在《称扬诸佛功德经》里记载了一个佛号,经上说受持称念这个佛号可以获得极大的功德利益,经上讲称念这个佛号能够不退转于无上菩提,迅速成佛!消灭一亿劫的生死重罪,可以生生世世获得天眼通、天耳通、神足通!(得到天眼通,就可以用天眼见十方诸佛,得到天耳通,就可以用天耳听闻十方诸佛讲经说法,得到神足通,飞行自在,就可以游历十方诸佛的佛国净土了,生生世世都不会迷茫彷徨了!)称念这个佛号可以生生世世获得端正庄严的相貌,绝对不会成为相貌丑陋的人。称念这个佛号可以生生世世获得尊贵的出身,绝对不会转生在下劣之处。称念这个佛号可以生生世世常生中国,常得见佛,闻法、见僧!绝对不会转生在八难之处!经上说往昔具有曾供养五千尊佛的功德,才能够听闻道这个佛号,听闻到这个佛号,而不生起信心的人,当知其是从恶趣转生来的,业障深重!经上说假如这个三千大千世界全部充满烈火,.如果有人在这个火焰充满的世界里宣讲此佛号功德,我们都应当进去听闻!
这个佛号就是“德内丰严王如来”!
归依德内丰严王如来能成就极其巨大的福报
如果某能能够受持此佛号,从此以后,一切苦难完全消尽,纯是福德啊,以后生生世世都会过的非常美好,不但世代无论在何处何地都是尊贵之人,而且世代自有神通自在之力,在佛法上也不再退转,真正的大福德人
此佛号功德的珍贵,如来是这么形容的:是故阿逸。其有欲求此大福者。若使三千大千世界满其中火。故当入中听斯佛名智能之法。
念佛之法:是故阿逸。并当专精持此佛名。若族姓子族姓女。欲得殊特妙净刹者。当急听此诸尊佛名称其名号。当为作礼自作是言。我今礼于德内丰严王如来至真等正觉明行成为善逝世间解无上士道法御天人师号曰众佑度人无量。
德内丰严王如来
1.其有得闻斯佛名者。欢喜信乐持讽诵念而为作礼。其人皆当得不退转。
2.疾成无上正真之道。
3.却一亿劫生死之罪
4.其有供养五千佛者。此辈阿逸。尔乃得闻德内丰严王如来名号。
5.其闻名者。从是以后所生之处。常得天眼未曾不得天眼之时
6.常能彻听未曾不得天耳之时
7.常能飞行无有不得神足之时。
8.乃至泥曰常得端政。未曾受于丑恶之形。
9.乃至泥曰常当尊贵。未曾生于下劣之处。
10.乃至泥曰悉能除坏众欲之缚。
11.其人六情眼耳鼻口及于身意终无有疾。
12..乃至泥曰初未曾生无佛之处。听大尊法未曾有碍。不得听时未曾有碍。不见僧时亦复不生八难之处。
13.戒常具足无有缺时。
14.识心清净无有忿乱时。
15。当知阿逸。其有得闻此佛名者。净心信乐于最正觉。如渴欲饮。发信敬心向如来者。此等阿逸。悉能捉持诸佛世界最特之利。其人皆当获于殊妙奇特功德。
经书原文,出自佛说称扬诸佛功德经
于是阿逸菩萨。长跪叉手前白佛言。宁有一事菩萨摩诃萨。于此事中具大乘愿住不退转。疾成无上正真道不。佛言有。阿逸。北方有世界名曰丰严。其国有佛。号德内丰严王如来至真等正觉明行成为善逝世间解无上士道法御天人师号曰众佑度人无量。其有得闻斯佛名者。欢喜信乐持讽诵念而为作礼。其人皆当得不退转。疾成无上正真之道。却一亿劫生死之罪。其有供养五千佛者。此辈阿逸。尔乃得闻德内丰严王如来名号。其闻名者。从是以后所生之处。常得天眼未曾不得天眼之时。常能彻听未曾不得天耳之时。常能飞行无有不得神足之时。乃至泥曰常得端政。未曾受于丑恶之形。乃至泥曰常当尊贵。未曾生于下劣之处。乃至泥曰悉能除坏众欲之缚。其人六情眼耳鼻口及于身意终无有疾。乃至泥曰初未曾生无佛之处。听大尊法未曾有碍。不得听时未曾有碍。不见僧时亦复不生八难之处。戒常具足无有缺时。识心清净无有忿乱时。当知阿逸。其有得闻此佛名者。净心信乐于最正觉。如渴欲饮。发信敬心向如来者。此等阿逸。悉能捉持诸佛世界最特之利。其人皆当获于殊妙奇特功德。是故阿逸。并当专精持此佛名。若族姓子族姓女。欲得殊特妙净刹者。当急听此诸尊佛名称其名号。当为作礼自作是言。我今礼于德内丰严王如来至真等正觉明行成为善逝世间解无上士道法御天人师号曰众佑度人无量。阿逸白佛言。惟天中天。其佛刹土为在何所去此远近。成佛以来为几时也。佛告阿逸。设使纵广百由延中一大埠沙。取一沙着一佛刹。如是悉着诸佛刹中悉令沙尽。如是沙数诸佛刹土悉满中沙。复取诸佛刹土中沙。复以一沙着一佛刹。如是诸国刹中沙。悉使令尽取此沙数。诸佛刹土悉破为尘。复取一尘着一佛刹悉令尘尽。是诸佛国尘数刹土犹尚未至。余未到者过此百倍。其佛刹土去此极远不可称量。其佛世尊在彼丰严刹土之中。而今现在与无央数诸开士等不可称计诸比丘众。前后围遶而为说法。我于此坐遥用肉眼。见其如来于大众中广说经法。彼佛世尊于彼刹土在高座上。亦用肉眼观此世界。亦复见我在于座上于大众中而说经法。阿逸当知。若有众生信诸如来肉眼所见。而欢喜者。此必成就正觉之道。斯等皆诸佛如来之所护持。令使信乐而不狐疑。斯等皆当捉持如来深妙之慧。得不退转于最正觉。是故阿逸。其有欲求此大福者。若使三千大千世界满其中火。故当入中听斯佛名智能之法
我们应该发愿,当我们成佛时,使称念我们的佛号的众生,也能够获得如称念“德内丰严王如来"佛号这样大的功德利益,使称念我们佛号的众生能不退转无上菩提,迅速成佛!
南无德内丰严王如来!
南无德内丰严王如来!
南无德内丰严王如来!
这个佛号就是“德内丰严王如来”!
归依德内丰严王如来能成就极其巨大的福报
如果某能能够受持此佛号,从此以后,一切苦难完全消尽,纯是福德啊,以后生生世世都会过的非常美好,不但世代无论在何处何地都是尊贵之人,而且世代自有神通自在之力,在佛法上也不再退转,真正的大福德人
此佛号功德的珍贵,如来是这么形容的:是故阿逸。其有欲求此大福者。若使三千大千世界满其中火。故当入中听斯佛名智能之法。
念佛之法:是故阿逸。并当专精持此佛名。若族姓子族姓女。欲得殊特妙净刹者。当急听此诸尊佛名称其名号。当为作礼自作是言。我今礼于德内丰严王如来至真等正觉明行成为善逝世间解无上士道法御天人师号曰众佑度人无量。
德内丰严王如来
1.其有得闻斯佛名者。欢喜信乐持讽诵念而为作礼。其人皆当得不退转。
2.疾成无上正真之道。
3.却一亿劫生死之罪
4.其有供养五千佛者。此辈阿逸。尔乃得闻德内丰严王如来名号。
5.其闻名者。从是以后所生之处。常得天眼未曾不得天眼之时
6.常能彻听未曾不得天耳之时
7.常能飞行无有不得神足之时。
8.乃至泥曰常得端政。未曾受于丑恶之形。
9.乃至泥曰常当尊贵。未曾生于下劣之处。
10.乃至泥曰悉能除坏众欲之缚。
11.其人六情眼耳鼻口及于身意终无有疾。
12..乃至泥曰初未曾生无佛之处。听大尊法未曾有碍。不得听时未曾有碍。不见僧时亦复不生八难之处。
13.戒常具足无有缺时。
14.识心清净无有忿乱时。
15。当知阿逸。其有得闻此佛名者。净心信乐于最正觉。如渴欲饮。发信敬心向如来者。此等阿逸。悉能捉持诸佛世界最特之利。其人皆当获于殊妙奇特功德。
经书原文,出自佛说称扬诸佛功德经
于是阿逸菩萨。长跪叉手前白佛言。宁有一事菩萨摩诃萨。于此事中具大乘愿住不退转。疾成无上正真道不。佛言有。阿逸。北方有世界名曰丰严。其国有佛。号德内丰严王如来至真等正觉明行成为善逝世间解无上士道法御天人师号曰众佑度人无量。其有得闻斯佛名者。欢喜信乐持讽诵念而为作礼。其人皆当得不退转。疾成无上正真之道。却一亿劫生死之罪。其有供养五千佛者。此辈阿逸。尔乃得闻德内丰严王如来名号。其闻名者。从是以后所生之处。常得天眼未曾不得天眼之时。常能彻听未曾不得天耳之时。常能飞行无有不得神足之时。乃至泥曰常得端政。未曾受于丑恶之形。乃至泥曰常当尊贵。未曾生于下劣之处。乃至泥曰悉能除坏众欲之缚。其人六情眼耳鼻口及于身意终无有疾。乃至泥曰初未曾生无佛之处。听大尊法未曾有碍。不得听时未曾有碍。不见僧时亦复不生八难之处。戒常具足无有缺时。识心清净无有忿乱时。当知阿逸。其有得闻此佛名者。净心信乐于最正觉。如渴欲饮。发信敬心向如来者。此等阿逸。悉能捉持诸佛世界最特之利。其人皆当获于殊妙奇特功德。是故阿逸。并当专精持此佛名。若族姓子族姓女。欲得殊特妙净刹者。当急听此诸尊佛名称其名号。当为作礼自作是言。我今礼于德内丰严王如来至真等正觉明行成为善逝世间解无上士道法御天人师号曰众佑度人无量。阿逸白佛言。惟天中天。其佛刹土为在何所去此远近。成佛以来为几时也。佛告阿逸。设使纵广百由延中一大埠沙。取一沙着一佛刹。如是悉着诸佛刹中悉令沙尽。如是沙数诸佛刹土悉满中沙。复取诸佛刹土中沙。复以一沙着一佛刹。如是诸国刹中沙。悉使令尽取此沙数。诸佛刹土悉破为尘。复取一尘着一佛刹悉令尘尽。是诸佛国尘数刹土犹尚未至。余未到者过此百倍。其佛刹土去此极远不可称量。其佛世尊在彼丰严刹土之中。而今现在与无央数诸开士等不可称计诸比丘众。前后围遶而为说法。我于此坐遥用肉眼。见其如来于大众中广说经法。彼佛世尊于彼刹土在高座上。亦用肉眼观此世界。亦复见我在于座上于大众中而说经法。阿逸当知。若有众生信诸如来肉眼所见。而欢喜者。此必成就正觉之道。斯等皆诸佛如来之所护持。令使信乐而不狐疑。斯等皆当捉持如来深妙之慧。得不退转于最正觉。是故阿逸。其有欲求此大福者。若使三千大千世界满其中火。故当入中听斯佛名智能之法
我们应该发愿,当我们成佛时,使称念我们的佛号的众生,也能够获得如称念“德内丰严王如来"佛号这样大的功德利益,使称念我们佛号的众生能不退转无上菩提,迅速成佛!
南无德内丰严王如来!
南无德内丰严王如来!
南无德内丰严王如来!
#沉香重华##颜淡应渊一直都是双向奔赴#把整块沉香放进去,只要一点点火星,它就会烧起来,在烧成细屑前都不会停下,然后换一块新的继续烧。可是等到沉香如屑,再怎么用火折子点上都烧不起来了。就像这块沉香,我已经烧过了成了细屑,就连一点火光都不会有了,最多只是烧尽后的余。大家加油,家不可拆,我们不走
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蜜柑
芥川龍之介
或曇つた冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待つてゐた。とうに電燈のついた客車の中には、珍らしく私の外に一人も乗客はゐなかつた。外を覗のぞくと、うす暗いプラツトフオオムにも、今日は珍しく見送りの人影さへ跡を絶つて、唯、檻をりに入れられた小犬が一匹、時々悲しさうに、吠え立ててゐた。これらはその時の私の心もちと、不思議な位似つかはしい景色だつた。私の頭の中には云ひやうのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のやうなどんよりした影を落してゐた。私は外套のポツケツトへぢつと両手をつつこんだ儘まま、そこにはいつてゐる夕刊を出して見ようと云ふ元気さへ起らなかつた。
が、やがて発車の笛が鳴つた。私はかすかな心の寛くつろぎを感じながら、後の窓枠へ頭をもたせて、眼の前の停車場がずるずると後ずさりを始めるのを待つともなく待ちかまへてゐた。所がそれよりも先にけたたましい日和ひより下駄の音が、改札口の方から聞え出したと思ふと、間もなく車掌の何か云ひ罵ののしる声と共に、私の乗つてゐる二等室の戸ががらりと開いて、十三四の小娘が一人、慌あわただしく中へはいつて来た、と同時に一つづしりと揺れて、徐おもむろに汽車は動き出した。一本づつ眼をくぎつて行くプラツトフオオムの柱、置き忘れたやうな運水車、それから車内の誰かに祝儀の礼を云つてゐる赤帽――さう云ふすべては、窓へ吹きつける煤煙の中に、未練がましく後へ倒れて行つた。私は漸やうやくほつとした心もちになつて、巻煙草に火をつけながら、始めて懶ものうい睚まぶたをあげて、前の席に腰を下してゐた小娘の顔を一瞥いちべつした。
それは油気のない髪をひつつめの銀杏返いてふがへしに結つて、横なでの痕のある皸ひびだらけの両頬を気持の悪い程赤く火照ほてらせた、如何にも田舎者ゐなかものらしい娘だつた。しかも垢じみた萌黄色もえぎいろの毛糸の襟巻がだらりと垂れ下つた膝の上には、大きな風呂敷包みがあつた。その又包みを抱いた霜焼けの手の中には、三等の赤切符が大事さうにしつかり握られてゐた。私はこの小娘の下品な顔だちを好まなかつた。それから彼女の服装が不潔なのもやはり不快だつた。最後にその二等と三等との区別さへも弁わきまへない愚鈍な心が腹立たしかつた。だから巻煙草に火をつけた私は、一つにはこの小娘の存在を忘れたいと云ふ心もちもあつて、今度はポツケツトの夕刊を漫然と膝の上へひろげて見た。すると其時夕刊の紙面に落ちてゐた外光が、突然電燈の光に変つて、刷すりの悪い何欄かの活字が意外な位鮮あざやかに私の眼の前へ浮んで来た。云ふまでもなく汽車は今、横須賀線に多い隧道トンネルの最初のそれへはいつたのである。
しかしその電燈の光に照らされた夕刊の紙面を見渡しても、やはり私の憂欝を慰むべく、世間は余りに平凡な出来事ばかりで持ち切つてゐた。講和問題、新婦新郎、涜職とくしよく事件、死亡広告――私は隧道へはいつた一瞬間、汽車の走つてゐる方向が逆になつたやうな錯覚を感じながら、それらの索漠とした記事から記事へ殆ほとんど機械的に眼を通した。が、その間も勿論あの小娘が、恰あたかも卑俗な現実を人間にしたやうな面持ちで、私の前に坐つてゐる事を絶えず意識せずにはゐられなかつた。この隧道の中の汽車と、この田舎者の小娘と、さうして又この平凡な記事に埋つてゐる夕刊と、――これが象徴でなくて何であらう。不可解な、下等な、退屈な人生の象徴でなくて何であらう。私は一切がくだらなくなつて、読みかけた夕刊を抛はふり出すと、又窓枠に頭を靠もたせながら、死んだやうに眼をつぶつて、うつらうつらし始めた。
それから幾分か過ぎた後であつた。ふと何かに脅おびやかされたやうな心もちがして、思はずあたりを見まはすと、何時いつの間にか例の小娘が、向う側から席を私の隣へ移して、頻しきりに窓を開けようとしてゐる。が、重い硝子戸ガラスどは中々思ふやうにあがらないらしい。あの皸ひびだらけの頬は愈いよいよ赤くなつて、時々鼻洟はなをすすりこむ音が、小さな息の切れる声と一しよに、せはしなく耳へはいつて来る。これは勿論私にも、幾分ながら同情を惹ひくに足るものには相違なかつた。しかし汽車が今将まさに隧道トンネルの口へさしかからうとしてゐる事は、暮色の中に枯草ばかり明い両側の山腹が、間近く窓側に迫つて来たのでも、すぐに合点がてんの行く事であつた。にも関らずこの小娘は、わざわざしめてある窓の戸を下さうとする、――その理由が私には呑みこめなかつた。いや、それが私には、単にこの小娘の気まぐれだとしか考へられなかつた。だから私は腹の底に依然として険しい感情を蓄へながら、あの霜焼けの手が硝子戸を擡もたげようとして悪戦苦闘する容子ようすを、まるでそれが永久に成功しない事でも祈るやうな冷酷な眼で眺めてゐた。すると間もなく凄じい音をはためかせて、汽車が隧道へなだれこむと同時に、小娘の開けようとした硝子戸は、とうとうばたりと下へ落ちた。さうしてその四角な穴の中から、煤すすを溶したやうなどす黒い空気が、俄にはかに息苦しい煙になつて、濛々もうもうと車内へ漲みなぎり出した。元来咽喉のどを害してゐた私は、手巾ハンケチを顔に当てる暇さへなく、この煙を満面に浴びせられたおかげで、殆ほとんど息もつけない程咳せきこまなければならなかつた。が、小娘は私に頓着する気色けしきも見えず、窓から外へ首をのばして、闇を吹く風に銀杏返いてふがへしの鬢びんの毛を戦そよがせながら、ぢつと汽車の進む方向を見やつてゐる。その姿を煤煙ばいえんと電燈の光との中に眺めた時、もう窓の外が見る見る明くなつて、そこから土の匂や枯草の匂や水の匂が冷ひややかに流れこんで来なかつたなら、漸やうやく咳きやんだ私は、この見知らない小娘を頭ごなしに叱りつけてでも、又元の通り窓の戸をしめさせたのに相違なかつたのである。
しかし汽車はその時分には、もう安々と隧道トンネルを辷すべりぬけて、枯草の山と山との間に挾まれた、或貧しい町はづれの踏切りに通りかかつてゐた。踏切りの近くには、いづれも見すぼらしい藁屋根や瓦屋根がごみごみと狭苦しく建てこんで、踏切り番が振るのであらう、唯一旒いちりうのうす白い旗が懶ものうげに暮色を揺ゆすつてゐた。やつと隧道を出たと思ふ――その時その蕭索せうさくとした踏切りの柵の向うに、私は頬の赤い三人の男の子が、目白押しに並んで立つてゐるのを見た。彼等は皆、この曇天に押しすくめられたかと思ふ程、揃そろつて背が低かつた。さうして又この町はづれの陰惨たる風物と同じやうな色の着物を着てゐた。それが汽車の通るのを仰ぎ見ながら、一斉に手を挙げるが早いか、いたいけな喉を高く反そらせて、何とも意味の分らない喊声かんせいを一生懸命に迸ほとばしらせた。するとその瞬間である。窓から半身を乗り出してゐた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振つたと思ふと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まつてゐる蜜柑みかんが凡そ五つ六つ、汽車を見送つた子供たちの上へばらばらと空から降つて来た。私は思はず息を呑んだ。さうして刹那に一切を了解した。小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴おもむかうとしてゐる小娘は、その懐に蔵してゐた幾顆いくくわの蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。
暮色を帯びた町はづれの踏切りと、小鳥のやうに声を挙げた三人の子供たちと、さうしてその上に乱落する鮮あざやかな蜜柑の色と――すべては汽車の窓の外に、瞬またたく暇もなく通り過ぎた。が、私の心の上には、切ない程はつきりと、この光景が焼きつけられた。さうしてそこから、或得体えたいの知れない朗ほがらかな心もちが湧き上つて来るのを意識した。私は昂然と頭を挙げて、まるで別人を見るやうにあの小娘を注視した。小娘は何時かもう私の前の席に返つて、不相変あひかはらず皸ひびだらけの頬を萌黄色の毛糸の襟巻に埋めながら、大きな風呂敷包みを抱へた手に、しつかりと三等切符を握つてゐる。…………
私はこの時始めて、云ひやうのない疲労と倦怠とを、さうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである。
(大正八年四月)
蜜柑
芥川龍之介
或曇つた冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待つてゐた。とうに電燈のついた客車の中には、珍らしく私の外に一人も乗客はゐなかつた。外を覗のぞくと、うす暗いプラツトフオオムにも、今日は珍しく見送りの人影さへ跡を絶つて、唯、檻をりに入れられた小犬が一匹、時々悲しさうに、吠え立ててゐた。これらはその時の私の心もちと、不思議な位似つかはしい景色だつた。私の頭の中には云ひやうのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のやうなどんよりした影を落してゐた。私は外套のポツケツトへぢつと両手をつつこんだ儘まま、そこにはいつてゐる夕刊を出して見ようと云ふ元気さへ起らなかつた。
が、やがて発車の笛が鳴つた。私はかすかな心の寛くつろぎを感じながら、後の窓枠へ頭をもたせて、眼の前の停車場がずるずると後ずさりを始めるのを待つともなく待ちかまへてゐた。所がそれよりも先にけたたましい日和ひより下駄の音が、改札口の方から聞え出したと思ふと、間もなく車掌の何か云ひ罵ののしる声と共に、私の乗つてゐる二等室の戸ががらりと開いて、十三四の小娘が一人、慌あわただしく中へはいつて来た、と同時に一つづしりと揺れて、徐おもむろに汽車は動き出した。一本づつ眼をくぎつて行くプラツトフオオムの柱、置き忘れたやうな運水車、それから車内の誰かに祝儀の礼を云つてゐる赤帽――さう云ふすべては、窓へ吹きつける煤煙の中に、未練がましく後へ倒れて行つた。私は漸やうやくほつとした心もちになつて、巻煙草に火をつけながら、始めて懶ものうい睚まぶたをあげて、前の席に腰を下してゐた小娘の顔を一瞥いちべつした。
それは油気のない髪をひつつめの銀杏返いてふがへしに結つて、横なでの痕のある皸ひびだらけの両頬を気持の悪い程赤く火照ほてらせた、如何にも田舎者ゐなかものらしい娘だつた。しかも垢じみた萌黄色もえぎいろの毛糸の襟巻がだらりと垂れ下つた膝の上には、大きな風呂敷包みがあつた。その又包みを抱いた霜焼けの手の中には、三等の赤切符が大事さうにしつかり握られてゐた。私はこの小娘の下品な顔だちを好まなかつた。それから彼女の服装が不潔なのもやはり不快だつた。最後にその二等と三等との区別さへも弁わきまへない愚鈍な心が腹立たしかつた。だから巻煙草に火をつけた私は、一つにはこの小娘の存在を忘れたいと云ふ心もちもあつて、今度はポツケツトの夕刊を漫然と膝の上へひろげて見た。すると其時夕刊の紙面に落ちてゐた外光が、突然電燈の光に変つて、刷すりの悪い何欄かの活字が意外な位鮮あざやかに私の眼の前へ浮んで来た。云ふまでもなく汽車は今、横須賀線に多い隧道トンネルの最初のそれへはいつたのである。
しかしその電燈の光に照らされた夕刊の紙面を見渡しても、やはり私の憂欝を慰むべく、世間は余りに平凡な出来事ばかりで持ち切つてゐた。講和問題、新婦新郎、涜職とくしよく事件、死亡広告――私は隧道へはいつた一瞬間、汽車の走つてゐる方向が逆になつたやうな錯覚を感じながら、それらの索漠とした記事から記事へ殆ほとんど機械的に眼を通した。が、その間も勿論あの小娘が、恰あたかも卑俗な現実を人間にしたやうな面持ちで、私の前に坐つてゐる事を絶えず意識せずにはゐられなかつた。この隧道の中の汽車と、この田舎者の小娘と、さうして又この平凡な記事に埋つてゐる夕刊と、――これが象徴でなくて何であらう。不可解な、下等な、退屈な人生の象徴でなくて何であらう。私は一切がくだらなくなつて、読みかけた夕刊を抛はふり出すと、又窓枠に頭を靠もたせながら、死んだやうに眼をつぶつて、うつらうつらし始めた。
それから幾分か過ぎた後であつた。ふと何かに脅おびやかされたやうな心もちがして、思はずあたりを見まはすと、何時いつの間にか例の小娘が、向う側から席を私の隣へ移して、頻しきりに窓を開けようとしてゐる。が、重い硝子戸ガラスどは中々思ふやうにあがらないらしい。あの皸ひびだらけの頬は愈いよいよ赤くなつて、時々鼻洟はなをすすりこむ音が、小さな息の切れる声と一しよに、せはしなく耳へはいつて来る。これは勿論私にも、幾分ながら同情を惹ひくに足るものには相違なかつた。しかし汽車が今将まさに隧道トンネルの口へさしかからうとしてゐる事は、暮色の中に枯草ばかり明い両側の山腹が、間近く窓側に迫つて来たのでも、すぐに合点がてんの行く事であつた。にも関らずこの小娘は、わざわざしめてある窓の戸を下さうとする、――その理由が私には呑みこめなかつた。いや、それが私には、単にこの小娘の気まぐれだとしか考へられなかつた。だから私は腹の底に依然として険しい感情を蓄へながら、あの霜焼けの手が硝子戸を擡もたげようとして悪戦苦闘する容子ようすを、まるでそれが永久に成功しない事でも祈るやうな冷酷な眼で眺めてゐた。すると間もなく凄じい音をはためかせて、汽車が隧道へなだれこむと同時に、小娘の開けようとした硝子戸は、とうとうばたりと下へ落ちた。さうしてその四角な穴の中から、煤すすを溶したやうなどす黒い空気が、俄にはかに息苦しい煙になつて、濛々もうもうと車内へ漲みなぎり出した。元来咽喉のどを害してゐた私は、手巾ハンケチを顔に当てる暇さへなく、この煙を満面に浴びせられたおかげで、殆ほとんど息もつけない程咳せきこまなければならなかつた。が、小娘は私に頓着する気色けしきも見えず、窓から外へ首をのばして、闇を吹く風に銀杏返いてふがへしの鬢びんの毛を戦そよがせながら、ぢつと汽車の進む方向を見やつてゐる。その姿を煤煙ばいえんと電燈の光との中に眺めた時、もう窓の外が見る見る明くなつて、そこから土の匂や枯草の匂や水の匂が冷ひややかに流れこんで来なかつたなら、漸やうやく咳きやんだ私は、この見知らない小娘を頭ごなしに叱りつけてでも、又元の通り窓の戸をしめさせたのに相違なかつたのである。
しかし汽車はその時分には、もう安々と隧道トンネルを辷すべりぬけて、枯草の山と山との間に挾まれた、或貧しい町はづれの踏切りに通りかかつてゐた。踏切りの近くには、いづれも見すぼらしい藁屋根や瓦屋根がごみごみと狭苦しく建てこんで、踏切り番が振るのであらう、唯一旒いちりうのうす白い旗が懶ものうげに暮色を揺ゆすつてゐた。やつと隧道を出たと思ふ――その時その蕭索せうさくとした踏切りの柵の向うに、私は頬の赤い三人の男の子が、目白押しに並んで立つてゐるのを見た。彼等は皆、この曇天に押しすくめられたかと思ふ程、揃そろつて背が低かつた。さうして又この町はづれの陰惨たる風物と同じやうな色の着物を着てゐた。それが汽車の通るのを仰ぎ見ながら、一斉に手を挙げるが早いか、いたいけな喉を高く反そらせて、何とも意味の分らない喊声かんせいを一生懸命に迸ほとばしらせた。するとその瞬間である。窓から半身を乗り出してゐた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振つたと思ふと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まつてゐる蜜柑みかんが凡そ五つ六つ、汽車を見送つた子供たちの上へばらばらと空から降つて来た。私は思はず息を呑んだ。さうして刹那に一切を了解した。小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴おもむかうとしてゐる小娘は、その懐に蔵してゐた幾顆いくくわの蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。
暮色を帯びた町はづれの踏切りと、小鳥のやうに声を挙げた三人の子供たちと、さうしてその上に乱落する鮮あざやかな蜜柑の色と――すべては汽車の窓の外に、瞬またたく暇もなく通り過ぎた。が、私の心の上には、切ない程はつきりと、この光景が焼きつけられた。さうしてそこから、或得体えたいの知れない朗ほがらかな心もちが湧き上つて来るのを意識した。私は昂然と頭を挙げて、まるで別人を見るやうにあの小娘を注視した。小娘は何時かもう私の前の席に返つて、不相変あひかはらず皸ひびだらけの頬を萌黄色の毛糸の襟巻に埋めながら、大きな風呂敷包みを抱へた手に、しつかりと三等切符を握つてゐる。…………
私はこの時始めて、云ひやうのない疲労と倦怠とを、さうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである。
(大正八年四月)
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