【わたし達はおとな】
木竜麻生×藤原季節×加藤拓也監督 インタビュー(1)
理解し合えないまま生きること、を考える。
突如として訪れる関係性の破綻。あれだけ親密な時間があったのに、修復しようと努めたのに、一体どこで間違えたのか…。私たちの多くが思っている、「話し合えばわかりあえる」という考えは誤解なのかもしれません。
大学でデザインの勉強をする大学生と演劇サークルに所属する大学生の恋愛模様が描かれる映画『わたし達はおとな』(2022年6月10日公開)。どこにでもいる恋人たちの日常風景の中にある、コミュニケーションのすれ違いや、言っていることとやっていることのズレ、見えない本音など、少しずつ積み重なっていく二人の齟齬を、俯瞰した視点から描き出します。
今回主人公の優美を演じた木竜麻生さんと、優美と恋人関係のようになっていく直哉を演じた藤原季節さん、本作がオリジナル脚本による監督デビュー作となった加藤拓也監督に、映画を観た残るザラッとした違和感を出発点にお話を伺いました。
木竜麻生×藤原季節×加藤拓也監督 インタビュー
私たちの「日常」を覗き見すると、見えてくるもの
映画で描かれるのは、かつての自分にも思い当たるような、一見すると「何気ない大学生の日常風景」です。しかし、観終わったあと、「おもしろかった」で済ましていいのか迷ってしまいました。
藤原その感想、めちゃくちゃわかります。体感としては、109分が一瞬で過ぎ去っちゃうくらいおもしろいんですが、おもしろいでは片付けられないというか。「この作品をおもしろいって言ってるやつ、大丈夫?」ってなりますよね(笑)。だけどやっぱり、おもしろいっていう感想になってしまうんですけど…。
覗き見するように人間を客観視してみると、行動とか言葉とか突っかかるし、納得できないところがこんなにあるんだなって。その不思議さなんですかね。「恋愛も人間もおもしろいな」と思いました。
木竜人がいて、生活があって、映画の中の出来事を見つめられる映画ですよね。私は、自分が出ているのに、他人を見ているような感覚になったんです。これまで、そんなことはほとんどなかったので、驚きました。
撮影中はどんなお話をされていたんですか? 繊細なやりとりが交わされるシーンが多かったので、監督と話し合うことも多かったのでしょうか。
藤原くだらない話ばかりしてました。
加藤ここで思い出せないくらい、どうでもいい話しかしてないです。
木竜個々に「ここは話しておきたい」という場面はあったと思うんですけど、3人揃って真面目に話す、ということはなかったですね。
藤原核心には触れられないですよね。核心に触れちゃうと、「これです」って決まっちゃうじゃないですか。かっこいいこと言っちゃったな(笑)。
加藤わかんないけど僕が「このシーンは、こう」って外側のことを言い切ってしまうと、僕の代わりを演じることになってしまうじゃないですか。僕の役割は、あくまで役者が考えたり行動したりするきっかけを演出すること。
ある花を咲かせたいと思っていたとして、どれだけ水をあげて、太陽に当てて、どんな肥料を与えるかっていうことはするけれど、結果花の咲き方みたいなものは俳優次第。
藤原そうですね。一緒に中華料理食べに行ったりしたけど、会話の内容は一つも覚えてない。
木竜私もまったく覚えてないです。
加藤僕が、頼んだメニューの3/4くらい残したんですよ。それを、季節が全部食べてくれて。
木竜そうそう、加藤さんが全然食べきれなくて。
藤原僕は、加藤さんが残したものを食べることがよくあります。加藤さんが脚本・演出を務める「劇団た組」の公演には何度か出させてもらっているので、ご飯に行くことも多いんですけど、よく残すんですよ。そういう話を延々してました。
加藤木竜さんは、撮影中にどんどん痩せていきましたね。
木竜意識的にというより無意識に、どんどん役に入り込んでしまったんですよね。
大学生の優美は直哉と半同棲状態になるものの、突然別れを告げられるなど関係性は不明瞭なまま。そんな中で予期せぬ妊娠がわかり、優美はどんどん体調を崩していきます。その過程で、痩せてしまったんですね。
木竜ふたりは「食べな!」と言ってくれてたんですけど、お弁当も2、3口とかしか食べられなくて。これまでの現場で、一番痩せてしまいました。
加藤似顔絵を台本に描たりしました。10日目くらいかな、砂時計みたいな女の子を描きました。
木竜ふたりはよく一緒に作品を作っているから、やり方もわかっているし、本番に入っていくスイッチングもほぼ同時なんですよ。
藤原さんは、加藤監督主宰「劇団た組」の舞台『まゆをひそめて、僕を笑って』(17)『貴方なら生き残れるわ』(18)『誰にも知られず死ぬ朝』(20)『ぽに』(21)に出演されていて、加藤監督も「僕の現場や作品におけるトーン&マナーみたいなことを十分理解してくれている」とコメントされていました。
木竜ふたりは控え室でたくさん盛り上がっていたのに、急に本番モードになる。それを1週間毎日やられると情緒がおかしくなりそうで、ほんとにやめてほしくて。初めて監督という存在に言いました、「バーカ!」って(笑)。
でも、そういうことを正直に言えるくらい信頼していました。藤原さんも知っていたので、ふたりを信頼して、身を委ねて現場に立てたのは大きかったと思います。
正常と異常は両極端ではない。
重なり合ったり、近くに存在したり。
映画では何度もふたりでコミュニケーションを図るシーンが描かれているのに、演じているふたりもボロボロになるぐらい、ふたりの関係性が破綻していきます。おふたりは「わかりあうこと」について、どう思われますか? 役を演じる中で、考えられたことはありますか。
藤原映画の中のふたりは、自分たちでは「理解し合っている」と思っているんですよ。第三者的に見ている僕たちからしたら「全然、わかりあえていないな」って思うけれど。だけど、優実と直哉にもわかりあえないことも愛しい、もしかしたらわかりあえていたかもしれない幸せな時間があった、というのが大事なことなんだと思います。
わかりあえない方ばかりに目が行きがちですけど、ふたりがわかりあえない互いを理解して、心を通わせていた時間もたしかにあったので。幸せな時間も忘れちゃいけないなって思います。
木竜そうですね。それはきっと、いろんな人間関係があるからで。優実にも恋人以外に、友人、家族といった人間関係が描かれて、それぞれ気持ちや立ち振る舞いが違う。だけど、時々別のグループに別の私を持ち込んでしまうから、理解できないことが生まれるのかもしれないですよね。
藤原つまり、「わかりあうこと」について考えるきっかけになるということ?
木竜「わかりあえないこと」についても考えられる。両方の側面があるかな。
藤原監督はどうですか?
木竜どうですか?
加藤いや、「わかりあう/わかりあえない」ということではなくて大前提、他人のことは絶対にわからないですよね。その「わからない」ということを、理解しているかどうかが大事なのではないかと思います。
藤原他人のことはわからなくて、当然?
加藤わからないでしょう。
木竜たしかにこの映画は、「“理解し合えないまま生きていること”は大前提としてある」を考えるきっかけになりますよね。
お互いに本音をずっと言わないから、理解し合えないのではないかと考えていました。
木竜優実はあけすけに本音を話すような子ではなかったと思います。話す相手がどんな人で、どんな状態か、他人を探る女の子だと思いました。ただ、どんな人も、今話したことが「ほんとの本音か」わからないと思うので、優実みたいな人はいっぱいいますよね。
藤原直哉も、本音はほぼ話さない。自分が悪者にならないように、計算し尽くした本音を相手にぶつけるんです。一度相手の意見に同意して、それから自分の意見を言う。
木竜肯定しているようで、してないんだよね。
藤原そうそう。「仮にそうだったとして、でも〜」って、自分の意見をうまく通そうとするんですよ。
監督の作品のベースには「伝えたいことと言っていることとやっていることは違う」という考えがあると拝見しました。今作のように日常生活を覗き見すると、日常にあるズレが浮かび上がり、こんなにも「異常」があることを感じました。
藤原僕も加藤さんの作品を観ていると、普通の延長に異常があるなっていうのは思います。この前まで上演されていた舞台『もはやしずか』でも、成人男性が包丁を振り回すシーンがあったんですけど、明日は我が身だと思わされるような場面で。
そこだけ切り取れば異常なんだけど、普通の延長に異常とされる行動があるんだと思いました。あと、普段から僕自身が「行動が異常」って言われます。
加藤水を飲んでいたら、急に吐き出したりするんですよ。
藤原みんなが笑うから、楽しくて(笑)。木竜さんは言われますか?
木竜私は「異常」と言われたことはないですけど、正常と異常が両極端に位置しているわけじゃなくて、実は重なり合ったりものすごく近くに存在していたりするんだなってことは思います。監督の舞台を観ても、そう思いました。
加藤僕は異常だとも、普通だとも思ってないです。普通だとか異常だとかカテゴライズはしてないし、そう思うことはあまりないです。
今回の映画は、恋愛で、しかも望まない妊娠をした女性とその恋人という何度も描かれてきたテーマでした。そうしたものを書くときに、加藤監督として決めていたことはありますか?
加藤ラブストーリーという主題は依頼としてあったので、そこから僕が思う「ラブストーリー」を書いた感じです。決めていたことを聞かれると難しいですね。
藤原何度も描かれてきたテーマですけど、描かれているものは極めて個人的な気がします。正常も異常も、人によって価値観や視点が全然違いますから。
その違いを真摯に見つめて、一人の人間を描いた結果、他人から見ると異常に見えるのかもしれない。人によっては、普通に見えるかもしれない。普通に見える女子大生のお腹には子どもが宿っていて、そこに正常や異常では片付けられない感情があるってことですよね。
木竜麻生×藤原季節×加藤拓也監督 インタビュー(1)
理解し合えないまま生きること、を考える。
突如として訪れる関係性の破綻。あれだけ親密な時間があったのに、修復しようと努めたのに、一体どこで間違えたのか…。私たちの多くが思っている、「話し合えばわかりあえる」という考えは誤解なのかもしれません。
大学でデザインの勉強をする大学生と演劇サークルに所属する大学生の恋愛模様が描かれる映画『わたし達はおとな』(2022年6月10日公開)。どこにでもいる恋人たちの日常風景の中にある、コミュニケーションのすれ違いや、言っていることとやっていることのズレ、見えない本音など、少しずつ積み重なっていく二人の齟齬を、俯瞰した視点から描き出します。
今回主人公の優美を演じた木竜麻生さんと、優美と恋人関係のようになっていく直哉を演じた藤原季節さん、本作がオリジナル脚本による監督デビュー作となった加藤拓也監督に、映画を観た残るザラッとした違和感を出発点にお話を伺いました。
木竜麻生×藤原季節×加藤拓也監督 インタビュー
私たちの「日常」を覗き見すると、見えてくるもの
映画で描かれるのは、かつての自分にも思い当たるような、一見すると「何気ない大学生の日常風景」です。しかし、観終わったあと、「おもしろかった」で済ましていいのか迷ってしまいました。
藤原その感想、めちゃくちゃわかります。体感としては、109分が一瞬で過ぎ去っちゃうくらいおもしろいんですが、おもしろいでは片付けられないというか。「この作品をおもしろいって言ってるやつ、大丈夫?」ってなりますよね(笑)。だけどやっぱり、おもしろいっていう感想になってしまうんですけど…。
覗き見するように人間を客観視してみると、行動とか言葉とか突っかかるし、納得できないところがこんなにあるんだなって。その不思議さなんですかね。「恋愛も人間もおもしろいな」と思いました。
木竜人がいて、生活があって、映画の中の出来事を見つめられる映画ですよね。私は、自分が出ているのに、他人を見ているような感覚になったんです。これまで、そんなことはほとんどなかったので、驚きました。
撮影中はどんなお話をされていたんですか? 繊細なやりとりが交わされるシーンが多かったので、監督と話し合うことも多かったのでしょうか。
藤原くだらない話ばかりしてました。
加藤ここで思い出せないくらい、どうでもいい話しかしてないです。
木竜個々に「ここは話しておきたい」という場面はあったと思うんですけど、3人揃って真面目に話す、ということはなかったですね。
藤原核心には触れられないですよね。核心に触れちゃうと、「これです」って決まっちゃうじゃないですか。かっこいいこと言っちゃったな(笑)。
加藤わかんないけど僕が「このシーンは、こう」って外側のことを言い切ってしまうと、僕の代わりを演じることになってしまうじゃないですか。僕の役割は、あくまで役者が考えたり行動したりするきっかけを演出すること。
ある花を咲かせたいと思っていたとして、どれだけ水をあげて、太陽に当てて、どんな肥料を与えるかっていうことはするけれど、結果花の咲き方みたいなものは俳優次第。
藤原そうですね。一緒に中華料理食べに行ったりしたけど、会話の内容は一つも覚えてない。
木竜私もまったく覚えてないです。
加藤僕が、頼んだメニューの3/4くらい残したんですよ。それを、季節が全部食べてくれて。
木竜そうそう、加藤さんが全然食べきれなくて。
藤原僕は、加藤さんが残したものを食べることがよくあります。加藤さんが脚本・演出を務める「劇団た組」の公演には何度か出させてもらっているので、ご飯に行くことも多いんですけど、よく残すんですよ。そういう話を延々してました。
加藤木竜さんは、撮影中にどんどん痩せていきましたね。
木竜意識的にというより無意識に、どんどん役に入り込んでしまったんですよね。
大学生の優美は直哉と半同棲状態になるものの、突然別れを告げられるなど関係性は不明瞭なまま。そんな中で予期せぬ妊娠がわかり、優美はどんどん体調を崩していきます。その過程で、痩せてしまったんですね。
木竜ふたりは「食べな!」と言ってくれてたんですけど、お弁当も2、3口とかしか食べられなくて。これまでの現場で、一番痩せてしまいました。
加藤似顔絵を台本に描たりしました。10日目くらいかな、砂時計みたいな女の子を描きました。
木竜ふたりはよく一緒に作品を作っているから、やり方もわかっているし、本番に入っていくスイッチングもほぼ同時なんですよ。
藤原さんは、加藤監督主宰「劇団た組」の舞台『まゆをひそめて、僕を笑って』(17)『貴方なら生き残れるわ』(18)『誰にも知られず死ぬ朝』(20)『ぽに』(21)に出演されていて、加藤監督も「僕の現場や作品におけるトーン&マナーみたいなことを十分理解してくれている」とコメントされていました。
木竜ふたりは控え室でたくさん盛り上がっていたのに、急に本番モードになる。それを1週間毎日やられると情緒がおかしくなりそうで、ほんとにやめてほしくて。初めて監督という存在に言いました、「バーカ!」って(笑)。
でも、そういうことを正直に言えるくらい信頼していました。藤原さんも知っていたので、ふたりを信頼して、身を委ねて現場に立てたのは大きかったと思います。
正常と異常は両極端ではない。
重なり合ったり、近くに存在したり。
映画では何度もふたりでコミュニケーションを図るシーンが描かれているのに、演じているふたりもボロボロになるぐらい、ふたりの関係性が破綻していきます。おふたりは「わかりあうこと」について、どう思われますか? 役を演じる中で、考えられたことはありますか。
藤原映画の中のふたりは、自分たちでは「理解し合っている」と思っているんですよ。第三者的に見ている僕たちからしたら「全然、わかりあえていないな」って思うけれど。だけど、優実と直哉にもわかりあえないことも愛しい、もしかしたらわかりあえていたかもしれない幸せな時間があった、というのが大事なことなんだと思います。
わかりあえない方ばかりに目が行きがちですけど、ふたりがわかりあえない互いを理解して、心を通わせていた時間もたしかにあったので。幸せな時間も忘れちゃいけないなって思います。
木竜そうですね。それはきっと、いろんな人間関係があるからで。優実にも恋人以外に、友人、家族といった人間関係が描かれて、それぞれ気持ちや立ち振る舞いが違う。だけど、時々別のグループに別の私を持ち込んでしまうから、理解できないことが生まれるのかもしれないですよね。
藤原つまり、「わかりあうこと」について考えるきっかけになるということ?
木竜「わかりあえないこと」についても考えられる。両方の側面があるかな。
藤原監督はどうですか?
木竜どうですか?
加藤いや、「わかりあう/わかりあえない」ということではなくて大前提、他人のことは絶対にわからないですよね。その「わからない」ということを、理解しているかどうかが大事なのではないかと思います。
藤原他人のことはわからなくて、当然?
加藤わからないでしょう。
木竜たしかにこの映画は、「“理解し合えないまま生きていること”は大前提としてある」を考えるきっかけになりますよね。
お互いに本音をずっと言わないから、理解し合えないのではないかと考えていました。
木竜優実はあけすけに本音を話すような子ではなかったと思います。話す相手がどんな人で、どんな状態か、他人を探る女の子だと思いました。ただ、どんな人も、今話したことが「ほんとの本音か」わからないと思うので、優実みたいな人はいっぱいいますよね。
藤原直哉も、本音はほぼ話さない。自分が悪者にならないように、計算し尽くした本音を相手にぶつけるんです。一度相手の意見に同意して、それから自分の意見を言う。
木竜肯定しているようで、してないんだよね。
藤原そうそう。「仮にそうだったとして、でも〜」って、自分の意見をうまく通そうとするんですよ。
監督の作品のベースには「伝えたいことと言っていることとやっていることは違う」という考えがあると拝見しました。今作のように日常生活を覗き見すると、日常にあるズレが浮かび上がり、こんなにも「異常」があることを感じました。
藤原僕も加藤さんの作品を観ていると、普通の延長に異常があるなっていうのは思います。この前まで上演されていた舞台『もはやしずか』でも、成人男性が包丁を振り回すシーンがあったんですけど、明日は我が身だと思わされるような場面で。
そこだけ切り取れば異常なんだけど、普通の延長に異常とされる行動があるんだと思いました。あと、普段から僕自身が「行動が異常」って言われます。
加藤水を飲んでいたら、急に吐き出したりするんですよ。
藤原みんなが笑うから、楽しくて(笑)。木竜さんは言われますか?
木竜私は「異常」と言われたことはないですけど、正常と異常が両極端に位置しているわけじゃなくて、実は重なり合ったりものすごく近くに存在していたりするんだなってことは思います。監督の舞台を観ても、そう思いました。
加藤僕は異常だとも、普通だとも思ってないです。普通だとか異常だとかカテゴライズはしてないし、そう思うことはあまりないです。
今回の映画は、恋愛で、しかも望まない妊娠をした女性とその恋人という何度も描かれてきたテーマでした。そうしたものを書くときに、加藤監督として決めていたことはありますか?
加藤ラブストーリーという主題は依頼としてあったので、そこから僕が思う「ラブストーリー」を書いた感じです。決めていたことを聞かれると難しいですね。
藤原何度も描かれてきたテーマですけど、描かれているものは極めて個人的な気がします。正常も異常も、人によって価値観や視点が全然違いますから。
その違いを真摯に見つめて、一人の人間を描いた結果、他人から見ると異常に見えるのかもしれない。人によっては、普通に見えるかもしれない。普通に見える女子大生のお腹には子どもが宿っていて、そこに正常や異常では片付けられない感情があるってことですよね。
四月二十七
●早起登山、设会场、商货骈集、轶事https://t.cn/A6Xpu86h
●魏夫人降杨羲家
兴宁四年丙寅四月二十七日夜,晋司徒文康公舒之女、魏夫人降杨羲家。(《真诰》)
元感妙象外,和声自相招。灵云郁紫宸,兰气扇绿轺。上真宴琼台,邈为地仙标。所期贵远迈,故能秀颖翘。玩彼八素翰,道成初不辽。人事胡可预,使尔形气销。(魏夫人《与众真吟诗首·丙寅四月二十七日夜降杨义家作》)
●册封
熹宗天启元年正月初二日,穆庙奇妃叶氏薨,丧礼命照淑妃秦氏例行。四月二十七日,册封王氏为良妃,段氏为纯妃。命礼臣具仪进呈。(《明通纪》)
●诏太学,置小学
十四年四月二十七日,诏太学,置小学一斋。(《玉海》)
●记梦
四月二十七日夜半,梦见一女子,著上下青绫衣,与我相见。自称云:我王眉寿之小妹,明日可暂出。西门外有犊车,白牛皮巾,裹仆御头者,是我车也。后别相诣于贵解,因口喻作诗而别。
注:王眉寿小妹即中候夫人。(《许掾梦诗》)
先伯父,熙宁九年四月二十七日夜,梦至一处,榜曰清香馆。东边有别院,东壁有诗,牌云题冀公功德院,山东李白。其诗曰:秋风吹桂子,只在此山中。待得春风起,还应生桂丛。桂丛日以满,清香何时断。只为爱清香,故号清香馆。伯父自作《记梦》一篇,书之甚详。尝记季父说:元丰五年,自房陵召还。一日,忽独言曰:清香馆,自后多不屑世间事。或默坐终日,人莫敢问其曲折。
季父仲山,病中梦至一处,泛舟环水,皆奇峰可爱。赋诗云:山色浓如滴,湖光平似席。风月不相识,相逢便相得。既寤,而言之。后数日,卒。(《许彦周诗话》)
●松禅先师九十生辰
秋风桂影偶婆娑,似水门庭一再过。说罢程文问知旧,朝衣未卸泪痕多。三峰一笑我无缘,樱笋香厨四月天。自是伤春工病累,年年容易误吴船。金爵觚棱往事哀,玉阳史笔亦蒿莱。孤亭落照衔荒埂,垂白门生掩袂来。三十华年使节遥,镜中鸾舞太无憀。春风词事俄周甲,红泪调铅剩未消。(清·吴昌绶《师郑举瓶社以四月二十七日为松禅先师作九十生辰招同人集江亭感此奉呈》)
●轶事
周天和四年四月二十七日,使持节车骑大将军、仪同三司大都督陕西总管府,移齐河阳执事。自疆场卧鼓边,鄙收烽,义让之行未能。期月孔诚诲盗,即值苞藏。是以板载之师,须时而动。自安封域,非求拒防,虽复风尘,暂接旗鼓,无侵五将,即回双崤已。静始奉朝旨,获被移书令受,叛城使回军实,想彼边司已奉处分,既有此还,辄须领纳,未知何日可遣戍兵指附行人。迟能速执,盟且不渝,邻境相善顾瞻原野,幸甚。实多故移。(北周·庾信《移齐河阳执事文》)
王客者,失其名。及乡里,常携筇挈篮,引一斑犬往来邛僰间。以采药为事,多止于荒庙废寺中,虽雪霜风雨亦无所避。优游市肆,人或问修养之道,即默而不对。好事者多饮之,以酒积数年,形貌服饰未尝更易。天禧戊午岁春,自言游青城山,回时临邛宰师仲冉,颇好道。艺思见其人,即令召之与语,且曰:饮酒否。对曰:某有少药,君能服之,某亦饮酒。师侯受药。各饮数杯,款话移时,云:吾侪野人,心近云鹤。久居城市,颇思归乡,诚有奉托。辞出往故驿,路去。师侯饵药,渐觉轻安,专令人访之。至四月二十七日独携杖负笈,往临溪。路一里间,有寺曰国宁。遂于寺门下坐。行人问之曰:日将暮矣,于此久坐,何为。答曰:我有师在此。至暝,忽暴卒于门下。乡耆闻官权瘗于道左。至六月师侯闻之曰:曩所言,久别家山颇思归乡,斯之谓乎。遣吏赵秀往彼焚之,发其尸,颜貌如生,手足皆软,若熟寐焉。顷之,身下清泉涌出,浮尸而起,遂就沐浴之,乡村聚观。或以衣服敛之,兼及设酒馔而祭者,师侯曰:吾闻仙人不,死脱有死者乃尸解也。此人真解化乎。身虽委蜕,神未遐逝,自辍俸以瘗之,且旌异人也。前所言,有师在此其是之谓乎。休复常读,登真隐诀谓仙道,有升天蹑云者,游行五岳者,服饵不死者,尸解而仙者,忽有暂游太阴,自有太乙守尸。三魂营骨,七魄卫肉,胎灵录气,虽以铁石牢固藏闭,终至炼形数满当。自擘石飞空。而仙者,夫得道之士入。火不烁,入水不濡蹑,空如履实触实,如蹈虚,虽九地之厚,巨海之广八极之远,万方之大应倏欻而至,何所拘滞耶。所以然者形与道合,道无不在,毫芒之细,万物之众道,皆有之。今备录者,与王客张本也。(《茅亭客话》)
●早起登山、设会场、商货骈集、轶事https://t.cn/A6Xpu86h
●魏夫人降杨羲家
兴宁四年丙寅四月二十七日夜,晋司徒文康公舒之女、魏夫人降杨羲家。(《真诰》)
元感妙象外,和声自相招。灵云郁紫宸,兰气扇绿轺。上真宴琼台,邈为地仙标。所期贵远迈,故能秀颖翘。玩彼八素翰,道成初不辽。人事胡可预,使尔形气销。(魏夫人《与众真吟诗首·丙寅四月二十七日夜降杨义家作》)
●册封
熹宗天启元年正月初二日,穆庙奇妃叶氏薨,丧礼命照淑妃秦氏例行。四月二十七日,册封王氏为良妃,段氏为纯妃。命礼臣具仪进呈。(《明通纪》)
●诏太学,置小学
十四年四月二十七日,诏太学,置小学一斋。(《玉海》)
●记梦
四月二十七日夜半,梦见一女子,著上下青绫衣,与我相见。自称云:我王眉寿之小妹,明日可暂出。西门外有犊车,白牛皮巾,裹仆御头者,是我车也。后别相诣于贵解,因口喻作诗而别。
注:王眉寿小妹即中候夫人。(《许掾梦诗》)
先伯父,熙宁九年四月二十七日夜,梦至一处,榜曰清香馆。东边有别院,东壁有诗,牌云题冀公功德院,山东李白。其诗曰:秋风吹桂子,只在此山中。待得春风起,还应生桂丛。桂丛日以满,清香何时断。只为爱清香,故号清香馆。伯父自作《记梦》一篇,书之甚详。尝记季父说:元丰五年,自房陵召还。一日,忽独言曰:清香馆,自后多不屑世间事。或默坐终日,人莫敢问其曲折。
季父仲山,病中梦至一处,泛舟环水,皆奇峰可爱。赋诗云:山色浓如滴,湖光平似席。风月不相识,相逢便相得。既寤,而言之。后数日,卒。(《许彦周诗话》)
●松禅先师九十生辰
秋风桂影偶婆娑,似水门庭一再过。说罢程文问知旧,朝衣未卸泪痕多。三峰一笑我无缘,樱笋香厨四月天。自是伤春工病累,年年容易误吴船。金爵觚棱往事哀,玉阳史笔亦蒿莱。孤亭落照衔荒埂,垂白门生掩袂来。三十华年使节遥,镜中鸾舞太无憀。春风词事俄周甲,红泪调铅剩未消。(清·吴昌绶《师郑举瓶社以四月二十七日为松禅先师作九十生辰招同人集江亭感此奉呈》)
●轶事
周天和四年四月二十七日,使持节车骑大将军、仪同三司大都督陕西总管府,移齐河阳执事。自疆场卧鼓边,鄙收烽,义让之行未能。期月孔诚诲盗,即值苞藏。是以板载之师,须时而动。自安封域,非求拒防,虽复风尘,暂接旗鼓,无侵五将,即回双崤已。静始奉朝旨,获被移书令受,叛城使回军实,想彼边司已奉处分,既有此还,辄须领纳,未知何日可遣戍兵指附行人。迟能速执,盟且不渝,邻境相善顾瞻原野,幸甚。实多故移。(北周·庾信《移齐河阳执事文》)
王客者,失其名。及乡里,常携筇挈篮,引一斑犬往来邛僰间。以采药为事,多止于荒庙废寺中,虽雪霜风雨亦无所避。优游市肆,人或问修养之道,即默而不对。好事者多饮之,以酒积数年,形貌服饰未尝更易。天禧戊午岁春,自言游青城山,回时临邛宰师仲冉,颇好道。艺思见其人,即令召之与语,且曰:饮酒否。对曰:某有少药,君能服之,某亦饮酒。师侯受药。各饮数杯,款话移时,云:吾侪野人,心近云鹤。久居城市,颇思归乡,诚有奉托。辞出往故驿,路去。师侯饵药,渐觉轻安,专令人访之。至四月二十七日独携杖负笈,往临溪。路一里间,有寺曰国宁。遂于寺门下坐。行人问之曰:日将暮矣,于此久坐,何为。答曰:我有师在此。至暝,忽暴卒于门下。乡耆闻官权瘗于道左。至六月师侯闻之曰:曩所言,久别家山颇思归乡,斯之谓乎。遣吏赵秀往彼焚之,发其尸,颜貌如生,手足皆软,若熟寐焉。顷之,身下清泉涌出,浮尸而起,遂就沐浴之,乡村聚观。或以衣服敛之,兼及设酒馔而祭者,师侯曰:吾闻仙人不,死脱有死者乃尸解也。此人真解化乎。身虽委蜕,神未遐逝,自辍俸以瘗之,且旌异人也。前所言,有师在此其是之谓乎。休复常读,登真隐诀谓仙道,有升天蹑云者,游行五岳者,服饵不死者,尸解而仙者,忽有暂游太阴,自有太乙守尸。三魂营骨,七魄卫肉,胎灵录气,虽以铁石牢固藏闭,终至炼形数满当。自擘石飞空。而仙者,夫得道之士入。火不烁,入水不濡蹑,空如履实触实,如蹈虚,虽九地之厚,巨海之广八极之远,万方之大应倏欻而至,何所拘滞耶。所以然者形与道合,道无不在,毫芒之细,万物之众道,皆有之。今备录者,与王客张本也。(《茅亭客话》)
又呈吴郎
唐杜甫
堂前扑枣任西邻,无食无儿一妇人。
不为困穷宁有此?只缘恐惧转须亲。
即防远客虽多事,便插疏篱却甚真。
已诉征求贫到骨,正思戎马泪盈巾。
作者生平
杜甫(712-770),字子美,自号少陵野老,世称“杜工部”、“杜少陵”等,汉族,河南府巩县(今河南省巩义市)人,唐代伟大的现实主义诗人,杜甫被世人尊为“诗圣”,其诗被称为“诗史”。杜甫与李白合称“李杜”,为了跟另外两位诗人李商隐与杜牧即“小李杜”区别开来,杜甫与李白又合称“大李杜”。他忧国忧民,人格高尚,他的约1400余首诗被保留了下来,诗艺精湛,在中国古典诗歌中备受推崇,影响深远。759-766年间曾居成都,后世有杜甫草堂纪念。
创作背景
唐代宗大历二年(767年),即杜甫漂泊到四川夔州的第二年,他住在瀼西的一所草堂里。草堂前有几棵枣树,西邻的一个寡妇常来打枣,杜甫从不干涉。后来,杜甫把草堂让给一位姓吴的亲戚(即诗中吴郎),他自己搬到离草堂十几里路远的东屯去。不料这姓吴的一来就在草堂插上篱笆,禁止打枣。寡妇向杜甫诉苦,杜甫便写此诗去劝告吴郎。以前杜甫写过一首《简吴郎司法》,所以此诗题作《又呈吴郎》。吴郎的年辈要比杜甫小,杜甫不说“又简吴郎”,而有意地用了“呈”这个似乎和对方身份不大相称的敬词,这是让吴郎易于接受。
译文
来堂前打枣我从不阻拦任随西邻,因为她是一个无食无儿的老妇人。
若不是由于穷困怎会做这样的事?正因她心存恐惧反更该与她相亲。
见你来就防着你虽然是多此一举,但你一来就插上篱笆却甚像是真。
她说官府征租逼税已经一贫如洗,想起时局兵荒马乱不禁涕泪满巾。
注释
呈:呈送,尊敬的说法。这是用诗写的一封信,作者以前已写过一首《简吴郎司法》,这是又一首,所以说“又呈”。吴郎:系杜甫吴姓亲戚。杜甫将草堂让给他住。这位亲戚住下后,即有筑“篱”,护“枣”之举。杜甫为此写诗劝阻。
妇人:成年女子的通称,多指已婚者。
扑枣:击落枣子。汉王吉妇以扑东家枣实被遣。扑:打。任:放任,不拘束。西邻:就是下句说的“妇人”。
不为:要不是因为。困穷:艰难窘迫。宁有此:怎么会这样(做这样的事情)呢?宁:岂,怎么,难道。此:代词,代贫妇人打枣这件事。
只缘:正因为。恐惧:害怕。转须亲:反而更应该对她表示亲善。亲:亲善。
即:就。防远客:指贫妇人对新来的主人存有戒心。防:提防,心存戒备。一作“知”。远客:指吴郎。多事:多心,不必要的担心。
使:一作“便”。插疏篱:是说吴郎修了一些稀疏的篱笆。甚:太。
征求:指赋税征敛。贫到骨:贫穷到骨(一贫如洗)。
戎(róng)马:兵马,指战争。杜甫《登岳阳楼》诗:“戎马关山北,凭轩涕泗流。”盈:满。
赏析
诗的第一句开门见山,从诗人自己过去怎样对待邻妇扑枣说起。“扑枣”就是打枣。这里不用那个猛烈的上声字“打”,而用这个短促的、沉着的入声字“扑”,是为了取得声调和情调的一致。“任”就是放任。之所以要放任,第二句说:“无食无儿一妇人。”原来这位西邻竟是一个没有吃的、没有儿女的老寡妇。诗人等于是在对吴郎说:“对于这样一个无依无靠的穷苦妇人,我们能不让她打点枣儿吗?”
三四两句紧接一二句:“不为困穷宁有此?只缘恐惧转须亲。”“困穷”,承上第二句;“此”,指扑枣一事。这里说明杜甫十分同情体谅穷苦人的处境。陕西民歌中唱道:“唐朝诗圣有杜甫,能知百姓苦中苦。”说的正是杜甫。以上四句,一气贯串,是杜甫自叙以前的事情,目的是为了启发吴郎。
五六两句才落到吴郎身上。“即防远客虽多事,便插疏篱却甚真。”这两句上下一气,相互关联,相互依赖,相互补充,要联系起来看。“防”的主语是寡妇。下句“插”字的主语是吴郎。这两句诗言外之意是:这不能怪她多心,倒是吴郎有点太不体贴人。她本来就是提心吊胆的,吴郎不特别表示亲善,也就够了,却不该还要插上篱笆。这两句诗,措词十分委婉含蓄。这是因为怕话说得太直、太生硬,教训意味太重,会引起对方的反感,反而不容易接受劝告。
最后两句“已诉征求贫到骨,正思戎马泪盈巾”,是全诗结穴,也是全诗的顶点。表面上是对偶句,其实并非平列的句子,因为上下句之间由近及远,由小到大是一个发展的过程。上句,杜甫借寡妇的诉苦,指出了寡妇的、同时也是当时广大人民困穷的社会根源。这就是官吏们的剥削,也就是诗中所谓“征求”,使她穷到了极点。这也就为寡妇扑枣行为作了进一步的解脱。下句说得更远、更大、更深刻,指出了使人民陷于水深火热之中的又一社会根源。这就是“安史之乱”以来持续了十多年的战乱,即所谓“戎马”。由一个穷苦的寡妇,由一件扑枣的小事,杜甫竟联想到整个国家大局,以至于流泪。这一方面固然是他那热爱祖国、热爱人民的思想感情的自然流露;另一方面,也是点醒、开导吴郎的应有的文章。让他知道:“在这兵荒马乱的情况下,苦难的人还有的是,决不止寡妇一个;战乱的局面不改变,就连我们自己的生活也不见得有保障,我们现在不正是因为战乱而同在远方作客,而你不是还住着我的草堂吗?”最后一句诗,好像扯得太远,好像和劝阻吴郎插篱笆的主题无关,其实是大有关系,大有作用的。希望他由此能站得高一点,看得远一点,想得开一点,他自然就不会在几颗枣子上斤斤计较了。读者正是要从这种地方看出诗人的“苦用心”和他对待人民的态度。
这首诗的人民性是强烈而鲜明的,在通常用来歌功颂德以“高华典雅”为特征的七言律诗中,尤其值得重视。诗的艺术表现方面也很有特点。首先是现身说法,用诗人自己的实际行动来启发对方,用颠扑不破的道理来点醒对方,最后还用诗人自己的眼泪来感动对方,尽可能地避免抽象的说教,措词委婉,入情入理。其次是,运用散文中常用的虚字来作转接。像“不为”、“只缘”、“已诉”、“正思”,以及“即”、“便”、“虽”、“却”等,因而能化呆板为活泼,既有律诗的形式美、音乐美,又有散文的灵活性,抑扬顿挫,耐人寻味。
清人卢德水说:“杜诗温柔敦厚,其慈祥恺悌之衷,往往溢于言表。如此章,极煦育邻妇,又出脱邻妇;欲开导吴郎,又回护吴郎。八句中,百种千层,莫非仁音,所谓仁义之人其音蔼如也”(《读杜私言》)。全诗正是在这种委婉曲折的夹叙夹议中来展现诗人的心理和品质的。诗作表达了杜甫对穷困人民的深切同情。
唐杜甫
堂前扑枣任西邻,无食无儿一妇人。
不为困穷宁有此?只缘恐惧转须亲。
即防远客虽多事,便插疏篱却甚真。
已诉征求贫到骨,正思戎马泪盈巾。
作者生平
杜甫(712-770),字子美,自号少陵野老,世称“杜工部”、“杜少陵”等,汉族,河南府巩县(今河南省巩义市)人,唐代伟大的现实主义诗人,杜甫被世人尊为“诗圣”,其诗被称为“诗史”。杜甫与李白合称“李杜”,为了跟另外两位诗人李商隐与杜牧即“小李杜”区别开来,杜甫与李白又合称“大李杜”。他忧国忧民,人格高尚,他的约1400余首诗被保留了下来,诗艺精湛,在中国古典诗歌中备受推崇,影响深远。759-766年间曾居成都,后世有杜甫草堂纪念。
创作背景
唐代宗大历二年(767年),即杜甫漂泊到四川夔州的第二年,他住在瀼西的一所草堂里。草堂前有几棵枣树,西邻的一个寡妇常来打枣,杜甫从不干涉。后来,杜甫把草堂让给一位姓吴的亲戚(即诗中吴郎),他自己搬到离草堂十几里路远的东屯去。不料这姓吴的一来就在草堂插上篱笆,禁止打枣。寡妇向杜甫诉苦,杜甫便写此诗去劝告吴郎。以前杜甫写过一首《简吴郎司法》,所以此诗题作《又呈吴郎》。吴郎的年辈要比杜甫小,杜甫不说“又简吴郎”,而有意地用了“呈”这个似乎和对方身份不大相称的敬词,这是让吴郎易于接受。
译文
来堂前打枣我从不阻拦任随西邻,因为她是一个无食无儿的老妇人。
若不是由于穷困怎会做这样的事?正因她心存恐惧反更该与她相亲。
见你来就防着你虽然是多此一举,但你一来就插上篱笆却甚像是真。
她说官府征租逼税已经一贫如洗,想起时局兵荒马乱不禁涕泪满巾。
注释
呈:呈送,尊敬的说法。这是用诗写的一封信,作者以前已写过一首《简吴郎司法》,这是又一首,所以说“又呈”。吴郎:系杜甫吴姓亲戚。杜甫将草堂让给他住。这位亲戚住下后,即有筑“篱”,护“枣”之举。杜甫为此写诗劝阻。
妇人:成年女子的通称,多指已婚者。
扑枣:击落枣子。汉王吉妇以扑东家枣实被遣。扑:打。任:放任,不拘束。西邻:就是下句说的“妇人”。
不为:要不是因为。困穷:艰难窘迫。宁有此:怎么会这样(做这样的事情)呢?宁:岂,怎么,难道。此:代词,代贫妇人打枣这件事。
只缘:正因为。恐惧:害怕。转须亲:反而更应该对她表示亲善。亲:亲善。
即:就。防远客:指贫妇人对新来的主人存有戒心。防:提防,心存戒备。一作“知”。远客:指吴郎。多事:多心,不必要的担心。
使:一作“便”。插疏篱:是说吴郎修了一些稀疏的篱笆。甚:太。
征求:指赋税征敛。贫到骨:贫穷到骨(一贫如洗)。
戎(róng)马:兵马,指战争。杜甫《登岳阳楼》诗:“戎马关山北,凭轩涕泗流。”盈:满。
赏析
诗的第一句开门见山,从诗人自己过去怎样对待邻妇扑枣说起。“扑枣”就是打枣。这里不用那个猛烈的上声字“打”,而用这个短促的、沉着的入声字“扑”,是为了取得声调和情调的一致。“任”就是放任。之所以要放任,第二句说:“无食无儿一妇人。”原来这位西邻竟是一个没有吃的、没有儿女的老寡妇。诗人等于是在对吴郎说:“对于这样一个无依无靠的穷苦妇人,我们能不让她打点枣儿吗?”
三四两句紧接一二句:“不为困穷宁有此?只缘恐惧转须亲。”“困穷”,承上第二句;“此”,指扑枣一事。这里说明杜甫十分同情体谅穷苦人的处境。陕西民歌中唱道:“唐朝诗圣有杜甫,能知百姓苦中苦。”说的正是杜甫。以上四句,一气贯串,是杜甫自叙以前的事情,目的是为了启发吴郎。
五六两句才落到吴郎身上。“即防远客虽多事,便插疏篱却甚真。”这两句上下一气,相互关联,相互依赖,相互补充,要联系起来看。“防”的主语是寡妇。下句“插”字的主语是吴郎。这两句诗言外之意是:这不能怪她多心,倒是吴郎有点太不体贴人。她本来就是提心吊胆的,吴郎不特别表示亲善,也就够了,却不该还要插上篱笆。这两句诗,措词十分委婉含蓄。这是因为怕话说得太直、太生硬,教训意味太重,会引起对方的反感,反而不容易接受劝告。
最后两句“已诉征求贫到骨,正思戎马泪盈巾”,是全诗结穴,也是全诗的顶点。表面上是对偶句,其实并非平列的句子,因为上下句之间由近及远,由小到大是一个发展的过程。上句,杜甫借寡妇的诉苦,指出了寡妇的、同时也是当时广大人民困穷的社会根源。这就是官吏们的剥削,也就是诗中所谓“征求”,使她穷到了极点。这也就为寡妇扑枣行为作了进一步的解脱。下句说得更远、更大、更深刻,指出了使人民陷于水深火热之中的又一社会根源。这就是“安史之乱”以来持续了十多年的战乱,即所谓“戎马”。由一个穷苦的寡妇,由一件扑枣的小事,杜甫竟联想到整个国家大局,以至于流泪。这一方面固然是他那热爱祖国、热爱人民的思想感情的自然流露;另一方面,也是点醒、开导吴郎的应有的文章。让他知道:“在这兵荒马乱的情况下,苦难的人还有的是,决不止寡妇一个;战乱的局面不改变,就连我们自己的生活也不见得有保障,我们现在不正是因为战乱而同在远方作客,而你不是还住着我的草堂吗?”最后一句诗,好像扯得太远,好像和劝阻吴郎插篱笆的主题无关,其实是大有关系,大有作用的。希望他由此能站得高一点,看得远一点,想得开一点,他自然就不会在几颗枣子上斤斤计较了。读者正是要从这种地方看出诗人的“苦用心”和他对待人民的态度。
这首诗的人民性是强烈而鲜明的,在通常用来歌功颂德以“高华典雅”为特征的七言律诗中,尤其值得重视。诗的艺术表现方面也很有特点。首先是现身说法,用诗人自己的实际行动来启发对方,用颠扑不破的道理来点醒对方,最后还用诗人自己的眼泪来感动对方,尽可能地避免抽象的说教,措词委婉,入情入理。其次是,运用散文中常用的虚字来作转接。像“不为”、“只缘”、“已诉”、“正思”,以及“即”、“便”、“虽”、“却”等,因而能化呆板为活泼,既有律诗的形式美、音乐美,又有散文的灵活性,抑扬顿挫,耐人寻味。
清人卢德水说:“杜诗温柔敦厚,其慈祥恺悌之衷,往往溢于言表。如此章,极煦育邻妇,又出脱邻妇;欲开导吴郎,又回护吴郎。八句中,百种千层,莫非仁音,所谓仁义之人其音蔼如也”(《读杜私言》)。全诗正是在这种委婉曲折的夹叙夹议中来展现诗人的心理和品质的。诗作表达了杜甫对穷困人民的深切同情。
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