【わたし達はおとな】
“自分”の範疇を超えていく――木竜麻生&藤原季節に訪れた、カメラの存在を完全に忘れた瞬間
――本作には、どのような経緯で参加することになったのでしょうか? 木竜さんは、加藤監督とは初タッグとなりました。
木竜:送られてきた脚本を読ませていただき、すぐにマネージャーさんと話したんです。「(脚本が)面白い。この作品はやろう」と。脚本は、最初から最後まで面白いと、純粋に感じましたし「2人(=優実と直哉)の事を見てみたい」と思いました。
――藤原さんは、加藤監督が演出した舞台「まゆをひそめて、僕を笑って」(2017)、「貴方なら生き残れるわ」(18)、「誰にも知られず死ぬ朝」(20)、「ぽに」(21)に出演されていますよね。
藤原:加藤さんとは付き合いが長いですね。「わたし達はおとな」に関しては、舞台の本番と重なっていて、元々出演することができなかったんです。「主人公は木竜さんに決まった」と加藤さんから報告を受けて「おめでとうございます。あとは相手役だけですね」と励ます立場だったんですが……参加するはずだった舞台が、コロナの影響で中止になったんです。それで加藤さんから声をかけていただき、すぐに脚本を読みました。
――どのように感じられましたか?
藤原:直哉を演じられるのは「僕しかいないな」と思いましたね(笑)。
一同:爆笑
藤原:脚本が本当に面白かった。「『面白い』。しかし、こんなことを言ってしまってもいいのだろうか」と感じる面白さがありましたね。二つ返事で出演が決まりました。
――では、クランクイン前に準備をしていたことはありますか?
藤原:加藤さんがリハーサルの機会を用意してくれて、何度も何度も繰り返していました。本作はラストに向かって、優実と積み上げていくものが必要になります。それには、役を演じる本人同士のコミュニケーションも大切です。なので、リハーサルの最中には、木竜さんと頻繁にコミュニケーションをとっていました。そういう時間は、加藤さんが用意してくれたんです。
木竜:今回の現場には、加藤監督と普段から仕事をしている方々が何人もいらっしゃったんです。リハーサルでは、共通言語を作る時間もとっていただけましたし、皆さんの作る“空気”に巻き込んでもらいながらセッションさせていただいた、という感じでした。
藤原:このリハーサルには、カメラも入っていたんです。まずは芝居の中で、僕たちが動きを作っていく。その後“カメラを何処に置けば、必要最低限のカットで、優実の表情の変化を撮れるのか”という点を、加藤さんたちが計算しながら探っていく。その一方で、僕らは芝居の精度を高める。スタッフと俳優のリハーサルが同時に行われているような感じだったんです。
――このリハーサルは、かなり重要な機会だったんですね。ちなみに、おふたりは初共演ですよね?
木竜:はい。でも、共通の友達がいるので、お互いの事を知ってはいたんです。
――“顔見知り”ではあったわけですね。では、今回の共演を通じて感じた「俳優・藤原季節」について教えていただけますか?
木竜:お芝居をすることに対して、何よりもまっすぐで強い。そんな印象を受けました。こんなにも芝居に対して夢中になれるのか……そんな風に感じてしまう方です。それは今回、実際に共演してみて強く思ったこと。「私も頑張らないと」「負けたくないな」という思いと、「でも、敵わないんだろうな」という考えが同時によぎってしまう俳優さんだと思っています。
――藤原さんは、いかがでしょうか?
藤原:木竜さんの出演作はほとんど見ています。ガラスのハートのように繊細なものを持ちながらも、それを突き抜ける“俳優としての強度”があるんです。同世代だと他に例がない。そうでなければ「菊とギロチン」のヒロインなんてできませんよ。
木竜:この事、いつも言ってくれるんですよ(笑)。
藤原:いやいや、誰にでもできる事じゃないから。“強度のある俳優”だということは、周知の事実だと思っています。
――では、加藤監督とのやりとりに話を転じましょう。木竜さんは、どのような対話を経て、優実の人物像を作り上げていきましたか?
木竜:リハーサルの最初から最後まで言われていたのは「今回は、どれだけ隠せるかが大切」ということです。心の中で思っている事、感情の動き、言いたい事、言えない事、言いたくはない事……これらをどれだけ隠せるのか。現場では、それらについて「出過ぎかな」「もう少しだけ出そう」と微調整を行ってもらったり、丁寧に強弱をつけていただいていました。もうひとつ言われていたのは「今回は暮らしを撮る。生活のある映画になる」ということ。この指針は、自分の中に持ち続けていたと思います。
――藤原さんは、前述の通り、加藤監督とは何度もご一緒されていますよね。加藤監督の魅力は、どのような点に表れていると思いますか?
藤原:“変化し続ける男”といえばいいんでしょうか……作品のカラーが、毎回異なる。そこがすごいですよね。でも、共通していることもあります。「善、悪」「好き、嫌い」「付き合う、付き合わない」「結婚する、結婚しない」という形では白黒がつけられない、“名前がつく前の曖昧な部分”を表現し続けているんだなと思っています。
――「映画の現場」だからこそ感じられた面白みはありましたか?
藤原:ワンカット・長回しを多用しているので、そういう意味では演劇に近いんです。演劇は“再現”をしないといけないので「感情をどこで出すか」という点は、稽古の時点で決まっていきます。「わたし達はおとな」のラストシーンは、ワンカット1発勝負をかけたところなんです。舞台上での“ライブ感”をそのまま生かした、たった1回のチャンス。俳優から何が出てくるのかは、誰もわからない。ここで感じた緊張感というのは、演劇の時よりも上だったかもしれません。どんなに良い芝居が撮れたとしても、例えば救急車の音が入ってしまったら、NGになってしまいますから。木竜さんの演技を見ているうちに「このワンカットで決まる。これは最後までいかないと、撮り直しがきかない」と感じたんです。だからこそ、ラストシーンは“目撃”してほしいんです。
――木竜さんの芝居を見て「ワンカットで決まる」と感じられた。それは、どのようなタイミングだったのでしょうか?
藤原:「わたし達はおとな」は、優実の物語なんです。優実が目的地まで運ばれるために、直哉と加藤さんという存在がいる。僕たちはラストシーンに勝負をかけていましたが、最後に戦うのは木竜さんひとり。最終的には、サポートできる部分が無くなっていくんです。カメラが回ってしまえば、任せるしかない。その時、木竜さんがしっかりと自分の足で立ち、優実になりきっている姿を見ました。それは木竜さんの範疇を超えているというか……。僕が演じている直哉も、僕の範疇から抜け出していく。次第に、優実と直哉の物語になる。木竜さんと僕はどこかに行ってしまった――そういう瞬間が、本番中にあったんです。
木竜:仰っていることが、とてもよくわかります。時間の感覚がない感じというか……。時間が止まっているわけでもなく、進んでいるわけでもないんです。
藤原:カメラの存在を、完全に忘れていますから。
木竜:そう、忘れていました! 映像を見返してみると、信じられない間(ま)ができていたり。でも、そんな間(ま)を作ろうという意識はなかったんです。初号試写を見た時に感じたのですが、自分の知らない声や顔がたくさんありました。(全編に)そういう自分がちらばっていて、少し変な感じだったんです。物語の後半になればなるほど、優実は直哉に思いの丈をぶつけていきます。藤原さんには、それを全部受け止めてもらいましたし、加藤組の皆さんの“芝居中の見守り方”も素晴らしかったんです。委ねることができた自分が、そこにいた――そう思えたのは、とても幸せな事でした。
藤原:芝居をする上では、全てが整っていた現場だったと思います。穏やかで、完璧でした。
――では、最後の質問とさせていただきます。「わたし達はおとな」というタイトルは“ヤングアダルトの時期”の象徴として付けられています。このタイトルは、改めて「おとな(=大人)」について考えるきっかけになりました。「おとなは『私はおとなだ』とは言わないのかもしれない」「『自分はおとなだ』と発言しなくなった頃から、本当の意味でおとなになるのではないか……?」等々。お二人にとって“おとなになる”とは、どういうことだと思いますか?
藤原:「おとな」と「こども」。自分の中には、その両方が存在しているんです。「おとな」の部分は、自分自身のことで悩まなくなったこと。僕はそんな「おとな」を嫌っていたんです。でも、そうやって嫌っていた存在に、きちんとなりつつある。それと同時に、自分はまだまだ「こども」なんだろうなと思うこともある。具体例を出すとなると、すぐには思いつきませんが……。役者という職業は、結局、現実逃避の延長線上にあると思っているんです。これしかできないという時点で、永遠に「こども」のままなのかもしれない。この感覚を失ってしまうと、ただのふざけた「おとな」になってしまうんです。映画に対する憧れ、純粋な気持ちを失うと、毎回毎回同じような芝居を繰り返し、それで満足するようになってしまう。それは全く“楽しくない”こと。表現というものには、きちんと向き合っていきたいんです。
木竜:わかりやすい点でいうと、頼る人の数が減ったのかなと思います。以前までは、幅広い関係性の中で甘えたり、頼ったりしていたと思うんです。でも、自分でしっかりと考えて、頼ってもいいと思える人を選択するようになりました。この変化が「おとな」になったのかなと思うんです。でも、誰かに頼ったり、甘えたりする自分を許容している部分は、まだまだ「こども」だなと思います。藤原さんが仰った「自分のことで悩まない」という点、私は「おとな」だなと感じました。私は、どうしても自分にベクトルが向きやすいタイプなので……。自分自身の「こども」の部分、そこもそうなのかなと思いました。
“自分”の範疇を超えていく――木竜麻生&藤原季節に訪れた、カメラの存在を完全に忘れた瞬間
――本作には、どのような経緯で参加することになったのでしょうか? 木竜さんは、加藤監督とは初タッグとなりました。
木竜:送られてきた脚本を読ませていただき、すぐにマネージャーさんと話したんです。「(脚本が)面白い。この作品はやろう」と。脚本は、最初から最後まで面白いと、純粋に感じましたし「2人(=優実と直哉)の事を見てみたい」と思いました。
――藤原さんは、加藤監督が演出した舞台「まゆをひそめて、僕を笑って」(2017)、「貴方なら生き残れるわ」(18)、「誰にも知られず死ぬ朝」(20)、「ぽに」(21)に出演されていますよね。
藤原:加藤さんとは付き合いが長いですね。「わたし達はおとな」に関しては、舞台の本番と重なっていて、元々出演することができなかったんです。「主人公は木竜さんに決まった」と加藤さんから報告を受けて「おめでとうございます。あとは相手役だけですね」と励ます立場だったんですが……参加するはずだった舞台が、コロナの影響で中止になったんです。それで加藤さんから声をかけていただき、すぐに脚本を読みました。
――どのように感じられましたか?
藤原:直哉を演じられるのは「僕しかいないな」と思いましたね(笑)。
一同:爆笑
藤原:脚本が本当に面白かった。「『面白い』。しかし、こんなことを言ってしまってもいいのだろうか」と感じる面白さがありましたね。二つ返事で出演が決まりました。
――では、クランクイン前に準備をしていたことはありますか?
藤原:加藤さんがリハーサルの機会を用意してくれて、何度も何度も繰り返していました。本作はラストに向かって、優実と積み上げていくものが必要になります。それには、役を演じる本人同士のコミュニケーションも大切です。なので、リハーサルの最中には、木竜さんと頻繁にコミュニケーションをとっていました。そういう時間は、加藤さんが用意してくれたんです。
木竜:今回の現場には、加藤監督と普段から仕事をしている方々が何人もいらっしゃったんです。リハーサルでは、共通言語を作る時間もとっていただけましたし、皆さんの作る“空気”に巻き込んでもらいながらセッションさせていただいた、という感じでした。
藤原:このリハーサルには、カメラも入っていたんです。まずは芝居の中で、僕たちが動きを作っていく。その後“カメラを何処に置けば、必要最低限のカットで、優実の表情の変化を撮れるのか”という点を、加藤さんたちが計算しながら探っていく。その一方で、僕らは芝居の精度を高める。スタッフと俳優のリハーサルが同時に行われているような感じだったんです。
――このリハーサルは、かなり重要な機会だったんですね。ちなみに、おふたりは初共演ですよね?
木竜:はい。でも、共通の友達がいるので、お互いの事を知ってはいたんです。
――“顔見知り”ではあったわけですね。では、今回の共演を通じて感じた「俳優・藤原季節」について教えていただけますか?
木竜:お芝居をすることに対して、何よりもまっすぐで強い。そんな印象を受けました。こんなにも芝居に対して夢中になれるのか……そんな風に感じてしまう方です。それは今回、実際に共演してみて強く思ったこと。「私も頑張らないと」「負けたくないな」という思いと、「でも、敵わないんだろうな」という考えが同時によぎってしまう俳優さんだと思っています。
――藤原さんは、いかがでしょうか?
藤原:木竜さんの出演作はほとんど見ています。ガラスのハートのように繊細なものを持ちながらも、それを突き抜ける“俳優としての強度”があるんです。同世代だと他に例がない。そうでなければ「菊とギロチン」のヒロインなんてできませんよ。
木竜:この事、いつも言ってくれるんですよ(笑)。
藤原:いやいや、誰にでもできる事じゃないから。“強度のある俳優”だということは、周知の事実だと思っています。
――では、加藤監督とのやりとりに話を転じましょう。木竜さんは、どのような対話を経て、優実の人物像を作り上げていきましたか?
木竜:リハーサルの最初から最後まで言われていたのは「今回は、どれだけ隠せるかが大切」ということです。心の中で思っている事、感情の動き、言いたい事、言えない事、言いたくはない事……これらをどれだけ隠せるのか。現場では、それらについて「出過ぎかな」「もう少しだけ出そう」と微調整を行ってもらったり、丁寧に強弱をつけていただいていました。もうひとつ言われていたのは「今回は暮らしを撮る。生活のある映画になる」ということ。この指針は、自分の中に持ち続けていたと思います。
――藤原さんは、前述の通り、加藤監督とは何度もご一緒されていますよね。加藤監督の魅力は、どのような点に表れていると思いますか?
藤原:“変化し続ける男”といえばいいんでしょうか……作品のカラーが、毎回異なる。そこがすごいですよね。でも、共通していることもあります。「善、悪」「好き、嫌い」「付き合う、付き合わない」「結婚する、結婚しない」という形では白黒がつけられない、“名前がつく前の曖昧な部分”を表現し続けているんだなと思っています。
――「映画の現場」だからこそ感じられた面白みはありましたか?
藤原:ワンカット・長回しを多用しているので、そういう意味では演劇に近いんです。演劇は“再現”をしないといけないので「感情をどこで出すか」という点は、稽古の時点で決まっていきます。「わたし達はおとな」のラストシーンは、ワンカット1発勝負をかけたところなんです。舞台上での“ライブ感”をそのまま生かした、たった1回のチャンス。俳優から何が出てくるのかは、誰もわからない。ここで感じた緊張感というのは、演劇の時よりも上だったかもしれません。どんなに良い芝居が撮れたとしても、例えば救急車の音が入ってしまったら、NGになってしまいますから。木竜さんの演技を見ているうちに「このワンカットで決まる。これは最後までいかないと、撮り直しがきかない」と感じたんです。だからこそ、ラストシーンは“目撃”してほしいんです。
――木竜さんの芝居を見て「ワンカットで決まる」と感じられた。それは、どのようなタイミングだったのでしょうか?
藤原:「わたし達はおとな」は、優実の物語なんです。優実が目的地まで運ばれるために、直哉と加藤さんという存在がいる。僕たちはラストシーンに勝負をかけていましたが、最後に戦うのは木竜さんひとり。最終的には、サポートできる部分が無くなっていくんです。カメラが回ってしまえば、任せるしかない。その時、木竜さんがしっかりと自分の足で立ち、優実になりきっている姿を見ました。それは木竜さんの範疇を超えているというか……。僕が演じている直哉も、僕の範疇から抜け出していく。次第に、優実と直哉の物語になる。木竜さんと僕はどこかに行ってしまった――そういう瞬間が、本番中にあったんです。
木竜:仰っていることが、とてもよくわかります。時間の感覚がない感じというか……。時間が止まっているわけでもなく、進んでいるわけでもないんです。
藤原:カメラの存在を、完全に忘れていますから。
木竜:そう、忘れていました! 映像を見返してみると、信じられない間(ま)ができていたり。でも、そんな間(ま)を作ろうという意識はなかったんです。初号試写を見た時に感じたのですが、自分の知らない声や顔がたくさんありました。(全編に)そういう自分がちらばっていて、少し変な感じだったんです。物語の後半になればなるほど、優実は直哉に思いの丈をぶつけていきます。藤原さんには、それを全部受け止めてもらいましたし、加藤組の皆さんの“芝居中の見守り方”も素晴らしかったんです。委ねることができた自分が、そこにいた――そう思えたのは、とても幸せな事でした。
藤原:芝居をする上では、全てが整っていた現場だったと思います。穏やかで、完璧でした。
――では、最後の質問とさせていただきます。「わたし達はおとな」というタイトルは“ヤングアダルトの時期”の象徴として付けられています。このタイトルは、改めて「おとな(=大人)」について考えるきっかけになりました。「おとなは『私はおとなだ』とは言わないのかもしれない」「『自分はおとなだ』と発言しなくなった頃から、本当の意味でおとなになるのではないか……?」等々。お二人にとって“おとなになる”とは、どういうことだと思いますか?
藤原:「おとな」と「こども」。自分の中には、その両方が存在しているんです。「おとな」の部分は、自分自身のことで悩まなくなったこと。僕はそんな「おとな」を嫌っていたんです。でも、そうやって嫌っていた存在に、きちんとなりつつある。それと同時に、自分はまだまだ「こども」なんだろうなと思うこともある。具体例を出すとなると、すぐには思いつきませんが……。役者という職業は、結局、現実逃避の延長線上にあると思っているんです。これしかできないという時点で、永遠に「こども」のままなのかもしれない。この感覚を失ってしまうと、ただのふざけた「おとな」になってしまうんです。映画に対する憧れ、純粋な気持ちを失うと、毎回毎回同じような芝居を繰り返し、それで満足するようになってしまう。それは全く“楽しくない”こと。表現というものには、きちんと向き合っていきたいんです。
木竜:わかりやすい点でいうと、頼る人の数が減ったのかなと思います。以前までは、幅広い関係性の中で甘えたり、頼ったりしていたと思うんです。でも、自分でしっかりと考えて、頼ってもいいと思える人を選択するようになりました。この変化が「おとな」になったのかなと思うんです。でも、誰かに頼ったり、甘えたりする自分を許容している部分は、まだまだ「こども」だなと思います。藤原さんが仰った「自分のことで悩まない」という点、私は「おとな」だなと感じました。私は、どうしても自分にベクトルが向きやすいタイプなので……。自分自身の「こども」の部分、そこもそうなのかなと思いました。
这堂课必须上!
佛陀给世人的二十条忠告,
每条都受益终生
佛陀说法四十九年,
讲经三百余回。
在四十九年弘化的生涯里,
最初直畅本怀,
讲说《 华严经 》二十一日,
后因观机逗教,
又再说
《 阿含经 》十二年、
《 方等经 》八年、
《 般若经 》二十二年,
《 法华经 》和
《 涅槃经 》共八年,
至于对个人特别的教化,
佛陀说过无量数次,
感化无量数人。
佛陀的教示是苦海中的法船,
接引众生从生死的此岸,
到达涅槃的彼岸。
以下20则佛陀的教化因缘及开示,
以见佛陀的慈悲。
1 、八风吹不动
利、衰、毁、誉、称、讥、苦、乐,
名之为
“ 八风 ”,
八种顺逆之境能动摇情绪,
让人心神不安。
如何才能
“ 八风吹不动 ”?
在《 法集经 》中,
佛陀说 :
能说空者,
世间之法所不能坏。
何以故?
心不依止世八法故。
何者为八?
而不依止于利衰等事,
不生忧喜称讥之音,
而无欣戚毁誉二法,
心不高下,
于诸苦乐,
不贪不厌,
如是世法,
不能破坏。
2 、人之异于禽兽者,
在于人类能知能觉
人能知能觉,
能够反省改过,
懂得惭愧忏悔。
《 增一阿含经 》卷九说 :
有二妙法,
拥护世间。
云何为二法?
所谓有惭、
有愧也。
诸比丘!
若无此二法,
世间则不别有父有母,
有兄有弟,
有妻子知识、
尊长大小,
便当与猪、鸡、狗、牛、羊六畜之类而同一等。
以其世间有此二法,
拥护世间,
则别有父母、
兄弟、
妻子、
尊长、
大小,
亦不与六畜共同。
3 、忏悔,
是重要的修行法门
有罪忏悔不仅可以消除罪业,
并能增长善根。
佛陀在
《 五分律 》卷三说 :
于我法中,
若知有罪,
而忏悔者,
增长善根。
4 、忍的力量胜过一切拳头刀枪
忍辱是对治瞋恚的最佳法门。
佛陀在
《 罗云忍辱经 》说 :
忍之为明,
踰于日月。
龙象之力,
可谓盛猛,
比之于忍,
万万不如一。
七宝之燿,
凡俗所贵,
然其招忧,
以致灾患;
忍之为宝,
终始获安。
布施十方,
虽有大福,
福不如忍。
5 、是非朝朝有,
不听自然无
佛陀在
《 增一阿含经 》
开示远离人我是非之道,
说 :
不毁谤于人,
亦不观是非,
但自观身行,
谛观正不正。
6 、好逸恶劳是人的通病,
唯 “ 精进 ”
是最好的良药
佛陀在
《 杂譬喻经 》 中举出
“ 精进报至 ” 的故事说 :
昔有伎儿,
作种种伎乐,
从一富长者乞牛。
长者了无与心,
故语之言 :
“ 汝能如是勤作伎乐,
昼夜不息,
满一岁者,
我当与汝牛。”
伎儿答言 :
“ 能。”
复与主人 :
“ 能听不?”
长者亦言 :
“ 能。”
于是伎儿闻是欢喜,
一心作乐,
三日三夜,
未尝休懈。
长者厌听已,
即敕子弟牵牛与之。
7 、知足之法,
即是富乐安隐之处
古人说 :
“ 养心莫善于寡欲。”
又说 :
“ 知足常乐。”
因此,
世间上最富有的人,
并不是拥有家财万贯的人。
真正的富人,
是知足的人。
《 佛遗教经 》说 :
知足之法,
即是富乐安隐之处。
知足之人,
虽卧地上,
犹为安乐;
不知足者,
虽处天堂,
亦不称意。
不知足者,
虽富而贫;
知足之人,
虽贫而富。
不知足者,
常为五欲所牵,
为知足者之所怜愍。
8 、知恩报恩,
是做人的根本
《 优婆塞戒经 》说 :
少恩加己,
思欲大报;
于己怨者,
恒生善心。
9 、重视孝道,
因为孝道是人伦之始
在《 贤愚经 》中,
佛陀开示阿难 :
出家在家,
慈心孝顺,
供养父母,
计其功德,
殊胜难量。
所以者何?
我自忆念过去世时,
慈心孝顺,
供养父母,
乃至身肉济救父母危急之厄。
以是功德,
上为天帝,
下为圣主,
乃至成佛,
三界特尊,
皆由是福。
10 、一个幸福美满的家庭,
必然有一位
“ 贤妻良母 ”
如何才是贤妻呢?
在《 玉耶女经 》中,
佛陀为玉耶开示为妇之道 :
作妇之法,
当有五等。
何谓为五?
一如母妇,
二如臣妇,
三如妹妇,
四者婢妇,
五者夫妇。
何谓母妇?
爱夫如子,
故名母妇。
何谓臣妇?
事夫如君,
故名臣妇。
何谓妹妇?
事夫如兄,
故名妹妇。
何谓婢妇?
事夫如妾,
故名婢妇。
何谓夫妇?
背亲向疏,
永离所生;
恩爱亲昵,
同心异形;
尊奉敬慎,
无憍慢情;
善事内外,
家殷丰盈;
待接宾客,
称扬善名 :
是谓夫妇之道。
11 、和乐安定的社会有待全民共同建立
佛陀在
《 无量寿经 》说 :
世间人民,
父子兄弟,
夫妇家室,
中外亲属,
当相敬爱,
无相憎忌;
有无相通,
无得贪惜;
言色常和,
莫相违戾。
12 、世间上每个人都需要朋友
朋友又有所谓的益友与损友。
什么是益友?
什么是损友?
在《 佛说孛经抄 》中,
佛陀说 :
友有四品,
不可不知!
有友如花,
有友如称,
有友如山,
有友如地。
何谓如花?
好时插头,
萎时捐之;
见富贵附,
贫贱则弃,
是花友也。
何谓如称?
物重头低,
物轻则仰;
有与则敬,
无与则慢,
是称友也。
何谓如山?
譬如金山,
鸟兽集之,
毛羽蒙光,
贵能荣人,
富乐同欢,
是山友也。
何谓如地?
百穀财宝,
一切仰之,
施给养护,
恩厚不薄,
是地友也。
13 、“ 礼贤下士 ”
是领导者成功的要素,
“ 妒贤害能 ”
则是失败之因
在《 四十二章经 》中,
佛陀说 :
恶人害贤者,
犹仰天而唾;
唾不污天,
还污己身。
贤者不可毁,
祸必灭己。
14 、尊师重道
佛陀在
《 阿难问事佛吉凶经 》中,
对师徒之道尤有周全的指示 :
师弟之义,
义感自然,
当相信厚,
视彼若己。
己所不行,
勿施于人;
弘崇礼律,
训之以道;
和顺忠节,
不相怨讼。
弟之与师,
二义真诚;
师当如师,
弟子当如弟子,
勿相毁谤,
慎莫含毒,
小怨成大,
还自烧身。
15 、多布施,
为大众创造福利
在佛经里,
布施喻如农夫耕田,
好的田地能获得丰收。
同样的,
多布施给贤德之人,
能为大众创造更多的福利,
为自己增添更多的福德。
《 四十二章经 》中说 :
饭恶人百,
不如饭一善人;
饭善人千,
不如饭一持五戒者;
饭五戒者万 ,
不如饭一须陀洹;
饭百万须陀洹,
不如饭一斯陀含;
饭千万斯陀含,
不如饭一阿那含;
饭一亿阿那含,
不如饭一阿罗汉;
饭十亿阿罗汉,
不如饭一辟支佛;
饭百亿辟支佛,
不如饭一三世诸佛。
16 、端正、
威仪、
安详、
自在
端正姝好,
这是人人梦寐以求的美事。
所谓 “ 端正 ”
并不单指色相的华美俊彦,
而是包含从内在自然流露出来的威仪、
庄严、
安详、
自在。
《 法句譬喻经 》说 :
所谓端正,
非色如华,
贪忌虚饰,
言行有违;
谓能舍恶,
根源已断,
慧而无恚,
是谓端正。
17 、人人都希望有好名声,
然而美名并非凭空而来
佛陀在
《 六波罗蜜经 》说,
想要获得好的名声必须做到 :
不说他人过,
亦不称己德,
智照无自他,
当获大名称。
18 、世间最大的财富不是黄金、
钻石,
而是智慧、
法财
佛陀在
《 正法念处经 》说 :
宝物归无常,
善法增智慧;
世间物破坏,
善法常坚固。
若有顺法行,
随人百千世;
虽种种宝物,
不能至后世。
种种财宝物,
则可强劫夺;
王贼及水火,
不能拔法财。
19 、世间事,
由小可以知著,
防微可以杜渐,
因此切莫以善小而不为,
更不可以恶小而为之
佛陀在
《 法句经 》说 :
莫轻小恶,
以为无殃,
水滴虽微,
渐盈大器。
凡罪充满,
从小积成。
莫轻小善,
以为无福,
水滴虽微,
渐盈大器。
凡福充满,
从纤纤积。
20 、将人做好,
离佛也就不远了
在十法界中,
人居于上升下沉的枢纽地位,
而且由于人具有精进、
忆念、
梵行三种特性胜过诸天,
所以历劫以来,
诸佛都在人道中证悟成佛。
太虚大师曾说 :
“ 人成即佛成,
是名真现实。”
学佛并不是渺不可及的事,
将人做好,
离佛也就不远了。
怎样才算是将人做好呢?
在《 增一阿含经 》中,
佛陀说有五种非人 :
应笑而不笑,
应喜而不喜,
应慈而不慈,
闻恶而不改,
闻善而不乐。
佛法是世间的光明。
有缘得闻佛法,
应如《 大集经 》说 :
“ 闻法者,
对说法人作医王想,
作拔苦想,
作说法甘露想,
作醍醐想;
说法者,
对听众作胜解增长想,
作癒病想。
若说者与听者能如是用意,
皆堪绍隆佛位,
常生佛前。”
文章选自《 佛光教科书 》
佛陀给世人的二十条忠告,
每条都受益终生
佛陀说法四十九年,
讲经三百余回。
在四十九年弘化的生涯里,
最初直畅本怀,
讲说《 华严经 》二十一日,
后因观机逗教,
又再说
《 阿含经 》十二年、
《 方等经 》八年、
《 般若经 》二十二年,
《 法华经 》和
《 涅槃经 》共八年,
至于对个人特别的教化,
佛陀说过无量数次,
感化无量数人。
佛陀的教示是苦海中的法船,
接引众生从生死的此岸,
到达涅槃的彼岸。
以下20则佛陀的教化因缘及开示,
以见佛陀的慈悲。
1 、八风吹不动
利、衰、毁、誉、称、讥、苦、乐,
名之为
“ 八风 ”,
八种顺逆之境能动摇情绪,
让人心神不安。
如何才能
“ 八风吹不动 ”?
在《 法集经 》中,
佛陀说 :
能说空者,
世间之法所不能坏。
何以故?
心不依止世八法故。
何者为八?
而不依止于利衰等事,
不生忧喜称讥之音,
而无欣戚毁誉二法,
心不高下,
于诸苦乐,
不贪不厌,
如是世法,
不能破坏。
2 、人之异于禽兽者,
在于人类能知能觉
人能知能觉,
能够反省改过,
懂得惭愧忏悔。
《 增一阿含经 》卷九说 :
有二妙法,
拥护世间。
云何为二法?
所谓有惭、
有愧也。
诸比丘!
若无此二法,
世间则不别有父有母,
有兄有弟,
有妻子知识、
尊长大小,
便当与猪、鸡、狗、牛、羊六畜之类而同一等。
以其世间有此二法,
拥护世间,
则别有父母、
兄弟、
妻子、
尊长、
大小,
亦不与六畜共同。
3 、忏悔,
是重要的修行法门
有罪忏悔不仅可以消除罪业,
并能增长善根。
佛陀在
《 五分律 》卷三说 :
于我法中,
若知有罪,
而忏悔者,
增长善根。
4 、忍的力量胜过一切拳头刀枪
忍辱是对治瞋恚的最佳法门。
佛陀在
《 罗云忍辱经 》说 :
忍之为明,
踰于日月。
龙象之力,
可谓盛猛,
比之于忍,
万万不如一。
七宝之燿,
凡俗所贵,
然其招忧,
以致灾患;
忍之为宝,
终始获安。
布施十方,
虽有大福,
福不如忍。
5 、是非朝朝有,
不听自然无
佛陀在
《 增一阿含经 》
开示远离人我是非之道,
说 :
不毁谤于人,
亦不观是非,
但自观身行,
谛观正不正。
6 、好逸恶劳是人的通病,
唯 “ 精进 ”
是最好的良药
佛陀在
《 杂譬喻经 》 中举出
“ 精进报至 ” 的故事说 :
昔有伎儿,
作种种伎乐,
从一富长者乞牛。
长者了无与心,
故语之言 :
“ 汝能如是勤作伎乐,
昼夜不息,
满一岁者,
我当与汝牛。”
伎儿答言 :
“ 能。”
复与主人 :
“ 能听不?”
长者亦言 :
“ 能。”
于是伎儿闻是欢喜,
一心作乐,
三日三夜,
未尝休懈。
长者厌听已,
即敕子弟牵牛与之。
7 、知足之法,
即是富乐安隐之处
古人说 :
“ 养心莫善于寡欲。”
又说 :
“ 知足常乐。”
因此,
世间上最富有的人,
并不是拥有家财万贯的人。
真正的富人,
是知足的人。
《 佛遗教经 》说 :
知足之法,
即是富乐安隐之处。
知足之人,
虽卧地上,
犹为安乐;
不知足者,
虽处天堂,
亦不称意。
不知足者,
虽富而贫;
知足之人,
虽贫而富。
不知足者,
常为五欲所牵,
为知足者之所怜愍。
8 、知恩报恩,
是做人的根本
《 优婆塞戒经 》说 :
少恩加己,
思欲大报;
于己怨者,
恒生善心。
9 、重视孝道,
因为孝道是人伦之始
在《 贤愚经 》中,
佛陀开示阿难 :
出家在家,
慈心孝顺,
供养父母,
计其功德,
殊胜难量。
所以者何?
我自忆念过去世时,
慈心孝顺,
供养父母,
乃至身肉济救父母危急之厄。
以是功德,
上为天帝,
下为圣主,
乃至成佛,
三界特尊,
皆由是福。
10 、一个幸福美满的家庭,
必然有一位
“ 贤妻良母 ”
如何才是贤妻呢?
在《 玉耶女经 》中,
佛陀为玉耶开示为妇之道 :
作妇之法,
当有五等。
何谓为五?
一如母妇,
二如臣妇,
三如妹妇,
四者婢妇,
五者夫妇。
何谓母妇?
爱夫如子,
故名母妇。
何谓臣妇?
事夫如君,
故名臣妇。
何谓妹妇?
事夫如兄,
故名妹妇。
何谓婢妇?
事夫如妾,
故名婢妇。
何谓夫妇?
背亲向疏,
永离所生;
恩爱亲昵,
同心异形;
尊奉敬慎,
无憍慢情;
善事内外,
家殷丰盈;
待接宾客,
称扬善名 :
是谓夫妇之道。
11 、和乐安定的社会有待全民共同建立
佛陀在
《 无量寿经 》说 :
世间人民,
父子兄弟,
夫妇家室,
中外亲属,
当相敬爱,
无相憎忌;
有无相通,
无得贪惜;
言色常和,
莫相违戾。
12 、世间上每个人都需要朋友
朋友又有所谓的益友与损友。
什么是益友?
什么是损友?
在《 佛说孛经抄 》中,
佛陀说 :
友有四品,
不可不知!
有友如花,
有友如称,
有友如山,
有友如地。
何谓如花?
好时插头,
萎时捐之;
见富贵附,
贫贱则弃,
是花友也。
何谓如称?
物重头低,
物轻则仰;
有与则敬,
无与则慢,
是称友也。
何谓如山?
譬如金山,
鸟兽集之,
毛羽蒙光,
贵能荣人,
富乐同欢,
是山友也。
何谓如地?
百穀财宝,
一切仰之,
施给养护,
恩厚不薄,
是地友也。
13 、“ 礼贤下士 ”
是领导者成功的要素,
“ 妒贤害能 ”
则是失败之因
在《 四十二章经 》中,
佛陀说 :
恶人害贤者,
犹仰天而唾;
唾不污天,
还污己身。
贤者不可毁,
祸必灭己。
14 、尊师重道
佛陀在
《 阿难问事佛吉凶经 》中,
对师徒之道尤有周全的指示 :
师弟之义,
义感自然,
当相信厚,
视彼若己。
己所不行,
勿施于人;
弘崇礼律,
训之以道;
和顺忠节,
不相怨讼。
弟之与师,
二义真诚;
师当如师,
弟子当如弟子,
勿相毁谤,
慎莫含毒,
小怨成大,
还自烧身。
15 、多布施,
为大众创造福利
在佛经里,
布施喻如农夫耕田,
好的田地能获得丰收。
同样的,
多布施给贤德之人,
能为大众创造更多的福利,
为自己增添更多的福德。
《 四十二章经 》中说 :
饭恶人百,
不如饭一善人;
饭善人千,
不如饭一持五戒者;
饭五戒者万 ,
不如饭一须陀洹;
饭百万须陀洹,
不如饭一斯陀含;
饭千万斯陀含,
不如饭一阿那含;
饭一亿阿那含,
不如饭一阿罗汉;
饭十亿阿罗汉,
不如饭一辟支佛;
饭百亿辟支佛,
不如饭一三世诸佛。
16 、端正、
威仪、
安详、
自在
端正姝好,
这是人人梦寐以求的美事。
所谓 “ 端正 ”
并不单指色相的华美俊彦,
而是包含从内在自然流露出来的威仪、
庄严、
安详、
自在。
《 法句譬喻经 》说 :
所谓端正,
非色如华,
贪忌虚饰,
言行有违;
谓能舍恶,
根源已断,
慧而无恚,
是谓端正。
17 、人人都希望有好名声,
然而美名并非凭空而来
佛陀在
《 六波罗蜜经 》说,
想要获得好的名声必须做到 :
不说他人过,
亦不称己德,
智照无自他,
当获大名称。
18 、世间最大的财富不是黄金、
钻石,
而是智慧、
法财
佛陀在
《 正法念处经 》说 :
宝物归无常,
善法增智慧;
世间物破坏,
善法常坚固。
若有顺法行,
随人百千世;
虽种种宝物,
不能至后世。
种种财宝物,
则可强劫夺;
王贼及水火,
不能拔法财。
19 、世间事,
由小可以知著,
防微可以杜渐,
因此切莫以善小而不为,
更不可以恶小而为之
佛陀在
《 法句经 》说 :
莫轻小恶,
以为无殃,
水滴虽微,
渐盈大器。
凡罪充满,
从小积成。
莫轻小善,
以为无福,
水滴虽微,
渐盈大器。
凡福充满,
从纤纤积。
20 、将人做好,
离佛也就不远了
在十法界中,
人居于上升下沉的枢纽地位,
而且由于人具有精进、
忆念、
梵行三种特性胜过诸天,
所以历劫以来,
诸佛都在人道中证悟成佛。
太虚大师曾说 :
“ 人成即佛成,
是名真现实。”
学佛并不是渺不可及的事,
将人做好,
离佛也就不远了。
怎样才算是将人做好呢?
在《 增一阿含经 》中,
佛陀说有五种非人 :
应笑而不笑,
应喜而不喜,
应慈而不慈,
闻恶而不改,
闻善而不乐。
佛法是世间的光明。
有缘得闻佛法,
应如《 大集经 》说 :
“ 闻法者,
对说法人作医王想,
作拔苦想,
作说法甘露想,
作醍醐想;
说法者,
对听众作胜解增长想,
作癒病想。
若说者与听者能如是用意,
皆堪绍隆佛位,
常生佛前。”
文章选自《 佛光教科书 》
坛 经
大师七月八日忽谓门人曰:“吾欲归新州,汝等速理舟楫。”大众哀留甚坚,师曰:“诸佛出现,犹示涅槃;有来必去,理亦常然。吾此形骸,归必有所。”众曰:“师从此去,早晚可回。”师曰:“叶落归根,来时无口。”又问曰:“正法眼藏,传付何人?”师曰:“有道者得,无心者通。”又问:“后莫有难否?”师曰:“吾灭后五六年,当有一人来取吾首,听吾记曰:‘头上养亲,口里须餐,遇满之难,杨、柳为官。’”又云:“吾去七十年,有二菩萨从东方来,一出家、一在家,同时兴化,建立吾宗,缔缉伽蓝,昌隆法嗣。”
问曰:“未知从上佛祖应现以来,传授几代?愿垂开示。”师云:“古佛应世,已无数量,不可计也。今以七佛为始,过去庄严劫——毗婆尸佛、尸弃佛、毗舍浮佛,今贤劫——拘留孙佛、拘那含牟尼佛、迦叶佛、释迦文佛,是为七佛。释迦文佛首传摩诃迦叶尊者、第二阿难尊者、第三商那和修尊者、第四优婆毱多尊者、第五提多迦尊者、第六弥遮迦尊者、第七婆须蜜多尊者、第八佛驮难提尊者、第九伏驮蜜多尊者、第十胁尊者、十一富那夜奢尊者、十二马鸣大士、十三迦毗摩罗尊者、十四龙树大士、十五迦那提婆尊者、十六罗□(日+侯)罗多尊者、十七僧伽难提尊者、十八伽耶舍多尊者、十九鸠摩罗多尊者、二十阇耶多尊者、二十一婆修盘头尊者、二十二摩拿罗尊者、二十三鹤勒那尊者、二十四师子尊者、二十五婆舍斯多尊者、二十六不如蜜多尊者、二十七般若多罗尊者、二十八菩提达摩尊者(此土是为初祖)、二十九慧可大师、三十僧璨大师、三十一道信大师、三十二宏忍大师,惠能是为三十三祖。从上诸祖,各有禀承;汝等向后,递代流传,毋令乖误。”
大师先天二年癸丑岁八月初三日 是年十二月改元开元,于国恩寺斋罢,谓诸徒众曰:“汝等各依位坐,吾与汝别。”法海白言:“和尚留何教法,令后代迷人得见佛性?”师言:“汝等谛听!后代迷人,若识众生,即是佛性;若不识众生,万劫觅佛难逢。吾今教汝识自心众生,见自心佛性。欲求见佛,但识众生;只为众生迷佛,非是佛迷众生。自性若悟,众生是佛;自性若迷,佛是众生。自性平等,众生是佛;自性邪险,佛是众生。汝等心若险曲,即佛在众生中;一念平直,即是众生成佛。我心自有佛,自佛是真佛;自若无佛心,何处求真佛?汝等自心是佛,更莫狐疑,外无一物而能建立,皆是本心生万种法,故经云:‘心生种种法生,心灭种种法灭。’吾今留一偈,与汝等别,名《自性真佛偈》。后代之人识此偈意,自见本心,自成佛道。偈曰:
真如自性是真佛,邪见三毒是魔王;
邪迷之时魔在舍,正见之时佛在堂。
性中邪见三毒生,即是魔王来住舍;
正见自除三毒心,魔变成佛真无假。
法身报身及化身,三身本来是一身;
若向性中能自见,即是成佛菩提因。
本从化身生净性,净性常在化身中;
性使化身行正道,当来圆满真无穷。
淫性本是净性因,除淫即是净性身;
性中各自离五欲,见性刹那即是真。
今生若遇顿教门,忽悟自性见世尊;
若欲修行觅作佛,不知何处拟求真。
若能心中自见真,有真即是成佛因;
不见自性外觅佛,起心总是大痴人。
顿教法门今已留,救度世人须自修;
报汝当来学道者,不作此见大悠悠。”
师说偈已,告曰:“汝等好住,吾灭度后,莫作世情悲泣雨泪,受人吊问,身着孝服,非吾弟子,亦非正法。但识自本心、见自本性,无动无静、无生无灭、无去无来、无是无非、无住无往。恐汝等心迷,不会吾意,今再嘱汝,令汝见性。吾灭度后,依此修行,如吾在日。若违吾教,纵吾在世,亦无有益。”复说偈曰:
兀兀不修善,腾腾不造恶;
寂寂断见闻,荡荡心无着。
师说偈已,端坐至三更,忽谓门人曰:“吾行矣。”奄然迁化,于时异香满室,白虹属地,林木变白,禽兽哀鸣。
十一月,广、韶、新三郡官僚洎门人僧俗争迎真身,莫决所之,乃焚香祷曰:“香烟指处,师所归焉。”时香烟直贯曹溪。十一月十三日迁神龛,并所传衣钵而回。次年七月二十五日出龛,弟子方辩以香泥上之。门人忆念取首之记,遂先以铁叶漆布固护师颈入塔,忽于塔内白光出现,直上冲天,三日始散。韶州奏闻奉敕立碑,纪师道行。师春秋七十有六,年二十四传衣,三十九祝发,说法利生三十七载,得旨嗣法者四十三人,悟道超凡者,莫知其数。达摩所传信衣(系西域屈眴布也)、中宗赐磨衲宝钵及方辩塑师真相并道具等,主塔侍者尸之,永镇宝林道场。流传《坛经》,以显宗旨、兴隆三宝、普利群生者。#读书[超话]# https://t.cn/z84R4TM
大师七月八日忽谓门人曰:“吾欲归新州,汝等速理舟楫。”大众哀留甚坚,师曰:“诸佛出现,犹示涅槃;有来必去,理亦常然。吾此形骸,归必有所。”众曰:“师从此去,早晚可回。”师曰:“叶落归根,来时无口。”又问曰:“正法眼藏,传付何人?”师曰:“有道者得,无心者通。”又问:“后莫有难否?”师曰:“吾灭后五六年,当有一人来取吾首,听吾记曰:‘头上养亲,口里须餐,遇满之难,杨、柳为官。’”又云:“吾去七十年,有二菩萨从东方来,一出家、一在家,同时兴化,建立吾宗,缔缉伽蓝,昌隆法嗣。”
问曰:“未知从上佛祖应现以来,传授几代?愿垂开示。”师云:“古佛应世,已无数量,不可计也。今以七佛为始,过去庄严劫——毗婆尸佛、尸弃佛、毗舍浮佛,今贤劫——拘留孙佛、拘那含牟尼佛、迦叶佛、释迦文佛,是为七佛。释迦文佛首传摩诃迦叶尊者、第二阿难尊者、第三商那和修尊者、第四优婆毱多尊者、第五提多迦尊者、第六弥遮迦尊者、第七婆须蜜多尊者、第八佛驮难提尊者、第九伏驮蜜多尊者、第十胁尊者、十一富那夜奢尊者、十二马鸣大士、十三迦毗摩罗尊者、十四龙树大士、十五迦那提婆尊者、十六罗□(日+侯)罗多尊者、十七僧伽难提尊者、十八伽耶舍多尊者、十九鸠摩罗多尊者、二十阇耶多尊者、二十一婆修盘头尊者、二十二摩拿罗尊者、二十三鹤勒那尊者、二十四师子尊者、二十五婆舍斯多尊者、二十六不如蜜多尊者、二十七般若多罗尊者、二十八菩提达摩尊者(此土是为初祖)、二十九慧可大师、三十僧璨大师、三十一道信大师、三十二宏忍大师,惠能是为三十三祖。从上诸祖,各有禀承;汝等向后,递代流传,毋令乖误。”
大师先天二年癸丑岁八月初三日 是年十二月改元开元,于国恩寺斋罢,谓诸徒众曰:“汝等各依位坐,吾与汝别。”法海白言:“和尚留何教法,令后代迷人得见佛性?”师言:“汝等谛听!后代迷人,若识众生,即是佛性;若不识众生,万劫觅佛难逢。吾今教汝识自心众生,见自心佛性。欲求见佛,但识众生;只为众生迷佛,非是佛迷众生。自性若悟,众生是佛;自性若迷,佛是众生。自性平等,众生是佛;自性邪险,佛是众生。汝等心若险曲,即佛在众生中;一念平直,即是众生成佛。我心自有佛,自佛是真佛;自若无佛心,何处求真佛?汝等自心是佛,更莫狐疑,外无一物而能建立,皆是本心生万种法,故经云:‘心生种种法生,心灭种种法灭。’吾今留一偈,与汝等别,名《自性真佛偈》。后代之人识此偈意,自见本心,自成佛道。偈曰:
真如自性是真佛,邪见三毒是魔王;
邪迷之时魔在舍,正见之时佛在堂。
性中邪见三毒生,即是魔王来住舍;
正见自除三毒心,魔变成佛真无假。
法身报身及化身,三身本来是一身;
若向性中能自见,即是成佛菩提因。
本从化身生净性,净性常在化身中;
性使化身行正道,当来圆满真无穷。
淫性本是净性因,除淫即是净性身;
性中各自离五欲,见性刹那即是真。
今生若遇顿教门,忽悟自性见世尊;
若欲修行觅作佛,不知何处拟求真。
若能心中自见真,有真即是成佛因;
不见自性外觅佛,起心总是大痴人。
顿教法门今已留,救度世人须自修;
报汝当来学道者,不作此见大悠悠。”
师说偈已,告曰:“汝等好住,吾灭度后,莫作世情悲泣雨泪,受人吊问,身着孝服,非吾弟子,亦非正法。但识自本心、见自本性,无动无静、无生无灭、无去无来、无是无非、无住无往。恐汝等心迷,不会吾意,今再嘱汝,令汝见性。吾灭度后,依此修行,如吾在日。若违吾教,纵吾在世,亦无有益。”复说偈曰:
兀兀不修善,腾腾不造恶;
寂寂断见闻,荡荡心无着。
师说偈已,端坐至三更,忽谓门人曰:“吾行矣。”奄然迁化,于时异香满室,白虹属地,林木变白,禽兽哀鸣。
十一月,广、韶、新三郡官僚洎门人僧俗争迎真身,莫决所之,乃焚香祷曰:“香烟指处,师所归焉。”时香烟直贯曹溪。十一月十三日迁神龛,并所传衣钵而回。次年七月二十五日出龛,弟子方辩以香泥上之。门人忆念取首之记,遂先以铁叶漆布固护师颈入塔,忽于塔内白光出现,直上冲天,三日始散。韶州奏闻奉敕立碑,纪师道行。师春秋七十有六,年二十四传衣,三十九祝发,说法利生三十七载,得旨嗣法者四十三人,悟道超凡者,莫知其数。达摩所传信衣(系西域屈眴布也)、中宗赐磨衲宝钵及方辩塑师真相并道具等,主塔侍者尸之,永镇宝林道场。流传《坛经》,以显宗旨、兴隆三宝、普利群生者。#读书[超话]# https://t.cn/z84R4TM
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