【interview】
生きていられることが、今は幸せだと感じているーー堂本剛が、自分の歌で伝えたいこと
https://t.cn/A6XMLwcE

5/13(金) 17:45配信

撮影:殿村誠士

「自分で楽曲を作って歌うということ。それは自炊に近い。心も体もすごく楽なんです」

シンガー・ソングライターの活動を始めて20周年、堂本剛は今、もっとも自分らしい状態にあるという。“本当の自分で生きられる喜び”を表現したものが、自分の作る音楽。この思いと行動が誰かの人生の、自分らしさを取り戻す幸せへとつながればうれしい……多忙なアイドル時代を駆け抜け、自身も生きづらさを抱えたからこそ見えてきた境地がある。仕事への矜持、そして死生観。堂本剛を突き動かすものとは。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)

——インスタグラムの使い方を「間違いたい」

およそ1年前から堂本剛が始めたインスタグラムは、はなから不思議なものだった。ポートレートはほぼ同じアングルで、どんどん眉毛が濃くなっていき、最後には額全体がアイブロウで埋め尽くされる。コメントは一言、「どうもジャニーズです」。まるでモダンアートだ。何か強いメッセージ性を帯びているようにも見える。その後も眉毛写真の投稿は続き、ネット上ではさまざまな臆測が飛び交った。

——これについて、本人はこともなげに語る。

「テーマは『インスタの使い方を間違いたい』でした。隙間時間で、他人の眉毛が太くなり、元に戻っていく写真を見るという無駄な時間をご提供することで、『笑い』『勇気』『なんでやねん』が発生すればいいなという、そんな発想です。無駄な時間って幸せだったりしませんか? 個人の日常を羅列するだけではなくて、こんな時代、笑ってほしくて、これ何? 説明して?ってみんなが困惑つっこみするようなものを軸にしました。インスタグラムを、宣伝の空間として使いつつ笑かしにかかっています。事務所の人たちがインスタをやりやすい環境にもつながればと思い、僕はこんな行動をしてみました。」

——「ジャニーズっぽくない」と言われて

「アーティスティック」「生活感がない」「不思議」「自由」……。
こうした堂本剛のイメージは、ジャニーズ事務所において相対的なものとして捉えられることが多い。堂本自身、それをよく理解していた。

「世の中に存在するイメージというものの多くは、第三者が作り上げているものじゃないですか? 僕はそんなことを言っていない、思っていないのに勝手にそうされてしまっている。その人の中では、『言いそう』で、『思ってそう』なんでしょうね。僕の周りにいる人は、僕を理解してくれています。理解するタイミングがない人は、丁寧に想像する前に疲れ、自分の情報の中だけで計算し決めつけた僕という答えを出して終わらせてしまうからか……導き出した答えと現実の僕、それが合わないから『~っぽくない』ということに自然となるんでしょうね」

かつて堂本は、「自由」ではなかった。
デビューしてすぐに大ブレーク。10代の頃は毎日3時間睡眠で、休日は年に3日。分刻みのスケジュールで動き、周囲の求めに応じて表情をつくった。しだいに堂本のメンタルには亀裂が入っていく。多忙な時期の記憶は、ほとんどが失われている。

故ジャニー喜多川の勧めでシンガー・ソングライターとなり、「自分らしく生きる選択」ができるようになったと実感した頃には、30代になっていた。

「最近でこそ、自分らしさが尊重される時代になってきましたけど、今でも自分らしく生きられない人、素直に生きる勇気や場所がない人たちがたくさんいます。世の中は自分らしく生きている人を批判するのではなく、『自分らしく生きる幸せ』を、みんなで優しい心を持って話すだけでいいのにな、と思うんです。優しい心で話しているうちに、人は本当の自分になれるものですから」

「ジャニーズらしさ」は、年々変わっていくもの。こだわることではない。一番大事なのは自分であり、それをファンの人たちにつなげること……堂本がジャニーズに所属し続ける理由は、ここにある。

「柔らかく穏やかに、そういう感覚で僕は生きているからこそ、『ジャニーズっぽくない』カテゴリーに入れられてしまうのかもしれないけど。全てを事務所の許可を得て生きて来ました。事務所に直談判に行くこともあります。たくさんの人を動かすことになるので、一筋縄ではいかないこともある。でも理由や展望を持って話しにいくので、何言ってんの?って弾かれてしまうことはないですね。クリアしていきたいと思っていることはまだまだありますけど。少しずつです。ジャニーズは積極的にSNSに参戦する会社ではなかったけど、それが時代とともに変わってきました。僕が変化してもせずとも、変化していく時代というものがあるので、その時代に反応と順応をしたいと、柔軟に動いているところです」

ジャニーズ事務所では特別な立場にあるように見える堂本だが、単に自由なのではない。それを獲得するために、試行錯誤を続けてきたプロセスがあるのだ。

——人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い

「自分で動く」。インタビューの間、堂本が何度も口にした言葉だ。
アイデアを形にするまでの動きはいつもスピーディーで、さらに二手、三手まで先を見ている。

「こんな世界状況の中でも、お金を出して作品を買ってくださる人がいる。僕が自分らしく仕事をしている姿を、家族や後輩君たちが見てくれている。そう考えたら、素直に動けます。人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い。例えば伝言ゲームで、中継ぎの人が先方に納期を伝える時間が遅れ、作業していただけたはずの時間が減り、締め切りを縮めたり、完成を遅らせてしまったりすることがある。そういう仕事の仕方をする人は多いから、疲れることがあります。作り手、職人の作品に対して必要な時間、作業工程などが、その立場でない人からすると想像してあげられないんでしょうね。だから、直接やりとりすることがほとんどです。相手の心を考えて動くことも、仕事ですから。毎日くたくたですけど」

それでも音楽を作ることは、この上なく楽しい。仕事のスピード感を大切にしているのも、生まれたばかりのアイディアを、新鮮なうちに楽曲として閉じ込めたいとの思いからだ。

「極端にいえば、今このインタビュー中でも曲がひらめいたら、PCを開いてキーボードで打ち込みたくなる、というくらい、アイデアの鮮度を大切にしています」

頭の中で鳴る音楽を可視化し、音符に換えていく。音色を探して、演奏し、形作っていく。予想外に生まれるノイズやバグが、ドラマチックな音につながることがある。

「こういう一連の作業は、生きているからこそできることで、魂になったら、想像を形にすることもできなくなるんです。だから音楽を作ることは、命あることに感謝することでもあるんです。ただ、作品が出来上がって、リリースをするまでには時間がずいぶんと経過するので、リリース時にはもう自分が違うステージに行っていることがほとんど。だから、きょう曲を作ったら1週間後ぐらいにリリースする、そんな時代がくればいいのになって、思ったりもします。メッセージを強く込めた作品は、時代が流れている分、タイミングもクリエーティブの一部なんです」

ラブソングよりも、命や愛を歌いたい。
これは自身が心に傷を負い、パニック障害や突発性難聴に苦しんだ経験から、強く意識するようになったことだ。

「世の中の人々が、理由を持ってたどり着いた傷とか痛みに寄り添う歌詞、メロディー。その役目を持つ楽曲にあの頃の僕は救われ、もう一度生きようという気持ちにまで立ち戻れました。だから自分が作る音楽も、そういう役目でありたい。ジャニーズっぽくないと言われてもいいんです。もっとラブソングのほうが売れるよとか、うん、わかってるけど、ジャニーズにもいろんな歌が存在していいし、自分で作る音楽に、自分ではない歌声を選択することは、しない。限界の中で命を諦めようとしている人を救える音楽を作りたいって、僕は本気で思っているんです。自分と同じ経験をしている人を思いながら書いています。そんな中で少し変わったことは、世界的な問題が起き、みんなが同じ傷や痛みを共有する今、ポジティブな曲を書くようにもなりました。これまで使ってこなかったような、明るい言葉を綴ったりしながら」

——シンガー・ソングライターを続けることは、ジャニーさんの思いを持続させること

10代は、毎日、命が苦しいと思って生きていた。

「いろんな人に助けていただいて、もう一度生きよう、そう思わせてもらえたから僕は生きているんです。その人たちがいなかったら、今この世に僕はいません。当時は変人扱いされたけれど、でも、人は、傷つけば死にたいと思ってしまうものです。そんな人が世の中にはたくさんいること、それをみんなで理解して生きるべきだと、僕は思う。生きたいのに、生きられない人もいるんですよ」

ジャニーズだから、命や愛をテーマにした重い歌を歌ってはいけない? それは違う、と堂本は首を振る。

「ポップな曲はたくさんの人の心を幸せにする。それも理解はしています。命と愛が重たいと言うのなら、人は重たい存在となってしまいます。僕らは愛の果てに生まれた命なのに。重たいと認識してしまうのは悲しいし不思議です。だから、人が理由あってたどり着いた涙や傷に寄り添った曲も、たくさんの人の心を幸せにすると、本気で僕は思っています。死にたいと思わされてしまった経験がない人からは理解されづらいんですけど。僕自身がそう思った過去が悲しくもありました。でも、生きていられることが、今は幸せだと感じていることを、歌を通してあの頃の自分にも、同じように過ごす人たちにも伝えたい。一人で音楽を作る時は、その心を生きたいと思うし、提供したいと思っています」

ジャニーズ事務所には、ほかに“シンガー・ソングライター”として立っている者はいない。

「ジャニーさんに声をかけてもらって、この会社に入り、またジャニーさんからの提案を受けてシンガー・ソングライターになった。形がないゼロの状態から始まり、1にすること。そして、1から2……10へとつなげていくのは生半可な思いでいたら不可能なことですからね」

「そして、いまだやっているのが僕だけだからそれはそれは大変なことも多いけど、ある程度の分かりきった答えに向かうのもつまらないし、続けてこられたのはそれを楽しんできているからです。続けることは、ジャニーさんの思いを持続させることにもなると思っています。今はジャニーズの中で、音楽家のエリアは大きくないですけど、ここを整理整頓する位置にいられたらいいなとは思ってます。後輩君たちにも歌いたい歌があるだろうし、一人ひとりの歌唱スキルを把握して、声の魅力を引き出してもあげたいし、そういうディレクションまでを、本当はやってあげたいですね」

才能のある人たちを、解き放ってあげたい。堂本はまっすぐにそう語った。

今年はシンガー・ソングライターとして、デビュー20周年。ENDRECHERIとして精力的に楽曲をリリース、夏フェスへの参加も決まった。GYAOでの新番組「つよしP」を始動し、ZOZOとのファッションデザインやLINE VOOMなど、さまざまな企画を展開する。

「『決めつけ』るのではなく、素直に発想を出すこと、変で、妙で、面白くて、独創的なモノをたくさん作り、それらをいろんなコンテンツを通して表現する一度きりの僕の人生でありたい。そして『本当の自分を生きることの幸せ』が伝染していくといいなと思っています。僕の心が、『決めつけ』で苦しんで生きている人たちの心に届いて、自分らしく生きてみようという笑顔を与えられたなら、とても幸せだなって思います」

生きていられることが、今は幸せだと感じているーー堂本剛が、自分の歌で伝えたいこと(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)

「自分で楽曲を作って歌うということ。それは自炊に近い。心も体もすごく楽なんです」

シンガー・ソングライターの活動を始めて20周年、堂本剛は今、もっとも自分らしい状態にあるという。“本当の自分で生きられる喜び”を表現したものが、自分の作る音楽。この思いと行動が誰かの人生の、自分らしさを取り戻す幸せへとつながればうれしい……多忙なアイドル時代を駆け抜け、自身も生きづらさを抱えたからこそ見えてきた境地がある。仕事への矜持、そして死生観。堂本剛を突き動かすものとは。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)

>インスタグラムの使い方を「間違いたい」

およそ1年前から堂本剛が始めたインスタグラムは、はなから不思議なものだった。ポートレートはほぼ同じアングルで、どんどん眉毛が濃くなっていき、最後には額全体がアイブロウで埋め尽くされる。コメントは一言、「どうもジャニーズです」。まるでモダンアートだ。何か強いメッセージ性を帯びているようにも見える。その後も眉毛写真の投稿は続き、ネット上ではさまざまな臆測が飛び交った。

これについて、本人はこともなげに語る。

「テーマは『インスタの使い方を間違いたい』でした。隙間時間で、他人の眉毛が太くなり、元に戻っていく写真を見るという無駄な時間をご提供することで、『笑い』『勇気』『なんでやねん』が発生すればいいなという、そんな発想です。無駄な時間って幸せだったりしませんか? 個人の日常を羅列するだけではなくて、こんな時代、笑ってほしくて、これ何? 説明して?ってみんなが困惑つっこみするようなものを軸にしました。インスタグラムを、宣伝の空間として使いつつ笑かしにかかっています。事務所の人たちがインスタをやりやすい環境にもつながればと思い、僕はこんな行動をしてみました。」

>「ジャニーズっぽくない」と言われて

「アーティスティック」「生活感がない」「不思議」「自由」……。
こうした堂本剛のイメージは、ジャニーズ事務所において相対的なものとして捉えられることが多い。堂本自身、それをよく理解していた。

「世の中に存在するイメージというものの多くは、第三者が作り上げているものじゃないですか? 僕はそんなことを言っていない、思っていないのに勝手にそうされてしまっている。その人の中では、『言いそう』で、『思ってそう』なんでしょうね。僕の周りにいる人は、僕を理解してくれています。理解するタイミングがない人は、丁寧に想像する前に疲れ、自分の情報の中だけで計算し決めつけた僕という答えを出して終わらせてしまうからか……導き出した答えと現実の僕、それが合わないから『~っぽくない』ということに自然となるんでしょうね」

かつて堂本は、「自由」ではなかった。
デビューしてすぐに大ブレーク。10代の頃は毎日3時間睡眠で、休日は年に3日。分刻みのスケジュールで動き、周囲の求めに応じて表情をつくった。しだいに堂本のメンタルには亀裂が入っていく。多忙な時期の記憶は、ほとんどが失われている。

故ジャニー喜多川の勧めでシンガー・ソングライターとなり、「自分らしく生きる選択」ができるようになったと実感した頃には、30代になっていた。

「最近でこそ、自分らしさが尊重される時代になってきましたけど、今でも自分らしく生きられない人、素直に生きる勇気や場所がない人たちがたくさんいます。世の中は自分らしく生きている人を批判するのではなく、『自分らしく生きる幸せ』を、みんなで優しい心を持って話すだけでいいのにな、と思うんです。優しい心で話しているうちに、人は本当の自分になれるものですから」

「ジャニーズらしさ」は、年々変わっていくもの。こだわることではない。一番大事なのは自分であり、それをファンの人たちにつなげること……堂本がジャニーズに所属し続ける理由は、ここにある。

「柔らかく穏やかに、そういう感覚で僕は生きているからこそ、『ジャニーズっぽくない』カテゴリーに入れられてしまうのかもしれないけど。全てを事務所の許可を得て生きて来ました。事務所に直談判に行くこともあります。たくさんの人を動かすことになるので、一筋縄ではいかないこともある。でも理由や展望を持って話しにいくので、何言ってんの?って弾かれてしまうことはないですね。クリアしていきたいと思っていることはまだまだありますけど。少しずつです。ジャニーズは積極的にSNSに参戦する会社ではなかったけど、それが時代とともに変わってきました。僕が変化してもせずとも、変化していく時代というものがあるので、その時代に反応と順応をしたいと、柔軟に動いているところです」

ジャニーズ事務所では特別な立場にあるように見える堂本だが、単に自由なのではない。それを獲得するために、試行錯誤を続けてきたプロセスがあるのだ。

>人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い

「自分で動く」。インタビューの間、堂本が何度も口にした言葉だ。
アイデアを形にするまでの動きはいつもスピーディーで、さらに二手、三手まで先を見ている。

「こんな世界状況の中でも、お金を出して作品を買ってくださる人がいる。僕が自分らしく仕事をしている姿を、家族や後輩君たちが見てくれている。そう考えたら、素直に動けます。人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い。例えば伝言ゲームで、中継ぎの人が先方に納期を伝える時間が遅れ、作業していただけたはずの時間が減り、締め切りを縮めたり、完成を遅らせてしまったりすることがある。そういう仕事の仕方をする人は多いから、疲れることがあります。作り手、職人の作品に対して必要な時間、作業工程などが、その立場でない人からすると想像してあげられないんでしょうね。だから、直接やりとりすることがほとんどです。相手の心を考えて動くことも、仕事ですから。毎日くたくたですけど」

それでも音楽を作ることは、この上なく楽しい。仕事のスピード感を大切にしているのも、生まれたばかりのアイディアを、新鮮なうちに楽曲として閉じ込めたいとの思いからだ。

「極端にいえば、今このインタビュー中でも曲がひらめいたら、PCを開いてキーボードで打ち込みたくなる、というくらい、アイデアの鮮度を大切にしています」

頭の中で鳴る音楽を可視化し、音符に換えていく。音色を探して、演奏し、形作っていく。予想外に生まれるノイズやバグが、ドラマチックな音につながることがある。

「こういう一連の作業は、生きているからこそできることで、魂になったら、想像を形にすることもできなくなるんです。だから音楽を作ることは、命あることに感謝することでもあるんです。ただ、作品が出来上がって、リリースをするまでには時間がずいぶんと経過するので、リリース時にはもう自分が違うステージに行っていることがほとんど。だから、きょう曲を作ったら1週間後ぐらいにリリースする、そんな時代がくればいいのになって、思ったりもします。メッセージを強く込めた作品は、時代が流れている分、タイミングもクリエーティブの一部なんです」

ラブソングよりも、命や愛を歌いたい。
これは自身が心に傷を負い、パニック障害や突発性難聴に苦しんだ経験から、強く意識するようになったことだ。

「世の中の人々が、理由を持ってたどり着いた傷とか痛みに寄り添う歌詞、メロディー。その役目を持つ楽曲にあの頃の僕は救われ、もう一度生きようという気持ちにまで立ち戻れました。だから自分が作る音楽も、そういう役目でありたい。ジャニーズっぽくないと言われてもいいんです。もっとラブソングのほうが売れるよとか、うん、わかってるけど、ジャニーズにもいろんな歌が存在していいし、自分で作る音楽に、自分ではない歌声を選択することは、しない。限界の中で命を諦めようとしている人を救える音楽を作りたいって、僕は本気で思っているんです。自分と同じ経験をしている人を思いながら書いています。そんな中で少し変わったことは、世界的な問題が起き、みんなが同じ傷や痛みを共有する今、ポジティブな曲を書くようにもなりました。これまで使ってこなかったような、明るい言葉を綴ったりしながら」

>シンガー・ソングライターを続けることは、ジャニーさんの思いを持続させること

10代は、毎日、命が苦しいと思って生きていた。

「いろんな人に助けていただいて、もう一度生きよう、そう思わせてもらえたから僕は生きているんです。その人たちがいなかったら、今この世に僕はいません。当時は変人扱いされたけれど、でも、人は、傷つけば死にたいと思ってしまうものです。そんな人が世の中にはたくさんいること、それをみんなで理解して生きるべきだと、僕は思う。生きたいのに、生きられない人もいるんですよ」

ジャニーズだから、命や愛をテーマにした重い歌を歌ってはいけない? それは違う、と堂本は首を振る。

「ポップな曲はたくさんの人の心を幸せにする。それも理解はしています。命と愛が重たいと言うのなら、人は重たい存在となってしまいます。僕らは愛の果てに生まれた命なのに。重たいと認識してしまうのは悲しいし不思議です。だから、人が理由あってたどり着いた涙や傷に寄り添った曲も、たくさんの人の心を幸せにすると、本気で僕は思っています。死にたいと思わされてしまった経験がない人からは理解されづらいんですけど。僕自身がそう思った過去が悲しくもありました。でも、生きていられることが、今は幸せだと感じていることを、歌を通してあの頃の自分にも、同じように過ごす人たちにも伝えたい。一人で音楽を作る時は、その心を生きたいと思うし、提供したいと思っています」

ジャニーズ事務所には、ほかに“シンガー・ソングライター”として立っている者はいない。

「ジャニーさんに声をかけてもらって、この会社に入り、またジャニーさんからの提案を受けてシンガー・ソングライターになった。形がないゼロの状態から始まり、1にすること。そして、1から2……10へとつなげていくのは生半可な思いでいたら不可能なことですからね」

「そして、いまだやっているのが僕だけだからそれはそれは大変なことも多いけど、ある程度の分かりきった答えに向かうのもつまらないし、続けてこられたのはそれを楽しんできているからです。続けることは、ジャニーさんの思いを持続させることにもなると思っています。今はジャニーズの中で、音楽家のエリアは大きくないですけど、ここを整理整頓する位置にいられたらいいなとは思ってます。後輩君たちにも歌いたい歌があるだろうし、一人ひとりの歌唱スキルを把握して、声の魅力を引き出してもあげたいし、そういうディレクションまでを、本当はやってあげたいですね」

才能のある人たちを、解き放ってあげたい。堂本はまっすぐにそう語った。

今年はシンガー・ソングライターとして、デビュー20周年。ENDRECHERIとして精力的に楽曲をリリース、夏フェスへの参加も決まった。GYAOでの新番組「つよしP」を始動し、ZOZOとのファッションデザインやLINE VOOMなど、さまざまな企画を展開する。

「『決めつけ』るのではなく、素直に発想を出すこと、変で、妙で、面白くて、独創的なモノをたくさん作り、それらをいろんなコンテンツを通して表現する一度きりの僕の人生でありたい。そして『本当の自分を生きることの幸せ』が伝染していくといいなと思っています。僕の心が、『決めつけ』で苦しんで生きている人たちの心に届いて、自分らしく生きてみようという笑顔を与えられたなら、とても幸せだなって思います」

#市县工作# 【打造品牌 开创新时代政协文史工作新局面— —《汉中文史丛书》出版背后的政协力量】《汉中文史丛书》
  3月26日,由汉中市政协组织编写的《汉中文史丛书》首发式举行,填补了汉中文化发展史上文史资料集成出版的空白,为汉中两汉三国文化传播又添力作。同时,这部大型文献丛书出版的背后凝聚着编纂团队的汗水和辛劳。
  汉中历史文化悠久,人文积淀深厚,自公元前312年秦惠文王设汉中郡至今已有2300多年历史。汉中市政协为充分发挥政协文史资料“存史、资政、团结、育人”的重要作用,在2020年文史工作座谈会上提出,2021年是中国共产党成立100周年,适逢两个百年历史交汇点,政协文史资料不能缺位,要围绕汉中深厚的文化底蕴、丰富的历史遗存,挖掘历史文化精髓,编写一套《汉中文史丛书》,全面展示新时代汉中历史文化内涵,进一步弘扬汉中历史文化传统,增强文化自信,助力汉中高质量发展。
  为做好市政协文史资料工作,市政协民宗文史委把编辑出版《汉中文史丛书》确定为2021年重要工作内容,制定工作方案、明确推进时间表,迅速召集有关方面商议论证、调研座谈。同时,为编纂好《汉中文史丛书》,市政协聘请王蓬、梁中效等资深研究人员,多次研究,反复论证,从汉中悠久的历史、深厚的文化、众多的领域中筛选出《汉中三堰史话》《回望西北联大》《张骞与丝绸之路》《汉江航运与工商往事》《秦蜀古道与石门石刻》《汉中历代廉吏》《汉中人文山川》《汉中文史采撷》《秦巴深处的记忆》《天汉纪事》十个选题,邀请了在各自领域学有专精的16位作者共同参与创作。
  曾任省作协副主席、汉中市文联主席的王蓬在担任《汉中文史丛书》特邀主编的同时,还创作了《秦蜀古道与石门石刻》。“虽然创作出版古道著作已有多种,但接到这个任务后,我们感到责任重大,不敢马虎。”王蓬说。
  《秦蜀古道与石门石刻》无过多引用典籍古文,读起来流畅达意,与以往古道著作相比,增加了很多新材料、新发现。“创作中,除了在选题上力求编旧述新、尽量增写新篇外,对整部作品在框架、单元、篇章、乃至文字上都通盘考虑,仔细修润完善。”王蓬说,创作中既尊重历史典籍,又照顾读者阅读兴趣。
  《汉中文史丛书》写作涉及题材广泛、时间跨度长、资料分布广,写作过程中需要投入大量的人力、物力。
  汉台区作协顾问李振峰是《汉中历代廉吏》的作者之一,近年潜心文史研究及地域文化传播,致力弘扬先贤精神。“编写《汉中历代廉吏》,我至少翻阅了两千万字的史料。”李振峰说,其中清嘉庆严如熤的《汉中府志》就认真系统看过三遍以上,同时为了印证史料,请教专家学者、朋友都是常事。
  编写史料是一项脑力活,更是一项体力活,李振峰的足迹遍布汉中各县区及宝鸡、四川等地。“创作的日子里,不知熬了多少个通宵,为编好《天汉纪事》,仅结构就商讨了六七次。”李振峰说。
  从去年4月下旬开始,陆续完成初稿撰写,成熟一册,即刻对篇目、文字、图片进行初审,初审后及时交付印务公司排版设计,7月底基本完成了十册书籍的排版设计并印制样书。同时,安排专人专程赴印务公司就丛书整体风格、内容构成、封面设计等进行沟通交流,按照书稿内容,梳理脉络。
  “总共350万字的丛书,两年才能完成的工作半年多就完成了,这得益于高起点谋划、高标准要求以及整个团队的齐心协力。”李振峰深有感触地说。
  《汉中文史丛书》编纂工作,是汉中政协史上一次最具规模、最富层次的编纂活动,也是文史资料工作不断走向系列化、专题化、高端化的一次有益尝试。不仅为进一步挖掘“汉风古韵”文化内涵提供了助力,也为多角度解读汉中历史文化提供了新的视角,更为研究汉中历史发展提供了翔实生动的史料。
  《汉中文史丛书》内容简介
  《汉中三堰史话》:本书对荣膺世界灌溉工程遗产的汉中“三堰”的创修扩建、整治维护、灌溉系统、灌溉效益等作了梳理和论析,并对汉中境内其他水利设施及奉祀水利先贤的纪念性遗存,以及近现代汉中水利建设的主要成就作了介绍。
  《回望西北联大》:本书从西北联大艰辛抵达汉中,在此地开展教学、科研工作,培养大批人才,取得多项科研成果为主要线索;以历史沿革、人物、事件为论述重点;以助益当地水利地质及多项文化事业建设为依据,对西北联大长达八年的活动情况,以及由该校分拆出多所院校等情况,作了较为全面的描述。
  《张骞与丝绸之路》:本书从中华文明盛衰的角度解读张骞地位的变化;将“一带一路”、西部开发与张骞出使西域联系起来,破解张骞成才成功的奥秘;以史学确定张骞文化地位,以文学观察张骞形象变迁,以神话传说溯源“张骞泛槎”。
  《汉江航运与工商往事》:汉江有着三千里黄金水道、数千年的航运历史。本书以翔实的史料、丰富的内容、珍贵的图片,系统全面地辑录了汉江航运与汉中工商业发展的历史往事,补史之阙、继史之无,有很强的可读性与存史价值。
  《秦蜀古道与石门石刻》:本书通过对多条秦蜀古道的起始、方位、形制、变迁与所起作用,以及重大历史事件、重要历史人物,尤其是褒斜道石门石刻诞生、传播、保护、凿迁等重要史实详尽钩沉梳理,展现秦蜀古道与石门石刻深厚久远、内涵宏富、波澜壮阔的历史画卷。
  《汉中历代廉吏》:本书收录了几十位廉洁勤政官员的事迹,介绍其人品和才学、政绩和情怀、官德和气节,弘扬其当官为民、清廉自守、勤于政事、鞠躬尽瘁的精神,给今天的我们以启迪和借鉴。
  《汉中人文山川》:本书由远古遗响、先贤留痕、古城老街、诗韵山水、画境家园5辑共58篇文章构成,介绍了汉中古老的人文遗迹、著名的历史文化景观、汉中古城老街风貌、诗人笔下的壮丽山水和秦巴汉水等自然风光。
  《汉中文史采撷》:本书主要采撷与汉中考古发现相关的、古代先贤在汉中留存的、民国时期在汉中发生过且有重大影响的、汉中在教育和文化方面有重大影响的和新中国成立后汉中在环境保护方面有重大影响的文史资料。
  《秦巴深处的记忆》:本书从秦巴民居、婚丧嫁娶、秦巴民歌、非物质文化遗产四个方面对秦巴民俗文化作了较为全面的阐述和详细的论述。深刻解读了陕南地区民俗文化的历史沿革、特色亮点及保护现状,很大程度上还原了秦巴地区民俗文化的整体风貌。
  《天汉纪事》:书中精选县区文史资料,从各个方面寻觅、钩沉、补史、辨谬、纠误,展现本地旧貌,讲述历史故事,弘扬地域文化,增强文化自信,使我们看到了古老的历史、山川的壮美、前人的不易和往日的辉煌。
  序
  □ 严维佳
  两年前,我从汉高祖刘邦定鼎之地——咸阳出发,经铜川来到刘邦汉业筑基之地——汉中。今年适逢建党百年,又遇汉中市政协成立二十五周年,也是市五届政协即将届满之年。处在两个百年历史交汇点,身处民族伟大复兴新时代,回望历史长河的波澜壮阔,放眼未来的美好蓝图,在新起点上展现新作为,正当其时、适得其势、势在必行。
  新时代赋予政协新使命。发掘文史资料、弘扬人文精神,以史资政、以文化人、凝聚共识是政协工作的重要内容之一。两年来,市委批准设立了政协文史馆,增加市、县政协文史馆事业编制,充实了一批年富力强的专业人员,市政府拨出专门出版经费,社会各界踊跃参与,市政协文史工作迎来了前所未有的好机遇。
  新机遇当有新作为。经过半年多的精心筹备和努力,一套十本的《汉中文史丛书》应运而生。当我手捧这沉甸甸的书稿,并应邀为其作序时,我的压力是巨大的,因为对于一个到汉中市政协工作时间并不算长的人来说,要读懂汉中这座历史文化名城的前世今生尚需时日,要概括出汉中历史的特点和文化精神,真是件难事。好在,有广大政协委员和市、县政协干部,以及像王蓬、梁中效、刘清河、贾连友、李锐、杨建民、苟保平、王亚萍、余成新、吴全民、李振峰、黄建中、李青石、王景元、石秀全、王继胜等我市文化名人、专家教授、热心人士的积极参与,终于使这300多万字的书稿即将结集出版,作为编委会主任和主编,我在兴奋与感动之余,便欣然应允为本书作序。
  小汉中有大历史。汉中是中华山川地脉的聚焦点,是华夏历史文脉的兴奋点。巍峨的秦岭,脉起昆仑,尾衔大别,像苍龙一样横卧在神州大地的中央,北佑黄河,南护长江,合和南北,泽被天下;处在这“一山两河”中央的汉中,正是联系南北的纽带,沟通东西的走廊,是国家生物物种基因库和南水北调中线工程的水源地,是全球生物多样性的聚焦点。汉江上游的汉中盆地,联袂雍梁,北接关陇,南连巴蜀,像摇篮一样培育了古老壮美的文明,周秦汉唐,天府之国,背靠莽原,虎视东方,啸傲寰宇,引领世界;宋代之后,国都东移,乾坤扭转,西部衰落,东南崛起,天汉大地,稍逊风骚;但北宋建国,三泉直辖,元朝一统,汉中归陕,明清时期,开发秦巴,连云栈道,辐射西南,皆因汉中是南方的门户和战略屏障。无论前台,还是后方,汉中始终是中华五千年文明征程上一块凤翥龙翔的热土。书汉中,写汉中,一草一木总关情,一砖一瓦皆为史,一山一水有灵性,我深深地爱上了这方“汉家发祥地,中华聚宝盆”。
  这里是汉水之源
  《诗经》云:“维天有汉,鉴亦有光。”地上的汉水与天上的银河交相辉映,“语曰天汉,其称甚美”。汉水源于秦巴山脉,“嶓冢导漾,东流为汉”,宁强嶓冢山是闻名华夏的汉水源头,千溪之水汇成汉江,“汉之广矣,不可泳思;江之永矣,不可方思”,润泽天汉大地,惠及陕鄂百姓。汉水浩浩,泥沙沉积,富饶美丽的汉中盆地滋养了一代代汉中儿女在此生息繁衍、安居乐业。汉水滔滔,发达的水运系统带动了工商贸易往来,汉中买茶、熙河易马,商贾辐辏,百货骈阗,粮、铁、药、茶、马、丝绸流通天下,汉江航运成为货物贸易的重要通道。汉水潺潺浇灌出了年代久远、灿若星河的旧石器时代和新石器时代文化,龙岗篝火点燃了秦巴文明之光,湑水青铜铸就了三代褒国的辉煌。远古先民逐水而居、因水而作、顺水而行,他们开山凿石、修堤筑坝,引流排灌、疏通江河,利用简陋的工具创下了惊世之举,开凿的褒斜栈道连通秦蜀、沟通南北,是商贾经贸、行军用兵、融通文化的重要通道,栈道南谷口的“石门”系我国古代第一条人工开凿的穿山隧道,隧道内保留了国宝级的摩崖石刻群,《石门》《石虎》《衮雪》等汉魏“十三品”享誉古今、蜚声中外,世人珍为“国之瑰宝”。
  秦巴山地、汉江流域并非风调雨顺之地,先民们与自然抗争的治水传奇亦蔚然史册。嶓冢山石牛洞旁留下了大禹治水成功,勒石记功的“禹书”。萧何、曹参筑堰引褒水建山河堰,成就汉业,造福一方。五门堰因势利导,灌溉稻畦千顷,滋养烟火万家。杨从义修浚旧时八堰成杨填堰,民赖其利,福祉城洋。“汉中三堰”皆因历史悠久,惠泽百代,至今沿用,成为世界灌溉工程遗产,这为汉中厚重的历史文化又增添了一张世界名片。抗战烽火中创建的“汉中三惠”(褒惠渠、汉惠渠、湑惠渠),不仅发展了汉中水利文化,更确保了鱼米之乡汉中在抗战时期的战略地位。
  汉水如同历史坐标轴,连缀起千百年来汉中人民与大自然和谐共生的奋斗历程,人不负青山,青山定不负人,在“绿水青山就是金山银山”理念指引下,汉中人民全力守护生态环境,不断巩固“绿色”这个天汉大地最美的底色,把生态资源转化为发展优势。如今,草木植成,林绿荫深,碧波荡漾,森林覆盖率高达63.8%,绿色循环已成为汉中标签。汉江清流带着380多万汉中儿女的深情厚谊,经由南水北调中线工程的丹江口水库,源源不断地流向京津、华北,更流向中华民族伟大复兴的未来。
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