俳優・高良健吾さん、日常を離れ、アナログな「時」を楽しむ旅 【前編】
これまでやりたくても「時間」がなくてできなかったことに挑戦する「時間」をセイコー プレザージュが提供するこの企画。
昨年の「瀬戸内しまなみ海道」での自転車旅に続いて、俳優の高良健吾さんが再び旅立った。2日間、自然の中へ——。旅の目的は、「やりたかったことをすべて叶(かな)える」こと。とかく情報過多になりがちな日常を抜け出して、アナログな時間の流れに身を置いた高良さんは、何を感じ、どんな思いを抱いたのか。今回お届けする前編では、都会の喧噪(けんそう)から離れ、兵庫県北部の山間(やまあい)で自然をゆるりと楽しむ様子を追った。
腕時計と地図。アナログなツールでドライブへ
とある初夏の一日、高良さんが訪れたのは山間に佇(たたず)む古民家宿。やりたかったことをすべて叶える、今回の旅の拠点だ。大きな窓のあるメインルームでソファに座り、高良さんは持参した文庫本をしばし読みふける。
「本は好きです。こんな何百円で、人の考えに触れられるなんてすごいですよね。手に取らないと出会えないような言葉だったり、生き方だったり、そういうものを知ることができる。ある意味、ちょっとした旅だと思います」
そしてふと顔を上げ、明るい光が入り込む大きな窓から、山々を見つめる高良さん。そろそろ出発の時間だ。日常から離れるために、スマートフォンは置いていく。ルートは地図で、時間は腕時計で確認するアナログな旅の始まりだ。
「自分は基本アナログ。家にパソコンはないし、映画館に行くときはスマホを家に置いていくこともよくあります。スマホを気にしない分、別のものが見えてくる。こういう自然の中なら周囲をよく見るようになるし、いつもと違うアンテナも張れます」。地図を眺め、腕時計に目を向けてから、高良さんは車へ乗り込んだ。
小一時間、車を走らせて訪れたのは、歴史ある寺院。しっかりとした足取りで、初めて訪れる寺の山門をくぐる。
寺院では本堂に上がり、庭に向かってあぐらをかく。瞑想(めいそう)、これもまた高良さんがこの日、やりたかったことのひとつだ。背筋をぴしりと伸ばし、目をつぶって微動だにしない。葉ずれの音、鳥やカエルの鳴き声が止(や)んだ瞬間は、まるで時が止まっているかのようだ。
高良さんにとって瞑想は、ルーティンのようなものだという。
「だいたい寝る前にやるんです。撮影している期間は日中集中しているので、寝付きが悪かったり、途中で目が覚めたりすることもあるので、眠る前にちょっと心を落ち着かせるという感じ。今日のように自然の音に囲まれた場所だと、家の中で瞑想するよりも入りやすいですね。何も考えない、無理をしない時間が過ごせました」
自然の揺れを感じに。日常にない、贅沢時間
瞑想を終え、「ゴチャゴチャしていたものが整理された」と言う高良さんの次の目的地は、山中の釣り場。川に沿って続く遊歩道を、土の感触を確かめるように泰然と歩いていく高良さん。途中、足を止めて伸びをしたり、思いのままに満喫しているようだ。
こうして自然に囲まれながら思うのは、「自分が落ち着く場所、癒やされる場所は、自然なんだ」ということ。
「原風景が祖父母の田舎なんですよね。阿蘇と北九州の田川。きっと、そういう田舎で遊んでいた、楽しかった記憶があるんだろうと思います。自然の揺れって、見ているだけで落ち着くので、そこを求めに行っている。東京にいると、そういう揺れは風とか、上を見ないと感じられないので」
やがてたどり着いたのが、半径15mほどの滝壺(つぼ)。主にニジマスが釣れるという。海でのルアーフィッシング経験はある高良さんだが、川釣りは初挑戦。竹竿(ざお)にウキという組み合わせも、やはり初めて使う道具だそうだ。照れくさそうに「海ではルアーをなくしてばかりいたし、今回のやりたいことの中では一番自信がない」と言うものの、慣れた手つきで竿を操っている。
糸を垂らし、狙うポイントを変えながら数十分。前日の雨で濁った水面がゆらめく様子を、ただ見つめながら過ごす贅沢(ぜいたく)な時間だ。
「釣れなくても、3時間くらいは平気で過ごせますね。どれだけ時間が経ったかを確認することはあっても、苦ではないです。こうやって自然の中で過ごしている時は、時間の確認は腕時計がいいですね。それもデジタルの数字じゃなくて、針で見るっていうのがいい」
そんな話をするうちに、不意にウキが動き出した。「食いついた!」。そう思った瞬間、必死に暴れる魚の姿が。木漏れ日に輝く銀色の体はかなり大きく、高良さんもしばらく格闘したものの、魚はハリから外れて滝壺の底へと消えていった。その後すぐに再び別の獲物を捕らえるが、今度は糸が切れてしまう事態に。この装備では、少し心許(こころもと)ないようだ。
そろそろ宿に戻ろうか……と諦めかけたところで、またもウキが躍り出す。三度目の正直とばかりに、見事釣り上げた高良さん。「今日に限らず、以前から目の前で逃がしてばかりだったけど、ようやく釣れた!」と、喜びであふれんばかりの笑顔を向けた。
手を掛けるだけ愛着が増す。フォーマルな印象のモデル
「1時間で3匹なら入れ食い状態」と笑みを浮かべながら、宿へと戻ってきた。本日、予定していた夕食は屋外でのバーベキューだった。しかし、天気は下り坂。焚(た)き火台に火を入れ、炎が上がり始めるころには雨も降り出してきたため、部屋の中の囲炉裏に場所を移しての食事となった。
周囲には街灯や民家がなく、夜の帳(とばり)が下りれば辺りは真っ暗に。肉に魚、野菜も焼いて、時折、焚き火を眺めるひととき。
「焚き火って、本当に自然の揺らぎですよね。人間が作り出せない揺れというか。それこそ波だってそうだし、空だって雲の流れだったり、風の流れだったり、それって人間が絶対作り出せない。そういう場所に身を置くことが、自分にとっての癒やしですかね」。そう語る彼を包み込むように、時間はゆったりと過ぎていく。
この日、高良さんの腕で時を刻んだのは、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」。アナログな旅によく似合う、機械式時計だ。
「機械式時計の良さは、自分がちゃんとその時計を扱っていないといけないこと。毎日見て、定期的にちゃんとメンテナンスしてあげることでより愛着が湧きますよね。耳を近付けて音を聞きながらりゅうずを巻くのも、好きな行為ですね」
「この『セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097』は、どちらかというとフォーマルな印象でした。白文字盤は持っていなかったんですが、いいですね。スーツのようなキレイめにも合うし、幅広いシーンで使えると思いました。(白文字盤は)似合う年齢が少し上という勝手なイメージがあったんですけど、 身につけてみると、“いや、そんなことないな”って気がしました」
そう言って、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」に視線を落とす高良さん。「静の旅」となった1日が、そろそろ終わろうとしている。明日は一転、「動の旅」と言えるほど、バラエティーに富んだアクティブな旅となる。そちらは後編として次回、改めてご紹介しよう。
(文・石川由紀子 写真・高橋雄大 取材協力・円覚山宗鏡寺、glaminka KAMIKAWA、日高神鍋観光協会、清滝地区コミュニティセンターの皆様)
これまでやりたくても「時間」がなくてできなかったことに挑戦する「時間」をセイコー プレザージュが提供するこの企画。
昨年の「瀬戸内しまなみ海道」での自転車旅に続いて、俳優の高良健吾さんが再び旅立った。2日間、自然の中へ——。旅の目的は、「やりたかったことをすべて叶(かな)える」こと。とかく情報過多になりがちな日常を抜け出して、アナログな時間の流れに身を置いた高良さんは、何を感じ、どんな思いを抱いたのか。今回お届けする前編では、都会の喧噪(けんそう)から離れ、兵庫県北部の山間(やまあい)で自然をゆるりと楽しむ様子を追った。
腕時計と地図。アナログなツールでドライブへ
とある初夏の一日、高良さんが訪れたのは山間に佇(たたず)む古民家宿。やりたかったことをすべて叶える、今回の旅の拠点だ。大きな窓のあるメインルームでソファに座り、高良さんは持参した文庫本をしばし読みふける。
「本は好きです。こんな何百円で、人の考えに触れられるなんてすごいですよね。手に取らないと出会えないような言葉だったり、生き方だったり、そういうものを知ることができる。ある意味、ちょっとした旅だと思います」
そしてふと顔を上げ、明るい光が入り込む大きな窓から、山々を見つめる高良さん。そろそろ出発の時間だ。日常から離れるために、スマートフォンは置いていく。ルートは地図で、時間は腕時計で確認するアナログな旅の始まりだ。
「自分は基本アナログ。家にパソコンはないし、映画館に行くときはスマホを家に置いていくこともよくあります。スマホを気にしない分、別のものが見えてくる。こういう自然の中なら周囲をよく見るようになるし、いつもと違うアンテナも張れます」。地図を眺め、腕時計に目を向けてから、高良さんは車へ乗り込んだ。
小一時間、車を走らせて訪れたのは、歴史ある寺院。しっかりとした足取りで、初めて訪れる寺の山門をくぐる。
寺院では本堂に上がり、庭に向かってあぐらをかく。瞑想(めいそう)、これもまた高良さんがこの日、やりたかったことのひとつだ。背筋をぴしりと伸ばし、目をつぶって微動だにしない。葉ずれの音、鳥やカエルの鳴き声が止(や)んだ瞬間は、まるで時が止まっているかのようだ。
高良さんにとって瞑想は、ルーティンのようなものだという。
「だいたい寝る前にやるんです。撮影している期間は日中集中しているので、寝付きが悪かったり、途中で目が覚めたりすることもあるので、眠る前にちょっと心を落ち着かせるという感じ。今日のように自然の音に囲まれた場所だと、家の中で瞑想するよりも入りやすいですね。何も考えない、無理をしない時間が過ごせました」
自然の揺れを感じに。日常にない、贅沢時間
瞑想を終え、「ゴチャゴチャしていたものが整理された」と言う高良さんの次の目的地は、山中の釣り場。川に沿って続く遊歩道を、土の感触を確かめるように泰然と歩いていく高良さん。途中、足を止めて伸びをしたり、思いのままに満喫しているようだ。
こうして自然に囲まれながら思うのは、「自分が落ち着く場所、癒やされる場所は、自然なんだ」ということ。
「原風景が祖父母の田舎なんですよね。阿蘇と北九州の田川。きっと、そういう田舎で遊んでいた、楽しかった記憶があるんだろうと思います。自然の揺れって、見ているだけで落ち着くので、そこを求めに行っている。東京にいると、そういう揺れは風とか、上を見ないと感じられないので」
やがてたどり着いたのが、半径15mほどの滝壺(つぼ)。主にニジマスが釣れるという。海でのルアーフィッシング経験はある高良さんだが、川釣りは初挑戦。竹竿(ざお)にウキという組み合わせも、やはり初めて使う道具だそうだ。照れくさそうに「海ではルアーをなくしてばかりいたし、今回のやりたいことの中では一番自信がない」と言うものの、慣れた手つきで竿を操っている。
糸を垂らし、狙うポイントを変えながら数十分。前日の雨で濁った水面がゆらめく様子を、ただ見つめながら過ごす贅沢(ぜいたく)な時間だ。
「釣れなくても、3時間くらいは平気で過ごせますね。どれだけ時間が経ったかを確認することはあっても、苦ではないです。こうやって自然の中で過ごしている時は、時間の確認は腕時計がいいですね。それもデジタルの数字じゃなくて、針で見るっていうのがいい」
そんな話をするうちに、不意にウキが動き出した。「食いついた!」。そう思った瞬間、必死に暴れる魚の姿が。木漏れ日に輝く銀色の体はかなり大きく、高良さんもしばらく格闘したものの、魚はハリから外れて滝壺の底へと消えていった。その後すぐに再び別の獲物を捕らえるが、今度は糸が切れてしまう事態に。この装備では、少し心許(こころもと)ないようだ。
そろそろ宿に戻ろうか……と諦めかけたところで、またもウキが躍り出す。三度目の正直とばかりに、見事釣り上げた高良さん。「今日に限らず、以前から目の前で逃がしてばかりだったけど、ようやく釣れた!」と、喜びであふれんばかりの笑顔を向けた。
手を掛けるだけ愛着が増す。フォーマルな印象のモデル
「1時間で3匹なら入れ食い状態」と笑みを浮かべながら、宿へと戻ってきた。本日、予定していた夕食は屋外でのバーベキューだった。しかし、天気は下り坂。焚(た)き火台に火を入れ、炎が上がり始めるころには雨も降り出してきたため、部屋の中の囲炉裏に場所を移しての食事となった。
周囲には街灯や民家がなく、夜の帳(とばり)が下りれば辺りは真っ暗に。肉に魚、野菜も焼いて、時折、焚き火を眺めるひととき。
「焚き火って、本当に自然の揺らぎですよね。人間が作り出せない揺れというか。それこそ波だってそうだし、空だって雲の流れだったり、風の流れだったり、それって人間が絶対作り出せない。そういう場所に身を置くことが、自分にとっての癒やしですかね」。そう語る彼を包み込むように、時間はゆったりと過ぎていく。
この日、高良さんの腕で時を刻んだのは、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」。アナログな旅によく似合う、機械式時計だ。
「機械式時計の良さは、自分がちゃんとその時計を扱っていないといけないこと。毎日見て、定期的にちゃんとメンテナンスしてあげることでより愛着が湧きますよね。耳を近付けて音を聞きながらりゅうずを巻くのも、好きな行為ですね」
「この『セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097』は、どちらかというとフォーマルな印象でした。白文字盤は持っていなかったんですが、いいですね。スーツのようなキレイめにも合うし、幅広いシーンで使えると思いました。(白文字盤は)似合う年齢が少し上という勝手なイメージがあったんですけど、 身につけてみると、“いや、そんなことないな”って気がしました」
そう言って、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」に視線を落とす高良さん。「静の旅」となった1日が、そろそろ終わろうとしている。明日は一転、「動の旅」と言えるほど、バラエティーに富んだアクティブな旅となる。そちらは後編として次回、改めてご紹介しよう。
(文・石川由紀子 写真・高橋雄大 取材協力・円覚山宗鏡寺、glaminka KAMIKAWA、日高神鍋観光協会、清滝地区コミュニティセンターの皆様)
#春风社学堂[超话]#道德经第十七章:太上,不知有之,其次,亲而誉之,其次,畏之,其次,侮之。至高无尚的君主,知道有这么这个人。最好的管理者,在不在都一样,无为而治。其次,就要亲自去说。其次,见到脸色感到害怕,便会侮之。如果做不到无为而治,我们处理人和事也要给人以适度,不违和也不失原则。
【わたし達はおとな】
木竜麻生×藤原季節対談
考える/考えないタイプの違う芝居論
――今作で共演してみて、お互いにどんな印象を持ちましたか?
藤原季節(以下、藤原):木竜さんと共演できるのは、映画好きの人ならみんな嬉しいと思います。僕もその一人で、今までの出演作はほとんど観ています。共演するにあたって、ある程度の到達点までは木竜さんとなら行けるだろうって気はしてたんですけど、それ以上に行けた気がします。
木竜麻生(以下、木竜):藤原さんが出ている作品を観ていて、どうしてこの人はこんな表情になって、そういう心の動き方をするんだろうってずっと思っていて。今回ご一緒していた時もそれはすごく思いましたが、相手の気持ちや行動をすごく受け取る度量がある方で、そういうことなのかなぁって。意志が強いですし、同じくらい柔らかさをすごく感じました。
――現場では演技について話し合ったりしましたか?
木竜:私は加藤さんとご一緒するのが初めてだったので、「難しい」とこぼしていました。
藤原:僕は加藤さんに任せておけば全部うまくいくことは分かっていたので、木竜さんが加藤さんを信頼できるような手助けをしていた感じですかね。二人とも人見知りだったから、二人の間のコミュニケーションを僕が取り持ったり。
木竜:(笑)。加藤さんが考えてくれているなと思ったのが、休憩している時にふらっと現れてくれることで。その時の会話を藤原さんが取り持ってくれたので、3人で話すタイミングはちゃんと現場中にとれていました。
藤原:でもあれは、加藤さんが会議が嫌いなだけだと思う。スタッフさんのところにいると会議が始まっちゃうから、僕らのところに逃げてきてる(笑)。
木竜:あ、逃げてきてたのか。じゃあそれが結果オーライになってたってことね(笑)。
――3人でのコミュニケーションが映画に何か良い影響を与えたなと思うことはありましたか?
木竜:撮影の2日目に、自分の中で変に殻に入りそうになって。その時に藤原さんから「一緒に頑張ろうね」と声をかけられて、自分は何を一人になろうとしてるんだって、すごくハッとしたんです。そこからは藤原さんに委ねて、ぶつかっていこうと思って。その延長でスタッフさん、他のキャストさん、加藤さんのことも信じてその場に立っていられたので、すごく意味がありました。
――藤原さんは加藤さんとは長くやられていると思うんですけど、この作品ではどんなやりとりをしましたか?
藤原:いつも通りなんですけど、僕も加藤さんも核心に迫る会話の内容を嫌うんです。加藤さんは人との距離感や恥じらいとか、伝えたいことを隠すのを好む人で。日常会話においてもそうで、この映画を良くしたいとか、こうすればもっと良くなるっていうことはあえて口にしないんです。だから僕らはいつもくだらない話ばかりしていますね。
――加藤さんが「木竜さんの気の遣い方が優実と重なった」と話されていたのですが、ご自身で演じていて、「ここわかる」と思ったことはありましたか?
木竜:思っていることや、モヤモヤしているものを優実ほど隠せるかは分からないですけど、何か言われたり、自分もちょっと言いたいことがあったり、腹が立っていたり、悲しかったり……そういうことを笑いながら返しちゃうのは、あるよなぁって思いました。ストレートに伝えることが難しいことってあるなって。
――藤原さんは直哉を演じていてどうでした?
藤原:全然分からなくて、楽しかったです。
――台本で読んでわからないところは聞いたりするんですか?
藤原:いや、聞かないですね。
――自分で考えて?
藤原:考えないですね。“分かんないことを分かんないまま言う”ことを楽しんでいます。直哉が考えていること全然分かんないなって思いながらセリフを言ったりしていると、たまに、なんか分かったりします。
――なるほど。木竜さんは分からないこととかを楽しんで?
木竜:うーん……。人を演じることの喜びって、それがどんな人であろうと、みんなあるはずだとは思っていて。その人物を多角的に、いろんな面から見ると、直哉も直哉できっと何かあるんだよなって思うんです。藤原さんが演じていた直哉を見て、彼が生きてきた中での切なさみたいなものを、私は勝手に想像しましたし、想像するのがすごく楽しくて。だから、想像とか空想とかそういう力で補えるものがあるといいなって思いながら演じていますかね。分からないまま「分からない」を言うのができないタイプなので、そこはもう、うーーってなりながらやります(笑)。
藤原:タイプがありますよね。
木竜:うん。だからすごいなぁと思います。
「自分が相手に投げた言葉でも傷ついていた」
――会話劇が魅力なシーンが多かったですが、特に自分が発したセリフで印象に残っているものはありますか?
藤原:伝えたいことって反復したりするじゃないですか。「それ本気で言ってる? それ、本気で言ってる?」っていう、この2回目の「本気で言ってる?」の時に、“本気でそれが聞きたいんだな”って自分の中で分かるというか。そういうことが台本の中に眠っていて、見つけた時はグッときました。
木竜:今回はとにかく隠すことを言われていたので、言葉に完全に重きを置くのではなく、言っていることの奥で何を持って生活をして、誰の言葉を聞いて、どれだけちゃんと背景を持てているかを考えるのが難しくて。自分の気持ちで素直にいると直哉の言葉がすごく刺さってしまうし、相手に言ったことなのに自分が傷ついたりとか、そういうことが特に後半にかけてはあったような気がします。
――相手の言葉で刺さったことはありますか?
木竜:ラストシーンは、相手が言っていることでも傷ついているし、自分が相手に投げたものでも傷ついていた気がします。直哉の「じゃ」に「はい」で返す感じは、感覚として忘れないですね。
藤原:直哉は相手を傷つけるための言葉を吐いている男なので、自分が傷つかないようにちゃんと言葉を選択できる人なんですよ。そういうズルいところがある。元カノのシーンでも、相手に言葉をまくしたてるんですけど、全部、自分は悪くない、自分は悪くないって。でも、ラストシーンでは、やっぱり少なからず傷ついていたんじゃないですかね。それでなんとかまくしたてようとして。
――直哉はよく「言い方が悪かったね」と言っていますが、誰かと関わる時の自分の言葉選びを考えたりしますか?
木竜:難しいことだなぁっていつも思いますね。インタビューでもそうですが、口に出した瞬間、本当に思っていたことから離れていく感覚がすごくあって。言った瞬間から、誰にも言わないで思っていたこととは違うものになって外に出ている感じがするんです。なるべく思っていることと近い状態で言語化したいなとは思いますけど。
藤原:もちろん考えますし、それに割いてきた時間は多いと思うんですけど、最近はいい加減さとか寛容さとか、その「容赦」みたいなものを他人や自分に対して求めるようになっていて。思ったことをなんでも口に出すのって本来良くないと思うんです。子供みたいだし。でもあえてそれをやって、相手を嫌な気持ちにさせたり、自分が嫌な気持ちになる状況に対して、寛容になってるというか。今は思ったことをなんでも口に出してみようって思っている時期です。
――なんでそういうことをやろうと思ったんですか?
藤原:その方が相手に対して、ひょっとしたら深くアクセスできるかもしれないと思って。どこかで長い付き合いになるかもしれない人とすれ違って、たった数言交わすだけで別れていくような儚い人生かもしれないんだったら、嫌われてでも言葉を相手に放ってみて、深いところでアクセスしてみようって、ちょっと思っているんですよね。
“もがいている人”への憧れ
――キラキラした恋愛映画もある一方で、本作のようなもがいているヒロインの恋愛作品も支持されていますが、その魅力をどう思いますか?
藤原:性別に限らずですけど、もがいている人は素敵ですよね。なんでなんですかね? 自分もその人を見て頑張ろうって思うし。
木竜:自分に対してかもしれないし、誰かに対してかもしれないんですけど、もがいている最中の夢中な感じって、例えそれがものすごくボロボロだったり、泥だらけだったりしても、なんかちょっと透明に感じます。そういうところへの優しさ、憧れみたいなものを感じるのかもしれないです。
藤原:憧れ、あるな。
木竜:うん。まっさらっていう感じにどうしても憧れるなぁって思います。
――最後に劇中のお二人の好きなシーンを教えてください。
藤原:ラストですね。
木竜:ラストから、主題歌がかかるところは、本当にすごくいいです。
藤原:あの長回しはマジで必見。
――そのシーンの撮影にはどういう気持ちで臨みました?
藤原:もう、最強のマインドセット。100%入るスリーポイントシュートを打つみたいな感じですね。100%なんて入らないじゃないですか、絶対。だけど、100%入るって信じ込むんですよ。その感じです。
木竜:あははは(笑)。
終わっていく物語と続いていく物語
――撮影順的にも最後に撮られたんですか?
藤原:僕はもうそのワンカットに全てを懸けていたので。優実が行くところまで運ばれる最後のラストチャンス、無事に運ばれてくださったんで。僕の仕事はもうその時点で終了でした(笑)。
木竜:そのラストをやって、本当のラストに直哉が鍵を渡して出て行く。あのラストがないと私、その後のシーンってできなかったと思います。
藤原:母だから続いていくんですよね。お腹に子どもがいるから、あそこで物語は終わらない。僕とはちょっと違うよね。
――去っていくだけですよね。
藤原:そうです。あそこで僕の中での物語は終えられるんです。
木竜:(笑)。私はそれから加藤さんとちょっとだけ話をしました。「どういう気持ちなんかなー」っていうこと言われて、ポツポツポツーって言ったら、じーって見られて、「いこうかぁ」って言われて。同じラストシーンでも、藤原さんとは違う感覚だったかもしれないです。
藤原:全然違うかも。あのワンカット撮り終わって全て消化しきってたから、もう情感ゼロ。
木竜:(笑)。いや、ゼロとは言わないでほしいよね。どういう気持ちで鍵渡すかとかあるじゃん。
藤原:あ、ないないないない。無。
木竜:あってくれよ。無なんですか。
藤原:「あ、鍵を渡さなきゃ複雑だな」とかないの。その流れで行く時間に身を任せるって言うか。鍵を渡さなきゃいけない状況になっちゃったから渡すだけ、という。それが僕にとっての直哉でした。
木竜:なるほどね。
――エンドロールにかけての最後の最後のラストシーンを経て、木竜さんはどんなことを思いましたか?
木竜:最後、優実がご飯を作って食べるところに、彼女が自分の日常を取り戻そうとしているなと私は思いました。生きていくこと、暮らしていくことを、なんとか取り直そうというタフな強さというか。これからの自分の人生の中でも、このまま朝なんか来ないんじゃないかと思うような夜もあるでしょうし、何もしたくない気持ちになったり、誰とも会いたくない気持ちになったり……。反対に、無性に誰かと話したくなったり……。そういう自分が誰かに与える影響も、自分が誰かに与えられる影響も、ちゃんと余すことなく自分が飲み込んでやる、とは思っています。全部私が味わって、ちょっとずつ生きていければいいかなと思いました。
■公開情報
『わたし達はおとな』
新宿武蔵野館ほかにて全国公開中
出演:木竜麻生、藤原季節、菅野莉央、清水くるみ、森田想、桜田通、山崎紘菜、片岡礼子、石田ひかり、佐戸井けん太、鈴木勝大、山脇辰哉、上村侑、中山求一郎、諫早幸作、伊藤風喜、鳥谷 宏之、平原テツ
監督・脚本:加藤拓也
音楽:谷川正憲
製作:狩野隆也、松岡雄浩、宇田川寧
エグゼクティブプロデューサー:服部保彦
プロデューサー:松岡達矢 柴原祐一
製作幹事:メ~テレ
配給:ラビットハウス
製作プロダクション:ダブ
(c)2022「わたし達はおとな」製作委員会
公式サイト:https://t.cn/A6M7UJcX
木竜麻生×藤原季節対談
考える/考えないタイプの違う芝居論
――今作で共演してみて、お互いにどんな印象を持ちましたか?
藤原季節(以下、藤原):木竜さんと共演できるのは、映画好きの人ならみんな嬉しいと思います。僕もその一人で、今までの出演作はほとんど観ています。共演するにあたって、ある程度の到達点までは木竜さんとなら行けるだろうって気はしてたんですけど、それ以上に行けた気がします。
木竜麻生(以下、木竜):藤原さんが出ている作品を観ていて、どうしてこの人はこんな表情になって、そういう心の動き方をするんだろうってずっと思っていて。今回ご一緒していた時もそれはすごく思いましたが、相手の気持ちや行動をすごく受け取る度量がある方で、そういうことなのかなぁって。意志が強いですし、同じくらい柔らかさをすごく感じました。
――現場では演技について話し合ったりしましたか?
木竜:私は加藤さんとご一緒するのが初めてだったので、「難しい」とこぼしていました。
藤原:僕は加藤さんに任せておけば全部うまくいくことは分かっていたので、木竜さんが加藤さんを信頼できるような手助けをしていた感じですかね。二人とも人見知りだったから、二人の間のコミュニケーションを僕が取り持ったり。
木竜:(笑)。加藤さんが考えてくれているなと思ったのが、休憩している時にふらっと現れてくれることで。その時の会話を藤原さんが取り持ってくれたので、3人で話すタイミングはちゃんと現場中にとれていました。
藤原:でもあれは、加藤さんが会議が嫌いなだけだと思う。スタッフさんのところにいると会議が始まっちゃうから、僕らのところに逃げてきてる(笑)。
木竜:あ、逃げてきてたのか。じゃあそれが結果オーライになってたってことね(笑)。
――3人でのコミュニケーションが映画に何か良い影響を与えたなと思うことはありましたか?
木竜:撮影の2日目に、自分の中で変に殻に入りそうになって。その時に藤原さんから「一緒に頑張ろうね」と声をかけられて、自分は何を一人になろうとしてるんだって、すごくハッとしたんです。そこからは藤原さんに委ねて、ぶつかっていこうと思って。その延長でスタッフさん、他のキャストさん、加藤さんのことも信じてその場に立っていられたので、すごく意味がありました。
――藤原さんは加藤さんとは長くやられていると思うんですけど、この作品ではどんなやりとりをしましたか?
藤原:いつも通りなんですけど、僕も加藤さんも核心に迫る会話の内容を嫌うんです。加藤さんは人との距離感や恥じらいとか、伝えたいことを隠すのを好む人で。日常会話においてもそうで、この映画を良くしたいとか、こうすればもっと良くなるっていうことはあえて口にしないんです。だから僕らはいつもくだらない話ばかりしていますね。
――加藤さんが「木竜さんの気の遣い方が優実と重なった」と話されていたのですが、ご自身で演じていて、「ここわかる」と思ったことはありましたか?
木竜:思っていることや、モヤモヤしているものを優実ほど隠せるかは分からないですけど、何か言われたり、自分もちょっと言いたいことがあったり、腹が立っていたり、悲しかったり……そういうことを笑いながら返しちゃうのは、あるよなぁって思いました。ストレートに伝えることが難しいことってあるなって。
――藤原さんは直哉を演じていてどうでした?
藤原:全然分からなくて、楽しかったです。
――台本で読んでわからないところは聞いたりするんですか?
藤原:いや、聞かないですね。
――自分で考えて?
藤原:考えないですね。“分かんないことを分かんないまま言う”ことを楽しんでいます。直哉が考えていること全然分かんないなって思いながらセリフを言ったりしていると、たまに、なんか分かったりします。
――なるほど。木竜さんは分からないこととかを楽しんで?
木竜:うーん……。人を演じることの喜びって、それがどんな人であろうと、みんなあるはずだとは思っていて。その人物を多角的に、いろんな面から見ると、直哉も直哉できっと何かあるんだよなって思うんです。藤原さんが演じていた直哉を見て、彼が生きてきた中での切なさみたいなものを、私は勝手に想像しましたし、想像するのがすごく楽しくて。だから、想像とか空想とかそういう力で補えるものがあるといいなって思いながら演じていますかね。分からないまま「分からない」を言うのができないタイプなので、そこはもう、うーーってなりながらやります(笑)。
藤原:タイプがありますよね。
木竜:うん。だからすごいなぁと思います。
「自分が相手に投げた言葉でも傷ついていた」
――会話劇が魅力なシーンが多かったですが、特に自分が発したセリフで印象に残っているものはありますか?
藤原:伝えたいことって反復したりするじゃないですか。「それ本気で言ってる? それ、本気で言ってる?」っていう、この2回目の「本気で言ってる?」の時に、“本気でそれが聞きたいんだな”って自分の中で分かるというか。そういうことが台本の中に眠っていて、見つけた時はグッときました。
木竜:今回はとにかく隠すことを言われていたので、言葉に完全に重きを置くのではなく、言っていることの奥で何を持って生活をして、誰の言葉を聞いて、どれだけちゃんと背景を持てているかを考えるのが難しくて。自分の気持ちで素直にいると直哉の言葉がすごく刺さってしまうし、相手に言ったことなのに自分が傷ついたりとか、そういうことが特に後半にかけてはあったような気がします。
――相手の言葉で刺さったことはありますか?
木竜:ラストシーンは、相手が言っていることでも傷ついているし、自分が相手に投げたものでも傷ついていた気がします。直哉の「じゃ」に「はい」で返す感じは、感覚として忘れないですね。
藤原:直哉は相手を傷つけるための言葉を吐いている男なので、自分が傷つかないようにちゃんと言葉を選択できる人なんですよ。そういうズルいところがある。元カノのシーンでも、相手に言葉をまくしたてるんですけど、全部、自分は悪くない、自分は悪くないって。でも、ラストシーンでは、やっぱり少なからず傷ついていたんじゃないですかね。それでなんとかまくしたてようとして。
――直哉はよく「言い方が悪かったね」と言っていますが、誰かと関わる時の自分の言葉選びを考えたりしますか?
木竜:難しいことだなぁっていつも思いますね。インタビューでもそうですが、口に出した瞬間、本当に思っていたことから離れていく感覚がすごくあって。言った瞬間から、誰にも言わないで思っていたこととは違うものになって外に出ている感じがするんです。なるべく思っていることと近い状態で言語化したいなとは思いますけど。
藤原:もちろん考えますし、それに割いてきた時間は多いと思うんですけど、最近はいい加減さとか寛容さとか、その「容赦」みたいなものを他人や自分に対して求めるようになっていて。思ったことをなんでも口に出すのって本来良くないと思うんです。子供みたいだし。でもあえてそれをやって、相手を嫌な気持ちにさせたり、自分が嫌な気持ちになる状況に対して、寛容になってるというか。今は思ったことをなんでも口に出してみようって思っている時期です。
――なんでそういうことをやろうと思ったんですか?
藤原:その方が相手に対して、ひょっとしたら深くアクセスできるかもしれないと思って。どこかで長い付き合いになるかもしれない人とすれ違って、たった数言交わすだけで別れていくような儚い人生かもしれないんだったら、嫌われてでも言葉を相手に放ってみて、深いところでアクセスしてみようって、ちょっと思っているんですよね。
“もがいている人”への憧れ
――キラキラした恋愛映画もある一方で、本作のようなもがいているヒロインの恋愛作品も支持されていますが、その魅力をどう思いますか?
藤原:性別に限らずですけど、もがいている人は素敵ですよね。なんでなんですかね? 自分もその人を見て頑張ろうって思うし。
木竜:自分に対してかもしれないし、誰かに対してかもしれないんですけど、もがいている最中の夢中な感じって、例えそれがものすごくボロボロだったり、泥だらけだったりしても、なんかちょっと透明に感じます。そういうところへの優しさ、憧れみたいなものを感じるのかもしれないです。
藤原:憧れ、あるな。
木竜:うん。まっさらっていう感じにどうしても憧れるなぁって思います。
――最後に劇中のお二人の好きなシーンを教えてください。
藤原:ラストですね。
木竜:ラストから、主題歌がかかるところは、本当にすごくいいです。
藤原:あの長回しはマジで必見。
――そのシーンの撮影にはどういう気持ちで臨みました?
藤原:もう、最強のマインドセット。100%入るスリーポイントシュートを打つみたいな感じですね。100%なんて入らないじゃないですか、絶対。だけど、100%入るって信じ込むんですよ。その感じです。
木竜:あははは(笑)。
終わっていく物語と続いていく物語
――撮影順的にも最後に撮られたんですか?
藤原:僕はもうそのワンカットに全てを懸けていたので。優実が行くところまで運ばれる最後のラストチャンス、無事に運ばれてくださったんで。僕の仕事はもうその時点で終了でした(笑)。
木竜:そのラストをやって、本当のラストに直哉が鍵を渡して出て行く。あのラストがないと私、その後のシーンってできなかったと思います。
藤原:母だから続いていくんですよね。お腹に子どもがいるから、あそこで物語は終わらない。僕とはちょっと違うよね。
――去っていくだけですよね。
藤原:そうです。あそこで僕の中での物語は終えられるんです。
木竜:(笑)。私はそれから加藤さんとちょっとだけ話をしました。「どういう気持ちなんかなー」っていうこと言われて、ポツポツポツーって言ったら、じーって見られて、「いこうかぁ」って言われて。同じラストシーンでも、藤原さんとは違う感覚だったかもしれないです。
藤原:全然違うかも。あのワンカット撮り終わって全て消化しきってたから、もう情感ゼロ。
木竜:(笑)。いや、ゼロとは言わないでほしいよね。どういう気持ちで鍵渡すかとかあるじゃん。
藤原:あ、ないないないない。無。
木竜:あってくれよ。無なんですか。
藤原:「あ、鍵を渡さなきゃ複雑だな」とかないの。その流れで行く時間に身を任せるって言うか。鍵を渡さなきゃいけない状況になっちゃったから渡すだけ、という。それが僕にとっての直哉でした。
木竜:なるほどね。
――エンドロールにかけての最後の最後のラストシーンを経て、木竜さんはどんなことを思いましたか?
木竜:最後、優実がご飯を作って食べるところに、彼女が自分の日常を取り戻そうとしているなと私は思いました。生きていくこと、暮らしていくことを、なんとか取り直そうというタフな強さというか。これからの自分の人生の中でも、このまま朝なんか来ないんじゃないかと思うような夜もあるでしょうし、何もしたくない気持ちになったり、誰とも会いたくない気持ちになったり……。反対に、無性に誰かと話したくなったり……。そういう自分が誰かに与える影響も、自分が誰かに与えられる影響も、ちゃんと余すことなく自分が飲み込んでやる、とは思っています。全部私が味わって、ちょっとずつ生きていければいいかなと思いました。
■公開情報
『わたし達はおとな』
新宿武蔵野館ほかにて全国公開中
出演:木竜麻生、藤原季節、菅野莉央、清水くるみ、森田想、桜田通、山崎紘菜、片岡礼子、石田ひかり、佐戸井けん太、鈴木勝大、山脇辰哉、上村侑、中山求一郎、諫早幸作、伊藤風喜、鳥谷 宏之、平原テツ
監督・脚本:加藤拓也
音楽:谷川正憲
製作:狩野隆也、松岡雄浩、宇田川寧
エグゼクティブプロデューサー:服部保彦
プロデューサー:松岡達矢 柴原祐一
製作幹事:メ~テレ
配給:ラビットハウス
製作プロダクション:ダブ
(c)2022「わたし達はおとな」製作委員会
公式サイト:https://t.cn/A6M7UJcX
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