出世にとらわれた戦国武将・佐々成政の悲惨すぎる最期
織田信長の名臣・佐々成政(さっさなりまさ)。信長の死後、見下していた秀吉に敗れその配下となるが、屈辱に耐え出世のために奮闘していた。あるとき側室・早百合に不倫疑惑が持ち上がると、成政は真偽も確かめず、彼女を木に吊るして惨殺。恨みを抱いて死んだ早百合が怨霊となり、成政を悲惨な最期へと導いたという。
■信長に選ばれたスーパーエリート・佐々成政
佐々成政といえば、もともとは織田信長の家臣で、選ばれし10人である親衛隊・黒母衣衆(くろほろしゅう)の一員。そこから国持大名にまでのし上がった、スーパーエリートともいうべき武将であった。
信長の死後は柴田勝家に与し、秀吉と対決。戦いに敗れて降伏したものの、今度は家康に寝返って、懲りもせず秀吉に反抗している。家康が秀吉と和議を結んだ際などは、真冬にもかかわらず、雪深い越中から浜松へ、厳しい山越えを強行。家康に直談判して、秀吉との縁を切らせようとしたほどであった。
ただし、この「ささら越え」と呼ばれた強行策も、結果として家康の同意を得ることはできず、同行の家臣の命を危険に晒しただけであった。成政の悔しさはひとしおであっただろう。
■木に吊るされて切り刻まれた早百合
さて、本題はここからである。虚しく帰城した成政を待ち受けていたもの、それが側室・早百合の不倫疑惑であった。家臣・竹沢熊四郎と、不義密通を働いていたというのだ。これは成政の寵愛を独占する早百合に嫉妬した他の側室たちが、彼女を陥れようとして流した「でまかせ」であった。ところが成政は信じてしまった。おまけに、「腹の子が熊四郎の子だ」との噂まで本気にしてしまう。
激怒した成政は、真偽を確かめる間もなく熊四郎を即座に殺害。そればかりか、可愛さ余って憎さ百倍、寵愛していたはずの早百合の髪の毛を引っ掴んで神通川の辺りまで引き摺り、榎(えのき)の木に括り付けて、鮟鱇(あんこう)斬り」にしてしまったというから、何ともおぞましい。アンコウを切り裂くように、吊るしたままズタズタに切り裂いたのだ。
早百合も黙って殺されたわけではない。形相も凄まじく、「おのれ成政、この身は此処に事罪せらるるとも、怨恨は悪鬼となり、数年成らずして、汝が子孫を殺し尽くし、家名断絶せしむべし」と、呪いの言葉を吐いて絶命したのだという。
成政はさらに、早百合の一族18人の首まで撥ねたとも伝えられている。ただし、一族の殺害に関しては、成政の後に越中を支配した前田氏が成政の名を陥れるために盛った話とも見られるため要注意である。ともあれ、誤解によって惨殺された彼女が化けて出たとしても不思議ではない。彼女の死後、毎夜のように、その木の周辺に、生首を下げた悪鬼がさまよい出たのだとか。その舞台となった榎の2代目とみなされる一本榎が、今も富山市磯部町の堤の上に残されている。■おのれ秀吉! 切腹しながら詠んだ辞世の句
成政はその後、秀吉に攻められて再び降伏。それでも、出世に対する意欲は強かったとみえ、今度は秀吉配下として奮戦したようである。数々の功績を残したことで、肥後一国を任されるまでになった。
しかし、功を焦ったのか、検地の強行など、領民や国人に不安を抱かせるような政策を断行した結果、一揆を誘発してしまった。騒動を自力で鎮めることができずに秀吉から咎められ、ついには切腹を申し付けられてしまう。
もともと家柄の低い秀吉を見下していた成政。屈辱のためか、腹を短刀で横一文字に切り裂いた後、なんと、はらわたを掴んで天井に投げ捨てた。さらに、「このごろの 厄妄想を 入れ置きし 鉄鉢袋 今破るなり(災難によって悶々としていたこの身を、今こそ打ち破って死んでやる)」と、辞世の句を叫びながら果てたのだとか。
成政の悲惨な最期は、早百合が殺されてから4年後のことだ。彼女が死の間際に言い放った「数年足らずして」の言葉通り、成政の家名は地に落ちたのである。彼に恨みを抱いて死んだ早百合の怨霊のせいと見ることができるかもしれない。
祟りの真偽はともあれ、家中を顧みず、ひたすら出世のために駆けずり回った男の哀しい末路であったことは間違いない。
藤井勝彦
織田信長の名臣・佐々成政(さっさなりまさ)。信長の死後、見下していた秀吉に敗れその配下となるが、屈辱に耐え出世のために奮闘していた。あるとき側室・早百合に不倫疑惑が持ち上がると、成政は真偽も確かめず、彼女を木に吊るして惨殺。恨みを抱いて死んだ早百合が怨霊となり、成政を悲惨な最期へと導いたという。
■信長に選ばれたスーパーエリート・佐々成政
佐々成政といえば、もともとは織田信長の家臣で、選ばれし10人である親衛隊・黒母衣衆(くろほろしゅう)の一員。そこから国持大名にまでのし上がった、スーパーエリートともいうべき武将であった。
信長の死後は柴田勝家に与し、秀吉と対決。戦いに敗れて降伏したものの、今度は家康に寝返って、懲りもせず秀吉に反抗している。家康が秀吉と和議を結んだ際などは、真冬にもかかわらず、雪深い越中から浜松へ、厳しい山越えを強行。家康に直談判して、秀吉との縁を切らせようとしたほどであった。
ただし、この「ささら越え」と呼ばれた強行策も、結果として家康の同意を得ることはできず、同行の家臣の命を危険に晒しただけであった。成政の悔しさはひとしおであっただろう。
■木に吊るされて切り刻まれた早百合
さて、本題はここからである。虚しく帰城した成政を待ち受けていたもの、それが側室・早百合の不倫疑惑であった。家臣・竹沢熊四郎と、不義密通を働いていたというのだ。これは成政の寵愛を独占する早百合に嫉妬した他の側室たちが、彼女を陥れようとして流した「でまかせ」であった。ところが成政は信じてしまった。おまけに、「腹の子が熊四郎の子だ」との噂まで本気にしてしまう。
激怒した成政は、真偽を確かめる間もなく熊四郎を即座に殺害。そればかりか、可愛さ余って憎さ百倍、寵愛していたはずの早百合の髪の毛を引っ掴んで神通川の辺りまで引き摺り、榎(えのき)の木に括り付けて、鮟鱇(あんこう)斬り」にしてしまったというから、何ともおぞましい。アンコウを切り裂くように、吊るしたままズタズタに切り裂いたのだ。
早百合も黙って殺されたわけではない。形相も凄まじく、「おのれ成政、この身は此処に事罪せらるるとも、怨恨は悪鬼となり、数年成らずして、汝が子孫を殺し尽くし、家名断絶せしむべし」と、呪いの言葉を吐いて絶命したのだという。
成政はさらに、早百合の一族18人の首まで撥ねたとも伝えられている。ただし、一族の殺害に関しては、成政の後に越中を支配した前田氏が成政の名を陥れるために盛った話とも見られるため要注意である。ともあれ、誤解によって惨殺された彼女が化けて出たとしても不思議ではない。彼女の死後、毎夜のように、その木の周辺に、生首を下げた悪鬼がさまよい出たのだとか。その舞台となった榎の2代目とみなされる一本榎が、今も富山市磯部町の堤の上に残されている。■おのれ秀吉! 切腹しながら詠んだ辞世の句
成政はその後、秀吉に攻められて再び降伏。それでも、出世に対する意欲は強かったとみえ、今度は秀吉配下として奮戦したようである。数々の功績を残したことで、肥後一国を任されるまでになった。
しかし、功を焦ったのか、検地の強行など、領民や国人に不安を抱かせるような政策を断行した結果、一揆を誘発してしまった。騒動を自力で鎮めることができずに秀吉から咎められ、ついには切腹を申し付けられてしまう。
もともと家柄の低い秀吉を見下していた成政。屈辱のためか、腹を短刀で横一文字に切り裂いた後、なんと、はらわたを掴んで天井に投げ捨てた。さらに、「このごろの 厄妄想を 入れ置きし 鉄鉢袋 今破るなり(災難によって悶々としていたこの身を、今こそ打ち破って死んでやる)」と、辞世の句を叫びながら果てたのだとか。
成政の悲惨な最期は、早百合が殺されてから4年後のことだ。彼女が死の間際に言い放った「数年足らずして」の言葉通り、成政の家名は地に落ちたのである。彼に恨みを抱いて死んだ早百合の怨霊のせいと見ることができるかもしれない。
祟りの真偽はともあれ、家中を顧みず、ひたすら出世のために駆けずり回った男の哀しい末路であったことは間違いない。
藤井勝彦
#丰田裕大[超话]#
豊田裕大に単独取材:『MEN’S NON-NO』モデルから俳優へ 「遊びや余白のある役者になりたい」
映画総合
【 エンタメの未来を彩る光をキャッチ! シリーズ「未来予知」 】
■バスケットボールに打ち込んだ学生時代から一転、『MEN’S NON-NO』モデルに
――2019年、20歳の時にファッション誌『MEN’S NON-NO』の専属モデルとしてデビューされました。応募のきっかけは何でしたか?
豊田 高校生まではバスケットボールに打ち込み、プロのバスケットボール選手を目指していたんです。でも大学へ進学してから、本当にプロ選手としてお金を稼げるのかな? と疑問に感じ始めて、次は何を目指そうか、と考えました。
いろんな選択肢があった中で、役者をやりたいという想いが強くなったのですが、そこを目指すための切符というかフックが欲しくて。『MEN’S NON-NO』のモデルオーディションに合格したら本格的に役者を目指そう、と決めた応募しました。もちろん、単純に『MEN’S NON-NO』という雑誌が好きだというのもあります。
■所属事務所には自ら売り込み!
――現在の事務所に所属するにあたり、TVのドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』にトップコートの渡邊社長が登場されたことが印象にあったそうですね。
豊田 はい。そうです。そのTV番組がきっかけで、自分からトップコートに入りたいと志願しました。でも、放送当時は僕じゃなくて母親が見ていて、「こういう会社で働けたら楽しそうじゃない?」と言ったんです。所属タレントではなくて、スタッフ側で社員として働いたらどうなの? という感じですね。その時点ではモデルでも何でもなかったので、まさか自分が『MEN’S NON-NO』のモデルになって役者にまでなれるとは思っていないじゃないですか。なので、その時からトップコートはいい事務所というイメージがあり、モデルになってから自分で所属したいと願い出ました。
――実際に所属されてみていかがでしたか?
豊田 思っていた印象と変わらなかったです。すごくいい環境でお芝居の仕事をさせてもらえるし、先輩方も俳優業界を引っ張ってくださるような方ばかりだし、事務所のカラーは僕が思い描いていた通りでした。だけど役者業に対しては、一筋縄ではいかないという現実を最近すごく感じているので、そういう部分では必死に食らいついていかないと、と気を引き締めています。
■“役者のマインド”を勉強中
――俳優活動のデビューは2年前、21歳の時ですね。モデルの仕事と違って戸惑ったことはありますか?
豊田 戸惑いっぱなしです。役者とモデルは全然違います。演技の世界はルールや専門用語も多いし、“役者のマインド”みたいなものも知らないままだったので。やっと今年に入ったくらいから、少しずつ役者という立場への理解や、仕事に対してもっとストイックにできる部分がまだあるなと気がついているような感じです。
――どういうところで気づきがあったのですか?
豊田 映画『銀河鉄道の父』の撮影現場で、父親役の役所広司さん、兄・宮沢賢治役の菅田将暉さんはじめ、共演者の皆さんの姿を通して、どういう風に役者という仕事に向き合っているんだろうというのが知れたという部分はあります。今もまだ理解を深めようとしている最中です。
■デビュー作では“バミリ”もよくわからなかった
――デビュー作のドラマ『じゃない方の彼女』(2021年・テレビ東京)の現場で印象に残っていることはありますか?
豊田 まず、こんなにすごい人数の中で撮ってるの? っていうのにびっくりしました。台本で覚えたセリフを演技としてしゃべるのは不思議だな、とか、“バミリ”もよくわからなかったし、モデルの現場しか知らなかったので驚きの連続でした。監督からは「細かい作業を担うのが役者の仕事なんだよ」というお話をいただいて、その時は何となく理解はできたのですが、今になってその時の言葉の理解が深まったような気がします。
――今年の2〜3月には日テレ系深夜ドラマ『沼る。港区女子高生』で、桜田ひよりさん演じる主人公・えなの彼氏、悠真役で出演されていました。共演者は同世代が多かったと思いますが、どんな現場でしたか?
豊田 すごく刺激を受けました。撮影しながら「ここをこうした方がいいんじゃない?」という意見が飛び交う中、自分も意見を出したり、活発でやる気にあふれる現場でした。桜田ひよりさんは僕より年下ですがキャリアは先輩なので、仕事に対しての想いや関わり方を見て勉強になりました。
豊田裕大に単独取材:『MEN’S NON-NO』モデルから俳優へ 「遊びや余白のある役者になりたい」
映画総合
【 エンタメの未来を彩る光をキャッチ! シリーズ「未来予知」 】
■バスケットボールに打ち込んだ学生時代から一転、『MEN’S NON-NO』モデルに
――2019年、20歳の時にファッション誌『MEN’S NON-NO』の専属モデルとしてデビューされました。応募のきっかけは何でしたか?
豊田 高校生まではバスケットボールに打ち込み、プロのバスケットボール選手を目指していたんです。でも大学へ進学してから、本当にプロ選手としてお金を稼げるのかな? と疑問に感じ始めて、次は何を目指そうか、と考えました。
いろんな選択肢があった中で、役者をやりたいという想いが強くなったのですが、そこを目指すための切符というかフックが欲しくて。『MEN’S NON-NO』のモデルオーディションに合格したら本格的に役者を目指そう、と決めた応募しました。もちろん、単純に『MEN’S NON-NO』という雑誌が好きだというのもあります。
■所属事務所には自ら売り込み!
――現在の事務所に所属するにあたり、TVのドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』にトップコートの渡邊社長が登場されたことが印象にあったそうですね。
豊田 はい。そうです。そのTV番組がきっかけで、自分からトップコートに入りたいと志願しました。でも、放送当時は僕じゃなくて母親が見ていて、「こういう会社で働けたら楽しそうじゃない?」と言ったんです。所属タレントではなくて、スタッフ側で社員として働いたらどうなの? という感じですね。その時点ではモデルでも何でもなかったので、まさか自分が『MEN’S NON-NO』のモデルになって役者にまでなれるとは思っていないじゃないですか。なので、その時からトップコートはいい事務所というイメージがあり、モデルになってから自分で所属したいと願い出ました。
――実際に所属されてみていかがでしたか?
豊田 思っていた印象と変わらなかったです。すごくいい環境でお芝居の仕事をさせてもらえるし、先輩方も俳優業界を引っ張ってくださるような方ばかりだし、事務所のカラーは僕が思い描いていた通りでした。だけど役者業に対しては、一筋縄ではいかないという現実を最近すごく感じているので、そういう部分では必死に食らいついていかないと、と気を引き締めています。
■“役者のマインド”を勉強中
――俳優活動のデビューは2年前、21歳の時ですね。モデルの仕事と違って戸惑ったことはありますか?
豊田 戸惑いっぱなしです。役者とモデルは全然違います。演技の世界はルールや専門用語も多いし、“役者のマインド”みたいなものも知らないままだったので。やっと今年に入ったくらいから、少しずつ役者という立場への理解や、仕事に対してもっとストイックにできる部分がまだあるなと気がついているような感じです。
――どういうところで気づきがあったのですか?
豊田 映画『銀河鉄道の父』の撮影現場で、父親役の役所広司さん、兄・宮沢賢治役の菅田将暉さんはじめ、共演者の皆さんの姿を通して、どういう風に役者という仕事に向き合っているんだろうというのが知れたという部分はあります。今もまだ理解を深めようとしている最中です。
■デビュー作では“バミリ”もよくわからなかった
――デビュー作のドラマ『じゃない方の彼女』(2021年・テレビ東京)の現場で印象に残っていることはありますか?
豊田 まず、こんなにすごい人数の中で撮ってるの? っていうのにびっくりしました。台本で覚えたセリフを演技としてしゃべるのは不思議だな、とか、“バミリ”もよくわからなかったし、モデルの現場しか知らなかったので驚きの連続でした。監督からは「細かい作業を担うのが役者の仕事なんだよ」というお話をいただいて、その時は何となく理解はできたのですが、今になってその時の言葉の理解が深まったような気がします。
――今年の2〜3月には日テレ系深夜ドラマ『沼る。港区女子高生』で、桜田ひよりさん演じる主人公・えなの彼氏、悠真役で出演されていました。共演者は同世代が多かったと思いますが、どんな現場でしたか?
豊田 すごく刺激を受けました。撮影しながら「ここをこうした方がいいんじゃない?」という意見が飛び交う中、自分も意見を出したり、活発でやる気にあふれる現場でした。桜田ひよりさんは僕より年下ですがキャリアは先輩なので、仕事に対しての想いや関わり方を見て勉強になりました。
【なぜ?】“火球”が西日本の各地で続々と目撃! GW中に“流星群”も
防犯カメラに映った、夜空を流れる大きな光の球。“火球”です。
続くように、さらに2つの光が流れ落ちます。
【画像】岡山では約1週間に4回も 撮影者は
4月28日午後9時15分頃から、大阪や徳島、岡山、広島など西日本の各地で、強い光を放つ火球が落下する様子が相次いで目撃されました。
岡山県内で火球を撮影したという人は…。
撮影者:
今回、ちょうど半月が近くにあったんですけど、比較するものがあるので「明るいな」という感じはしたんですけど。
映像を見ると、確かにその光は月と同じぐらいの明るさで光っているようにも見えます。
撮影者によると4月22日に2回。さらに同月27日、そして28日と1週間ほどで火球を4回撮影できたといいます。
西日本各地で多くの火球が目撃された理由について、専門家は以下のように推察します。
神奈川・平塚市博物館 藤井大地学芸員:
「散在流星(宇宙に散らばっている粒)」だったと思います。「こと座流星群」が4月22日~23日にかけてピークを迎えましたので、こと座流星群の火球も含まれているかもしれません。さらに、今回のゴールデンウィーク期間中にも“不思議な流星群”が見られるチャンスがあるといいます。
神奈川・平塚市博物館 藤井大地学芸員:
GWの終わりぐらいに毎年やってくる「みずがめ座η(エータ)流星群」という流れ星があります。5月6日の明け方にピークを迎えるんですが、地平線から流れ星が昇ってくるように流れる特徴があります。
「めざまし8」に出演したモデルの長谷川ミラさんは、GW中に見られるかもしれない「流れ星」について期待を膨らませます。
長谷川ミラ:
流れ星見たことないので。映像の“火球”、勢いすごいですね。すごく見えやすくて。GW中…6日前後ですね?見えるかもしれない…見たい!
皆さんもゴールデンウィークの“締め”は、夜空を見上げて「流れ星」を探してみてはいかがでしょうか?
(めざまし8「NewsTag」より 5月1日放送)
めざまし8
防犯カメラに映った、夜空を流れる大きな光の球。“火球”です。
続くように、さらに2つの光が流れ落ちます。
【画像】岡山では約1週間に4回も 撮影者は
4月28日午後9時15分頃から、大阪や徳島、岡山、広島など西日本の各地で、強い光を放つ火球が落下する様子が相次いで目撃されました。
岡山県内で火球を撮影したという人は…。
撮影者:
今回、ちょうど半月が近くにあったんですけど、比較するものがあるので「明るいな」という感じはしたんですけど。
映像を見ると、確かにその光は月と同じぐらいの明るさで光っているようにも見えます。
撮影者によると4月22日に2回。さらに同月27日、そして28日と1週間ほどで火球を4回撮影できたといいます。
西日本各地で多くの火球が目撃された理由について、専門家は以下のように推察します。
神奈川・平塚市博物館 藤井大地学芸員:
「散在流星(宇宙に散らばっている粒)」だったと思います。「こと座流星群」が4月22日~23日にかけてピークを迎えましたので、こと座流星群の火球も含まれているかもしれません。さらに、今回のゴールデンウィーク期間中にも“不思議な流星群”が見られるチャンスがあるといいます。
神奈川・平塚市博物館 藤井大地学芸員:
GWの終わりぐらいに毎年やってくる「みずがめ座η(エータ)流星群」という流れ星があります。5月6日の明け方にピークを迎えるんですが、地平線から流れ星が昇ってくるように流れる特徴があります。
「めざまし8」に出演したモデルの長谷川ミラさんは、GW中に見られるかもしれない「流れ星」について期待を膨らませます。
長谷川ミラ:
流れ星見たことないので。映像の“火球”、勢いすごいですね。すごく見えやすくて。GW中…6日前後ですね?見えるかもしれない…見たい!
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(めざまし8「NewsTag」より 5月1日放送)
めざまし8
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