#薮慧[超话]#
おと(音)
作词:薮宏太
作曲:伊野尾慧
合わさる二人の このリズム
两个人的旋律 合二为一
君が奏でる音に 僕の言葉をのせて
用我的字句 合上你奏出的音律
伝える音色は 遠うけど
虽然谱出的音色不尽相同
僕らにしか出せない この音がある
这才是只属于你我的和谐之音
強く 遠く 響く 心地よく流れる この音に
让这曲暖心之乐更响更远更洪亮
僕らの気持ちを込めて
满载我们的感动
今 君へと届けるよ
此时此刻 向你轻吟
おと(音)
作词:薮宏太
作曲:伊野尾慧
合わさる二人の このリズム
两个人的旋律 合二为一
君が奏でる音に 僕の言葉をのせて
用我的字句 合上你奏出的音律
伝える音色は 遠うけど
虽然谱出的音色不尽相同
僕らにしか出せない この音がある
这才是只属于你我的和谐之音
強く 遠く 響く 心地よく流れる この音に
让这曲暖心之乐更响更远更洪亮
僕らの気持ちを込めて
满载我们的感动
今 君へと届けるよ
此时此刻 向你轻吟
タイ旅行の「あるある」
前にも言ったが、この間タイへ旅行に行ってきた。どこもかしこも中国人で溢れかえっていたので、このままだとタイの観光地が中国人で埋まってしまうのではないかと思うくらいだった…
言うまでもないことだが、観光業はタイの根幹産業の一つである。だから、国全体をあげて観光業に力を注ぐのも納得のいくことである。そしてタイはアジアで、特に近年中国人に最も人気のある観光地に選ばれている。きれいな海でのダイビング、そして立派な宮殿と寺院、それにタイならではのオカマショー等など、どれもこれも観光客を飽きさせないものがある。
だが、残念ながら全てがこのようにお客さんを喜ばせるものばかりではないようだ。周知のようにタイは東南アジアで有数の「小乗仏教」の国である。つまり、敬虔な信徒と厳しい戒律で有名である。その為か我々がタイ旅行で必ず訪れるコースの一つに寺院参拝があり、その中でも「四面仏」像が特に人気がある。衆生の願いを全て聞き入れ、そして叶えてくれるという「神秘の力」を秘めた仏像であるらしい。もちろんそれは一箇所だけでなくタイのあっちこっちに建立されているという。
旅の途中、俺らはある寺院を訪れた。お寺の担当者は寺院の簡単な説明の後、ここの「四面仏」の「ご利益」について長々と説明してくれた。そして我々は言われたどおりに参拝客として「香典」を寄付した。だが、参拝を終えて違う仏像に手を合わせるとまた「香典」を強いられる。しかも甚だしきに至っては仏像のペンダントの押し売りまであったのである。それも「巧妙」な説得術でいかにも君がこの寺で「仏さん」に出会ったのは偶然ではなく前世からの「因縁」であるとか…ところが、その仏像のペンダントの値段たるや、べらぼうに高い!目を見張るばかりである(2000元もする)。だが、おかしいことにお坊さんはそれを決して売っているとは言わない。あくまでもお客さんが喜んでいただくものであるので「請仏」(仏さんを招く?)と言わなければならないと言う。早い話が、君はありがたい気持ちでお金を出してその仏像のペンダントを「押し頂く」というのである。
もちろん、俺はその坊主の話術には乗らなかった。するとまた金箔の紙に願いの言葉を書き入れてやるからといって名前の記入を求められ、「一年なら100元、二年なら200元…」とこれまたお金を要求する。これでもかこれでもかと、とにかくお金を出さないと帰してもらいないといった感じである。
なぜ、坊主のくせにこんなにもお金が好きで、欲望に執着するのだろうか?宗教が金儲けのために悪用されるなんて悲しい気持ちになるばかりである。もちろん、タイの全ての寺院がこのように「金まみれ」になっているとは思えないが…
「私の死後、500年の間は、我が教えは正しく伝わるだろう。また、その後の1000年ばかりは、少しは衰えるが、まだ教えは残っている。しかし、その後の1万年は教えが崩れて似て非なるものとなる」。これは釈迦の予言経典として名高い「大方等大集月蔵経」の一節だが、お釈迦様がもしも今のような「荒れた」世相を目にしたらきっと眠りから覚めて怒ってしまうに違いない。
「香典」や「お布施」はあくまでも参拝客が自ら進んで感謝の気持ちを込めて出すべきものであって、いかなる理由や項目であれ、お客さんからむりやり「巻き上げる」ことは禁ずるべきである。もちろん、どこの国の寺院にも似たような「えげつない」やり方はある。だが、縦えどんなきれいごとを並べられても金品を要求するものなら断固として拒絶すべきである。絶対その口車に乗ってはいけない。そしてそのために疚しい気持ちになることなど全くない。なぜなら仏さんは絶対に皆さんから金品など貰おうなんて考えてないんだから。
2019年2月の広州にて
前にも言ったが、この間タイへ旅行に行ってきた。どこもかしこも中国人で溢れかえっていたので、このままだとタイの観光地が中国人で埋まってしまうのではないかと思うくらいだった…
言うまでもないことだが、観光業はタイの根幹産業の一つである。だから、国全体をあげて観光業に力を注ぐのも納得のいくことである。そしてタイはアジアで、特に近年中国人に最も人気のある観光地に選ばれている。きれいな海でのダイビング、そして立派な宮殿と寺院、それにタイならではのオカマショー等など、どれもこれも観光客を飽きさせないものがある。
だが、残念ながら全てがこのようにお客さんを喜ばせるものばかりではないようだ。周知のようにタイは東南アジアで有数の「小乗仏教」の国である。つまり、敬虔な信徒と厳しい戒律で有名である。その為か我々がタイ旅行で必ず訪れるコースの一つに寺院参拝があり、その中でも「四面仏」像が特に人気がある。衆生の願いを全て聞き入れ、そして叶えてくれるという「神秘の力」を秘めた仏像であるらしい。もちろんそれは一箇所だけでなくタイのあっちこっちに建立されているという。
旅の途中、俺らはある寺院を訪れた。お寺の担当者は寺院の簡単な説明の後、ここの「四面仏」の「ご利益」について長々と説明してくれた。そして我々は言われたどおりに参拝客として「香典」を寄付した。だが、参拝を終えて違う仏像に手を合わせるとまた「香典」を強いられる。しかも甚だしきに至っては仏像のペンダントの押し売りまであったのである。それも「巧妙」な説得術でいかにも君がこの寺で「仏さん」に出会ったのは偶然ではなく前世からの「因縁」であるとか…ところが、その仏像のペンダントの値段たるや、べらぼうに高い!目を見張るばかりである(2000元もする)。だが、おかしいことにお坊さんはそれを決して売っているとは言わない。あくまでもお客さんが喜んでいただくものであるので「請仏」(仏さんを招く?)と言わなければならないと言う。早い話が、君はありがたい気持ちでお金を出してその仏像のペンダントを「押し頂く」というのである。
もちろん、俺はその坊主の話術には乗らなかった。するとまた金箔の紙に願いの言葉を書き入れてやるからといって名前の記入を求められ、「一年なら100元、二年なら200元…」とこれまたお金を要求する。これでもかこれでもかと、とにかくお金を出さないと帰してもらいないといった感じである。
なぜ、坊主のくせにこんなにもお金が好きで、欲望に執着するのだろうか?宗教が金儲けのために悪用されるなんて悲しい気持ちになるばかりである。もちろん、タイの全ての寺院がこのように「金まみれ」になっているとは思えないが…
「私の死後、500年の間は、我が教えは正しく伝わるだろう。また、その後の1000年ばかりは、少しは衰えるが、まだ教えは残っている。しかし、その後の1万年は教えが崩れて似て非なるものとなる」。これは釈迦の予言経典として名高い「大方等大集月蔵経」の一節だが、お釈迦様がもしも今のような「荒れた」世相を目にしたらきっと眠りから覚めて怒ってしまうに違いない。
「香典」や「お布施」はあくまでも参拝客が自ら進んで感謝の気持ちを込めて出すべきものであって、いかなる理由や項目であれ、お客さんからむりやり「巻き上げる」ことは禁ずるべきである。もちろん、どこの国の寺院にも似たような「えげつない」やり方はある。だが、縦えどんなきれいごとを並べられても金品を要求するものなら断固として拒絶すべきである。絶対その口車に乗ってはいけない。そしてそのために疚しい気持ちになることなど全くない。なぜなら仏さんは絶対に皆さんから金品など貰おうなんて考えてないんだから。
2019年2月の広州にて
君と離れるのは悲しいけど
大事な別れで
もっともっと広い世界知らなきゃいけない
違う道を選んで 輝く未来のためと
風のように 思うままに 生きてみよう
弱虫 弱虫 新しい世界へ
今 行きたい 行きたい 強くなりたい
又是一个充满回忆与思念的夜晚
我的人生中能遇到你,真是太好了
#西野七濑[超话]#毕业快乐
大事な別れで
もっともっと広い世界知らなきゃいけない
違う道を選んで 輝く未来のためと
風のように 思うままに 生きてみよう
弱虫 弱虫 新しい世界へ
今 行きたい 行きたい 強くなりたい
又是一个充满回忆与思念的夜晚
我的人生中能遇到你,真是太好了
#西野七濑[超话]#毕业快乐
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