我们来看几则公案:
唐代禅师渐源仲兴,耒悟时是道吾宗智禅师的侍者。一日随道吾去居士家吊慰,渐源抚棺材曰:“生邪、死邪?”道吾曰:“生也不道,死也不道。”渐源曰:“为什么不道?”道吾曰:“不道,不道。”归至中路,渐源曰:“和尚今日须与某甲道,若不道,打和尚去也!”道吾曰:“打即任打,道即不道。”渐源便打。道吾归寺院曰:
“汝宜离此去,恐知事得知不便。”渐源便礼辞,隐于村院。经三年后,一日忽闻童子念《观音经》至“应以比丘身得度者,即现比丘身而为说法”,忽然大悟,遂焚香遥礼曰:“信知先师遗言终不虚发。自是我不会,却怨先师。”
若言生,是谁生?生从何处来?若言死,是谁死?死往何处去?实无有生死可言,因而道吾说“生也不道,死也不道”,让渐源自己发疑去悟。只有切实自悟无生,才能真了生死。道吾之“不道”,恰是极妙之“道”。渐源因经文启示而大悟,方明道吾“生也不道,死也不道”之遗言“终不虚发”。若问生死假相归于何处?证悟无生,妙“无生”处即是归处。无生,即生也不道死也不道;无生,并非抽象的道理、观念;无生,是最妙的真实的“存在”;无生,方能现种种身;无生,亦即所现种种身。
《五灯会元》卷六中有则“问杀首座”的公案:
九峰道虔禅师。尝为百霜侍者,洎霜归寂;众请首座继住持。师白众曰:”须明得先师意,始可。“座曰:”先师有什么意?“师曰:”先师道:休去,歇去,冷啾啾地去,一条白练去,古庙香炉去,念万年去。其余则无。“问:”如何是一条白练去?”座曰:“这个只是明一色边事。”师曰:“元来未会先师意在。”座曰:“你不肯我,那但装香来,香烟断处,若去不得,即不会先师意。”遂焚香,香烟未断,座已脱去。师曰:“生脱立亡即不无,先师意,末梦见在。”这个首座和尚,能在一柱香的时间内说走就走,“坐脱立亡”,说明他的修行已达到了对于生命自由来去的火候了。虽然九峰道虔禅师对此不称道,但是首座和尚用生命作为答卷的公案,却说明禅者对真理的追求,已经到达视死如归的境界了。
再看一则公案:
法庆禅师的侍者因读了《洞山录》这本禅书以后,感慨地说:“古人在生死中,那么任性自在,实在好奇怪!”之后法庆禅师又道:“我坐化时,你可用话唤醒我,如果叫得回来,就是生死自在之士。”侍者看看禅师,禅师作yu yan颂云:今年五月初五,四大将离本主;白骨当风扬却,免占檀那地土。
时光迅速,到了五月初五,禅师就将所有的衣物交给侍者供僧结缘,刚听到初夜的钟声,就趺坐圆寂,脉搏停止,呼吸全无。
侍者记得当时的谈话,就唤道:“禅师!禅师!”
许久,法庆睁开眼睛,问道:“做什么?”
“禅师为什么不将衣帽鞋袜穿好而去?”“当初来时,我根本就不曾带什么呀!”
侍者一定要将衣服给法庆禅师穿上。法庆禅师穿上衣服,写了一个偈颂交给弟子后,又奄然而化了。所以说修行的人,对于“死”是胸有成竹,无忧无惧的。而禅者虽有生死,却在生死中得大自在。
云岩禅师病重的时候,道吾问他:“如果离开了这个臭皮囊,我们会在什么地方相见呢广云岩说:“不生不灭处相见。”道吾说:“你怎么不说不生不灭处,也不求相见呢。”
当我们对于“现在”也放下而不执着于境的时候,还有什么对生死的疑惑呢?这是“超出三界外,不在五行中”的,只有自己才可以解决。
洞山禅师面对生死下了不少转语,而当他直接面对死亡时,情景又如何呢?
师(洞山)不安,令沙弥传语云居(道膺),乃嘱日;“他或问和尚安乐否,但道云岩路次相绝也(准备与早去世的云岩禅师会面了)汝下此语须远立,恐他打汝。”(知子莫如父)沙弥领旨去,传语声未绝,早被云居打一棒,沙弥无语。师将圆寂,谓众曰:“吾有闲名在世,谁为吾除得?”众皆无对,时沙弥出日:“请和尚法号”(有眼不识泰山,则非泰山)师曰:“吾闲名已谢。”(清扫干净)
僧问:“和尚违和,还有不病者也无?”师日:“有。”曰;“不病者还看和尚否?”师日:“老僧看他有分。”日:“未审和尚如何看他?”师曰:“老僧看时,不见有病”(这个“我”,那个“我”须看得明白)师乃问僧:“离此壳漏子,向甚处与吾相见?”僧无对……乃命剃发、澡身、披衣,声钟辞众,俨然坐化(真是从容不迫)。时大众号恸,移辱不止。师忽开目谓众日:“出家人心不附物,是真修行。劳生惜死,哀悲何益?”复命主事办愚痴斋,众犹慕恋不已,延七日,食具方备,师亦随众斋毕,乃曰:“僧家无事,大率临行之际,勿须喧动。”遂归方丈,端坐长往。
可以说,洞山禅师圆寂是极为风光的,“预知时日,安然坐化”对他而言大概早就是到家本领。洞山是自觉自由的,并非被动的、不自由的如此这般。这既是禅师们如实修炼和体证的自流露,也具有很深刻的内涵--超越了生死的界限,活就能活的自在,死也能死的安然。
唐代禅师渐源仲兴,耒悟时是道吾宗智禅师的侍者。一日随道吾去居士家吊慰,渐源抚棺材曰:“生邪、死邪?”道吾曰:“生也不道,死也不道。”渐源曰:“为什么不道?”道吾曰:“不道,不道。”归至中路,渐源曰:“和尚今日须与某甲道,若不道,打和尚去也!”道吾曰:“打即任打,道即不道。”渐源便打。道吾归寺院曰:
“汝宜离此去,恐知事得知不便。”渐源便礼辞,隐于村院。经三年后,一日忽闻童子念《观音经》至“应以比丘身得度者,即现比丘身而为说法”,忽然大悟,遂焚香遥礼曰:“信知先师遗言终不虚发。自是我不会,却怨先师。”
若言生,是谁生?生从何处来?若言死,是谁死?死往何处去?实无有生死可言,因而道吾说“生也不道,死也不道”,让渐源自己发疑去悟。只有切实自悟无生,才能真了生死。道吾之“不道”,恰是极妙之“道”。渐源因经文启示而大悟,方明道吾“生也不道,死也不道”之遗言“终不虚发”。若问生死假相归于何处?证悟无生,妙“无生”处即是归处。无生,即生也不道死也不道;无生,并非抽象的道理、观念;无生,是最妙的真实的“存在”;无生,方能现种种身;无生,亦即所现种种身。
《五灯会元》卷六中有则“问杀首座”的公案:
九峰道虔禅师。尝为百霜侍者,洎霜归寂;众请首座继住持。师白众曰:”须明得先师意,始可。“座曰:”先师有什么意?“师曰:”先师道:休去,歇去,冷啾啾地去,一条白练去,古庙香炉去,念万年去。其余则无。“问:”如何是一条白练去?”座曰:“这个只是明一色边事。”师曰:“元来未会先师意在。”座曰:“你不肯我,那但装香来,香烟断处,若去不得,即不会先师意。”遂焚香,香烟未断,座已脱去。师曰:“生脱立亡即不无,先师意,末梦见在。”这个首座和尚,能在一柱香的时间内说走就走,“坐脱立亡”,说明他的修行已达到了对于生命自由来去的火候了。虽然九峰道虔禅师对此不称道,但是首座和尚用生命作为答卷的公案,却说明禅者对真理的追求,已经到达视死如归的境界了。
再看一则公案:
法庆禅师的侍者因读了《洞山录》这本禅书以后,感慨地说:“古人在生死中,那么任性自在,实在好奇怪!”之后法庆禅师又道:“我坐化时,你可用话唤醒我,如果叫得回来,就是生死自在之士。”侍者看看禅师,禅师作yu yan颂云:今年五月初五,四大将离本主;白骨当风扬却,免占檀那地土。
时光迅速,到了五月初五,禅师就将所有的衣物交给侍者供僧结缘,刚听到初夜的钟声,就趺坐圆寂,脉搏停止,呼吸全无。
侍者记得当时的谈话,就唤道:“禅师!禅师!”
许久,法庆睁开眼睛,问道:“做什么?”
“禅师为什么不将衣帽鞋袜穿好而去?”“当初来时,我根本就不曾带什么呀!”
侍者一定要将衣服给法庆禅师穿上。法庆禅师穿上衣服,写了一个偈颂交给弟子后,又奄然而化了。所以说修行的人,对于“死”是胸有成竹,无忧无惧的。而禅者虽有生死,却在生死中得大自在。
云岩禅师病重的时候,道吾问他:“如果离开了这个臭皮囊,我们会在什么地方相见呢广云岩说:“不生不灭处相见。”道吾说:“你怎么不说不生不灭处,也不求相见呢。”
当我们对于“现在”也放下而不执着于境的时候,还有什么对生死的疑惑呢?这是“超出三界外,不在五行中”的,只有自己才可以解决。
洞山禅师面对生死下了不少转语,而当他直接面对死亡时,情景又如何呢?
师(洞山)不安,令沙弥传语云居(道膺),乃嘱日;“他或问和尚安乐否,但道云岩路次相绝也(准备与早去世的云岩禅师会面了)汝下此语须远立,恐他打汝。”(知子莫如父)沙弥领旨去,传语声未绝,早被云居打一棒,沙弥无语。师将圆寂,谓众曰:“吾有闲名在世,谁为吾除得?”众皆无对,时沙弥出日:“请和尚法号”(有眼不识泰山,则非泰山)师曰:“吾闲名已谢。”(清扫干净)
僧问:“和尚违和,还有不病者也无?”师日:“有。”曰;“不病者还看和尚否?”师日:“老僧看他有分。”日:“未审和尚如何看他?”师曰:“老僧看时,不见有病”(这个“我”,那个“我”须看得明白)师乃问僧:“离此壳漏子,向甚处与吾相见?”僧无对……乃命剃发、澡身、披衣,声钟辞众,俨然坐化(真是从容不迫)。时大众号恸,移辱不止。师忽开目谓众日:“出家人心不附物,是真修行。劳生惜死,哀悲何益?”复命主事办愚痴斋,众犹慕恋不已,延七日,食具方备,师亦随众斋毕,乃曰:“僧家无事,大率临行之际,勿须喧动。”遂归方丈,端坐长往。
可以说,洞山禅师圆寂是极为风光的,“预知时日,安然坐化”对他而言大概早就是到家本领。洞山是自觉自由的,并非被动的、不自由的如此这般。这既是禅师们如实修炼和体证的自流露,也具有很深刻的内涵--超越了生死的界限,活就能活的自在,死也能死的安然。
専門家 “都民の約80人に1人が療養中” 都モニタリング会議
“まん延防止”延長 病床増加やワクチン接種を加速へ
2022年2月10日
東京都のモニタリング会議のなかで専門家は、都内の感染状況と医療提供体制を、4段階ある警戒レベルのうちいずれも最も深刻なレベルで維持しました。
このうち感染状況は、新規陽性者の7日間平均が9日時点で1万7686.4人となり、1週間前の今月2日より1600人余り増加していて、専門家は「これまでに経験したことがない危機的な感染状況が続いている」と指摘しました。
また、都内で先月、1月3日から30日にかけて、
▽福祉施設で150件
▽学校や教育施設で128件
▽医療機関で17件の、
クラスターが発生したという報告があったことを明らかにしました。
そのうえで、専門家は「医療機関や高齢者施設などでは、職員の就業制限などで社会機能の低下が深刻になりつつある。また、保育園や幼稚園の休園などで保護者が欠勤しなければならず、社会機能に大きな影響を与えていることを注視する必要がある」として、感染防止対策をより一層、徹底するよう呼びかけました。
一方、医療提供体制について専門家は、入院患者が9日時点で4111人と、1週間前の2月2日より、およそ400人増加したと説明しました。
そのうえで「就業制限を受ける医療従事者などが多数発生し、マンパワー不足で患者の受け入れが困難になる医療機関が増加している」と述べ、強い危機感を示しました。
また、都の入院調整本部に調整を依頼する件数が高い水準で推移していて「人工透析や介護が必要な患者、妊婦など入院調整が難航するケースがあり、翌日以降への繰り越しも多数、発生している」と指摘しました。
さらに、感染の急増によって、都内の療養者数は第5波のピーク時をはるかに超えていると説明しました。
専門家は「現在、都民のおよそ80人に1人が検査陽性者として、入院・宿泊・自宅のいずれかで療養している。急変時、症状が重い方や重症化リスクが高い方などが速やかに医療機関を受診して、適切な医療が受けられるよう体制整備を進めるとともに、宿泊および自宅療養体制の充実が必要だ」と指摘しました。
都は1月末までの2か月間、宿泊施設と自宅で療養している人を対象にアンケート調査を行いました。
それによりますと、ワクチンを2回接種した人に複数回答で症状を聞いたところ、
▽頭痛が最も多く75.8%
次いで、
▽発熱が72.6%
▽のどの痛みが66.4%
▽せきが63.1%でした。
都は、第5波の去年8月にも同じ調査を行っていて、去年8月と、ことし1月を比べると、
▽頭痛を訴えた人は59.3%から76.0%に、
▽発熱を訴えた人は57.7%から73.1%に、
▽のどの痛みを訴えた人は45.3%から66.4%に、
それぞれ上昇しました。
会議の中で専門家は「ワクチンは接種後であっても、時間の経過とともに効果が徐々に低下する可能性が指摘されていて、追加接種を進めることが必要だ。オミクロン株は軽症が多いと言われるが、なかには非常に強いのどの痛みを訴える人もいる。ぜひ積極的に接種を検討してもらいたい」と述べました。
今月13日が期限のまん延防止等重点措置が来月6日まで3週間、延長されることを受けて東京都は10日夜、対策をまとめました。それによりますと、現在行われている飲食店への営業時間の短縮要請は重点措置が延長された期間も続けます。
また医療提供体制の強化策として病床使用率が50%を超えて上昇していることを踏まえ、旧東京女子医大の東医療センターと都立や公社の病院を活用して病床を310床増やし、合わせて7229床確保します。
さらにオミクロン株の特性を踏まえた対策として重症化リスクが高い高齢者への3回目のワクチン接種を加速させるため、車内で接種を受けられる「ワクチンバス」を編成し、高齢者施設などを巡回させます。
「ワクチンバス」は2つ編成され、施設の入所者や従事者を対象に1日当たりおよそ100人から200人にモデルナのワクチンを接種していくということです。
また感染拡大で保育所などが休園した場合も保護者が仕事を続けられるよう区市町村が児童館などを活用して預かり先を確保した場合、財政面で支援することにしています。
【小池知事「総力戦で感染を止める」】
小池知事は記者団に対し「命と暮らしを守ることが最も重要だ。都民、事業者、行政それぞれが持てる力をすべて発揮して、まさしく総力戦で『感染を止める、社会は止めない』これを推し進めていきたい」と述べました。
また都内の感染確認が9日と10日、2日連続で前の週の同じ曜日を下回ったことに関連し、小池知事は「ピークアウトの議論にエネルギーをかけるよりは、現場はしっかりと一人ひとりの命を守りながらワクチンの接種や経口薬の開発への支援などをやっていくことが必要だ」と述べました。
“まん延防止”延長 病床増加やワクチン接種を加速へ
2022年2月10日
東京都のモニタリング会議のなかで専門家は、都内の感染状況と医療提供体制を、4段階ある警戒レベルのうちいずれも最も深刻なレベルで維持しました。
このうち感染状況は、新規陽性者の7日間平均が9日時点で1万7686.4人となり、1週間前の今月2日より1600人余り増加していて、専門家は「これまでに経験したことがない危機的な感染状況が続いている」と指摘しました。
また、都内で先月、1月3日から30日にかけて、
▽福祉施設で150件
▽学校や教育施設で128件
▽医療機関で17件の、
クラスターが発生したという報告があったことを明らかにしました。
そのうえで、専門家は「医療機関や高齢者施設などでは、職員の就業制限などで社会機能の低下が深刻になりつつある。また、保育園や幼稚園の休園などで保護者が欠勤しなければならず、社会機能に大きな影響を与えていることを注視する必要がある」として、感染防止対策をより一層、徹底するよう呼びかけました。
一方、医療提供体制について専門家は、入院患者が9日時点で4111人と、1週間前の2月2日より、およそ400人増加したと説明しました。
そのうえで「就業制限を受ける医療従事者などが多数発生し、マンパワー不足で患者の受け入れが困難になる医療機関が増加している」と述べ、強い危機感を示しました。
また、都の入院調整本部に調整を依頼する件数が高い水準で推移していて「人工透析や介護が必要な患者、妊婦など入院調整が難航するケースがあり、翌日以降への繰り越しも多数、発生している」と指摘しました。
さらに、感染の急増によって、都内の療養者数は第5波のピーク時をはるかに超えていると説明しました。
専門家は「現在、都民のおよそ80人に1人が検査陽性者として、入院・宿泊・自宅のいずれかで療養している。急変時、症状が重い方や重症化リスクが高い方などが速やかに医療機関を受診して、適切な医療が受けられるよう体制整備を進めるとともに、宿泊および自宅療養体制の充実が必要だ」と指摘しました。
都は1月末までの2か月間、宿泊施設と自宅で療養している人を対象にアンケート調査を行いました。
それによりますと、ワクチンを2回接種した人に複数回答で症状を聞いたところ、
▽頭痛が最も多く75.8%
次いで、
▽発熱が72.6%
▽のどの痛みが66.4%
▽せきが63.1%でした。
都は、第5波の去年8月にも同じ調査を行っていて、去年8月と、ことし1月を比べると、
▽頭痛を訴えた人は59.3%から76.0%に、
▽発熱を訴えた人は57.7%から73.1%に、
▽のどの痛みを訴えた人は45.3%から66.4%に、
それぞれ上昇しました。
会議の中で専門家は「ワクチンは接種後であっても、時間の経過とともに効果が徐々に低下する可能性が指摘されていて、追加接種を進めることが必要だ。オミクロン株は軽症が多いと言われるが、なかには非常に強いのどの痛みを訴える人もいる。ぜひ積極的に接種を検討してもらいたい」と述べました。
今月13日が期限のまん延防止等重点措置が来月6日まで3週間、延長されることを受けて東京都は10日夜、対策をまとめました。それによりますと、現在行われている飲食店への営業時間の短縮要請は重点措置が延長された期間も続けます。
また医療提供体制の強化策として病床使用率が50%を超えて上昇していることを踏まえ、旧東京女子医大の東医療センターと都立や公社の病院を活用して病床を310床増やし、合わせて7229床確保します。
さらにオミクロン株の特性を踏まえた対策として重症化リスクが高い高齢者への3回目のワクチン接種を加速させるため、車内で接種を受けられる「ワクチンバス」を編成し、高齢者施設などを巡回させます。
「ワクチンバス」は2つ編成され、施設の入所者や従事者を対象に1日当たりおよそ100人から200人にモデルナのワクチンを接種していくということです。
また感染拡大で保育所などが休園した場合も保護者が仕事を続けられるよう区市町村が児童館などを活用して預かり先を確保した場合、財政面で支援することにしています。
【小池知事「総力戦で感染を止める」】
小池知事は記者団に対し「命と暮らしを守ることが最も重要だ。都民、事業者、行政それぞれが持てる力をすべて発揮して、まさしく総力戦で『感染を止める、社会は止めない』これを推し進めていきたい」と述べました。
また都内の感染確認が9日と10日、2日連続で前の週の同じ曜日を下回ったことに関連し、小池知事は「ピークアウトの議論にエネルギーをかけるよりは、現場はしっかりと一人ひとりの命を守りながらワクチンの接種や経口薬の開発への支援などをやっていくことが必要だ」と述べました。
中观甚深心要善说(22):对宗喀巴中观的批判
更敦群培
十八世纪西藏格鲁派传承所绘龙树菩萨及印度各大成就者唐卡,收藏于美国鲁宾艺术博物馆
“没有给所破事加上‘实有’简别就是断见的话,那么不给‘实有’加上‘自性’简别,就肯定是断见。”自从无始以来,我们都无法做出“实有”简别,如今要加上这一简别,然后再予以破除,这并不是有的放矢,而是另立一个目标放矢。如果自无始以来都不知道给瓶子加以“实有”简别,那么就算现在进行修学,又有谁能做到呢?
扩展阅读“自性”简别
中观以破为主,这样的教法不仅常常被其他教派批评为容易落入断灭见,连中观派内部也有对破的力度、程度太过的担心,在重视缘起法的宗喀巴那里,对于所破太过,自然更加需要防范小心。在《菩提道次第广论》的毗钵舍那章中, 宗喀巴提到了一种自许为“释中观义者”,说他们认为“从色乃至一切种智一切诸法,皆能破除。随许何法,若以正理而正观察,皆无尘许能忍观察”。这在宗喀巴看来是谬见,所破太过。为了防止所破太过,首先重要的是认清什么是应该破除的对象:
“若未了知所破量齐破太过者,失坏因果缘起次第,堕断灭边,即由彼见引入恶趣,故应善明所破为要。此未善明,决定发生或是常见或断见故。”
宗喀巴强调不是诸法,而是对诸法“自性有”生起的“实执”,以及所执著的“实有自性”,才是要被破斥的两个对象。所以格鲁派一直强调要遮遣的时候,一定要加“自性”这一简别来精确所破除的对象。
因为这一简别,龙树所破的“有”“无”两边,也被诠释成为:“有”——是对“有自性”的执著,“无”——认为诸法之前所有的“自性”,在后来又失坏而成为“无”,所以这就成了断见。宗喀巴主张,那些认为一切法“毕竟非有”的人,是落入了断见。
就算是胜义谛,也只是在世俗上存在;它在胜义上不存在。“胜义上存在”的体系是找不到的。就算是胜义谛,也是以非胜义的方式成立的。也就是说,它是在世俗上建立的,是为心识而立,只不过是为没有被惑乱因[惑乱因:生起错乱之因或缘]沾染的、无过咎之心识而立。否则,就没有办法安立任何所知事的施设了。所以,只有这个才是安立世俗的基础,对于这个见解,印度和西藏前后期的学者们没有人会表示反对。
总之,如果人们不相信正理在破除[所破事]后仍然会有一个承许,那么一般而言,他就算不上是中观派,更不要说是应成派了*。
*译者注: �使用正理进行破除的话,哪怕是格鲁派学者认为不会有引生成立余法的“无遮”,也是会留有承许。更敦群培在后文中还有进一步阐述。
正理本身要受其所破程度的限制。“知道兔子无角的心就不能破除兔头”,这种精微的分析,没有什么太大意义。
如果人们不愿意自宗宗义出现相违的语言,比如数论派所说的“因中虽有果,但不可见”,还有唯识宗说“二取其性为一,外境仍显”,还有中观派的解释:“在抉择后为无,但是在不加抉择的心中却为有”,凡此种种,只是各派宗义的言论,用句子之间的转折词连接相违的话语。所谓“相违”,有两种情况:相违的二者并列在一起,哪怕彼此并不相顺;确定相违的二者彼此无违地列在一起,这也是一个相违。就后者来说,这样的相违,比如“非无,并不即为有”,和“非有,并不为无”*等,在中观派中都有出现。不仅仅对于凡夫俗子来说,这些矛盾是相违的,中观派也不得不承认它们的确是相违的。但这只是他们的一个承许,只不过是他方承许,而且和“承许世俗”是一样的。
* 宗喀巴大师在《菩提道次第广论》中提到这种说法,认为是自相矛盾的无义之语:“若未如是分别全无与无自性,有性与有之差别,而于破除有无边时,但作是说:‘我非说无,是说非有,及非说有,是说非无者,纯相违语,非能略说中观深义。”
杰喇嘛[宗喀巴]的主张是,色法等对于根识而言,是显现为“有”的;但在根本上,这个显现的“有”是不存在的——这就是不在世俗上说“自相”的意义。
用正理智破除一法后定其“无”,这和用其他的道理破除一法后定其为“无”,两者怎么可能一样?有“自性无即根本无”这样想法的心,知道“无”亦是空,是不可能堕入断见的。如月称所说,外道之理认为无有因果、因缘等,确立世俗法的某些部分为“有”,然后又认为某些部分为“无”,这是断见——人们得明白这个“无”是属于世俗范围内的,正是四边离戏要远离的“无”边。于是,善逝在谈及远离有无两边之时,授记说“其名呼曰龙,能破有无边”,凭此预言,人们应该对大师及其宗生起胜解。
经典中对龙树菩萨的授记
《楞伽经》云:“南方碑达国,有吉祥比丘,其名呼曰龙,能破有无边,于世宏我教,善说无上乘,证得欢喜地,往生极乐国。”
《文殊根本续》中说:“如来涅槃后,直至四百年,名龙比丘出,于教信且益,得证极喜地。享寿六百岁,孔雀大明王,彼修得成就,各种论藏义,彼达无实理。至彼舍身时,得生极乐土,最终彼大德,清净证佛位。”
然而,无法见到法界和不可思议境界并不是因为寄信于“有”的这一过咎,而是因为对于“无”没有信心。同类凡夫的永远不得之物,在“有”的范围中找的话,是得不到的。所以,比如十力、四不共、身心双运等所有功德,都在我们的这一“无”的范围之内。
外面这个“有”的世界似乎受到了所谓“无”的束缚。哪怕是“无火必然无烟”等周遍实际上也是由“无”来限定、束缚出“有”的。因此,破除“无”边,是所有正理中最为微妙的。之所以这么说,是因为所有世间显现的究竟正理,实际上仍然是基于“无”的,进一步来说,其实是基于“无得”,所以无法超越——那是如来经过了三大阿僧祇劫才证到的境界,我们又怎么能得以见到呢?
衮钦果仁巴的立场,简单说来就是,证得胜义无,是为阿罗汉;证得“亦非胜义无”等四无相,是证得了大乘位次。他说雪域中那些执著谛实无的人,将中观变成了断见。依断见还能证阿罗汉果,真是奇哉怪也!
一般说来,不管什么显教、密续的论典注疏,都认为烦恼障是通过见所破,所知障则是通过方便来破除。因此,说要在感受的不同上来区别烦恼障和所知障,这实在是糊涂话。
补充阅读果仁巴对宗喀巴的批判
果仁巴(1429-1489),萨迦派大师,于因明、量论极为通达,著有《量理宝藏论释·光明疏》、《开显因明七论释》,《见解辨别——胜乘要义月光》等诸多论典。衮钦,意为一切智,为对人的敬称,“全知”之义。他的著作中,《见解辨别》、《中观总义》、《除恶见》三部著作都与批判宗喀巴的中观见有关。
果仁巴把藏地学者对龙树以来的中观学说的理解分作三派:
1.错误的常边中观——觉囊派笃补巴·喜饶坚赞所宣说的“他空见”。�2.错误的断边中观——宗喀巴一宗所提倡的中观见,即执著破除万法实有后所得的“空”。
3.正确的离边中观——就是包括果仁巴自己在内的主张远离有、无、非有非无等等极端、断除任何执边之相的中道。
在他所著的《见解辨别》中,他对宗喀巴进行了严厉的指控,斥责他“仅执着于离实有之空,不许非有非无等离边正见,莫非此见就是文殊给予您的上师乌玛巴(即西宁喇嘛精进狮子)的宗义?与圣者龙树父子诸论相违。”
果仁巴在《见解辨别》中提到宗喀巴的中观是“破彼[真实]之后,若于真实空性生起执着(即执着于‘真实为空’),则如同骑马者没从右侧落马,却又从左侧落马,仍然没能避免落入断边。故应破除彼见(即‘执着于空性’)。……是故,须破二执及不二执,四边所执皆不可得,于彼尽无执着。若因此而谓‘了悟中[观]见’,生起‘此为中[观]见解’一边执着,则不论执着于‘空’或者‘不空’,皆未免边执,故非中见。”( 原文见《见解辨别》木刻藏文版,此处转引自王尧、褚俊杰所著《宗喀巴思想的历史渊源》,《中国藏学》1991年第3期, p45-61。)
在果仁巴看来,宗喀巴一派对 “破除万法自性”本身所有的执著,恰恰落入了断见。在批判宗喀巴的中观见地上,更敦群培和果仁巴立场一致。
另外,格鲁派认为已证悟的声闻和缘觉通达了大乘般若经典中所说的法无我空性,与大乘登地菩萨所证的空性一致,果仁巴对此说有批判。他在《见解辨别》中说:“若未了悟一般四相中的任何一种无相的话,就无法得到解脱。假如要得到声闻菩提,必须了悟实有无相。要了悟大乘菩提,必须了悟四种无相。所以小乘经典中说,色如气泡般,(受如水泡般,想如阳炎般,行如芭蕉般,识如幻影般)太阳清等等,彼诸论典中,只提到无实有相而已,但大乘中圆满提到四无相法。所以依据经论可知大小乘在见解上有很大差别。”他主张远离四边的空性是大乘不共法,为二乘所不知。
更敦群培
十八世纪西藏格鲁派传承所绘龙树菩萨及印度各大成就者唐卡,收藏于美国鲁宾艺术博物馆
“没有给所破事加上‘实有’简别就是断见的话,那么不给‘实有’加上‘自性’简别,就肯定是断见。”自从无始以来,我们都无法做出“实有”简别,如今要加上这一简别,然后再予以破除,这并不是有的放矢,而是另立一个目标放矢。如果自无始以来都不知道给瓶子加以“实有”简别,那么就算现在进行修学,又有谁能做到呢?
扩展阅读“自性”简别
中观以破为主,这样的教法不仅常常被其他教派批评为容易落入断灭见,连中观派内部也有对破的力度、程度太过的担心,在重视缘起法的宗喀巴那里,对于所破太过,自然更加需要防范小心。在《菩提道次第广论》的毗钵舍那章中, 宗喀巴提到了一种自许为“释中观义者”,说他们认为“从色乃至一切种智一切诸法,皆能破除。随许何法,若以正理而正观察,皆无尘许能忍观察”。这在宗喀巴看来是谬见,所破太过。为了防止所破太过,首先重要的是认清什么是应该破除的对象:
“若未了知所破量齐破太过者,失坏因果缘起次第,堕断灭边,即由彼见引入恶趣,故应善明所破为要。此未善明,决定发生或是常见或断见故。”
宗喀巴强调不是诸法,而是对诸法“自性有”生起的“实执”,以及所执著的“实有自性”,才是要被破斥的两个对象。所以格鲁派一直强调要遮遣的时候,一定要加“自性”这一简别来精确所破除的对象。
因为这一简别,龙树所破的“有”“无”两边,也被诠释成为:“有”——是对“有自性”的执著,“无”——认为诸法之前所有的“自性”,在后来又失坏而成为“无”,所以这就成了断见。宗喀巴主张,那些认为一切法“毕竟非有”的人,是落入了断见。
就算是胜义谛,也只是在世俗上存在;它在胜义上不存在。“胜义上存在”的体系是找不到的。就算是胜义谛,也是以非胜义的方式成立的。也就是说,它是在世俗上建立的,是为心识而立,只不过是为没有被惑乱因[惑乱因:生起错乱之因或缘]沾染的、无过咎之心识而立。否则,就没有办法安立任何所知事的施设了。所以,只有这个才是安立世俗的基础,对于这个见解,印度和西藏前后期的学者们没有人会表示反对。
总之,如果人们不相信正理在破除[所破事]后仍然会有一个承许,那么一般而言,他就算不上是中观派,更不要说是应成派了*。
*译者注: �使用正理进行破除的话,哪怕是格鲁派学者认为不会有引生成立余法的“无遮”,也是会留有承许。更敦群培在后文中还有进一步阐述。
正理本身要受其所破程度的限制。“知道兔子无角的心就不能破除兔头”,这种精微的分析,没有什么太大意义。
如果人们不愿意自宗宗义出现相违的语言,比如数论派所说的“因中虽有果,但不可见”,还有唯识宗说“二取其性为一,外境仍显”,还有中观派的解释:“在抉择后为无,但是在不加抉择的心中却为有”,凡此种种,只是各派宗义的言论,用句子之间的转折词连接相违的话语。所谓“相违”,有两种情况:相违的二者并列在一起,哪怕彼此并不相顺;确定相违的二者彼此无违地列在一起,这也是一个相违。就后者来说,这样的相违,比如“非无,并不即为有”,和“非有,并不为无”*等,在中观派中都有出现。不仅仅对于凡夫俗子来说,这些矛盾是相违的,中观派也不得不承认它们的确是相违的。但这只是他们的一个承许,只不过是他方承许,而且和“承许世俗”是一样的。
* 宗喀巴大师在《菩提道次第广论》中提到这种说法,认为是自相矛盾的无义之语:“若未如是分别全无与无自性,有性与有之差别,而于破除有无边时,但作是说:‘我非说无,是说非有,及非说有,是说非无者,纯相违语,非能略说中观深义。”
杰喇嘛[宗喀巴]的主张是,色法等对于根识而言,是显现为“有”的;但在根本上,这个显现的“有”是不存在的——这就是不在世俗上说“自相”的意义。
用正理智破除一法后定其“无”,这和用其他的道理破除一法后定其为“无”,两者怎么可能一样?有“自性无即根本无”这样想法的心,知道“无”亦是空,是不可能堕入断见的。如月称所说,外道之理认为无有因果、因缘等,确立世俗法的某些部分为“有”,然后又认为某些部分为“无”,这是断见——人们得明白这个“无”是属于世俗范围内的,正是四边离戏要远离的“无”边。于是,善逝在谈及远离有无两边之时,授记说“其名呼曰龙,能破有无边”,凭此预言,人们应该对大师及其宗生起胜解。
经典中对龙树菩萨的授记
《楞伽经》云:“南方碑达国,有吉祥比丘,其名呼曰龙,能破有无边,于世宏我教,善说无上乘,证得欢喜地,往生极乐国。”
《文殊根本续》中说:“如来涅槃后,直至四百年,名龙比丘出,于教信且益,得证极喜地。享寿六百岁,孔雀大明王,彼修得成就,各种论藏义,彼达无实理。至彼舍身时,得生极乐土,最终彼大德,清净证佛位。”
然而,无法见到法界和不可思议境界并不是因为寄信于“有”的这一过咎,而是因为对于“无”没有信心。同类凡夫的永远不得之物,在“有”的范围中找的话,是得不到的。所以,比如十力、四不共、身心双运等所有功德,都在我们的这一“无”的范围之内。
外面这个“有”的世界似乎受到了所谓“无”的束缚。哪怕是“无火必然无烟”等周遍实际上也是由“无”来限定、束缚出“有”的。因此,破除“无”边,是所有正理中最为微妙的。之所以这么说,是因为所有世间显现的究竟正理,实际上仍然是基于“无”的,进一步来说,其实是基于“无得”,所以无法超越——那是如来经过了三大阿僧祇劫才证到的境界,我们又怎么能得以见到呢?
衮钦果仁巴的立场,简单说来就是,证得胜义无,是为阿罗汉;证得“亦非胜义无”等四无相,是证得了大乘位次。他说雪域中那些执著谛实无的人,将中观变成了断见。依断见还能证阿罗汉果,真是奇哉怪也!
一般说来,不管什么显教、密续的论典注疏,都认为烦恼障是通过见所破,所知障则是通过方便来破除。因此,说要在感受的不同上来区别烦恼障和所知障,这实在是糊涂话。
补充阅读果仁巴对宗喀巴的批判
果仁巴(1429-1489),萨迦派大师,于因明、量论极为通达,著有《量理宝藏论释·光明疏》、《开显因明七论释》,《见解辨别——胜乘要义月光》等诸多论典。衮钦,意为一切智,为对人的敬称,“全知”之义。他的著作中,《见解辨别》、《中观总义》、《除恶见》三部著作都与批判宗喀巴的中观见有关。
果仁巴把藏地学者对龙树以来的中观学说的理解分作三派:
1.错误的常边中观——觉囊派笃补巴·喜饶坚赞所宣说的“他空见”。�2.错误的断边中观——宗喀巴一宗所提倡的中观见,即执著破除万法实有后所得的“空”。
3.正确的离边中观——就是包括果仁巴自己在内的主张远离有、无、非有非无等等极端、断除任何执边之相的中道。
在他所著的《见解辨别》中,他对宗喀巴进行了严厉的指控,斥责他“仅执着于离实有之空,不许非有非无等离边正见,莫非此见就是文殊给予您的上师乌玛巴(即西宁喇嘛精进狮子)的宗义?与圣者龙树父子诸论相违。”
果仁巴在《见解辨别》中提到宗喀巴的中观是“破彼[真实]之后,若于真实空性生起执着(即执着于‘真实为空’),则如同骑马者没从右侧落马,却又从左侧落马,仍然没能避免落入断边。故应破除彼见(即‘执着于空性’)。……是故,须破二执及不二执,四边所执皆不可得,于彼尽无执着。若因此而谓‘了悟中[观]见’,生起‘此为中[观]见解’一边执着,则不论执着于‘空’或者‘不空’,皆未免边执,故非中见。”( 原文见《见解辨别》木刻藏文版,此处转引自王尧、褚俊杰所著《宗喀巴思想的历史渊源》,《中国藏学》1991年第3期, p45-61。)
在果仁巴看来,宗喀巴一派对 “破除万法自性”本身所有的执著,恰恰落入了断见。在批判宗喀巴的中观见地上,更敦群培和果仁巴立场一致。
另外,格鲁派认为已证悟的声闻和缘觉通达了大乘般若经典中所说的法无我空性,与大乘登地菩萨所证的空性一致,果仁巴对此说有批判。他在《见解辨别》中说:“若未了悟一般四相中的任何一种无相的话,就无法得到解脱。假如要得到声闻菩提,必须了悟实有无相。要了悟大乘菩提,必须了悟四种无相。所以小乘经典中说,色如气泡般,(受如水泡般,想如阳炎般,行如芭蕉般,识如幻影般)太阳清等等,彼诸论典中,只提到无实有相而已,但大乘中圆满提到四无相法。所以依据经论可知大小乘在见解上有很大差别。”他主张远离四边的空性是大乘不共法,为二乘所不知。
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