22/08/26 19:56
公演主页还公布了角色表!
我将饰演乔(小妇人的角色)✨开心〜期待〜☺️
这次还有小学包场公演!好厉害!想让没看过戏剧的小孩们也能感到有趣!
目标是让所有年龄层的观众都能领略到音乐剧的魅力,我会努力的
#シャッフルまぜこぜ#
====
配役もホームページで発表されました!
私はジョーを演じます✨嬉しい〜楽しみ〜☺️
今作、小学校貸切公演の回があるんです!凄い!お芝居見たことないって子にも面白いって思ってもらいたいなぁ!
子供から大人まで、皆んなが楽しめるミュージカルを目指して頑張りますっ
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#シャッフルまぜこぜ#
#1968年と宗教#
【なぜ「1968」なのか】
昨日の「1968年と宗教」三回目のシンポジウムに参加してきました。
その後、機会を得て(はじめてなので、かなり緊張してしまって)少しだけ絓さんと話をしました。1968年思想は、なぜ「1968」という数字にしましたのか、という問いを愚直に聞きました。中国の「文化大革命」(1966)の運動に触発されたのに、日本に起きた革命に基づいて、それを「1968」にした途端に、ナルシシズム=ナショナリズムに回収されるでは?と。
それについて、絓さんも優しく答えてくれました。「1968」は単に一つの象徴だと、前後の幅がある、と言いました。時間的な原因で、話の内容を深めることはなかったですが。
その後、色々と考えました。なぜ「1968」という数字にするかは、もしかしたら、フランス五月革命が1968年に起きたことが原因か、それを「世界革命」という文脈の上で語るのは一応理解できます。あるいは、それを「先進国に起きた革命、つまり、マルクスの「史的唯物論」が言うように、資本主義の発展の果てに、そのリミットを越えようとする革命」という風に、「先進国=最前線の国」に起きた「革命」を強調したかった原因だろうか。そういう意味があるならば、西洋中心主義の域に出られないでは、と思いました。1968年を「偽史」(「史的唯物論」という正史に対して)的想像力の端緒と見ること自体とは矛盾しています。
もちろん、68年革命の可能性を津村喬の「華青闘告発」に見出した絓さんも、あえてその2年後、という「ズレ」た時間(ある意味では、「偽史的」に書き換えようとしたかもしれないですが)にこだわったんですね。しかし、それが「1968」という数字に代表=表象された途端に、「華青闘告発」の内実も極端にいえば、「裏切られた」さえ思いました。「1966」と「1970」という、ある意味では、「東洋」=「後進国」の人民から手を挙げた革命は、結局は、「西洋」=「先進国」の小ブル・インテリの「1968」に代表・回収されてしまったのではないか、と疑問に思いました。
なぜ「1968」という数字か、という素朴な質問に聞こえますが、僕にとっては、かなり根源的なものに関係しているように受け止めています。
もちろん、68年革命は、日本の「華青闘告発」だけではなく、フランス五月革命をはじめ、先進国の知識人/学生乃至労働者などがベトナム、中国など地理的に離れたアジアに起きたことを、想像/創造的飛躍によって、連帯=架橋する試みだろうと思います。彼女/彼らの視線には、あるいは「アジア」という「他者」ですね。そして、それが資本主義という「世界帝国」の支配構造下にある「第三世界」という外部でもあります。つまり、その「彼女/彼ら」といった、資本主義社会にありながら、そのリミットを感じた主体を孕んだ歴史的射程を「1968」という数字で記述しているかな、と推測していますが。それでも、先進国の「彼女/彼ら」が触発(あるいは刺激を受けた)されたという「受動的」というか、それなのに、「主体的」に、「能動的」な「語り」で語られています。
まさに、絓さん本人が言うように、「幅がある」ということばがあらわしています。それはいろんな要素、出来事、思想が複合的に相まって、いわば「偶然的」に起きた「革命」ということで、「なぜ文化的に豊かな時代に、革命が起きたのか」、これまでのマルクス主義の「正史」では考えられなかったと言えるでしょう。しかし、僕の質問の意図もまさにそれに関連しているもので、「68年革命」という複合体が「幅がある」故に、「1968」という数字にした時、その曖昧さというか、語りにくさというか、あるいは、その思想性も、革命性も、その曖昧さが故に、弱まっているではないかと言いたかったんです。絓さんも当事者としてきっと、わが子のように、68年革命の革新性と限界性、両方を記述しようとしたんですね。
【なぜ「1968」なのか】
昨日の「1968年と宗教」三回目のシンポジウムに参加してきました。
その後、機会を得て(はじめてなので、かなり緊張してしまって)少しだけ絓さんと話をしました。1968年思想は、なぜ「1968」という数字にしましたのか、という問いを愚直に聞きました。中国の「文化大革命」(1966)の運動に触発されたのに、日本に起きた革命に基づいて、それを「1968」にした途端に、ナルシシズム=ナショナリズムに回収されるでは?と。
それについて、絓さんも優しく答えてくれました。「1968」は単に一つの象徴だと、前後の幅がある、と言いました。時間的な原因で、話の内容を深めることはなかったですが。
その後、色々と考えました。なぜ「1968」という数字にするかは、もしかしたら、フランス五月革命が1968年に起きたことが原因か、それを「世界革命」という文脈の上で語るのは一応理解できます。あるいは、それを「先進国に起きた革命、つまり、マルクスの「史的唯物論」が言うように、資本主義の発展の果てに、そのリミットを越えようとする革命」という風に、「先進国=最前線の国」に起きた「革命」を強調したかった原因だろうか。そういう意味があるならば、西洋中心主義の域に出られないでは、と思いました。1968年を「偽史」(「史的唯物論」という正史に対して)的想像力の端緒と見ること自体とは矛盾しています。
もちろん、68年革命の可能性を津村喬の「華青闘告発」に見出した絓さんも、あえてその2年後、という「ズレ」た時間(ある意味では、「偽史的」に書き換えようとしたかもしれないですが)にこだわったんですね。しかし、それが「1968」という数字に代表=表象された途端に、「華青闘告発」の内実も極端にいえば、「裏切られた」さえ思いました。「1966」と「1970」という、ある意味では、「東洋」=「後進国」の人民から手を挙げた革命は、結局は、「西洋」=「先進国」の小ブル・インテリの「1968」に代表・回収されてしまったのではないか、と疑問に思いました。
なぜ「1968」という数字か、という素朴な質問に聞こえますが、僕にとっては、かなり根源的なものに関係しているように受け止めています。
もちろん、68年革命は、日本の「華青闘告発」だけではなく、フランス五月革命をはじめ、先進国の知識人/学生乃至労働者などがベトナム、中国など地理的に離れたアジアに起きたことを、想像/創造的飛躍によって、連帯=架橋する試みだろうと思います。彼女/彼らの視線には、あるいは「アジア」という「他者」ですね。そして、それが資本主義という「世界帝国」の支配構造下にある「第三世界」という外部でもあります。つまり、その「彼女/彼ら」といった、資本主義社会にありながら、そのリミットを感じた主体を孕んだ歴史的射程を「1968」という数字で記述しているかな、と推測していますが。それでも、先進国の「彼女/彼ら」が触発(あるいは刺激を受けた)されたという「受動的」というか、それなのに、「主体的」に、「能動的」な「語り」で語られています。
まさに、絓さん本人が言うように、「幅がある」ということばがあらわしています。それはいろんな要素、出来事、思想が複合的に相まって、いわば「偶然的」に起きた「革命」ということで、「なぜ文化的に豊かな時代に、革命が起きたのか」、これまでのマルクス主義の「正史」では考えられなかったと言えるでしょう。しかし、僕の質問の意図もまさにそれに関連しているもので、「68年革命」という複合体が「幅がある」故に、「1968」という数字にした時、その曖昧さというか、語りにくさというか、あるいは、その思想性も、革命性も、その曖昧さが故に、弱まっているではないかと言いたかったんです。絓さんも当事者としてきっと、わが子のように、68年革命の革新性と限界性、両方を記述しようとしたんですね。
#上白石萌音[超话]#ins
音乐剧「长腿叔叔」迎来了初日!能在一直憧憬的作品里烦恼、寻找、发现,每天都幸福得不得了。把乔若莎讲述的小小的温暖的秘密放在心中,明天之后也继续加油!
ミュージカル「ダディ・ロング・レッグズ」初日を迎えました!憧れ続けた作品の中で悩んだり、探したり、見つけたりできることに、恐ろしいほどの幸せを感じている毎日です。ジルーシャが語るささやかで温かな秘密を胸に、明日からも頑張ります!
图2-3:马内甲推特
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