壽花(花咲く)還暦記念制作に寄せて
●「枯れ木に花を咲かせましょう・・・」いのちの正体とは?
はなさかじいさん
むかしむかし、ある山里に心優しい老夫婦が住んでいました。そして隣には、欲張りで乱暴な老夫婦が住んでいました。
あるとき、優しい夫婦は傷ついた子犬を見つけて連れ帰ると、わが子のように大切に育てることにしました。
ある日のことです。犬は畑の土を掘りながら「ここ掘れワンワン」。
驚いたおじいさんが犬に従い畑を掘ると、大判・小判がざっくざく。それを見ていた欲張り爺さんは、犬を連れ去ります。
「ここ掘れワンワン」。指し示した場所から出てきたのは、期待はずれのガラクタばかり。怒りのあまり欲張り爺さんは、犬を殺してしまいました。
悲しみにくれる夫婦は、死んだ犬を引き取って庭に埋めて墓をつくり、雨風から墓を守るため、傍らに木を植えました。木は短い年月で大木に成長し、すると夢に犬が現れてその木を伐り倒して臼と杵を作るようにと言います。
お爺さんが言葉どおりに臼と杵を作り、それで餅をつくと、またまた金銀財宝があらわれました。それを知った隣の老夫婦は再び臼を借り受けるものの、出てくるのは今度もガラクタばかり。
怒りのあま斧で臼と杵を打ち割って薪にして燃やしてしまいました。
優しい老夫婦は灰を返してもらって大事に供養しようとしたところ、再び犬が夢に出てきて、桜の枯れ木に灰を撒いてほしいと頼むのです。
その言葉に従ったところ桜の花が満開になり・・・・
さて。ポチ(犬)はいったいどこに行ったのでしょう。
ポチと呼ばれていた「いのち」とは、いったいなんでしょうか。
いっときポチであった存在が、大木を育て(大木となり)、また、大木は臼と杵に姿を変え、臼と杵が灰に変わったあと、満開の桜となって・・・。
いのちは形を変えながらいのちを継いでいます。次のいのちをより大きく咲かせているのです。不思議な力、不思議な働き・・・。
●いのちを信じる
所詮、死んでいく「いのち」。いずれ「灰」になる「いのち」・・・そうでしょうか。
消えていく、滅していくという、肉体のことをいまいちど、考えてみましょう。
私たちの身体はおよそ10の23乗個の原子でできています。死んで火葬され灰となると、灰にふくまれた原子はときとともに気流に乗って、地球全体!にひろがっていきます。
そうして地球全体に広がった「わたし」を、だれかが呼吸にして取り込みます。
同じように、私たちも生きている間に、だれか(無数の!)のからだを(かたちは変わっても)必ず取り込んでいるのです。
さようなら。
別れをつげたはずの「わたし」が、見知らぬ国の見知らぬ人々の中に生きていく・・・。
「死」とは、そもそも、なんでしょうか。私たちが作り出したひとつの考え方かもしれません。手に余るものとして、私たちは「死」と名付けましたが、見方(意識)を変えれば、根源から「いのち」への考え方も変わってきます。
●魂を助けるのが肉体のお役目
お話にあるように、一人(花咲爺さん)は優しく、愛にあふれ、もうひとり(意地悪爺さん)は、心が狭く身勝手であるというとき、どちらが「進化」した人間でしょう。
私たちが、「人間の進化」というとき、それは愛の方向を指し示しています。魂です。
肉体は魂の器である。
あるいは・・・肉体は魂の楽器である。
ただ「魂」を介してのみ成長することができます。そのために、魂を具現化できるように、見えない「魂」を見えるものとして助けるために、肉体が与えられました。
肉体は有限です。いつかは、滅する宿命にあります。逆説的ですが、肉体が有限であることによって、魂は永遠なものとなります。肉体があるがゆえの苦しみが、魂を成長させ、わたしたちの「いのち」の働きに気づかせてくれます。制約である、束縛であるはずのものを、超えるものとして生まれてきたことに・・・。
人間がこの世界の頂点に立っているという思いは、ちっぽけなおごりです。わたしというものの存在を考えたとき、時空を何十億年もさかのぼらねばなりません。宇宙開闢からここまで累々と続いてきたいのちの歴史の、ひとつの結び目なのですから。
不思議のいのちの大きな世界に生かされている。その世界には有限も無限もありません。循環があり、働きがあり、お役目があるだけです。
私が生きているのではない。いのちが生きているのです。
見知らぬ人に会いたいと思う。遠い国に思いを寄せる。
風の声に耳を澄ませ、花びらにそっと触れる。星のまたたきに心ときめく。そして、世界に「優しくあれ」と願う。
みんな、みんな、いのちの働きによるのです。
●どんな現実を創造したいですか?
魂の具現化のために肉体を与えられた私たちはどの瞬間にも、私たちは「選択」を迫られています。人生は、選択の積み重ねです。調和の達成へ平安な世の中へと向かうのか、不和や破壊の道へと進むのか。すべては魂の選択です。
どんな現実を創造したいのですか?
どんな世界を夢見ていますか?
愛と思いやりに満ちた世界は、幻の桃源郷ではありません。私たちは、いのちを働かせ、魂を成長させることで、未来につなぐ理想の国を創ることができる存在です。
愛と思いやりの世界を望むなら、私自身が、愛と思いやりの人になることです。世界は、そんなシンプルな仕組みで成り立っています。
さあ、枯れ木に花を咲かせましょう https://t.cn/RU1yilv
●「枯れ木に花を咲かせましょう・・・」いのちの正体とは?
はなさかじいさん
むかしむかし、ある山里に心優しい老夫婦が住んでいました。そして隣には、欲張りで乱暴な老夫婦が住んでいました。
あるとき、優しい夫婦は傷ついた子犬を見つけて連れ帰ると、わが子のように大切に育てることにしました。
ある日のことです。犬は畑の土を掘りながら「ここ掘れワンワン」。
驚いたおじいさんが犬に従い畑を掘ると、大判・小判がざっくざく。それを見ていた欲張り爺さんは、犬を連れ去ります。
「ここ掘れワンワン」。指し示した場所から出てきたのは、期待はずれのガラクタばかり。怒りのあまり欲張り爺さんは、犬を殺してしまいました。
悲しみにくれる夫婦は、死んだ犬を引き取って庭に埋めて墓をつくり、雨風から墓を守るため、傍らに木を植えました。木は短い年月で大木に成長し、すると夢に犬が現れてその木を伐り倒して臼と杵を作るようにと言います。
お爺さんが言葉どおりに臼と杵を作り、それで餅をつくと、またまた金銀財宝があらわれました。それを知った隣の老夫婦は再び臼を借り受けるものの、出てくるのは今度もガラクタばかり。
怒りのあま斧で臼と杵を打ち割って薪にして燃やしてしまいました。
優しい老夫婦は灰を返してもらって大事に供養しようとしたところ、再び犬が夢に出てきて、桜の枯れ木に灰を撒いてほしいと頼むのです。
その言葉に従ったところ桜の花が満開になり・・・・
さて。ポチ(犬)はいったいどこに行ったのでしょう。
ポチと呼ばれていた「いのち」とは、いったいなんでしょうか。
いっときポチであった存在が、大木を育て(大木となり)、また、大木は臼と杵に姿を変え、臼と杵が灰に変わったあと、満開の桜となって・・・。
いのちは形を変えながらいのちを継いでいます。次のいのちをより大きく咲かせているのです。不思議な力、不思議な働き・・・。
●いのちを信じる
所詮、死んでいく「いのち」。いずれ「灰」になる「いのち」・・・そうでしょうか。
消えていく、滅していくという、肉体のことをいまいちど、考えてみましょう。
私たちの身体はおよそ10の23乗個の原子でできています。死んで火葬され灰となると、灰にふくまれた原子はときとともに気流に乗って、地球全体!にひろがっていきます。
そうして地球全体に広がった「わたし」を、だれかが呼吸にして取り込みます。
同じように、私たちも生きている間に、だれか(無数の!)のからだを(かたちは変わっても)必ず取り込んでいるのです。
さようなら。
別れをつげたはずの「わたし」が、見知らぬ国の見知らぬ人々の中に生きていく・・・。
「死」とは、そもそも、なんでしょうか。私たちが作り出したひとつの考え方かもしれません。手に余るものとして、私たちは「死」と名付けましたが、見方(意識)を変えれば、根源から「いのち」への考え方も変わってきます。
●魂を助けるのが肉体のお役目
お話にあるように、一人(花咲爺さん)は優しく、愛にあふれ、もうひとり(意地悪爺さん)は、心が狭く身勝手であるというとき、どちらが「進化」した人間でしょう。
私たちが、「人間の進化」というとき、それは愛の方向を指し示しています。魂です。
肉体は魂の器である。
あるいは・・・肉体は魂の楽器である。
ただ「魂」を介してのみ成長することができます。そのために、魂を具現化できるように、見えない「魂」を見えるものとして助けるために、肉体が与えられました。
肉体は有限です。いつかは、滅する宿命にあります。逆説的ですが、肉体が有限であることによって、魂は永遠なものとなります。肉体があるがゆえの苦しみが、魂を成長させ、わたしたちの「いのち」の働きに気づかせてくれます。制約である、束縛であるはずのものを、超えるものとして生まれてきたことに・・・。
人間がこの世界の頂点に立っているという思いは、ちっぽけなおごりです。わたしというものの存在を考えたとき、時空を何十億年もさかのぼらねばなりません。宇宙開闢からここまで累々と続いてきたいのちの歴史の、ひとつの結び目なのですから。
不思議のいのちの大きな世界に生かされている。その世界には有限も無限もありません。循環があり、働きがあり、お役目があるだけです。
私が生きているのではない。いのちが生きているのです。
見知らぬ人に会いたいと思う。遠い国に思いを寄せる。
風の声に耳を澄ませ、花びらにそっと触れる。星のまたたきに心ときめく。そして、世界に「優しくあれ」と願う。
みんな、みんな、いのちの働きによるのです。
●どんな現実を創造したいですか?
魂の具現化のために肉体を与えられた私たちはどの瞬間にも、私たちは「選択」を迫られています。人生は、選択の積み重ねです。調和の達成へ平安な世の中へと向かうのか、不和や破壊の道へと進むのか。すべては魂の選択です。
どんな現実を創造したいのですか?
どんな世界を夢見ていますか?
愛と思いやりに満ちた世界は、幻の桃源郷ではありません。私たちは、いのちを働かせ、魂を成長させることで、未来につなぐ理想の国を創ることができる存在です。
愛と思いやりの世界を望むなら、私自身が、愛と思いやりの人になることです。世界は、そんなシンプルな仕組みで成り立っています。
さあ、枯れ木に花を咲かせましょう https://t.cn/RU1yilv
【说走就走,热海温泉】♨️♨️♨️
热海,伊豆半岛的门户,距首都圈最近的温泉疗养地。热海梅园是日本最古老的梅园,距今一百三十多年的历史,占地12000坪。
景致优美,亭台楼阁,小桥流水,移步换景,飞流直下三千尺 ,疑是银河落九天,四时风光无限,正是看万山红遍,层林尽染之时。
文人墨客多情趣,游山玩水,多爱温泉。比如,梅园里保存了著名作曲家中山晋平在热海的二层别墅,房间保持着原来的大致模样,旧时唱片机、古老的钟表、字画挂轴,他最爱的黑色钢琴,想象着当年他和夫人锦瑟和弦的场景。
曲径通幽,园中还建有象征日韩友好的韩国庭院。边走边看,想起酒店拖鞋上的一句话“人生は旅”(翻译成中文:人生就是一场旅行)这话说得好,那就让我们尽情享受各自的旅途吧。
热海一泊,安
热海,伊豆半岛的门户,距首都圈最近的温泉疗养地。热海梅园是日本最古老的梅园,距今一百三十多年的历史,占地12000坪。
景致优美,亭台楼阁,小桥流水,移步换景,飞流直下三千尺 ,疑是银河落九天,四时风光无限,正是看万山红遍,层林尽染之时。
文人墨客多情趣,游山玩水,多爱温泉。比如,梅园里保存了著名作曲家中山晋平在热海的二层别墅,房间保持着原来的大致模样,旧时唱片机、古老的钟表、字画挂轴,他最爱的黑色钢琴,想象着当年他和夫人锦瑟和弦的场景。
曲径通幽,园中还建有象征日韩友好的韩国庭院。边走边看,想起酒店拖鞋上的一句话“人生は旅”(翻译成中文:人生就是一场旅行)这话说得好,那就让我们尽情享受各自的旅途吧。
热海一泊,安
「本日私たちは 卒業の日を向かいました。
高校時代は 私たちにとって、それが生涯忘れたがい かけがいのない思い出になることでしょう。
将来の夢を 目標をと問わられたら、私自身 まだ何も浮かびません。でも、それもいいと思います。私たちの未来には、無限の可能性があり、数えきれないほどの 人生の選択肢があると思います。
ここにいる卒業生一人一人が、今までも そしてこれからも 他の誰とも違う人生を歩むんです。
夢をかえる人がいるでしょう。
叶えきれない人もいるでしょう。
辛いことがあった時、生きているのが苦しくなっていた時。きっと私たちが、幾度もこの場所を思い出すのでしょう。」
—《Last Letter》
高校時代は 私たちにとって、それが生涯忘れたがい かけがいのない思い出になることでしょう。
将来の夢を 目標をと問わられたら、私自身 まだ何も浮かびません。でも、それもいいと思います。私たちの未来には、無限の可能性があり、数えきれないほどの 人生の選択肢があると思います。
ここにいる卒業生一人一人が、今までも そしてこれからも 他の誰とも違う人生を歩むんです。
夢をかえる人がいるでしょう。
叶えきれない人もいるでしょう。
辛いことがあった時、生きているのが苦しくなっていた時。きっと私たちが、幾度もこの場所を思い出すのでしょう。」
—《Last Letter》
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