宙組トップ娘役・潤花、退団公演に向けての思いhttps://t.cn/A6CEmvFf
「小池先生の作品には、意思の強い、行動力のある女性が描かれている印象がありますが、今回はより、生きていて気持ちのいいくらい、一生懸命に行動していく女性だと感じています。ロマノフ家の末裔という立場があるからこそ、自分にできることをがむしゃらに頑張っている。こういう女性って素敵だなとすごく思えるお役なので、しっかり作っていきたいです」。
「いつも稽古場では時間があればお話をしてくださいます。今回もかなりの時間を一緒に過ごさせていただいていて、ゆりかさん(真風)からいただくお言葉で、役の道が開けていっています」。役や作品との向き合い方も、真風と出会うことで変化していった。「私もデルフィーヌのように、こうと思ったら突っ走ってしまうところがあるのですが、ゆりかさんと出会ってから、“ただただ頑張っても、見えているところが狭くなっちゃうよ”と教えていただいて、公演ごとに自分の頑張り方を変えていきました。今も変わらずお稽古での濃い時間は必要ですが、周りが見えなくなるほどがむしゃらにというのは、段々となくなってきたと思います」。
「相手役としてずっと一緒に作品を作っていくにあたって一番大切にしてほしいことは、人と人として向き合うということ。ゆりかさんは上級生で私は下級生という関係性ではありますが、ありのままでぶつかってきてほしいと言っていただき、感動しました。これから作品の中で一緒に生きていく時間は、すごく価値のあるものになるだろうなと、そのときにすごく感じました」。
「皆さん、観ていただいたら椅子ごとひっくり返ると思います。それくらい、おかしいほど素敵。原作を好きな方も、宝塚をご存じない方も、きっとゆりかさんが演じられるボンドのファンになられるんじゃないかなと。セリフを言うところも、歌われるところも、ひとつひとつの仕草がゆりかさんボンドとして仕上がっていて。銃やハットなどの小道具の使いこなしも、たくさんの大好きポイントを見つけられるんじゃないかなと思うので、楽しみにしていただきたいです」。 2016年に入団し、雪組に配属。2020年に宙組へ組替えとなった潤。この約7年の宝塚生活で「出会いの奇跡をすごく感じた」と話す。「この世界に入らなければと出会えなかった方々がたくさんいて。雪組の皆さんも、宙組の皆さんも、先生方やスタッフの方々も、いろんな方々との出会いの奇跡を思うと、毎日幸せを感じます」。そんな奇跡を感じながら、最後の公演に向けて「最後の最後まで、宙組の皆さんと一緒に熱量を持って進んでいきたい」と力を込める。その姿を劇場で見届けたい。
「小池先生の作品には、意思の強い、行動力のある女性が描かれている印象がありますが、今回はより、生きていて気持ちのいいくらい、一生懸命に行動していく女性だと感じています。ロマノフ家の末裔という立場があるからこそ、自分にできることをがむしゃらに頑張っている。こういう女性って素敵だなとすごく思えるお役なので、しっかり作っていきたいです」。
「いつも稽古場では時間があればお話をしてくださいます。今回もかなりの時間を一緒に過ごさせていただいていて、ゆりかさん(真風)からいただくお言葉で、役の道が開けていっています」。役や作品との向き合い方も、真風と出会うことで変化していった。「私もデルフィーヌのように、こうと思ったら突っ走ってしまうところがあるのですが、ゆりかさんと出会ってから、“ただただ頑張っても、見えているところが狭くなっちゃうよ”と教えていただいて、公演ごとに自分の頑張り方を変えていきました。今も変わらずお稽古での濃い時間は必要ですが、周りが見えなくなるほどがむしゃらにというのは、段々となくなってきたと思います」。
「相手役としてずっと一緒に作品を作っていくにあたって一番大切にしてほしいことは、人と人として向き合うということ。ゆりかさんは上級生で私は下級生という関係性ではありますが、ありのままでぶつかってきてほしいと言っていただき、感動しました。これから作品の中で一緒に生きていく時間は、すごく価値のあるものになるだろうなと、そのときにすごく感じました」。
「皆さん、観ていただいたら椅子ごとひっくり返ると思います。それくらい、おかしいほど素敵。原作を好きな方も、宝塚をご存じない方も、きっとゆりかさんが演じられるボンドのファンになられるんじゃないかなと。セリフを言うところも、歌われるところも、ひとつひとつの仕草がゆりかさんボンドとして仕上がっていて。銃やハットなどの小道具の使いこなしも、たくさんの大好きポイントを見つけられるんじゃないかなと思うので、楽しみにしていただきたいです」。 2016年に入団し、雪組に配属。2020年に宙組へ組替えとなった潤。この約7年の宝塚生活で「出会いの奇跡をすごく感じた」と話す。「この世界に入らなければと出会えなかった方々がたくさんいて。雪組の皆さんも、宙組の皆さんも、先生方やスタッフの方々も、いろんな方々との出会いの奇跡を思うと、毎日幸せを感じます」。そんな奇跡を感じながら、最後の公演に向けて「最後の最後まで、宙組の皆さんと一緒に熱量を持って進んでいきたい」と力を込める。その姿を劇場で見届けたい。
#窪田啓子[超话]#更推
Billboard横浜さんでのライブ2ndステージが終わって、今またアドレナリンの渦にのまれてます。
文章も書いては消しての繰り返しです。
今日はまだ大阪公演があるので、気持ちを閉じ込めてのんびり火消しします。
今日の日に携わってくれた全ての方にありがとうございます!
ライブ最高です。KEIKO
——————————
おはよーございます。
全然寝れていない人がここにいます笑
久しぶりのソロライブで色々心の変化があった濃い一日で、
お客さんとのコミュニケーションも笑い合える環境も、懐かしいLIVE会場の姿だったことが鮮明に脳裏に浮かんでニマニマしてる。大阪に会いに行ける、続きがあるのが嬉しい!KEIKO
Billboard横浜さんでのライブ2ndステージが終わって、今またアドレナリンの渦にのまれてます。
文章も書いては消しての繰り返しです。
今日はまだ大阪公演があるので、気持ちを閉じ込めてのんびり火消しします。
今日の日に携わってくれた全ての方にありがとうございます!
ライブ最高です。KEIKO
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おはよーございます。
全然寝れていない人がここにいます笑
久しぶりのソロライブで色々心の変化があった濃い一日で、
お客さんとのコミュニケーションも笑い合える環境も、懐かしいLIVE会場の姿だったことが鮮明に脳裏に浮かんでニマニマしてる。大阪に会いに行ける、続きがあるのが嬉しい!KEIKO
#健康身体 健康地球 健康生活#
〔老いをみるまなざし〕
第23回 人生の頂点
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
私の子供時代は大人びた子供であった。いつでも大人の顔色を窺っていた。
何時の時代でもそういう子供は大人から嫌われるものだ。
今私の目の前に私の子供時代の子供が現れたら私はその子を嫌いになるだろう。
私の生まれながらの性格というよりは私の育っていた家庭環境がそうさせていたのであろう。
だから子供の振りをするのだがそれも見抜かれて、更に媚びをうって、もっと嫌われるという悪循環を繰り返していた。
小学校の先生には嫌われるというよりは積極的にいじめられていた。
勉強は努力しなくてもできたが、勉強ができるのは先生のしゃくの種にしかならなかった。
私は早く大人になりたいと子供心に願っていた。
高校から大学生の時代は社会の中における自分の位置が不明で情緒不安に悩まされていた。
自分の心が浮遊していて捕まえることができなかった。
私の心は風船のようで、浮遊先を予測できず、不意打ちのように心が沈んでしまう時には、手の施しようがなかった。
私は早く30歳を超えたいと願った。
30歳になれば私の風船は穏やかな気流に乗るだろうと思っていた。
しかし30代になると風船は気流にもまれて乱高下を繰り返した。それは40代になっても変ることはなかった。
私はとにかく早く時が過ぎることを願っていた。
50代の後半で国立大学の病院長をやっていた時は、悩みは深かった。
国立大学が法人化されたときの初代院長であった。
職員は予測できない将来に失望し、職種間のいがみ合いも日常的になった。
私はわが身を襲う理不尽な不幸を振り払うすべを知らなかった。
ただひたすら時がたって平穏な地平へ抜け出ることを願っていた。
私の外来にその病院の元院長が通院していた。
その当時70代の半ばであった先輩に尋ねた。
「この先、私の人生で何かいいことがあるでしょうか?」
「ありますよ」とその先輩は言ってくれた。
「いいことってどんなことですか?」と私は更に聞いた。
「うつらうつらすることですよ」と先輩は答えた。
そして私は今、その頃の先輩と同じ70代になった。
昼飯を食べた後の14時頃になると椅子に座ったまま、うつらうつらするこの頃である。
もう先を急ぐ必要はなくなった。
さすがに早く年を取りたいとも思わなくなった。
私のクリニックの外来には学生ばかりではなく、様々な世代の患者たちが受診する。
40代の人もいれば50代の人もいる。
どの世代にも共通して言えることは、誰もがその年齢の時が人生の頂点だとは思っていないことである。
図:老いをみるまなざし_第23回人生の頂点_挿絵
(イラスト:茶畑和也)
〔老いをみるまなざし〕
第23回 人生の頂点
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
私の子供時代は大人びた子供であった。いつでも大人の顔色を窺っていた。
何時の時代でもそういう子供は大人から嫌われるものだ。
今私の目の前に私の子供時代の子供が現れたら私はその子を嫌いになるだろう。
私の生まれながらの性格というよりは私の育っていた家庭環境がそうさせていたのであろう。
だから子供の振りをするのだがそれも見抜かれて、更に媚びをうって、もっと嫌われるという悪循環を繰り返していた。
小学校の先生には嫌われるというよりは積極的にいじめられていた。
勉強は努力しなくてもできたが、勉強ができるのは先生のしゃくの種にしかならなかった。
私は早く大人になりたいと子供心に願っていた。
高校から大学生の時代は社会の中における自分の位置が不明で情緒不安に悩まされていた。
自分の心が浮遊していて捕まえることができなかった。
私の心は風船のようで、浮遊先を予測できず、不意打ちのように心が沈んでしまう時には、手の施しようがなかった。
私は早く30歳を超えたいと願った。
30歳になれば私の風船は穏やかな気流に乗るだろうと思っていた。
しかし30代になると風船は気流にもまれて乱高下を繰り返した。それは40代になっても変ることはなかった。
私はとにかく早く時が過ぎることを願っていた。
50代の後半で国立大学の病院長をやっていた時は、悩みは深かった。
国立大学が法人化されたときの初代院長であった。
職員は予測できない将来に失望し、職種間のいがみ合いも日常的になった。
私はわが身を襲う理不尽な不幸を振り払うすべを知らなかった。
ただひたすら時がたって平穏な地平へ抜け出ることを願っていた。
私の外来にその病院の元院長が通院していた。
その当時70代の半ばであった先輩に尋ねた。
「この先、私の人生で何かいいことがあるでしょうか?」
「ありますよ」とその先輩は言ってくれた。
「いいことってどんなことですか?」と私は更に聞いた。
「うつらうつらすることですよ」と先輩は答えた。
そして私は今、その頃の先輩と同じ70代になった。
昼飯を食べた後の14時頃になると椅子に座ったまま、うつらうつらするこの頃である。
もう先を急ぐ必要はなくなった。
さすがに早く年を取りたいとも思わなくなった。
私のクリニックの外来には学生ばかりではなく、様々な世代の患者たちが受診する。
40代の人もいれば50代の人もいる。
どの世代にも共通して言えることは、誰もがその年齢の時が人生の頂点だとは思っていないことである。
図:老いをみるまなざし_第23回人生の頂点_挿絵
(イラスト:茶畑和也)
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