#天空 地球 身體 生活# 老いをみるまなざし
第33回 死の予感
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
2020年4月14日
私は車を運転しながら音楽を聴くのが好きである。
車の速度と音楽のリズムがほどよく調和した車を運転して、街の景色を後方に追いやり、前方の青空に向かって前進すると、心地よい過去が蘇り、明るい未来に進んで行くような気分になる。
この世は捨てがたく生きているのがまんざら悪くはないと思うのである。
私がカーステレオに録音してあるのはスーパーの特売で買ったCDや高速道路のパーキングエリアの売店で買ったものである。
1960年代から70年代にかけて流行った青春ソングが多い。
その日はマヒナスターズが歌う「北上夜曲」と、さだまさしの「精霊流し」を車で聴いた。どちらも死と愛の歌である。
あの頃の青春ソングは悲しい。
愛と死は近くにあったと、しみじみ実感して車を降りていつものスーパーへ買い物に行った。
イチゴが並べてあった。
濡れているようなイチゴを見て、妻を思い出した。「妻が生きていたときに一緒に食べたなー」と感傷に浸りそうになって、気がついた。
そういえば妻はまだ生きている。
妻は小児科医である。数日前にコロナに感染している可能性がある患者を診たといって帰宅した。妻が感染していた可能性があったのだ。
私への感染を恐れた私たちは別室で暮らしマスク越しに会話をして、食事も別々に取る暮らしをしていた。
妻の診た患者は陰性であったと判明したのは次の日であった。
1953年:某日
私は信州の田舎の小学生であった。
稲穂がつぼみになり始めた頃で、田んぼに田ノ草を取る人がいた。
ひまわりの花が退屈を誘っていた昼さがりであった。
天竜川の土手に向かって走っていく人が見えた。田ノ草を取っていたおばさんも裸足で土手に向かって走った。どこからか現れた男たちも土手を走っていた。田舎に衝撃が走った。半鐘がなった。
私も土手に向かって走った。
現場に着くと母親が子供の足を泣きながら撫でていた。
天竜川で遊んでいた小学生が流されて溺死したのだった。
真夜中にノックもせずに玄関のドアを開けて「死んじゃったよ!!」と絶叫する女性がいた。隣家のお嫁さんが出産時に死んだのだ。それを知らせるために妹が泣き叫んで知らせにきたのだった。
秋祭りの屋台の縄張りのいざこざで若い男が中年の男に刺されて死ぬのを目の前で見た。
何百万人もの人の死を置き去りにして終わった戦争は、終わった後もしばらくは死の余韻を社会に残していた。
老人は家で寝付き家族に見守られて死んでいった。
死は隣にあって昨日までいた人が突然いなくなった。
死はいつでも不意に訪れた。
そして死は日常の中にあった。
多くの人は老人になる前に死んだ。
2020年4月29日
私の勤めているクリニックへ発熱した患者が受診してきた。22歳の男性であった。
「今朝から発熱している。一緒に働いている同僚が発熱で休んでいる」ということであった。
発熱の患者が来るとクリニックに緊張感が走る。
新型コロナへの感染防御のために別室へ誘導して待たせておいた。
私は全身を防具で固めてマスクをしてゴーグルを掛けて手袋をはめて、待たせてある診察室へ出かけた。
防具を身につける手伝いをしてくれた看護師が私の腰の周りに紐を巻きつけながら「先生の感染が一番心配なのよね!」と言った。
図:老いをみるまなざし_第33回死の予感_挿絵
(イラスト:茶畑和也)
第33回 死の予感
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
2020年4月14日
私は車を運転しながら音楽を聴くのが好きである。
車の速度と音楽のリズムがほどよく調和した車を運転して、街の景色を後方に追いやり、前方の青空に向かって前進すると、心地よい過去が蘇り、明るい未来に進んで行くような気分になる。
この世は捨てがたく生きているのがまんざら悪くはないと思うのである。
私がカーステレオに録音してあるのはスーパーの特売で買ったCDや高速道路のパーキングエリアの売店で買ったものである。
1960年代から70年代にかけて流行った青春ソングが多い。
その日はマヒナスターズが歌う「北上夜曲」と、さだまさしの「精霊流し」を車で聴いた。どちらも死と愛の歌である。
あの頃の青春ソングは悲しい。
愛と死は近くにあったと、しみじみ実感して車を降りていつものスーパーへ買い物に行った。
イチゴが並べてあった。
濡れているようなイチゴを見て、妻を思い出した。「妻が生きていたときに一緒に食べたなー」と感傷に浸りそうになって、気がついた。
そういえば妻はまだ生きている。
妻は小児科医である。数日前にコロナに感染している可能性がある患者を診たといって帰宅した。妻が感染していた可能性があったのだ。
私への感染を恐れた私たちは別室で暮らしマスク越しに会話をして、食事も別々に取る暮らしをしていた。
妻の診た患者は陰性であったと判明したのは次の日であった。
1953年:某日
私は信州の田舎の小学生であった。
稲穂がつぼみになり始めた頃で、田んぼに田ノ草を取る人がいた。
ひまわりの花が退屈を誘っていた昼さがりであった。
天竜川の土手に向かって走っていく人が見えた。田ノ草を取っていたおばさんも裸足で土手に向かって走った。どこからか現れた男たちも土手を走っていた。田舎に衝撃が走った。半鐘がなった。
私も土手に向かって走った。
現場に着くと母親が子供の足を泣きながら撫でていた。
天竜川で遊んでいた小学生が流されて溺死したのだった。
真夜中にノックもせずに玄関のドアを開けて「死んじゃったよ!!」と絶叫する女性がいた。隣家のお嫁さんが出産時に死んだのだ。それを知らせるために妹が泣き叫んで知らせにきたのだった。
秋祭りの屋台の縄張りのいざこざで若い男が中年の男に刺されて死ぬのを目の前で見た。
何百万人もの人の死を置き去りにして終わった戦争は、終わった後もしばらくは死の余韻を社会に残していた。
老人は家で寝付き家族に見守られて死んでいった。
死は隣にあって昨日までいた人が突然いなくなった。
死はいつでも不意に訪れた。
そして死は日常の中にあった。
多くの人は老人になる前に死んだ。
2020年4月29日
私の勤めているクリニックへ発熱した患者が受診してきた。22歳の男性であった。
「今朝から発熱している。一緒に働いている同僚が発熱で休んでいる」ということであった。
発熱の患者が来るとクリニックに緊張感が走る。
新型コロナへの感染防御のために別室へ誘導して待たせておいた。
私は全身を防具で固めてマスクをしてゴーグルを掛けて手袋をはめて、待たせてある診察室へ出かけた。
防具を身につける手伝いをしてくれた看護師が私の腰の周りに紐を巻きつけながら「先生の感染が一番心配なのよね!」と言った。
図:老いをみるまなざし_第33回死の予感_挿絵
(イラスト:茶畑和也)
#义忍[超话]# 一点樱花妹写的义忍的磕点
作者立场在我看来相对中立并有一定代表性(写的也挺好品)
这两篇都挺好磕的但篇幅太长就只抓了重点
原文:
実は、この「柱相関言行録」には、気になることが書かれているのです。最年長者であり、みんなが認める「頼れる男」岩柱・悲鳴嶼行冥がしのぶについて、「冨岡と話すのが楽しそう。」、義勇について「胡蝶と話すのが楽しいらしい。」と挙げています。しのぶは、誰と話す時も笑顔なのに、義勇と話す時だけ「楽しそう」だったのは、なぜでしょう?
そして、しのぶの話にもつれない感じの義勇が、「楽しいらしい」というのも驚きます。「らしい」というからには、無口な義勇が悲鳴嶼さんに「胡蝶と話すのは楽しい」と語ったということなのか、もしくは目が見えない分「大勢の人間を心の目で見てきた」という悲鳴嶼さんが、しのぶと話している義勇が楽しそうと見抜いたのかと思うと、驚きは倍増です。
これは、犬猿どころか、お互いへの好意はある(恋まではいかないにせよ)とみて間違いはなさそう。そう思って、これまでのやり取りを見ると、しのぶのかわいさや義勇の無表情の下に隠れた笑顔も、よりイメージが浮かびます。
ちなみに、原作マンガを読むと、意外な「おまけ」があります。那田蜘蛛山の任務に向かう回のおまけページにあった、義勇を「つんつん」するしのぶや、第5巻のカバー下の本体表紙で義勇を「つんつん」するしのぶを見て、「このふたり、もしかして……」と思ったファンもいるかもしれません。このしのぶの「つんつん」は、「壁ドン」や「顎クイ」にも負けていない、愛情表現にも見えます。
简译:()内为我的补充,「」为原作补充
实际上,在这本"支柱相关言行录"中,有一件非常令人在意的事情。关于最年长者,也是大家公认的"可靠的男人"岩柱•悲鸣屿行冥在关于忍的评价中举出了有关于这样的例子:"和富冈说话好像很开心。"、在有关义勇的评价中也有"好像和胡蝶说话很开心。"这样的例子。忍,和谁说话的时候都是笑脸,但只有在和义勇说话的时候才会"看起来很开心",这是为什么呢?
而且,不纠结于忍的话(大概是挖苦他的那些话)的义勇,在和忍说话时"好像很开心"也令人吃惊。说到"好像",也许是沉默寡言的义勇对悲鸣屿说过"和胡蝶说话很开心",或者说是因为眼睛看不见所以"用心灵的眼睛看了很多人"的悲鸣屿和紫乃舞说话的义勇很轻松。一想到悲鸣屿已经看穿了义勇的想法,就更加令人惊讶了。
这岂止不是水火不容,看来是对彼此都有好感「即使没有发展到恋爱的程度」。这么一想,再看看到目前为止的对话,就更能想象出紫乃舞的可爱和义勇面无表情的面容下隐藏的笑容了。
顺便一提,如果去读原作漫画的话,将会有意外的"赠品"。在前往那田蜘蛛山执行任务的那一回的赠品页上,可以看到对义勇"戳戳"的忍,在第5卷封面下的实体封面上也看到了"戳戳"义勇的忍。“这两个人,莫非是.....”可能有粉丝会这么想。这样看来,忍的"戳戳",是一种不输给"壁咚"和“下巴嘳”(大概就是男生用手抬起女生下巴的动作)的对爱情的表达。
作者立场在我看来相对中立并有一定代表性(写的也挺好品)
这两篇都挺好磕的但篇幅太长就只抓了重点
原文:
実は、この「柱相関言行録」には、気になることが書かれているのです。最年長者であり、みんなが認める「頼れる男」岩柱・悲鳴嶼行冥がしのぶについて、「冨岡と話すのが楽しそう。」、義勇について「胡蝶と話すのが楽しいらしい。」と挙げています。しのぶは、誰と話す時も笑顔なのに、義勇と話す時だけ「楽しそう」だったのは、なぜでしょう?
そして、しのぶの話にもつれない感じの義勇が、「楽しいらしい」というのも驚きます。「らしい」というからには、無口な義勇が悲鳴嶼さんに「胡蝶と話すのは楽しい」と語ったということなのか、もしくは目が見えない分「大勢の人間を心の目で見てきた」という悲鳴嶼さんが、しのぶと話している義勇が楽しそうと見抜いたのかと思うと、驚きは倍増です。
これは、犬猿どころか、お互いへの好意はある(恋まではいかないにせよ)とみて間違いはなさそう。そう思って、これまでのやり取りを見ると、しのぶのかわいさや義勇の無表情の下に隠れた笑顔も、よりイメージが浮かびます。
ちなみに、原作マンガを読むと、意外な「おまけ」があります。那田蜘蛛山の任務に向かう回のおまけページにあった、義勇を「つんつん」するしのぶや、第5巻のカバー下の本体表紙で義勇を「つんつん」するしのぶを見て、「このふたり、もしかして……」と思ったファンもいるかもしれません。このしのぶの「つんつん」は、「壁ドン」や「顎クイ」にも負けていない、愛情表現にも見えます。
简译:()内为我的补充,「」为原作补充
实际上,在这本"支柱相关言行录"中,有一件非常令人在意的事情。关于最年长者,也是大家公认的"可靠的男人"岩柱•悲鸣屿行冥在关于忍的评价中举出了有关于这样的例子:"和富冈说话好像很开心。"、在有关义勇的评价中也有"好像和胡蝶说话很开心。"这样的例子。忍,和谁说话的时候都是笑脸,但只有在和义勇说话的时候才会"看起来很开心",这是为什么呢?
而且,不纠结于忍的话(大概是挖苦他的那些话)的义勇,在和忍说话时"好像很开心"也令人吃惊。说到"好像",也许是沉默寡言的义勇对悲鸣屿说过"和胡蝶说话很开心",或者说是因为眼睛看不见所以"用心灵的眼睛看了很多人"的悲鸣屿和紫乃舞说话的义勇很轻松。一想到悲鸣屿已经看穿了义勇的想法,就更加令人惊讶了。
这岂止不是水火不容,看来是对彼此都有好感「即使没有发展到恋爱的程度」。这么一想,再看看到目前为止的对话,就更能想象出紫乃舞的可爱和义勇面无表情的面容下隐藏的笑容了。
顺便一提,如果去读原作漫画的话,将会有意外的"赠品"。在前往那田蜘蛛山执行任务的那一回的赠品页上,可以看到对义勇"戳戳"的忍,在第5卷封面下的实体封面上也看到了"戳戳"义勇的忍。“这两个人,莫非是.....”可能有粉丝会这么想。这样看来,忍的"戳戳",是一种不输给"壁咚"和“下巴嘳”(大概就是男生用手抬起女生下巴的动作)的对爱情的表达。
⭐️
伊吹重蔵は、川筋船頭として颯爽と生きたそんな若き日の父親のお話を母の寝物語に聞きながら、炭鉱の子として育ったのだった。
おまえもおっちゃんのごつ、キリクさんと人に言われるような男にならにゃいかんばい」と母親は物語の最後に必ずそんな言葉をつけくわえた。
重蔵は夢の中で、大船小舟が上下する遠賀川の雄大な姿を何度となく見たものだ。そのなかで父の伊吹耕平は、いつも船のへさきに腕組みしてあたりを睥睨している男らしい風貌で登場するのだった。
だが、実際には伊吹耕平は五尺そこそこの貧相な小男にすぎなかった。重蔵の大きな体を、母親の血から受けついでいたようだ。
<キリクサン>と呼ばれる川筋気質の明るい側面だけが、父親耕平が息子と孫に伝えた無形の遺産だったと言えるだろう。
------「さがり蜘蛛」------
伊吹重蔵は、川筋船頭として颯爽と生きたそんな若き日の父親のお話を母の寝物語に聞きながら、炭鉱の子として育ったのだった。
おまえもおっちゃんのごつ、キリクさんと人に言われるような男にならにゃいかんばい」と母親は物語の最後に必ずそんな言葉をつけくわえた。
重蔵は夢の中で、大船小舟が上下する遠賀川の雄大な姿を何度となく見たものだ。そのなかで父の伊吹耕平は、いつも船のへさきに腕組みしてあたりを睥睨している男らしい風貌で登場するのだった。
だが、実際には伊吹耕平は五尺そこそこの貧相な小男にすぎなかった。重蔵の大きな体を、母親の血から受けついでいたようだ。
<キリクサン>と呼ばれる川筋気質の明るい側面だけが、父親耕平が息子と孫に伝えた無形の遺産だったと言えるだろう。
------「さがり蜘蛛」------
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