元SKE48 松井玲奈 采访
同じ人のことを考えても見え方が違うのは面白い発見だった
――松井さんは原作となった恋愛小説『よだかの片想い』に惚れ込み、映像化を熱望していたそうですが、主人公の前田アイコを演じると決まった時は、どんな気持ちでしたか?
松井玲奈(以下、松井) 出演の話が少しずつ進んでいるというのは知っていたんですけど、一時期お話が止まってしまい、できないと思っていたんです。急に撮影が決まったものの、その間に私も歳を重ねていったので、果たして大学生の役ができるのだろうかと不安に思うこともたくさんありました。その後、大学院生に設定が変わりましたが、演じられるうれしさはありつつも、私にできるんだろうか?というプレッシャーが大きかったです。これだけ多くの人が力を貸してくれて、映画が作れるように土台を用意してくれて、自分がその人たちの思いにちゃんと応えられるかどうか。みんなが満足するものを作ることができるのか……。自分たちが自信を持って作ったものなのは間違いないですが、公開直前の今も、観た人たちがどう感じるのかというプレッシャーの中にいます。
――全体的に演技のトーンが抑えめで、アイコと恋人の飛坂逢太(中島歩)が気持ちをぶつけ合うシーンも、そこまで感情を剥き出しにしない印象を受けました。
松井 中島さんの芝居の影響が大きいと思っています。最初に本読みをした時から、中島さんのナチュラルなトーンに合わせた方ほうがいいなと思って、自分自身もあまり誇張しないというか、中島さんの空気感に乗っかろうとしていました。
――中島さんとのやりとりで、あの雰囲気が生まれていったのですね。
松井 撮影現場に入ってからも、中島さんの空気感というか、芝居の雰囲気は本読みの時と変わらなかったんです。それと違うテンションでやってしまうと作品全体のトーンがぐしゃぐしゃになってしまうだろうなと思ったので、意識的に抑え目にしていました。それがアイコを演じる上でも結果としてよかったと思います。
――中島さんの印象はいかがでしたか?
松井 つかみどころのない不思議な人だなという風に今も思っています。別の作品ではトリッキーな役も演じられていたので、引き出しが本当に多い方なんだろうなと感じています。
――アイコを演じる上で、安川有果監督から具体的な指示はあったのでしょうか。
松井 事前にはなかったんですが、私が持っていた原作のアイコ像と、監督が持っている映画のアイコ像が少し違う部分があって、それがある意味、面白さだなと思いました。同じ人のことを考えていても、ちょっとズレがあるというのがリアルな人間らしさだなと。認知の違いというと大袈裟ですけど、見え方がこうも違うんだなというのは面白い発見でした。私は原作が好きすぎるが故に固執してしまうところがあるので、お互いの意見を擦り合わせながら、監督のことを信頼してできる環境に徐々になっていったのが印象的でした。
――松井さんはアイコをどう捉えていたのでしょうか。
松井 アイコの顔にアザがあるということをウイークポイントに捉えてしまう人がいると思います。もちろんそれもこの作品にとって大事なことの一つではあるんですが、そこよりもアイコが飛坂さんと出会ってから始まる恋心の物語を重点的に意識して演じるようにしていました。アザがあるとかないとかを考えて、こういうお芝居をしなきゃいけないというよりは、シーンの中で問題が持ち上がった時に、どう反応するかを重視していたと思います。
――特に印象に残っているシーンを教えてください。
松井 飛坂さんとぶつかり合うシーンです。私はすごく悲しい気持ちを持ってリハーサルをしていたんですけど、監督からは「そこは怒りをもっとぶつけてほしい」と言われて。アイコは人に怒りをぶつけるのがすごく怖いというように私は感じていたので、「怒りという感情が分からないです。分からないけど、でもやってみます」という感じで、本番でやってみたら、自分が考えていた悲しさって一つだけの感情じゃなくて、怒りもあるし、悔しさもあるし、悲しさもある。いろんなものが混ざって、それを彼にぶつけるっていうことを監督が言いたかったんだなと、どんどん分かっていって。それは自分としてもアイコという役としても、ひとりでは見つけられない感情や表現だったので、とても印象的なシーンになりました。
自分を受け入れて、認めてくれる人たちが、周りには確かにいる
――随所に長回しを効果的に配した独特のカメラワークが、アイコの気持ちを巧みに捉えているように感じました。
松井 実際に長回しで撮影している時は全く意識していなくて、「完成したらどうなるんだろう」くらいの感覚だったんですが、寄りのシーンは過去の人生にないぐらいカメラに寄られていました(笑)。ラストシーンでカメラがアイコに寄るシーンも、カメラのフレームが頬にあたるくらいの近さでしたからね。その近さに驚きつつも、アイコの目をちゃんと映すことで、言葉に頼らなくても、カメラワークで彼女の想いを表現できる方法が面白かったです。撮っている時は全体が分からないことも多かったので、1本の作品になって、腑に落ちることも多かったです。
――ラストのダンスシーンは松井さんのアドリブの動きが多かったのでしょうか。
松井 基本的なステップだけ教えてもらって、そこから楽しく自由にやってくださいという感じでした。
――まさに言葉よりも、ダンスによってアイコの気持ちが能弁に伝わると感じました。
松井 後で自分が演じていた時の表情を見ていると、どんどん開けていく感覚があったような気がします。私自身はちょっと恥ずかしがりなので、踊ったりするのは抵抗があるタイプなんですけど、実際にやってみると、どんどん楽しくなっていって、ああいうシーンになりました。
―映画の大きなキーワードに「コンプレックス」があると思います。コンプレックスに対して松井さんはどう考えていらっしゃいますか?
松井 『よだかの片想い』を読んだ時に、コンプレックスは自分が抱えるものというより、人に指摘されて初めて気づくものなんだと発見しました。アイコも同級生に「顔のアザが変」と言われて、「自分の体の一部が人と違うのが変なんだ」と初めて気づかされてしまう。私自身の過去を思い返しても、コンプレックスは人から指摘されたことで、気になったことのほうが圧倒的に多いと思うので、ちょっとした呪いみたいなものなのかなと。でも考え方を変えると、コンプレックスはチャームポイントにもなりえるなと感じています。
――松井さん自身、コンプレックスをチャームポイントだと感じた経験はあったのでしょうか?
松井 今はそんなこともないんですけど、以前は自分の左目がすごく嫌いでした。というのも今よりも奥二重だったので、「キツく見える」と人から言われたことがあり、それからずっと前髪で隠していました。でもお芝居をする時に、「左右の目の表情が違うのが素敵だね」と言ってもらえて、「一つの顔なのに、二つの顔を見せられるのってお得だな」と思って。考え方を少し変えれば、自分にとってプラスにもなりえるんだなと、今は前向きに考えられるようになっています。
――改めて映画の見どころを教えてください。
松井 アイコの初恋の物語でありながら、自分が周りの人に受け入れられ、助けてもらっていたということに彼女が気づいていく物語でもあります。それはどの人にも当てはまることで、自分の殻の中に閉じこもって、「私の周りには誰もいないんだ。一人ぼっちななんだ」と思っていても、ちょっと見方を変えると、そんな自分をしっかり受け入れてくれて、認めてくれる人たちが、周りには確かにいるんですよね。そんなことを、この映画を観た人にも感じてもらえたらうれしいです。
やりたくないことを先に全部書き出しておく
――松井さんはSKE48のオープニングメンバーとしてデビューしましたが、お芝居のお仕事を志したのはいつ頃ですか?
松井 もともとお芝居がしたくて芸能界に入ったので、最初からですね。ステージから客席に向けて歌って踊ることで、人に見られる耐性がつくと思ったし、表現の勉強にもなると考えていました。アイドル活動をしている間も、お芝居をしたいという気持ちはずっと変わらなかったです。
――お芝居をしたいという気持ちはどんなきっかけで芽生えましたか?
松井 小さい頃から学芸会で、表現したり、人に観てもらったりすることが好きでした。母が宝塚を好きだったのもあって、天海祐希さんが出ている舞台を観に行ったこともあります。蜷川幸雄さんが演出されている舞台を映像で観た時に、舞台っていろんな表現があって、自由なんだなと感じたんです。たとえば「ここが火星です」と言ったら、それだけで舞台が火星に変わる。その自由さと、生でお芝居をしている俳優さんたちの熱量や集中力みたいなものが伝わって来てすごく感動して、私も舞台の上で、何かを表現する人になりたいなと思ったのが最初のきっかけです。
――アイドルグループでの経験が、お芝居にも活きている部分はありますか?
松井 ずっとライブ活動をしていたので、何が起きても動じない力というか、ハプニングとかイレギュラーなことに関しての耐性はついたのかなと思います。
――グループを卒業して、一人で活動するようになって、意識が変わったと感じることはありますか?
松井 現場は基本的に初めて会う人たちばかりで、その時のチームでひとつのものを作るので、現場ごとに転職しているみたいな感覚です。現場ごとに新しい職場に行って、そこで人間関係を作ってコミュニケーションもとらなきゃいけないし、もちろんお芝居もしないといけない。その大変さは一人になってから常々感じています。でも、数を重ねていくと、何回もご一緒できるスタッフさんや共演者の方々、「お久しぶりですね」と言える方が増えていくことがうれしいですね。
――最後に進路選択を控えているティーンにメッセージをお願いします。
松井 よく「やりたいことが分からないです」と聞かれることがあります。私の場合、お芝居がしたいというのは決まっていましたが、それよりもやりたくないことのほうが多くて。これはやりたくないけど、これだったらやりたいというのが、結構はっきり決まっているタイプの人間なんです。そう考えられるようになったのは、学校の先生に「やりたくないことを先に全部書き出しておくといい。それ以外は許容できることで、やってもいいよって思えること。まずは自分の苦手なことや、やりたくないことを理解しておくと自分に向いていることや、やりたいことが見えてくると思う」と言われたことが大きくて。それを実践した時に、「これも無理だ、あれも無理だ」となったけど、私の好きなもの、やりたいことは、お芝居で表現することなのかもしれないと明確に気づけたんです。だから、やりたくないことをはっきりさせると、見えてくるものもあるのではないでしょうか。
同じ人のことを考えても見え方が違うのは面白い発見だった
――松井さんは原作となった恋愛小説『よだかの片想い』に惚れ込み、映像化を熱望していたそうですが、主人公の前田アイコを演じると決まった時は、どんな気持ちでしたか?
松井玲奈(以下、松井) 出演の話が少しずつ進んでいるというのは知っていたんですけど、一時期お話が止まってしまい、できないと思っていたんです。急に撮影が決まったものの、その間に私も歳を重ねていったので、果たして大学生の役ができるのだろうかと不安に思うこともたくさんありました。その後、大学院生に設定が変わりましたが、演じられるうれしさはありつつも、私にできるんだろうか?というプレッシャーが大きかったです。これだけ多くの人が力を貸してくれて、映画が作れるように土台を用意してくれて、自分がその人たちの思いにちゃんと応えられるかどうか。みんなが満足するものを作ることができるのか……。自分たちが自信を持って作ったものなのは間違いないですが、公開直前の今も、観た人たちがどう感じるのかというプレッシャーの中にいます。
――全体的に演技のトーンが抑えめで、アイコと恋人の飛坂逢太(中島歩)が気持ちをぶつけ合うシーンも、そこまで感情を剥き出しにしない印象を受けました。
松井 中島さんの芝居の影響が大きいと思っています。最初に本読みをした時から、中島さんのナチュラルなトーンに合わせた方ほうがいいなと思って、自分自身もあまり誇張しないというか、中島さんの空気感に乗っかろうとしていました。
――中島さんとのやりとりで、あの雰囲気が生まれていったのですね。
松井 撮影現場に入ってからも、中島さんの空気感というか、芝居の雰囲気は本読みの時と変わらなかったんです。それと違うテンションでやってしまうと作品全体のトーンがぐしゃぐしゃになってしまうだろうなと思ったので、意識的に抑え目にしていました。それがアイコを演じる上でも結果としてよかったと思います。
――中島さんの印象はいかがでしたか?
松井 つかみどころのない不思議な人だなという風に今も思っています。別の作品ではトリッキーな役も演じられていたので、引き出しが本当に多い方なんだろうなと感じています。
――アイコを演じる上で、安川有果監督から具体的な指示はあったのでしょうか。
松井 事前にはなかったんですが、私が持っていた原作のアイコ像と、監督が持っている映画のアイコ像が少し違う部分があって、それがある意味、面白さだなと思いました。同じ人のことを考えていても、ちょっとズレがあるというのがリアルな人間らしさだなと。認知の違いというと大袈裟ですけど、見え方がこうも違うんだなというのは面白い発見でした。私は原作が好きすぎるが故に固執してしまうところがあるので、お互いの意見を擦り合わせながら、監督のことを信頼してできる環境に徐々になっていったのが印象的でした。
――松井さんはアイコをどう捉えていたのでしょうか。
松井 アイコの顔にアザがあるということをウイークポイントに捉えてしまう人がいると思います。もちろんそれもこの作品にとって大事なことの一つではあるんですが、そこよりもアイコが飛坂さんと出会ってから始まる恋心の物語を重点的に意識して演じるようにしていました。アザがあるとかないとかを考えて、こういうお芝居をしなきゃいけないというよりは、シーンの中で問題が持ち上がった時に、どう反応するかを重視していたと思います。
――特に印象に残っているシーンを教えてください。
松井 飛坂さんとぶつかり合うシーンです。私はすごく悲しい気持ちを持ってリハーサルをしていたんですけど、監督からは「そこは怒りをもっとぶつけてほしい」と言われて。アイコは人に怒りをぶつけるのがすごく怖いというように私は感じていたので、「怒りという感情が分からないです。分からないけど、でもやってみます」という感じで、本番でやってみたら、自分が考えていた悲しさって一つだけの感情じゃなくて、怒りもあるし、悔しさもあるし、悲しさもある。いろんなものが混ざって、それを彼にぶつけるっていうことを監督が言いたかったんだなと、どんどん分かっていって。それは自分としてもアイコという役としても、ひとりでは見つけられない感情や表現だったので、とても印象的なシーンになりました。
自分を受け入れて、認めてくれる人たちが、周りには確かにいる
――随所に長回しを効果的に配した独特のカメラワークが、アイコの気持ちを巧みに捉えているように感じました。
松井 実際に長回しで撮影している時は全く意識していなくて、「完成したらどうなるんだろう」くらいの感覚だったんですが、寄りのシーンは過去の人生にないぐらいカメラに寄られていました(笑)。ラストシーンでカメラがアイコに寄るシーンも、カメラのフレームが頬にあたるくらいの近さでしたからね。その近さに驚きつつも、アイコの目をちゃんと映すことで、言葉に頼らなくても、カメラワークで彼女の想いを表現できる方法が面白かったです。撮っている時は全体が分からないことも多かったので、1本の作品になって、腑に落ちることも多かったです。
――ラストのダンスシーンは松井さんのアドリブの動きが多かったのでしょうか。
松井 基本的なステップだけ教えてもらって、そこから楽しく自由にやってくださいという感じでした。
――まさに言葉よりも、ダンスによってアイコの気持ちが能弁に伝わると感じました。
松井 後で自分が演じていた時の表情を見ていると、どんどん開けていく感覚があったような気がします。私自身はちょっと恥ずかしがりなので、踊ったりするのは抵抗があるタイプなんですけど、実際にやってみると、どんどん楽しくなっていって、ああいうシーンになりました。
―映画の大きなキーワードに「コンプレックス」があると思います。コンプレックスに対して松井さんはどう考えていらっしゃいますか?
松井 『よだかの片想い』を読んだ時に、コンプレックスは自分が抱えるものというより、人に指摘されて初めて気づくものなんだと発見しました。アイコも同級生に「顔のアザが変」と言われて、「自分の体の一部が人と違うのが変なんだ」と初めて気づかされてしまう。私自身の過去を思い返しても、コンプレックスは人から指摘されたことで、気になったことのほうが圧倒的に多いと思うので、ちょっとした呪いみたいなものなのかなと。でも考え方を変えると、コンプレックスはチャームポイントにもなりえるなと感じています。
――松井さん自身、コンプレックスをチャームポイントだと感じた経験はあったのでしょうか?
松井 今はそんなこともないんですけど、以前は自分の左目がすごく嫌いでした。というのも今よりも奥二重だったので、「キツく見える」と人から言われたことがあり、それからずっと前髪で隠していました。でもお芝居をする時に、「左右の目の表情が違うのが素敵だね」と言ってもらえて、「一つの顔なのに、二つの顔を見せられるのってお得だな」と思って。考え方を少し変えれば、自分にとってプラスにもなりえるんだなと、今は前向きに考えられるようになっています。
――改めて映画の見どころを教えてください。
松井 アイコの初恋の物語でありながら、自分が周りの人に受け入れられ、助けてもらっていたということに彼女が気づいていく物語でもあります。それはどの人にも当てはまることで、自分の殻の中に閉じこもって、「私の周りには誰もいないんだ。一人ぼっちななんだ」と思っていても、ちょっと見方を変えると、そんな自分をしっかり受け入れてくれて、認めてくれる人たちが、周りには確かにいるんですよね。そんなことを、この映画を観た人にも感じてもらえたらうれしいです。
やりたくないことを先に全部書き出しておく
――松井さんはSKE48のオープニングメンバーとしてデビューしましたが、お芝居のお仕事を志したのはいつ頃ですか?
松井 もともとお芝居がしたくて芸能界に入ったので、最初からですね。ステージから客席に向けて歌って踊ることで、人に見られる耐性がつくと思ったし、表現の勉強にもなると考えていました。アイドル活動をしている間も、お芝居をしたいという気持ちはずっと変わらなかったです。
――お芝居をしたいという気持ちはどんなきっかけで芽生えましたか?
松井 小さい頃から学芸会で、表現したり、人に観てもらったりすることが好きでした。母が宝塚を好きだったのもあって、天海祐希さんが出ている舞台を観に行ったこともあります。蜷川幸雄さんが演出されている舞台を映像で観た時に、舞台っていろんな表現があって、自由なんだなと感じたんです。たとえば「ここが火星です」と言ったら、それだけで舞台が火星に変わる。その自由さと、生でお芝居をしている俳優さんたちの熱量や集中力みたいなものが伝わって来てすごく感動して、私も舞台の上で、何かを表現する人になりたいなと思ったのが最初のきっかけです。
――アイドルグループでの経験が、お芝居にも活きている部分はありますか?
松井 ずっとライブ活動をしていたので、何が起きても動じない力というか、ハプニングとかイレギュラーなことに関しての耐性はついたのかなと思います。
――グループを卒業して、一人で活動するようになって、意識が変わったと感じることはありますか?
松井 現場は基本的に初めて会う人たちばかりで、その時のチームでひとつのものを作るので、現場ごとに転職しているみたいな感覚です。現場ごとに新しい職場に行って、そこで人間関係を作ってコミュニケーションもとらなきゃいけないし、もちろんお芝居もしないといけない。その大変さは一人になってから常々感じています。でも、数を重ねていくと、何回もご一緒できるスタッフさんや共演者の方々、「お久しぶりですね」と言える方が増えていくことがうれしいですね。
――最後に進路選択を控えているティーンにメッセージをお願いします。
松井 よく「やりたいことが分からないです」と聞かれることがあります。私の場合、お芝居がしたいというのは決まっていましたが、それよりもやりたくないことのほうが多くて。これはやりたくないけど、これだったらやりたいというのが、結構はっきり決まっているタイプの人間なんです。そう考えられるようになったのは、学校の先生に「やりたくないことを先に全部書き出しておくといい。それ以外は許容できることで、やってもいいよって思えること。まずは自分の苦手なことや、やりたくないことを理解しておくと自分に向いていることや、やりたいことが見えてくると思う」と言われたことが大きくて。それを実践した時に、「これも無理だ、あれも無理だ」となったけど、私の好きなもの、やりたいことは、お芝居で表現することなのかもしれないと明確に気づけたんです。だから、やりたくないことをはっきりさせると、見えてくるものもあるのではないでしょうか。
《把平凡的日子过出乐子》
中庸
读杨绛先生的文字更像是聆听一位哲人讲述那些烟尘往事,在平淡中有一种卓越的人生追求。
当你焦虑、浮躁、迷茫的时候,可以重新读读杨绛先生的这六句话。
一、
无论人生上到哪一层台阶,阶下有人在仰望你,阶上亦有人在俯视你,你抬头自卑,低头自得,唯有平视,才能看见真实的自己。
生活中总有这样的时刻:一瞬间情绪低落,然后看着周围的人,朋友、家人、同事,甚至是朋友圈的陌生人,好像每个人都过得比自己快乐。
于是会忍不住怀疑,是不是自己不够努力,也会忍不住羡慕,更会忍不住设想,如果自己能拥有那些,肯定会比现在好。
其实,每一种人生都有快乐,也躲避不了都有愁苦。
而唯一能够做的就是读懂自己的内心,承认自己、接纳自己,然后找到自己的道路,一步一个脚印往前走。
只有这样才能获得内心的平静和充实。
二、
走好选择的路,别选择好走的路,你才能拥有真正的自己。
世界上有太多的人想走捷径、想一夜成名、想一夜暴富,他们总想以最轻松写意的方式,过上最精彩纷呈的人生。
可是人生哪儿来那么多捷径?
每个人都有自己的路,踏踏实实地走好自己选择的路,才是给自己最好的交代。
如果内心不够坚定,一望见旁边有好走的路,就急着放弃自己的选择,到头来不仅会因为过于善变而失掉初心,最后往往还会一事无成。
不忘初心,方得始终。
三、
人间不会有单纯的快乐,快乐总夹杂着烦恼和忧虑。
人为什么要忆苦思甜?为什么不只回忆甜的部分?
因为苦涩也是人生的一部分,是快乐与忧愁共同构成了我们生活的全部。
杨绛先生写下这句话的时候,女儿钱媛和丈夫钱钟书已相继去世。
或许正是这种豁达支撑着杨绛先生,走过丧女之痛,走出丧夫之痛,然后以优雅的姿态度过了余生。
人活一辈子,总会明白所有的快乐,所有的伤痛,随着时间的流逝,总会慢慢变淡,然后逐渐消逝。
其实杨绛先生这话,追溯到源头就是《道德经》里的那句:祸兮福所倚,福兮祸所伏。
有时坏事可以引出好的结果,而好事发展到一定程度可能会演变成坏事。
所以凡事看淡些,人间没有永远,所有的事情都是瞬息万变的。
希望我们始终铭记:遇事向前看,眼下发生的一切,不过是往后的过眼云烟。今天的流的泪,待到他日,也不过一场笑谈。
四、
你的问题在于读书不多,而想得太多。
曾有个年轻读者给杨绛写信,抱怨这个社会太浮躁了。回信里,杨绛先生就说:你的问题主要在于读书不多而想得太多。
想太多大致已经成了我们这代人的通病。
很多人做一件事之前总会想很多,会遇到什么困难?付出那么多失败了怎么办?到时候别人又会怎么看自己?
于是想到最后,只能自欺欺人地说:算了,我还没准备好。
佛经上有一个故事说:两个和尚,一穷一富,都想去南海朝圣。
富和尚很早就开始存钱,穷和尚却仅带着一个钵盂就上路了。过了一年,穷和尚从南海朝圣回来,富和尚的准备工作还没完成。
富和尚问:“你那么穷,凭什么去南海?”
穷和尚说:“我不去南海,就心里难受。我每走一步,觉得距离南海就近一分,心里就安宁一点。你这个人个性稳重,不做没把握的事情,所以我回来了,你却还没有出发。”
当你克服了犹豫不决,克服了种种顾虑,终于开始去做了的时候,其实已经跨过了这条路上最大的阻碍。
而人跟人的差别就在这里,有人整天做白日梦,有人却一步一个脚印去做了。
所以想做的事,一定要立刻就去做,不要等明天,也不要说还没准备好,现在就是最好的时机。
五、
如要锻炼一个能做大事的人,必定要叫他吃苦受累,百不称心,才能养成坚忍的性格。一个人经过不同程度的锻炼,就获得不同程度的修养,不同程度的效益。好比香料,捣得愈碎,磨得愈细,香得愈浓烈。
一个人能否成大事,取决于他经受磨难的能力;就像决定一个拳击手水平高低的因素,不是他能不能打,而是他抗不抗打。
抗压能力,是我们的生存之本。苦难来临的时候,你得先抗住了,才能在压力之下有所成长。
孟子曰:“天将降大任于斯人也,必先苦其心志,劳其筋骨,饿其体肤,空乏其身,行拂乱其所为,所以动心忍性,增益其所不能。”
人也一样,从忧患中获得成长,从失去中学会珍惜,从不断告别中懂得放手。经过不同程度的锻炼,就获得不同程度的修养,不同程度的效益。
六、
把平凡的日子过出乐子,相守就是最有趣的事。
杨绛先生在《我们仨》里有这样一段陈述:
“我们这个家,很朴素。我们与世无求,与人无争,只求相聚在一起,相守在一起,各自做力所能及的事。
碰到困难,钟书总和我一同承担,困难就不复困难。还有阿圆相伴相助,不论什么苦涩艰辛的事,都能变得甜润。
我们稍有一点快乐,也会变得非常快乐。所以我们仨是不寻常的遇合。”
杨绛先生说的没错,这种三口之家在生活中其实再平凡不过,几乎人人可以轻易拥有。但真正拥有“我们仨”这般感情的组合却并不多。
很多夫妻经过生活的磨练,多年之后嫌弃彼此,少了共同语言,缺少爱与体谅,对孩子也不足够包容。久而久之,变得无话可说,家里也变得死气沉沉。
其实,我们都忘了最初的那份简单的快乐,要求的越来越多,欲求就越来越不满。
回归本质,一家人健康地相守在一起就是最简单的幸福,平安相聚,即便各自做自己的事,什么都不说,也能感受那种稳稳的幸福感。
如果你有时觉得生活无聊,可能无趣的并不是生活本身,而是你自己。如果你觉得生活需要有所改变,可能需要改变的不是别人,而是你自己。
做好自己,与人相爱相知相守,把握人生微小而安稳的幸福。如此,就是最幸福的人生。
中庸
读杨绛先生的文字更像是聆听一位哲人讲述那些烟尘往事,在平淡中有一种卓越的人生追求。
当你焦虑、浮躁、迷茫的时候,可以重新读读杨绛先生的这六句话。
一、
无论人生上到哪一层台阶,阶下有人在仰望你,阶上亦有人在俯视你,你抬头自卑,低头自得,唯有平视,才能看见真实的自己。
生活中总有这样的时刻:一瞬间情绪低落,然后看着周围的人,朋友、家人、同事,甚至是朋友圈的陌生人,好像每个人都过得比自己快乐。
于是会忍不住怀疑,是不是自己不够努力,也会忍不住羡慕,更会忍不住设想,如果自己能拥有那些,肯定会比现在好。
其实,每一种人生都有快乐,也躲避不了都有愁苦。
而唯一能够做的就是读懂自己的内心,承认自己、接纳自己,然后找到自己的道路,一步一个脚印往前走。
只有这样才能获得内心的平静和充实。
二、
走好选择的路,别选择好走的路,你才能拥有真正的自己。
世界上有太多的人想走捷径、想一夜成名、想一夜暴富,他们总想以最轻松写意的方式,过上最精彩纷呈的人生。
可是人生哪儿来那么多捷径?
每个人都有自己的路,踏踏实实地走好自己选择的路,才是给自己最好的交代。
如果内心不够坚定,一望见旁边有好走的路,就急着放弃自己的选择,到头来不仅会因为过于善变而失掉初心,最后往往还会一事无成。
不忘初心,方得始终。
三、
人间不会有单纯的快乐,快乐总夹杂着烦恼和忧虑。
人为什么要忆苦思甜?为什么不只回忆甜的部分?
因为苦涩也是人生的一部分,是快乐与忧愁共同构成了我们生活的全部。
杨绛先生写下这句话的时候,女儿钱媛和丈夫钱钟书已相继去世。
或许正是这种豁达支撑着杨绛先生,走过丧女之痛,走出丧夫之痛,然后以优雅的姿态度过了余生。
人活一辈子,总会明白所有的快乐,所有的伤痛,随着时间的流逝,总会慢慢变淡,然后逐渐消逝。
其实杨绛先生这话,追溯到源头就是《道德经》里的那句:祸兮福所倚,福兮祸所伏。
有时坏事可以引出好的结果,而好事发展到一定程度可能会演变成坏事。
所以凡事看淡些,人间没有永远,所有的事情都是瞬息万变的。
希望我们始终铭记:遇事向前看,眼下发生的一切,不过是往后的过眼云烟。今天的流的泪,待到他日,也不过一场笑谈。
四、
你的问题在于读书不多,而想得太多。
曾有个年轻读者给杨绛写信,抱怨这个社会太浮躁了。回信里,杨绛先生就说:你的问题主要在于读书不多而想得太多。
想太多大致已经成了我们这代人的通病。
很多人做一件事之前总会想很多,会遇到什么困难?付出那么多失败了怎么办?到时候别人又会怎么看自己?
于是想到最后,只能自欺欺人地说:算了,我还没准备好。
佛经上有一个故事说:两个和尚,一穷一富,都想去南海朝圣。
富和尚很早就开始存钱,穷和尚却仅带着一个钵盂就上路了。过了一年,穷和尚从南海朝圣回来,富和尚的准备工作还没完成。
富和尚问:“你那么穷,凭什么去南海?”
穷和尚说:“我不去南海,就心里难受。我每走一步,觉得距离南海就近一分,心里就安宁一点。你这个人个性稳重,不做没把握的事情,所以我回来了,你却还没有出发。”
当你克服了犹豫不决,克服了种种顾虑,终于开始去做了的时候,其实已经跨过了这条路上最大的阻碍。
而人跟人的差别就在这里,有人整天做白日梦,有人却一步一个脚印去做了。
所以想做的事,一定要立刻就去做,不要等明天,也不要说还没准备好,现在就是最好的时机。
五、
如要锻炼一个能做大事的人,必定要叫他吃苦受累,百不称心,才能养成坚忍的性格。一个人经过不同程度的锻炼,就获得不同程度的修养,不同程度的效益。好比香料,捣得愈碎,磨得愈细,香得愈浓烈。
一个人能否成大事,取决于他经受磨难的能力;就像决定一个拳击手水平高低的因素,不是他能不能打,而是他抗不抗打。
抗压能力,是我们的生存之本。苦难来临的时候,你得先抗住了,才能在压力之下有所成长。
孟子曰:“天将降大任于斯人也,必先苦其心志,劳其筋骨,饿其体肤,空乏其身,行拂乱其所为,所以动心忍性,增益其所不能。”
人也一样,从忧患中获得成长,从失去中学会珍惜,从不断告别中懂得放手。经过不同程度的锻炼,就获得不同程度的修养,不同程度的效益。
六、
把平凡的日子过出乐子,相守就是最有趣的事。
杨绛先生在《我们仨》里有这样一段陈述:
“我们这个家,很朴素。我们与世无求,与人无争,只求相聚在一起,相守在一起,各自做力所能及的事。
碰到困难,钟书总和我一同承担,困难就不复困难。还有阿圆相伴相助,不论什么苦涩艰辛的事,都能变得甜润。
我们稍有一点快乐,也会变得非常快乐。所以我们仨是不寻常的遇合。”
杨绛先生说的没错,这种三口之家在生活中其实再平凡不过,几乎人人可以轻易拥有。但真正拥有“我们仨”这般感情的组合却并不多。
很多夫妻经过生活的磨练,多年之后嫌弃彼此,少了共同语言,缺少爱与体谅,对孩子也不足够包容。久而久之,变得无话可说,家里也变得死气沉沉。
其实,我们都忘了最初的那份简单的快乐,要求的越来越多,欲求就越来越不满。
回归本质,一家人健康地相守在一起就是最简单的幸福,平安相聚,即便各自做自己的事,什么都不说,也能感受那种稳稳的幸福感。
如果你有时觉得生活无聊,可能无趣的并不是生活本身,而是你自己。如果你觉得生活需要有所改变,可能需要改变的不是别人,而是你自己。
做好自己,与人相爱相知相守,把握人生微小而安稳的幸福。如此,就是最幸福的人生。
时隔5年 故地重游 2刷迪拜 ️
这次先在被誉为世界第八大奇迹和全球最美跳伞胜地之一的棕榈岛坐Gyrocopter小飞机俯瞰了棕榈岛上空
然后打卡完成了我人生中的第4次跳伞
btw 终于不是路过亚特兰蒂斯酒店了 以前去巴哈马的亚特兰蒂斯也没进去看看
这次进去打卡了亚特兰蒂斯水族馆!!我又开心了 https://t.cn/Aigy7q0G
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然后打卡完成了我人生中的第4次跳伞
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