佛经不可不读
原文:
予少时见前贤辟佛,主先入之言,作矮人之视,罔觉也。偶于戒坛经肆,请数卷经读之,始大惊曰:不读如是书,几虚度一生矣。今人乃有自少而壮而老而死,不一过目者,可谓面宝山而不入者也。
又一类,虽读之,不过采其辞致以资谈柄助笔势,自少而壮而老而死,不一究其理者,可谓入宝山而不取者也。
又一类,虽讨论,虽讲演,亦不过训字销文,争新竞高,自少而壮而老而死,不一真修而实践者,可谓取其宝把玩之,赏之,鉴之,怀之,袖之,而复弃之者也。虽然,一染识田,终成道种,是故佛经不可不读。
译文:
我在少年的时候,见有前辈的人妄议佛教,以先入之见为主,跟着作小人的短见,自己还不知错。后来,偶然在某戒坛的佛经流通处中请得数卷经阅读,始大吃一惊。心中暗道:“假如不是读这些佛经,几乎将虚度这一生啊!”
可叹现在有许多人,从少年到壮年到老年一直到死,从来不曾看过佛经,或以为佛经不屑一读,这些人可说是面对宝山而不想进入取宝。
又有一类人,虽也读过佛经,但只是为了采摘佛经中的优美辞句,来充实自己谈论的资料,或用于写作,助长文章的笔势,这些人自少年到壮年到老年一直到死,从来没有认真地去探究佛经的义理,可说是进入宝山而不知取宝。
又有一类人,虽然也对佛经的义理进行讨论,或对人讲演,但只是凭肤浅的认识对着佛经释字销文,或妄自标新立异,以显高明,这些人自少年到壮年到老年一直到死,从来不曾依着经教去真修实践,可说是把取到的宝物当作玩品鉴赏,有时抱在怀中,有时拿在手里,然后又把宝物丢弃了。
这些人读过佛经虽没得到实益。可是,只要一入阿赖耶识田中,终能成为得道种子,所以说佛经不可不读。
原文:
予少时见前贤辟佛,主先入之言,作矮人之视,罔觉也。偶于戒坛经肆,请数卷经读之,始大惊曰:不读如是书,几虚度一生矣。今人乃有自少而壮而老而死,不一过目者,可谓面宝山而不入者也。
又一类,虽读之,不过采其辞致以资谈柄助笔势,自少而壮而老而死,不一究其理者,可谓入宝山而不取者也。
又一类,虽讨论,虽讲演,亦不过训字销文,争新竞高,自少而壮而老而死,不一真修而实践者,可谓取其宝把玩之,赏之,鉴之,怀之,袖之,而复弃之者也。虽然,一染识田,终成道种,是故佛经不可不读。
译文:
我在少年的时候,见有前辈的人妄议佛教,以先入之见为主,跟着作小人的短见,自己还不知错。后来,偶然在某戒坛的佛经流通处中请得数卷经阅读,始大吃一惊。心中暗道:“假如不是读这些佛经,几乎将虚度这一生啊!”
可叹现在有许多人,从少年到壮年到老年一直到死,从来不曾看过佛经,或以为佛经不屑一读,这些人可说是面对宝山而不想进入取宝。
又有一类人,虽也读过佛经,但只是为了采摘佛经中的优美辞句,来充实自己谈论的资料,或用于写作,助长文章的笔势,这些人自少年到壮年到老年一直到死,从来没有认真地去探究佛经的义理,可说是进入宝山而不知取宝。
又有一类人,虽然也对佛经的义理进行讨论,或对人讲演,但只是凭肤浅的认识对着佛经释字销文,或妄自标新立异,以显高明,这些人自少年到壮年到老年一直到死,从来不曾依着经教去真修实践,可说是把取到的宝物当作玩品鉴赏,有时抱在怀中,有时拿在手里,然后又把宝物丢弃了。
这些人读过佛经虽没得到实益。可是,只要一入阿赖耶识田中,终能成为得道种子,所以说佛经不可不读。
【web MAGAZINE】QUI
#中村屋酒店の兄弟
藤原季節×白磯大知 – 伝えたい、届けたい
映画本編とラジオドラマという2本立てでの全国劇場公開が決定した『中村屋酒店の兄弟』。その新しい映画体験を通して、大切な人や場所との“距離感”について改めて考えさせてくれる佳作だ。主演の藤原季節、監督の白磯大知へのインタビュー。
この映画を必要としてくれる人がいることが嬉しい(藤原)
— 映画『中村屋酒店の兄弟』拝見させていただいて、いま映画館で上映することにすごく意味のある作品だと思いました。お二人としては初上映から3年たって全国で公開されることに対して、どのような思いがありますか? 白磯監督にとっては初監督作品でもありますが。
白磯大知(以下、白磯):ありがたい気持ちはもちろんあるんですけど、それ以上に驚いているというか。中村屋酒店さんのご夫婦をはじめいろんな方の協力があって撮れた作品なので、その感謝を全国公開っていうかたちで返せるのはすごく嬉しく思っています。
— 藤原さんは?
藤原季節(以下、藤原):中村屋酒屋はもう閉店してるんですけど、でもそこに確かにあったものとか、消えていってしまうものとか、大知君は目に見えない何かを撮りたかったんじゃないかと思っていて。それが撮影から3年を経ていま全国に届くっていうのは、この映画に可能性を感じて届けたいと思ってくれた人や、消えていくものに対して思うところがある人がいるってことなんですよね。この映画を必要としてくれる人がいるんだっていうことが嬉しいです。
— すごいことですよね。『中村屋酒店の兄弟』は、映画本編とその前日譚となるラジオドラマ、そしてドキュメンタリーという3本の作品に展開されています。今回はドキュメンタリーの上映はないそうですが、ドキュメンタリーは中村屋酒店が閉店することを映画の撮影中に知ってから撮ることを決めたそうですね。
白磯:そうです。中村屋酒店の閉店は季節君が教えてくれたんですけど、最初に奥さんから「映像で残せたら嬉しい」って言われたのはそういう意味だったのかと気づいて。閉店するまでの3ヵ月間で何回かお邪魔して撮らせていただきました。
— ラジオドラマの制作はどういった経緯で?
白磯:「田辺・弁慶映画祭」でTBSラジオ賞を受賞した時に、「この作品はラジオドラマにしたら面白いんじゃないか」というご提案をいただきました。せっかくだから映画をそのままラジオドラマにするのではなく、映画をより楽しめるような作品を作れたらいいなと。映画本編より過去の話にして、ラジオドラマを聴きながら想像した情景が本編を観ている時に回想として浮かんだらすごく面白いんじゃないかなと思って。
— 実際にすごくユニークな体験でした。ラジオドラマを聴いているときは画があまり浮かばなかったんですけど、映画を観ていると鮮明な思い出に感じられてくるのが不思議な感覚で。僕は自宅で視聴したのですが、映画館だと感じ方がだいぶ違いそうですね。
藤原:テアトル新宿で経験した時は感動的でした。暗闇の中でみんなが耳を澄まして声だけを聴くって初体験でしたから。
— ですよね。その体験だけでも映画館に行く価値があるなと思いました。
書かれていないことが山ほど書かれた本だと気づいた(藤原)
— 中村屋酒店は実在した酒屋なんですよね。脚本の制作段階から、中村屋酒店を舞台として想定されてたんですか?
白磯:そうではなく、タイトルももともと違うお店の名前だったんです。でも本当にいろんな酒屋さんにお願いに行ってもなかなかロケ地が決まらずで。もうどうしようって状態のある日、赤羽の酒屋さんからの帰り道…そこも断られてしまったんですが、携帯で調べたら近隣にもう1件酒屋さんがあって、そこの写真が理想的だったんです。定休日となっていたんですけど行ってみたらたまたま開いていて、ご主人とお話させていただいたんですが、やっぱり唐突なお願いだったので「いやいや…」と。そしたら奥さんも出てきて、「残せるんだったらなんでも協力します」と言ってくださって。「残せる」に込められた意味は、その時はまだ知らなかったですけど。
— 中村屋酒店に決まった時にはもう本はできあがっていたんですね。
白磯:ほぼできていました。でも中村屋酒店の雰囲気や染みついた匂いみたいなものが、役者や作品に十二分に影響したとは思います。
— 藤原さんとはもともとお知り合いだったんですか?
白磯:ほぼ知り合いじゃないといっていい。
藤原:面識はあるぐらいでした。
— なぜ藤原さんにオファーを?
白磯:キャスティングで入っていただいた方が共通の知人で提案していただきました。「いや、そもそもいける?」と思いながらも脚本を送って、まず季節くんに読んでもらえたことが僕は嬉しかったんですが、やっぱり「ちょっと何が面白いかわからない」という答えで。じゃあまた別の方を探さないと、と思っていたら「直接監督と会って話をしたい」と電話をいただいたんです。新宿だっけ?
藤原:いや、渋谷。
白磯:渋谷のカフェで会ってコーヒーを飲みながら、「もう1回読んでいい?」って目の前で本を読み始めて。
藤原:カフェの喫煙所でタバコを吸ってる時に、大知君がぽろっと「兄弟の距離感を描きたいんですよね」って言ったんですよ。それがピンって琴線を弾いて。もう1回だけ読ませてくださいって、その場で心が変わりました。
— 藤原さんの中に、兄弟の距離感に対する興味・関心がもともとあったんですか?
藤原:というよりは、脚本をしっかり読めてなかったかもしれないと思ったんですよね。3年前の自分の未熟さによるものなんですけど、書かれてあることをそのまま読むことしかできないとか、読もうとする努力をしていなかったというのがあって。新しい監督だし、年齢も僕より3つぐらい若いし、ちょっと大知君のことをなめてる気持ちもあった。だから兄弟の距離感を描きたいって言われた時に、ひょっとしたら一行のセリフに込められた裏の感情がたくさん眠ってるんじゃないかと読んでみたら、案の定書かれていないことが山ほど書かれた本だなっていうことに気づいて。それで、もうその場で「はぁ、すごいな」と。
— 白磯監督が兄弟の距離感を描きたいという思いに至ったのはなぜでしょう?
白磯:距離感が近くなればなるほど本当に伝えたいことってなかなか言えない。逆に隠したい気持ちは、本当に言ったかのように伝わっちゃう。兄弟とか両親とか、お互いの信頼関係があるから起こるちぐはぐさなんですよね。両親とかなんも言ってないのに急に「元気?」みたいな電話がかかってきたりするじゃないですか。そういうことが面白いし不思議だなと。自分は兄弟がいるし、男兄弟の話を書いてみようと思って脚本にしました。
自分自身を深掘りすることがコミュニケーションに繋がる(白磯)
— 男兄弟って距離感の難しさが顕著に表れると思うんですけど、男兄弟に限らず人と人の距離感ってこういう感じあるよなって映画を観ていてすごく共感できました。お二人が普段、人との関係性で意識していることや大事にしていることはありますか?
藤原:むしろ、それしか大事にしてないですね。
— 距離感を?
藤原:そう。自分が思ってることをそのまま相手に伝えると、コミュニケーションが成立しないので。相手にもらおうとするばかりじゃなくて、自分はこの人に何を与えられるんだろうって考える時間が積み重なると自然と距離感も考えるようになって、自分の思っていることをどう伝えればこの人に届くだろうっていうことを考えるようになる。それはもう日々、毎日、毎秒考えています。
— 疲れることはないですか? ずっと考え続けていたら。
藤原:でもそうじゃないと。果てしない問題です、それが。
— 白磯さんも人との距離感で気を使うところはありますか?
白磯:僕は自分の気持ちをストレートに言うことが苦手なんです。「好き」って思った時にパッと感情のまま言葉にして、自分の100%を全部ぶつけても相手には2%とか3%しか伝わらないこともあるなと思って。そこでどういう伝え方をしたら相手が聞いてくれるか、理解してもらえるのか。それにはまず自分がどう見られているか…別に体面を気にするっていうわけではなく、自分自身をどれぐらい深掘りできるかということが、結局他人とのコミュニケーションに繋がっていくのかなと。毎分毎秒考えているわけじゃないですけど、自分はどういう人間なんだろうと考えるのは大事だなと思っています。
— 面白いですね。人がどう見ているかじゃなくて自分が自分をどう見るかっていうことを深く考えるっていうのが。
白磯:まさにそうですね。
— では最後に、これから映画をご覧になる方へのメッセージをお願いします。
藤原:ラジオドラマは音で聴いて想像で楽しむもので、映画は視覚でも感じるもの。いろんな面から中村屋酒店っていう場所のことを45分間考え続ける時間っていうのは、言葉にするのは難しいけど意味があるし、価値があるものなんじゃないかなと僕は信じたいですね。
白磯:僕はこの映画を見終わった後に、自分の家族に連絡してみようかなとか、久々に思い出すようなきっかけになればいいなっていうのはすごく感じていて。それは家族なのか、兄弟なのか、友人なのか。その人と酒飲みたいなって思えるのが一番いいいなと。あとはやっぱり普通の酒屋さん、町の小さい酒屋さんにふらっとそこにお酒を買いに行ってもらえたら嬉しいかな。
藤原:買うものはコンビニと同じでも。
白磯:ちょっと覗いてみようかなっていうきっかけになればいいかなとは思います。
藤原:さっき大知君が100%伝えたいと思ったことが2%しか届かないみたいな話をしてたけど、この映画を観て0%よりは2%でも伝わってくれるといいよね。
白磯:それはそうだね。
#中村屋酒店の兄弟
藤原季節×白磯大知 – 伝えたい、届けたい
映画本編とラジオドラマという2本立てでの全国劇場公開が決定した『中村屋酒店の兄弟』。その新しい映画体験を通して、大切な人や場所との“距離感”について改めて考えさせてくれる佳作だ。主演の藤原季節、監督の白磯大知へのインタビュー。
この映画を必要としてくれる人がいることが嬉しい(藤原)
— 映画『中村屋酒店の兄弟』拝見させていただいて、いま映画館で上映することにすごく意味のある作品だと思いました。お二人としては初上映から3年たって全国で公開されることに対して、どのような思いがありますか? 白磯監督にとっては初監督作品でもありますが。
白磯大知(以下、白磯):ありがたい気持ちはもちろんあるんですけど、それ以上に驚いているというか。中村屋酒店さんのご夫婦をはじめいろんな方の協力があって撮れた作品なので、その感謝を全国公開っていうかたちで返せるのはすごく嬉しく思っています。
— 藤原さんは?
藤原季節(以下、藤原):中村屋酒屋はもう閉店してるんですけど、でもそこに確かにあったものとか、消えていってしまうものとか、大知君は目に見えない何かを撮りたかったんじゃないかと思っていて。それが撮影から3年を経ていま全国に届くっていうのは、この映画に可能性を感じて届けたいと思ってくれた人や、消えていくものに対して思うところがある人がいるってことなんですよね。この映画を必要としてくれる人がいるんだっていうことが嬉しいです。
— すごいことですよね。『中村屋酒店の兄弟』は、映画本編とその前日譚となるラジオドラマ、そしてドキュメンタリーという3本の作品に展開されています。今回はドキュメンタリーの上映はないそうですが、ドキュメンタリーは中村屋酒店が閉店することを映画の撮影中に知ってから撮ることを決めたそうですね。
白磯:そうです。中村屋酒店の閉店は季節君が教えてくれたんですけど、最初に奥さんから「映像で残せたら嬉しい」って言われたのはそういう意味だったのかと気づいて。閉店するまでの3ヵ月間で何回かお邪魔して撮らせていただきました。
— ラジオドラマの制作はどういった経緯で?
白磯:「田辺・弁慶映画祭」でTBSラジオ賞を受賞した時に、「この作品はラジオドラマにしたら面白いんじゃないか」というご提案をいただきました。せっかくだから映画をそのままラジオドラマにするのではなく、映画をより楽しめるような作品を作れたらいいなと。映画本編より過去の話にして、ラジオドラマを聴きながら想像した情景が本編を観ている時に回想として浮かんだらすごく面白いんじゃないかなと思って。
— 実際にすごくユニークな体験でした。ラジオドラマを聴いているときは画があまり浮かばなかったんですけど、映画を観ていると鮮明な思い出に感じられてくるのが不思議な感覚で。僕は自宅で視聴したのですが、映画館だと感じ方がだいぶ違いそうですね。
藤原:テアトル新宿で経験した時は感動的でした。暗闇の中でみんなが耳を澄まして声だけを聴くって初体験でしたから。
— ですよね。その体験だけでも映画館に行く価値があるなと思いました。
書かれていないことが山ほど書かれた本だと気づいた(藤原)
— 中村屋酒店は実在した酒屋なんですよね。脚本の制作段階から、中村屋酒店を舞台として想定されてたんですか?
白磯:そうではなく、タイトルももともと違うお店の名前だったんです。でも本当にいろんな酒屋さんにお願いに行ってもなかなかロケ地が決まらずで。もうどうしようって状態のある日、赤羽の酒屋さんからの帰り道…そこも断られてしまったんですが、携帯で調べたら近隣にもう1件酒屋さんがあって、そこの写真が理想的だったんです。定休日となっていたんですけど行ってみたらたまたま開いていて、ご主人とお話させていただいたんですが、やっぱり唐突なお願いだったので「いやいや…」と。そしたら奥さんも出てきて、「残せるんだったらなんでも協力します」と言ってくださって。「残せる」に込められた意味は、その時はまだ知らなかったですけど。
— 中村屋酒店に決まった時にはもう本はできあがっていたんですね。
白磯:ほぼできていました。でも中村屋酒店の雰囲気や染みついた匂いみたいなものが、役者や作品に十二分に影響したとは思います。
— 藤原さんとはもともとお知り合いだったんですか?
白磯:ほぼ知り合いじゃないといっていい。
藤原:面識はあるぐらいでした。
— なぜ藤原さんにオファーを?
白磯:キャスティングで入っていただいた方が共通の知人で提案していただきました。「いや、そもそもいける?」と思いながらも脚本を送って、まず季節くんに読んでもらえたことが僕は嬉しかったんですが、やっぱり「ちょっと何が面白いかわからない」という答えで。じゃあまた別の方を探さないと、と思っていたら「直接監督と会って話をしたい」と電話をいただいたんです。新宿だっけ?
藤原:いや、渋谷。
白磯:渋谷のカフェで会ってコーヒーを飲みながら、「もう1回読んでいい?」って目の前で本を読み始めて。
藤原:カフェの喫煙所でタバコを吸ってる時に、大知君がぽろっと「兄弟の距離感を描きたいんですよね」って言ったんですよ。それがピンって琴線を弾いて。もう1回だけ読ませてくださいって、その場で心が変わりました。
— 藤原さんの中に、兄弟の距離感に対する興味・関心がもともとあったんですか?
藤原:というよりは、脚本をしっかり読めてなかったかもしれないと思ったんですよね。3年前の自分の未熟さによるものなんですけど、書かれてあることをそのまま読むことしかできないとか、読もうとする努力をしていなかったというのがあって。新しい監督だし、年齢も僕より3つぐらい若いし、ちょっと大知君のことをなめてる気持ちもあった。だから兄弟の距離感を描きたいって言われた時に、ひょっとしたら一行のセリフに込められた裏の感情がたくさん眠ってるんじゃないかと読んでみたら、案の定書かれていないことが山ほど書かれた本だなっていうことに気づいて。それで、もうその場で「はぁ、すごいな」と。
— 白磯監督が兄弟の距離感を描きたいという思いに至ったのはなぜでしょう?
白磯:距離感が近くなればなるほど本当に伝えたいことってなかなか言えない。逆に隠したい気持ちは、本当に言ったかのように伝わっちゃう。兄弟とか両親とか、お互いの信頼関係があるから起こるちぐはぐさなんですよね。両親とかなんも言ってないのに急に「元気?」みたいな電話がかかってきたりするじゃないですか。そういうことが面白いし不思議だなと。自分は兄弟がいるし、男兄弟の話を書いてみようと思って脚本にしました。
自分自身を深掘りすることがコミュニケーションに繋がる(白磯)
— 男兄弟って距離感の難しさが顕著に表れると思うんですけど、男兄弟に限らず人と人の距離感ってこういう感じあるよなって映画を観ていてすごく共感できました。お二人が普段、人との関係性で意識していることや大事にしていることはありますか?
藤原:むしろ、それしか大事にしてないですね。
— 距離感を?
藤原:そう。自分が思ってることをそのまま相手に伝えると、コミュニケーションが成立しないので。相手にもらおうとするばかりじゃなくて、自分はこの人に何を与えられるんだろうって考える時間が積み重なると自然と距離感も考えるようになって、自分の思っていることをどう伝えればこの人に届くだろうっていうことを考えるようになる。それはもう日々、毎日、毎秒考えています。
— 疲れることはないですか? ずっと考え続けていたら。
藤原:でもそうじゃないと。果てしない問題です、それが。
— 白磯さんも人との距離感で気を使うところはありますか?
白磯:僕は自分の気持ちをストレートに言うことが苦手なんです。「好き」って思った時にパッと感情のまま言葉にして、自分の100%を全部ぶつけても相手には2%とか3%しか伝わらないこともあるなと思って。そこでどういう伝え方をしたら相手が聞いてくれるか、理解してもらえるのか。それにはまず自分がどう見られているか…別に体面を気にするっていうわけではなく、自分自身をどれぐらい深掘りできるかということが、結局他人とのコミュニケーションに繋がっていくのかなと。毎分毎秒考えているわけじゃないですけど、自分はどういう人間なんだろうと考えるのは大事だなと思っています。
— 面白いですね。人がどう見ているかじゃなくて自分が自分をどう見るかっていうことを深く考えるっていうのが。
白磯:まさにそうですね。
— では最後に、これから映画をご覧になる方へのメッセージをお願いします。
藤原:ラジオドラマは音で聴いて想像で楽しむもので、映画は視覚でも感じるもの。いろんな面から中村屋酒店っていう場所のことを45分間考え続ける時間っていうのは、言葉にするのは難しいけど意味があるし、価値があるものなんじゃないかなと僕は信じたいですね。
白磯:僕はこの映画を見終わった後に、自分の家族に連絡してみようかなとか、久々に思い出すようなきっかけになればいいなっていうのはすごく感じていて。それは家族なのか、兄弟なのか、友人なのか。その人と酒飲みたいなって思えるのが一番いいいなと。あとはやっぱり普通の酒屋さん、町の小さい酒屋さんにふらっとそこにお酒を買いに行ってもらえたら嬉しいかな。
藤原:買うものはコンビニと同じでも。
白磯:ちょっと覗いてみようかなっていうきっかけになればいいかなとは思います。
藤原:さっき大知君が100%伝えたいと思ったことが2%しか届かないみたいな話をしてたけど、この映画を観て0%よりは2%でも伝わってくれるといいよね。
白磯:それはそうだね。
一点无关紧要的念想②
看了一条写浅田家的微博,笔触很淡,很温润。不是“盛赞”这种浮夸的级别,写的人只是在非常私人的、极致细腻地描摹它的好,表达自己悄然绽放的喜欢。
读了读。觉得真好。又觉得不是同一类人。
兴起搜了搜陌生人的微博,果不其然提都没提过TENET,大概没有去看,估计本身对它就没什么兴趣,笑。那我喜欢到一旦提及骨髓都开始疯狂尖啸的TENET,看到IG story后恨不得立即给MJ发三百条line……还好我没有他line,笑。
很多时候,只需要一个细节,几行文字,就能很清晰地感知到对方和自己相异的界线。
此处赞美微博一百字。在微博很好,得以随意路过陌生人心灵的橱窗,偷偷窥伺一眼——里面亮着暖黄或刺眼的灯光、养着的花又或快枯萎、深蓝的鱼缸、腐朽的木梯、没有读完的书籍、出炉的面包。看一眼,就走了。可能还会路过,或许再不重逢。
这个人和自己活过截然不同的人生轨迹,永远不会成为挚友甚至没有契机相识。但偶遇和窥视本身就是命中注定和擦肩而过的,是法国电影般的。
而在划下彼此界线这点上,二宫先生倒一直以来都是我的指北针。
喜欢他的人大都是演技派忠实信者,问为哪一部作品着迷,一旦对方说起温柔时刻,听话时心里蓬松地落下一个角的,像被奶油压塌的戚风蛋糕之类。但就清晰地想,啊,我们不是同一路人。
不过这也并不妨碍人与人之间相互欣赏与喜爱,依然可以一起吃饭分享甜食,隔着一寸心灵间浩瀚的距离。
可“识于微时”却能打破这个“不是同一路人,虽然彼此喜欢,依然永远一丈距离”的定律。
十几岁的相识正逢伊始,一切快要蓬勃茂盛又还什么都尚未开始,一起面对了一个零界点,比起感知是不是同路人,路就在眼前,人相邻而立,自然而然就比肩前行了。
所以我想幼驯染始终让人想歌颂。是自成一格的感情。
看了一条写浅田家的微博,笔触很淡,很温润。不是“盛赞”这种浮夸的级别,写的人只是在非常私人的、极致细腻地描摹它的好,表达自己悄然绽放的喜欢。
读了读。觉得真好。又觉得不是同一类人。
兴起搜了搜陌生人的微博,果不其然提都没提过TENET,大概没有去看,估计本身对它就没什么兴趣,笑。那我喜欢到一旦提及骨髓都开始疯狂尖啸的TENET,看到IG story后恨不得立即给MJ发三百条line……还好我没有他line,笑。
很多时候,只需要一个细节,几行文字,就能很清晰地感知到对方和自己相异的界线。
此处赞美微博一百字。在微博很好,得以随意路过陌生人心灵的橱窗,偷偷窥伺一眼——里面亮着暖黄或刺眼的灯光、养着的花又或快枯萎、深蓝的鱼缸、腐朽的木梯、没有读完的书籍、出炉的面包。看一眼,就走了。可能还会路过,或许再不重逢。
这个人和自己活过截然不同的人生轨迹,永远不会成为挚友甚至没有契机相识。但偶遇和窥视本身就是命中注定和擦肩而过的,是法国电影般的。
而在划下彼此界线这点上,二宫先生倒一直以来都是我的指北针。
喜欢他的人大都是演技派忠实信者,问为哪一部作品着迷,一旦对方说起温柔时刻,听话时心里蓬松地落下一个角的,像被奶油压塌的戚风蛋糕之类。但就清晰地想,啊,我们不是同一路人。
不过这也并不妨碍人与人之间相互欣赏与喜爱,依然可以一起吃饭分享甜食,隔着一寸心灵间浩瀚的距离。
可“识于微时”却能打破这个“不是同一路人,虽然彼此喜欢,依然永远一丈距离”的定律。
十几岁的相识正逢伊始,一切快要蓬勃茂盛又还什么都尚未开始,一起面对了一个零界点,比起感知是不是同路人,路就在眼前,人相邻而立,自然而然就比肩前行了。
所以我想幼驯染始终让人想歌颂。是自成一格的感情。
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