【紅白リハ】Snow Man“今年の漢字”で一部メンバーが“かぶり”?『声』『松』
2022-12-29 13:35 ORICON NEWS
■『第73回NHK紅白歌合戦』リハーサル2日目(29日、東京・渋谷 NHKホール)
人気グループ・Snow Manがリハーサルに登場。歌唱曲「ブラザービート~紅白みんなでシェー!SP~」の音合わせ後、報道陣の取材に応じ、今年を表す漢字をそれぞれ発表した。
今年を表す漢字を問われると、向井康二は「断ります、全員で断ります」とさっそくボケ。目黒蓮に「断るんじゃないよ」とたしなめられたが、向井は「きのうから考えておりましたよ!」と準備万端な様子だった。
まず、佐久間大介は「『声』。今年、声優としてテレビアニメや個人のラジオなど声を使ったお仕事をたくさんやらせてもらったので、来年もそういったお仕事できたら」と説明。報道陣から、SixTONESの松村北斗も同じく『声』だったと言われると「そうですね、北斗も(声優を)やっているので」とうなずき、これをきっかけにNHKさんでナレーションなどもやりたいな」とお願いした。
渡辺翔太も「僕も『声』にしようと思っていた」といい「ライブでお客さんの声が出せるように(規制が)緩和されて。デビューして初めてファンの方たちの歓声を聞けた」とにっこり。メンバーたちは「すてき!」と拍手で盛り上がった。続けて岩本照は『繋』。「SNSでみなさんとつながらせてもらった。直接会って、心もつながったりいろんな人たちとつながれた」と語った。
深澤辰哉は「己」と答えるも「おのれってどういう字だっけ?」と首をかしげ、阿部に教えてもらっていた。「1人でのお仕事は緊張してしまうんですけど、今年は自分らしく取り組めた。また、自分の知らない自分をメンバーが教えてくれ、見直すことができた」と振り返る。「ライブの衣装だとダボダボした衣装を着てしまうんですけど、ラウールが『細い衣装が似合う』と。今回はライブの衣装を全部ラウールにお任せして作ってもらったんですよ」と打ち明けた。
ラウールは「『伸』。いろんな分野で伸ばせたし。個人的に背が伸びたんじゃないって。衣装の採寸をしたらすごく伸びてた。足が、会見では100センチっていおうかと。本当は99なんですけど会見では(股下)100で!」と申告した。阿部亮平は「『松』。おそ松さんから始まったブラザービートを歌わせてもらうのもうれしいし、葉っぱが広がるように個人でもグループの魅力も広がった年。Snow Manが松みたいな存在になれたら」と語った。これには、佐久間が「キャスターみたい。そういう仕事したほうがいい」とリアクションしていた。
目黒は「『成』。個人的にもお仕事だったりそれこそ『舞い上がれ!』だったり、少しは成長できたのかな。グループとしてツアーを完走できたり。いろんなジャンルにもチャレンジしてグループ的にも成長があった」と1年を振り返った。向井は、「正直阿部ちゃんとかぶってた。『松』被ってた」と笑いつつ、「『麹』で!理由として、Snow Manも私も向井康二もいい感じに発酵したかな」と回答。爆笑した目黒に「まって、焦るな。大丈夫だから」とサポートされていた。
最後に、宮舘涼太が「僕の漢字一文字は『舘』で」と発表すると、一同は「よいしょ!」と大盛りあがり。「Snow Manとともにお仕事させていただいたり」と語り出し、向井に「withだったの!?」とツッコまれつつも「Snow Manとしてお仕事はもちろん個人としても舘様と呼ばれることが増えました。漢字を間違えられる方が多いので、これを機に覚えていただいて。舘ひろしさんと一緒。今年は舘。来年も舘を覚えていただいて」と念押しした。
2022-12-29 13:35 ORICON NEWS
■『第73回NHK紅白歌合戦』リハーサル2日目(29日、東京・渋谷 NHKホール)
人気グループ・Snow Manがリハーサルに登場。歌唱曲「ブラザービート~紅白みんなでシェー!SP~」の音合わせ後、報道陣の取材に応じ、今年を表す漢字をそれぞれ発表した。
今年を表す漢字を問われると、向井康二は「断ります、全員で断ります」とさっそくボケ。目黒蓮に「断るんじゃないよ」とたしなめられたが、向井は「きのうから考えておりましたよ!」と準備万端な様子だった。
まず、佐久間大介は「『声』。今年、声優としてテレビアニメや個人のラジオなど声を使ったお仕事をたくさんやらせてもらったので、来年もそういったお仕事できたら」と説明。報道陣から、SixTONESの松村北斗も同じく『声』だったと言われると「そうですね、北斗も(声優を)やっているので」とうなずき、これをきっかけにNHKさんでナレーションなどもやりたいな」とお願いした。
渡辺翔太も「僕も『声』にしようと思っていた」といい「ライブでお客さんの声が出せるように(規制が)緩和されて。デビューして初めてファンの方たちの歓声を聞けた」とにっこり。メンバーたちは「すてき!」と拍手で盛り上がった。続けて岩本照は『繋』。「SNSでみなさんとつながらせてもらった。直接会って、心もつながったりいろんな人たちとつながれた」と語った。
深澤辰哉は「己」と答えるも「おのれってどういう字だっけ?」と首をかしげ、阿部に教えてもらっていた。「1人でのお仕事は緊張してしまうんですけど、今年は自分らしく取り組めた。また、自分の知らない自分をメンバーが教えてくれ、見直すことができた」と振り返る。「ライブの衣装だとダボダボした衣装を着てしまうんですけど、ラウールが『細い衣装が似合う』と。今回はライブの衣装を全部ラウールにお任せして作ってもらったんですよ」と打ち明けた。
ラウールは「『伸』。いろんな分野で伸ばせたし。個人的に背が伸びたんじゃないって。衣装の採寸をしたらすごく伸びてた。足が、会見では100センチっていおうかと。本当は99なんですけど会見では(股下)100で!」と申告した。阿部亮平は「『松』。おそ松さんから始まったブラザービートを歌わせてもらうのもうれしいし、葉っぱが広がるように個人でもグループの魅力も広がった年。Snow Manが松みたいな存在になれたら」と語った。これには、佐久間が「キャスターみたい。そういう仕事したほうがいい」とリアクションしていた。
目黒は「『成』。個人的にもお仕事だったりそれこそ『舞い上がれ!』だったり、少しは成長できたのかな。グループとしてツアーを完走できたり。いろんなジャンルにもチャレンジしてグループ的にも成長があった」と1年を振り返った。向井は、「正直阿部ちゃんとかぶってた。『松』被ってた」と笑いつつ、「『麹』で!理由として、Snow Manも私も向井康二もいい感じに発酵したかな」と回答。爆笑した目黒に「まって、焦るな。大丈夫だから」とサポートされていた。
最後に、宮舘涼太が「僕の漢字一文字は『舘』で」と発表すると、一同は「よいしょ!」と大盛りあがり。「Snow Manとともにお仕事させていただいたり」と語り出し、向井に「withだったの!?」とツッコまれつつも「Snow Manとしてお仕事はもちろん個人としても舘様と呼ばれることが増えました。漢字を間違えられる方が多いので、これを機に覚えていただいて。舘ひろしさんと一緒。今年は舘。来年も舘を覚えていただいて」と念押しした。
#川村壱马[超话]#
【マキア2月号川村壱馬さん裏話】
MAQUIA2月号の特集も、そして先日アップした動画も大好評の川村壱馬さん。皆さんの熱い要望にお答えして特別に誌面のアザーカットを大公開
今回はダークな世界観で、川村さんのあふれ出る色気とワイルドな魅力を切り取りました。撮影中はいくら寄ってもノイズのない美肌やハイライト要らずのツヤに驚きの声が。表情も身体の動きも大胆かつ繊細で、あまりに豊富な撮れ高に、アザーカットを公開させていただきました✨
チャームポイントを聞くと歯並びと答えていた川村さん。取材中、部屋によって、香りを変えているというお話しや、カラコン(この日もつけていました)も購入しているなど、美意識の高さも印象的。身体づくりについて聞くと、「制限するときはとにかく食事を絞るけれど、食べるときはそば6人前は余裕です。グループ、いやLDHでも一番食べるんじゃないかな」と仰っていました。
ちなみにこの日はまさに食事制限を開始した日。その日のコンディションについて「40点かな、むくんでいるので(笑)」と答えてくれた川村さん。スタッフ全員、ポテンシャルの高さに驚愕しました
マキア2月号では川村さんのお気に入りのアイテムについて具体的に教えてくれているのでまだチェックされていない方は是非見てみてくださいね。
「かっこいい!」と思ったら「❤️」のコメントで教えてください
撮影/神戸健太郎(@kanbepouty)
Instagram maquia.magazine
【マキア2月号川村壱馬さん裏話】
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今回はダークな世界観で、川村さんのあふれ出る色気とワイルドな魅力を切り取りました。撮影中はいくら寄ってもノイズのない美肌やハイライト要らずのツヤに驚きの声が。表情も身体の動きも大胆かつ繊細で、あまりに豊富な撮れ高に、アザーカットを公開させていただきました✨
チャームポイントを聞くと歯並びと答えていた川村さん。取材中、部屋によって、香りを変えているというお話しや、カラコン(この日もつけていました)も購入しているなど、美意識の高さも印象的。身体づくりについて聞くと、「制限するときはとにかく食事を絞るけれど、食べるときはそば6人前は余裕です。グループ、いやLDHでも一番食べるんじゃないかな」と仰っていました。
ちなみにこの日はまさに食事制限を開始した日。その日のコンディションについて「40点かな、むくんでいるので(笑)」と答えてくれた川村さん。スタッフ全員、ポテンシャルの高さに驚愕しました
マキア2月号では川村さんのお気に入りのアイテムについて具体的に教えてくれているのでまだチェックされていない方は是非見てみてくださいね。
「かっこいい!」と思ったら「❤️」のコメントで教えてください
撮影/神戸健太郎(@kanbepouty)
Instagram maquia.magazine
【新闻】東京丸の内は、どうしてビル街なの?古地図から読み解く東京の不思議。
TBSラジオ『パンサー向井のふらっと』毎週月曜日~木曜日朝8時30分から放送中!
12月8日(木)放送の『パンサー向井のふらっと』、この日はパンサー・向井慧が隔週でおやすみのため、木曜パートナー・髙橋ひかるとTBSアナウンサー喜入友浩でお届けしました。
9時台の『ふらトピ』前半は、【東京、昔はこうだった。 ~東京駅周辺 八重洲・大手町編~】
ゲストは、雑誌『月刊 江戸楽(えどがく)』編集部で メイツ出版から出版されている『古地図で歩く 江戸・東京ぶらり今昔歴史探訪ガイド』を手掛けた尾花知美さん。
東京駅、丸の内、日比谷側は昔は浅瀬の海だったという話に驚きを隠せない髙橋ひかると喜入アナ。
尾花さんが用意してくれた古地図を見ながら昔の東京駅周辺がどうだったのかを探ります。
髙橋 :どうして海だったところを埋め立てたんですか?
尾花:前回、赤坂は坂の多い町とお伝えしましたが、東京の東部は入り江や土地の低い湿地が多かったので、 そこを埋め立てて町を広げようとしたんじゃないかと思います。徳川 家康は豊臣秀吉によって国替えを命じられ、本距離だった東海地方から関東地方へと領地が移されました。そして、太田道灌が築いた江戸城を中心に江戸の町の大改造を行いました。江戸幕府が開く10年ほど前、天正20年(1592年)に、江戸城の西の丸の 築城工事の残った土を使って埋め立て日比谷入り江を埋め立てたのが始まりだったんですよね。
喜入:お城を作った時の残った時の土で作ったんですね。
髙橋:残った土を使うって…すごいエコ
喜入:江戸時代ってエコなんですよね。
髙橋:再利用するんですね。
喜入 : 埋め立てた後ですね、尾花さんが用意してくれた古地図を見ているんですが…
髙橋:丸の内側と八重洲側…全然違うなぁ。
喜入:大手町・丸の内エリアは、大名屋敷が多いだけあって1軒1軒の区画が ゆったりしていますが、八重洲エリアは、かなり細かい区画になっています。八重洲エリアは江戸時代、どんな街だったんでしょうか?
尾花 :八重洲側は、江戸時代は町人地だったんです。古地図で見ると灰色に塗られているところが町人地だったんです。 丸の内・大手町側とは住んでいる層がガラっと違っていた。 江戸時代の町人地には、同じ職業の人々が同じ場所に集まって、住まいや店を 構えていることが多かったんです。
髙橋:へぇ。
尾花:八重洲の旧町名には、職人の職業が 由来のものを多く見ることがよくある。 例えば…檜物町(ひものちょう)は徳川家康が江戸に入ったときに、 浜松の檜物(ひもの)大工の棟梁がこの地を授かったことによんです。 檜物(ひもの)とは、檜 (ひのき) の薄板を円形に曲げて作った器です。 曲げわっぱをイメージするとよいかもしれないです。
髙橋:あぁ~!!!
尾花:南鞘町(みなみさやちょう)は刀剣の鞘を作る職人がいたから。 桶町(おけちょう)は桶職人がいたからなんですね。
髙橋:今も職人さん文化って残っているんですか?
尾花:今は、この辺りはなかなか残ってないですね。
髙橋:そっかぁ、けど、ロマンがあるなぁ…。
喜入: 江戸時代は、大手町・丸の内エリアと八重洲エリア、古地図では 町の雰囲気がかなり違っていたんですね。その名残は今もあるんですか?
尾花 :残っていますね、「東京の官庁や大学、公園など敷地の広いところは、 元は大名屋敷であった場合が多い」とお話ししましたが、 丸の内・大手町もまさにそうで、一区画が広いため、現在でも大きなビルが 建つエリアとなっています。一方、八重洲側、最近は再開発が進んでいるが それでも丸の内側と比べると今でも細かい路地がたくさんあります
他にも丸の内、大手町、八重洲の名前の由来や、東京・八重洲、丸の内周辺で今現在、江戸を感じることができるスポットも教えて頂きました。
『ふらトピ』後半は、木曜リポーター・どんぐりたけしが東京・大手町にある『アナザー・ジャパン』からリポート!こちらは、学生が経営する地域産品セレクトショップ。大学生の池田彩月さんに助けられながらリポートしました。
さけるチ~っス!
しっかり受け答えされる池田さん。
どんぐりたけしリポート能力向上委員会発足しましたことをここにご報告します。
#高桥光[超话]##高桥光##髙橋ひかる#
TBSラジオ『パンサー向井のふらっと』毎週月曜日~木曜日朝8時30分から放送中!
12月8日(木)放送の『パンサー向井のふらっと』、この日はパンサー・向井慧が隔週でおやすみのため、木曜パートナー・髙橋ひかるとTBSアナウンサー喜入友浩でお届けしました。
9時台の『ふらトピ』前半は、【東京、昔はこうだった。 ~東京駅周辺 八重洲・大手町編~】
ゲストは、雑誌『月刊 江戸楽(えどがく)』編集部で メイツ出版から出版されている『古地図で歩く 江戸・東京ぶらり今昔歴史探訪ガイド』を手掛けた尾花知美さん。
東京駅、丸の内、日比谷側は昔は浅瀬の海だったという話に驚きを隠せない髙橋ひかると喜入アナ。
尾花さんが用意してくれた古地図を見ながら昔の東京駅周辺がどうだったのかを探ります。
髙橋 :どうして海だったところを埋め立てたんですか?
尾花:前回、赤坂は坂の多い町とお伝えしましたが、東京の東部は入り江や土地の低い湿地が多かったので、 そこを埋め立てて町を広げようとしたんじゃないかと思います。徳川 家康は豊臣秀吉によって国替えを命じられ、本距離だった東海地方から関東地方へと領地が移されました。そして、太田道灌が築いた江戸城を中心に江戸の町の大改造を行いました。江戸幕府が開く10年ほど前、天正20年(1592年)に、江戸城の西の丸の 築城工事の残った土を使って埋め立て日比谷入り江を埋め立てたのが始まりだったんですよね。
喜入:お城を作った時の残った時の土で作ったんですね。
髙橋:残った土を使うって…すごいエコ
喜入:江戸時代ってエコなんですよね。
髙橋:再利用するんですね。
喜入 : 埋め立てた後ですね、尾花さんが用意してくれた古地図を見ているんですが…
髙橋:丸の内側と八重洲側…全然違うなぁ。
喜入:大手町・丸の内エリアは、大名屋敷が多いだけあって1軒1軒の区画が ゆったりしていますが、八重洲エリアは、かなり細かい区画になっています。八重洲エリアは江戸時代、どんな街だったんでしょうか?
尾花 :八重洲側は、江戸時代は町人地だったんです。古地図で見ると灰色に塗られているところが町人地だったんです。 丸の内・大手町側とは住んでいる層がガラっと違っていた。 江戸時代の町人地には、同じ職業の人々が同じ場所に集まって、住まいや店を 構えていることが多かったんです。
髙橋:へぇ。
尾花:八重洲の旧町名には、職人の職業が 由来のものを多く見ることがよくある。 例えば…檜物町(ひものちょう)は徳川家康が江戸に入ったときに、 浜松の檜物(ひもの)大工の棟梁がこの地を授かったことによんです。 檜物(ひもの)とは、檜 (ひのき) の薄板を円形に曲げて作った器です。 曲げわっぱをイメージするとよいかもしれないです。
髙橋:あぁ~!!!
尾花:南鞘町(みなみさやちょう)は刀剣の鞘を作る職人がいたから。 桶町(おけちょう)は桶職人がいたからなんですね。
髙橋:今も職人さん文化って残っているんですか?
尾花:今は、この辺りはなかなか残ってないですね。
髙橋:そっかぁ、けど、ロマンがあるなぁ…。
喜入: 江戸時代は、大手町・丸の内エリアと八重洲エリア、古地図では 町の雰囲気がかなり違っていたんですね。その名残は今もあるんですか?
尾花 :残っていますね、「東京の官庁や大学、公園など敷地の広いところは、 元は大名屋敷であった場合が多い」とお話ししましたが、 丸の内・大手町もまさにそうで、一区画が広いため、現在でも大きなビルが 建つエリアとなっています。一方、八重洲側、最近は再開発が進んでいるが それでも丸の内側と比べると今でも細かい路地がたくさんあります
他にも丸の内、大手町、八重洲の名前の由来や、東京・八重洲、丸の内周辺で今現在、江戸を感じることができるスポットも教えて頂きました。
『ふらトピ』後半は、木曜リポーター・どんぐりたけしが東京・大手町にある『アナザー・ジャパン』からリポート!こちらは、学生が経営する地域産品セレクトショップ。大学生の池田彩月さんに助けられながらリポートしました。
さけるチ~っス!
しっかり受け答えされる池田さん。
どんぐりたけしリポート能力向上委員会発足しましたことをここにご報告します。
#高桥光[超话]##高桥光##髙橋ひかる#
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