日语童话故#你经历过最离谱的恋爱是什么##社畜青年成长记##新加坡国立大学# 事 穿靴子的猫
長靴(ながぐつ)を履(は)いた猫(ねこ)
昔々のことです。
貧まずしい粉引こなひきが死んで、三人の息子が残のこされました。
そして、一番上いちばんうえの兄は、水車すいしゃ小屋ごやを、二番目の兄は、ろばをもらいました。
でも、末の男の子は猫を一匹もらっただけでした。
がっかりする末すえっ子こに猫が言いました。
「きっと、いいことがありますよ。」
「私に、大きな袋ふくろと、丈夫じょうぶな長靴ながぐつをください。」
猫がそう言うので、末っ子は用意よういしてやりました。
すると、猫は、野原のはらで袋を使って、うまく兎うさぎを捕つかまえました。
そして、王様おうさまの所に行って、言いました。
「これはカラバ公爵こうしゃく様からの贈おくり物ものです。」
カラバというのは猫が末っ子に勝手かってに付つけた名前です。
こうして、猫は王様に何度も贈り物をしました。
ある日、王様と王女おうじょ様が川のほとりを馬車ばしゃで通りかかりました。すると、「大変たいへんだ。カラバ様が水浴みずあびをしている間に、泥棒どろぼうに洋服を盗ぬすまれた!」と、猫が騒さわいでいます。
王様は気きの毒どくに思って、立派りっぱな洋服を末っ子に贈おくりました。もともと姿すがたのいい末っ子です。
立派な洋服を着ると、ことさらいい男に見えました。
王女様はうっとりと末っ子を見つめていました。
王様は末っ子を馬車ばしゃに乗せました。すると、猫は馬車の先を走っていきました。
そして、草を刈かっている人たちをこう言って脅しました。
「王様が来たら、ここはカラバ様の土地とちだと言え。そう言わないと八やつざきにするぞ。」
驚いた人たちは王様が尋たずねると、猫の言うとおりに答えました。
「すごく広ひろい土地だねえ。」王様は感心かんしんしました。
猫はまた先を急いそぎました。
今度は麦むぎを取り入れている人たちがいました。。
そこで、さっきと同じように「この麦はカラバ様のものだと言え!」と脅しました。王様が来ると、みな、猫に言われたように答えました。
猫に殺ころされてはたまりませんからね。「すごいものだ。」
王様は溜息ためいきをつきました。
やがて猫は人食くい鬼おにの城に着きました。大きな城です。
猫は鬼に言いました。
「あなたはライオンに化ばけられるって、本当ほんとうですか?」
「もちろんさ。」
鬼はそう言うと、いきなり大きなライオンに化けました。
「ガオーッ!」
ライオンの吼ほえ声ごえに、猫は震ふるえ上あがってしまいました。
「でも、鼠は無理むりでしょう?」
猫が言うと、鬼はさっとねずみに化けました。
そこで猫は、鬼に飛びついて、パクリと食べてしまいました。
王様の馬車が近ちかづくと、猫は城の外に出ました。
「カラバ公爵様のお城に、ようこそ!」
「すばらしい城ではないか。」
王様は喜んで城の中に入りました。
広間ひろまのテーブルには、たくさんのご馳走ちそうが並ならんでいました。
これは人食ひとくい鬼が自分のお客さんのために用意よういして置おいたものでした。
ご馳走をお腹なかいっぱい食べた後、王様が言いました。
「カラバ公爵、王女おうじょと結婚してくれないか。王女もあなたを好きなようだ。」
末っ子は喜んで、この申もうし出でを受けました。
二人は、その日のうちに結婚式けっこんしきをあげました。
そして、猫は貴族きぞくに取とり立たてられたということです。
長靴(ながぐつ)を履(は)いた猫(ねこ)
昔々のことです。
貧まずしい粉引こなひきが死んで、三人の息子が残のこされました。
そして、一番上いちばんうえの兄は、水車すいしゃ小屋ごやを、二番目の兄は、ろばをもらいました。
でも、末の男の子は猫を一匹もらっただけでした。
がっかりする末すえっ子こに猫が言いました。
「きっと、いいことがありますよ。」
「私に、大きな袋ふくろと、丈夫じょうぶな長靴ながぐつをください。」
猫がそう言うので、末っ子は用意よういしてやりました。
すると、猫は、野原のはらで袋を使って、うまく兎うさぎを捕つかまえました。
そして、王様おうさまの所に行って、言いました。
「これはカラバ公爵こうしゃく様からの贈おくり物ものです。」
カラバというのは猫が末っ子に勝手かってに付つけた名前です。
こうして、猫は王様に何度も贈り物をしました。
ある日、王様と王女おうじょ様が川のほとりを馬車ばしゃで通りかかりました。すると、「大変たいへんだ。カラバ様が水浴みずあびをしている間に、泥棒どろぼうに洋服を盗ぬすまれた!」と、猫が騒さわいでいます。
王様は気きの毒どくに思って、立派りっぱな洋服を末っ子に贈おくりました。もともと姿すがたのいい末っ子です。
立派な洋服を着ると、ことさらいい男に見えました。
王女様はうっとりと末っ子を見つめていました。
王様は末っ子を馬車ばしゃに乗せました。すると、猫は馬車の先を走っていきました。
そして、草を刈かっている人たちをこう言って脅しました。
「王様が来たら、ここはカラバ様の土地とちだと言え。そう言わないと八やつざきにするぞ。」
驚いた人たちは王様が尋たずねると、猫の言うとおりに答えました。
「すごく広ひろい土地だねえ。」王様は感心かんしんしました。
猫はまた先を急いそぎました。
今度は麦むぎを取り入れている人たちがいました。。
そこで、さっきと同じように「この麦はカラバ様のものだと言え!」と脅しました。王様が来ると、みな、猫に言われたように答えました。
猫に殺ころされてはたまりませんからね。「すごいものだ。」
王様は溜息ためいきをつきました。
やがて猫は人食くい鬼おにの城に着きました。大きな城です。
猫は鬼に言いました。
「あなたはライオンに化ばけられるって、本当ほんとうですか?」
「もちろんさ。」
鬼はそう言うと、いきなり大きなライオンに化けました。
「ガオーッ!」
ライオンの吼ほえ声ごえに、猫は震ふるえ上あがってしまいました。
「でも、鼠は無理むりでしょう?」
猫が言うと、鬼はさっとねずみに化けました。
そこで猫は、鬼に飛びついて、パクリと食べてしまいました。
王様の馬車が近ちかづくと、猫は城の外に出ました。
「カラバ公爵様のお城に、ようこそ!」
「すばらしい城ではないか。」
王様は喜んで城の中に入りました。
広間ひろまのテーブルには、たくさんのご馳走ちそうが並ならんでいました。
これは人食ひとくい鬼が自分のお客さんのために用意よういして置おいたものでした。
ご馳走をお腹なかいっぱい食べた後、王様が言いました。
「カラバ公爵、王女おうじょと結婚してくれないか。王女もあなたを好きなようだ。」
末っ子は喜んで、この申もうし出でを受けました。
二人は、その日のうちに結婚式けっこんしきをあげました。
そして、猫は貴族きぞくに取とり立たてられたということです。
科学猜想文集
(389) 《甘肃合水地区500万年古气候分析》之变化分析
甘肃合水地区的古气候,暖季温度不是很高,湿度不是很大,冷季气温不是很低,干燥中帶有一定的湿度,这是植物能四季生长的基本条件。如剑齿象群需要大量植物,三趾马不仅需要大量植物,还是在土壤湿度相对大一些的环境中活动的动物。似双峰骆鸵、安氏鸵鸟是耐旱耐高温的动物,由上述动物综合判断出:合水地区的上述气候应为暖温带气候。170万年的暖温帶气候与今天不太一样。我们再来看看黄万波等科学家对剑齿象生活环境研究,在合水的古河谷边发现一只完整的半躺着的剑齿象骨骼化石。在造山运动还没有形成之前,合水及陕西地区是不可能形成泥石流的,因此,剑齿象是陷入泥泞沼泽之中后被活活饿死埋藏 。而淤泥的形成需要温暖气候及水生草本植物的帮助,生成的淤泥才能将剑齿象陷入进去。剑齿象的大食量与群居生活也证明了该地区的草本植物生长茂盛,而且必须是四季生长茂盛,缺少这个条件剑齿象是无法在秦岭以北获得生存与繁荣。多位科学家对剑齿象生活的时期进行了植物孢粉的分析,结果发现草本植物的孢粉占70%以上,不仅是暖季有一幅风吹草低见牛羊的生态环境,而且四季如此。
仔细分析剑齿象生活环境的年代又与东非草原气候有些不同,东非高原太阳光辐射力度较强,没有暧季与凉季之分,只有雨季与旱季之分;昼夜温差之分。在剑齿象周围的沙土取样中有沙草科植物,沙草科植物属一年生长期,主要生长于热带或亚热带的浅水环境,一年生长期有利于沙草植物在亚热带地区繁荣,如生长于鄱阳湖的沙草植物等,说明剑齿象生活的环境有可能存在暖季与凉季两个生长周期。而发现的蒿草植物则是喜旱凉的草本植物,今天蒿草植物在亚热带地区也有生长,主要分布于长江以北的冷季。蒿草的发现证明剑齿象生活的年代四季气候有一定程度的变化,但变化的幅度不是很大,因为太寒冷的环与太干燥的环境也不适合蒿草的生长。
从古生物的出土分析,动物如似双峰骆驼、安氏鸵鸟、中间原鼢鼠等都是喜干燥环境的动物,但动物对生存环境的要求不是绝对的,例如:非洲象喜干燥环境,亚洲象喜潮湿环境,例如:2021年末,中国一只象群在向北迁徙的过中,中国政府采取保护其自然迁徙行为,但象群感觉到其它地区的气候(如干湿度)并不是它们需要的值,于是又折返回原来的生话居住地。生物对环境适应的多样性给我们提出一个挑战,完全使用将今论古的方法,来论述不同地史时期动物生存环境,其结论并不是完全正确的。亚洲象生存环境就证明剑齿象生活的年代气候环境不能肯定为干燥环,气温也不一定是绝对的热带环境,只要温差幅度不是很大,偏暖偏凉的气候环境都是同种生物种群都能适应的气候环境。
从大气压上看,在地势还处在低海拔位置时,丰富的暖湿气团不断北上,形成的空气湿度应该是非常高的,理论上推出距今500~170万年、合水地区的气候应该是较湿润的,如龟在干燥环境是无法生存的。那么,为什么合水地区会出现大量的喜干旱环境的动植物?如似双峰骆驼、凤杨等等,只有-种大气物理条件可以解释这一混合现象的发生。空气湿度与空气密度存在密不可分的关注。给一组数据,数据来自实验室形成饱和水蒸气压力表(按温度排列):
0 ℃::0.61 (饱和蒸气压)
5 ℃::0.87 (饱和蒸气压)
10 ℃::1.23 (饱和蒸气压)
15 ℃::1.71 (饱和蒸气压)
20 ℃::2.33 (饱和蒸气压)
25 ℃::3.17 (饱和蒸气压)
30 ℃:: 4.25(饱和蒸气压)
35 ℃::5.62 (饱和蒸气压)
这组数据虽然产生于实验室(其中的一小部分数据),如果我们将地球大气圈层看成是一个封闭的物理环境,那么,这组数据对地球大气环境的演化最一个最好的诠释。如果不同地史时期的大气圈层的空气密度与大气空空间都不一样,不是一个固定模式,而是一个变化模式,那么上述实验数据就是一个有意义的数据。
从另一个角度看,实验是在地球表层做的,因而,实验给出的数据是在现存重力场基础之上给出的数据,因而实验过程中大气压的强度是一个不变的常数,通过改变气体温度来检测空气密度与水分子的可容量,是研究大气物理环境的有效方法。虽然看上去是实验室的数据,但确实能指导认知现实环境的变化能力,如在30℃时绝对压强是4.25,水蒸汽的密度为0.03ρ/kg•m-3 也就是说气温越高,空气中水分子的容量越大,从上述几个数据就可以看出:这一特征。水分子的空气可容量是随着空气密度的增长而增长,当空气密度越大时,空气中水分子饱和量越大,当空气密度越小时,空气的水分子饱和量越小。剑齿象生活时期的秦岭以北地区,在造山运动发生之前,合水地区的海拔高度相对较低,其空气密度与今天一样的前提下,在暖湿气团不断北上的过程中,秦岭以北广大地区的空气湿度应与现在的长江流域相差无几,甚至可能略高一点,这也是蒿草能在此繁荣的主要因表。合水地区生物的多样性,证明在一个生态环境的,会有不同的生物种群在努力的适应这种生态环境,这就构造在一种生态环境中,会有生物种群多样性的繁荣。喜干燥环境动植物的出现合水地区,证明动植物能适应较为湿润的环境,我们认为只能适合热带地区的象群出现在合水地区,证明剑齿象生活的时期,秦岭以北确并不一定是干燥环境,而这种生态环境可能是空气密度比今天大的结果。
在黄河象(剑齿象的中国命名)身边依次分别呈现着黑土、黄土、粉粘土、红色土、砂质粘土以及白垩紫色、灰蓝色页岩,这些不同颜色的土来自不同的年代,从沉积物的记录来看,黄河象周围的沉积物是一种氧化条件下的沉积环境,如一些红色的、黄色的、粉粘土、紫色的沉积物属于氧化环境,黑土属
氧化还原明显,这些土质的组合指示出当时的气候湿润,剑齿象、长鼻三趾马、沙草科植物、蒿草都适合湿润环境,证明土壤中的水分大。到黑土时,土壤中的水分少、干燥,因此氧化还原效应小。丰富的氧化还原土壤从地质学上证明了黄河象生活的时期雨水充沛,日照强烈。为什么秦岭以北的广大地区,由500万年的热带草原气候演变成今天的半干旱冷凉气候?通过上述分析,我们找到了两个重要因素,一是对流层海拔高度的变化,对流层的海拔高度随纬度的增加而降低,对流层的海拔高度即空间与空气密度存在古今不同。距今500万年前,赤道地区对流层的海拔高度不是18~16公里,而是低于这个海拔高度,对流层的海拔高度到了中纬度地区更低,迫使暖湿气团止步于今天的甘、陕地区,形成秦岭以北500万年至170万年充沛降水。大气圈层的空气密度与对流层的高度继续扩展,暖气团的继续北上阻止了北极冰川的形成,同时也保护了甘、陕地区的温暖气候。
第二重要因素是造山运动对气候的影响,热带暖湿气团在向北运动的过程中呈递减状态,就象冷气团在南下的过程中逐步衰减的状态一样,在中纬度地区冷气团可以形成暴风雪,冷气团到了低纬度附近减弱成微弱的降温现象。今天秦岭以北的广大地区半湿闰半干旱大陆季风气候,是陆地大面积扩展与抬升的结果,构成暖湿气团在冷半年的运动过程中消耗过大,是产生的半年干旱半年湿润气候重要因素。距今500万年至170万年,中国南方或者东南方大部份国土还处在海平面上下,华北平原还没有完全形成,暖湿气团在向北运动的过程中,处在无障碍的条件下能迅速到达秦岭以北的广大地区,是形成充沛降水的基本地理环境、亚热带大陆性季风气候的主要原因。而在造山运动发生之后,中国地块的不断抬升阻止了暖湿气团向北运动的范围,使秦岭以北冷半年逐渐走向干旱气候。
(本篇是观看考古纪录片《古气候探秘》第10集《古象化石中的气侯密码》的观后感)
(389) 《甘肃合水地区500万年古气候分析》之变化分析
甘肃合水地区的古气候,暖季温度不是很高,湿度不是很大,冷季气温不是很低,干燥中帶有一定的湿度,这是植物能四季生长的基本条件。如剑齿象群需要大量植物,三趾马不仅需要大量植物,还是在土壤湿度相对大一些的环境中活动的动物。似双峰骆鸵、安氏鸵鸟是耐旱耐高温的动物,由上述动物综合判断出:合水地区的上述气候应为暖温带气候。170万年的暖温帶气候与今天不太一样。我们再来看看黄万波等科学家对剑齿象生活环境研究,在合水的古河谷边发现一只完整的半躺着的剑齿象骨骼化石。在造山运动还没有形成之前,合水及陕西地区是不可能形成泥石流的,因此,剑齿象是陷入泥泞沼泽之中后被活活饿死埋藏 。而淤泥的形成需要温暖气候及水生草本植物的帮助,生成的淤泥才能将剑齿象陷入进去。剑齿象的大食量与群居生活也证明了该地区的草本植物生长茂盛,而且必须是四季生长茂盛,缺少这个条件剑齿象是无法在秦岭以北获得生存与繁荣。多位科学家对剑齿象生活的时期进行了植物孢粉的分析,结果发现草本植物的孢粉占70%以上,不仅是暖季有一幅风吹草低见牛羊的生态环境,而且四季如此。
仔细分析剑齿象生活环境的年代又与东非草原气候有些不同,东非高原太阳光辐射力度较强,没有暧季与凉季之分,只有雨季与旱季之分;昼夜温差之分。在剑齿象周围的沙土取样中有沙草科植物,沙草科植物属一年生长期,主要生长于热带或亚热带的浅水环境,一年生长期有利于沙草植物在亚热带地区繁荣,如生长于鄱阳湖的沙草植物等,说明剑齿象生活的环境有可能存在暖季与凉季两个生长周期。而发现的蒿草植物则是喜旱凉的草本植物,今天蒿草植物在亚热带地区也有生长,主要分布于长江以北的冷季。蒿草的发现证明剑齿象生活的年代四季气候有一定程度的变化,但变化的幅度不是很大,因为太寒冷的环与太干燥的环境也不适合蒿草的生长。
从古生物的出土分析,动物如似双峰骆驼、安氏鸵鸟、中间原鼢鼠等都是喜干燥环境的动物,但动物对生存环境的要求不是绝对的,例如:非洲象喜干燥环境,亚洲象喜潮湿环境,例如:2021年末,中国一只象群在向北迁徙的过中,中国政府采取保护其自然迁徙行为,但象群感觉到其它地区的气候(如干湿度)并不是它们需要的值,于是又折返回原来的生话居住地。生物对环境适应的多样性给我们提出一个挑战,完全使用将今论古的方法,来论述不同地史时期动物生存环境,其结论并不是完全正确的。亚洲象生存环境就证明剑齿象生活的年代气候环境不能肯定为干燥环,气温也不一定是绝对的热带环境,只要温差幅度不是很大,偏暖偏凉的气候环境都是同种生物种群都能适应的气候环境。
从大气压上看,在地势还处在低海拔位置时,丰富的暖湿气团不断北上,形成的空气湿度应该是非常高的,理论上推出距今500~170万年、合水地区的气候应该是较湿润的,如龟在干燥环境是无法生存的。那么,为什么合水地区会出现大量的喜干旱环境的动植物?如似双峰骆驼、凤杨等等,只有-种大气物理条件可以解释这一混合现象的发生。空气湿度与空气密度存在密不可分的关注。给一组数据,数据来自实验室形成饱和水蒸气压力表(按温度排列):
0 ℃::0.61 (饱和蒸气压)
5 ℃::0.87 (饱和蒸气压)
10 ℃::1.23 (饱和蒸气压)
15 ℃::1.71 (饱和蒸气压)
20 ℃::2.33 (饱和蒸气压)
25 ℃::3.17 (饱和蒸气压)
30 ℃:: 4.25(饱和蒸气压)
35 ℃::5.62 (饱和蒸气压)
这组数据虽然产生于实验室(其中的一小部分数据),如果我们将地球大气圈层看成是一个封闭的物理环境,那么,这组数据对地球大气环境的演化最一个最好的诠释。如果不同地史时期的大气圈层的空气密度与大气空空间都不一样,不是一个固定模式,而是一个变化模式,那么上述实验数据就是一个有意义的数据。
从另一个角度看,实验是在地球表层做的,因而,实验给出的数据是在现存重力场基础之上给出的数据,因而实验过程中大气压的强度是一个不变的常数,通过改变气体温度来检测空气密度与水分子的可容量,是研究大气物理环境的有效方法。虽然看上去是实验室的数据,但确实能指导认知现实环境的变化能力,如在30℃时绝对压强是4.25,水蒸汽的密度为0.03ρ/kg•m-3 也就是说气温越高,空气中水分子的容量越大,从上述几个数据就可以看出:这一特征。水分子的空气可容量是随着空气密度的增长而增长,当空气密度越大时,空气中水分子饱和量越大,当空气密度越小时,空气的水分子饱和量越小。剑齿象生活时期的秦岭以北地区,在造山运动发生之前,合水地区的海拔高度相对较低,其空气密度与今天一样的前提下,在暖湿气团不断北上的过程中,秦岭以北广大地区的空气湿度应与现在的长江流域相差无几,甚至可能略高一点,这也是蒿草能在此繁荣的主要因表。合水地区生物的多样性,证明在一个生态环境的,会有不同的生物种群在努力的适应这种生态环境,这就构造在一种生态环境中,会有生物种群多样性的繁荣。喜干燥环境动植物的出现合水地区,证明动植物能适应较为湿润的环境,我们认为只能适合热带地区的象群出现在合水地区,证明剑齿象生活的时期,秦岭以北确并不一定是干燥环境,而这种生态环境可能是空气密度比今天大的结果。
在黄河象(剑齿象的中国命名)身边依次分别呈现着黑土、黄土、粉粘土、红色土、砂质粘土以及白垩紫色、灰蓝色页岩,这些不同颜色的土来自不同的年代,从沉积物的记录来看,黄河象周围的沉积物是一种氧化条件下的沉积环境,如一些红色的、黄色的、粉粘土、紫色的沉积物属于氧化环境,黑土属
氧化还原明显,这些土质的组合指示出当时的气候湿润,剑齿象、长鼻三趾马、沙草科植物、蒿草都适合湿润环境,证明土壤中的水分大。到黑土时,土壤中的水分少、干燥,因此氧化还原效应小。丰富的氧化还原土壤从地质学上证明了黄河象生活的时期雨水充沛,日照强烈。为什么秦岭以北的广大地区,由500万年的热带草原气候演变成今天的半干旱冷凉气候?通过上述分析,我们找到了两个重要因素,一是对流层海拔高度的变化,对流层的海拔高度随纬度的增加而降低,对流层的海拔高度即空间与空气密度存在古今不同。距今500万年前,赤道地区对流层的海拔高度不是18~16公里,而是低于这个海拔高度,对流层的海拔高度到了中纬度地区更低,迫使暖湿气团止步于今天的甘、陕地区,形成秦岭以北500万年至170万年充沛降水。大气圈层的空气密度与对流层的高度继续扩展,暖气团的继续北上阻止了北极冰川的形成,同时也保护了甘、陕地区的温暖气候。
第二重要因素是造山运动对气候的影响,热带暖湿气团在向北运动的过程中呈递减状态,就象冷气团在南下的过程中逐步衰减的状态一样,在中纬度地区冷气团可以形成暴风雪,冷气团到了低纬度附近减弱成微弱的降温现象。今天秦岭以北的广大地区半湿闰半干旱大陆季风气候,是陆地大面积扩展与抬升的结果,构成暖湿气团在冷半年的运动过程中消耗过大,是产生的半年干旱半年湿润气候重要因素。距今500万年至170万年,中国南方或者东南方大部份国土还处在海平面上下,华北平原还没有完全形成,暖湿气团在向北运动的过程中,处在无障碍的条件下能迅速到达秦岭以北的广大地区,是形成充沛降水的基本地理环境、亚热带大陆性季风气候的主要原因。而在造山运动发生之后,中国地块的不断抬升阻止了暖湿气团向北运动的范围,使秦岭以北冷半年逐渐走向干旱气候。
(本篇是观看考古纪录片《古气候探秘》第10集《古象化石中的气侯密码》的观后感)
///かちかち山///
昔、あるところに、お爺さんとお婆さんが、仲良く暮らしていたんだと。
ある日おばあさんは庭をはいて、豆粒三つ拾ったから、大事に手のひらに乗せて「おじいさん、おじいさん。これできな粉こしらえて、食べねえか。」と言った。
するとおじいさんが、「みんなきな粉にしたんでは惜しいから、半粒だけきな粉にして、残りの豆は種にしたらええ。」というので、おばあさんは一粒を半分にして、鍋でカランカラン煎ってから、手ぎねでスットントン、スットントンとついた。するとたまげたことに、つけばつくほどきな粉は増えてきて、たちまち一升ぐらいになったから、おじいさんとおばあさんは喜んで、うまい、うまいとしめてしまった。
次の日、二人は残りの豆を持って、山の畑にまきに行った。
おばさんが「半粒の豆こは一粒になーれ。」といえば、おじいさんが、「一粒の豆こは千粒になーれ。」と言って、二人で豆まきしていると、山からたぬきがガサゴソとやってきて、近くの切り株にちょこんと腰掛けた。そして、
「半粒の豆こはくーされろ
一粒の豆こは一粒のまーま」
とはやしたてから、おじいさんは怒って、こんちくしょうと追いかけた。たぬきはすぐにまたやってきて、はやしたて、しまいには赤んべをして、しっぽをふりふり山の中へにげていった。
おじいさんとおばあさんは仕方なく、家に帰った。それからおじいさんは、なんとかして狸をつかまえてやろうと、今度は鳥もちをどっさり持ってきて、切り株にべったりぬりつけた。そして、「一粒まいたら千粒になれー
二粒まいたら、二千粒になーれ」
と言いながら、種をまくふりをした。するとまた、狸がのこの子やってきて、切り株にちょこんと腰かけて、
「一粒まいたら、一粒のまーま
二粒まいても、二粒のまーま」
と歌った。
おじいさんは縄を持って、それっとたぬきにとびかかった。タヌキはさっと逃げようとのはたけれども、尻に鳥もちがねばりついて、どうにも逃げられない。とうとう捕まってしまった。
おじいさんは、タヌキをギリギリしばりあげると、どっこいしょとかついで、家に帰った。「おばあさんや、やっとタヌキを捕まえてきた。晩にはタヌキ汁が食いたいな。久しぶりに白い飯炊け。」と言って、たぬきを軒下につるすと、また畑に引き返した。
さておばあさんが一人でトントン、トントン米をついていると、タヌキが、「おばあさん、一人で着くのは大変だ。おらが手伝うから、この縄、ほどいてけろ。」と言った。「だめだ、そんなこと言って、お前にげるきだな。おじいさんに叱られるから、おら、いやだ。」「ええから、おら、逃げねえで、米つき手伝うから、ほどいてけろ。」と、タヌキがあまりやいやいせがむので、おばあさんは根負けして、とうとう縄を解いてやった。
タヌキはきぬを持つと、力任せについたから、米が臼からとび出した。おばあさんは、もったいないことだと、しゃがんで溢れた米を拾い始めた。タヌキはすかさず、きねでおばあさんを殴り殺してしまった。
タヌキは急いで、おばあさんの着物をはいで自分が着ると、すっかりおばあさんになりすまし、ばば汁をこしらえて、おじいさんの帰りを待っていた。そこへ、おじいさんが、寒い、寒いと帰ってきた。
おばあさんに化けたタヌキは、「さあさあ、おじいさん、あったかいタヌキ汁でも食べてけろ。」と勧めた。おじいさんが、「おばあさんや、お前、声が悪いなあ、」というと、タヌキは、「風、引いたんだ。」と返事した。「おばあさん、この肉はどうも硬いなあ。」とお爺さんがいうと、「古ダヌキだもの。」と、上手く誤魔化したから、おじいさんは、ばば汁を腹一杯食べて寝てしまった。
さて朝になると、タヌキは早くから起き出して、
「ばば汁食って美味かった。
まーだ奥歯に はさまってる
庭のすみこの 着物みろ
流しの下の 骨こみろ。」
とはやして、逃げていった。
おじいさんが飛び起きて、庭のすみと流しの下を見たら、おばあさんの着物と骨が出てきたから、おじいさんはぶったまげて、「オーん、オーん。」と泣いていた。
すると、いつぞや助けてやったうさぎが飛んできて、「おじいさん、なしてそんなに泣くんだ。」と聞いた。おじいさんは、これこれこういうわけで、タヌキの奴におばあさんを殺された上に、ばば汁まで食わされた、と泣き泣き話した。うさぎは、「よし、おじいさん、俺が是非とも仇をとってやるから。」と約束して、山へ帰っていった。
さて、うさぎが、かや山でかやを刈っていると、そこへタヌキがやってきた。うさぎは、しめたとばかり、「やあ、たぬき丼、いいところで出会った。冬が来たら寒くなったから、かやで囲いして、暖かくしねえか。」と誘った。するとタヌキは、「そうか、ええこと聞いた。おれもかや刈って、囲い作りてえ。」とうまく乗ってきた。二匹は一緒にかやを刈り、天でに背負うと、うさぎはタヌキのあとから、一足遅れて山を下った。
山の途中まで来ると、うさぎは火打ち石をカチッカチッと打って、タヌキのかやに火をつけた。すると、タヌキが、「うさぎどん、カチカチというのはなんの音だや。」と聞いた。「ああ、かちかち山で、カチカチ鳥が泣いているんだ。」と、うさぎは知らん顔で答えた。そのうちに、かやがボウボウも得てきたから、タヌキは、「うさぎどん、ボウボウというのは、なんの音だや。」と聞いた。「ああ、ぼうぼう山で、ぼうぼう鳥が鳴いているんだ。」いうが早いか、うさぎはピョーンとどこかへにげてしまった。そのうちにかやがバヤバヤ、バリバリともえあがり、タヌキは背中に大やけどをした。
それからしばらくして、タヌキはやっと歩けるようになると、なんとかしてうさぎをやっつけてやろうと、山をあちこち探し回った。
タヌキがとうがらし山に来てみると、うさぎがカラカラと、味噌をすっていた。タヌキはウサギの尻尾をふみけて、「やい、うさぎ。よくもお前、かや山で、俺の背中さ、やけどさせたな。もとの体にして返せ。」とわめいた。うさぎはとぼけて、「何、かや山のうさぎは、かや山のうさぎ。俺はとうがらし山のうさぎだから、そんなにこと知らねえな。さあ、しっぽをはなせ。」といった。タヌキは、「それもそうだな。」とあきらめて、「ところで、うさぎどんは、何してる。」と聞いた。「俺、ちょうど今、やけどの薬薬こしらえたところだ。」と、うさぎが言うと、タヌキは喜んで、「そしゃあ、ありがてえ。俺の背中さ、すぐ塗ってけろ。」と頼んだ。
うさぎは、とうがらしをしっかりすりこんだみそを、大きなヘラにたっぶりのせて、タヌキの背中に塗りつけると、さっと逃げていった。タヌキは、やけどであか向けになったところへ、とうがらしみそをつけられたので、いたくていたくて、転がりながら帰っていった。
しばらくしてきずの痛みが少しよくなると、タヌキは、今度こそ仇をとってやろうと、血まなこになってうさぎを探し回った。
タヌキが杉山に来て見ると、うさぎがカーンカーンと杉の木をきりたおしていた。タヌキはウサギのしっぽをふみつけて、「やい、うさぎ。よくもお前、とうがらし山で俺の背中さ、とうがらしみそを塗ったな。火傷の薬だなんて嘘ついて、ひどいめにあったぞ。」とわめいた。うさぎはとぼけて、「とうがらし山のうさぎは、とうがらし山のうさぎ。俺は杉山のうさぎだから、そんなこと知らねえな。さあ、しっぽをはなせ。」といった。タヌキは、「それもそうだな。」とあきらめて、「ところで、うさぎどんは、何してる。」と聞いた。「俺は杉の木けずって、舟作ってるんだ。今年の冬は、雪が多くって、山のものが取れねえっていうから、海のものでもとって食おうと思ってな。」と、うさぎがいうと、タヌキは、「なら、俺も舟にしらえてえ。」と言い出した。「ああ、ええとも。おらが手伝ってやるから、タヌキどんは、泥、運んでけろ。」
うさぎに言われて、タヌキが泥をいっぱい掘ってくると、うさぎは一緒になって泥の舟をこしらえた。それから二人は、めいめい自分の舟を運んでいって、海に浮かべてこぎ出した。
「木の舟こは すうっと走れ
ハア、エンヤ コラサノ エー
泥の舟こは ざっくりさけろ
ハア、エンヤ コラサノ エー」
うさぎが歌うと、タヌキが、「なしてそんな歌、歌うんだ。」と聞いた。
「だって、これ舟歌だもの。」というと、うさぎは今度は舟ばたをたたきながら、
「木の舟こは パッカパカ
泥の舟こは パッカパカ。」
と歌った。
「うさぎどん、なして舟ばた、たたくんだ。」
「こうしてたたくとな、魚がいっぺえ、よってくるんだ」
タヌキはそれもそうだと、思いっきり舟ばたを叩いたから、泥舟はざっくりさけて、とうとうブクブクっとしずんでしまった。タヌキも一緒に、沈んでしまったと。
こんで、一期さけえた。
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昔、あるところに、お爺さんとお婆さんが、仲良く暮らしていたんだと。
ある日おばあさんは庭をはいて、豆粒三つ拾ったから、大事に手のひらに乗せて「おじいさん、おじいさん。これできな粉こしらえて、食べねえか。」と言った。
するとおじいさんが、「みんなきな粉にしたんでは惜しいから、半粒だけきな粉にして、残りの豆は種にしたらええ。」というので、おばあさんは一粒を半分にして、鍋でカランカラン煎ってから、手ぎねでスットントン、スットントンとついた。するとたまげたことに、つけばつくほどきな粉は増えてきて、たちまち一升ぐらいになったから、おじいさんとおばあさんは喜んで、うまい、うまいとしめてしまった。
次の日、二人は残りの豆を持って、山の畑にまきに行った。
おばさんが「半粒の豆こは一粒になーれ。」といえば、おじいさんが、「一粒の豆こは千粒になーれ。」と言って、二人で豆まきしていると、山からたぬきがガサゴソとやってきて、近くの切り株にちょこんと腰掛けた。そして、
「半粒の豆こはくーされろ
一粒の豆こは一粒のまーま」
とはやしたてから、おじいさんは怒って、こんちくしょうと追いかけた。たぬきはすぐにまたやってきて、はやしたて、しまいには赤んべをして、しっぽをふりふり山の中へにげていった。
おじいさんとおばあさんは仕方なく、家に帰った。それからおじいさんは、なんとかして狸をつかまえてやろうと、今度は鳥もちをどっさり持ってきて、切り株にべったりぬりつけた。そして、「一粒まいたら千粒になれー
二粒まいたら、二千粒になーれ」
と言いながら、種をまくふりをした。するとまた、狸がのこの子やってきて、切り株にちょこんと腰かけて、
「一粒まいたら、一粒のまーま
二粒まいても、二粒のまーま」
と歌った。
おじいさんは縄を持って、それっとたぬきにとびかかった。タヌキはさっと逃げようとのはたけれども、尻に鳥もちがねばりついて、どうにも逃げられない。とうとう捕まってしまった。
おじいさんは、タヌキをギリギリしばりあげると、どっこいしょとかついで、家に帰った。「おばあさんや、やっとタヌキを捕まえてきた。晩にはタヌキ汁が食いたいな。久しぶりに白い飯炊け。」と言って、たぬきを軒下につるすと、また畑に引き返した。
さておばあさんが一人でトントン、トントン米をついていると、タヌキが、「おばあさん、一人で着くのは大変だ。おらが手伝うから、この縄、ほどいてけろ。」と言った。「だめだ、そんなこと言って、お前にげるきだな。おじいさんに叱られるから、おら、いやだ。」「ええから、おら、逃げねえで、米つき手伝うから、ほどいてけろ。」と、タヌキがあまりやいやいせがむので、おばあさんは根負けして、とうとう縄を解いてやった。
タヌキはきぬを持つと、力任せについたから、米が臼からとび出した。おばあさんは、もったいないことだと、しゃがんで溢れた米を拾い始めた。タヌキはすかさず、きねでおばあさんを殴り殺してしまった。
タヌキは急いで、おばあさんの着物をはいで自分が着ると、すっかりおばあさんになりすまし、ばば汁をこしらえて、おじいさんの帰りを待っていた。そこへ、おじいさんが、寒い、寒いと帰ってきた。
おばあさんに化けたタヌキは、「さあさあ、おじいさん、あったかいタヌキ汁でも食べてけろ。」と勧めた。おじいさんが、「おばあさんや、お前、声が悪いなあ、」というと、タヌキは、「風、引いたんだ。」と返事した。「おばあさん、この肉はどうも硬いなあ。」とお爺さんがいうと、「古ダヌキだもの。」と、上手く誤魔化したから、おじいさんは、ばば汁を腹一杯食べて寝てしまった。
さて朝になると、タヌキは早くから起き出して、
「ばば汁食って美味かった。
まーだ奥歯に はさまってる
庭のすみこの 着物みろ
流しの下の 骨こみろ。」
とはやして、逃げていった。
おじいさんが飛び起きて、庭のすみと流しの下を見たら、おばあさんの着物と骨が出てきたから、おじいさんはぶったまげて、「オーん、オーん。」と泣いていた。
すると、いつぞや助けてやったうさぎが飛んできて、「おじいさん、なしてそんなに泣くんだ。」と聞いた。おじいさんは、これこれこういうわけで、タヌキの奴におばあさんを殺された上に、ばば汁まで食わされた、と泣き泣き話した。うさぎは、「よし、おじいさん、俺が是非とも仇をとってやるから。」と約束して、山へ帰っていった。
さて、うさぎが、かや山でかやを刈っていると、そこへタヌキがやってきた。うさぎは、しめたとばかり、「やあ、たぬき丼、いいところで出会った。冬が来たら寒くなったから、かやで囲いして、暖かくしねえか。」と誘った。するとタヌキは、「そうか、ええこと聞いた。おれもかや刈って、囲い作りてえ。」とうまく乗ってきた。二匹は一緒にかやを刈り、天でに背負うと、うさぎはタヌキのあとから、一足遅れて山を下った。
山の途中まで来ると、うさぎは火打ち石をカチッカチッと打って、タヌキのかやに火をつけた。すると、タヌキが、「うさぎどん、カチカチというのはなんの音だや。」と聞いた。「ああ、かちかち山で、カチカチ鳥が泣いているんだ。」と、うさぎは知らん顔で答えた。そのうちに、かやがボウボウも得てきたから、タヌキは、「うさぎどん、ボウボウというのは、なんの音だや。」と聞いた。「ああ、ぼうぼう山で、ぼうぼう鳥が鳴いているんだ。」いうが早いか、うさぎはピョーンとどこかへにげてしまった。そのうちにかやがバヤバヤ、バリバリともえあがり、タヌキは背中に大やけどをした。
それからしばらくして、タヌキはやっと歩けるようになると、なんとかしてうさぎをやっつけてやろうと、山をあちこち探し回った。
タヌキがとうがらし山に来てみると、うさぎがカラカラと、味噌をすっていた。タヌキはウサギの尻尾をふみけて、「やい、うさぎ。よくもお前、かや山で、俺の背中さ、やけどさせたな。もとの体にして返せ。」とわめいた。うさぎはとぼけて、「何、かや山のうさぎは、かや山のうさぎ。俺はとうがらし山のうさぎだから、そんなにこと知らねえな。さあ、しっぽをはなせ。」といった。タヌキは、「それもそうだな。」とあきらめて、「ところで、うさぎどんは、何してる。」と聞いた。「俺、ちょうど今、やけどの薬薬こしらえたところだ。」と、うさぎが言うと、タヌキは喜んで、「そしゃあ、ありがてえ。俺の背中さ、すぐ塗ってけろ。」と頼んだ。
うさぎは、とうがらしをしっかりすりこんだみそを、大きなヘラにたっぶりのせて、タヌキの背中に塗りつけると、さっと逃げていった。タヌキは、やけどであか向けになったところへ、とうがらしみそをつけられたので、いたくていたくて、転がりながら帰っていった。
しばらくしてきずの痛みが少しよくなると、タヌキは、今度こそ仇をとってやろうと、血まなこになってうさぎを探し回った。
タヌキが杉山に来て見ると、うさぎがカーンカーンと杉の木をきりたおしていた。タヌキはウサギのしっぽをふみつけて、「やい、うさぎ。よくもお前、とうがらし山で俺の背中さ、とうがらしみそを塗ったな。火傷の薬だなんて嘘ついて、ひどいめにあったぞ。」とわめいた。うさぎはとぼけて、「とうがらし山のうさぎは、とうがらし山のうさぎ。俺は杉山のうさぎだから、そんなこと知らねえな。さあ、しっぽをはなせ。」といった。タヌキは、「それもそうだな。」とあきらめて、「ところで、うさぎどんは、何してる。」と聞いた。「俺は杉の木けずって、舟作ってるんだ。今年の冬は、雪が多くって、山のものが取れねえっていうから、海のものでもとって食おうと思ってな。」と、うさぎがいうと、タヌキは、「なら、俺も舟にしらえてえ。」と言い出した。「ああ、ええとも。おらが手伝ってやるから、タヌキどんは、泥、運んでけろ。」
うさぎに言われて、タヌキが泥をいっぱい掘ってくると、うさぎは一緒になって泥の舟をこしらえた。それから二人は、めいめい自分の舟を運んでいって、海に浮かべてこぎ出した。
「木の舟こは すうっと走れ
ハア、エンヤ コラサノ エー
泥の舟こは ざっくりさけろ
ハア、エンヤ コラサノ エー」
うさぎが歌うと、タヌキが、「なしてそんな歌、歌うんだ。」と聞いた。
「だって、これ舟歌だもの。」というと、うさぎは今度は舟ばたをたたきながら、
「木の舟こは パッカパカ
泥の舟こは パッカパカ。」
と歌った。
「うさぎどん、なして舟ばた、たたくんだ。」
「こうしてたたくとな、魚がいっぺえ、よってくるんだ」
タヌキはそれもそうだと、思いっきり舟ばたを叩いたから、泥舟はざっくりさけて、とうとうブクブクっとしずんでしまった。タヌキも一緒に、沈んでしまったと。
こんで、一期さけえた。
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