#琴贝[超话]#
我想国内的琴酒粉、贝尔摩德粉、琴贝粉大抵都见过这样一张设定。(如图1)
这是2013年7月31日发行的『周刊少年Sunday』第33号特别附录——「青山刚昌先生讲述!逼近真相 Secret Report」里的内容。确实其中的信息都是一手的,出自青山刚昌本人,但是这版繁体翻译却有着很大的问题。最大的问题是最后的「所以贝尔摩德主动分手」,这句话在原文中是不存在的,这个改动使得意思完全偏移,让读者误认为贝尔摩德对琴酒的感情不深,也让贝尔摩德变成了一个在爱情中知难而退,浅尝即止的形象。
那么原文是什么?正确翻译是什么?诸如这些我都会在下文中展示,值得一提的是,这段文字确实是比较复杂的,我也会在翻译部分通过()中的内容进行必要的润色,但会尽力避免歪曲原文意思。(如图2)
原文:
ジンとの関係は?
組織での立場は覆いておいて。ベルモットがジンのことを好きだったことが、昔はあったんじゃないかなあ。ジンと深く付き合ってたことも…ただジンは誰かを好きになるってことはないから、ベルモットの方から。
内容翻译:
与琴酒的关系?
掩饰在组织内的立场。贝尔摩德爱上琴酒(这件事)、不是在很早以前有吗。与琴酒深入恋爱交往(这件事)也(有)…但是琴酒爱上谁是不会(出现)的、(这些都)是来自贝尔摩德这方的(感受)。
要点:
①「ベルモットがジンのことを好きだった(贝尔摩德爱上/喜欢琴酒)」,就像「君のことが好きだ」这句日本人常用的告白语,是一种比较含蓄的说法,且「好きだ」通常也是在关系还没确定下时候的一种单方面的喜欢
②「付き合って」是「付き合う」的て形,其在男女关系中使用的话意思便是:恋爱交往/恋人交往
③「ベルモットの方」的「方」指的是某物出自某人,最后的助词「から」是“主体、行为、助词、主体行为作用的客体”这种结构中的助词,通常翻译为:从、来自
个人解析:
首先我们要确认下整段文字的语境「昔はあったんじゃないかなあ(不是在很久以前有吗)」,简言之,这段文字是把过去的事情拎出来展开,而没有涉及现在的琴酒&贝尔摩德关系。
通过第一句话我们可以知道,贝尔摩德从很久以前开始就爱上/喜欢琴酒了,两人感情的开端是她单方面的爱,最初琴酒对她应该是没感情的。
第二句话的「ジンと深く付き合ってたことも…ただジンは誰かを好きになるってことはないから(与琴酒深入恋爱交往(这件事)也(有)…但是琴酒爱上谁是不会(出现)的)」乍看之下非常奇怪,既然琴酒爱上谁是不会发生的,那两人是怎么有的恋爱交往?关键在最后这句「ベルモットの方から(这些都)是来自贝尔摩德这方的(感受))」,因此这句话你可以理解为在展现贝尔摩德的“矛盾”(态度),无论是「与琴酒深入恋爱交往」还是「琴酒爱上谁是不会的」都是那段时期贝尔摩德的主观想法≠客观事实。直白的说,或许这两点都只是贝尔摩德的一厢情愿。因此,我们就能发现第一个繁体翻译版本错误得有多离谱了,事实上青山刚昌想要通过这段文字传达给读者的是贝尔摩德的“向死而生”的綺麗爱情态度,某种程度上已经接近了于她对新一/兰的感情了,是即便是没有回报、得不到回应也会去做那般的感情,当然贝尔摩德肯定是希望得到琴酒回应的,她对于琴酒肯定还是有相当私心的,这点在漫画中多次体现。
毋庸置疑,贝尔摩德确实做好了“终究琴酒不会爱上她”的心理准备,在这样的情况下执着地行动起来而不甘于忍受那种仅留存于心里这样单方面喜欢的现状。她对自己与琴酒的恋情既有悲观的一面也有锲而不舍的一面,可以说在这段感情的最初阶段贝尔摩德其实是不容易的。
我想国内的琴酒粉、贝尔摩德粉、琴贝粉大抵都见过这样一张设定。(如图1)
这是2013年7月31日发行的『周刊少年Sunday』第33号特别附录——「青山刚昌先生讲述!逼近真相 Secret Report」里的内容。确实其中的信息都是一手的,出自青山刚昌本人,但是这版繁体翻译却有着很大的问题。最大的问题是最后的「所以贝尔摩德主动分手」,这句话在原文中是不存在的,这个改动使得意思完全偏移,让读者误认为贝尔摩德对琴酒的感情不深,也让贝尔摩德变成了一个在爱情中知难而退,浅尝即止的形象。
那么原文是什么?正确翻译是什么?诸如这些我都会在下文中展示,值得一提的是,这段文字确实是比较复杂的,我也会在翻译部分通过()中的内容进行必要的润色,但会尽力避免歪曲原文意思。(如图2)
原文:
ジンとの関係は?
組織での立場は覆いておいて。ベルモットがジンのことを好きだったことが、昔はあったんじゃないかなあ。ジンと深く付き合ってたことも…ただジンは誰かを好きになるってことはないから、ベルモットの方から。
内容翻译:
与琴酒的关系?
掩饰在组织内的立场。贝尔摩德爱上琴酒(这件事)、不是在很早以前有吗。与琴酒深入恋爱交往(这件事)也(有)…但是琴酒爱上谁是不会(出现)的、(这些都)是来自贝尔摩德这方的(感受)。
要点:
①「ベルモットがジンのことを好きだった(贝尔摩德爱上/喜欢琴酒)」,就像「君のことが好きだ」这句日本人常用的告白语,是一种比较含蓄的说法,且「好きだ」通常也是在关系还没确定下时候的一种单方面的喜欢
②「付き合って」是「付き合う」的て形,其在男女关系中使用的话意思便是:恋爱交往/恋人交往
③「ベルモットの方」的「方」指的是某物出自某人,最后的助词「から」是“主体、行为、助词、主体行为作用的客体”这种结构中的助词,通常翻译为:从、来自
个人解析:
首先我们要确认下整段文字的语境「昔はあったんじゃないかなあ(不是在很久以前有吗)」,简言之,这段文字是把过去的事情拎出来展开,而没有涉及现在的琴酒&贝尔摩德关系。
通过第一句话我们可以知道,贝尔摩德从很久以前开始就爱上/喜欢琴酒了,两人感情的开端是她单方面的爱,最初琴酒对她应该是没感情的。
第二句话的「ジンと深く付き合ってたことも…ただジンは誰かを好きになるってことはないから(与琴酒深入恋爱交往(这件事)也(有)…但是琴酒爱上谁是不会(出现)的)」乍看之下非常奇怪,既然琴酒爱上谁是不会发生的,那两人是怎么有的恋爱交往?关键在最后这句「ベルモットの方から(这些都)是来自贝尔摩德这方的(感受))」,因此这句话你可以理解为在展现贝尔摩德的“矛盾”(态度),无论是「与琴酒深入恋爱交往」还是「琴酒爱上谁是不会的」都是那段时期贝尔摩德的主观想法≠客观事实。直白的说,或许这两点都只是贝尔摩德的一厢情愿。因此,我们就能发现第一个繁体翻译版本错误得有多离谱了,事实上青山刚昌想要通过这段文字传达给读者的是贝尔摩德的“向死而生”的綺麗爱情态度,某种程度上已经接近了于她对新一/兰的感情了,是即便是没有回报、得不到回应也会去做那般的感情,当然贝尔摩德肯定是希望得到琴酒回应的,她对于琴酒肯定还是有相当私心的,这点在漫画中多次体现。
毋庸置疑,贝尔摩德确实做好了“终究琴酒不会爱上她”的心理准备,在这样的情况下执着地行动起来而不甘于忍受那种仅留存于心里这样单方面喜欢的现状。她对自己与琴酒的恋情既有悲观的一面也有锲而不舍的一面,可以说在这段感情的最初阶段贝尔摩德其实是不容易的。
森田美勇人、東京の好きなところ【QJWebカメラ部】
2022.05.07
雨の東京
初めまして。
森田美勇人(もりたみゅうと)です。
あ、本名です。
両親だけでなく祖母までもが一丸となり悩み抜いた名前な上に今まで一度も被ることのない珍しさもあって物心ついたころからやけにプレッシャーを感じて生きています。
昨年に“FLATLAND”というプロジェクトを立ち上げたころから日々の些細な出来事や自分の心が揺れ動く瞬間をカタチに残せたらと思い写真を撮り始めました。
第1回に上げさせていただく写真は「雨の東京」です。
僕は東京で生まれ育ち、当たり前に自然よりコンクリートに囲まれる環境で育ったなかでこの東京の忙しくも寂しく、でもどこか心躍る雨の帰り道が好きです。
普段は地面の熱で焼けるタイヤたちが水遊びする様にはしゃいで走り回り、ヘッドライトが乱反射を繰り返しながら夜を照らし、水が張ったコンクリートはスクリーンへと形を変え、水鏡に映るビルの行列が未開の地下都市を出現させる。
そんな光景に目を奪われながら片側車線に連なる提灯のようなテールランプを頼りに信号待ちをしていると、向かいから光の粒を集めた傘をそっとかしげて伏し目がちにすれ違う人様の冷たさに美しさを感じたりして。
そんな騒がしい光や音があふれたなかに静寂を感じた日は大抵どこかで一杯飲んで帰ります。
雑踏のなかでひとりを感じる程度が僕にはとても心地よくて。
自分時間が好きなのに寂しがり屋でもあるこの煩わしい性格は確実に東京で養われたのだなと思います。
東京、好きです。
2022.05.07
雨の東京
初めまして。
森田美勇人(もりたみゅうと)です。
あ、本名です。
両親だけでなく祖母までもが一丸となり悩み抜いた名前な上に今まで一度も被ることのない珍しさもあって物心ついたころからやけにプレッシャーを感じて生きています。
昨年に“FLATLAND”というプロジェクトを立ち上げたころから日々の些細な出来事や自分の心が揺れ動く瞬間をカタチに残せたらと思い写真を撮り始めました。
第1回に上げさせていただく写真は「雨の東京」です。
僕は東京で生まれ育ち、当たり前に自然よりコンクリートに囲まれる環境で育ったなかでこの東京の忙しくも寂しく、でもどこか心躍る雨の帰り道が好きです。
普段は地面の熱で焼けるタイヤたちが水遊びする様にはしゃいで走り回り、ヘッドライトが乱反射を繰り返しながら夜を照らし、水が張ったコンクリートはスクリーンへと形を変え、水鏡に映るビルの行列が未開の地下都市を出現させる。
そんな光景に目を奪われながら片側車線に連なる提灯のようなテールランプを頼りに信号待ちをしていると、向かいから光の粒を集めた傘をそっとかしげて伏し目がちにすれ違う人様の冷たさに美しさを感じたりして。
そんな騒がしい光や音があふれたなかに静寂を感じた日は大抵どこかで一杯飲んで帰ります。
雑踏のなかでひとりを感じる程度が僕にはとても心地よくて。
自分時間が好きなのに寂しがり屋でもあるこの煩わしい性格は確実に東京で養われたのだなと思います。
東京、好きです。
刚刚看到报道,森山直太朗在2021年夏天第四次紧急事态期间,得新冠发了十天十夜40度高烧,氧合指数极低,头像孙悟空紧箍咒那么痛,十天体重掉了8kg,能排泄都已经十分艰难。而且在新冠之前,他已经得了面瘫和发声障碍的疾病。
具体的内容我贴在下面。:
顔面麻痺、発声障害、コロナ重症化。森山直太朗が死の淵を彷徨って迎えた転換期
まもなく47歳を迎えるシンガーソングライター、森山直太朗。
『さくら』『夏の終わり』『生きとし生ける物へ』『生きてることが辛いなら』など、時代を超える名曲を20代の若さで発表し、それから20年以上が経つ今もフォークの頂点に君臨し続けるアーティストだ。
3月24日(金)に全国公開される映画『ロストケア』(松山ケンイチ×長澤まさみ)では、主題歌『さもありなん』を書き下ろしている。
まさにオーシャンズ世代ど真ん中の森山。
その美声からは想像し難いかもしれないが、実は中高時代のすべてをサッカーに捧げた体育会系。9年前には地方に山小屋を購入した、2拠点生活の走りでもある。
そんな彼が、実はコロナ禍で死の淵にいたことは意外に知られていない。
40度の熱にうなされた10日10晩
「2021年の夏にひょんなはずみで、コロナにかかりました。振り返ると、免疫が一番低くなってたタイミングだったと思います。2カ月弱のドラマ撮影を根を詰めてやり終えた頃だったので」。
2年前の夏といえば4回目の緊急事態宣言が発令され、感染者数が爆発的に増えていった時期と重なる。
「一週間くらい安静にしていれば治るだろうと高を括ってたんですけど、40度の熱が10日10晩続きました。酸素濃度が規定の数値を大幅に下回っちゃって……。孫悟空の輪っかに頭を締め付けられているような痛みにのたうち回ってました」。
大男3人に追いかけられる悪夢のループ
感染者数とともに速報で流れる死者数を横目に、呼吸がしにくくなり、息が苦しくなっていく自分。森山は「この状態が続けば、きっと体は耐えられなくなる」と感じたという。
「当時は未曾有の感染症として、どう対処していいのか誰も分からなかったじゃないですか。この先に死があるんだろうなって、少しずつパニックになっていきました。あそこまでフィジカルと精神が追い込まれたことはなかったですね。少なからず死は意識しました」。
床に臥している間は悪夢にもうなされた。その夢は今も鮮明に覚えている。
「漆黒の森の中を3人の大男に追われ続ける夢でした。走り続けてるとドアが現れるんですけど、向こうにはまた同じ漆黒の森があるという悪夢のループ。
僕は覚えてないんですけど、看病してくれていた家族によると『お前、もうあっちに行ってくれ。いるのはわかってるんだよ! お前がそこにいるのは分かってんだよ!』って言い続けていたらしくて……。自分の心の奥にある闇がマウントを取ってくるっていう怖い夢です(苦笑)」。
「排泄するだけで涙がこぼれた」
水さえ飲みたくない状態が続き体重は8キロ落ちたが、10日後から徐々に熱は下がり始めた。
無事に生還したからこそ振り返ることができるわけだが、死を身近に感じた体験は、森山に強烈な生への意識を呼び起こさせたという。
「高熱や悪夢にうなされてても、明け方のほんの一瞬だけ、症状が鎮静するときがあったんです。換気のために窓を開けてもらったら斜陽が差し込んできて、カーテンが風に揺れて、その向こうからは、幼稚園児の笑い叫ぶ声がサラウンドでこだましてて……。
薄れている意識のなか、自然と涙がこぼれてきたんです。大げさな話に聞こえると思いますけど、『あぁ、僕はいま生きているんだ。体は生きようとしているんだ。それ以外に何を求めることがあるんだ』って。変な話、排泄ひとつしただけで涙が出てきました」。
死をリアリティとして感じられない時代
「解剖学者の養老孟司さんも言ってましたけど、現代に生きる僕たちは、死が身近になさすぎると思うんです。戦争も飢餓もないのは豊かさの象徴でもあるけど、死がリアリティとして感じられない。
いずれ自分は死ぬんだということが実感できれば、普段、しがみついたり執着していることは大抵とても些末なことなんだと気づく。僕らは幸せや豊かさを外側に求めがちだけど、なんてことはない、自分の中にあるんだっていうことを僕はコロナで身を持って体験して、それを歌にしたのが『素晴らしい世界』です」。
「表現が楽しいと思ったことはなかった」
話はコロナ前に遡る。実は2019年頃から、森山の体には異変があらわれていたという。
「ぱっと見、僕は安定した音楽活動ができてるタイプに見られがちなんですけど、実は『人間の森』ツアーの後、この先はもう歌えなくなるぞっていう危機感があったんです。精神的な負荷がたたって、顔面麻痺や発声障害にもなりました」。
まるで、ステージで歌う森山を阻むかのような症状。自分にばちが当たったんだと振り返る。
「もともとは、部屋の片隅でひとりギターをぽろろんって鳴らして、いじけた歌を歌ってたのが始まりなのに、気づいたら大きなステージに立って自分に照明が当たっていた。正常ではいられない世界に来てしまっていたんです。
お前は本当に心の底から喜んでるのか?って問われたら、それは遠くかけ離れていました。表現をすることは苦痛を伴うもので、1ミリも楽しいと思ったことはなかったんです。人の期待に応えることがひとつの基準になっていた。自分をないがしろにしてきたから、ばちが当たったんだなと思いました」。
無垢になればなるほど音楽は波紋のように広がる
デビューからずっと二人三脚で音楽制作をしてきた詩人の御徒町凧氏と袂を分かち、あえて一人に戻って活動をリスタートする決断はファンを驚かせた。森山は40後半にして独り立ちしたのである。
「人間って、生きながらにして生まれ変われる生き物だと思っています。そのタイミングが僕にとってはコロナだった。もっともっと無垢で純真な自分はいるんだろうし、そうなればなるほど、音楽は波紋のように遠くに広がっていくんだって信じてます」。
◇
学校の教科書に載るほどの名曲を残し、ドラマや映画の主題歌を担当し、途切れることなく社会から求められている森山だが、本人曰く、第2の音楽人生はいま始まったばかり。
インタビュー後編では最近リリースしたばかりの弾き語りベストアルバムの話から、森山の趣味である珈琲や山小屋暮らしまで語ってもらう。
河野優太=写真 ぎぎまき=取材・文
具体的内容我贴在下面。:
顔面麻痺、発声障害、コロナ重症化。森山直太朗が死の淵を彷徨って迎えた転換期
まもなく47歳を迎えるシンガーソングライター、森山直太朗。
『さくら』『夏の終わり』『生きとし生ける物へ』『生きてることが辛いなら』など、時代を超える名曲を20代の若さで発表し、それから20年以上が経つ今もフォークの頂点に君臨し続けるアーティストだ。
3月24日(金)に全国公開される映画『ロストケア』(松山ケンイチ×長澤まさみ)では、主題歌『さもありなん』を書き下ろしている。
まさにオーシャンズ世代ど真ん中の森山。
その美声からは想像し難いかもしれないが、実は中高時代のすべてをサッカーに捧げた体育会系。9年前には地方に山小屋を購入した、2拠点生活の走りでもある。
そんな彼が、実はコロナ禍で死の淵にいたことは意外に知られていない。
40度の熱にうなされた10日10晩
「2021年の夏にひょんなはずみで、コロナにかかりました。振り返ると、免疫が一番低くなってたタイミングだったと思います。2カ月弱のドラマ撮影を根を詰めてやり終えた頃だったので」。
2年前の夏といえば4回目の緊急事態宣言が発令され、感染者数が爆発的に増えていった時期と重なる。
「一週間くらい安静にしていれば治るだろうと高を括ってたんですけど、40度の熱が10日10晩続きました。酸素濃度が規定の数値を大幅に下回っちゃって……。孫悟空の輪っかに頭を締め付けられているような痛みにのたうち回ってました」。
大男3人に追いかけられる悪夢のループ
感染者数とともに速報で流れる死者数を横目に、呼吸がしにくくなり、息が苦しくなっていく自分。森山は「この状態が続けば、きっと体は耐えられなくなる」と感じたという。
「当時は未曾有の感染症として、どう対処していいのか誰も分からなかったじゃないですか。この先に死があるんだろうなって、少しずつパニックになっていきました。あそこまでフィジカルと精神が追い込まれたことはなかったですね。少なからず死は意識しました」。
床に臥している間は悪夢にもうなされた。その夢は今も鮮明に覚えている。
「漆黒の森の中を3人の大男に追われ続ける夢でした。走り続けてるとドアが現れるんですけど、向こうにはまた同じ漆黒の森があるという悪夢のループ。
僕は覚えてないんですけど、看病してくれていた家族によると『お前、もうあっちに行ってくれ。いるのはわかってるんだよ! お前がそこにいるのは分かってんだよ!』って言い続けていたらしくて……。自分の心の奥にある闇がマウントを取ってくるっていう怖い夢です(苦笑)」。
「排泄するだけで涙がこぼれた」
水さえ飲みたくない状態が続き体重は8キロ落ちたが、10日後から徐々に熱は下がり始めた。
無事に生還したからこそ振り返ることができるわけだが、死を身近に感じた体験は、森山に強烈な生への意識を呼び起こさせたという。
「高熱や悪夢にうなされてても、明け方のほんの一瞬だけ、症状が鎮静するときがあったんです。換気のために窓を開けてもらったら斜陽が差し込んできて、カーテンが風に揺れて、その向こうからは、幼稚園児の笑い叫ぶ声がサラウンドでこだましてて……。
薄れている意識のなか、自然と涙がこぼれてきたんです。大げさな話に聞こえると思いますけど、『あぁ、僕はいま生きているんだ。体は生きようとしているんだ。それ以外に何を求めることがあるんだ』って。変な話、排泄ひとつしただけで涙が出てきました」。
死をリアリティとして感じられない時代
「解剖学者の養老孟司さんも言ってましたけど、現代に生きる僕たちは、死が身近になさすぎると思うんです。戦争も飢餓もないのは豊かさの象徴でもあるけど、死がリアリティとして感じられない。
いずれ自分は死ぬんだということが実感できれば、普段、しがみついたり執着していることは大抵とても些末なことなんだと気づく。僕らは幸せや豊かさを外側に求めがちだけど、なんてことはない、自分の中にあるんだっていうことを僕はコロナで身を持って体験して、それを歌にしたのが『素晴らしい世界』です」。
「表現が楽しいと思ったことはなかった」
話はコロナ前に遡る。実は2019年頃から、森山の体には異変があらわれていたという。
「ぱっと見、僕は安定した音楽活動ができてるタイプに見られがちなんですけど、実は『人間の森』ツアーの後、この先はもう歌えなくなるぞっていう危機感があったんです。精神的な負荷がたたって、顔面麻痺や発声障害にもなりました」。
まるで、ステージで歌う森山を阻むかのような症状。自分にばちが当たったんだと振り返る。
「もともとは、部屋の片隅でひとりギターをぽろろんって鳴らして、いじけた歌を歌ってたのが始まりなのに、気づいたら大きなステージに立って自分に照明が当たっていた。正常ではいられない世界に来てしまっていたんです。
お前は本当に心の底から喜んでるのか?って問われたら、それは遠くかけ離れていました。表現をすることは苦痛を伴うもので、1ミリも楽しいと思ったことはなかったんです。人の期待に応えることがひとつの基準になっていた。自分をないがしろにしてきたから、ばちが当たったんだなと思いました」。
無垢になればなるほど音楽は波紋のように広がる
デビューからずっと二人三脚で音楽制作をしてきた詩人の御徒町凧氏と袂を分かち、あえて一人に戻って活動をリスタートする決断はファンを驚かせた。森山は40後半にして独り立ちしたのである。
「人間って、生きながらにして生まれ変われる生き物だと思っています。そのタイミングが僕にとってはコロナだった。もっともっと無垢で純真な自分はいるんだろうし、そうなればなるほど、音楽は波紋のように遠くに広がっていくんだって信じてます」。
◇
学校の教科書に載るほどの名曲を残し、ドラマや映画の主題歌を担当し、途切れることなく社会から求められている森山だが、本人曰く、第2の音楽人生はいま始まったばかり。
インタビュー後編では最近リリースしたばかりの弾き語りベストアルバムの話から、森山の趣味である珈琲や山小屋暮らしまで語ってもらう。
河野優太=写真 ぎぎまき=取材・文
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