【中村屋酒店の兄弟】
たった1行のセリフに隠された感情 藤原季節が23歳新人監督から気付かされたこと
昨年、「くれなずめ」「明日の食卓」「空白」「のさりの島」など映画に出演、ドラマでも活躍する藤原季節(29)。本作の映画「中村屋酒店の兄弟」(白磯大知監督)は第30回東京学生映画祭でグランプリなどを受賞し、撮影から3年たっての劇場公開が決まった。監督からオファーを受けた当初、「出演をお断りした」と明かす。そのワケは?
映画「中村屋酒店の兄弟」、オファー当初は「出演をお断りした」
昨年、「くれなずめ」「明日の食卓」「空白」「のさりの島」など映画に出演、ドラマでも活躍する藤原季節(29)。本作の映画「中村屋酒店の兄弟」(白磯大知監督)は第30回東京学生映画祭でグランプリなどを受賞し、撮影から3年たっての劇場公開が決まった。監督からオファーを受けた当初、「出演をお断りした」と明かす。そのワケは?(取材・文=平辻哲也)
同作は昨今、なくなりつつある酒店を舞台に、親からの店を継いだ兄・弘文(長尾卓磨)と東京からワケあって帰ってきた弟・和馬(藤原)を描く45分の中編。兄弟の近くて遠い距離感を絶妙に描き、第13回田辺・弁慶映画祭TBSラジオ賞、第30回東京学生映画祭グランプリ、第11回下北沢映画祭観客賞などを受賞。この快挙に、W主演の長尾が劇場公開へと動き、3月4日、東京・シネクイントでのレイトショー先行公開、同18日からの全国17館での順次公開が決まった。
「長尾さんをはじめとしたみなさんの努力の積み重ねですね。今だからこそ、誰かの心に届くかもしれない。その可能性を感じてくれた人が積み重なって全国まで行けたんだと思います」
しかし、3年前は劇場公開など思いもよらないことだった。監督は17歳から俳優活動し、独学で脚本を学んだという当時23歳の白磯大知。スタッフも映画未経験という自主映画だった。
「共通の知人を介してオファーを頂きました。最初は『この作品の面白さを理解することができません』とお断りしました。この脚本は、何も激しいことは起こらない。当時は何を撮りたいかつかめなかったんですよ。今思えば、安易な考えだったし、監督の白磯君に敬意をちゃんと払っていなかったんですよね。自分の未熟さですけども」
その後、一度も会わずに断ったことが脳裏に引っかかり、改めて渋谷のカフェで監督との時間を作ってもらった。「そこで白磯君がどういうことを描きたいかっていうことを丁寧に教えてくれたんですが、人となりがとても魅力的だった。『兄弟の距離感を描きたい』という言葉を聞いて、その場でもう一度読み直しました。そうしたら、たった1行のセリフにたくさんの語られてない感情が隠れているんだと気づき、僕にとってチャレンジになるのでやらせてください、とお願いしたんです」。
北海道札幌市出身、19歳で上京「最初から俳優をやるつもりで東京に出てきた」
劇中では、微妙なすれ違いの感情が描かれる。「トークイベントのゲストに来てくれた村上虹郎君が『褒めてばかりでもつまらないので、思ったことを言います。兄弟が楽しすぎる気がした』と言ってくれたんですね。その事をずっと考えました。それで分かったのは、楽しんでいるんじゃなくて、楽しんでいるふりをしているんだな、ということ。その裏にはきっと語られてない感情がたくさんあって、家族や兄弟としゃべっている時の自分も、何かを演じているんだなってことです。そんなことがちょっとずつ見えてきました」。
妹と姉がいるそうで、和馬の気持ちには「自分にも思い当たる節がありますね。気恥ずかしさだったり、東京で好き勝手やっていることの後ろめたさ、それをカモフラージュするためにちょっと明るく話してみたり……」。
自身は北海道札幌市出身。実家を飛び出したことも共通点。19歳の時に大学進学を機に上京したのだ。「最初から俳優をやるつもりで東京に出てきたんです。正確には大学には入学しているんですけど、3か月も通っていませんね……。なので、親には入学金の無駄遣いをさせてしまいました。泣いてましたね。だから、東京と実家で安息の地を探している和馬の気持ちは分かる部分もありました。実家に帰っても、どこかで何かを演じなきゃならない。自分の居場所を彼も探していたんだと思います」。
2013年に本格的に俳優活動をスタートし、以降、映画、ドラマ、舞台でキャリアを積み上げてきた。20年に第42回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を、21年には、第13回TAMA映画賞最優秀新進男優賞を授賞した。
今は、居場所を見つけられたのではないか。「確かに、カメラの前での居場所はできたように思えます。でも、僕ら俳優は、現実に帰ってこなきゃいけないですから。現実の世の中で生活をして生きていかなきゃいけないわけで、その居場所は自分自身でもう1回見つけないといけないと思っています」。
「中村屋酒店の兄弟」はいろんな気付きを与えてくれた作品になった。特に教えてくれたのは兄役の長尾だ。「スタッフは映画が初めての人が多く、不慣れな部分もあったんですけども、長尾さんは最後まで一つも文句を言わなかったんです。だから、僕も何も言わないようにしたんです。そうしたら、3日目から、スタッフが“段取りファースト”から“お芝居ファースト”に変わっていった。それは、僕たちの意識が伝わったんだと思います。はっきり伝えるっていうのは、自分の気持ちを伝えたいだけで、コミュニケーションって、そういうことだけではないんだと思いました」。
出演後は新たな関係性も生まれている。「長尾さんとは全然似ていないんですけど、映画を見ていると、兄弟に見えてくるから不思議ですね。日常生活でも、長男・長尾さん、次男・僕、三男・白磯君の三兄弟みたいな感じなんです。頻繁に連絡を取ったり、お酒を飲んだりするわけじゃないけど、久々に会うことができたら、みんなで近況報告を恥じらいながらする。そんな関係ができあがりました」。
コロナ禍となり自宅で映画鑑賞「インディーズ、メジャーに関わらず必要なもの」
映画は自身の原点だ。「(コロナ禍で)自宅での時間が増えると、大作ばかり観ていました。大好きなアル・パチーノの出演作とかを見ていましたが、先日は、インディーズ映画を見て、衝撃を受けました。『フタリノセカイ』(公開中)というトランスジェンダーの男性とシスジェンダーの女性カップルの話で、2人には子供が作れない。そこである決断をするシーンがあるんですけども、幸せにはあらゆるカタチがあっていいんだという希望の描き方に感動しました。そんな体験をすると、インディーズ、メジャーに関わらず、映画体験は必要なものだと改めて実感しました」。
藤原もそんな体験を与えられるような新しい映画との出会いを求めている。「新しい何かに出会うときって、自分を解体しないと出会えないんじゃないかな、と思っています。常に自分を疑ってみたり、自分は間違っているかもしれないと考え続けて、誰かが書いたセリフを言ってみた時に出会えるような気がします。そんな破壊と再生の旅を続けたいと思っています」。
「中村屋酒店の兄弟」は佳作というべき小作だが、藤原にとってはターニングポイントになったようだ。
たった1行のセリフに隠された感情 藤原季節が23歳新人監督から気付かされたこと
昨年、「くれなずめ」「明日の食卓」「空白」「のさりの島」など映画に出演、ドラマでも活躍する藤原季節(29)。本作の映画「中村屋酒店の兄弟」(白磯大知監督)は第30回東京学生映画祭でグランプリなどを受賞し、撮影から3年たっての劇場公開が決まった。監督からオファーを受けた当初、「出演をお断りした」と明かす。そのワケは?
映画「中村屋酒店の兄弟」、オファー当初は「出演をお断りした」
昨年、「くれなずめ」「明日の食卓」「空白」「のさりの島」など映画に出演、ドラマでも活躍する藤原季節(29)。本作の映画「中村屋酒店の兄弟」(白磯大知監督)は第30回東京学生映画祭でグランプリなどを受賞し、撮影から3年たっての劇場公開が決まった。監督からオファーを受けた当初、「出演をお断りした」と明かす。そのワケは?(取材・文=平辻哲也)
同作は昨今、なくなりつつある酒店を舞台に、親からの店を継いだ兄・弘文(長尾卓磨)と東京からワケあって帰ってきた弟・和馬(藤原)を描く45分の中編。兄弟の近くて遠い距離感を絶妙に描き、第13回田辺・弁慶映画祭TBSラジオ賞、第30回東京学生映画祭グランプリ、第11回下北沢映画祭観客賞などを受賞。この快挙に、W主演の長尾が劇場公開へと動き、3月4日、東京・シネクイントでのレイトショー先行公開、同18日からの全国17館での順次公開が決まった。
「長尾さんをはじめとしたみなさんの努力の積み重ねですね。今だからこそ、誰かの心に届くかもしれない。その可能性を感じてくれた人が積み重なって全国まで行けたんだと思います」
しかし、3年前は劇場公開など思いもよらないことだった。監督は17歳から俳優活動し、独学で脚本を学んだという当時23歳の白磯大知。スタッフも映画未経験という自主映画だった。
「共通の知人を介してオファーを頂きました。最初は『この作品の面白さを理解することができません』とお断りしました。この脚本は、何も激しいことは起こらない。当時は何を撮りたいかつかめなかったんですよ。今思えば、安易な考えだったし、監督の白磯君に敬意をちゃんと払っていなかったんですよね。自分の未熟さですけども」
その後、一度も会わずに断ったことが脳裏に引っかかり、改めて渋谷のカフェで監督との時間を作ってもらった。「そこで白磯君がどういうことを描きたいかっていうことを丁寧に教えてくれたんですが、人となりがとても魅力的だった。『兄弟の距離感を描きたい』という言葉を聞いて、その場でもう一度読み直しました。そうしたら、たった1行のセリフにたくさんの語られてない感情が隠れているんだと気づき、僕にとってチャレンジになるのでやらせてください、とお願いしたんです」。
北海道札幌市出身、19歳で上京「最初から俳優をやるつもりで東京に出てきた」
劇中では、微妙なすれ違いの感情が描かれる。「トークイベントのゲストに来てくれた村上虹郎君が『褒めてばかりでもつまらないので、思ったことを言います。兄弟が楽しすぎる気がした』と言ってくれたんですね。その事をずっと考えました。それで分かったのは、楽しんでいるんじゃなくて、楽しんでいるふりをしているんだな、ということ。その裏にはきっと語られてない感情がたくさんあって、家族や兄弟としゃべっている時の自分も、何かを演じているんだなってことです。そんなことがちょっとずつ見えてきました」。
妹と姉がいるそうで、和馬の気持ちには「自分にも思い当たる節がありますね。気恥ずかしさだったり、東京で好き勝手やっていることの後ろめたさ、それをカモフラージュするためにちょっと明るく話してみたり……」。
自身は北海道札幌市出身。実家を飛び出したことも共通点。19歳の時に大学進学を機に上京したのだ。「最初から俳優をやるつもりで東京に出てきたんです。正確には大学には入学しているんですけど、3か月も通っていませんね……。なので、親には入学金の無駄遣いをさせてしまいました。泣いてましたね。だから、東京と実家で安息の地を探している和馬の気持ちは分かる部分もありました。実家に帰っても、どこかで何かを演じなきゃならない。自分の居場所を彼も探していたんだと思います」。
2013年に本格的に俳優活動をスタートし、以降、映画、ドラマ、舞台でキャリアを積み上げてきた。20年に第42回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を、21年には、第13回TAMA映画賞最優秀新進男優賞を授賞した。
今は、居場所を見つけられたのではないか。「確かに、カメラの前での居場所はできたように思えます。でも、僕ら俳優は、現実に帰ってこなきゃいけないですから。現実の世の中で生活をして生きていかなきゃいけないわけで、その居場所は自分自身でもう1回見つけないといけないと思っています」。
「中村屋酒店の兄弟」はいろんな気付きを与えてくれた作品になった。特に教えてくれたのは兄役の長尾だ。「スタッフは映画が初めての人が多く、不慣れな部分もあったんですけども、長尾さんは最後まで一つも文句を言わなかったんです。だから、僕も何も言わないようにしたんです。そうしたら、3日目から、スタッフが“段取りファースト”から“お芝居ファースト”に変わっていった。それは、僕たちの意識が伝わったんだと思います。はっきり伝えるっていうのは、自分の気持ちを伝えたいだけで、コミュニケーションって、そういうことだけではないんだと思いました」。
出演後は新たな関係性も生まれている。「長尾さんとは全然似ていないんですけど、映画を見ていると、兄弟に見えてくるから不思議ですね。日常生活でも、長男・長尾さん、次男・僕、三男・白磯君の三兄弟みたいな感じなんです。頻繁に連絡を取ったり、お酒を飲んだりするわけじゃないけど、久々に会うことができたら、みんなで近況報告を恥じらいながらする。そんな関係ができあがりました」。
コロナ禍となり自宅で映画鑑賞「インディーズ、メジャーに関わらず必要なもの」
映画は自身の原点だ。「(コロナ禍で)自宅での時間が増えると、大作ばかり観ていました。大好きなアル・パチーノの出演作とかを見ていましたが、先日は、インディーズ映画を見て、衝撃を受けました。『フタリノセカイ』(公開中)というトランスジェンダーの男性とシスジェンダーの女性カップルの話で、2人には子供が作れない。そこである決断をするシーンがあるんですけども、幸せにはあらゆるカタチがあっていいんだという希望の描き方に感動しました。そんな体験をすると、インディーズ、メジャーに関わらず、映画体験は必要なものだと改めて実感しました」。
藤原もそんな体験を与えられるような新しい映画との出会いを求めている。「新しい何かに出会うときって、自分を解体しないと出会えないんじゃないかな、と思っています。常に自分を疑ってみたり、自分は間違っているかもしれないと考え続けて、誰かが書いたセリフを言ってみた時に出会えるような気がします。そんな破壊と再生の旅を続けたいと思っています」。
「中村屋酒店の兄弟」は佳作というべき小作だが、藤原にとってはターニングポイントになったようだ。
卷四
南岳下三世百丈海禅师法嗣黄檗希运禅师洪州黄檗希运禅师,闽人也。幼于本州黄檗山出家。额间隆起如珠,音辞朗润,志意冲澹。后游天台逢一僧,与之言笑,如旧相识,熟视之,目光射人,乃偕行。属涧水暴涨,捐笠植杖而止。其僧率师同渡,师曰:“兄要渡自渡。”彼即褰衣蹑波,若屐平地,回顾曰:“渡来!渡来!”师曰:“咄!这自了汉。吾早知当斫汝胫。”其僧叹曰:“真大乘法器,我所不及。”言讫不见。师后游京师,因人启发,乃往参百丈。丈问:“巍巍堂堂,从何方来?”师曰:“巍巍堂堂,从岭南来。”丈曰:“巍巍堂堂,当为何事?”师曰:“巍巍堂堂,不为别事。”便礼拜。问曰:“从上宗乘如何指示?”丈良久。师曰:“不可教后人断绝去也。”丈曰:“将谓汝是个人。”乃起,入方丈。师随后入,曰:“某甲特来。”丈曰:“若尔,则他后不得孤负吾。”丈一日问师:“甚么处去来?”曰:“大雄山下采菌子来。”丈曰:“还见大虫么?”师便作虎声。丈拈斧作斫势。师即打丈一掴。丈吟吟而笑,便归。上堂曰:“大雄山下有一大虫,汝等诸人也须好看。百丈老汉今日亲遭一口。”师在南泉普请择菜次。泉问:“甚么处去?”曰:“择菜去。”泉曰:“将甚么择?”师竖起刀,泉曰:“祇解作宾,不解作主。”师以刀点三下。泉曰:“大家择菜去。”泉一日曰:“老僧有牧牛歌请长老和。”师曰:“某甲自有师在。”师辞南泉,泉门送,提起师笠曰:“长老身材没量大,笠子太小生?”师曰:“虽然如此,大千世界总在里许。”泉曰:“王老师!”师戴笠便行。师在盐官殿上礼佛次,时唐宣宗为沙弥,问曰:“不著佛求,不著法求,不著僧求,长老礼拜,当何所求?”师曰:“不著佛求,不著法求,不著僧求,常礼如是事。”弥曰:“用礼何为?”师便掌。弥曰:“太生!”师曰:“这里是甚么所在?说说细。”随后又掌。裴相国镇宛陵,建大禅苑,请师说法。以师酷爱旧山,还以黄檗名之。公一日拓一尊佛于师前,跪曰:“请师安名。”师召曰:“裴休。”公应诺。师曰:“与汝安名竟。”公礼拜。师因有六人新到,五人作礼,中一人提起坐具,作一圆相。师曰:“我闻有一只猎犬甚恶。”僧曰:“寻羺羊声来。”师曰:“羺羊无声到汝寻。”曰:“寻羺羊迹来。”师曰:“羺羊无迹到汝寻。”曰:“寻羺羊踪来。”师曰:“羺羊无踪到汝寻。”曰:“与么则死羺羊也。”师便休去。明日升堂曰:“昨日寻羺羊僧出来!”僧便出。师曰:“昨日公案未了,老僧休去。你作么生?”僧无语。师曰:“将谓是本色衲僧,元来秖是义学沙门。”便打趁出。师一日掜拳曰:“天下老和尚,总在这里。我若放一线道,从汝七纵八横,若不放过,不消一掜。”僧问:“放一线道时如何?”师曰:“七纵八横。”曰:“不放过,不消一掜时如何?”师曰:“普。”裴相国一日请师至郡,以所解一编示师。师接置于座,略不披阅。良久曰:“会么?”裴曰:“未测。”师曰:“若便恁么会得,犹较些子。若也形于纸墨,何有吾宗?”裴乃赠诗一章曰:“自从大士传心印,额有圆珠七尺身。挂锡十年栖蜀水,浮杯今日渡漳滨。一千龙象随高步,万里香花结胜因。拟欲事师为弟子,不知将法付何人?”师亦无喜色。自尔黄檗门风,盛于江表矣。一日上堂,大众云集。乃曰:“汝等诸人欲何所求?”以拄杖趁之,大众不散。师却复坐曰:“汝等诸人尽是酒糟汉。恁么行脚,取笑于人。但见八百一千人处便去,不可图他热闹也。老汉行脚时,或遇草根下有一个汉,便从顶门上一锥。看他若知痛痒,可以布袋盛米供养他。可中总似汝如此容易,何处更有今日事也。汝等既称行脚,亦须著些精神好。还知道大唐国内无禅师么?”时有僧问:“诸方尊宿尽聚众开化,为甚么却道无禅师?”师曰:“不道无禅,祗是无师。阇黎不见马大师下有八十四人坐道场,得马师正法眼者止三两人。庐山归宗和尚是其一。夫出家人,须知有从上来事分始得。且如四祖下牛头,横说竖说,犹未知向上关捩子。有此眼目,方辨得邪正宗党,且当人事宜,不能体会得,但知学言语念,向皮袋里安著,到处称我会禅,遇替得汝生死么?轻忽老宿,入地狱如箭。我才见汝入门来,便识得了也。还知么?急须努力,莫容易事,持片衣口食,空过一生。明眼人笑汝,久后总被俗汉筭将去在。宜自看远近,是阿谁面上事。若会即便会,若不会即散去。珍重!”问:“如何是西来意?”师便打。自余施设,皆被上机。中下之流,莫窥涯涘。唐大中年终于本山,谥断际禅师。
南岳下三世百丈海禅师法嗣黄檗希运禅师洪州黄檗希运禅师,闽人也。幼于本州黄檗山出家。额间隆起如珠,音辞朗润,志意冲澹。后游天台逢一僧,与之言笑,如旧相识,熟视之,目光射人,乃偕行。属涧水暴涨,捐笠植杖而止。其僧率师同渡,师曰:“兄要渡自渡。”彼即褰衣蹑波,若屐平地,回顾曰:“渡来!渡来!”师曰:“咄!这自了汉。吾早知当斫汝胫。”其僧叹曰:“真大乘法器,我所不及。”言讫不见。师后游京师,因人启发,乃往参百丈。丈问:“巍巍堂堂,从何方来?”师曰:“巍巍堂堂,从岭南来。”丈曰:“巍巍堂堂,当为何事?”师曰:“巍巍堂堂,不为别事。”便礼拜。问曰:“从上宗乘如何指示?”丈良久。师曰:“不可教后人断绝去也。”丈曰:“将谓汝是个人。”乃起,入方丈。师随后入,曰:“某甲特来。”丈曰:“若尔,则他后不得孤负吾。”丈一日问师:“甚么处去来?”曰:“大雄山下采菌子来。”丈曰:“还见大虫么?”师便作虎声。丈拈斧作斫势。师即打丈一掴。丈吟吟而笑,便归。上堂曰:“大雄山下有一大虫,汝等诸人也须好看。百丈老汉今日亲遭一口。”师在南泉普请择菜次。泉问:“甚么处去?”曰:“择菜去。”泉曰:“将甚么择?”师竖起刀,泉曰:“祇解作宾,不解作主。”师以刀点三下。泉曰:“大家择菜去。”泉一日曰:“老僧有牧牛歌请长老和。”师曰:“某甲自有师在。”师辞南泉,泉门送,提起师笠曰:“长老身材没量大,笠子太小生?”师曰:“虽然如此,大千世界总在里许。”泉曰:“王老师!”师戴笠便行。师在盐官殿上礼佛次,时唐宣宗为沙弥,问曰:“不著佛求,不著法求,不著僧求,长老礼拜,当何所求?”师曰:“不著佛求,不著法求,不著僧求,常礼如是事。”弥曰:“用礼何为?”师便掌。弥曰:“太生!”师曰:“这里是甚么所在?说说细。”随后又掌。裴相国镇宛陵,建大禅苑,请师说法。以师酷爱旧山,还以黄檗名之。公一日拓一尊佛于师前,跪曰:“请师安名。”师召曰:“裴休。”公应诺。师曰:“与汝安名竟。”公礼拜。师因有六人新到,五人作礼,中一人提起坐具,作一圆相。师曰:“我闻有一只猎犬甚恶。”僧曰:“寻羺羊声来。”师曰:“羺羊无声到汝寻。”曰:“寻羺羊迹来。”师曰:“羺羊无迹到汝寻。”曰:“寻羺羊踪来。”师曰:“羺羊无踪到汝寻。”曰:“与么则死羺羊也。”师便休去。明日升堂曰:“昨日寻羺羊僧出来!”僧便出。师曰:“昨日公案未了,老僧休去。你作么生?”僧无语。师曰:“将谓是本色衲僧,元来秖是义学沙门。”便打趁出。师一日掜拳曰:“天下老和尚,总在这里。我若放一线道,从汝七纵八横,若不放过,不消一掜。”僧问:“放一线道时如何?”师曰:“七纵八横。”曰:“不放过,不消一掜时如何?”师曰:“普。”裴相国一日请师至郡,以所解一编示师。师接置于座,略不披阅。良久曰:“会么?”裴曰:“未测。”师曰:“若便恁么会得,犹较些子。若也形于纸墨,何有吾宗?”裴乃赠诗一章曰:“自从大士传心印,额有圆珠七尺身。挂锡十年栖蜀水,浮杯今日渡漳滨。一千龙象随高步,万里香花结胜因。拟欲事师为弟子,不知将法付何人?”师亦无喜色。自尔黄檗门风,盛于江表矣。一日上堂,大众云集。乃曰:“汝等诸人欲何所求?”以拄杖趁之,大众不散。师却复坐曰:“汝等诸人尽是酒糟汉。恁么行脚,取笑于人。但见八百一千人处便去,不可图他热闹也。老汉行脚时,或遇草根下有一个汉,便从顶门上一锥。看他若知痛痒,可以布袋盛米供养他。可中总似汝如此容易,何处更有今日事也。汝等既称行脚,亦须著些精神好。还知道大唐国内无禅师么?”时有僧问:“诸方尊宿尽聚众开化,为甚么却道无禅师?”师曰:“不道无禅,祗是无师。阇黎不见马大师下有八十四人坐道场,得马师正法眼者止三两人。庐山归宗和尚是其一。夫出家人,须知有从上来事分始得。且如四祖下牛头,横说竖说,犹未知向上关捩子。有此眼目,方辨得邪正宗党,且当人事宜,不能体会得,但知学言语念,向皮袋里安著,到处称我会禅,遇替得汝生死么?轻忽老宿,入地狱如箭。我才见汝入门来,便识得了也。还知么?急须努力,莫容易事,持片衣口食,空过一生。明眼人笑汝,久后总被俗汉筭将去在。宜自看远近,是阿谁面上事。若会即便会,若不会即散去。珍重!”问:“如何是西来意?”师便打。自余施设,皆被上机。中下之流,莫窥涯涘。唐大中年终于本山,谥断际禅师。
今天喝到了一款和自己当下非常契合的灵魂咖啡☕️
[有行动力、有责任感、真挚的对待当下的工作]、
[做一个有存在意义的人]
最后幸福一周
回去吃苦又一年
因为对待每天都像人生的最后一天一样认真努力
所以我认可自己享受一下俗世生活
偶尔买点贵的东西
因为喜欢ta的品质
也因为自己值得拥有[害羞]
知道有很多的痛苦和挣扎在等待我
所以每一个幸福时刻
我都用尽全力记住ta[给你小心心] https://t.cn/8sbjdbb
[有行动力、有责任感、真挚的对待当下的工作]、
[做一个有存在意义的人]
最后幸福一周
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因为对待每天都像人生的最后一天一样认真努力
所以我认可自己享受一下俗世生活
偶尔买点贵的东西
因为喜欢ta的品质
也因为自己值得拥有[害羞]
知道有很多的痛苦和挣扎在等待我
所以每一个幸福时刻
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