事断于法。
君人者,舍法而以身治,则诛赏予夺,从君心出矣。然则受赏者虽当,望多无穷;受罚者虽当,望轻无已。君舍法,而以心裁轻重,则同功殊赏,同罪殊罚矣,怨之所由生也。是以分马者之用策,分田者之用钩,非以策、钩为过于人智也,所以去私塞怨也。故曰:大君任法而弗躬,则事断于法矣。法之所加,各以其分,蒙其赏罚而无望于君也,是以怨不生而上下和矣。
---先秦《慎子.君人》
以法治国。
所谓治国者,主道明也;所谓乱国者,臣术胜也。夫尊君卑臣,非计亲也,以势胜也;百官识,非惠也,刑罚必也。故君臣共道则乱,专授则失。夫国有四亡:令求不出谓之灭,出而道留谓之拥,下情求不上通谓之塞,下情上而道止谓之侵。故夫灭、侵、塞、拥之所生,从法之不立也。是故先王之治国也,不淫意于法之外,不为惠于法之内也。动无非法者,所以禁过而外私也。威不两错,政不二门。以法治国则举错而已。是故有法度之制者,不可巧以诈伪;有权衡之称者,不可欺以轻重;有寻丈之数者,不可差以长短。今主释法以誉进能,则臣离上而下比周矣;以党举官,则民务交而不求用矣。是故官之失其治也,是主以誉为赏,以毁为罚也。然则喜赏恶罚之人,离公道而行私木矣。比周以相为慝,是忘主私佼,以进其誉。故交众者誉多,外内朋党,虽有大奸,其蔽主多矣。是以忠臣死于非罪,而邪臣起于非功。所死者非罪,所起者非功也,然则为人臣者重私而轻公矣。十至私人之门,不一至于庭;百虑其家,不一图国。属数虽众,非以尊君也;百官虽具,非以任国也;此之谓国无人。国无人者,非朝臣之衰也,家与家务于相益,不务尊君也;大臣务相贵,而不任国;小臣持禄养交,不以官为事,故官失其能。是故先王之治国也,使法择人,不自举也;使法量功,不自度也。故能匿而不可蔽,败而不可饰也;誉者不能进,而诽者不能退也。然则君臣之间明别,明别则易治也,主虽不身下为,而守法为之可也。
---《管子.明法》
垂法而治。
凡将立国,制度不可不察也,治法不可不慎也,国务不可不谨也,事本不可不抟也。制度时,则国俗可化,而民从制;治法明,则官无邪;国务壹,则民应用;事本抟,则民喜农而乐战。夫圣人之立法、化俗,而使民朝夕从事于农也,不可不变也。夫民之从事死制也,以上之设荣名、置赏罚之明也,不用辩说私门而功立矣。故民之喜农而乐战也,见上之尊农战之士,而下辩说技艺之民,而贱游学之人也。故民壹务,其家必富,而身显于国。上开公利而塞私门,以致民力;私劳不显于国,私门不请于君。若此,而功臣劝,则上令行而荒草辟,淫民止而奸无萌。治国能抟民力而壹民务者,强;能事本而禁末者,富。
夫圣人之治国也,能抟力,能杀力。制度察则民力抟,抟而不化则不行,行而无富则生乱。故治国者,其抟力也,以富国强兵也;其杀力也,以事敌劝民也。夫开而不塞,则短长;长而不攻,则有奸。塞而不开,则民浑;浑而不用,则力多;力多而不攻,则有奸虱。故抟力以壹务也,杀力以攻敌也。
治国者贵民壹,民壹则朴,朴则农,农则易勤,勤则富。富者废之以爵,不淫;淫者废之以刑,而务农。故能抟力而不能用者必乱,能杀力而不能抟者必亡。故明君知齐二者,其国强;不知齐二者,其国削。
夫民之不治者,君道卑也;法之不明者,君长乱也。故明君不道卑、不长乱也;秉权而立,垂法而治,以得奸于上,而官无不;赏罚断,而器用有度。若此,则国制明而民力竭,上爵尊而伦徒举。今世主皆欲治民,而助之以乱;非乐以为乱也,安其故而不窥于时也。是上法古而得其塞,下修令而不时移,而不明世俗之变,不察治民之情,故多赏以致刑,轻刑以去赏。夫上设刑而民不服,赏匮而奸益多。故民之于上也,先刑而后赏。故圣人之为国也,不法古,不修今,因世而为之治,度俗而为之法。故法不察民之情而立之,则不成;治宜于时而行之,则不干。故圣王之治也,慎为、察务,归心于壹而已矣。
---《商君书.壹言》
法者,所以兴功惧暴;律者,所以定分止争也;令者,所以令人知事也。--《管子七臣七主》
法禁变易,号令数下者,可亡也。--《韩非子.亡征》
故圣人为法,必使之明白易知,名正,愚知遍能知之。--《商君书.定分》
不别亲疏,不殊贵贱,一断于法。--《法经》
君人者,舍法而以身治,则诛赏予夺,从君心出矣。然则受赏者虽当,望多无穷;受罚者虽当,望轻无已。君舍法,而以心裁轻重,则同功殊赏,同罪殊罚矣,怨之所由生也。是以分马者之用策,分田者之用钩,非以策、钩为过于人智也,所以去私塞怨也。故曰:大君任法而弗躬,则事断于法矣。法之所加,各以其分,蒙其赏罚而无望于君也,是以怨不生而上下和矣。
---先秦《慎子.君人》
以法治国。
所谓治国者,主道明也;所谓乱国者,臣术胜也。夫尊君卑臣,非计亲也,以势胜也;百官识,非惠也,刑罚必也。故君臣共道则乱,专授则失。夫国有四亡:令求不出谓之灭,出而道留谓之拥,下情求不上通谓之塞,下情上而道止谓之侵。故夫灭、侵、塞、拥之所生,从法之不立也。是故先王之治国也,不淫意于法之外,不为惠于法之内也。动无非法者,所以禁过而外私也。威不两错,政不二门。以法治国则举错而已。是故有法度之制者,不可巧以诈伪;有权衡之称者,不可欺以轻重;有寻丈之数者,不可差以长短。今主释法以誉进能,则臣离上而下比周矣;以党举官,则民务交而不求用矣。是故官之失其治也,是主以誉为赏,以毁为罚也。然则喜赏恶罚之人,离公道而行私木矣。比周以相为慝,是忘主私佼,以进其誉。故交众者誉多,外内朋党,虽有大奸,其蔽主多矣。是以忠臣死于非罪,而邪臣起于非功。所死者非罪,所起者非功也,然则为人臣者重私而轻公矣。十至私人之门,不一至于庭;百虑其家,不一图国。属数虽众,非以尊君也;百官虽具,非以任国也;此之谓国无人。国无人者,非朝臣之衰也,家与家务于相益,不务尊君也;大臣务相贵,而不任国;小臣持禄养交,不以官为事,故官失其能。是故先王之治国也,使法择人,不自举也;使法量功,不自度也。故能匿而不可蔽,败而不可饰也;誉者不能进,而诽者不能退也。然则君臣之间明别,明别则易治也,主虽不身下为,而守法为之可也。
---《管子.明法》
垂法而治。
凡将立国,制度不可不察也,治法不可不慎也,国务不可不谨也,事本不可不抟也。制度时,则国俗可化,而民从制;治法明,则官无邪;国务壹,则民应用;事本抟,则民喜农而乐战。夫圣人之立法、化俗,而使民朝夕从事于农也,不可不变也。夫民之从事死制也,以上之设荣名、置赏罚之明也,不用辩说私门而功立矣。故民之喜农而乐战也,见上之尊农战之士,而下辩说技艺之民,而贱游学之人也。故民壹务,其家必富,而身显于国。上开公利而塞私门,以致民力;私劳不显于国,私门不请于君。若此,而功臣劝,则上令行而荒草辟,淫民止而奸无萌。治国能抟民力而壹民务者,强;能事本而禁末者,富。
夫圣人之治国也,能抟力,能杀力。制度察则民力抟,抟而不化则不行,行而无富则生乱。故治国者,其抟力也,以富国强兵也;其杀力也,以事敌劝民也。夫开而不塞,则短长;长而不攻,则有奸。塞而不开,则民浑;浑而不用,则力多;力多而不攻,则有奸虱。故抟力以壹务也,杀力以攻敌也。
治国者贵民壹,民壹则朴,朴则农,农则易勤,勤则富。富者废之以爵,不淫;淫者废之以刑,而务农。故能抟力而不能用者必乱,能杀力而不能抟者必亡。故明君知齐二者,其国强;不知齐二者,其国削。
夫民之不治者,君道卑也;法之不明者,君长乱也。故明君不道卑、不长乱也;秉权而立,垂法而治,以得奸于上,而官无不;赏罚断,而器用有度。若此,则国制明而民力竭,上爵尊而伦徒举。今世主皆欲治民,而助之以乱;非乐以为乱也,安其故而不窥于时也。是上法古而得其塞,下修令而不时移,而不明世俗之变,不察治民之情,故多赏以致刑,轻刑以去赏。夫上设刑而民不服,赏匮而奸益多。故民之于上也,先刑而后赏。故圣人之为国也,不法古,不修今,因世而为之治,度俗而为之法。故法不察民之情而立之,则不成;治宜于时而行之,则不干。故圣王之治也,慎为、察务,归心于壹而已矣。
---《商君书.壹言》
法者,所以兴功惧暴;律者,所以定分止争也;令者,所以令人知事也。--《管子七臣七主》
法禁变易,号令数下者,可亡也。--《韩非子.亡征》
故圣人为法,必使之明白易知,名正,愚知遍能知之。--《商君书.定分》
不别亲疏,不殊贵贱,一断于法。--《法经》
my family受赏 脚本赏
黑岩勉 访问全文
「マイファミリー」で脚本賞を初受賞した感想を聞かせてください。
選んでいただいて、ありがとうございます。「週刊ザテレビジョン」は高校時代、お金がない中で買って読んでいただけに、すごくうれしいです。これまで脚本を担当した「グランメゾン東京」(2019年、TBS系)、「TOKYO MER~走る緊急救命室~」(2021年、TBS系)が作品賞を取ったときもうれしかったですが、脚本賞では縁がないのかなと思っていました。
「マイファミリー」は連続ドラマの新しいフォーマットを見せるという挑戦をした作品だったので、脚本を評価していただいたのはありがたいです。
投票した審査員や記者からは「連続ドラマの特性を生かし、事件を決着させながら次へとつないでいく展開が見事だった」と評価されました。原作のないドラマオリジナルですが、そもそもこの物語はどうやって発想したのですか?
昔から誘拐事件を描くサスペンスが好きで、誘拐ものがやりたかったんです。それを全10話の連続ドラマでやってみようと思いました。誘拐ものは映画のフォーマットには当てはまりやすいけれど、連続ドラマでは一つの事件で引っ張るのは難しい。何か新しいフォーマットを作れればいいなと考えたのが始まりでした。
リアルタイムで連続誘拐事件を見ているような感じで、1回も休みを入れずに作れるように構成を考えました。そして、二宮和也さんが主演だということも早い段階で決まったので、主人公・鳴沢温人のキャラクターは基本的に二宮さんに“当て書き”をしました。
温人は最初、娘を誘拐された“被害者”だったのに、第4話以降、犯人に利用され、まるで“共犯者”のような立場になってしまいます。そこが誘拐ものとして斬新でしたね。
僕も主人公の立場が入れ替わるところがポイントだと思いました。被害者だったはずが、犯人が誰だか分からないままにどんどん巻き込まれていく。そして、「マイファミリー」のタイトルどおり、犯人から「私たちはファミリーですから」と言われ仲間として扱われてしまう場面が一番ゾッとするところになるので、中盤のピークに持っていこうと考えました。
その後も温人の周囲の人が誘拐され、二転三転して最後に真犯人が判明しましたが、この展開は第1話執筆時から決めていましたか?
そうですね。最初の段階で結末までのプロットは完成していました。だから、脚本に取り掛かってから「どういう展開にしよう」と悩むことはなかったのですが、真相が明らかになるタイミングは悩みました。
東堂(濱田岳)の娘が過去に誘拐されたことはどの段階で明かすか、東堂はいつ自分の罪を告白するのか、それらを同時に伝えるのか小出しにするのかなど…。ドラマの撮影が始まると、役者さんの演技によってそこは調整しましたし、隠してもしょうがない部分は早めに明かすなど、いろいろ考えました。
スマホの通信機能やゲームアプリなどを駆使した展開は、考えるのが大変だったのではないでしょうか。
実は令和になってから身代金目的の誘拐事件は発生していないんですよね。昭和から平成の初期までしか起きていない。これだけ防犯カメラが多くなり、GPS追跡システムが発達し、ほとんどの人がスマホを持っている。そんな中で、誘拐事件が起きたらどうなるかということは、何度もシミュレーションしました。
犯人からの電話連絡も「無機質で無感情な声が最も怖いのでは」と思い、これまでのドラマではボイスチェンジャーを使っていたところを、AIによるテキスト読み上げ機能という設定にしました。
視聴者の皆さんも「誘拐犯は誰なのか」と盛り上がっていましたね。
その反応は感じていました。ただ、プロデューサーさんたちと一致していたのは「考察ドラマにはならないようにしよう」ということ。誘拐事件が起きてしまうけれど、結果的にそれによって各家族の絆が強くなる。温人の会社の仲間を含めてファミリーが絆を深める話にしたかった。
元々、この連続誘拐事件は一人の女の子が「家庭を壊したくない」と思ったことから始まっているわけで、その子の家はハッピーになれなかったけれど、彼女のその強い思いが、最終的にいろいろな家族を幸せに導いたというように見えればいいなとも思っていました。
ところで、黒岩さんは、こういったアクション・サスペンス作も書く一方で、アニメ「ONE PIECE」の脚本を手掛けたり、前作「消えた初恋」(2021年、テレビ朝日系)ではボーイズラブ(BL)に挑戦したりするなど、ジャンルレスに仕事をしてらっしゃいますね。
意識的に違うジャンルを選んでいるわけではないけれど、一つのジャンルしかできない人と思われたくはない。どんなジャンルも書ける作家になりたいですね。
以前から「ラブコメを書きたい」とも言ってきたんですが、なかなかチャンスがなく、「消えた初恋」は「深夜枠でBLですがラブコメです」と振っていただいたので、二つ返事で引き受けました。BLというジャンルではあったけれど、人間愛というか、「人を好きになるって素晴らしいことだよね」ということを描いたつもりです。
「マイファミリー」もそうですよね。サスペンス要素はあるけれど、家族愛で人間愛。「TOKYO MER―」もコロナ禍の中、奮闘している医療従事者の姿を描きたいという思いがありました。脚本家になったばかりの頃は、展開や構成に一番、興味があったんですけれど、最近は歳を取ったからか、人間ドラマを描きたいという思いが強くなりましたね。
2022年4月クールはTVerでの全局ライブ配信が始まる一方、地上波でのドラマ視聴率が全体的に下がってしまうなど、動きがありました。ドラマの作り手として、この状況をどう見ていますか?
そうですね。僕らドラマの脚本家は芸術家ではないので、世の中が求めている商品を作らないといけない。では、「求められているものは何か?」と考えると、やっぱりシンプルな家族の物語というよりは、もうちょっとスピード感のあるパッケージでないと見てもらえないだろうなと…。今回は、その仕掛けを作ったことで、根底にある家族のドラマを見てもらえたらという挑戦でした。
よく言われるように、TVerも録画視聴もあるから、「もはや視聴率は関係ないのか?」と考えると、やはり作り手には数字が宿命としてつきまとうし、「どうやってリアルタイムで見てもらうのか」という工夫を放棄してしまうのは違うという気がしますね。それを放棄したら、ドラマはどんどんダメになっていくような気がして、すごく怖い。
「マイファミリー」は4月クールで平均視聴率トップ。最終回の視聴率は16%を超えました。どうしたらこんなヒット作を作れるのでしょうか?
僕が偉そうに言うことではないですけど、やっぱり諦めずに工夫をするしかないですね。エンターテインメントとして工夫する、全てのシーンを面白くするという意気込みで作るしかないんですよね。
今は、面白いものが他にもたくさんあるから、一瞬でも「面白くない」と思われてしまう隙(すき)があると、見る人はそっぽを向いてしまう。テレビ屋にとっては本当にきつい状況だけれど、やっていくしかない。
そうやって、ドラマの作り手はみんな頑張っているとは思うけれど、特にこの日曜劇場枠はキャスト、スタッフの皆さんが深いこだわりを持ってクオリティーを追求してくれるので、脚本を書く立場としても喜びが大きい。今回、良いチームで仕事できたことが本当にうれしかったです。
黑岩勉 访问全文
「マイファミリー」で脚本賞を初受賞した感想を聞かせてください。
選んでいただいて、ありがとうございます。「週刊ザテレビジョン」は高校時代、お金がない中で買って読んでいただけに、すごくうれしいです。これまで脚本を担当した「グランメゾン東京」(2019年、TBS系)、「TOKYO MER~走る緊急救命室~」(2021年、TBS系)が作品賞を取ったときもうれしかったですが、脚本賞では縁がないのかなと思っていました。
「マイファミリー」は連続ドラマの新しいフォーマットを見せるという挑戦をした作品だったので、脚本を評価していただいたのはありがたいです。
投票した審査員や記者からは「連続ドラマの特性を生かし、事件を決着させながら次へとつないでいく展開が見事だった」と評価されました。原作のないドラマオリジナルですが、そもそもこの物語はどうやって発想したのですか?
昔から誘拐事件を描くサスペンスが好きで、誘拐ものがやりたかったんです。それを全10話の連続ドラマでやってみようと思いました。誘拐ものは映画のフォーマットには当てはまりやすいけれど、連続ドラマでは一つの事件で引っ張るのは難しい。何か新しいフォーマットを作れればいいなと考えたのが始まりでした。
リアルタイムで連続誘拐事件を見ているような感じで、1回も休みを入れずに作れるように構成を考えました。そして、二宮和也さんが主演だということも早い段階で決まったので、主人公・鳴沢温人のキャラクターは基本的に二宮さんに“当て書き”をしました。
温人は最初、娘を誘拐された“被害者”だったのに、第4話以降、犯人に利用され、まるで“共犯者”のような立場になってしまいます。そこが誘拐ものとして斬新でしたね。
僕も主人公の立場が入れ替わるところがポイントだと思いました。被害者だったはずが、犯人が誰だか分からないままにどんどん巻き込まれていく。そして、「マイファミリー」のタイトルどおり、犯人から「私たちはファミリーですから」と言われ仲間として扱われてしまう場面が一番ゾッとするところになるので、中盤のピークに持っていこうと考えました。
その後も温人の周囲の人が誘拐され、二転三転して最後に真犯人が判明しましたが、この展開は第1話執筆時から決めていましたか?
そうですね。最初の段階で結末までのプロットは完成していました。だから、脚本に取り掛かってから「どういう展開にしよう」と悩むことはなかったのですが、真相が明らかになるタイミングは悩みました。
東堂(濱田岳)の娘が過去に誘拐されたことはどの段階で明かすか、東堂はいつ自分の罪を告白するのか、それらを同時に伝えるのか小出しにするのかなど…。ドラマの撮影が始まると、役者さんの演技によってそこは調整しましたし、隠してもしょうがない部分は早めに明かすなど、いろいろ考えました。
スマホの通信機能やゲームアプリなどを駆使した展開は、考えるのが大変だったのではないでしょうか。
実は令和になってから身代金目的の誘拐事件は発生していないんですよね。昭和から平成の初期までしか起きていない。これだけ防犯カメラが多くなり、GPS追跡システムが発達し、ほとんどの人がスマホを持っている。そんな中で、誘拐事件が起きたらどうなるかということは、何度もシミュレーションしました。
犯人からの電話連絡も「無機質で無感情な声が最も怖いのでは」と思い、これまでのドラマではボイスチェンジャーを使っていたところを、AIによるテキスト読み上げ機能という設定にしました。
視聴者の皆さんも「誘拐犯は誰なのか」と盛り上がっていましたね。
その反応は感じていました。ただ、プロデューサーさんたちと一致していたのは「考察ドラマにはならないようにしよう」ということ。誘拐事件が起きてしまうけれど、結果的にそれによって各家族の絆が強くなる。温人の会社の仲間を含めてファミリーが絆を深める話にしたかった。
元々、この連続誘拐事件は一人の女の子が「家庭を壊したくない」と思ったことから始まっているわけで、その子の家はハッピーになれなかったけれど、彼女のその強い思いが、最終的にいろいろな家族を幸せに導いたというように見えればいいなとも思っていました。
ところで、黒岩さんは、こういったアクション・サスペンス作も書く一方で、アニメ「ONE PIECE」の脚本を手掛けたり、前作「消えた初恋」(2021年、テレビ朝日系)ではボーイズラブ(BL)に挑戦したりするなど、ジャンルレスに仕事をしてらっしゃいますね。
意識的に違うジャンルを選んでいるわけではないけれど、一つのジャンルしかできない人と思われたくはない。どんなジャンルも書ける作家になりたいですね。
以前から「ラブコメを書きたい」とも言ってきたんですが、なかなかチャンスがなく、「消えた初恋」は「深夜枠でBLですがラブコメです」と振っていただいたので、二つ返事で引き受けました。BLというジャンルではあったけれど、人間愛というか、「人を好きになるって素晴らしいことだよね」ということを描いたつもりです。
「マイファミリー」もそうですよね。サスペンス要素はあるけれど、家族愛で人間愛。「TOKYO MER―」もコロナ禍の中、奮闘している医療従事者の姿を描きたいという思いがありました。脚本家になったばかりの頃は、展開や構成に一番、興味があったんですけれど、最近は歳を取ったからか、人間ドラマを描きたいという思いが強くなりましたね。
2022年4月クールはTVerでの全局ライブ配信が始まる一方、地上波でのドラマ視聴率が全体的に下がってしまうなど、動きがありました。ドラマの作り手として、この状況をどう見ていますか?
そうですね。僕らドラマの脚本家は芸術家ではないので、世の中が求めている商品を作らないといけない。では、「求められているものは何か?」と考えると、やっぱりシンプルな家族の物語というよりは、もうちょっとスピード感のあるパッケージでないと見てもらえないだろうなと…。今回は、その仕掛けを作ったことで、根底にある家族のドラマを見てもらえたらという挑戦でした。
よく言われるように、TVerも録画視聴もあるから、「もはや視聴率は関係ないのか?」と考えると、やはり作り手には数字が宿命としてつきまとうし、「どうやってリアルタイムで見てもらうのか」という工夫を放棄してしまうのは違うという気がしますね。それを放棄したら、ドラマはどんどんダメになっていくような気がして、すごく怖い。
「マイファミリー」は4月クールで平均視聴率トップ。最終回の視聴率は16%を超えました。どうしたらこんなヒット作を作れるのでしょうか?
僕が偉そうに言うことではないですけど、やっぱり諦めずに工夫をするしかないですね。エンターテインメントとして工夫する、全てのシーンを面白くするという意気込みで作るしかないんですよね。
今は、面白いものが他にもたくさんあるから、一瞬でも「面白くない」と思われてしまう隙(すき)があると、見る人はそっぽを向いてしまう。テレビ屋にとっては本当にきつい状況だけれど、やっていくしかない。
そうやって、ドラマの作り手はみんな頑張っているとは思うけれど、特にこの日曜劇場枠はキャスト、スタッフの皆さんが深いこだわりを持ってクオリティーを追求してくれるので、脚本を書く立場としても喜びが大きい。今回、良いチームで仕事できたことが本当にうれしかったです。
佛言:善哉,阿难。汝等当知:一切众生从无始来生死相续,皆由不知常住真心,性净明体,用诸妄想,此想不真,故有轮回。一一《楞严经》
大家当知:一切众生从无始世以来,依惑造业,因业受报,因此无量劫中生与死相续不断,生了又死,死已复生,此皆由于不知自身中具有常住不生不灭的真心,其性本净,并具本明之体;众生以不自见真心故,反用诸妄想心去思惟分别一切法,然此等妄想实在不真,但是虚妄(因为妄想就是心中起惑,即起妄惑,故造妄业,而受妄报),故有六道生死轮回之事。
众生最大的问题,在于不见自心,以不见自心,故虽身受轮回而不自知。为什么?因见心名为悟,故“悟”字从心从吾,此字之义为“见吾心者,名之为悟”;反之不见自心者,即是迷,迷人以迷失自本心故,随逐五欲六尘而去,而不知返,不知返观自照,是故尽其一生悠悠忽忽,受六尘之摆布,为五欲之所驱使,空造许多业,空受许多苦,斯皆由于不见自心之过。
一一成观法师
大家当知:一切众生从无始世以来,依惑造业,因业受报,因此无量劫中生与死相续不断,生了又死,死已复生,此皆由于不知自身中具有常住不生不灭的真心,其性本净,并具本明之体;众生以不自见真心故,反用诸妄想心去思惟分别一切法,然此等妄想实在不真,但是虚妄(因为妄想就是心中起惑,即起妄惑,故造妄业,而受妄报),故有六道生死轮回之事。
众生最大的问题,在于不见自心,以不见自心,故虽身受轮回而不自知。为什么?因见心名为悟,故“悟”字从心从吾,此字之义为“见吾心者,名之为悟”;反之不见自心者,即是迷,迷人以迷失自本心故,随逐五欲六尘而去,而不知返,不知返观自照,是故尽其一生悠悠忽忽,受六尘之摆布,为五欲之所驱使,空造许多业,空受许多苦,斯皆由于不见自心之过。
一一成观法师
✋热门推荐