踊るように人生を。广播 歌词 粗翻
还是放这看看听对词和听对人没。
正为开头口哨觉得有趣
发现今天没听清的紫耀那句就是吹着口哨[笑cry]
另外还是最喜欢紫耀中间那句[抱一抱]
这句如果控上唱现场会有很好发挥。
等看单曲的dance ver.了。
整体感觉挺对胃口
因为moon lover就很喜欢
一个白天一个晚上
一个人生一个爱情
一个奋斗一个浪漫
都有海人的一句话
这次两两合唱也是挺有意思。
神开句很不错啊,能想象剧中响起的感觉
还有廉过渡句的假音也好听,和神差不多都是接近清唱了,说来紫耀那句也是,还有以前那些,大概就是喜欢这种清唱吧,音色音准一览无遗,因为喜欢,所以如果现场走音,就会更失望。
—————
流れに身を任せてステップを踏んで (神)
踊るように人生を(合)
顺其自然踏起步伐
舞动人生
愛しきこの my life (合)
这可爱的 my life
目まぐるしくて隙のない世間に
いつも追い回されてる(紫岸)
oh 気が付けば雨の中
ずぶ濡れになりながら(神廉)
裸足で駆け回る (岸+?)
人混みに迷い込んで
ふと流した淚がいつの日にか(廉海)
虹をかけて 夢を運ぶんだ(神)
Let's go (合)
世界目不暇接毫无喘息之机
总是催人疲于奔命
Oh 回过神来才发现正在雨中
全身湿透打着赤脚四处奔波
茫然闯入人山人海
不经意流下的眼泪
不定何时就会化为彩虹搬运梦想
Let's go
もっと楽に生きましょう
笑って泣いて
気の向くままに歩いて行こう
どの瞬間もまるっと抱いて
生きる自分を褒めてあげたい(合)
come on (海)
lovex4(合)
踊るように人生を(紫耀)[抱一抱]
再轻松些活着吧
哭哭笑笑
随心所欲前行吧
每个瞬间全都抱住
想褒奖活着的自己
come on
lovex4
舞动人生(紫耀)
荷物をまとめてどこかへと逃げたいけど(岸+?)
そんな時もある(紫耀) 長い旅路だ(紫耀+?)
想收拾行李找个地方逃跑
漫长旅途也会有这种时候
そのうち窓の隙間に光がさして(廉)
未来を照らし出す(海)
太陽は消えない(神)
不久光会从窗缝中照射进来
照亮未来
太阳不会消失
もっと楽に生きましよう
笑って泣いて
気の向くままに歩いて行こう
どの瞬間もまるっと抱いて
生きる自分を褒めてあげたい(合)
come on (神)
lovex4 (合)
口笛を吹きながら(紫耀)
踊るように人生を(岸)
再轻松些活着吧
哭哭笑笑
随心所欲前行吧
每个瞬间全都抱住
想褒奖活着的自己
come on
lovex4
吹着口哨(紫耀)
舞动人生(岸)
愛しきこの my life (合)
这可爱的my life (合)
——————
睡醒可能还有新想法[哈欠][困][睡]
搜的时候发现「まるっと」可能是名古屋方言后来因为电视剧火遍全国。
怪不得有人说这个词用得很可爱。
还是放这看看听对词和听对人没。
正为开头口哨觉得有趣
发现今天没听清的紫耀那句就是吹着口哨[笑cry]
另外还是最喜欢紫耀中间那句[抱一抱]
这句如果控上唱现场会有很好发挥。
等看单曲的dance ver.了。
整体感觉挺对胃口
因为moon lover就很喜欢
一个白天一个晚上
一个人生一个爱情
一个奋斗一个浪漫
都有海人的一句话
这次两两合唱也是挺有意思。
神开句很不错啊,能想象剧中响起的感觉
还有廉过渡句的假音也好听,和神差不多都是接近清唱了,说来紫耀那句也是,还有以前那些,大概就是喜欢这种清唱吧,音色音准一览无遗,因为喜欢,所以如果现场走音,就会更失望。
—————
流れに身を任せてステップを踏んで (神)
踊るように人生を(合)
顺其自然踏起步伐
舞动人生
愛しきこの my life (合)
这可爱的 my life
目まぐるしくて隙のない世間に
いつも追い回されてる(紫岸)
oh 気が付けば雨の中
ずぶ濡れになりながら(神廉)
裸足で駆け回る (岸+?)
人混みに迷い込んで
ふと流した淚がいつの日にか(廉海)
虹をかけて 夢を運ぶんだ(神)
Let's go (合)
世界目不暇接毫无喘息之机
总是催人疲于奔命
Oh 回过神来才发现正在雨中
全身湿透打着赤脚四处奔波
茫然闯入人山人海
不经意流下的眼泪
不定何时就会化为彩虹搬运梦想
Let's go
もっと楽に生きましょう
笑って泣いて
気の向くままに歩いて行こう
どの瞬間もまるっと抱いて
生きる自分を褒めてあげたい(合)
come on (海)
lovex4(合)
踊るように人生を(紫耀)[抱一抱]
再轻松些活着吧
哭哭笑笑
随心所欲前行吧
每个瞬间全都抱住
想褒奖活着的自己
come on
lovex4
舞动人生(紫耀)
荷物をまとめてどこかへと逃げたいけど(岸+?)
そんな時もある(紫耀) 長い旅路だ(紫耀+?)
想收拾行李找个地方逃跑
漫长旅途也会有这种时候
そのうち窓の隙間に光がさして(廉)
未来を照らし出す(海)
太陽は消えない(神)
不久光会从窗缝中照射进来
照亮未来
太阳不会消失
もっと楽に生きましよう
笑って泣いて
気の向くままに歩いて行こう
どの瞬間もまるっと抱いて
生きる自分を褒めてあげたい(合)
come on (神)
lovex4 (合)
口笛を吹きながら(紫耀)
踊るように人生を(岸)
再轻松些活着吧
哭哭笑笑
随心所欲前行吧
每个瞬间全都抱住
想褒奖活着的自己
come on
lovex4
吹着口哨(紫耀)
舞动人生(岸)
愛しきこの my life (合)
这可爱的my life (合)
——————
睡醒可能还有新想法[哈欠][困][睡]
搜的时候发现「まるっと」可能是名古屋方言后来因为电视剧火遍全国。
怪不得有人说这个词用得很可爱。
#佐藤究# #テスカトリポカ#
物語と時間をめぐる究・極対談――佐藤究×京極夏彦 特別公開
時間の編集は小説の極めて重要な要素
佐藤:京極さんとは裏の仕事でいつもご一緒していますけど、こうして表でお話しするのは初めてです。
京極:裏って(笑)。別に晴らせぬ恨みを晴らしたりしてるわけじゃないですから。ただ小説の話はしたことないですね。
佐藤:貴重な機会なので、京極さんに打ちこまれる覚悟で、こういう対談ではあまり見ない切り口からお話を伺えればと思います。今日一番お訊きしたいのは、京極作品における時間について。たとえば京極さんの『ヒトごろし』は普通ここでカットするだろうという箇所でも、シーンが切り替わりません。人を斬れる立場としての武士に執着する土方歳三の意識の流れが、休むことなく描かれていて、異様な感じを受けました。連想したのはフランツ・カフカの『城』です。カフカの主人公も権力の象徴である城の周囲を、いつまでもさまよい続けている。『ヒトごろし』に流れる時間は、あの不穏さに近い。そう思いながら『オジいサン』も読み返して。
京極:内容にずいぶん落差があるけど(笑)。
佐藤:『オジいサン』はユーモア小説のように思われていますけど、相当怖ろしいですよ。あの作品のテーマはまさに時間ですよね。益子徳一という老人の意識が、リアルタイムで叙述されていく。なぜ自分が卵を二つ割ってしまったのか、というような些細な問題を執拗に追い続けていて、鬼気迫るものがあります。澁澤龍彦がカフカの世界を評して、完結しているのに虚無に通じる穴が空いている、と書いているんですが、京極さんは正気を保ってカフカのようなことをやっている。
京極:今日は佐藤君の新作『テスカトリポカ』の話をしにきたはずなんだけど(笑)、思わぬ方向から球が飛んできて、虚を衝かれました。『オジいサン』は視点人物の脳内時間と、読者が文字を追う時間をシンクロさせようという無駄な試みですね。ドラマの『24』のようなもので。普通、小説内時間と読書時間は一致していないわけですが、それを近づけることは技術的に不可能なことではなかろうと。ただ短編一本読み終えるまでにかかる時間はせいぜい数十分だから、大した事件は起こせない。当然地味な小説になる。僕には面白くない小説を、面白そうに見せかけることに心血を注ぐという困った性質があるんです。
佐藤:『オジいサン』を読んでいると、時間が白昼を漂う幽霊のような存在であることがよく分かる。京極さんの怖さがある意味、一番出ている小説だと思います。時間を編集するといえば、京極さんの小説は文章が見開きページを跨がない工夫をされているじゃないですか。あれも視覚的効果より、むしろ時間のコントロールに関係しているのかな、と推理しているんですが。
京極:仰る通り時間の編集は小説において極めて重要な要素だと思います。でもあまり注目する人はいませんね。小説内時間は可変・可逆ですから、実時間ではなく体感時間に近い。のみならず自由にコントロールすることができる。一行で百年経過させることも可能だし、折り畳むことも分岐させることも可能です。時系列を組み換え密度を調整するだけでマジックリアリズムのような効果を出すことも可能でしょうし。『テスカトリポカ』も大胆な時間の編集をしていますよね。異なる時間軸を同一線上に並べることで、アステカの神話世界と、それを信仰するメキシコ人血族の青史、そして現代の闇社会と犯罪という異質なものが、単に接続するのではなく同質の事象として立ち上がってくる。
佐藤:前作の『Ank:a mirroring ape』が時間をシャッフルさせる手法を使って上手くいったので、その延長でこういう形になったんだと思います。この話は時系列順に書いても、面白いものにはならないだろうなと。
京極:『Ank』の三倍は面倒なことをしていますよね。手間も時間もかかったでしょ。
佐藤:完成まで三年半かかりました。部屋から二度と出られないんじゃないかと思った日もあったので、ほっとしています。
暴力を解除する鍵もセットしておこう
京極:現実は無数のレイヤーが重なり合っているものですが、小説はそれを書き手が取捨選択するわけです。昨今はなるべくレイヤーの少ない、すっきりした小説が好まれる傾向にあるようですが、『テスカトリポカ』はその傾向に反旗を翻してますね。エピソードもキャラクターも怒濤のように提供されるんだけど、それを贅沢に使い捨てるじゃないですか。あの無駄遣いが、作品の豊かさに繫がっている。キャラクターといえば、立派なサイコパスが何人も出てきますよね。僕はサイコパスの描写には魅かれるところがあるので得した気分です。殺した相手をドラム缶で煮ちゃうとか(笑)。
佐藤:チャターラですね。彼は友人の丸山ゴンザレス君がモデルじゃないかと言われるんだけど、違うんですよ。モデルは別にいます。ちなみに土方姓のキャラクターが出てくるのは、『ヒトごろし』へのオマージュです。
京極:そうだったのか(笑)。いや、冒頭に登場するメキシコから日本に逃れてくる女性が主人公かと思って読み進めていくと、すぐに裏切られる(笑)。日本に来るまでの麻薬密売人バルミロの話も大層面白いんだけど、それも中心というわけではない。無理に主人公を立てるなら土方コシモということになるんだろうけど、そうでもない。結局、テスカトリポカが主役なのね。このいびつなペース配分が素晴らしいと思う。もしこれを整理して書いたら、確かに気の抜けた大河ドラマみたいになっていたと思うし。
佐藤:原稿では、コルテスとスペイン人によるアステカ征服のシーンも二、三百枚くらいあったんです。アステカや現代のカルテルに匹敵する、カトリックの血塗られた歴史を書いたんですが、本の厚さも値段も大変なことになると編集さんに泣かれて、カットしました。
京極:勿体ない。ところで何箇所か太字ゴシックで表記されている文章がありますね。ごく短いフレーズもあれば、一、二ページ丸ごとゴシック表記されている箇所もある。あれ、法則がありそうで分からない。
佐藤:書いている最中は、何かしらロジックがあった気がしますが、明確な基準はないです。この作品は翻訳ノンフィクションの文体を意識しているんですが、翻訳本にはなぜここがという箇所が、ゴシックになっていることがある。あの感じを出したかったのかもしれません。
京極:僕は規則性にこだわってしまう質なので、意図的かそうでないのか分からない絶妙なラフさに、いたく感銘を受けました。しかもそれが作品世界の構築に、遠回しながらも貢献している。
佐藤:デザイナーの川名潤さんのお蔭もあります。原稿の段階では太字明朝体だったのを、川名さんがゴシックにしてくれたので。
京極:バルミロたちが手を染める臓器ビジネスと、心臓を神に捧げるアステカ神話が重ねられていますが、この二つを結び付けた経緯というのは何かあるんですか。
佐藤:臓器売買が先ですね。レッドマーケットと呼ばれる臓器ビジネスは、資本主義経済の行きつく先です。それを麻薬売買と並ぶ現代の悪として、書こうと思いました。
京極:心臓売買が先だったんだ。
佐藤:はい。『資本主義リアリズム』という本を読んだら、マイク・デイヴィスという批評家がジェイムズ・エルロイのクライムノベルを批判した文章が引用されていて。デイヴィスは腐敗した社会の観察者を気取るエルロイを、レーガンブッシュ政権の世界観を支えたにすぎない、とぶった切っています。この指摘に衝撃を受けて、デイヴィスに応えられないとクライムノベルは書けないなと痛感しました。アメリカの連邦議事堂に突入したQアノン信奉者を見ても分かるとおり、以前のように無邪気にフィクションと現実を区別できない時代に来ている。だったら暴力を解除する鍵も、作中にセットしておこうと。それがアステカの人身供犠を重ねて書く作業でした。
京極:信仰の最深部が社会構造の終焉部とシンクロして行くという妙ね。確かにそういう強いメッセージはあるんだけど、混沌とした意匠に覆われているために、お説教くさくなっていない。全編残虐行為だらけのこの小説で、一番胸が痛むのは、罪もない子どもたちが心臓を取り出されるシーンですよね。どこか遠くにあるように感じていた搾取の構図が、急に身近なものとして迫ってくる。ここも上手いですよね。
『巷説』シリーズの到達点
佐藤:そのあたりは京極さんの小説から多くを学ばせてもらっています。現代人が忘れていながら、なおもくり返されている見えない構造みたいなものを、怪異を使って書かれるじゃないですか。『怪と幽』に連載されていた『遠巷説百物語』も咄・譚・噺・話という複数のレイヤーが重ねられて、構造みたいなものを浮かびあがらせる。こういう小説は他にないので、いつも刺激を受けています。
京極:あれはそんなに面倒な手続きじゃないんですけどね。世間話が精錬されて昔話になるという構図を反転させてみようかなという発想があって。江戸末期の遠野を舞台に選びましたが、遠野って『遠野物語』のお蔭で、あたかも『まんが日本昔ばなし』に出てくる田舎のように思われがちですが、実際はさまざまな階層・職業の人が行き交う城下町であり交易地なんですね。当然話も集まる場所で。でも、史実の方が面白かったりするんですね。まあ褒められるような小説ではないですよ。
佐藤:僕は『巷説』シリーズの到達点と思いましたけど。新しく出てくる乙蔵も〝リアルねずみ男〟みたいで好きでした。そうだ、『テスカトリポカ』にも水木先生の影響があるんですよ。『ゲゲゲの鬼太郎』でよく外国の妖怪が大挙して攻めてきたと思ったら、意外とあっさり帰ることってありませんか。あのずらしの感覚を、今回はあえて取り入れてみました。
京極:現実には物事がすべて綺麗に片付くなんてことはあり得ないわけです。小説内の結構性さえ守られていれば、敵が生きていようが、事件が未解決だろうが問題ない。『テスカトリポカ』はアステカ神話や暦をなぞる形で、律儀にこれしかないだろうという結末に落とし込んでいる。回収されない部分も含めて完結感は高いですよ。
佐藤:『巷説』シリーズもついに完結だそうですね。
京極:次に書かされる『了巷説百物語』でおしまいです。面倒だから書きたくないと言ったんだけど。このシリーズは『桃山人夜話・絵本百物語』に出てくるお化けを題材にしているんですが、『遠巷説』を書き終えたら、残りがあと六体になった。「ここまできて全部消化しないのはどうなんですか」とKADOKAWAの偉い人に痛いところを突かれて、それもそうだなとうっかり思ってしまったんです。
佐藤:人のことを言えないけど、みんな京極さんに仕事を頼みすぎですよ。もし一年間自由時間があったら、何をしたいですか。
京極:何もしません(笑)。僕は佐藤君みたいに若くないから、呼吸するのも面倒なんです。小説家を引退するのが長年の目標。最近はいい書き手がどんどん出てきたから、安心して隠居できそうです。
佐藤:(笑)。僕も若くはないですが。食えない純文学作家を十年やって、『QJKJQ』で乱歩賞をいただいて再デビューしたので、業界に恩返ししたいなという気持ちはあるけど、個人的な野心はありません。そもそも裏方として働く方が好きですし。
京極:裏方志向は僕も一緒です。『テスカトリポカ』のような小説は書くのが大変だと思うんですね。でも読む側としては、面倒な小説って面白いんですよ。一日で読んじゃいました。一作に五年かけてもいいから、納得できるものを書いて、読ませてください。
佐藤:ありがとうございます。京極さんに詳しく読み込んでいただいて、今日は報われました。
物語と時間をめぐる究・極対談――佐藤究×京極夏彦 特別公開
時間の編集は小説の極めて重要な要素
佐藤:京極さんとは裏の仕事でいつもご一緒していますけど、こうして表でお話しするのは初めてです。
京極:裏って(笑)。別に晴らせぬ恨みを晴らしたりしてるわけじゃないですから。ただ小説の話はしたことないですね。
佐藤:貴重な機会なので、京極さんに打ちこまれる覚悟で、こういう対談ではあまり見ない切り口からお話を伺えればと思います。今日一番お訊きしたいのは、京極作品における時間について。たとえば京極さんの『ヒトごろし』は普通ここでカットするだろうという箇所でも、シーンが切り替わりません。人を斬れる立場としての武士に執着する土方歳三の意識の流れが、休むことなく描かれていて、異様な感じを受けました。連想したのはフランツ・カフカの『城』です。カフカの主人公も権力の象徴である城の周囲を、いつまでもさまよい続けている。『ヒトごろし』に流れる時間は、あの不穏さに近い。そう思いながら『オジいサン』も読み返して。
京極:内容にずいぶん落差があるけど(笑)。
佐藤:『オジいサン』はユーモア小説のように思われていますけど、相当怖ろしいですよ。あの作品のテーマはまさに時間ですよね。益子徳一という老人の意識が、リアルタイムで叙述されていく。なぜ自分が卵を二つ割ってしまったのか、というような些細な問題を執拗に追い続けていて、鬼気迫るものがあります。澁澤龍彦がカフカの世界を評して、完結しているのに虚無に通じる穴が空いている、と書いているんですが、京極さんは正気を保ってカフカのようなことをやっている。
京極:今日は佐藤君の新作『テスカトリポカ』の話をしにきたはずなんだけど(笑)、思わぬ方向から球が飛んできて、虚を衝かれました。『オジいサン』は視点人物の脳内時間と、読者が文字を追う時間をシンクロさせようという無駄な試みですね。ドラマの『24』のようなもので。普通、小説内時間と読書時間は一致していないわけですが、それを近づけることは技術的に不可能なことではなかろうと。ただ短編一本読み終えるまでにかかる時間はせいぜい数十分だから、大した事件は起こせない。当然地味な小説になる。僕には面白くない小説を、面白そうに見せかけることに心血を注ぐという困った性質があるんです。
佐藤:『オジいサン』を読んでいると、時間が白昼を漂う幽霊のような存在であることがよく分かる。京極さんの怖さがある意味、一番出ている小説だと思います。時間を編集するといえば、京極さんの小説は文章が見開きページを跨がない工夫をされているじゃないですか。あれも視覚的効果より、むしろ時間のコントロールに関係しているのかな、と推理しているんですが。
京極:仰る通り時間の編集は小説において極めて重要な要素だと思います。でもあまり注目する人はいませんね。小説内時間は可変・可逆ですから、実時間ではなく体感時間に近い。のみならず自由にコントロールすることができる。一行で百年経過させることも可能だし、折り畳むことも分岐させることも可能です。時系列を組み換え密度を調整するだけでマジックリアリズムのような効果を出すことも可能でしょうし。『テスカトリポカ』も大胆な時間の編集をしていますよね。異なる時間軸を同一線上に並べることで、アステカの神話世界と、それを信仰するメキシコ人血族の青史、そして現代の闇社会と犯罪という異質なものが、単に接続するのではなく同質の事象として立ち上がってくる。
佐藤:前作の『Ank:a mirroring ape』が時間をシャッフルさせる手法を使って上手くいったので、その延長でこういう形になったんだと思います。この話は時系列順に書いても、面白いものにはならないだろうなと。
京極:『Ank』の三倍は面倒なことをしていますよね。手間も時間もかかったでしょ。
佐藤:完成まで三年半かかりました。部屋から二度と出られないんじゃないかと思った日もあったので、ほっとしています。
暴力を解除する鍵もセットしておこう
京極:現実は無数のレイヤーが重なり合っているものですが、小説はそれを書き手が取捨選択するわけです。昨今はなるべくレイヤーの少ない、すっきりした小説が好まれる傾向にあるようですが、『テスカトリポカ』はその傾向に反旗を翻してますね。エピソードもキャラクターも怒濤のように提供されるんだけど、それを贅沢に使い捨てるじゃないですか。あの無駄遣いが、作品の豊かさに繫がっている。キャラクターといえば、立派なサイコパスが何人も出てきますよね。僕はサイコパスの描写には魅かれるところがあるので得した気分です。殺した相手をドラム缶で煮ちゃうとか(笑)。
佐藤:チャターラですね。彼は友人の丸山ゴンザレス君がモデルじゃないかと言われるんだけど、違うんですよ。モデルは別にいます。ちなみに土方姓のキャラクターが出てくるのは、『ヒトごろし』へのオマージュです。
京極:そうだったのか(笑)。いや、冒頭に登場するメキシコから日本に逃れてくる女性が主人公かと思って読み進めていくと、すぐに裏切られる(笑)。日本に来るまでの麻薬密売人バルミロの話も大層面白いんだけど、それも中心というわけではない。無理に主人公を立てるなら土方コシモということになるんだろうけど、そうでもない。結局、テスカトリポカが主役なのね。このいびつなペース配分が素晴らしいと思う。もしこれを整理して書いたら、確かに気の抜けた大河ドラマみたいになっていたと思うし。
佐藤:原稿では、コルテスとスペイン人によるアステカ征服のシーンも二、三百枚くらいあったんです。アステカや現代のカルテルに匹敵する、カトリックの血塗られた歴史を書いたんですが、本の厚さも値段も大変なことになると編集さんに泣かれて、カットしました。
京極:勿体ない。ところで何箇所か太字ゴシックで表記されている文章がありますね。ごく短いフレーズもあれば、一、二ページ丸ごとゴシック表記されている箇所もある。あれ、法則がありそうで分からない。
佐藤:書いている最中は、何かしらロジックがあった気がしますが、明確な基準はないです。この作品は翻訳ノンフィクションの文体を意識しているんですが、翻訳本にはなぜここがという箇所が、ゴシックになっていることがある。あの感じを出したかったのかもしれません。
京極:僕は規則性にこだわってしまう質なので、意図的かそうでないのか分からない絶妙なラフさに、いたく感銘を受けました。しかもそれが作品世界の構築に、遠回しながらも貢献している。
佐藤:デザイナーの川名潤さんのお蔭もあります。原稿の段階では太字明朝体だったのを、川名さんがゴシックにしてくれたので。
京極:バルミロたちが手を染める臓器ビジネスと、心臓を神に捧げるアステカ神話が重ねられていますが、この二つを結び付けた経緯というのは何かあるんですか。
佐藤:臓器売買が先ですね。レッドマーケットと呼ばれる臓器ビジネスは、資本主義経済の行きつく先です。それを麻薬売買と並ぶ現代の悪として、書こうと思いました。
京極:心臓売買が先だったんだ。
佐藤:はい。『資本主義リアリズム』という本を読んだら、マイク・デイヴィスという批評家がジェイムズ・エルロイのクライムノベルを批判した文章が引用されていて。デイヴィスは腐敗した社会の観察者を気取るエルロイを、レーガンブッシュ政権の世界観を支えたにすぎない、とぶった切っています。この指摘に衝撃を受けて、デイヴィスに応えられないとクライムノベルは書けないなと痛感しました。アメリカの連邦議事堂に突入したQアノン信奉者を見ても分かるとおり、以前のように無邪気にフィクションと現実を区別できない時代に来ている。だったら暴力を解除する鍵も、作中にセットしておこうと。それがアステカの人身供犠を重ねて書く作業でした。
京極:信仰の最深部が社会構造の終焉部とシンクロして行くという妙ね。確かにそういう強いメッセージはあるんだけど、混沌とした意匠に覆われているために、お説教くさくなっていない。全編残虐行為だらけのこの小説で、一番胸が痛むのは、罪もない子どもたちが心臓を取り出されるシーンですよね。どこか遠くにあるように感じていた搾取の構図が、急に身近なものとして迫ってくる。ここも上手いですよね。
『巷説』シリーズの到達点
佐藤:そのあたりは京極さんの小説から多くを学ばせてもらっています。現代人が忘れていながら、なおもくり返されている見えない構造みたいなものを、怪異を使って書かれるじゃないですか。『怪と幽』に連載されていた『遠巷説百物語』も咄・譚・噺・話という複数のレイヤーが重ねられて、構造みたいなものを浮かびあがらせる。こういう小説は他にないので、いつも刺激を受けています。
京極:あれはそんなに面倒な手続きじゃないんですけどね。世間話が精錬されて昔話になるという構図を反転させてみようかなという発想があって。江戸末期の遠野を舞台に選びましたが、遠野って『遠野物語』のお蔭で、あたかも『まんが日本昔ばなし』に出てくる田舎のように思われがちですが、実際はさまざまな階層・職業の人が行き交う城下町であり交易地なんですね。当然話も集まる場所で。でも、史実の方が面白かったりするんですね。まあ褒められるような小説ではないですよ。
佐藤:僕は『巷説』シリーズの到達点と思いましたけど。新しく出てくる乙蔵も〝リアルねずみ男〟みたいで好きでした。そうだ、『テスカトリポカ』にも水木先生の影響があるんですよ。『ゲゲゲの鬼太郎』でよく外国の妖怪が大挙して攻めてきたと思ったら、意外とあっさり帰ることってありませんか。あのずらしの感覚を、今回はあえて取り入れてみました。
京極:現実には物事がすべて綺麗に片付くなんてことはあり得ないわけです。小説内の結構性さえ守られていれば、敵が生きていようが、事件が未解決だろうが問題ない。『テスカトリポカ』はアステカ神話や暦をなぞる形で、律儀にこれしかないだろうという結末に落とし込んでいる。回収されない部分も含めて完結感は高いですよ。
佐藤:『巷説』シリーズもついに完結だそうですね。
京極:次に書かされる『了巷説百物語』でおしまいです。面倒だから書きたくないと言ったんだけど。このシリーズは『桃山人夜話・絵本百物語』に出てくるお化けを題材にしているんですが、『遠巷説』を書き終えたら、残りがあと六体になった。「ここまできて全部消化しないのはどうなんですか」とKADOKAWAの偉い人に痛いところを突かれて、それもそうだなとうっかり思ってしまったんです。
佐藤:人のことを言えないけど、みんな京極さんに仕事を頼みすぎですよ。もし一年間自由時間があったら、何をしたいですか。
京極:何もしません(笑)。僕は佐藤君みたいに若くないから、呼吸するのも面倒なんです。小説家を引退するのが長年の目標。最近はいい書き手がどんどん出てきたから、安心して隠居できそうです。
佐藤:(笑)。僕も若くはないですが。食えない純文学作家を十年やって、『QJKJQ』で乱歩賞をいただいて再デビューしたので、業界に恩返ししたいなという気持ちはあるけど、個人的な野心はありません。そもそも裏方として働く方が好きですし。
京極:裏方志向は僕も一緒です。『テスカトリポカ』のような小説は書くのが大変だと思うんですね。でも読む側としては、面倒な小説って面白いんですよ。一日で読んじゃいました。一作に五年かけてもいいから、納得できるものを書いて、読ませてください。
佐藤:ありがとうございます。京極さんに詳しく読み込んでいただいて、今日は報われました。
農業と料理
私の師父は本当にたくさんのことを教えて下さった。
師父は哲学者だったが、農民であり、医者であり、料理の達人でもあった。
頭だけで哲学を語る、大学のアカデミックな人たちに失望していた。
そのために若くして、日本の田舎で隠居生活を始めた。
自然の中で営まれる、彼と植物だけの農的な生活だった。
次第に彼の周りに人が集まってきて、彼は農哲学院を開いた。
私達はそこで、農的な生活をしながら、植物と向かい合い、いのちと向き合うことで、自分自身に向き合った。
たくさんのことを学んだ。
自分は何のために生まれてきたのか。
それが唯一の問いだった。
世間に溢れる情報と観念。
そこから一歩下がって、自然の静粛の中で、自分の心の声を聞く。
農業の基本は土の中の生物を知ること。
それは目には見えない小さな存在だ。
たくさんの微生物、菌類。
それは私達の腸内の環境と同じ。
人は、たくさんの菌は作物にとって、私達の身体にとって、有益なものとそうでないものがいるという。
良いものと悪いもの、どちらかだけにすることはできない。
いのちの世界は、多様性。
いろいろないのちが共存する世界。
師父は料理人は、農業を知らなければならない、と言った。
料理はいのちを理解することが基本だから。
私は中国に来てたくさんの有機農業の青年達と知り合いになった。
まだ実際に会ってはいないけれど、きっと彼らは素晴らしい料理人だと思う。
本当に美味しい料理は、料理の技術は問題ではない。
作物のことがよくわかっているかどうかが、大事だ。
そして人の身体についての知識も必要である。
いつか実際に彼らに会うことができたら、中国各地で、彼らが育てた穀物や野菜で、一緒に料理をして一緒に食べたいと思う。
これ以上の幸せがあるだろうか。
农业和烹饪
我师父教了我很多东西。
师父是哲学家,同时也是农民、医生、烹饪高手。
他在大学教的时候,教授们都只头脑讨论哲学,感到失望。因为哲学不是讨论的材料,就是一门实践的学问,是为了更好的人生。
为此,他还年轻就在日本乡下开始了隐居生活。
在自然中生活,过着只有他和植物的农业生活。
但渐渐地人们聚集到他的周围,也跟他想学农业和哲学,终于他开办了农哲学院。
我们在那里过着农人的生活,与植物、与生命、与自己面对面。
我学到了很多东西。
自己是为了什么而出生的?
这是唯一的问题。
社会上充斥着信息和观念。
退一步,在自然的宁静中,聆听自己的心声。
农业的基础是了解土中的生物。
那些是肉眼看不见的微小存在。
大量的微生物、菌类。
这和我们肠道内的环境是一样的。
人们说很多细菌对作物和我们的身体,有些是有益的,有些不是。
但不能只选其一。不能判断哪是好哪是不好。
生命的世界是多样性的。
在世界上各种各样的生命共存。
师父说,厨师必须懂农业。
因为烹饪的基础是理解生命。
我在中国也认识了很多从事有机农业的青年。
虽然还没有实际见面,但我觉得他们一定是很棒的厨师。
为了做真正好吃的,并不需要料理技术,
而重要对作物了解程度。
还一定需要对人的身体的了解。
如果有一天真的能见到中国各地的农民朋友们,我想用他们亲自种植的谷物和蔬菜,一起做饭,一起吃。
还有比这更幸福的吗?
私の師父は本当にたくさんのことを教えて下さった。
師父は哲学者だったが、農民であり、医者であり、料理の達人でもあった。
頭だけで哲学を語る、大学のアカデミックな人たちに失望していた。
そのために若くして、日本の田舎で隠居生活を始めた。
自然の中で営まれる、彼と植物だけの農的な生活だった。
次第に彼の周りに人が集まってきて、彼は農哲学院を開いた。
私達はそこで、農的な生活をしながら、植物と向かい合い、いのちと向き合うことで、自分自身に向き合った。
たくさんのことを学んだ。
自分は何のために生まれてきたのか。
それが唯一の問いだった。
世間に溢れる情報と観念。
そこから一歩下がって、自然の静粛の中で、自分の心の声を聞く。
農業の基本は土の中の生物を知ること。
それは目には見えない小さな存在だ。
たくさんの微生物、菌類。
それは私達の腸内の環境と同じ。
人は、たくさんの菌は作物にとって、私達の身体にとって、有益なものとそうでないものがいるという。
良いものと悪いもの、どちらかだけにすることはできない。
いのちの世界は、多様性。
いろいろないのちが共存する世界。
師父は料理人は、農業を知らなければならない、と言った。
料理はいのちを理解することが基本だから。
私は中国に来てたくさんの有機農業の青年達と知り合いになった。
まだ実際に会ってはいないけれど、きっと彼らは素晴らしい料理人だと思う。
本当に美味しい料理は、料理の技術は問題ではない。
作物のことがよくわかっているかどうかが、大事だ。
そして人の身体についての知識も必要である。
いつか実際に彼らに会うことができたら、中国各地で、彼らが育てた穀物や野菜で、一緒に料理をして一緒に食べたいと思う。
これ以上の幸せがあるだろうか。
农业和烹饪
我师父教了我很多东西。
师父是哲学家,同时也是农民、医生、烹饪高手。
他在大学教的时候,教授们都只头脑讨论哲学,感到失望。因为哲学不是讨论的材料,就是一门实践的学问,是为了更好的人生。
为此,他还年轻就在日本乡下开始了隐居生活。
在自然中生活,过着只有他和植物的农业生活。
但渐渐地人们聚集到他的周围,也跟他想学农业和哲学,终于他开办了农哲学院。
我们在那里过着农人的生活,与植物、与生命、与自己面对面。
我学到了很多东西。
自己是为了什么而出生的?
这是唯一的问题。
社会上充斥着信息和观念。
退一步,在自然的宁静中,聆听自己的心声。
农业的基础是了解土中的生物。
那些是肉眼看不见的微小存在。
大量的微生物、菌类。
这和我们肠道内的环境是一样的。
人们说很多细菌对作物和我们的身体,有些是有益的,有些不是。
但不能只选其一。不能判断哪是好哪是不好。
生命的世界是多样性的。
在世界上各种各样的生命共存。
师父说,厨师必须懂农业。
因为烹饪的基础是理解生命。
我在中国也认识了很多从事有机农业的青年。
虽然还没有实际见面,但我觉得他们一定是很棒的厨师。
为了做真正好吃的,并不需要料理技术,
而重要对作物了解程度。
还一定需要对人的身体的了解。
如果有一天真的能见到中国各地的农民朋友们,我想用他们亲自种植的谷物和蔬菜,一起做饭,一起吃。
还有比这更幸福的吗?
✋热门推荐