#阳光信用[超话]#
二十四诗品之二十二·飘逸
落落欲在,矫矫不群。緱山之鹤,华顶之云。
高人画中,令色氤氲。御风蓬叶,泛彼无垠。
如不可执,如将有闻。识者已领,期之愈分。
译:
孤独而去,超然独立。
如緱山飞鹤,似华山之云。
高士如画,风貌神秀。
驾蓬叶之舟乘风而去,向着无边的大海畅游。
似乎无法追寻,又好像有所领悟。
理解才能心领神会,过分强求只会更加遥远。
#每日一善#
二十四诗品之二十二·飘逸
落落欲在,矫矫不群。緱山之鹤,华顶之云。
高人画中,令色氤氲。御风蓬叶,泛彼无垠。
如不可执,如将有闻。识者已领,期之愈分。
译:
孤独而去,超然独立。
如緱山飞鹤,似华山之云。
高士如画,风貌神秀。
驾蓬叶之舟乘风而去,向着无边的大海畅游。
似乎无法追寻,又好像有所领悟。
理解才能心领神会,过分强求只会更加遥远。
#每日一善#
俳優・高良健吾さん、日常を離れ、アナログな「時」を楽しむ旅 【前編】
これまでやりたくても「時間」がなくてできなかったことに挑戦する「時間」をセイコー プレザージュが提供するこの企画。
昨年の「瀬戸内しまなみ海道」での自転車旅に続いて、俳優の高良健吾さんが再び旅立った。2日間、自然の中へ——。旅の目的は、「やりたかったことをすべて叶(かな)える」こと。とかく情報過多になりがちな日常を抜け出して、アナログな時間の流れに身を置いた高良さんは、何を感じ、どんな思いを抱いたのか。今回お届けする前編では、都会の喧噪(けんそう)から離れ、兵庫県北部の山間(やまあい)で自然をゆるりと楽しむ様子を追った。
腕時計と地図。アナログなツールでドライブへ
とある初夏の一日、高良さんが訪れたのは山間に佇(たたず)む古民家宿。やりたかったことをすべて叶える、今回の旅の拠点だ。大きな窓のあるメインルームでソファに座り、高良さんは持参した文庫本をしばし読みふける。
「本は好きです。こんな何百円で、人の考えに触れられるなんてすごいですよね。手に取らないと出会えないような言葉だったり、生き方だったり、そういうものを知ることができる。ある意味、ちょっとした旅だと思います」
そしてふと顔を上げ、明るい光が入り込む大きな窓から、山々を見つめる高良さん。そろそろ出発の時間だ。日常から離れるために、スマートフォンは置いていく。ルートは地図で、時間は腕時計で確認するアナログな旅の始まりだ。
「自分は基本アナログ。家にパソコンはないし、映画館に行くときはスマホを家に置いていくこともよくあります。スマホを気にしない分、別のものが見えてくる。こういう自然の中なら周囲をよく見るようになるし、いつもと違うアンテナも張れます」。地図を眺め、腕時計に目を向けてから、高良さんは車へ乗り込んだ。
小一時間、車を走らせて訪れたのは、歴史ある寺院。しっかりとした足取りで、初めて訪れる寺の山門をくぐる。
寺院では本堂に上がり、庭に向かってあぐらをかく。瞑想(めいそう)、これもまた高良さんがこの日、やりたかったことのひとつだ。背筋をぴしりと伸ばし、目をつぶって微動だにしない。葉ずれの音、鳥やカエルの鳴き声が止(や)んだ瞬間は、まるで時が止まっているかのようだ。
高良さんにとって瞑想は、ルーティンのようなものだという。
「だいたい寝る前にやるんです。撮影している期間は日中集中しているので、寝付きが悪かったり、途中で目が覚めたりすることもあるので、眠る前にちょっと心を落ち着かせるという感じ。今日のように自然の音に囲まれた場所だと、家の中で瞑想するよりも入りやすいですね。何も考えない、無理をしない時間が過ごせました」
自然の揺れを感じに。日常にない、贅沢時間
瞑想を終え、「ゴチャゴチャしていたものが整理された」と言う高良さんの次の目的地は、山中の釣り場。川に沿って続く遊歩道を、土の感触を確かめるように泰然と歩いていく高良さん。途中、足を止めて伸びをしたり、思いのままに満喫しているようだ。
こうして自然に囲まれながら思うのは、「自分が落ち着く場所、癒やされる場所は、自然なんだ」ということ。
「原風景が祖父母の田舎なんですよね。阿蘇と北九州の田川。きっと、そういう田舎で遊んでいた、楽しかった記憶があるんだろうと思います。自然の揺れって、見ているだけで落ち着くので、そこを求めに行っている。東京にいると、そういう揺れは風とか、上を見ないと感じられないので」
やがてたどり着いたのが、半径15mほどの滝壺(つぼ)。主にニジマスが釣れるという。海でのルアーフィッシング経験はある高良さんだが、川釣りは初挑戦。竹竿(ざお)にウキという組み合わせも、やはり初めて使う道具だそうだ。照れくさそうに「海ではルアーをなくしてばかりいたし、今回のやりたいことの中では一番自信がない」と言うものの、慣れた手つきで竿を操っている。
糸を垂らし、狙うポイントを変えながら数十分。前日の雨で濁った水面がゆらめく様子を、ただ見つめながら過ごす贅沢(ぜいたく)な時間だ。
「釣れなくても、3時間くらいは平気で過ごせますね。どれだけ時間が経ったかを確認することはあっても、苦ではないです。こうやって自然の中で過ごしている時は、時間の確認は腕時計がいいですね。それもデジタルの数字じゃなくて、針で見るっていうのがいい」
そんな話をするうちに、不意にウキが動き出した。「食いついた!」。そう思った瞬間、必死に暴れる魚の姿が。木漏れ日に輝く銀色の体はかなり大きく、高良さんもしばらく格闘したものの、魚はハリから外れて滝壺の底へと消えていった。その後すぐに再び別の獲物を捕らえるが、今度は糸が切れてしまう事態に。この装備では、少し心許(こころもと)ないようだ。
そろそろ宿に戻ろうか……と諦めかけたところで、またもウキが躍り出す。三度目の正直とばかりに、見事釣り上げた高良さん。「今日に限らず、以前から目の前で逃がしてばかりだったけど、ようやく釣れた!」と、喜びであふれんばかりの笑顔を向けた。
手を掛けるだけ愛着が増す。フォーマルな印象のモデル
「1時間で3匹なら入れ食い状態」と笑みを浮かべながら、宿へと戻ってきた。本日、予定していた夕食は屋外でのバーベキューだった。しかし、天気は下り坂。焚(た)き火台に火を入れ、炎が上がり始めるころには雨も降り出してきたため、部屋の中の囲炉裏に場所を移しての食事となった。
周囲には街灯や民家がなく、夜の帳(とばり)が下りれば辺りは真っ暗に。肉に魚、野菜も焼いて、時折、焚き火を眺めるひととき。
「焚き火って、本当に自然の揺らぎですよね。人間が作り出せない揺れというか。それこそ波だってそうだし、空だって雲の流れだったり、風の流れだったり、それって人間が絶対作り出せない。そういう場所に身を置くことが、自分にとっての癒やしですかね」。そう語る彼を包み込むように、時間はゆったりと過ぎていく。
この日、高良さんの腕で時を刻んだのは、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」。アナログな旅によく似合う、機械式時計だ。
「機械式時計の良さは、自分がちゃんとその時計を扱っていないといけないこと。毎日見て、定期的にちゃんとメンテナンスしてあげることでより愛着が湧きますよね。耳を近付けて音を聞きながらりゅうずを巻くのも、好きな行為ですね」
「この『セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097』は、どちらかというとフォーマルな印象でした。白文字盤は持っていなかったんですが、いいですね。スーツのようなキレイめにも合うし、幅広いシーンで使えると思いました。(白文字盤は)似合う年齢が少し上という勝手なイメージがあったんですけど、 身につけてみると、“いや、そんなことないな”って気がしました」
そう言って、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」に視線を落とす高良さん。「静の旅」となった1日が、そろそろ終わろうとしている。明日は一転、「動の旅」と言えるほど、バラエティーに富んだアクティブな旅となる。そちらは後編として次回、改めてご紹介しよう。
(文・石川由紀子 写真・高橋雄大 取材協力・円覚山宗鏡寺、glaminka KAMIKAWA、日高神鍋観光協会、清滝地区コミュニティセンターの皆様)
これまでやりたくても「時間」がなくてできなかったことに挑戦する「時間」をセイコー プレザージュが提供するこの企画。
昨年の「瀬戸内しまなみ海道」での自転車旅に続いて、俳優の高良健吾さんが再び旅立った。2日間、自然の中へ——。旅の目的は、「やりたかったことをすべて叶(かな)える」こと。とかく情報過多になりがちな日常を抜け出して、アナログな時間の流れに身を置いた高良さんは、何を感じ、どんな思いを抱いたのか。今回お届けする前編では、都会の喧噪(けんそう)から離れ、兵庫県北部の山間(やまあい)で自然をゆるりと楽しむ様子を追った。
腕時計と地図。アナログなツールでドライブへ
とある初夏の一日、高良さんが訪れたのは山間に佇(たたず)む古民家宿。やりたかったことをすべて叶える、今回の旅の拠点だ。大きな窓のあるメインルームでソファに座り、高良さんは持参した文庫本をしばし読みふける。
「本は好きです。こんな何百円で、人の考えに触れられるなんてすごいですよね。手に取らないと出会えないような言葉だったり、生き方だったり、そういうものを知ることができる。ある意味、ちょっとした旅だと思います」
そしてふと顔を上げ、明るい光が入り込む大きな窓から、山々を見つめる高良さん。そろそろ出発の時間だ。日常から離れるために、スマートフォンは置いていく。ルートは地図で、時間は腕時計で確認するアナログな旅の始まりだ。
「自分は基本アナログ。家にパソコンはないし、映画館に行くときはスマホを家に置いていくこともよくあります。スマホを気にしない分、別のものが見えてくる。こういう自然の中なら周囲をよく見るようになるし、いつもと違うアンテナも張れます」。地図を眺め、腕時計に目を向けてから、高良さんは車へ乗り込んだ。
小一時間、車を走らせて訪れたのは、歴史ある寺院。しっかりとした足取りで、初めて訪れる寺の山門をくぐる。
寺院では本堂に上がり、庭に向かってあぐらをかく。瞑想(めいそう)、これもまた高良さんがこの日、やりたかったことのひとつだ。背筋をぴしりと伸ばし、目をつぶって微動だにしない。葉ずれの音、鳥やカエルの鳴き声が止(や)んだ瞬間は、まるで時が止まっているかのようだ。
高良さんにとって瞑想は、ルーティンのようなものだという。
「だいたい寝る前にやるんです。撮影している期間は日中集中しているので、寝付きが悪かったり、途中で目が覚めたりすることもあるので、眠る前にちょっと心を落ち着かせるという感じ。今日のように自然の音に囲まれた場所だと、家の中で瞑想するよりも入りやすいですね。何も考えない、無理をしない時間が過ごせました」
自然の揺れを感じに。日常にない、贅沢時間
瞑想を終え、「ゴチャゴチャしていたものが整理された」と言う高良さんの次の目的地は、山中の釣り場。川に沿って続く遊歩道を、土の感触を確かめるように泰然と歩いていく高良さん。途中、足を止めて伸びをしたり、思いのままに満喫しているようだ。
こうして自然に囲まれながら思うのは、「自分が落ち着く場所、癒やされる場所は、自然なんだ」ということ。
「原風景が祖父母の田舎なんですよね。阿蘇と北九州の田川。きっと、そういう田舎で遊んでいた、楽しかった記憶があるんだろうと思います。自然の揺れって、見ているだけで落ち着くので、そこを求めに行っている。東京にいると、そういう揺れは風とか、上を見ないと感じられないので」
やがてたどり着いたのが、半径15mほどの滝壺(つぼ)。主にニジマスが釣れるという。海でのルアーフィッシング経験はある高良さんだが、川釣りは初挑戦。竹竿(ざお)にウキという組み合わせも、やはり初めて使う道具だそうだ。照れくさそうに「海ではルアーをなくしてばかりいたし、今回のやりたいことの中では一番自信がない」と言うものの、慣れた手つきで竿を操っている。
糸を垂らし、狙うポイントを変えながら数十分。前日の雨で濁った水面がゆらめく様子を、ただ見つめながら過ごす贅沢(ぜいたく)な時間だ。
「釣れなくても、3時間くらいは平気で過ごせますね。どれだけ時間が経ったかを確認することはあっても、苦ではないです。こうやって自然の中で過ごしている時は、時間の確認は腕時計がいいですね。それもデジタルの数字じゃなくて、針で見るっていうのがいい」
そんな話をするうちに、不意にウキが動き出した。「食いついた!」。そう思った瞬間、必死に暴れる魚の姿が。木漏れ日に輝く銀色の体はかなり大きく、高良さんもしばらく格闘したものの、魚はハリから外れて滝壺の底へと消えていった。その後すぐに再び別の獲物を捕らえるが、今度は糸が切れてしまう事態に。この装備では、少し心許(こころもと)ないようだ。
そろそろ宿に戻ろうか……と諦めかけたところで、またもウキが躍り出す。三度目の正直とばかりに、見事釣り上げた高良さん。「今日に限らず、以前から目の前で逃がしてばかりだったけど、ようやく釣れた!」と、喜びであふれんばかりの笑顔を向けた。
手を掛けるだけ愛着が増す。フォーマルな印象のモデル
「1時間で3匹なら入れ食い状態」と笑みを浮かべながら、宿へと戻ってきた。本日、予定していた夕食は屋外でのバーベキューだった。しかし、天気は下り坂。焚(た)き火台に火を入れ、炎が上がり始めるころには雨も降り出してきたため、部屋の中の囲炉裏に場所を移しての食事となった。
周囲には街灯や民家がなく、夜の帳(とばり)が下りれば辺りは真っ暗に。肉に魚、野菜も焼いて、時折、焚き火を眺めるひととき。
「焚き火って、本当に自然の揺らぎですよね。人間が作り出せない揺れというか。それこそ波だってそうだし、空だって雲の流れだったり、風の流れだったり、それって人間が絶対作り出せない。そういう場所に身を置くことが、自分にとっての癒やしですかね」。そう語る彼を包み込むように、時間はゆったりと過ぎていく。
この日、高良さんの腕で時を刻んだのは、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」。アナログな旅によく似合う、機械式時計だ。
「機械式時計の良さは、自分がちゃんとその時計を扱っていないといけないこと。毎日見て、定期的にちゃんとメンテナンスしてあげることでより愛着が湧きますよね。耳を近付けて音を聞きながらりゅうずを巻くのも、好きな行為ですね」
「この『セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097』は、どちらかというとフォーマルな印象でした。白文字盤は持っていなかったんですが、いいですね。スーツのようなキレイめにも合うし、幅広いシーンで使えると思いました。(白文字盤は)似合う年齢が少し上という勝手なイメージがあったんですけど、 身につけてみると、“いや、そんなことないな”って気がしました」
そう言って、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」に視線を落とす高良さん。「静の旅」となった1日が、そろそろ終わろうとしている。明日は一転、「動の旅」と言えるほど、バラエティーに富んだアクティブな旅となる。そちらは後編として次回、改めてご紹介しよう。
(文・石川由紀子 写真・高橋雄大 取材協力・円覚山宗鏡寺、glaminka KAMIKAWA、日高神鍋観光協会、清滝地区コミュニティセンターの皆様)
大乘离文字普光明藏经
唐中天竺三藏法师地婆诃罗奉敕译
如是我闻。一时佛在王舍城耆阇崛山中,与大菩萨无量百千亿那由他数,皆是大智精进善巧,证无言法获妙辩才,是处非处不相违反,善调身心具诸解脱,常游三昧不舍大悲,惭愧为身智慧为首,多所饶益如大宝洲,了知诸法善不善相,不著文字而有言说,于真俗门洞达无碍,深明实际不住其中,善能分别而无所受,虽厌生死常护世间,周遍十方有大名称,于真妙藏寂然宴息,虽现受身永出三界,而行诸有勉济众生,平等教诲志常贤善,平等怜愍心无染著,能令自他莫不清净,成就如是无量功德。其名曰胜思惟菩萨、法震音菩萨、妙身菩萨、法辋菩萨、辩积菩萨、持地菩萨、持世菩萨、大名称菩萨、具诸辩菩萨、千容相菩萨、功德山菩萨、莲华眼菩萨、莲华面菩萨、珠髻菩萨、妙音菩萨,如是等菩萨摩诃萨,皆如童子色相端严,于此众中而为上首。
尔时观自在菩萨与恒河沙等绍尊位者诸菩萨俱。殊胜见菩萨与无央数天帝释俱。虚空藏菩萨与无量菩萨及无量四天王众俱。大势至菩萨与无量亿梵天众俱。遍吉祥菩萨与无量婇女俱。普贤菩萨、不空见菩萨、星宿王菩萨、离疑菩萨、息诸盖菩萨、药王菩萨、药上菩萨,各与无量菩萨众俱。其中亦有无量诸佛,自变其身作菩萨像。尊者舍利弗、摩诃目揵连、摩诃迦叶,如是等大阿罗汉,各与无量声闻众俱。那罗延等无量天众,乃至恒沙国土日月诸天,威光照耀悉来佛所。至佛所已。彼天威光不能复现,犹如聚墨对阎浮金。婆楼那龙王、德叉迦龙王、阿那婆达多龙王、美音乾闼婆王、无扰浊迦楼罗王、各与无量诸眷属俱,来入此会。十方世界如恒河沙所有菩萨,咸于本土启请如来,与诸四众同时到此,各持种种出过世间殊好供事,奉上于佛诸菩萨已。即于会中坐莲华座。
尔时胜思惟菩萨摩诃萨从座而起,偏袒右肩右膝著地,合掌向佛,而作是言:“世尊,我今欲请二字之义,惟愿如来垂哀见许。”
佛告胜思惟菩萨言:“善男子,欲有问者随汝意问,如来不为一众生故出现世间。为欲利益无量众生而出现耳。于是胜思惟菩萨即白佛言:“世尊,何者一法,是诸菩萨所应永离?何者一法,是诸菩萨应常护持?何者一法,是诸如来现所觉了?”佛言:“善哉善哉!善男子,汝以如来威神之力,乃能问我如是深义。谛听谛听!善思念之,当为汝说。
“善男子,有一种法菩萨应离,所谓欲贪。善男子,如是一法是诸菩萨所应永离。善男子,复有一法菩萨应离,所谓瞋怒。如是一法是诸菩萨所应永离。善男子,复有一法菩萨应离,所谓愚痴。如是一法是诸菩萨所应永离。善男子,复有一法菩萨应离,所谓我取。善男子,复有一法菩萨应离,所谓疑惑。善男子,复有一法菩萨应离,所谓憍慢。善男子,复有一法菩萨应离,所谓懈怠。善男子,复有一法菩萨应离,所谓惛眠。善男子,复有一法菩萨应离,所谓爱著。善男子,如是一法,是诸菩萨所应永离。
“善男子,汝复问我,何者一法,是诸菩萨应常护持?善男子,谓诸菩萨非己所安不加于物。若诸菩萨守护此法,即是能持诸佛如来一切禁戒。何以故?自爱身命不应杀生。自重资财不应偷盗。自护妻室不应侵他。如是等行皆名一法。善男子。若有敬顺如来语者,于此一法常当忆念。何以故?无有众生爱乐于苦,凡有所作悉求安乐。乃至菩萨求阿耨多罗三藐三菩提,亦为自他皆得乐故。善男子,以如是义我说此言。非己所安不加于物,如是一法是诸菩萨应常护持。
“善男子,如汝所问何者一法是诸如来现所觉了。善男子,无有少法是如来觉。何以故?如来觉者无所觉故。善男子,一切法无生是如来觉。一切法无灭是如来觉。一切法离二边是如来觉。一切法不实是如来觉。善男子,诸业自性是如来觉。一切法从因缘生,是如来觉。因缘之法犹如电光,是如来觉。以因缘故而有诸业,是如来觉。善男子,一切法性普光明藏,是如来觉。善男子,何故法性名普光明藏?善男子,世出世智依之以生,如母怀子故名为藏。若智生时反照其本,如是法性为般若波罗蜜之所摄藏,是故名为普光明藏。善男子,一切法如幻如焰,是如来觉。善男子,诸法实性一味解脱,是如来觉。一味解脱是即名为普光明藏。善男子,一相法是如来觉。云何一相?所谓诸法不来不去、非因非缘、不生不灭、无取无舍、不增不减。善男子,诸法自性本无所有不可为喻,非是文辞之所辩说。如是一法,是诸如来现所觉了。”
当佛说此庄严王离文字普光明藏法门之时,有十地菩萨所见微尘数众生,悉发阿耨多罗三藐三菩提心。复有如是微尘数众生,皆发声闻辟支佛心。复有如是微尘数众生,在地狱者皆得离苦生人天中。无量菩萨得入初地。无量菩萨得百千三昧。无量众生悉蒙利益无空过者。
尔时佛告罗睺罗言:“善男子,我此法要汝当受持。”说是语时,会中有九十亿菩萨摩诃萨,承佛威神即皆避座,白佛言:“世尊,我等誓当受持如来所说法要,于此娑婆国土最后时中,见有其人流通为说。”
尔时四天王白佛言:“世尊,若有能持此经典者我当拥护,令其志愿皆得满足。所以者何?能持此经是法器故。”尔时世尊,普观众会而作是言:“诸仁者,我此所说甚深方广希有法门,非诸众生有少善根而能听受。能听受者即为承事供养于我,亦为荷担无上菩提。是人当得辩才无碍。决定生于清净佛土。是人临终定得亲见阿弥陀佛菩萨大众而现在前。我今在此耆阇崛山诸菩萨众所共围绕。彼临终时亦如是见。当知是人即为已得无尽法藏。当知是人得宿命智。当知是人不堕恶道。善男子,我今说此一切世间难信之法,设有众生作五逆罪,闻是经已书持读诵为人解说,所有业障咸得消除,终不受于恶趣之苦。斯人即为诸佛菩萨之所护念,在在所生诸根具足,蒙佛灌顶五眼清净。善男子,取要言之,我见是人已成佛道。”
佛说此经已,胜思惟等一切菩萨,及诸声闻天龙八部,皆大欢喜信受奉行。
唐中天竺三藏法师地婆诃罗奉敕译
如是我闻。一时佛在王舍城耆阇崛山中,与大菩萨无量百千亿那由他数,皆是大智精进善巧,证无言法获妙辩才,是处非处不相违反,善调身心具诸解脱,常游三昧不舍大悲,惭愧为身智慧为首,多所饶益如大宝洲,了知诸法善不善相,不著文字而有言说,于真俗门洞达无碍,深明实际不住其中,善能分别而无所受,虽厌生死常护世间,周遍十方有大名称,于真妙藏寂然宴息,虽现受身永出三界,而行诸有勉济众生,平等教诲志常贤善,平等怜愍心无染著,能令自他莫不清净,成就如是无量功德。其名曰胜思惟菩萨、法震音菩萨、妙身菩萨、法辋菩萨、辩积菩萨、持地菩萨、持世菩萨、大名称菩萨、具诸辩菩萨、千容相菩萨、功德山菩萨、莲华眼菩萨、莲华面菩萨、珠髻菩萨、妙音菩萨,如是等菩萨摩诃萨,皆如童子色相端严,于此众中而为上首。
尔时观自在菩萨与恒河沙等绍尊位者诸菩萨俱。殊胜见菩萨与无央数天帝释俱。虚空藏菩萨与无量菩萨及无量四天王众俱。大势至菩萨与无量亿梵天众俱。遍吉祥菩萨与无量婇女俱。普贤菩萨、不空见菩萨、星宿王菩萨、离疑菩萨、息诸盖菩萨、药王菩萨、药上菩萨,各与无量菩萨众俱。其中亦有无量诸佛,自变其身作菩萨像。尊者舍利弗、摩诃目揵连、摩诃迦叶,如是等大阿罗汉,各与无量声闻众俱。那罗延等无量天众,乃至恒沙国土日月诸天,威光照耀悉来佛所。至佛所已。彼天威光不能复现,犹如聚墨对阎浮金。婆楼那龙王、德叉迦龙王、阿那婆达多龙王、美音乾闼婆王、无扰浊迦楼罗王、各与无量诸眷属俱,来入此会。十方世界如恒河沙所有菩萨,咸于本土启请如来,与诸四众同时到此,各持种种出过世间殊好供事,奉上于佛诸菩萨已。即于会中坐莲华座。
尔时胜思惟菩萨摩诃萨从座而起,偏袒右肩右膝著地,合掌向佛,而作是言:“世尊,我今欲请二字之义,惟愿如来垂哀见许。”
佛告胜思惟菩萨言:“善男子,欲有问者随汝意问,如来不为一众生故出现世间。为欲利益无量众生而出现耳。于是胜思惟菩萨即白佛言:“世尊,何者一法,是诸菩萨所应永离?何者一法,是诸菩萨应常护持?何者一法,是诸如来现所觉了?”佛言:“善哉善哉!善男子,汝以如来威神之力,乃能问我如是深义。谛听谛听!善思念之,当为汝说。
“善男子,有一种法菩萨应离,所谓欲贪。善男子,如是一法是诸菩萨所应永离。善男子,复有一法菩萨应离,所谓瞋怒。如是一法是诸菩萨所应永离。善男子,复有一法菩萨应离,所谓愚痴。如是一法是诸菩萨所应永离。善男子,复有一法菩萨应离,所谓我取。善男子,复有一法菩萨应离,所谓疑惑。善男子,复有一法菩萨应离,所谓憍慢。善男子,复有一法菩萨应离,所谓懈怠。善男子,复有一法菩萨应离,所谓惛眠。善男子,复有一法菩萨应离,所谓爱著。善男子,如是一法,是诸菩萨所应永离。
“善男子,汝复问我,何者一法,是诸菩萨应常护持?善男子,谓诸菩萨非己所安不加于物。若诸菩萨守护此法,即是能持诸佛如来一切禁戒。何以故?自爱身命不应杀生。自重资财不应偷盗。自护妻室不应侵他。如是等行皆名一法。善男子。若有敬顺如来语者,于此一法常当忆念。何以故?无有众生爱乐于苦,凡有所作悉求安乐。乃至菩萨求阿耨多罗三藐三菩提,亦为自他皆得乐故。善男子,以如是义我说此言。非己所安不加于物,如是一法是诸菩萨应常护持。
“善男子,如汝所问何者一法是诸如来现所觉了。善男子,无有少法是如来觉。何以故?如来觉者无所觉故。善男子,一切法无生是如来觉。一切法无灭是如来觉。一切法离二边是如来觉。一切法不实是如来觉。善男子,诸业自性是如来觉。一切法从因缘生,是如来觉。因缘之法犹如电光,是如来觉。以因缘故而有诸业,是如来觉。善男子,一切法性普光明藏,是如来觉。善男子,何故法性名普光明藏?善男子,世出世智依之以生,如母怀子故名为藏。若智生时反照其本,如是法性为般若波罗蜜之所摄藏,是故名为普光明藏。善男子,一切法如幻如焰,是如来觉。善男子,诸法实性一味解脱,是如来觉。一味解脱是即名为普光明藏。善男子,一相法是如来觉。云何一相?所谓诸法不来不去、非因非缘、不生不灭、无取无舍、不增不减。善男子,诸法自性本无所有不可为喻,非是文辞之所辩说。如是一法,是诸如来现所觉了。”
当佛说此庄严王离文字普光明藏法门之时,有十地菩萨所见微尘数众生,悉发阿耨多罗三藐三菩提心。复有如是微尘数众生,皆发声闻辟支佛心。复有如是微尘数众生,在地狱者皆得离苦生人天中。无量菩萨得入初地。无量菩萨得百千三昧。无量众生悉蒙利益无空过者。
尔时佛告罗睺罗言:“善男子,我此法要汝当受持。”说是语时,会中有九十亿菩萨摩诃萨,承佛威神即皆避座,白佛言:“世尊,我等誓当受持如来所说法要,于此娑婆国土最后时中,见有其人流通为说。”
尔时四天王白佛言:“世尊,若有能持此经典者我当拥护,令其志愿皆得满足。所以者何?能持此经是法器故。”尔时世尊,普观众会而作是言:“诸仁者,我此所说甚深方广希有法门,非诸众生有少善根而能听受。能听受者即为承事供养于我,亦为荷担无上菩提。是人当得辩才无碍。决定生于清净佛土。是人临终定得亲见阿弥陀佛菩萨大众而现在前。我今在此耆阇崛山诸菩萨众所共围绕。彼临终时亦如是见。当知是人即为已得无尽法藏。当知是人得宿命智。当知是人不堕恶道。善男子,我今说此一切世间难信之法,设有众生作五逆罪,闻是经已书持读诵为人解说,所有业障咸得消除,终不受于恶趣之苦。斯人即为诸佛菩萨之所护念,在在所生诸根具足,蒙佛灌顶五眼清净。善男子,取要言之,我见是人已成佛道。”
佛说此经已,胜思惟等一切菩萨,及诸声闻天龙八部,皆大欢喜信受奉行。
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