北海道出身の25歳。
身長1メートル79センチの恵まれた体格を生かした力強い投てきが特長です。
今シーズンは、7月の国際大会で自身が2019年に記録した日本記録を1メートル4センチ更新する67メートル4センチの日本新記録をマークし、世界ランキング1位で世界選手権に臨んでいました。
中学校までは競泳やバドミントンに取り組み、高校から陸上に本格的に取り組み始めると、高校3年だった2015年に世界ユース選手権で金メダルを獲得して注目を集めました。
やり投げの強豪国、チェコのジュニア世代の代表コーチを務めていたダヴィッド・セケラックさんに師事して、2019年10月には66メートルちょうどという当時の日本記録をマークし、2021年の東京オリンピックでは、この種目で日本選手として57年ぶりの決勝進出を果たし12位でした。
その後、徹底的に体作りを見直し、高いパフォーマンスとけがをしないための柔軟性を両立するためのトレーニング方法や専門家の指導を受けながら姿勢を矯正するなど様々な取り組みを行ってきました。
そして、昨シーズンは、陸上の世界最高峰の大会、ダイヤモンドリーグで日本選手として初めての優勝を果たし、去年7月の世界選手権ではこの種目では日本選手として初めての銅メダルを獲得していました。
北口選手「自分が歴史作ると決めてやってきた」
女子やり投げで日本選手初の金メダルを獲得した北口榛花選手は「自分が必ず歴史を作ると決めて世界選手権にやってきた。本当はもっと時間がかかると思っていたが今まで頑張ってきて本当によかった。つらいことはたくさんあるがきょうだけは世界で一番幸せです」と喜びをかみしめました。
そして「両親など応援してくれるみんなの前で金メダルをとれてよかった。トップで居続けることは簡単ではないが来年のパリオリンピックや2025年には東京で世界選手権もあるので努力し続けたい」と先を見据えていました。
取り戻した“体の柔らかさ”
2大会連続のメダル獲得を目指して、世界選手権の舞台に戻ってきた北口榛花選手。
予選では2回目に63メートル27センチをマークして全体の3番手で決勝進出を決め「緊張していろいろなところに力が入ったが、思ったより投げられた」とトレードマークの笑顔を見せていました。
しかし、わずか2か月前の日本選手権では自身の投てきを見失い、記録は59メートル92センチにとどまり、大会3連覇を逃し大粒の涙を流しました。
このとき北口選手は「1本も自分の思い描いた投てきができなかった。理想の投げ方ができれば絶対飛ぶとわかっているが、今はそれができず苦しい」と話していました。
惨敗した日本選手権のあと、理想のやり投げができないのはなぜなのかを考え抜いた結果、持ち味である「体の柔らかさ」を生かし切れていないことに気がついたといいます。
北口選手は「トレーニングをすればするほど記録が出ると思っていたが、自分の持ち味は体の柔らかさなので自分の体を思うように動かせることが必要だと感じ日本選手権のあとコーチに相談してメニューを変えてもらった」と振り返ります。
筋力レーニングの負荷や回数を7割ほどにとどめ、パワーの向上よりも体の柔軟性を伸ばすトレーニング方法に切り替えたといいます。
さらに、拠点とするチェコにフィジカルケアを専門にするトレーナーを置くなど、体の柔軟性を高める取り組みを強化してきました。
その成果はすぐにあらわれ、7月の国際大会で自身の日本記録を4年ぶりに更新しました。
世界選手権を前に北口選手は「68メートルぐらいまでは想像できる範囲にある。日本記録の更新もすべての条件が整っていたわけではなかったので、条件が整えば70メートルを超える可能性もある」と自信を示していました。
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