关于创伤、疗愈和复原力的对话
现代社会紧张的节奏,无处不在的压力,让许多人都或多或少地感觉自己有心理问题。这些问题,很多都源自我们幼年时代,或者成年之后的不愉快经历。
要治愈心理创伤,首先要尊重、正视过去的经历,从探寻病人“出了什么问题”,转移到关心他们经历了什么。
我们现在体验到的每时每刻,都由过去的每时每刻构建而成。那些让我们感到紧张、恐惧,或者孤独的体验,也许只会持续几秒钟,也许会持续很多年,但都会被铭记在我们的大脑之中,或多或少影响我们之后的思维和行为模式。
为什么心理创伤患者不能想办法控制自己,或者忘掉这些令人不快的记忆呢?佩里说,很遗憾,这不大可能,为了解释这个问题,首先有必要来了解一下我们大脑的基本结构。
我们大脑的结构,如同一块分成四层的蛋糕,最底层的脑干功能最简单,负责调节我们身体的一些基本功能,并对外界刺激作出本能反应。而最顶层的大脑皮质功能最复杂,负责语言、思考这些比较高级的工作。
每当我们的感官,比如听觉、视觉、嗅觉和触觉,它们带来的外界讯息,首先会经过脑干,这个最低层区域。这些讯息在被脑干处理完毕之前,是不会被传递到最高级的大脑皮质的。
从诞生开始,人类大脑的发育,也是按照这种自下而上的顺序逐渐发育的,所以说,我们在婴幼儿时代的早期经历,对我们大脑思维和反应的底层逻辑,具有决定性作用。
受过心理创伤的患者,当他潜意识中的创伤记忆被激发后,会出现一系列反常的行为。对于这些,正常人应该抱有一种同情的理解,因为这些失调反应,实际上,是受害者为了努力恢复身心平衡,不惜采用的极端调节手段。
我们体内的各种系统,无论是神经系统、内分泌系统,还是呼吸消化系统,一旦失去平衡,人就会感到痛苦,只有再达到平衡后,大脑奖赏系统才会分泌多巴胺,使人感到舒适与宁静。
人体拥有强大的自我调节平衡能力,但水平却因人而异,各不相同。如果婴儿的求助信号长期被成年人忽略,那么他们的大脑中的应激模式会长期处于激活状态。更糟糕的是,在这种情况下,所谓的“战斗或逃跑”状态也失效了。
在这种情况下,孩子们往往陷入了一种名为“解离”的精神状态。意思是,如果一个人无法脱离糟糕的现实,他就会通过切断自我和现实之间的联系,来逃避糟糕的环境带给自己的负面情绪。
“解离”会让我们的身体分泌激素内啡肽和脑啡肽。它们能够止痛,让人平静 ,但副作用是会让人产生许多性格上的扭曲,甚至上瘾行为。
判断创伤后应激综合征的四种症状:第一种,叫侵入性症状,就是创伤记忆和场景在头脑中不受控制地反复出现,这其实是一种副作用极大的自我内在修复机制。
第二种,叫回避性症状。受害者为了逃避创伤带来的痛苦,出于本能,回避一切与创伤有关的信息元素,是一种我们试图重新获得自我控制而产生的极端调节手段。
第三个创伤应激综合征的症状,就是认知和情绪的负面改变。患者长期被各种负面情绪所缠绕,极度悲伤,无法因任何事情感到喜悦,过度自责,关注周边一切负面事件,从精神和肉体上,都感到一种深深的疲惫。
最后一种症状,是唤醒反应的改变:当自己或者身边人,对一些外部环境的改变或者信号表现出过度敏感,一惊一乍,甚至出现健康问题时,我们就要留意了,这可能就是创伤应激综合征的表现。
如何帮助那些被心理创伤所折磨的人呢?首先,佩里说,发病的时候,跟患者直接讲大道理是没有用的,因为他正处于应激反应之中。当我们身处危险境地的时候,最底层的脑干,就接管了我们身体和思维的控制权。
最基础,但也是最必要的治疗,是患者身边亲近的人,对他进行关怀和倾听。通过对创伤经历进行可控制,而短暂的情景回溯,让患者实现心理脱敏,逐渐恢复正常。
对心理创伤患者进行治疗的核心,就是要帮助他们在自己的大脑意识里,建立全新、健康的心理默认路径,以替代原有、不正常的默认路径,从而清除那些顽固盘踞在大脑中的创伤体验和反应模式。
创伤应激综合征患者一旦发作,作出的那些应激性反应,其实是一种路径依赖,用一种熟悉、确定的痛苦来抵抗想象中未知的痛苦。
佩里提出一个关键词“连接”: 让患者与关心他的人建立心理上的连接,是缓冲压力、治愈创伤的关键。接下来,就是让这些患者接受适度的心理挑战,难度要控制好,否则患者不会产生成就感,只能加深挫败感。
可以布置一些有规律性和互动性的活动项目,鼓励患者和身边亲近的人一起参与。周围环境的稳定性、规律性,是让我们感到心理安全的重要因素。
今天的社会由于技术高度发达,生活和工作的节奏变得无比迅速,反而让每个社会成员之间的社会联结变得碎片化和陌生化。这些趋势,不仅加重了那些心理创伤患者所受的伤害,也让很多原本正常的人,也容易遭受心理创伤。
佩里呼吁,整个人类社会,应该联合起来,针对这种关系贫困导致的心理创伤,提供某种覆盖全社会的综合性解决方案,一种集合了专业心理医疗机构、家庭、社区组织、学校和公司的治疗网络。#ptsd#
现代社会紧张的节奏,无处不在的压力,让许多人都或多或少地感觉自己有心理问题。这些问题,很多都源自我们幼年时代,或者成年之后的不愉快经历。
要治愈心理创伤,首先要尊重、正视过去的经历,从探寻病人“出了什么问题”,转移到关心他们经历了什么。
我们现在体验到的每时每刻,都由过去的每时每刻构建而成。那些让我们感到紧张、恐惧,或者孤独的体验,也许只会持续几秒钟,也许会持续很多年,但都会被铭记在我们的大脑之中,或多或少影响我们之后的思维和行为模式。
为什么心理创伤患者不能想办法控制自己,或者忘掉这些令人不快的记忆呢?佩里说,很遗憾,这不大可能,为了解释这个问题,首先有必要来了解一下我们大脑的基本结构。
我们大脑的结构,如同一块分成四层的蛋糕,最底层的脑干功能最简单,负责调节我们身体的一些基本功能,并对外界刺激作出本能反应。而最顶层的大脑皮质功能最复杂,负责语言、思考这些比较高级的工作。
每当我们的感官,比如听觉、视觉、嗅觉和触觉,它们带来的外界讯息,首先会经过脑干,这个最低层区域。这些讯息在被脑干处理完毕之前,是不会被传递到最高级的大脑皮质的。
从诞生开始,人类大脑的发育,也是按照这种自下而上的顺序逐渐发育的,所以说,我们在婴幼儿时代的早期经历,对我们大脑思维和反应的底层逻辑,具有决定性作用。
受过心理创伤的患者,当他潜意识中的创伤记忆被激发后,会出现一系列反常的行为。对于这些,正常人应该抱有一种同情的理解,因为这些失调反应,实际上,是受害者为了努力恢复身心平衡,不惜采用的极端调节手段。
我们体内的各种系统,无论是神经系统、内分泌系统,还是呼吸消化系统,一旦失去平衡,人就会感到痛苦,只有再达到平衡后,大脑奖赏系统才会分泌多巴胺,使人感到舒适与宁静。
人体拥有强大的自我调节平衡能力,但水平却因人而异,各不相同。如果婴儿的求助信号长期被成年人忽略,那么他们的大脑中的应激模式会长期处于激活状态。更糟糕的是,在这种情况下,所谓的“战斗或逃跑”状态也失效了。
在这种情况下,孩子们往往陷入了一种名为“解离”的精神状态。意思是,如果一个人无法脱离糟糕的现实,他就会通过切断自我和现实之间的联系,来逃避糟糕的环境带给自己的负面情绪。
“解离”会让我们的身体分泌激素内啡肽和脑啡肽。它们能够止痛,让人平静 ,但副作用是会让人产生许多性格上的扭曲,甚至上瘾行为。
判断创伤后应激综合征的四种症状:第一种,叫侵入性症状,就是创伤记忆和场景在头脑中不受控制地反复出现,这其实是一种副作用极大的自我内在修复机制。
第二种,叫回避性症状。受害者为了逃避创伤带来的痛苦,出于本能,回避一切与创伤有关的信息元素,是一种我们试图重新获得自我控制而产生的极端调节手段。
第三个创伤应激综合征的症状,就是认知和情绪的负面改变。患者长期被各种负面情绪所缠绕,极度悲伤,无法因任何事情感到喜悦,过度自责,关注周边一切负面事件,从精神和肉体上,都感到一种深深的疲惫。
最后一种症状,是唤醒反应的改变:当自己或者身边人,对一些外部环境的改变或者信号表现出过度敏感,一惊一乍,甚至出现健康问题时,我们就要留意了,这可能就是创伤应激综合征的表现。
如何帮助那些被心理创伤所折磨的人呢?首先,佩里说,发病的时候,跟患者直接讲大道理是没有用的,因为他正处于应激反应之中。当我们身处危险境地的时候,最底层的脑干,就接管了我们身体和思维的控制权。
最基础,但也是最必要的治疗,是患者身边亲近的人,对他进行关怀和倾听。通过对创伤经历进行可控制,而短暂的情景回溯,让患者实现心理脱敏,逐渐恢复正常。
对心理创伤患者进行治疗的核心,就是要帮助他们在自己的大脑意识里,建立全新、健康的心理默认路径,以替代原有、不正常的默认路径,从而清除那些顽固盘踞在大脑中的创伤体验和反应模式。
创伤应激综合征患者一旦发作,作出的那些应激性反应,其实是一种路径依赖,用一种熟悉、确定的痛苦来抵抗想象中未知的痛苦。
佩里提出一个关键词“连接”: 让患者与关心他的人建立心理上的连接,是缓冲压力、治愈创伤的关键。接下来,就是让这些患者接受适度的心理挑战,难度要控制好,否则患者不会产生成就感,只能加深挫败感。
可以布置一些有规律性和互动性的活动项目,鼓励患者和身边亲近的人一起参与。周围环境的稳定性、规律性,是让我们感到心理安全的重要因素。
今天的社会由于技术高度发达,生活和工作的节奏变得无比迅速,反而让每个社会成员之间的社会联结变得碎片化和陌生化。这些趋势,不仅加重了那些心理创伤患者所受的伤害,也让很多原本正常的人,也容易遭受心理创伤。
佩里呼吁,整个人类社会,应该联合起来,针对这种关系贫困导致的心理创伤,提供某种覆盖全社会的综合性解决方案,一种集合了专业心理医疗机构、家庭、社区组织、学校和公司的治疗网络。#ptsd#
俳優・高良健吾さん、日常を離れ、アナログな「時」を楽しむ旅 【前編】
これまでやりたくても「時間」がなくてできなかったことに挑戦する「時間」をセイコー プレザージュが提供するこの企画。
昨年の「瀬戸内しまなみ海道」での自転車旅に続いて、俳優の高良健吾さんが再び旅立った。2日間、自然の中へ——。旅の目的は、「やりたかったことをすべて叶(かな)える」こと。とかく情報過多になりがちな日常を抜け出して、アナログな時間の流れに身を置いた高良さんは、何を感じ、どんな思いを抱いたのか。今回お届けする前編では、都会の喧噪(けんそう)から離れ、兵庫県北部の山間(やまあい)で自然をゆるりと楽しむ様子を追った。
腕時計と地図。アナログなツールでドライブへ
とある初夏の一日、高良さんが訪れたのは山間に佇(たたず)む古民家宿。やりたかったことをすべて叶える、今回の旅の拠点だ。大きな窓のあるメインルームでソファに座り、高良さんは持参した文庫本をしばし読みふける。
「本は好きです。こんな何百円で、人の考えに触れられるなんてすごいですよね。手に取らないと出会えないような言葉だったり、生き方だったり、そういうものを知ることができる。ある意味、ちょっとした旅だと思います」
そしてふと顔を上げ、明るい光が入り込む大きな窓から、山々を見つめる高良さん。そろそろ出発の時間だ。日常から離れるために、スマートフォンは置いていく。ルートは地図で、時間は腕時計で確認するアナログな旅の始まりだ。
「自分は基本アナログ。家にパソコンはないし、映画館に行くときはスマホを家に置いていくこともよくあります。スマホを気にしない分、別のものが見えてくる。こういう自然の中なら周囲をよく見るようになるし、いつもと違うアンテナも張れます」。地図を眺め、腕時計に目を向けてから、高良さんは車へ乗り込んだ。
小一時間、車を走らせて訪れたのは、歴史ある寺院。しっかりとした足取りで、初めて訪れる寺の山門をくぐる。
寺院では本堂に上がり、庭に向かってあぐらをかく。瞑想(めいそう)、これもまた高良さんがこの日、やりたかったことのひとつだ。背筋をぴしりと伸ばし、目をつぶって微動だにしない。葉ずれの音、鳥やカエルの鳴き声が止(や)んだ瞬間は、まるで時が止まっているかのようだ。
高良さんにとって瞑想は、ルーティンのようなものだという。
「だいたい寝る前にやるんです。撮影している期間は日中集中しているので、寝付きが悪かったり、途中で目が覚めたりすることもあるので、眠る前にちょっと心を落ち着かせるという感じ。今日のように自然の音に囲まれた場所だと、家の中で瞑想するよりも入りやすいですね。何も考えない、無理をしない時間が過ごせました」
自然の揺れを感じに。日常にない、贅沢時間
瞑想を終え、「ゴチャゴチャしていたものが整理された」と言う高良さんの次の目的地は、山中の釣り場。川に沿って続く遊歩道を、土の感触を確かめるように泰然と歩いていく高良さん。途中、足を止めて伸びをしたり、思いのままに満喫しているようだ。
こうして自然に囲まれながら思うのは、「自分が落ち着く場所、癒やされる場所は、自然なんだ」ということ。
「原風景が祖父母の田舎なんですよね。阿蘇と北九州の田川。きっと、そういう田舎で遊んでいた、楽しかった記憶があるんだろうと思います。自然の揺れって、見ているだけで落ち着くので、そこを求めに行っている。東京にいると、そういう揺れは風とか、上を見ないと感じられないので」
やがてたどり着いたのが、半径15mほどの滝壺(つぼ)。主にニジマスが釣れるという。海でのルアーフィッシング経験はある高良さんだが、川釣りは初挑戦。竹竿(ざお)にウキという組み合わせも、やはり初めて使う道具だそうだ。照れくさそうに「海ではルアーをなくしてばかりいたし、今回のやりたいことの中では一番自信がない」と言うものの、慣れた手つきで竿を操っている。
糸を垂らし、狙うポイントを変えながら数十分。前日の雨で濁った水面がゆらめく様子を、ただ見つめながら過ごす贅沢(ぜいたく)な時間だ。
「釣れなくても、3時間くらいは平気で過ごせますね。どれだけ時間が経ったかを確認することはあっても、苦ではないです。こうやって自然の中で過ごしている時は、時間の確認は腕時計がいいですね。それもデジタルの数字じゃなくて、針で見るっていうのがいい」
そんな話をするうちに、不意にウキが動き出した。「食いついた!」。そう思った瞬間、必死に暴れる魚の姿が。木漏れ日に輝く銀色の体はかなり大きく、高良さんもしばらく格闘したものの、魚はハリから外れて滝壺の底へと消えていった。その後すぐに再び別の獲物を捕らえるが、今度は糸が切れてしまう事態に。この装備では、少し心許(こころもと)ないようだ。
そろそろ宿に戻ろうか……と諦めかけたところで、またもウキが躍り出す。三度目の正直とばかりに、見事釣り上げた高良さん。「今日に限らず、以前から目の前で逃がしてばかりだったけど、ようやく釣れた!」と、喜びであふれんばかりの笑顔を向けた。
手を掛けるだけ愛着が増す。フォーマルな印象のモデル
「1時間で3匹なら入れ食い状態」と笑みを浮かべながら、宿へと戻ってきた。本日、予定していた夕食は屋外でのバーベキューだった。しかし、天気は下り坂。焚(た)き火台に火を入れ、炎が上がり始めるころには雨も降り出してきたため、部屋の中の囲炉裏に場所を移しての食事となった。
周囲には街灯や民家がなく、夜の帳(とばり)が下りれば辺りは真っ暗に。肉に魚、野菜も焼いて、時折、焚き火を眺めるひととき。
「焚き火って、本当に自然の揺らぎですよね。人間が作り出せない揺れというか。それこそ波だってそうだし、空だって雲の流れだったり、風の流れだったり、それって人間が絶対作り出せない。そういう場所に身を置くことが、自分にとっての癒やしですかね」。そう語る彼を包み込むように、時間はゆったりと過ぎていく。
この日、高良さんの腕で時を刻んだのは、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」。アナログな旅によく似合う、機械式時計だ。
「機械式時計の良さは、自分がちゃんとその時計を扱っていないといけないこと。毎日見て、定期的にちゃんとメンテナンスしてあげることでより愛着が湧きますよね。耳を近付けて音を聞きながらりゅうずを巻くのも、好きな行為ですね」
「この『セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097』は、どちらかというとフォーマルな印象でした。白文字盤は持っていなかったんですが、いいですね。スーツのようなキレイめにも合うし、幅広いシーンで使えると思いました。(白文字盤は)似合う年齢が少し上という勝手なイメージがあったんですけど、 身につけてみると、“いや、そんなことないな”って気がしました」
そう言って、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」に視線を落とす高良さん。「静の旅」となった1日が、そろそろ終わろうとしている。明日は一転、「動の旅」と言えるほど、バラエティーに富んだアクティブな旅となる。そちらは後編として次回、改めてご紹介しよう。
(文・石川由紀子 写真・高橋雄大 取材協力・円覚山宗鏡寺、glaminka KAMIKAWA、日高神鍋観光協会、清滝地区コミュニティセンターの皆様)
これまでやりたくても「時間」がなくてできなかったことに挑戦する「時間」をセイコー プレザージュが提供するこの企画。
昨年の「瀬戸内しまなみ海道」での自転車旅に続いて、俳優の高良健吾さんが再び旅立った。2日間、自然の中へ——。旅の目的は、「やりたかったことをすべて叶(かな)える」こと。とかく情報過多になりがちな日常を抜け出して、アナログな時間の流れに身を置いた高良さんは、何を感じ、どんな思いを抱いたのか。今回お届けする前編では、都会の喧噪(けんそう)から離れ、兵庫県北部の山間(やまあい)で自然をゆるりと楽しむ様子を追った。
腕時計と地図。アナログなツールでドライブへ
とある初夏の一日、高良さんが訪れたのは山間に佇(たたず)む古民家宿。やりたかったことをすべて叶える、今回の旅の拠点だ。大きな窓のあるメインルームでソファに座り、高良さんは持参した文庫本をしばし読みふける。
「本は好きです。こんな何百円で、人の考えに触れられるなんてすごいですよね。手に取らないと出会えないような言葉だったり、生き方だったり、そういうものを知ることができる。ある意味、ちょっとした旅だと思います」
そしてふと顔を上げ、明るい光が入り込む大きな窓から、山々を見つめる高良さん。そろそろ出発の時間だ。日常から離れるために、スマートフォンは置いていく。ルートは地図で、時間は腕時計で確認するアナログな旅の始まりだ。
「自分は基本アナログ。家にパソコンはないし、映画館に行くときはスマホを家に置いていくこともよくあります。スマホを気にしない分、別のものが見えてくる。こういう自然の中なら周囲をよく見るようになるし、いつもと違うアンテナも張れます」。地図を眺め、腕時計に目を向けてから、高良さんは車へ乗り込んだ。
小一時間、車を走らせて訪れたのは、歴史ある寺院。しっかりとした足取りで、初めて訪れる寺の山門をくぐる。
寺院では本堂に上がり、庭に向かってあぐらをかく。瞑想(めいそう)、これもまた高良さんがこの日、やりたかったことのひとつだ。背筋をぴしりと伸ばし、目をつぶって微動だにしない。葉ずれの音、鳥やカエルの鳴き声が止(や)んだ瞬間は、まるで時が止まっているかのようだ。
高良さんにとって瞑想は、ルーティンのようなものだという。
「だいたい寝る前にやるんです。撮影している期間は日中集中しているので、寝付きが悪かったり、途中で目が覚めたりすることもあるので、眠る前にちょっと心を落ち着かせるという感じ。今日のように自然の音に囲まれた場所だと、家の中で瞑想するよりも入りやすいですね。何も考えない、無理をしない時間が過ごせました」
自然の揺れを感じに。日常にない、贅沢時間
瞑想を終え、「ゴチャゴチャしていたものが整理された」と言う高良さんの次の目的地は、山中の釣り場。川に沿って続く遊歩道を、土の感触を確かめるように泰然と歩いていく高良さん。途中、足を止めて伸びをしたり、思いのままに満喫しているようだ。
こうして自然に囲まれながら思うのは、「自分が落ち着く場所、癒やされる場所は、自然なんだ」ということ。
「原風景が祖父母の田舎なんですよね。阿蘇と北九州の田川。きっと、そういう田舎で遊んでいた、楽しかった記憶があるんだろうと思います。自然の揺れって、見ているだけで落ち着くので、そこを求めに行っている。東京にいると、そういう揺れは風とか、上を見ないと感じられないので」
やがてたどり着いたのが、半径15mほどの滝壺(つぼ)。主にニジマスが釣れるという。海でのルアーフィッシング経験はある高良さんだが、川釣りは初挑戦。竹竿(ざお)にウキという組み合わせも、やはり初めて使う道具だそうだ。照れくさそうに「海ではルアーをなくしてばかりいたし、今回のやりたいことの中では一番自信がない」と言うものの、慣れた手つきで竿を操っている。
糸を垂らし、狙うポイントを変えながら数十分。前日の雨で濁った水面がゆらめく様子を、ただ見つめながら過ごす贅沢(ぜいたく)な時間だ。
「釣れなくても、3時間くらいは平気で過ごせますね。どれだけ時間が経ったかを確認することはあっても、苦ではないです。こうやって自然の中で過ごしている時は、時間の確認は腕時計がいいですね。それもデジタルの数字じゃなくて、針で見るっていうのがいい」
そんな話をするうちに、不意にウキが動き出した。「食いついた!」。そう思った瞬間、必死に暴れる魚の姿が。木漏れ日に輝く銀色の体はかなり大きく、高良さんもしばらく格闘したものの、魚はハリから外れて滝壺の底へと消えていった。その後すぐに再び別の獲物を捕らえるが、今度は糸が切れてしまう事態に。この装備では、少し心許(こころもと)ないようだ。
そろそろ宿に戻ろうか……と諦めかけたところで、またもウキが躍り出す。三度目の正直とばかりに、見事釣り上げた高良さん。「今日に限らず、以前から目の前で逃がしてばかりだったけど、ようやく釣れた!」と、喜びであふれんばかりの笑顔を向けた。
手を掛けるだけ愛着が増す。フォーマルな印象のモデル
「1時間で3匹なら入れ食い状態」と笑みを浮かべながら、宿へと戻ってきた。本日、予定していた夕食は屋外でのバーベキューだった。しかし、天気は下り坂。焚(た)き火台に火を入れ、炎が上がり始めるころには雨も降り出してきたため、部屋の中の囲炉裏に場所を移しての食事となった。
周囲には街灯や民家がなく、夜の帳(とばり)が下りれば辺りは真っ暗に。肉に魚、野菜も焼いて、時折、焚き火を眺めるひととき。
「焚き火って、本当に自然の揺らぎですよね。人間が作り出せない揺れというか。それこそ波だってそうだし、空だって雲の流れだったり、風の流れだったり、それって人間が絶対作り出せない。そういう場所に身を置くことが、自分にとっての癒やしですかね」。そう語る彼を包み込むように、時間はゆったりと過ぎていく。
この日、高良さんの腕で時を刻んだのは、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」。アナログな旅によく似合う、機械式時計だ。
「機械式時計の良さは、自分がちゃんとその時計を扱っていないといけないこと。毎日見て、定期的にちゃんとメンテナンスしてあげることでより愛着が湧きますよね。耳を近付けて音を聞きながらりゅうずを巻くのも、好きな行為ですね」
「この『セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097』は、どちらかというとフォーマルな印象でした。白文字盤は持っていなかったんですが、いいですね。スーツのようなキレイめにも合うし、幅広いシーンで使えると思いました。(白文字盤は)似合う年齢が少し上という勝手なイメージがあったんですけど、 身につけてみると、“いや、そんなことないな”って気がしました」
そう言って、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」に視線を落とす高良さん。「静の旅」となった1日が、そろそろ終わろうとしている。明日は一転、「動の旅」と言えるほど、バラエティーに富んだアクティブな旅となる。そちらは後編として次回、改めてご紹介しよう。
(文・石川由紀子 写真・高橋雄大 取材協力・円覚山宗鏡寺、glaminka KAMIKAWA、日高神鍋観光協会、清滝地区コミュニティセンターの皆様)
清晚期 红木框阮元题云石心挂屏
释文:“石中有画画中诗, 金粉丹青属阿谁。觅得唐人好诗白,宛然花隝夕阳迟。”
“研经老人题” 刻铭并款识。
“阮氏石”印款。
挂屏红木为框,内外缘起灯草线,四角圆润,顶部铜鎏金如意云头形双挂环,格角榫攒框镶嵌云石屏心,石面如写意泼墨之作,挥洒自如,山色如黛,亦有草木葳蕤之感,烟云笼绕,水雾氤氲。左上浅琢行书题七言绝句“石中有画画中诗, 金粉丹青属阿谁。觅得唐人好诗白,宛然花隝夕阳迟。”以解石中之画。
阮元(1764-1849),字伯元,号芸台,雷塘庵主,揅经老人,怡性老人,江苏扬州仪仗人,乾隆年间进士,经学家、训诂学家、金石学。晚年官拜体仁阁大学士,致仕后加官至太傅。阮元提倡朴学,曾罗致学者编书刊印,史称其“身历乾、嘉文物鼎盛之时,主持风会数十年,海内学者奉为山斗焉”,是乾嘉学派晚期代表人物,也被认为是扬州学派的柱石。
阮元对大理石青睐有加,善制大石屏,阮元在《石画记序》中载:“名石虽有造化之巧,但无品题,犹未凿破混沌。”
尺寸:140.5×103.5cm
来源:中国嘉德2022春拍
#国潮正当红# #这就是中国风#
释文:“石中有画画中诗, 金粉丹青属阿谁。觅得唐人好诗白,宛然花隝夕阳迟。”
“研经老人题” 刻铭并款识。
“阮氏石”印款。
挂屏红木为框,内外缘起灯草线,四角圆润,顶部铜鎏金如意云头形双挂环,格角榫攒框镶嵌云石屏心,石面如写意泼墨之作,挥洒自如,山色如黛,亦有草木葳蕤之感,烟云笼绕,水雾氤氲。左上浅琢行书题七言绝句“石中有画画中诗, 金粉丹青属阿谁。觅得唐人好诗白,宛然花隝夕阳迟。”以解石中之画。
阮元(1764-1849),字伯元,号芸台,雷塘庵主,揅经老人,怡性老人,江苏扬州仪仗人,乾隆年间进士,经学家、训诂学家、金石学。晚年官拜体仁阁大学士,致仕后加官至太傅。阮元提倡朴学,曾罗致学者编书刊印,史称其“身历乾、嘉文物鼎盛之时,主持风会数十年,海内学者奉为山斗焉”,是乾嘉学派晚期代表人物,也被认为是扬州学派的柱石。
阮元对大理石青睐有加,善制大石屏,阮元在《石画记序》中载:“名石虽有造化之巧,但无品题,犹未凿破混沌。”
尺寸:140.5×103.5cm
来源:中国嘉德2022春拍
#国潮正当红# #这就是中国风#
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