堂本光一&井上芳雄、ソーシャルディスタンスを保ちながらも「心は濃厚接触」
https://t.cn/A6U91x3e
フジテレビュー!!編集部
KinKi Kidsの堂本光一と、ミュージカル俳優の井上芳雄が初タッグを組み、2018年に東京・帝国劇場で世界初演され、好評を博したミュージカル「ナイツ・テイル-騎士物語-」。
同作は、シェイクスピア最後の作品として知られる「二人の貴公子」(共作:ジョン・フレッチャー)を、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの名誉アソシエイトディレクターであり、名作「レ・ミゼラブル」初演を演出した世界的演出家、ジョン・ケアードが脚本と演出を担当。
さらに、アイドル界の王子と呼ばれ、20年にわたって「SHOCK」シリーズを日本が誇るオリジナルミュージカルへと導いた光一と、ミュージカル界のプリンス・井上の競演が話題を呼び、劇場を熱狂の渦に巻き込んだ。
そんな作品のナンバーを披露する、ミュージカル「ナイツ・テイル」inシンフォニックコンサートが8月10日に開幕するにあたり、前日に公開稽古と記者による囲み取材が東京芸術劇場コンサートホールで行われ、光一&井上のほか、音月桂、上白石萌音、大澄賢也、岸祐二、島田歌穂が本番への意気込みを語った。
<堂本光一&井上芳雄 コメント>
――久しぶりに舞台に立った心境を聞かせてください。
光一:スタッフの皆さんがたくさんの(新型コロナウィルス感染の)対策をしてくださったおかげで実現できた公演です。東京フィルハーモニー交響楽団の演奏で歌えるなんてなかなかないことですし、その時間をかみしめたいと思います。
井上:今、こうやってステージに立てるのはいろんな奇跡の積み重ねだと思います。刻一刻と状況が変わっていくなか、何があっても後悔しないように。願わくば、公演がスタートして千穐楽を迎えるまで、僕たちにできることをやらせてもらいたい、希望をつないでいきたいと祈るような気持ちでいます。
――稽古はロンドンにいるジョン・ケアードさん、ニューヨークにいる音楽バイザーのブラッド・パークさんとリモートでつないで行ったそうですが…。
光一:彼らにしてみたら朝の4時頃から稽古を始めるんですよ。長い時間を割けなかったのは確かなんですが、その中で集中して稽古ができたという感覚です。
井上:普通に稽古してましたよね。初日こそ、30分ぐらいつながらないという“リモートあるある”で(笑)。
光一:この場にいるのかなっていうぐらい、ジョンがよく見てるんですよ。僕が横のほうでチョコチョコやってたら、「そこでチョコチョコしないで」とか(笑)。
――ステージのほうも感染対策予防でいろいろと工夫されていますね。
光一:絶対にここから出てはならないという赤いラインが引いてあって、キャスト同士の距離も近くならないよう、動きなども考えています。
――ということは、初演時に光一さんと芳雄さんの唇が触れてしまったようなハプニングが、今回起こることはない…?
光一:ちょっと見られないですね(笑)。
井上:今回、光一くんに触れてないです。
――それでも濃密な稽古期間を経て、気持ちのうえでは濃厚接触といった感じでしょうか?
光一:こんな時ですけど、おっしゃるように気持ちは濃厚接触です(笑)。
井上:その表現、いただいていいですか(笑)?
――皆さんから家族のような空気感が伝わってくるんですが、関係を保つ秘訣はあるんでしょうか?
光一:保ってくれたのは萌音ちゃんです。オンライン飲み会っていうほどじゃないんですけど、萌音ちゃんが「〇日、どうですか?」ってみんなをつないでくれて、都合の悪い人がいたら「この日は〇〇さんの都合が悪いので、別の日に」って。すごくいいマネジャーです(笑)。
「ナイツ・テイル」シンフォニックコンサート
コンサートと謳いながら、セリフのやりとりもふんだんに披露するなど、贅沢な公演となっている
――東京フィルハーモニー交響楽団の演奏をバックに歌った感想はいかがですか?
光一:こんなにエネルギーが必要なのかなって。
井上:こういうホールでオーケストラをバックに歌うことがないので、帝劇とは違うエネルギーが必要で、それもまた新しい経験です。
光一:すごく音が響くんですよ。歌唱指導の方から「とにかくはっきりしゃべって、はっきり歌うように」と言われています。
井上:こんなにはっきりしゃべったことがないっていうぐらい(笑)。
光一:僕が歌ってない場面で後ろに座って、芳雄くんの新曲を聴いてるじゃないですか。そして、僕の背後にはチェロの方がいる。この(音の)サンドイッチ、ハンパないですよ(笑)。
幕を開ける勇気より、中止する勇気のほうが大切(光一)
生の音に包まれる幸せ、豊かさを再認識してほしい(井上)
――光一さんは9月から「Endless SHOCK」の公演も控えていますよね。
光一:2020年はものすごく忙しくなる予定だったんですが、なくなってしまったものもたくさんあって。でも、この「ナイツ・テイル」は開催にこぎつけた。
ただ、僕の心としては、今、幕を開けることの勇気よりも、いざ何かあった時にスパッと中止をする勇気のほうが大切だと思うんです。それこそ“Show must go on”みたいな精神。
幕が上がったらとにかく突き進むんだ、止めちゃいけないんだみたいな意味ではなく、もし「ダメだ」となったとしても受け入れるという。稽古をしてきて、そこで得たものだけは自分の中でなくならない、そんな心構えです。
――今回のために用意された新曲「次は?」に、「続編が多分あるかも…」という歌詞がありましたが、期待していいですか?
井上:来年またやろうっていう計画はあるんですけど、それは続編ではなく再演なので。
光一:ジョンのみぞ知る、ですね。
――最後に公演への意気込みをお願いします!
光一:お客様もたくさんの対策をしてこられるだろうなと思います。皆さんに感謝の気持ちが届けばいいなと思っておりますし、またいろんな形が生まれてくると思うんですね。今回は残念ながら配信という形はとれませんでしたが、今後どんどん新しい何かが生まれてくることを自分としても期待しています。限られた人数になってしまいますけど、ぜひ楽しみにしていてください。
井上:生の音に包まれる幸せを僕は感じていて、なんて豊かなんだろうということをお客様は再認識できると思います。いろんな事情で観ることができない方も多いと思いますが、演劇界だけじゃなく、音楽界にとっても新しい一歩。
もしかしたら、止まってしまうこともあるかもしれないけど、僕たちはずっと歩み続けていくつもりなので、近い将来必ずお会いできることを信じています。観に来てくださる方と、遠くで見守ってくださる方の思いに恥じないよう、しっかりと努めたいと思います。
■公演日程
8月10日(月)~13日(木)東京芸術劇場 コンサートホール
8月18日(火)~21日(金)東京オペラシティ コンサートホール
https://t.cn/A6U91x3e
フジテレビュー!!編集部
KinKi Kidsの堂本光一と、ミュージカル俳優の井上芳雄が初タッグを組み、2018年に東京・帝国劇場で世界初演され、好評を博したミュージカル「ナイツ・テイル-騎士物語-」。
同作は、シェイクスピア最後の作品として知られる「二人の貴公子」(共作:ジョン・フレッチャー)を、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの名誉アソシエイトディレクターであり、名作「レ・ミゼラブル」初演を演出した世界的演出家、ジョン・ケアードが脚本と演出を担当。
さらに、アイドル界の王子と呼ばれ、20年にわたって「SHOCK」シリーズを日本が誇るオリジナルミュージカルへと導いた光一と、ミュージカル界のプリンス・井上の競演が話題を呼び、劇場を熱狂の渦に巻き込んだ。
そんな作品のナンバーを披露する、ミュージカル「ナイツ・テイル」inシンフォニックコンサートが8月10日に開幕するにあたり、前日に公開稽古と記者による囲み取材が東京芸術劇場コンサートホールで行われ、光一&井上のほか、音月桂、上白石萌音、大澄賢也、岸祐二、島田歌穂が本番への意気込みを語った。
<堂本光一&井上芳雄 コメント>
――久しぶりに舞台に立った心境を聞かせてください。
光一:スタッフの皆さんがたくさんの(新型コロナウィルス感染の)対策をしてくださったおかげで実現できた公演です。東京フィルハーモニー交響楽団の演奏で歌えるなんてなかなかないことですし、その時間をかみしめたいと思います。
井上:今、こうやってステージに立てるのはいろんな奇跡の積み重ねだと思います。刻一刻と状況が変わっていくなか、何があっても後悔しないように。願わくば、公演がスタートして千穐楽を迎えるまで、僕たちにできることをやらせてもらいたい、希望をつないでいきたいと祈るような気持ちでいます。
――稽古はロンドンにいるジョン・ケアードさん、ニューヨークにいる音楽バイザーのブラッド・パークさんとリモートでつないで行ったそうですが…。
光一:彼らにしてみたら朝の4時頃から稽古を始めるんですよ。長い時間を割けなかったのは確かなんですが、その中で集中して稽古ができたという感覚です。
井上:普通に稽古してましたよね。初日こそ、30分ぐらいつながらないという“リモートあるある”で(笑)。
光一:この場にいるのかなっていうぐらい、ジョンがよく見てるんですよ。僕が横のほうでチョコチョコやってたら、「そこでチョコチョコしないで」とか(笑)。
――ステージのほうも感染対策予防でいろいろと工夫されていますね。
光一:絶対にここから出てはならないという赤いラインが引いてあって、キャスト同士の距離も近くならないよう、動きなども考えています。
――ということは、初演時に光一さんと芳雄さんの唇が触れてしまったようなハプニングが、今回起こることはない…?
光一:ちょっと見られないですね(笑)。
井上:今回、光一くんに触れてないです。
――それでも濃密な稽古期間を経て、気持ちのうえでは濃厚接触といった感じでしょうか?
光一:こんな時ですけど、おっしゃるように気持ちは濃厚接触です(笑)。
井上:その表現、いただいていいですか(笑)?
――皆さんから家族のような空気感が伝わってくるんですが、関係を保つ秘訣はあるんでしょうか?
光一:保ってくれたのは萌音ちゃんです。オンライン飲み会っていうほどじゃないんですけど、萌音ちゃんが「〇日、どうですか?」ってみんなをつないでくれて、都合の悪い人がいたら「この日は〇〇さんの都合が悪いので、別の日に」って。すごくいいマネジャーです(笑)。
「ナイツ・テイル」シンフォニックコンサート
コンサートと謳いながら、セリフのやりとりもふんだんに披露するなど、贅沢な公演となっている
――東京フィルハーモニー交響楽団の演奏をバックに歌った感想はいかがですか?
光一:こんなにエネルギーが必要なのかなって。
井上:こういうホールでオーケストラをバックに歌うことがないので、帝劇とは違うエネルギーが必要で、それもまた新しい経験です。
光一:すごく音が響くんですよ。歌唱指導の方から「とにかくはっきりしゃべって、はっきり歌うように」と言われています。
井上:こんなにはっきりしゃべったことがないっていうぐらい(笑)。
光一:僕が歌ってない場面で後ろに座って、芳雄くんの新曲を聴いてるじゃないですか。そして、僕の背後にはチェロの方がいる。この(音の)サンドイッチ、ハンパないですよ(笑)。
幕を開ける勇気より、中止する勇気のほうが大切(光一)
生の音に包まれる幸せ、豊かさを再認識してほしい(井上)
――光一さんは9月から「Endless SHOCK」の公演も控えていますよね。
光一:2020年はものすごく忙しくなる予定だったんですが、なくなってしまったものもたくさんあって。でも、この「ナイツ・テイル」は開催にこぎつけた。
ただ、僕の心としては、今、幕を開けることの勇気よりも、いざ何かあった時にスパッと中止をする勇気のほうが大切だと思うんです。それこそ“Show must go on”みたいな精神。
幕が上がったらとにかく突き進むんだ、止めちゃいけないんだみたいな意味ではなく、もし「ダメだ」となったとしても受け入れるという。稽古をしてきて、そこで得たものだけは自分の中でなくならない、そんな心構えです。
――今回のために用意された新曲「次は?」に、「続編が多分あるかも…」という歌詞がありましたが、期待していいですか?
井上:来年またやろうっていう計画はあるんですけど、それは続編ではなく再演なので。
光一:ジョンのみぞ知る、ですね。
――最後に公演への意気込みをお願いします!
光一:お客様もたくさんの対策をしてこられるだろうなと思います。皆さんに感謝の気持ちが届けばいいなと思っておりますし、またいろんな形が生まれてくると思うんですね。今回は残念ながら配信という形はとれませんでしたが、今後どんどん新しい何かが生まれてくることを自分としても期待しています。限られた人数になってしまいますけど、ぜひ楽しみにしていてください。
井上:生の音に包まれる幸せを僕は感じていて、なんて豊かなんだろうということをお客様は再認識できると思います。いろんな事情で観ることができない方も多いと思いますが、演劇界だけじゃなく、音楽界にとっても新しい一歩。
もしかしたら、止まってしまうこともあるかもしれないけど、僕たちはずっと歩み続けていくつもりなので、近い将来必ずお会いできることを信じています。観に来てくださる方と、遠くで見守ってくださる方の思いに恥じないよう、しっかりと努めたいと思います。
■公演日程
8月10日(月)~13日(木)東京芸術劇場 コンサートホール
8月18日(火)~21日(金)東京オペラシティ コンサートホール
三代学人接力,倾心“温暖”雪域高原
2020-06-29 18:22:32 来源: 科技日报 作者: 史俊斌
6月28日,西藏自治区科学技术奖励大会在拉萨举行,西安建筑科技大学“太阳能建筑与环境”科研团队牵头完成的“西藏高原可再生能源供暖关键技术创新与应用”荣获一等奖。但这个团队不仅没有一人出现在颁奖现场,还决议将30万奖金全部捐回西藏,用于扶贫。
20年间,以中国工程院院士刘加平教授为代表的西安建筑科技大学三代学人,立志盖出“靠太阳就能取暖”的房子,相继在青海刚察、玉树,西藏拉萨、浪卡子、当雄、日喀则等地建设各类太阳能供暖试验/示范工程20余处,达20多万平方米,推广近千万平方米,受益人群超过50万人。
为“送暖” 一代学人建标准艰难起航
刘加平院士是西安建筑科技大学赴藏培养工程硕士的导师组带头人,他为藏民们当年艰难落后的生活条件所震惊:室内都要穿着厚实笨重的衣服,人畜共处,门前处处堆放着要用来取暖和做饭的牛粪、柴薪。
时年的西藏之夜,刘加平带队住进温度接近零度却没有任何采暖措施的宾馆,强忍受彻夜的寒冷,次日又被艳阳沐浴而心生欢喜,久久盘旋。“阳光之域”有全世界最得天独厚的太阳光资源,为什么不能用它来有效利用呢?
“我们一定要找到最合适的方法改善这里的居住条件,为当地老百姓送去温暖!”站在布达拉宫上,俯看着拉萨城边的建筑,刘院士满怀信心地对他当时的博士生刘艳峰说。
自此,他带队十几次进藏考察调研。每次都自费租车,去最偏远的地方,克服高原反应、语言不通、藏民不信任等困难。在此基础上,立足当地地理环境、地域文化、建筑风格等特殊要求,主持建立起适应当地的建筑节能与采暖的标准化体系,申报获批国家自然科学基金重点项目《西藏高原节能居住建筑体系研究》和国家863项目《太阳能富集地区超低采暖能耗居住建筑设计研究》,建立了与太阳能富集区被动式设计相匹配的主动式太阳能采暖系统设计方法,主编完成《西藏自治区民用建筑采暖设计标准》与《西藏自治区居住建筑节能设计标准》,被评价为“填补了当地在该领域标准规范的空白”。
西藏自治区时任住建厅副厅长田国民问刘院士:“你们编制这套《标准》需要多少费用?”得到的答复是:“做这号事不能要钱!”
为“送暖” 二代学人立足成套技术应用搞拓展
“暖床”既能白天当散热器,又能晚上当取暖器;墙体既能采集太阳加热空气,又能实现新鲜空气对流;除了太阳能送暖,以后还要实现送氧、送湿……我们要让青藏高原的人们生活得更幸福,要让每年数以万计奔赴此地的建设者、旅游者享受到无异于内地的舒适的室内环境。”团队负责人、长江学者刘艳峰教授每提青藏满眼都放光。
“本该属于项目组的100万研究经费,全部投入到了工程建设,团队的所有研究花费都是自掏腰包,我们的愿望很简单,就是要为牧民盖好房子,盖成我们想要的房子!”2008年,刘艳峰带领团队与青海当地科研单位联合申报项目,为海北藏族自治州刚察县解决100户藏族牧民的定居工程提供技术支持,首次进行了规模化“工程实验”
2019年底,西藏浪卡子县城区实现太阳能光热集中供暖,成为中国首个整个地区完全依靠太阳能的规模化区域采暖“示范地”。该县供热中心现场负责人杨金良激动地说:“特别震撼,两万多平方米的太阳能集热场一望无际,实现了不用煤、不用气、不用电就能温暖整个县城八万多平方米的千家万户。”
“这套系统采用主被动式相结合的原理,白天靠太阳加热墙体、窗户等收集热量,晚上把热量按照‘科学配比’供给所需的室内空间,实现采集到的太阳能热量最大化利用,形成从村镇规划、建筑设计开始到建筑保温、被动太阳能增温、主动太阳能供暖、建筑分时分区调节等成套的太阳能建筑供暖方案,可应用于大规模集中供暖,也适合一村一户。”西藏大学教授索朗白姆充满感激地说:“他们甚至考虑到,我们祖祖辈辈都寒冷惯了,不能一下子供暖温度太高。所以,晚上可以只给卧室供到12~15℃,甚至只给床体供暖,周围形成一道热帷幕,温度刚刚够用就好,既以符合人体生理需求,又节约供暖能源。”。
为“送暖” 三代学人优化运行能效促提升
“怎样推进技术优化?实现多能互补?实现精准控制?达到近零能耗运行?……这些都是我们继续深入研究的动力所在。”项目第一完成人、第三代学人王登甲教授快言快语
王登甲跟随导师刘艳峰教授首次进藏是2007年7月,他那时还只是在读的研一学生,师徒是坐着火车从西安到拉萨的。一晃就是十多年。这些年,他屡屡进藏,飞速成长——博士毕业、晋升副教授、教授,成为学校最年富力强的博士生导师。
“我们走了很多的路,那时仗着年轻身体好,又是夏天,还能吃得消,后来因为研究需要,我们几乎都是冬天去,头痛、呕吐,晚上基本上睡不着觉,那种感觉太难忘了。”王登甲回忆说:“2018年,作为主办方,我们邀请英国牛津大学、帝国理工大学、清华大学、香港大学等70余名国际知名学者,在西藏拉萨召开了‘中英零碳城镇可再生能源系统研讨会’,参会者云集,交流热烈!”
“我们刚发现这一领地时,它在环境条件上是一块‘穷地’,在学术上是一块待开发的‘富地’,如果没本事地就荒了。但今天,很高兴看到它已经变成了一块多产的‘肥地’。”刘加平院士欣慰地说。
“一个十来年过去了,我们再干个十来年,以后青藏高原地区建筑室内的温度、湿度、氧浓度,一定会非常健康、舒适,真正实现幸福宜居。”刘艳峰给团队的后继力量打气。
图片全部由西安建筑科技大学宣传部提供
2020-06-29 18:22:32 来源: 科技日报 作者: 史俊斌
6月28日,西藏自治区科学技术奖励大会在拉萨举行,西安建筑科技大学“太阳能建筑与环境”科研团队牵头完成的“西藏高原可再生能源供暖关键技术创新与应用”荣获一等奖。但这个团队不仅没有一人出现在颁奖现场,还决议将30万奖金全部捐回西藏,用于扶贫。
20年间,以中国工程院院士刘加平教授为代表的西安建筑科技大学三代学人,立志盖出“靠太阳就能取暖”的房子,相继在青海刚察、玉树,西藏拉萨、浪卡子、当雄、日喀则等地建设各类太阳能供暖试验/示范工程20余处,达20多万平方米,推广近千万平方米,受益人群超过50万人。
为“送暖” 一代学人建标准艰难起航
刘加平院士是西安建筑科技大学赴藏培养工程硕士的导师组带头人,他为藏民们当年艰难落后的生活条件所震惊:室内都要穿着厚实笨重的衣服,人畜共处,门前处处堆放着要用来取暖和做饭的牛粪、柴薪。
时年的西藏之夜,刘加平带队住进温度接近零度却没有任何采暖措施的宾馆,强忍受彻夜的寒冷,次日又被艳阳沐浴而心生欢喜,久久盘旋。“阳光之域”有全世界最得天独厚的太阳光资源,为什么不能用它来有效利用呢?
“我们一定要找到最合适的方法改善这里的居住条件,为当地老百姓送去温暖!”站在布达拉宫上,俯看着拉萨城边的建筑,刘院士满怀信心地对他当时的博士生刘艳峰说。
自此,他带队十几次进藏考察调研。每次都自费租车,去最偏远的地方,克服高原反应、语言不通、藏民不信任等困难。在此基础上,立足当地地理环境、地域文化、建筑风格等特殊要求,主持建立起适应当地的建筑节能与采暖的标准化体系,申报获批国家自然科学基金重点项目《西藏高原节能居住建筑体系研究》和国家863项目《太阳能富集地区超低采暖能耗居住建筑设计研究》,建立了与太阳能富集区被动式设计相匹配的主动式太阳能采暖系统设计方法,主编完成《西藏自治区民用建筑采暖设计标准》与《西藏自治区居住建筑节能设计标准》,被评价为“填补了当地在该领域标准规范的空白”。
西藏自治区时任住建厅副厅长田国民问刘院士:“你们编制这套《标准》需要多少费用?”得到的答复是:“做这号事不能要钱!”
为“送暖” 二代学人立足成套技术应用搞拓展
“暖床”既能白天当散热器,又能晚上当取暖器;墙体既能采集太阳加热空气,又能实现新鲜空气对流;除了太阳能送暖,以后还要实现送氧、送湿……我们要让青藏高原的人们生活得更幸福,要让每年数以万计奔赴此地的建设者、旅游者享受到无异于内地的舒适的室内环境。”团队负责人、长江学者刘艳峰教授每提青藏满眼都放光。
“本该属于项目组的100万研究经费,全部投入到了工程建设,团队的所有研究花费都是自掏腰包,我们的愿望很简单,就是要为牧民盖好房子,盖成我们想要的房子!”2008年,刘艳峰带领团队与青海当地科研单位联合申报项目,为海北藏族自治州刚察县解决100户藏族牧民的定居工程提供技术支持,首次进行了规模化“工程实验”
2019年底,西藏浪卡子县城区实现太阳能光热集中供暖,成为中国首个整个地区完全依靠太阳能的规模化区域采暖“示范地”。该县供热中心现场负责人杨金良激动地说:“特别震撼,两万多平方米的太阳能集热场一望无际,实现了不用煤、不用气、不用电就能温暖整个县城八万多平方米的千家万户。”
“这套系统采用主被动式相结合的原理,白天靠太阳加热墙体、窗户等收集热量,晚上把热量按照‘科学配比’供给所需的室内空间,实现采集到的太阳能热量最大化利用,形成从村镇规划、建筑设计开始到建筑保温、被动太阳能增温、主动太阳能供暖、建筑分时分区调节等成套的太阳能建筑供暖方案,可应用于大规模集中供暖,也适合一村一户。”西藏大学教授索朗白姆充满感激地说:“他们甚至考虑到,我们祖祖辈辈都寒冷惯了,不能一下子供暖温度太高。所以,晚上可以只给卧室供到12~15℃,甚至只给床体供暖,周围形成一道热帷幕,温度刚刚够用就好,既以符合人体生理需求,又节约供暖能源。”。
为“送暖” 三代学人优化运行能效促提升
“怎样推进技术优化?实现多能互补?实现精准控制?达到近零能耗运行?……这些都是我们继续深入研究的动力所在。”项目第一完成人、第三代学人王登甲教授快言快语
王登甲跟随导师刘艳峰教授首次进藏是2007年7月,他那时还只是在读的研一学生,师徒是坐着火车从西安到拉萨的。一晃就是十多年。这些年,他屡屡进藏,飞速成长——博士毕业、晋升副教授、教授,成为学校最年富力强的博士生导师。
“我们走了很多的路,那时仗着年轻身体好,又是夏天,还能吃得消,后来因为研究需要,我们几乎都是冬天去,头痛、呕吐,晚上基本上睡不着觉,那种感觉太难忘了。”王登甲回忆说:“2018年,作为主办方,我们邀请英国牛津大学、帝国理工大学、清华大学、香港大学等70余名国际知名学者,在西藏拉萨召开了‘中英零碳城镇可再生能源系统研讨会’,参会者云集,交流热烈!”
“我们刚发现这一领地时,它在环境条件上是一块‘穷地’,在学术上是一块待开发的‘富地’,如果没本事地就荒了。但今天,很高兴看到它已经变成了一块多产的‘肥地’。”刘加平院士欣慰地说。
“一个十来年过去了,我们再干个十来年,以后青藏高原地区建筑室内的温度、湿度、氧浓度,一定会非常健康、舒适,真正实现幸福宜居。”刘艳峰给团队的后继力量打气。
图片全部由西安建筑科技大学宣传部提供
转晚甘园主人“2018滇之旅”日记/(4)无量山寻茶记—7月6日,早餐依旧是一碗米线。南涧的县城很小,开车走了一会,看到一家茶店,就进去了。老板不在,我自己看了店里的茶,以土林凤凰为主,一会儿老板回来了,就一起喝了几泡凤凰坨,聊了一会古树茶。
老板说,南涧的古树茶主要集中在碧溪乡和公郎乡,无量山镇倒是很少。古树并不太老,百来年左右,也不高大。我本来已计划好,今天去无量山镇一带看看的。老板说那里并没有什么古茶树,甚至连一般的茶树都很少。
买了一款08凤凰坨(100克小坨)和09(250克)大坨,算是给自己留个纪念吧。 离开茶店,设立了导航目标:无量山镇,于是,我们上山了。
无量山,是云南最重要的山脉之一:西部的高黎贡山,东部的哀牢山,而无量山则呈西北向东南走势,西部在南涧的无量山镇、公郎山、碧溪乡,中部在景谷。
云南的山里,几乎山山有古树茶,高黎贡山,哀牢山自不必说了。根据历史记载无量山也产茶,被称为茶乡,但时至今日,无量山境内,除了在古德村发现了一棵树高12米,树径52公分的“无量山茶王”外,几乎不再听人提起古树茶来。 我07年让朋友帮忙在无量山一带寻茶,做了一款无量山古树,但是,据朋友说,他几乎走遍了无量山,也没能找到像样的古树茶园,只能选择一片不到百年的老茶园做了。那款茶,并不符合我对“无量山古树茶”的期望。之后,陆陆续续从别人那里喝到了号称“无量山古树茶”的普洱,均难言满意。
从06年开始,我几乎经过数十次无量山了,都是在夜班车上经过的。每当卧铺车经过无量山时,都是在深夜,车窗外树木的剪影,山峦的起伏,深深的寒意,都让我想起了古人对无量山的描述:无量大山,高不可攀,虎豹熊罴,彻夜怒号······
无量山,古称蒙乐山,以“高耸入云不可跻,面大不可丈量之意”得名,光凭“无量山”三个字,便可以引发无数的想象,加上金庸武侠小说频频提到,使得它更添一层神秘色彩。历史上著名的茶乡,而与它相提并论的高黎贡山、哀牢山都发现了大量的古茶树,无量山岂能没有呢?
如果有可能,我一定要做一款“无量山古树茶”,当然,前提是我能找得到。 车一路向上,很快就到了无量山镇。但从南涧到无量山镇的这一路,是最让我失望的,不要说古茶树,就连一般的树木,也较少见。能看到的,只有一小片一小片的近几十年种植的马尾松等,森林没有了,古茶树还能在吗?大量的土地裸露着,生态环境很差。我在云南大山里一路走来,处处都是森林茂密,植被完好,唯有这一处,生态环境受到了很大的破坏。据说,无量山又叫做“无粮山”,森林树木哪儿去了?我估计,应该是都被砍伐了。连森林都没有了,还能有古茶树吗?从南涧到无量山镇,除了生态环境差以外,所经过的地方,也多数肮脏混乱,以至于我们连停车吃饭的胃口的没有,稍作停留,便赶往景东县了。
从无量山镇到景东县一带,森林植被倒是保存得较完好,我们一路心情舒畅,到了景东县。吃过午饭,决定找个茶店喝茶。不料整个景东县城里,开车转来转去,没找到可以喝茶的地方。好不容易找到一家茶行,结果,变成卖食杂的了。 这一下来,我们对景东县的期望,一下子就“凉凉”了。想来想去,还是不甘心。不如原路返回,到无量山镇后,再转漫湾、云县?当晚住在云县,第二天是去白莺山还是老鹰山,都很容易选择。
于是,开车又到了无量山镇,转另一条路,往云县方向。这一路,海拔在2000-2500之间,山川风光秀丽,原始森林茂密, 不经意间,进入了无量山国家自然保护区。开始有茶园出现了,也经过了一些较大的茶树,但始终不见古茶树。车子到了樱花谷,停车参观台湾人在这里建设的一片茶园,主要种植的是乌龙茶的品种,茶园管理很好,但是,据我估计,除了樱花季节吸引很多人来看花,这里生产的乌龙茶就不好说了。
我问当地人,是否这里除了成片的茶园以外,还有古树茶?他们给了我一个电话,我打电话过去,说是在不远处。于是我们开车去了樱花饭店。到了以后,半天没见到人。再打电话,过了一会儿,来了一位彝族男人,见面后,说起他的老家就在不远处,有一片古树茶。我们当场试饮了一泡,觉得不错。他说,茶树很多,很大,可以带我们过去看看。
从2500米,我们开车向下,一直到了2100米,下车,步行,终于看到了那片古茶园。茶园很大,茶树形成群落,并不密集,而是分散在山谷中、森林里。大的树径超多40公分,超过30公分的也很多,品种多为栽培型的大叶种。茶不错,茶树也很好。留下联系方式,带了一些茶样,满心欢喜,我们一路回到了云县,已经是晚上九点半了......(未完待续)
老板说,南涧的古树茶主要集中在碧溪乡和公郎乡,无量山镇倒是很少。古树并不太老,百来年左右,也不高大。我本来已计划好,今天去无量山镇一带看看的。老板说那里并没有什么古茶树,甚至连一般的茶树都很少。
买了一款08凤凰坨(100克小坨)和09(250克)大坨,算是给自己留个纪念吧。 离开茶店,设立了导航目标:无量山镇,于是,我们上山了。
无量山,是云南最重要的山脉之一:西部的高黎贡山,东部的哀牢山,而无量山则呈西北向东南走势,西部在南涧的无量山镇、公郎山、碧溪乡,中部在景谷。
云南的山里,几乎山山有古树茶,高黎贡山,哀牢山自不必说了。根据历史记载无量山也产茶,被称为茶乡,但时至今日,无量山境内,除了在古德村发现了一棵树高12米,树径52公分的“无量山茶王”外,几乎不再听人提起古树茶来。 我07年让朋友帮忙在无量山一带寻茶,做了一款无量山古树,但是,据朋友说,他几乎走遍了无量山,也没能找到像样的古树茶园,只能选择一片不到百年的老茶园做了。那款茶,并不符合我对“无量山古树茶”的期望。之后,陆陆续续从别人那里喝到了号称“无量山古树茶”的普洱,均难言满意。
从06年开始,我几乎经过数十次无量山了,都是在夜班车上经过的。每当卧铺车经过无量山时,都是在深夜,车窗外树木的剪影,山峦的起伏,深深的寒意,都让我想起了古人对无量山的描述:无量大山,高不可攀,虎豹熊罴,彻夜怒号······
无量山,古称蒙乐山,以“高耸入云不可跻,面大不可丈量之意”得名,光凭“无量山”三个字,便可以引发无数的想象,加上金庸武侠小说频频提到,使得它更添一层神秘色彩。历史上著名的茶乡,而与它相提并论的高黎贡山、哀牢山都发现了大量的古茶树,无量山岂能没有呢?
如果有可能,我一定要做一款“无量山古树茶”,当然,前提是我能找得到。 车一路向上,很快就到了无量山镇。但从南涧到无量山镇的这一路,是最让我失望的,不要说古茶树,就连一般的树木,也较少见。能看到的,只有一小片一小片的近几十年种植的马尾松等,森林没有了,古茶树还能在吗?大量的土地裸露着,生态环境很差。我在云南大山里一路走来,处处都是森林茂密,植被完好,唯有这一处,生态环境受到了很大的破坏。据说,无量山又叫做“无粮山”,森林树木哪儿去了?我估计,应该是都被砍伐了。连森林都没有了,还能有古茶树吗?从南涧到无量山镇,除了生态环境差以外,所经过的地方,也多数肮脏混乱,以至于我们连停车吃饭的胃口的没有,稍作停留,便赶往景东县了。
从无量山镇到景东县一带,森林植被倒是保存得较完好,我们一路心情舒畅,到了景东县。吃过午饭,决定找个茶店喝茶。不料整个景东县城里,开车转来转去,没找到可以喝茶的地方。好不容易找到一家茶行,结果,变成卖食杂的了。 这一下来,我们对景东县的期望,一下子就“凉凉”了。想来想去,还是不甘心。不如原路返回,到无量山镇后,再转漫湾、云县?当晚住在云县,第二天是去白莺山还是老鹰山,都很容易选择。
于是,开车又到了无量山镇,转另一条路,往云县方向。这一路,海拔在2000-2500之间,山川风光秀丽,原始森林茂密, 不经意间,进入了无量山国家自然保护区。开始有茶园出现了,也经过了一些较大的茶树,但始终不见古茶树。车子到了樱花谷,停车参观台湾人在这里建设的一片茶园,主要种植的是乌龙茶的品种,茶园管理很好,但是,据我估计,除了樱花季节吸引很多人来看花,这里生产的乌龙茶就不好说了。
我问当地人,是否这里除了成片的茶园以外,还有古树茶?他们给了我一个电话,我打电话过去,说是在不远处。于是我们开车去了樱花饭店。到了以后,半天没见到人。再打电话,过了一会儿,来了一位彝族男人,见面后,说起他的老家就在不远处,有一片古树茶。我们当场试饮了一泡,觉得不错。他说,茶树很多,很大,可以带我们过去看看。
从2500米,我们开车向下,一直到了2100米,下车,步行,终于看到了那片古茶园。茶园很大,茶树形成群落,并不密集,而是分散在山谷中、森林里。大的树径超多40公分,超过30公分的也很多,品种多为栽培型的大叶种。茶不错,茶树也很好。留下联系方式,带了一些茶样,满心欢喜,我们一路回到了云县,已经是晚上九点半了......(未完待续)
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