#日向坂46[超话]##宮田愛萌# @manamomiyata_official
本屋にいないときは「今の髪色かわいいなぁ」といつでも考えているのに、本屋にいるときは本のことしか考えていない
と、ぼんやり考え事をしながら本屋を出たら、紙袋の持ち手がとれて、レジに逆戻りした。両手で足りるだけの本しか買っていないので、おそらく持ち方が悪かったんだろうなと少し恥ずかしかった。
19円の紙袋。
*
書きながら気がついた。
私は自分の時間を、
「本屋にいる」と「本屋にいない」でわけているみたい。
おもしろ。
本屋にいないときは「今の髪色かわいいなぁ」といつでも考えているのに、本屋にいるときは本のことしか考えていない
と、ぼんやり考え事をしながら本屋を出たら、紙袋の持ち手がとれて、レジに逆戻りした。両手で足りるだけの本しか買っていないので、おそらく持ち方が悪かったんだろうなと少し恥ずかしかった。
19円の紙袋。
*
書きながら気がついた。
私は自分の時間を、
「本屋にいる」と「本屋にいない」でわけているみたい。
おもしろ。
#健康身体 健康地球 健康生活#
〔100歳になっても安心して活きる家づくり〕
第1回 これからの住まいは狭いほうが暮らしやすい
公開日:2018年5月24日 11時16分
更新日:2020年2月26日 14時03分
天野 彰(あまの あきら)
建築家
住まいは"せまい"と読む?
住まいの問題点は"狭い"ことである。私は「都市の住すまいは"せまい"と読む!」といっている。広くすればコストは嵩かさみ、経済的に狭くなる。広さを求めて遠くのそのまた遠くへ引っ越せば、通勤通学に時間がかかり、付き合いがなくなり、世間が狭くなる。老いて広ければ暖房費が嵩み、何より寂しい。まさに現代社会の住まいは"せまい"でいいのである。ましてや老いて掃除のために人生を費やしてもいけない。家の手入れに貴重な老後資金を食われてもいけない。つまり家にかけがいのない人生を拘束されてはいけないのである。
利便性が高いIT時代の住まいは、かつてほどスペースを必要としない。食料を多く買い込む必要もない。テレビも薄く、パソコンもパッド1枚で済む。蔵書も思い出のアルバム以外は必要としない。住む場所の無駄なスペース、無駄な空間を"空ける"ことである。
その「空間」とは"空"の"間"のことである。もともと日本の住まいの思想には、この"間"が重要で、それは"空"をつくるための柱と柱の間である。つまりその柱の間は何もない"空"なのだ。これこそが真の意味のspaceで、私たち日本人はこの仕切りのない屋根だけの「傘の家」の"空"を自在に操って暮らしてきた。
近年、急激に西欧化が進み、分厚い壁に囲まれた「箱の家」と化し、その壁に囲まれた空間はまさしく「部屋」となり、それぞれ特定の用途のあるroomとなった。その部屋が連続する家は、家族が育ち出ていって、その後はまるで抜け殻のような家に老いて暮らすことになる。
なにやらむずかしそうな話になったが・・・、なんてことはない。私たちが生まれ育ったほんのこの間の家を思い出せばいいのである。それは"人"が何かをする"場と所"が優先で、それを「間取り」と称していた。その原点はあくまで「人のすること」「活きていくこと」で、そこが炊事場であり風呂場であり、さらには寝所に便所であった。
今、広く使いにくくなった家に住む人は、自分のために"活きるため"の"場と所"を考え、家をリフォームすることが何よりも得策だ。といっても何も大袈裟なことではなく、壁や間仕切りを取り払って開放し、最小限のわが"場と所"をつくればいい。余ったスペースは下宿やアパートとして人に貸すなり、子ども家族が使える場として残しておいてもいい。戸建てなら一部を壊して貸ガレージにするなり、半分を売ってコンパクトに建て替えてもいい。この先に何が起ころうとも身軽に柔軟に活きていくのだ。
このコンパクトな家とは、囲いのないワンルームをイメージすればいい。ひところ投機目的の一部屋マンションがあったが、ここでいうワンルームとは隔てのない自在に暮らせる家をいう。プライバシーが必要な時、いずこから仕切りや目隠しが現れ、仕切られる"時"を優先した豊かな空間となる。まさしく「食う寝るところ住む処」の熊さん八っつぁんの、あの九尺二間の江戸の裏長屋の暮らしで、家族に"時"があった頃の家の再現となる。この"時"の"間"こそ「時間」で、個になりたい時、日常的の時、病気や来客の非日常の時、さらには家族の変化、老いて不自由になった時など、ライフサイクルにも柔軟に適応する。なんと江戸の裏長屋では枕屏風1つで見事に演じられていたのである。それを今は襖や障子などで自在に仕切ればいい。これこそわが国で固有に培われた住まいの本質である。
減築で「狭楽しく」住む
狭さ広さの感覚であるが、私はこの忘れかけられた先人たちの偉大な設計手法をおおいに参考にさせてもらっている。あの竜安寺の石庭の"遠近法"による空間拡大の錯視(さくし)は見事なもので、その平面計画と視覚心理は、まさにトリックともいえる。玄関から庭が見える位置から長辺の塀、そして突き当たりの短辺の塀の高さがコーナーに向かって徐々に低くなっている(写真)。そのため、互いの辺の距離は遠くに感じられ、囲まれた石庭は実際より広く感じられる。
写真:遠近法による錯視の手法を用いた京都の竜安寺の石庭
写真:京都の竜安寺の石庭。次第に低くなっていく塀による錯視
そればかりか庭と客人の位置関係がダイアゴナル、すなわち対角線の位置にある。塀の高さの立体的な遠近手法に加え、辺より√2倍の奥行きを感じさせるダイアゴナル平面手法を用いてもいる。私の「ダイアゴナル平面計画手法」(図1)もこの庭から生まれたものだ。
図1:対角線の位置関係を表すダイアゴナルの平面図例
図1:「狭楽し手法」のダイアゴナル平面図例
冒頭の都市の住(せ)まいを考えると、どこも誰にとっても狭い。しかも狭"苦"しい。しかし、広い家は経済的に狭く、郊外に越せば世間が狭くなる。この"三つ巴の狭さ"からは永遠に逃れることはできない。ならば、この狭苦しさの"苦"さえ取り除けば"楽"になる。さらにはもっと"楽しく"すればよい。これが「狭楽しさ」の発想となった。
この手法は、さっそくある都市の家の増改築に用いた。敷地いっぱいに建つ家をさらに増築をしようという。見ると家の北側に物置同然の部屋がいくつもあり、閉塞状態の家で風通しも悪い。そこで提案は、増築どころか「北の真ん中の部屋を取り除きましょう」というものだ。結果、中庭ができて風も光も入り、残された部屋がみんな生き返った。まさに「減築」 の手法は、この「狭楽しさ」の発想から生まれたのである(図2)。
図2:狭楽しさの発想から生まれた減築の手法を表す図
図2:「減築」で中庭をつくって家が生き返る
さあ、今、元気に動ける間に、思い切って広すぎる「箱の家」 の壁を空け、部屋を空け、スケルトンにして、改めて自分が活きていくための自在な「場」と、這ってでも行ける「所」をつくろうではありませんか!!
筆者
筆者_天野彰氏
Photo/H.Nishida
天野 彰(あまの あきら)
建築家。一級建築士事務所アトリエ4A主宰。建築家集団「日本住改善委員会」を組織し、生活に密着した住まいづくりやリフォーム、医療・老人施設までを手がける。設計の傍らTV、講演、雑誌と多方面で活躍。
著書
『六十歳から家を建てる』(新潮選書)、『脳が若返る家づくり 部屋づくり』(廣済堂)など多数
〔100歳になっても安心して活きる家づくり〕
第1回 これからの住まいは狭いほうが暮らしやすい
公開日:2018年5月24日 11時16分
更新日:2020年2月26日 14時03分
天野 彰(あまの あきら)
建築家
住まいは"せまい"と読む?
住まいの問題点は"狭い"ことである。私は「都市の住すまいは"せまい"と読む!」といっている。広くすればコストは嵩かさみ、経済的に狭くなる。広さを求めて遠くのそのまた遠くへ引っ越せば、通勤通学に時間がかかり、付き合いがなくなり、世間が狭くなる。老いて広ければ暖房費が嵩み、何より寂しい。まさに現代社会の住まいは"せまい"でいいのである。ましてや老いて掃除のために人生を費やしてもいけない。家の手入れに貴重な老後資金を食われてもいけない。つまり家にかけがいのない人生を拘束されてはいけないのである。
利便性が高いIT時代の住まいは、かつてほどスペースを必要としない。食料を多く買い込む必要もない。テレビも薄く、パソコンもパッド1枚で済む。蔵書も思い出のアルバム以外は必要としない。住む場所の無駄なスペース、無駄な空間を"空ける"ことである。
その「空間」とは"空"の"間"のことである。もともと日本の住まいの思想には、この"間"が重要で、それは"空"をつくるための柱と柱の間である。つまりその柱の間は何もない"空"なのだ。これこそが真の意味のspaceで、私たち日本人はこの仕切りのない屋根だけの「傘の家」の"空"を自在に操って暮らしてきた。
近年、急激に西欧化が進み、分厚い壁に囲まれた「箱の家」と化し、その壁に囲まれた空間はまさしく「部屋」となり、それぞれ特定の用途のあるroomとなった。その部屋が連続する家は、家族が育ち出ていって、その後はまるで抜け殻のような家に老いて暮らすことになる。
なにやらむずかしそうな話になったが・・・、なんてことはない。私たちが生まれ育ったほんのこの間の家を思い出せばいいのである。それは"人"が何かをする"場と所"が優先で、それを「間取り」と称していた。その原点はあくまで「人のすること」「活きていくこと」で、そこが炊事場であり風呂場であり、さらには寝所に便所であった。
今、広く使いにくくなった家に住む人は、自分のために"活きるため"の"場と所"を考え、家をリフォームすることが何よりも得策だ。といっても何も大袈裟なことではなく、壁や間仕切りを取り払って開放し、最小限のわが"場と所"をつくればいい。余ったスペースは下宿やアパートとして人に貸すなり、子ども家族が使える場として残しておいてもいい。戸建てなら一部を壊して貸ガレージにするなり、半分を売ってコンパクトに建て替えてもいい。この先に何が起ころうとも身軽に柔軟に活きていくのだ。
このコンパクトな家とは、囲いのないワンルームをイメージすればいい。ひところ投機目的の一部屋マンションがあったが、ここでいうワンルームとは隔てのない自在に暮らせる家をいう。プライバシーが必要な時、いずこから仕切りや目隠しが現れ、仕切られる"時"を優先した豊かな空間となる。まさしく「食う寝るところ住む処」の熊さん八っつぁんの、あの九尺二間の江戸の裏長屋の暮らしで、家族に"時"があった頃の家の再現となる。この"時"の"間"こそ「時間」で、個になりたい時、日常的の時、病気や来客の非日常の時、さらには家族の変化、老いて不自由になった時など、ライフサイクルにも柔軟に適応する。なんと江戸の裏長屋では枕屏風1つで見事に演じられていたのである。それを今は襖や障子などで自在に仕切ればいい。これこそわが国で固有に培われた住まいの本質である。
減築で「狭楽しく」住む
狭さ広さの感覚であるが、私はこの忘れかけられた先人たちの偉大な設計手法をおおいに参考にさせてもらっている。あの竜安寺の石庭の"遠近法"による空間拡大の錯視(さくし)は見事なもので、その平面計画と視覚心理は、まさにトリックともいえる。玄関から庭が見える位置から長辺の塀、そして突き当たりの短辺の塀の高さがコーナーに向かって徐々に低くなっている(写真)。そのため、互いの辺の距離は遠くに感じられ、囲まれた石庭は実際より広く感じられる。
写真:遠近法による錯視の手法を用いた京都の竜安寺の石庭
写真:京都の竜安寺の石庭。次第に低くなっていく塀による錯視
そればかりか庭と客人の位置関係がダイアゴナル、すなわち対角線の位置にある。塀の高さの立体的な遠近手法に加え、辺より√2倍の奥行きを感じさせるダイアゴナル平面手法を用いてもいる。私の「ダイアゴナル平面計画手法」(図1)もこの庭から生まれたものだ。
図1:対角線の位置関係を表すダイアゴナルの平面図例
図1:「狭楽し手法」のダイアゴナル平面図例
冒頭の都市の住(せ)まいを考えると、どこも誰にとっても狭い。しかも狭"苦"しい。しかし、広い家は経済的に狭く、郊外に越せば世間が狭くなる。この"三つ巴の狭さ"からは永遠に逃れることはできない。ならば、この狭苦しさの"苦"さえ取り除けば"楽"になる。さらにはもっと"楽しく"すればよい。これが「狭楽しさ」の発想となった。
この手法は、さっそくある都市の家の増改築に用いた。敷地いっぱいに建つ家をさらに増築をしようという。見ると家の北側に物置同然の部屋がいくつもあり、閉塞状態の家で風通しも悪い。そこで提案は、増築どころか「北の真ん中の部屋を取り除きましょう」というものだ。結果、中庭ができて風も光も入り、残された部屋がみんな生き返った。まさに「減築」 の手法は、この「狭楽しさ」の発想から生まれたのである(図2)。
図2:狭楽しさの発想から生まれた減築の手法を表す図
図2:「減築」で中庭をつくって家が生き返る
さあ、今、元気に動ける間に、思い切って広すぎる「箱の家」 の壁を空け、部屋を空け、スケルトンにして、改めて自分が活きていくための自在な「場」と、這ってでも行ける「所」をつくろうではありませんか!!
筆者
筆者_天野彰氏
Photo/H.Nishida
天野 彰(あまの あきら)
建築家。一級建築士事務所アトリエ4A主宰。建築家集団「日本住改善委員会」を組織し、生活に密着した住まいづくりやリフォーム、医療・老人施設までを手がける。設計の傍らTV、講演、雑誌と多方面で活躍。
著書
『六十歳から家を建てる』(新潮選書)、『脳が若返る家づくり 部屋づくり』(廣済堂)など多数
#健康身体 健康地球 健康生活#
死と人生
第4回 笑い・ユーモアとホスピスケア
公開日:2022年1月14日 09時00分
更新日:2022年11月15日 10時38分
柏木 哲夫
淀川キリスト教病院名誉ホスピス長
はじめに
上智大学の名誉教授であったアルフォンス・デーケン先生(2020年逝去)は死生学とユーモア学の大家である。先生は、ドイツのユーモアの定義は2つあると言われる。1つは「ユーモアとは愛と思いやりの現実的な表現である」というものであり、もう1つは「ユーモアとは、にもかかわらず笑うことである」というのである。臨床の現場で多くの患者さんに接してきて、デーケン先生のユーモアの定義は「まさにその通り」と腑に落ちる。臨床の現場で私が遭遇した川柳を紹介する。
医者にお守り
若くて、やや頼りなさそうな主治医は患者にとっては不安である。まして手術の執刀医がそんな感じだと、患者はとても不安になる。しかし、「先生は大丈夫ですか?」と直接医者に尋ねるのはタブーである。ところが、ユーモアを用いればこのタブーへの言及ができる。関西のある病院で起こった実話を紹介したい。直腸がんの手術を受ける中年の男性患者が、若い(若くみえる)執刀医に対して、大丈夫だろうかとの不安を抱いた。手術の前日になって、不安が高まり、それを紛らわすために、1つの川柳をつくって看護師に渡した。
お守りを 医者にも付けたい 手術前
看護師は思わず「クスッ」と笑った。そして、執刀医に「あの患者さん、これを先生に見せてほしいと言われて......」と言って、手渡した。医師も「クスッ」と笑った。彼は、幸いなことにユーモアのセンスを持っていた。すぐに患者さんのところへ行った。そして、「川柳みましたよ」と。患者は「先生、すみません、失礼だとは思ったのですが......」と。「いえ、いえ、いいんですよ。私は、若く見えるのですが、かなり歳はくっているのです。それに、自分で言うのも変ですが、直腸がんの手術にかけては、一応、関西では一番うまいと言われているんです」と大嘘をついた。患者はこの医師の対応にとても安心した。関西で一番うまいというのは冗談で、ただ、自分を安心させるために言ってくれたとわかったのである。デーケン先生の言う「思いやりの現実的な表現」ということになる。
トロなら通る
もう1つ、私自身の経験を紹介したい。ホスピスを始めたばかりの頃、食道がんの末期で入院してきた中年の婦人があった。食道の狭窄が進んで、固形物がまったく喉を通らなくなってしまった。なんとかならないかと思いながら患者さんのベッドサイドへ行き、「いかがですか?」と声をかけると患者さんは、「全然モノが通らないんです」と悲しそうに答えた。
その時、私はふと小さなユーモアが思い浮かんで、「トロぐらいなら、ひょっとするとトロトロと通るかもしれませんよ」と言った。すると患者さんは、「そうですね、私も1日トロトロ寝てないで、トロにでも挑戦してみますかね」とユーモアで返してくれた。さらにそばにいたご主人が「私もトロい亭主ですけれど、トロぐらいだったら買いに行けますよ」と言った。その後、ご主人がトロを買ってきて患者さんに食べさせてみたところ、トロが文字通りトロトロと喉を通ったのである。ほんの小さなエピソードにすぎないが、「思いやりの現実的な表現」としてのちょっとしたユーモアが起こした奇跡なのかもしれない。
ある雑誌の対談でこの話を故河合隼雄先生(臨床心理の大家、元文化庁長官)にしたところ、先生から「これは、主治医のユーモアのセンスが患者の食道をトロかした貴重な症例ですね」とコメントをいただいた。私は、河合先生のユーモアのセンスに感動した。
四季(死期)がない川柳
死期が迫っているにもかかわらず、すばらしいユーモアのセンスを披露してくれる患者さんに出会うと感動する。58歳の直腸がんの末期の男性の話をしたい。衰弱が進んで残り時間が1か月くらいかと思われるある日の回診でのことである。診察が終わり、趣味の話になった。彼は俳句が趣味で、これまでにも何回か新聞の俳句欄に当選したことがあるという。そんな彼が「先生、私この頃俳句よりも川柳のほうがいいと思いだしました。俳句というのは季語というように、春夏秋冬という季節に縛られるのです。四季にうるさい。その点川柳は季節を考えなくていいですよね。私のような末期の患者は四季(死期)がないほうがいいんです」と言った。私は、死が迫っていることを自覚しながら、このようなユーモアの心を失わない彼の心の強さに感動を覚えた。
この日をきっかけにして彼と私の「川柳交換会」が始まった。回診のたびにお互いに一句ずつ川柳を交換するという約束である。たとえば、ある日私が彼に提供(?)した句は、以前患者から聞いた愚痴を題材にした「見舞客 身の上話 して帰り」という句であった。彼の句は「寝て見れば 看護師さんは 皆美人」であった。そばにいた看護師が「座ったらダメということ?」と間髪を入れず尋ねると、彼は「いえ、いえ、そんなことはないのですが......」とやや慌てて答えたので、病室は笑いの渦になった。
寝正月
彼と私の川柳のやりとりを見ていた奥さんが、「先生、私も川柳の勉強をします」と宣言した。「どうぞ、どうぞ」と答えると、しばらくして枕元に『川柳入門』という本が置かれていた。彼の衰弱が進み、最後の正月を家で過ごせるかどうかが問題になった。患者はたとえ寝正月になっても最後の正月を家で過ごしたい、奥さんもなんとか家で最後の正月を迎えさせたい、われわれもなんとかそうしてもらいたいと思った。少し不安だったが帰ってもらうことにした。彼は2泊3日の外泊から無事帰院した。衰弱はさらに進んでいたが、何はともあれ、最後の正月を家で過ごせたのはとてもよかった。奥さんは「ほんとに、ありがとうございました。おかげさまで、寝正月でしたが、なんとか正月を家で過ごすことができました。主人の姿を見ていて、私も川柳を1つつくりました。私の処女作です」と言って、色紙にきれいな毛筆で書いた川柳を差し出した。すばらしい句であった。
がん細胞 正月ぐらいは 寝て暮らせ
私はこの句を見て、初めプッと笑った。面白い句である。しかし、句をじっと見ていると、奥さんのつらさ、切なさ、やるせなさ、悲しさ、寂しさなどが句の背景にあることを感じ、熱いものがこみ上げてきた。「がん細胞よ、お前は自己増殖をして、どんどん大きくなり、私の大事な主人をこんなに弱らせ、寝正月の状態ではないか。お前もそんなに自己主張ばかりせず、正月ぐらいは寝て暮らしてくれよ」といった意味なのであろう。奥さんはこの句をつくることによって自分のつらさや、やるせなさを少し横へ吹き飛ばすことができた。川柳でつらさが解消するわけではないが、少なくともそれが軽減するのである。
著者
写真:柏木哲夫氏
柏木 哲夫(かしわぎ てつお)
淀川キリスト教病院名誉ホスピス長、大阪大学名誉教授。1939年生まれ。1965年大阪大学医学部卒業。同大学精神神経科に勤務後、ワシントン大学に留学。1972年帰国後、淀川キリスト教病院に精神神経科を開設。1984年淀川キリスト教病院ホスピス長、1992年大阪大学人間科学部教授、2004年金城学院大学学長、2013年淀川キリスト教病院理事長を歴任。
著書
『死にゆく人々のケア―末期患者へのチームアプローチ』(医学書院)、『死を看取る医学』(NHK出版)など多数。
死と人生
第4回 笑い・ユーモアとホスピスケア
公開日:2022年1月14日 09時00分
更新日:2022年11月15日 10時38分
柏木 哲夫
淀川キリスト教病院名誉ホスピス長
はじめに
上智大学の名誉教授であったアルフォンス・デーケン先生(2020年逝去)は死生学とユーモア学の大家である。先生は、ドイツのユーモアの定義は2つあると言われる。1つは「ユーモアとは愛と思いやりの現実的な表現である」というものであり、もう1つは「ユーモアとは、にもかかわらず笑うことである」というのである。臨床の現場で多くの患者さんに接してきて、デーケン先生のユーモアの定義は「まさにその通り」と腑に落ちる。臨床の現場で私が遭遇した川柳を紹介する。
医者にお守り
若くて、やや頼りなさそうな主治医は患者にとっては不安である。まして手術の執刀医がそんな感じだと、患者はとても不安になる。しかし、「先生は大丈夫ですか?」と直接医者に尋ねるのはタブーである。ところが、ユーモアを用いればこのタブーへの言及ができる。関西のある病院で起こった実話を紹介したい。直腸がんの手術を受ける中年の男性患者が、若い(若くみえる)執刀医に対して、大丈夫だろうかとの不安を抱いた。手術の前日になって、不安が高まり、それを紛らわすために、1つの川柳をつくって看護師に渡した。
お守りを 医者にも付けたい 手術前
看護師は思わず「クスッ」と笑った。そして、執刀医に「あの患者さん、これを先生に見せてほしいと言われて......」と言って、手渡した。医師も「クスッ」と笑った。彼は、幸いなことにユーモアのセンスを持っていた。すぐに患者さんのところへ行った。そして、「川柳みましたよ」と。患者は「先生、すみません、失礼だとは思ったのですが......」と。「いえ、いえ、いいんですよ。私は、若く見えるのですが、かなり歳はくっているのです。それに、自分で言うのも変ですが、直腸がんの手術にかけては、一応、関西では一番うまいと言われているんです」と大嘘をついた。患者はこの医師の対応にとても安心した。関西で一番うまいというのは冗談で、ただ、自分を安心させるために言ってくれたとわかったのである。デーケン先生の言う「思いやりの現実的な表現」ということになる。
トロなら通る
もう1つ、私自身の経験を紹介したい。ホスピスを始めたばかりの頃、食道がんの末期で入院してきた中年の婦人があった。食道の狭窄が進んで、固形物がまったく喉を通らなくなってしまった。なんとかならないかと思いながら患者さんのベッドサイドへ行き、「いかがですか?」と声をかけると患者さんは、「全然モノが通らないんです」と悲しそうに答えた。
その時、私はふと小さなユーモアが思い浮かんで、「トロぐらいなら、ひょっとするとトロトロと通るかもしれませんよ」と言った。すると患者さんは、「そうですね、私も1日トロトロ寝てないで、トロにでも挑戦してみますかね」とユーモアで返してくれた。さらにそばにいたご主人が「私もトロい亭主ですけれど、トロぐらいだったら買いに行けますよ」と言った。その後、ご主人がトロを買ってきて患者さんに食べさせてみたところ、トロが文字通りトロトロと喉を通ったのである。ほんの小さなエピソードにすぎないが、「思いやりの現実的な表現」としてのちょっとしたユーモアが起こした奇跡なのかもしれない。
ある雑誌の対談でこの話を故河合隼雄先生(臨床心理の大家、元文化庁長官)にしたところ、先生から「これは、主治医のユーモアのセンスが患者の食道をトロかした貴重な症例ですね」とコメントをいただいた。私は、河合先生のユーモアのセンスに感動した。
四季(死期)がない川柳
死期が迫っているにもかかわらず、すばらしいユーモアのセンスを披露してくれる患者さんに出会うと感動する。58歳の直腸がんの末期の男性の話をしたい。衰弱が進んで残り時間が1か月くらいかと思われるある日の回診でのことである。診察が終わり、趣味の話になった。彼は俳句が趣味で、これまでにも何回か新聞の俳句欄に当選したことがあるという。そんな彼が「先生、私この頃俳句よりも川柳のほうがいいと思いだしました。俳句というのは季語というように、春夏秋冬という季節に縛られるのです。四季にうるさい。その点川柳は季節を考えなくていいですよね。私のような末期の患者は四季(死期)がないほうがいいんです」と言った。私は、死が迫っていることを自覚しながら、このようなユーモアの心を失わない彼の心の強さに感動を覚えた。
この日をきっかけにして彼と私の「川柳交換会」が始まった。回診のたびにお互いに一句ずつ川柳を交換するという約束である。たとえば、ある日私が彼に提供(?)した句は、以前患者から聞いた愚痴を題材にした「見舞客 身の上話 して帰り」という句であった。彼の句は「寝て見れば 看護師さんは 皆美人」であった。そばにいた看護師が「座ったらダメということ?」と間髪を入れず尋ねると、彼は「いえ、いえ、そんなことはないのですが......」とやや慌てて答えたので、病室は笑いの渦になった。
寝正月
彼と私の川柳のやりとりを見ていた奥さんが、「先生、私も川柳の勉強をします」と宣言した。「どうぞ、どうぞ」と答えると、しばらくして枕元に『川柳入門』という本が置かれていた。彼の衰弱が進み、最後の正月を家で過ごせるかどうかが問題になった。患者はたとえ寝正月になっても最後の正月を家で過ごしたい、奥さんもなんとか家で最後の正月を迎えさせたい、われわれもなんとかそうしてもらいたいと思った。少し不安だったが帰ってもらうことにした。彼は2泊3日の外泊から無事帰院した。衰弱はさらに進んでいたが、何はともあれ、最後の正月を家で過ごせたのはとてもよかった。奥さんは「ほんとに、ありがとうございました。おかげさまで、寝正月でしたが、なんとか正月を家で過ごすことができました。主人の姿を見ていて、私も川柳を1つつくりました。私の処女作です」と言って、色紙にきれいな毛筆で書いた川柳を差し出した。すばらしい句であった。
がん細胞 正月ぐらいは 寝て暮らせ
私はこの句を見て、初めプッと笑った。面白い句である。しかし、句をじっと見ていると、奥さんのつらさ、切なさ、やるせなさ、悲しさ、寂しさなどが句の背景にあることを感じ、熱いものがこみ上げてきた。「がん細胞よ、お前は自己増殖をして、どんどん大きくなり、私の大事な主人をこんなに弱らせ、寝正月の状態ではないか。お前もそんなに自己主張ばかりせず、正月ぐらいは寝て暮らしてくれよ」といった意味なのであろう。奥さんはこの句をつくることによって自分のつらさや、やるせなさを少し横へ吹き飛ばすことができた。川柳でつらさが解消するわけではないが、少なくともそれが軽減するのである。
著者
写真:柏木哲夫氏
柏木 哲夫(かしわぎ てつお)
淀川キリスト教病院名誉ホスピス長、大阪大学名誉教授。1939年生まれ。1965年大阪大学医学部卒業。同大学精神神経科に勤務後、ワシントン大学に留学。1972年帰国後、淀川キリスト教病院に精神神経科を開設。1984年淀川キリスト教病院ホスピス長、1992年大阪大学人間科学部教授、2004年金城学院大学学長、2013年淀川キリスト教病院理事長を歴任。
著書
『死にゆく人々のケア―末期患者へのチームアプローチ』(医学書院)、『死を看取る医学』(NHK出版)など多数。
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