藏在心底的西蓝花
心に秘めたブロッコリー
这是他第六次看到她了。街角的小饭馆里,她总是一个人坐在窗前的位置,眼底有淡淡的忧伤。她的桌上总是放着唯一的一盘菜──素炒西蓝花。一个人,一盘菜,却摆着两双筷子,她在等人?
彼女を見たのはこれで6回目だった。街中の小さな食堂で、彼女はいつも一人窓際の席に座り、目に淡い憂いを浮かべていた。テーブルの上にはいつもブロッコリー炒めが一つだけ置かれていた。一人で料理一皿なのに、箸はいつも二膳置かれていて、彼女は誰かを待っているのだろうか?
直到她离开,也没见有人来。
しかし、彼女が帰るまで、誰も現れることはなかった。
第七次,桌上多了一本书。他悄悄看过去,是木心的《哥伦比亚的倒影》。她也喜欢木心啊,他对她的好感又莫名地增加了一些。
七度目に見た時、テーブルの上には本が一冊置かれていた。こっそり見てみると木心の『コロンビアの影』だった。彼女は木心が好きなのかと思うと、彼女に対する好感がなぜか少しアップしたように思えた。
这次,除了一成不变的西蓝花外,她还要了一碗馄饨。刚吃了几口,她接了个电话,急匆匆走了。木心的书却落在了桌上,他心里暗喜,拿走了那本书。
今回、彼女はいつものブロッコリー以外に、ワンタンを一碗頼んでいた。何口か食べたところで電話を受け、慌てて去っていった。木心の本はテーブルに置かれたままで、彼は密かに喜び、その本を持ち去った。
之后他每到中午饭点时,会提前半小时来到小饭馆,而她再也没来。他快要放弃的时候,她却风尘仆仆地站在了小饭馆的门口。这是他第八次见到她。
その後、彼はお昼になるといつも30分前からその小さな食堂にやって来たが、彼女が再びやって来ることはなかった。諦めかけていた時、彼女は疲れた様子で食堂の入り口に立っていた。これが八度目の出会いだった。
他坐在她常坐的窗前位置,看到她的那一刻,猛地站了起来。他意识到自己的莽撞,忙扬起桌上木心的书。她笑了,笑得很温暖,很好看。他的心轻轻地荡漾了。
彼は彼女がいつも座っている窓際の席にいたが、彼女を目にするなりあわてて立ち上がった。彼は自分がうっかりしていたことに気づき、急いでテーブルにおいた木心の本を高く掲げた。彼女はにっこりとし、それはとても暖かな笑みで、素敵だった。彼の心は軽やかに踊った。
他们像是久别重逢的故人,一起坐在窗前的位置吃了饭。她像往日一样,要了一份素炒西蓝花。那顿饭,他和她似乎都很有胃口,吃得开心,聊得也开心。
彼らはまるで久しぶりに会った古くからの友人のように一緒に窓際に座ってご飯を食べた。彼女は昔と同じようにブロッコリー炒めを注文した。その食事は彼にとっても彼女にとってもとてもおいしく、楽しいもので、おしゃべりも楽しかった。
他又看到了她第九次,第十次……
彼は彼女と九度、十度と会った。
#你会因为别人的看法改变自己吗##比亚迪##强军正能量#
两年后,她成了他的妻。他家的餐桌上常有的一道菜就是小饭馆里的那盘素炒西蓝花。
二年後、彼女は彼の妻となった。彼の家の食卓にはいつもあの食堂のブロッコリー炒めが並んでいた。
她温柔体贴,是一个好妻子。他们很恩爱,日子过得幸福。然而,谁都想不到,他心里竟一直藏着一个心结。
彼女はやさしく親切で、いい妻だった。彼らは愛し合って幸せに暮らした。でも、意外なことに彼の心にはずっとひそかなわだかまりが残っていた。
一年年过去,这心结越结越深。他也常常劝自己,都这么多年了,喜欢一个人,没必要在乎她的过去。可是,有时候,他总会不由自主地想起当年小饭馆里的那盘西蓝花,想他的妻子在等谁?
一年また一年と過ぎていったが、このわだかまりはますます強いものとなっていった。彼もこんなに長いこと一人の人を愛してきたのだし、彼女の過去にこだわる必要はないじゃないかと自分に言い聞かせていた。しかし、彼が食堂のブロッコリー炒めを思い出すと、いつも妻がいったい誰を待っていたのかと考えないわけにはいかなかった。
他发现自己的脾气越来越不好了,怕伤害到她,他把自己关到书房里,在日记里写下了藏在心底多年的心事。
どんどん機嫌が悪くなる自分に気づき、彼女を傷つけるのをおそれ、彼は自分の書斎に閉じこもり、日記に長年心に秘めてきた気がかりを書き記した。
她收拾房间时,无意中看到了那本日记,也终于知道了他的心事。她的泪一滴一滴落在纸上。
彼女が部屋の片付けをしていたとき、たまたまその日記を目にして、彼の心の内をとうとう知ることになった。彼女は紙の上に涙をポタポタとたらした。
晚上,他回来,她早已做好了饭,桌上有她特意为他做的素炒西蓝花。他皱起眉头,她已明白他眉间的愁绪,平静地讲起一段往事。
その夜、彼が帰ってきたとき、彼女は早々に晩御飯をつくり終えていて、食卓の上には彼女が彼のために特別につくったブロッコリー炒めがのっていた。彼は眉をひそめたが、彼女はその理由を知っていたため、静かに昔話を始めた。
那时候,她刚毕业来到这个城市,到处奔波找工作。有一回,在公交车上,有一个打扮时尚的女人冤枉她偷拿了自己的手机。很多人向她投来鄙夷的目光,她委屈得直掉眼泪。当时车上只有一个人肯相信她,并帮她证明了清白。她记下了那张令她温暖一生的坚定面容。他在下一站下了车,她看到他的手里提着一兜西蓝花。
あの時、彼女は卒業したばかりでこの都市にやって来て、仕事探しに奔走していた。あるとき、バスでおしゃれな格好をした女性に彼女の携帯電話を盗んだという濡れ衣を着せられ、多くの人が彼女を蔑視する視線を投げかけ、彼女は屈辱の涙を流した。しかし、その時バスの中に彼女を信じてくれた人が一人だけいて、彼女の潔白を証明する手伝いをしてくれた。彼女はその温かな落ち着いた容貌をしっかり記憶した。彼は次のバス停で降り、彼女は彼の手にブロッコリーが下がっているのを見た。
那天她因为有点过敏,戴着口罩,他根本看不到她的模样。她却记住了他。她不久找到了工作,在这个城市立足之后,经常做的一件事就是寻找他。
その日、彼女は花粉症でマスクをしていたため、彼には彼女の顔が見えなかったが、彼女は彼の顔をしっかりと覚えていた。彼女はまもなく仕事を探し当て、この街で生活できるようになると、真っ先にしたことは、彼を探し出すということだった。
这个城市这么大,找一个人其实很难。可她真幸运,竟找到了。原来她和他工作的地方离得那么近,只隔了一条街。她站在办公楼上看到他爱去街角的小饭馆吃中饭。她想了好久,决定也去小饭馆。
こんなに大きい都市の中で、人一人を探すのはとても大変だった。しかし幸運なことに、探し当てられたのだ。彼女と彼が仕事をしていた場所はとても近く、道一本隔てただけのところだった。彼女はオフィスビルから彼がお気に入りの街角の食堂でお昼を食べているのを見かけた。彼女は長いこと考えていたが、この食堂に行ってみることにした。
他恍然大悟,原来他的妻子要等的人就是他啊,他才是妻子藏在心底的西蓝花!
彼の妻が待っていた人とは自分であったことを、彼は悟った。彼こそ妻が心に秘めたブロッコリーだったのだ。
心に秘めたブロッコリー
这是他第六次看到她了。街角的小饭馆里,她总是一个人坐在窗前的位置,眼底有淡淡的忧伤。她的桌上总是放着唯一的一盘菜──素炒西蓝花。一个人,一盘菜,却摆着两双筷子,她在等人?
彼女を見たのはこれで6回目だった。街中の小さな食堂で、彼女はいつも一人窓際の席に座り、目に淡い憂いを浮かべていた。テーブルの上にはいつもブロッコリー炒めが一つだけ置かれていた。一人で料理一皿なのに、箸はいつも二膳置かれていて、彼女は誰かを待っているのだろうか?
直到她离开,也没见有人来。
しかし、彼女が帰るまで、誰も現れることはなかった。
第七次,桌上多了一本书。他悄悄看过去,是木心的《哥伦比亚的倒影》。她也喜欢木心啊,他对她的好感又莫名地增加了一些。
七度目に見た時、テーブルの上には本が一冊置かれていた。こっそり見てみると木心の『コロンビアの影』だった。彼女は木心が好きなのかと思うと、彼女に対する好感がなぜか少しアップしたように思えた。
这次,除了一成不变的西蓝花外,她还要了一碗馄饨。刚吃了几口,她接了个电话,急匆匆走了。木心的书却落在了桌上,他心里暗喜,拿走了那本书。
今回、彼女はいつものブロッコリー以外に、ワンタンを一碗頼んでいた。何口か食べたところで電話を受け、慌てて去っていった。木心の本はテーブルに置かれたままで、彼は密かに喜び、その本を持ち去った。
之后他每到中午饭点时,会提前半小时来到小饭馆,而她再也没来。他快要放弃的时候,她却风尘仆仆地站在了小饭馆的门口。这是他第八次见到她。
その後、彼はお昼になるといつも30分前からその小さな食堂にやって来たが、彼女が再びやって来ることはなかった。諦めかけていた時、彼女は疲れた様子で食堂の入り口に立っていた。これが八度目の出会いだった。
他坐在她常坐的窗前位置,看到她的那一刻,猛地站了起来。他意识到自己的莽撞,忙扬起桌上木心的书。她笑了,笑得很温暖,很好看。他的心轻轻地荡漾了。
彼は彼女がいつも座っている窓際の席にいたが、彼女を目にするなりあわてて立ち上がった。彼は自分がうっかりしていたことに気づき、急いでテーブルにおいた木心の本を高く掲げた。彼女はにっこりとし、それはとても暖かな笑みで、素敵だった。彼の心は軽やかに踊った。
他们像是久别重逢的故人,一起坐在窗前的位置吃了饭。她像往日一样,要了一份素炒西蓝花。那顿饭,他和她似乎都很有胃口,吃得开心,聊得也开心。
彼らはまるで久しぶりに会った古くからの友人のように一緒に窓際に座ってご飯を食べた。彼女は昔と同じようにブロッコリー炒めを注文した。その食事は彼にとっても彼女にとってもとてもおいしく、楽しいもので、おしゃべりも楽しかった。
他又看到了她第九次,第十次……
彼は彼女と九度、十度と会った。
#你会因为别人的看法改变自己吗##比亚迪##强军正能量#
两年后,她成了他的妻。他家的餐桌上常有的一道菜就是小饭馆里的那盘素炒西蓝花。
二年後、彼女は彼の妻となった。彼の家の食卓にはいつもあの食堂のブロッコリー炒めが並んでいた。
她温柔体贴,是一个好妻子。他们很恩爱,日子过得幸福。然而,谁都想不到,他心里竟一直藏着一个心结。
彼女はやさしく親切で、いい妻だった。彼らは愛し合って幸せに暮らした。でも、意外なことに彼の心にはずっとひそかなわだかまりが残っていた。
一年年过去,这心结越结越深。他也常常劝自己,都这么多年了,喜欢一个人,没必要在乎她的过去。可是,有时候,他总会不由自主地想起当年小饭馆里的那盘西蓝花,想他的妻子在等谁?
一年また一年と過ぎていったが、このわだかまりはますます強いものとなっていった。彼もこんなに長いこと一人の人を愛してきたのだし、彼女の過去にこだわる必要はないじゃないかと自分に言い聞かせていた。しかし、彼が食堂のブロッコリー炒めを思い出すと、いつも妻がいったい誰を待っていたのかと考えないわけにはいかなかった。
他发现自己的脾气越来越不好了,怕伤害到她,他把自己关到书房里,在日记里写下了藏在心底多年的心事。
どんどん機嫌が悪くなる自分に気づき、彼女を傷つけるのをおそれ、彼は自分の書斎に閉じこもり、日記に長年心に秘めてきた気がかりを書き記した。
她收拾房间时,无意中看到了那本日记,也终于知道了他的心事。她的泪一滴一滴落在纸上。
彼女が部屋の片付けをしていたとき、たまたまその日記を目にして、彼の心の内をとうとう知ることになった。彼女は紙の上に涙をポタポタとたらした。
晚上,他回来,她早已做好了饭,桌上有她特意为他做的素炒西蓝花。他皱起眉头,她已明白他眉间的愁绪,平静地讲起一段往事。
その夜、彼が帰ってきたとき、彼女は早々に晩御飯をつくり終えていて、食卓の上には彼女が彼のために特別につくったブロッコリー炒めがのっていた。彼は眉をひそめたが、彼女はその理由を知っていたため、静かに昔話を始めた。
那时候,她刚毕业来到这个城市,到处奔波找工作。有一回,在公交车上,有一个打扮时尚的女人冤枉她偷拿了自己的手机。很多人向她投来鄙夷的目光,她委屈得直掉眼泪。当时车上只有一个人肯相信她,并帮她证明了清白。她记下了那张令她温暖一生的坚定面容。他在下一站下了车,她看到他的手里提着一兜西蓝花。
あの時、彼女は卒業したばかりでこの都市にやって来て、仕事探しに奔走していた。あるとき、バスでおしゃれな格好をした女性に彼女の携帯電話を盗んだという濡れ衣を着せられ、多くの人が彼女を蔑視する視線を投げかけ、彼女は屈辱の涙を流した。しかし、その時バスの中に彼女を信じてくれた人が一人だけいて、彼女の潔白を証明する手伝いをしてくれた。彼女はその温かな落ち着いた容貌をしっかり記憶した。彼は次のバス停で降り、彼女は彼の手にブロッコリーが下がっているのを見た。
那天她因为有点过敏,戴着口罩,他根本看不到她的模样。她却记住了他。她不久找到了工作,在这个城市立足之后,经常做的一件事就是寻找他。
その日、彼女は花粉症でマスクをしていたため、彼には彼女の顔が見えなかったが、彼女は彼の顔をしっかりと覚えていた。彼女はまもなく仕事を探し当て、この街で生活できるようになると、真っ先にしたことは、彼を探し出すということだった。
这个城市这么大,找一个人其实很难。可她真幸运,竟找到了。原来她和他工作的地方离得那么近,只隔了一条街。她站在办公楼上看到他爱去街角的小饭馆吃中饭。她想了好久,决定也去小饭馆。
こんなに大きい都市の中で、人一人を探すのはとても大変だった。しかし幸運なことに、探し当てられたのだ。彼女と彼が仕事をしていた場所はとても近く、道一本隔てただけのところだった。彼女はオフィスビルから彼がお気に入りの街角の食堂でお昼を食べているのを見かけた。彼女は長いこと考えていたが、この食堂に行ってみることにした。
他恍然大悟,原来他的妻子要等的人就是他啊,他才是妻子藏在心底的西蓝花!
彼の妻が待っていた人とは自分であったことを、彼は悟った。彼こそ妻が心に秘めたブロッコリーだったのだ。
看了一个小说,因为唯心力量的加剧导致世界上诡异的事情变得不可控制,人类的力量对自然来说是渺小又脆弱的,有一个预言,人类在不久后的将来会迎来末日,女主角加入之后末日越来越近越来越近,后面才发现其实女主角是人类身上自带的自毁倾向的代表,是人类基因催生了这个末日,拯救人类的重担压在女主角身上,只有她和她体内的存在一起沉没才能拯救人类,如果不是为了单独的谁,大概她也没办法心甘情愿的牺牲吧
【从地名学看村落与宗族的关系】
春秋以前中国是个族群社会,以封地为族姓、又以族姓为地名是常见的现象。但自秦以下,族群社会被官僚制帝国的编户齐民社会或曰“吏民社会”所取代,乡村聚落的命名也就十分彻底地非族姓化了。秦汉时代的闾里、吴简中所见的丘,三国以下的村坞屯聚,其名几乎都与族姓无关。秦汉的里名或取自“吉语”(如长乐、富贵、成汉、汉兴等等),或取自地理方位(如都里、西道、市阳、亭南、中治等等)及其他。由于取材有限,重名率极高(但在一个县的范围内似乎不允许重名)。例如汉简中所见,居延、昭武、故道、江陵等县都有“市阳里”,而“万岁里”之类的里名更似乎多数县都有。东汉、三国的里、丘命名渐趋多样化,尤其吴简中所见之丘名多俚俗,大概是取自民间而非官府所起。但是以族姓命名的似乎还没有。
那时偶有“郑里”“刘里丘”“吴丘”“何丘”之名,有人认为这就是以居民姓氏命名之聚落。但细考之,这些地名也不像是取自姓氏。因为这类里、丘的人户很少——大多数情况下完全没有——以里丘所名为姓者。如前所引:江陵出土的“郑里廪簿”被认为是全里的完整登记,其中并无姓郑者。走马楼吴简中有66个单名里、丘,其中11个单名可用为姓,但却与当地实际居民姓氏无关。如“何丘”已知姓氏共有19户,分属15姓,其中恰无姓何者。其他如莫丘、吴丘、寇丘、区丘、温丘、贺丘、杨丘、龙丘等,也完全没有莫吴寇区温贺杨龙等姓。只有“刘里丘”有刘姓,但也不是第一大姓。当然,后世以姓名村者也有原居姓氏流散、现居民全无村名所指姓的现象,但那时其他村落的居民姓氏同于村名者至少不罕见。如果完全没有后一种情况,就很难以姓氏流散来解释前一种现象。因此吴简所见的何丘等等,大概与其他绝大多数单字丘名(捞丘、略丘之类)一样另有所本,不是以姓名村。
三国以降,里制渐坏,屯、聚、村、坞以及更晚的庄、寨(砦)、堡等聚落类型兴起。但在很长时间内这些聚落类型也未发现有以姓氏命名的。
以“村”为例,日本汉学界曾有过关于“村”起源的讨论。宫崎市定说“村(邨)”起源于屯田之“屯”,而堀敏一认为“屯”与屯田无关,它起源于“屯聚”,因而村与“聚”有缘。但屯、聚也好,村、坞也罢,宋以前都极少与姓氏相联系。笔者以电脑检索“二十五史”,得“村”之记载共1738处。其中最早是《三国志》卷十六《郑浑传》中“村落齐整如一”之说。《三国志》《晋书》都只有这类“村落”“村坞”的一般提法,正式以村为地名,则始于南北朝,主要是南朝。如《宋书》中有康亭村、牛门村、虎槛村等30处;《魏书》有高柳村、商王村等26处。总计南五史出现117处,北四史出现84处,但没有一处是以姓名村的。
隋唐两代仍然如此。《隋书》《旧唐书》《新唐书》各出现村名17、46、12处,基本都与姓氏无涉。如隋之宋谷村、白土村、孝敬村,唐之白石村、襄王村、水门村等。但这时已出现了个别例外。如《隋书》卷二十三:“大兴城西南四里有袁村。”这是检索出正史中以姓名村的首例。但其起源可能仍然与上层有关,正如大兴(隋都,即后之长安)附近当时已有的韦曲、杜曲、樊川等地名一样,不是以当地居民姓氏而是以与当地有关的某显贵得名。
五代时,以姓名村开始多见。《旧五代史)有任村、杨村、王村、罗村、杨村赛、杨村渡;《新五代史》有赵村、王村等。到了《宋史》中,以姓名村之例就多达37处,占该史记载239处“村”名的15%。《辽史》《金史》各有以姓名村2例与15例,分别占总村名的28.5%与16%。《元史》有34例,占总村名的41%。《明史》77例,占36%。《清史稿》则多至377处,占56%。可见,以姓名村之风,是宋代兴起,到明清才大盛的。
除了“村”以外,其他以族姓得名的聚落称谓也是如此。由电脑检索可知,“x各庄”一类地名明以前未见,始见于《明史》也只有卷八十六“纪各庄”一例,而《清史稿》则有24例。
“x格庄”,清以前没有,《清史稿》则有7例。“x家村”,《宋史》2例,《金史》1例,《明史》2例,而《清史稿》多至20例。“x家集”,明以前无,《明史》有5例,《清史稿》则多达97例。“x家寨”,始见于《旧五代史》1例,以后《辽史》3例,《元史》5例,《明史》19例,《清史稿》42例。“x家镇”,始见于《金史》1例,《明史》2例,《清史稿》达到60例。“X家堡”,是出现较早的姓氏化地名,但早期它基本上只见于边防要塞式居民点,始见于《宋史》者凡12例,皆在西北抗夏军事前沿。以后一度少见,《金史》《元史》仅各1例,《明史》9例,而《清史稿》有36例,并且扩及了河南、江苏、湖广等内地省份。
同姓相对聚居的存在不是宗族组织、尤其具有实质性功能的宗族得以形成的充分条件,但应当是必要条件。在古代生存状态下,距离对于人际交往的限制要比近代大得多。如果人们不住一处,仅凭所谓共同祖先的“伦理”基础是很难保持稳定交往、发展公共认同并形成功能性组织的。如今人们论述“国权不下县”时往往强调古代技术条件对国家权力延伸的限制。其实制度化权力组织本身就是可以创造“奇迹”的。像金字塔、始皇陵那样靠近代技术也不容易搞起来的惊人之举就是明证。
作者:秦晖来源:《书摘》2020年第10期 转引自: 江西地名研究
春秋以前中国是个族群社会,以封地为族姓、又以族姓为地名是常见的现象。但自秦以下,族群社会被官僚制帝国的编户齐民社会或曰“吏民社会”所取代,乡村聚落的命名也就十分彻底地非族姓化了。秦汉时代的闾里、吴简中所见的丘,三国以下的村坞屯聚,其名几乎都与族姓无关。秦汉的里名或取自“吉语”(如长乐、富贵、成汉、汉兴等等),或取自地理方位(如都里、西道、市阳、亭南、中治等等)及其他。由于取材有限,重名率极高(但在一个县的范围内似乎不允许重名)。例如汉简中所见,居延、昭武、故道、江陵等县都有“市阳里”,而“万岁里”之类的里名更似乎多数县都有。东汉、三国的里、丘命名渐趋多样化,尤其吴简中所见之丘名多俚俗,大概是取自民间而非官府所起。但是以族姓命名的似乎还没有。
那时偶有“郑里”“刘里丘”“吴丘”“何丘”之名,有人认为这就是以居民姓氏命名之聚落。但细考之,这些地名也不像是取自姓氏。因为这类里、丘的人户很少——大多数情况下完全没有——以里丘所名为姓者。如前所引:江陵出土的“郑里廪簿”被认为是全里的完整登记,其中并无姓郑者。走马楼吴简中有66个单名里、丘,其中11个单名可用为姓,但却与当地实际居民姓氏无关。如“何丘”已知姓氏共有19户,分属15姓,其中恰无姓何者。其他如莫丘、吴丘、寇丘、区丘、温丘、贺丘、杨丘、龙丘等,也完全没有莫吴寇区温贺杨龙等姓。只有“刘里丘”有刘姓,但也不是第一大姓。当然,后世以姓名村者也有原居姓氏流散、现居民全无村名所指姓的现象,但那时其他村落的居民姓氏同于村名者至少不罕见。如果完全没有后一种情况,就很难以姓氏流散来解释前一种现象。因此吴简所见的何丘等等,大概与其他绝大多数单字丘名(捞丘、略丘之类)一样另有所本,不是以姓名村。
三国以降,里制渐坏,屯、聚、村、坞以及更晚的庄、寨(砦)、堡等聚落类型兴起。但在很长时间内这些聚落类型也未发现有以姓氏命名的。
以“村”为例,日本汉学界曾有过关于“村”起源的讨论。宫崎市定说“村(邨)”起源于屯田之“屯”,而堀敏一认为“屯”与屯田无关,它起源于“屯聚”,因而村与“聚”有缘。但屯、聚也好,村、坞也罢,宋以前都极少与姓氏相联系。笔者以电脑检索“二十五史”,得“村”之记载共1738处。其中最早是《三国志》卷十六《郑浑传》中“村落齐整如一”之说。《三国志》《晋书》都只有这类“村落”“村坞”的一般提法,正式以村为地名,则始于南北朝,主要是南朝。如《宋书》中有康亭村、牛门村、虎槛村等30处;《魏书》有高柳村、商王村等26处。总计南五史出现117处,北四史出现84处,但没有一处是以姓名村的。
隋唐两代仍然如此。《隋书》《旧唐书》《新唐书》各出现村名17、46、12处,基本都与姓氏无涉。如隋之宋谷村、白土村、孝敬村,唐之白石村、襄王村、水门村等。但这时已出现了个别例外。如《隋书》卷二十三:“大兴城西南四里有袁村。”这是检索出正史中以姓名村的首例。但其起源可能仍然与上层有关,正如大兴(隋都,即后之长安)附近当时已有的韦曲、杜曲、樊川等地名一样,不是以当地居民姓氏而是以与当地有关的某显贵得名。
五代时,以姓名村开始多见。《旧五代史)有任村、杨村、王村、罗村、杨村赛、杨村渡;《新五代史》有赵村、王村等。到了《宋史》中,以姓名村之例就多达37处,占该史记载239处“村”名的15%。《辽史》《金史》各有以姓名村2例与15例,分别占总村名的28.5%与16%。《元史》有34例,占总村名的41%。《明史》77例,占36%。《清史稿》则多至377处,占56%。可见,以姓名村之风,是宋代兴起,到明清才大盛的。
除了“村”以外,其他以族姓得名的聚落称谓也是如此。由电脑检索可知,“x各庄”一类地名明以前未见,始见于《明史》也只有卷八十六“纪各庄”一例,而《清史稿》则有24例。
“x格庄”,清以前没有,《清史稿》则有7例。“x家村”,《宋史》2例,《金史》1例,《明史》2例,而《清史稿》多至20例。“x家集”,明以前无,《明史》有5例,《清史稿》则多达97例。“x家寨”,始见于《旧五代史》1例,以后《辽史》3例,《元史》5例,《明史》19例,《清史稿》42例。“x家镇”,始见于《金史》1例,《明史》2例,《清史稿》达到60例。“X家堡”,是出现较早的姓氏化地名,但早期它基本上只见于边防要塞式居民点,始见于《宋史》者凡12例,皆在西北抗夏军事前沿。以后一度少见,《金史》《元史》仅各1例,《明史》9例,而《清史稿》有36例,并且扩及了河南、江苏、湖广等内地省份。
同姓相对聚居的存在不是宗族组织、尤其具有实质性功能的宗族得以形成的充分条件,但应当是必要条件。在古代生存状态下,距离对于人际交往的限制要比近代大得多。如果人们不住一处,仅凭所谓共同祖先的“伦理”基础是很难保持稳定交往、发展公共认同并形成功能性组织的。如今人们论述“国权不下县”时往往强调古代技术条件对国家权力延伸的限制。其实制度化权力组织本身就是可以创造“奇迹”的。像金字塔、始皇陵那样靠近代技术也不容易搞起来的惊人之举就是明证。
作者:秦晖来源:《书摘》2020年第10期 转引自: 江西地名研究
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