第112届日剧学院赏:二宮和也获得主演男演员奖、「My Family」获得最优秀作品奖、濱田岳获得男配角奖、加上导演奖、剧本奖一共5连冠[鼓掌]
获奖感想:【一边推理一边享受 电视剧的外景拍摄很辛苦】
能够获得第112届主演男演员奖非常感谢。并且加上作品奖、男配角奖、导演奖、剧本奖也拿到了5连冠,工作人员的各位、还有濱田岳君,恭喜大家!果然排名越高就越开心呢,而且更重要的是读者的各位能想「评价一下这季的电视剧」在这其中对「My Family」有兴趣想要投一票给我们,这件事非常意义重大。「My Family」是原创作品,所以我听说有很多观众一边推理“谁是犯人呢”一边享受着,但是拍摄真的很辛苦(笑)特别是外景拍摄。因为有鈴間(藤間爽子)之类的突然出场的人,所以要顾及她们之类的(笑)不能暴露给路人。顺便一提我一开始就知道谁是犯人了。虽然这么说,要说和往常有什么不同,那倒是没什么特别的不同。对真正的犯人温人也么什么执念,所以只考虑了那个地方怎么样能消除矛盾...应该就这一点吧。温人的感情要流露到什么程度,平野(俊一)导演考虑了这一点,完美地控制住了。所以我不会觉得难受或者辛苦,能够一边纵观全局一边试着思考「演到这个程度大家会吃惊吧?」然后让平野导演检查有没有问题...很开心呢。
说到辛苦,那果然还是大结局的玉木宏先生吧(笑)。说明真相...タマキン,那个真的很辛苦呢(笑)其实温人应该有更多台词的。但是,这里应该是葛城(玉木)来阐述,所以很久之前就和导演商量了,削减了很多温人的台词。在那个场合,虽然也很在意真相,但是对温人来说他在意的是孩子是否能顺利出生,东堂(濱田岳)的状态怎么样了...这些更重要。像这样细微的变更重叠在一起,和「My Family」的标题契合,好好地构成了大结局。
作为得奖的回礼,接下来也继续带给大家有趣开心的作品...如果「是那个“My Family”剧组制作的作品!!」像这样的广告能播出就好啦
评委评论:以坚实的演技二宮和也第3次获奖
久违4年主演连续电视剧的二宮和也获奖。「能够感受到紧迫感和殊死拼搏的演技。成为关心家人的父亲的变化过程也非常真实」高超的演技再次获得认可。
(TV记者投票:第1;審査員投票:并列第1;读者投票:第3)
受賞歴
第67回(2010年10-12月)主演男優賞(最優秀作品賞:フリーター、家を買う。)
第59回(2008年10-12月)主演男優賞(最優秀作品賞:流星の絆)
まずは、主演男優賞おめでとうございます。
ありがとうございます。併せて「マイファミリー」で作品賞、助演男優賞、監督賞、脚本賞に輝いて5冠ということで。スタッフの皆さん、そして(助演男優賞を受賞した)濱田岳くん…おめでとうございます。やはり順位が高ければ高いほどうれしいですし、そして何より多くの読者の方が“評価をしてみよう!”と思ってくださって、なかでも「マイファミリー」に興味を持って“一票投じてみよう!”と思ってくださったことが大きなことなんじゃないかな、って思います。
「マイファミリー」はオリジナル作品。当然ながら視聴者はラストを知らず、各話の放送後には真犯人に対する考察がSNSで熱く語られました。
“犯人は誰かな?”って推理しながら多くの方が楽しんでくださっていたと私も聞いていました。それだけに撮影は大変でしたよ(笑)。特にロケね。鈴間(藤間爽子)とか急に出てくる人もいるもんだから、そのケアとか(笑)、ロケ撮影を街行く人にバレちゃいけないとかね。
ちなみに、僕は犯人が誰か最初から知っていました。かと言って、いつもと違う作り方をしたかといえば、それは特になかったかな。真犯人に対して、温人は何の思い入れもないわけで。そこにどう整合性を持たせて、どうやって高めていくか…それくらいかな。
温人の感情を各話でどこまで出すか、演出の平野(俊一)さんが考えてうまくハンドリングしていただきました。だから、僕はつらいとか大変とかはなくて。全体像を見ながら「ここまでやると、視聴者の方は驚くかな?」なんて考えてやってみて、それで問題はないか平野さんがチェックしてくれて…温人を演じることは楽しかったですよ。苦労があったとすれば、それはやっぱり、最終回の玉木宏さんじゃないですか(笑)。
真相の説明…タマキン、あのシーンは大変だったよなぁ(笑)。本当は、もっと温人にセリフあったんですよ。だけど、あそこは真犯人と東堂(濱田)のどちらも関係性の深い葛城(玉木)が語るべきだなと。僕はそう思ったので、監督と前々から相談して、温人のセリフは結構削ってもらったんですよね。
真犯人の動機は、おっしゃっていたとおり、温人としては思い入れがあるものではありませんでしたね。
そう。温人が受けた被害は、本質からの余波でしかないから。東堂さえ無事に捕まってくれたらそれでいい。だから、裏では葛城さんの誠意として、東堂に伝えられている設定でした。温人もその場にいて、気にはなっていたけど、温人にとっては「病院に運ばれた未知留(多部未華子)とお腹の子供が無事生まれてくれるだろうか」「東堂が今、どういう状態でいるのか」の方が重要でした。弁護士である三輪(賀来賢人)は東堂に会えるけど、温人は会えないから。
そういう細かい変更を重ね、「マイファミリー」というタイトルと合致し、しっくりくる最終回になったんじゃないかなって思います。
助演男優賞には濱田岳さんが選ばれました。まさに迫真の演技でしたが、二宮さんは共演者としてどのように感じていましたか?
評価されるべく、すごいお芝居をされていたと思いますね。僕は岳とは2回目の共演でしたが、岳とのお芝居はやりやすいです。それは岳も…賀来くんも多部ちゃんもそうなんだけど、引き算の芝居をする人たちだからかなと思っています。
お芝居する人の中でも、引き算の芝居をする人たちとの共演は僕はとてもやりやすくて。それを集団芸として…芝居の価値観が近い者同士でやれた印象がありますね。群像の勝利ですよね。
先ほどのお話でもあった、“最終回のここは葛城が言うべき”“それなら温人を削るべき”というような引き算が、他の役者さん同士でもうまく合致するようなチームワークだったんですね。
そうだったと思います。台本にビックリマークがあっても、叫ばなかったり。それぞれが視聴者の目線を持って、「ここまでやったらうるさいだろう」とか「これ以上出ない方がいいだろう」とそれぞれが考えてやっていた印象がありますよ。
“ここは(感情を)持っていきにくいな”って箇所はみんなで相談したり、逆に“さすがにここは出なきゃダメだろ”ってところで、プラスする方が大変だったりして。
皆さんで相談や提案しあいながら進めていったんですね。
そうですね。温人と未知留、東堂、三輪…誰か一人がぶっ飛んでいるってこともない現場で(笑)。みんな同じゾーンにいて、提案しあう現場でしたよ。だから「マイファミリー」と聞けば思い浮かぶのが、必ずしも主役の顔ではなく、もしあの4人がそろっているのであれば、それこそが我々の勝利だと。ホント、みんなうまかったなぁ!!
3人は30代前半で、40代入口の俺がいて、玉木くんが40代前半で…。世代的にも、大体その世代で戦えたっていうのは割と大きいことかなと思っています。うまく戦えたんじゃないかなぁ。粒ぞろいで、改めていい世代だなぁって思いました。
ドラマファンにとっても、「このキャストがいるなら、まず第1話を見てみよう」と思うような豪華キャストでした。
賞については、岳や俺とかが頂きましたけど、みんなでバランスを図って立体的な作品を作ることができた…総じて“良かった!”って思える作品です。
特に苦労したシーンはありましたか?
いろいろありますけど、例えばカメラ割りをするスタッフも含め、みんな大変だったかな?って思うのは“電話のシーン”ですね。本来であれば演出上、犯人の口元とか、入れたかっただろうなぁって(笑)。というのも、シーン数は多いのに、カットがほぼ変わらないのが犯人との電話シーンでしたからね。どうやってお客さんを退屈させないようにするか。それは本当にみんなが考えたことでした。
逆に、演じる上で楽しくてワクワクしたシーンは?
全部楽しいですよ(笑)。好きにやらせてもらっているんですから!
家族を命懸けで守る父親・温人の姿から、二宮さんの新たな魅力も感じられました。何億円も用意できて、わが子のために投げ打つ男…かっこいいですよね。
かっこよかったでしょ(笑)。ただ、手段はいろいろだろうけど、みんな温人と同じ決断するんじゃないかなぁ。
新たな一面だとか新境地に関しては、そこにあまり意識はなかったです。むしろ「練度の高い芝居がしたいな」と思っていました。それなりに経験を積んでいるメンツがここまで集まるってなかなかないことだから。そこで自分の新技を卸すよりも、自分が得意としているものをぶつけてみたいというか。
「マイファミリー」でこれだけすごいメンツと芝居できるってときに、一番やってみたかったのは“自分が今までやってきたことは、どこまで響くのか”。今回はそうでしたね。
このすごいメンツで、また何か作品を見たいと思うのはぜいたくでしょうか?
いや~、僕もやりたいですよ(笑)。
今期は「マイファミリー」を含め、リアルタイム配信に積極的な作品が多かったです。同時に、海外作品もドラマや映画を問わず日本で見られる環境が普及してきています。俳優の二宮さんとしては、国内外の作品や出演についてどのように感じていますか。
どうなんですかね。今は、僕らが向こうに行って演じるよりも、こっち(日本)で作った作品を持っていく時代なんじゃないのかな?
我々が日本でいいコミュニケーションを取りながら、高め合って、いい作品を作って。今回はたまたま我々が1位でしたけど、どの作品も同じように時間をかけてみんなで作った作品なんだと思います。その中で、今回、こうして同じように思いを持って「マイファミリー」に投票してくださった皆さま。本当にありがとうございました!
获奖感想:【一边推理一边享受 电视剧的外景拍摄很辛苦】
能够获得第112届主演男演员奖非常感谢。并且加上作品奖、男配角奖、导演奖、剧本奖也拿到了5连冠,工作人员的各位、还有濱田岳君,恭喜大家!果然排名越高就越开心呢,而且更重要的是读者的各位能想「评价一下这季的电视剧」在这其中对「My Family」有兴趣想要投一票给我们,这件事非常意义重大。「My Family」是原创作品,所以我听说有很多观众一边推理“谁是犯人呢”一边享受着,但是拍摄真的很辛苦(笑)特别是外景拍摄。因为有鈴間(藤間爽子)之类的突然出场的人,所以要顾及她们之类的(笑)不能暴露给路人。顺便一提我一开始就知道谁是犯人了。虽然这么说,要说和往常有什么不同,那倒是没什么特别的不同。对真正的犯人温人也么什么执念,所以只考虑了那个地方怎么样能消除矛盾...应该就这一点吧。温人的感情要流露到什么程度,平野(俊一)导演考虑了这一点,完美地控制住了。所以我不会觉得难受或者辛苦,能够一边纵观全局一边试着思考「演到这个程度大家会吃惊吧?」然后让平野导演检查有没有问题...很开心呢。
说到辛苦,那果然还是大结局的玉木宏先生吧(笑)。说明真相...タマキン,那个真的很辛苦呢(笑)其实温人应该有更多台词的。但是,这里应该是葛城(玉木)来阐述,所以很久之前就和导演商量了,削减了很多温人的台词。在那个场合,虽然也很在意真相,但是对温人来说他在意的是孩子是否能顺利出生,东堂(濱田岳)的状态怎么样了...这些更重要。像这样细微的变更重叠在一起,和「My Family」的标题契合,好好地构成了大结局。
作为得奖的回礼,接下来也继续带给大家有趣开心的作品...如果「是那个“My Family”剧组制作的作品!!」像这样的广告能播出就好啦
评委评论:以坚实的演技二宮和也第3次获奖
久违4年主演连续电视剧的二宮和也获奖。「能够感受到紧迫感和殊死拼搏的演技。成为关心家人的父亲的变化过程也非常真实」高超的演技再次获得认可。
(TV记者投票:第1;審査員投票:并列第1;读者投票:第3)
受賞歴
第67回(2010年10-12月)主演男優賞(最優秀作品賞:フリーター、家を買う。)
第59回(2008年10-12月)主演男優賞(最優秀作品賞:流星の絆)
まずは、主演男優賞おめでとうございます。
ありがとうございます。併せて「マイファミリー」で作品賞、助演男優賞、監督賞、脚本賞に輝いて5冠ということで。スタッフの皆さん、そして(助演男優賞を受賞した)濱田岳くん…おめでとうございます。やはり順位が高ければ高いほどうれしいですし、そして何より多くの読者の方が“評価をしてみよう!”と思ってくださって、なかでも「マイファミリー」に興味を持って“一票投じてみよう!”と思ってくださったことが大きなことなんじゃないかな、って思います。
「マイファミリー」はオリジナル作品。当然ながら視聴者はラストを知らず、各話の放送後には真犯人に対する考察がSNSで熱く語られました。
“犯人は誰かな?”って推理しながら多くの方が楽しんでくださっていたと私も聞いていました。それだけに撮影は大変でしたよ(笑)。特にロケね。鈴間(藤間爽子)とか急に出てくる人もいるもんだから、そのケアとか(笑)、ロケ撮影を街行く人にバレちゃいけないとかね。
ちなみに、僕は犯人が誰か最初から知っていました。かと言って、いつもと違う作り方をしたかといえば、それは特になかったかな。真犯人に対して、温人は何の思い入れもないわけで。そこにどう整合性を持たせて、どうやって高めていくか…それくらいかな。
温人の感情を各話でどこまで出すか、演出の平野(俊一)さんが考えてうまくハンドリングしていただきました。だから、僕はつらいとか大変とかはなくて。全体像を見ながら「ここまでやると、視聴者の方は驚くかな?」なんて考えてやってみて、それで問題はないか平野さんがチェックしてくれて…温人を演じることは楽しかったですよ。苦労があったとすれば、それはやっぱり、最終回の玉木宏さんじゃないですか(笑)。
真相の説明…タマキン、あのシーンは大変だったよなぁ(笑)。本当は、もっと温人にセリフあったんですよ。だけど、あそこは真犯人と東堂(濱田)のどちらも関係性の深い葛城(玉木)が語るべきだなと。僕はそう思ったので、監督と前々から相談して、温人のセリフは結構削ってもらったんですよね。
真犯人の動機は、おっしゃっていたとおり、温人としては思い入れがあるものではありませんでしたね。
そう。温人が受けた被害は、本質からの余波でしかないから。東堂さえ無事に捕まってくれたらそれでいい。だから、裏では葛城さんの誠意として、東堂に伝えられている設定でした。温人もその場にいて、気にはなっていたけど、温人にとっては「病院に運ばれた未知留(多部未華子)とお腹の子供が無事生まれてくれるだろうか」「東堂が今、どういう状態でいるのか」の方が重要でした。弁護士である三輪(賀来賢人)は東堂に会えるけど、温人は会えないから。
そういう細かい変更を重ね、「マイファミリー」というタイトルと合致し、しっくりくる最終回になったんじゃないかなって思います。
助演男優賞には濱田岳さんが選ばれました。まさに迫真の演技でしたが、二宮さんは共演者としてどのように感じていましたか?
評価されるべく、すごいお芝居をされていたと思いますね。僕は岳とは2回目の共演でしたが、岳とのお芝居はやりやすいです。それは岳も…賀来くんも多部ちゃんもそうなんだけど、引き算の芝居をする人たちだからかなと思っています。
お芝居する人の中でも、引き算の芝居をする人たちとの共演は僕はとてもやりやすくて。それを集団芸として…芝居の価値観が近い者同士でやれた印象がありますね。群像の勝利ですよね。
先ほどのお話でもあった、“最終回のここは葛城が言うべき”“それなら温人を削るべき”というような引き算が、他の役者さん同士でもうまく合致するようなチームワークだったんですね。
そうだったと思います。台本にビックリマークがあっても、叫ばなかったり。それぞれが視聴者の目線を持って、「ここまでやったらうるさいだろう」とか「これ以上出ない方がいいだろう」とそれぞれが考えてやっていた印象がありますよ。
“ここは(感情を)持っていきにくいな”って箇所はみんなで相談したり、逆に“さすがにここは出なきゃダメだろ”ってところで、プラスする方が大変だったりして。
皆さんで相談や提案しあいながら進めていったんですね。
そうですね。温人と未知留、東堂、三輪…誰か一人がぶっ飛んでいるってこともない現場で(笑)。みんな同じゾーンにいて、提案しあう現場でしたよ。だから「マイファミリー」と聞けば思い浮かぶのが、必ずしも主役の顔ではなく、もしあの4人がそろっているのであれば、それこそが我々の勝利だと。ホント、みんなうまかったなぁ!!
3人は30代前半で、40代入口の俺がいて、玉木くんが40代前半で…。世代的にも、大体その世代で戦えたっていうのは割と大きいことかなと思っています。うまく戦えたんじゃないかなぁ。粒ぞろいで、改めていい世代だなぁって思いました。
ドラマファンにとっても、「このキャストがいるなら、まず第1話を見てみよう」と思うような豪華キャストでした。
賞については、岳や俺とかが頂きましたけど、みんなでバランスを図って立体的な作品を作ることができた…総じて“良かった!”って思える作品です。
特に苦労したシーンはありましたか?
いろいろありますけど、例えばカメラ割りをするスタッフも含め、みんな大変だったかな?って思うのは“電話のシーン”ですね。本来であれば演出上、犯人の口元とか、入れたかっただろうなぁって(笑)。というのも、シーン数は多いのに、カットがほぼ変わらないのが犯人との電話シーンでしたからね。どうやってお客さんを退屈させないようにするか。それは本当にみんなが考えたことでした。
逆に、演じる上で楽しくてワクワクしたシーンは?
全部楽しいですよ(笑)。好きにやらせてもらっているんですから!
家族を命懸けで守る父親・温人の姿から、二宮さんの新たな魅力も感じられました。何億円も用意できて、わが子のために投げ打つ男…かっこいいですよね。
かっこよかったでしょ(笑)。ただ、手段はいろいろだろうけど、みんな温人と同じ決断するんじゃないかなぁ。
新たな一面だとか新境地に関しては、そこにあまり意識はなかったです。むしろ「練度の高い芝居がしたいな」と思っていました。それなりに経験を積んでいるメンツがここまで集まるってなかなかないことだから。そこで自分の新技を卸すよりも、自分が得意としているものをぶつけてみたいというか。
「マイファミリー」でこれだけすごいメンツと芝居できるってときに、一番やってみたかったのは“自分が今までやってきたことは、どこまで響くのか”。今回はそうでしたね。
このすごいメンツで、また何か作品を見たいと思うのはぜいたくでしょうか?
いや~、僕もやりたいですよ(笑)。
今期は「マイファミリー」を含め、リアルタイム配信に積極的な作品が多かったです。同時に、海外作品もドラマや映画を問わず日本で見られる環境が普及してきています。俳優の二宮さんとしては、国内外の作品や出演についてどのように感じていますか。
どうなんですかね。今は、僕らが向こうに行って演じるよりも、こっち(日本)で作った作品を持っていく時代なんじゃないのかな?
我々が日本でいいコミュニケーションを取りながら、高め合って、いい作品を作って。今回はたまたま我々が1位でしたけど、どの作品も同じように時間をかけてみんなで作った作品なんだと思います。その中で、今回、こうして同じように思いを持って「マイファミリー」に投票してくださった皆さま。本当にありがとうございました!
想起前几天看到的一段剧评:“大概是知道现实的恋爱永远不可能这么美好。在一起肯定会经历平淡,争吵和分离。二次元的虚幻感情才是永恒的。我所沉溺的也只是这样若即若离,似有而无的暧昧氛围。”
同意里面的大部分观点,但更加被吸引到的好像是男女主双向坚定而且真诚的选择,看清了困难之后仍然承担起自己的责任,这样的成年人的爱情,真好。
同意里面的大部分观点,但更加被吸引到的好像是男女主双向坚定而且真诚的选择,看清了困难之后仍然承担起自己的责任,这样的成年人的爱情,真好。
1923年,梁思成出车祸,一个月内做了5次手术。19岁的林徽因前去照顾,用毛巾帮他擦洗身子。梁思成母亲看见后,当场怒骂:“你一个未出阁的姑娘,怎可如此?” 林徽因觉得委屈,便向梁思成提出分手。
梁思成的母亲叫李蕙仙,23岁那年嫁给19岁的梁启超。
虽然年长四岁,但她爱慕强启超的才华,为他操持家务,孝敬公婆,贤惠之名传遍乡里。
她无怨无悔地付出,却还是阻止不了梁启超的出.轨。
1899年,梁启超在美国认识了20岁的女翻译——何蕙珍。
何蕙珍接受过西方教育,思想开放,且对梁启超十分仰慕,明里暗里展开追求。
梁启超也被她的见识和能力所吸引,渐渐对她产生了感情。
他不愿瞒着妻子,于是写了一封家书,把自己和何蕙珍的事情和盘托出。
李蕙仙看完信后大发雷霆,想了很久才写了回信:
“男人爱慕淑女,自古皆有,你既然喜欢那个女子,就带回家吧。不过这种大事,你还是要问征询一下父亲的意见。”
李蕙仙这封信看似平平无奇,言语间充满大度和包容,却让梁启超感到后背发凉。
当时梁启超的父亲正病重,如果这时告诉父亲自己要娶妾,很可能会惹怒他,从而加重病情。
因为梁思超的父亲很满意李蕙仙这个儿媳,自然会站在她这边。李蕙仙深知这一点,才会搬出公公来“治”丈夫。
为了不背上不忠不孝的骂名,梁启超断绝了和何蕙珍的感情。
虽然李蕙仙最终保住了自己的婚姻,但她从此讨厌那些插足别人家庭的女子。
因此,她讨厌林徽因。在她看来,那场著名的“康桥之恋”,不过是林徽因插足了徐志摩和张幼仪的婚姻。
1920年春天,16岁的林徽因赴英国留学,遇见了23岁的徐志摩。
林徽因出生于浙江杭州,徐志摩是浙江海宁人,他乡遇故知,两人颇有亲近之感。
他们经常一起漫步在康桥,谈论文学,吟诵诗歌……渐渐地,徐志摩不可自拔地爱上了林徽因。
那时候,徐志摩结婚6年,而且是两岁孩子的父亲。
但他不爱妻子张幼仪,娶她不过是遵从家人的意愿。他心中追求的,是林徽因这般典雅高贵的女子。
于是,他不顾世俗眼光,对林徽因展开热烈追求。
可林徽因怕了,她不愿背负任何污名,于是不告而别,回国去了。
徐志摩以为只要自己离婚恢复自由,就有机会重新追求林徽因,便向刚生下次子的张幼仪提出离婚。
他如愿以偿恢复单身,急匆匆赶到国内,却发现林徽因和梁思成在一起了。
徐志摩仍不肯死心,不顾尊严频繁出入梁府,跟随林徽因和梁思成。
他对林徽因说:“如果有一天我获得了你的爱,那么我飘零的生命就有了归宿……让我在你的身边停留一小会吧。”
梁思成和梁启超都不曾说什么,唯独李蕙仙把对林徽因的厌恶写在脸上。后来发生的一件事,更让她对林徽因忍无可忍。
1923年,梁思成不幸遭遇车祸,在医院住了几个月。林徽因每天都到医院看望。
当时恰逢初夏时节,梁思成经常汗水沾身,自己又不方便擦洗,林徽因便时常用毛巾帮他擦拭。
当时他们已经恋爱了挺长一段时间,彼此早已亲密,并不需要避讳什么。
然而,传统守旧的李蕙仙却气得发抖,当场怒斥林徽因:“未出阁的姑娘,岂可如此!”
林徽因委屈至极,不知道如何面对这位未来的婆婆。
好在,梁思成出院后,他们决定一同赴美国深造,可以暂时避开李蕙仙的“刁难”。
出国不久后,李蕙仙病重,病榻上说出至死不接受林徽因的话语。
骄傲的林徽因怎能忍受这般侮辱?她向梁思成提出分手。
此后,林徽因大病了一场,高烧不退,梁思成则不离不弃照顾她。
最终,林徽因深受感动,同意继续在一起。
1924年9月,李蕙仙病逝。也许,这位与林徽因“八字不合”的老太天的离世,是对他们爱情的成全。
1928年,梁思成和林徽因携手步入婚姻殿堂。
后来的故事证明了,李蕙仙的偏见,是完全错误的。
林徽因与梁思成结婚后一起走遍中国,用现代科学方法研究中国古代建筑,相扶相持,相濡以沫。
尽管他们结婚后,徐志摩仍经常出现在林徽因身边,但这并不影响他们夫妻情深。
结婚之前,梁思成曾问林徽因:“为什么是我?”
她微微一笑,说道:“答案很长,我需要用一生去回答,你准备好听了吗?
林徽因说到做到,她用一生最美的光阴,与梁思成相伴同行,直到51岁时病逝。
在世人眼中,也许诗情温婉的林徽因,和浪漫洒脱的徐志摩更加般配。
可林徽因为什么选择的是梁思成?
其实道理很简单。
世间女子所追求的,终究还是安稳的烟火幸福,不浓郁,但经久。风华绝代的林徽因也不例外。
徐志摩浪漫风流,却给不了烟火幸福。梁思成儒雅稳重,则能保林徽因一生安稳。
事实证明,林徽因的选择是非常明智的。
她和梁思成携手婚姻27年,相濡以沫,写下一段流传至今的爱情佳话。
如果李惠仙泉下有知,恐怕也会后悔当初的坚持。
梁思成的母亲叫李蕙仙,23岁那年嫁给19岁的梁启超。
虽然年长四岁,但她爱慕强启超的才华,为他操持家务,孝敬公婆,贤惠之名传遍乡里。
她无怨无悔地付出,却还是阻止不了梁启超的出.轨。
1899年,梁启超在美国认识了20岁的女翻译——何蕙珍。
何蕙珍接受过西方教育,思想开放,且对梁启超十分仰慕,明里暗里展开追求。
梁启超也被她的见识和能力所吸引,渐渐对她产生了感情。
他不愿瞒着妻子,于是写了一封家书,把自己和何蕙珍的事情和盘托出。
李蕙仙看完信后大发雷霆,想了很久才写了回信:
“男人爱慕淑女,自古皆有,你既然喜欢那个女子,就带回家吧。不过这种大事,你还是要问征询一下父亲的意见。”
李蕙仙这封信看似平平无奇,言语间充满大度和包容,却让梁启超感到后背发凉。
当时梁启超的父亲正病重,如果这时告诉父亲自己要娶妾,很可能会惹怒他,从而加重病情。
因为梁思超的父亲很满意李蕙仙这个儿媳,自然会站在她这边。李蕙仙深知这一点,才会搬出公公来“治”丈夫。
为了不背上不忠不孝的骂名,梁启超断绝了和何蕙珍的感情。
虽然李蕙仙最终保住了自己的婚姻,但她从此讨厌那些插足别人家庭的女子。
因此,她讨厌林徽因。在她看来,那场著名的“康桥之恋”,不过是林徽因插足了徐志摩和张幼仪的婚姻。
1920年春天,16岁的林徽因赴英国留学,遇见了23岁的徐志摩。
林徽因出生于浙江杭州,徐志摩是浙江海宁人,他乡遇故知,两人颇有亲近之感。
他们经常一起漫步在康桥,谈论文学,吟诵诗歌……渐渐地,徐志摩不可自拔地爱上了林徽因。
那时候,徐志摩结婚6年,而且是两岁孩子的父亲。
但他不爱妻子张幼仪,娶她不过是遵从家人的意愿。他心中追求的,是林徽因这般典雅高贵的女子。
于是,他不顾世俗眼光,对林徽因展开热烈追求。
可林徽因怕了,她不愿背负任何污名,于是不告而别,回国去了。
徐志摩以为只要自己离婚恢复自由,就有机会重新追求林徽因,便向刚生下次子的张幼仪提出离婚。
他如愿以偿恢复单身,急匆匆赶到国内,却发现林徽因和梁思成在一起了。
徐志摩仍不肯死心,不顾尊严频繁出入梁府,跟随林徽因和梁思成。
他对林徽因说:“如果有一天我获得了你的爱,那么我飘零的生命就有了归宿……让我在你的身边停留一小会吧。”
梁思成和梁启超都不曾说什么,唯独李蕙仙把对林徽因的厌恶写在脸上。后来发生的一件事,更让她对林徽因忍无可忍。
1923年,梁思成不幸遭遇车祸,在医院住了几个月。林徽因每天都到医院看望。
当时恰逢初夏时节,梁思成经常汗水沾身,自己又不方便擦洗,林徽因便时常用毛巾帮他擦拭。
当时他们已经恋爱了挺长一段时间,彼此早已亲密,并不需要避讳什么。
然而,传统守旧的李蕙仙却气得发抖,当场怒斥林徽因:“未出阁的姑娘,岂可如此!”
林徽因委屈至极,不知道如何面对这位未来的婆婆。
好在,梁思成出院后,他们决定一同赴美国深造,可以暂时避开李蕙仙的“刁难”。
出国不久后,李蕙仙病重,病榻上说出至死不接受林徽因的话语。
骄傲的林徽因怎能忍受这般侮辱?她向梁思成提出分手。
此后,林徽因大病了一场,高烧不退,梁思成则不离不弃照顾她。
最终,林徽因深受感动,同意继续在一起。
1924年9月,李蕙仙病逝。也许,这位与林徽因“八字不合”的老太天的离世,是对他们爱情的成全。
1928年,梁思成和林徽因携手步入婚姻殿堂。
后来的故事证明了,李蕙仙的偏见,是完全错误的。
林徽因与梁思成结婚后一起走遍中国,用现代科学方法研究中国古代建筑,相扶相持,相濡以沫。
尽管他们结婚后,徐志摩仍经常出现在林徽因身边,但这并不影响他们夫妻情深。
结婚之前,梁思成曾问林徽因:“为什么是我?”
她微微一笑,说道:“答案很长,我需要用一生去回答,你准备好听了吗?
林徽因说到做到,她用一生最美的光阴,与梁思成相伴同行,直到51岁时病逝。
在世人眼中,也许诗情温婉的林徽因,和浪漫洒脱的徐志摩更加般配。
可林徽因为什么选择的是梁思成?
其实道理很简单。
世间女子所追求的,终究还是安稳的烟火幸福,不浓郁,但经久。风华绝代的林徽因也不例外。
徐志摩浪漫风流,却给不了烟火幸福。梁思成儒雅稳重,则能保林徽因一生安稳。
事实证明,林徽因的选择是非常明智的。
她和梁思成携手婚姻27年,相濡以沫,写下一段流传至今的爱情佳话。
如果李惠仙泉下有知,恐怕也会后悔当初的坚持。
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