KinKi Kids感謝と奇跡の25周年公演「思いがダイレクトに」剛「愛情をいただいて」光一
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KinKi Kidsが7日、東京ドームで、CDデビュー25周年イベント「24451~君と僕の声~」の最終日公演を開催した。25年間支えられたファンや、2人を引き合わせたジャニー喜多川氏への感謝をかみしめながら、新旧織り交ぜた楽曲を披露した。
冒頭で堂本光一(43)、剛(43)が順に登場し、拍手を浴びた。光一はりりしい表情で歩き出し、剛は両手を広げて観客に軽く会釈した。ステージ向かって左から光一が、右から剛が中央に向かって移動。交差する瞬間、ハイタッチの要領で掲げた腕と腕をぶつけ合った。デビュー前に歌っていた楽曲「FRIENDS」。より一層、大きな拍手が沸き起こった。
97年7月のデビュー以来25年間、芸能界の第一線で楽曲やライブを積み重ねてきた。特に東京ドームは98年からほぼ毎年ライブやイベントを開催し、この日が通算62公演目。剛は「最初に東京ドームに立たせていただいた時は、こんなにも長くライブをさせてもらえる人生だと思ってもなかった。本当に想像してなかったです」と振り返った。
19年9月には、同年7月に亡くなったジャニー氏のお別れ会が執り行われた会場でもある。剛は「ジャニーさんはいつも三塁側のベンチから見てくれていた。そういう姿がどうしてもよみがえってきます」としみじみ。光一は「ジャニーさんはこのイベント見て多分怒っていると思いますよ。『つまんないよ』って」と笑い、「本当にいろんな奇跡が重なってこの2人で活動することになった。その2人を出会わせてくれたジャニーさんには感謝ですね」とほほ笑んだ。
デビュー曲「硝子の少年」や最新シングル「Amazing Love」などメドレー含む14曲を歌い、ファン5万5000人を魅了した。移動ステージでアリーナを外周する演出も。17年7月の20周年イベントでは突発性難聴のため中継での出演となり、ステージに立てなかった剛は「皆さんの表情から、いろんな思いとかがすごくダイレクトに伝わるんです。5年前のこともありますし。泣くのを必死にこらえながら歌っています」と明かした。
ラストに光一は「25周年の感謝を伝えるはずが、それ以上の愛情をいただいちゃっています。1つ1つの奇跡があって今があります。新しい奇跡をこれから先また作っていきましょう」と呼び掛け、「また、冬にここでお会いしましょう!」と再会を約束した。光一が人さし指を1本立て、剛が横にしたピースを重ねてアルファベットの「K」を作った。大きな拍手を浴び、節目のスペシャルイベントを締めくくった。25年間の感謝を胸に、2人の奇跡のような日々は続いていく。
デビュー25周年KinKiKidsが吉田拓郎に感謝 堂本光一「たくさんの影響をくださった」
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KinKi Kidsが7日、東京ドームで、CDデビュー25周年イベント「24451~君と僕の声~」の最終日公演を開催した。フジテレビ系音楽バラエティー「LOVE LOVE あいしてる」でかつて共演し、堂本光一(43)剛(43)の2人にギターや音楽を教えたシンガー・ソングライター吉田拓郎(76)への感謝も伝えた。
拓郎は先月放送の同番組最終回スペシャルが最後のテレビ出演となった。この日のイベントでは光一が「花束を渡した時の拓郎さんの顔がいまだに忘れられません。我々にたくさんの影響をくださった方です。この曲も、今に寄り添ってくれる曲。拓郎さんと我々のことを歌ってくれている」と伝え、拓郎が作曲した「全部だきしめて」を歌った。
25年間で印象に残った出来事を聞かれると、光一は「2人きりのエピソードというよりは、そこには拓郎さんがいたりして。そういう光景を思い起こしちゃいますね。本当にくだらない話をしてる瞬間だとか、もちろんハワイにロケ行ったとか。毎週のようにお会いしていたので」と振り返った。「拓郎さんがおっしゃっていたのは、『僕はKinKiとしては見てないよ。剛は剛、光一は光一としてしか見ていない』って。それくらいよく見てくださっていた方なので」と明かした。
キンキ25周年イベント 5年前ステージに立てなかった剛は「泣くのを必死にこらえながら」歌う
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17年7月に横浜スタジアムで行われた20周年イベントでは、堂本剛(43)が突発性難聴のため中継のみの出演にとどまり、ステージに立てなかった。堂本光一(43)は「もちろん、ああいった形になったからこそ感じる支えというものもありましたけど、またこうして2人でステージに立って歌っていること、思いを届けること、その姿で感じてもらえるものもあると思います」と話した。
剛は「当時僕自身は、当たり前ですけれども、何がなんでもステージに行きたかったです。でも出た結論はやっぱり、ステージには行けませんでした」と5年前を振り返った。「今回は自分がステージに立つということがかなえられましたし、何よりもフロート(移動ステージ)に乗って歌う演出もありました。皆さんの表情から、言葉にならない、いろんな思いとかがすごくダイレクトに伝わるんです。5年前のこともありますし。泣くのを必死にこらえながら歌っています」と明かした。
デビューシングル「硝子の少年」から45作連続初登場1位/KinKi Kidsアラカルト
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KinKi Kidsが7日、東京ドームで、CDデビュー25周年イベント「24451~君と僕の声~」の最終日公演を開催した。25年間支えられたファンや、2人を引き合わせたジャニー喜多川氏への感謝をかみしめながら、新旧織り交ぜた楽曲を披露した。
<KinKi Kids25周年アラカルト>
▼シングル 97年7月のデビューシングル「硝子の少年」から先月発売の最新シングル「Amazing Love」まで45作連続でオリコン週間シングルランキング初登場1位を獲得。ギネスにも登録(現在登録上は44作で、45作は申請中)されている、自身の持つデビューからのシングル連続1位獲得数記録を更新した。なおシングル連続1位獲得年数の「26年」もギネス記録。
▼ライブ&イベント デビュー前の94年に東京・日本武道館で開催した初コンサートから数えると通算501公演。総動員数は993万6900人。
▼東京ドーム 単独アーティストとしての最多公演数記録でもある、通算62公演のライブやイベントを開催。東京ドーム公演だけでも累計341万3000人を動員した。
【記者の目】KinKi Kidsの存在は“奇跡”両極端な2人が絶妙距離感で互いに尊重
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KinKi Kidsが7日、東京ドームで、CDデビュー25周年イベント「24451~君と僕の声~」の最終日公演を開催した。25年間支えられたファンや、2人を引き合わせたジャニー喜多川氏への感謝をかみしめながら、新旧織り交ぜた楽曲を披露した。
KinKi Kidsが25年間活動を続けられた要因は-。2人に尋ねると、光一は「つかず離れずとか、そういうところじゃないですか」と答え、剛は「無理にお互い合わせようとも思っていないですし。でも両極端な2人なので生み出せるモノがあるというか。それがクセがあって、面白いんですかね」と推測した。
楽屋裏やプライベートで会話することは少ない。絶妙な距離感は、長続きした秘訣(ひけつ)の1つだろう。2人をよく知るテレビ局関係者は「歌番組でも、全くルールやスタイルに縛られない。『お互いにやりたいことをやればいいやん』という雰囲気で、後のことはスタッフに任せてくれる。それぞれ多く干渉しないのは、尊重し合っている証拠でしょう」と話した。
光一は「奇跡が重なってできた2人組なので。めちゃくちゃ壮大な話ですけど、宇宙に地球が存在して、その中で今この時代に生きていて、その2人が組まされるって。とんでもないことだと思うんですよね」と笑った。一説によると「堂本」という名字は、日本に5000人弱しかいないという。やすやすと使える表現ではないが、やはり“奇跡”のような2人組だ。【横山慧】
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KinKi Kidsが7日、東京ドームで、CDデビュー25周年イベント「24451~君と僕の声~」の最終日公演を開催した。25年間支えられたファンや、2人を引き合わせたジャニー喜多川氏への感謝をかみしめながら、新旧織り交ぜた楽曲を披露した。
冒頭で堂本光一(43)、剛(43)が順に登場し、拍手を浴びた。光一はりりしい表情で歩き出し、剛は両手を広げて観客に軽く会釈した。ステージ向かって左から光一が、右から剛が中央に向かって移動。交差する瞬間、ハイタッチの要領で掲げた腕と腕をぶつけ合った。デビュー前に歌っていた楽曲「FRIENDS」。より一層、大きな拍手が沸き起こった。
97年7月のデビュー以来25年間、芸能界の第一線で楽曲やライブを積み重ねてきた。特に東京ドームは98年からほぼ毎年ライブやイベントを開催し、この日が通算62公演目。剛は「最初に東京ドームに立たせていただいた時は、こんなにも長くライブをさせてもらえる人生だと思ってもなかった。本当に想像してなかったです」と振り返った。
19年9月には、同年7月に亡くなったジャニー氏のお別れ会が執り行われた会場でもある。剛は「ジャニーさんはいつも三塁側のベンチから見てくれていた。そういう姿がどうしてもよみがえってきます」としみじみ。光一は「ジャニーさんはこのイベント見て多分怒っていると思いますよ。『つまんないよ』って」と笑い、「本当にいろんな奇跡が重なってこの2人で活動することになった。その2人を出会わせてくれたジャニーさんには感謝ですね」とほほ笑んだ。
デビュー曲「硝子の少年」や最新シングル「Amazing Love」などメドレー含む14曲を歌い、ファン5万5000人を魅了した。移動ステージでアリーナを外周する演出も。17年7月の20周年イベントでは突発性難聴のため中継での出演となり、ステージに立てなかった剛は「皆さんの表情から、いろんな思いとかがすごくダイレクトに伝わるんです。5年前のこともありますし。泣くのを必死にこらえながら歌っています」と明かした。
ラストに光一は「25周年の感謝を伝えるはずが、それ以上の愛情をいただいちゃっています。1つ1つの奇跡があって今があります。新しい奇跡をこれから先また作っていきましょう」と呼び掛け、「また、冬にここでお会いしましょう!」と再会を約束した。光一が人さし指を1本立て、剛が横にしたピースを重ねてアルファベットの「K」を作った。大きな拍手を浴び、節目のスペシャルイベントを締めくくった。25年間の感謝を胸に、2人の奇跡のような日々は続いていく。
デビュー25周年KinKiKidsが吉田拓郎に感謝 堂本光一「たくさんの影響をくださった」
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KinKi Kidsが7日、東京ドームで、CDデビュー25周年イベント「24451~君と僕の声~」の最終日公演を開催した。フジテレビ系音楽バラエティー「LOVE LOVE あいしてる」でかつて共演し、堂本光一(43)剛(43)の2人にギターや音楽を教えたシンガー・ソングライター吉田拓郎(76)への感謝も伝えた。
拓郎は先月放送の同番組最終回スペシャルが最後のテレビ出演となった。この日のイベントでは光一が「花束を渡した時の拓郎さんの顔がいまだに忘れられません。我々にたくさんの影響をくださった方です。この曲も、今に寄り添ってくれる曲。拓郎さんと我々のことを歌ってくれている」と伝え、拓郎が作曲した「全部だきしめて」を歌った。
25年間で印象に残った出来事を聞かれると、光一は「2人きりのエピソードというよりは、そこには拓郎さんがいたりして。そういう光景を思い起こしちゃいますね。本当にくだらない話をしてる瞬間だとか、もちろんハワイにロケ行ったとか。毎週のようにお会いしていたので」と振り返った。「拓郎さんがおっしゃっていたのは、『僕はKinKiとしては見てないよ。剛は剛、光一は光一としてしか見ていない』って。それくらいよく見てくださっていた方なので」と明かした。
キンキ25周年イベント 5年前ステージに立てなかった剛は「泣くのを必死にこらえながら」歌う
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17年7月に横浜スタジアムで行われた20周年イベントでは、堂本剛(43)が突発性難聴のため中継のみの出演にとどまり、ステージに立てなかった。堂本光一(43)は「もちろん、ああいった形になったからこそ感じる支えというものもありましたけど、またこうして2人でステージに立って歌っていること、思いを届けること、その姿で感じてもらえるものもあると思います」と話した。
剛は「当時僕自身は、当たり前ですけれども、何がなんでもステージに行きたかったです。でも出た結論はやっぱり、ステージには行けませんでした」と5年前を振り返った。「今回は自分がステージに立つということがかなえられましたし、何よりもフロート(移動ステージ)に乗って歌う演出もありました。皆さんの表情から、言葉にならない、いろんな思いとかがすごくダイレクトに伝わるんです。5年前のこともありますし。泣くのを必死にこらえながら歌っています」と明かした。
デビューシングル「硝子の少年」から45作連続初登場1位/KinKi Kidsアラカルト
https://t.cn/A6S7V0z6
KinKi Kidsが7日、東京ドームで、CDデビュー25周年イベント「24451~君と僕の声~」の最終日公演を開催した。25年間支えられたファンや、2人を引き合わせたジャニー喜多川氏への感謝をかみしめながら、新旧織り交ぜた楽曲を披露した。
<KinKi Kids25周年アラカルト>
▼シングル 97年7月のデビューシングル「硝子の少年」から先月発売の最新シングル「Amazing Love」まで45作連続でオリコン週間シングルランキング初登場1位を獲得。ギネスにも登録(現在登録上は44作で、45作は申請中)されている、自身の持つデビューからのシングル連続1位獲得数記録を更新した。なおシングル連続1位獲得年数の「26年」もギネス記録。
▼ライブ&イベント デビュー前の94年に東京・日本武道館で開催した初コンサートから数えると通算501公演。総動員数は993万6900人。
▼東京ドーム 単独アーティストとしての最多公演数記録でもある、通算62公演のライブやイベントを開催。東京ドーム公演だけでも累計341万3000人を動員した。
【記者の目】KinKi Kidsの存在は“奇跡”両極端な2人が絶妙距離感で互いに尊重
https://t.cn/A6S7V0zX
KinKi Kidsが7日、東京ドームで、CDデビュー25周年イベント「24451~君と僕の声~」の最終日公演を開催した。25年間支えられたファンや、2人を引き合わせたジャニー喜多川氏への感謝をかみしめながら、新旧織り交ぜた楽曲を披露した。
KinKi Kidsが25年間活動を続けられた要因は-。2人に尋ねると、光一は「つかず離れずとか、そういうところじゃないですか」と答え、剛は「無理にお互い合わせようとも思っていないですし。でも両極端な2人なので生み出せるモノがあるというか。それがクセがあって、面白いんですかね」と推測した。
楽屋裏やプライベートで会話することは少ない。絶妙な距離感は、長続きした秘訣(ひけつ)の1つだろう。2人をよく知るテレビ局関係者は「歌番組でも、全くルールやスタイルに縛られない。『お互いにやりたいことをやればいいやん』という雰囲気で、後のことはスタッフに任せてくれる。それぞれ多く干渉しないのは、尊重し合っている証拠でしょう」と話した。
光一は「奇跡が重なってできた2人組なので。めちゃくちゃ壮大な話ですけど、宇宙に地球が存在して、その中で今この時代に生きていて、その2人が組まされるって。とんでもないことだと思うんですよね」と笑った。一説によると「堂本」という名字は、日本に5000人弱しかいないという。やすやすと使える表現ではないが、やはり“奇跡”のような2人組だ。【横山慧】
【一問一答】堂本剛「泣くのをこらえるのに必死で…」
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人気デュオ、KinKi Kidsが7日、東京ドームでCDデビュー25周年イベントを行った。単独アーティストとして同所で最多の62公演目。名曲ぞろいの14曲に加え、9度にわたるMCでファン5万5000人に感謝を伝えた。(ペン・渡邉尚伸、カメラ・加藤圭祐)
――25周年の東京ドーム公演の実感は
「コロナで大変な時代の中、今まで支えてくださったファンの方々、共演者の皆さま、スタッフの皆さま、すべての方たちに対して感謝の気持ちを伝えたく、いろいろな場所、時間をもうけようと思ってきました。こうして大規模なドームでのイベントを開催できるというのも、やはり支えてくださる皆さんのお力添えはもちろん、一番は来場してくださるファンの皆さんのおかげ。マナーがとても協力的なので。本当に幸せいっぱいな時間ばっかりですし、改めてたくさんの方々の愛に包まれながら自分たちがあるんだなっていうことをより深く理解しています」
――62公演目となった東京ドーム公演。思い入れも強い
「ここに足を踏み入れると、亡きジャニーさんの姿も思い浮かびます。いつもベンチの方で見上げて僕らを見てくれていたので、そういう姿がよみがえってきますね。最初に東京ドームのステージに立たせていただいたときは、こんなにも長くライブをさせてもらえる人生だと思ってもなかったし、いろいろな方の思いでこの記録につなげてもらっているという所が非常に大きい。回を重ねれば重ねるほど〝当たり前ではない〟という気持ちがすごく強くなりました。このドームは本当に僕たちのさまざまなエンターテインメントを披露させてもらった場所でもありますし、さらに新たな挑戦とか違うステージに向かっていく勇気とかそういうものをもらったので、気づけば大切な場所になっているなっていう風に思います」
――20周年は突発性難聴で映像出演となったが、今回は2人で
「当時は何が何でもステージにいきたかったので、今回はそれがかなえられました。フロート(移動式ステージ)に乗って歌う演出は、以前ファンの皆さまの近くに行くことができなかったので、その思いもあり、僕自身が提案させていただきました。(フロートでの歌唱曲を)バラードにしたのは自分の耳が理由ですけど、皆さんの目を見ながらゆっくり歌う演出になったことによって、いつも泣くのをこらえるのに必死で…。表情とか、皆さんの言葉にならない何かがものすごく飛んでくるんです」
--どんな風景にグッとくる
「例えば僕たちは青(剛)と赤(光一)でペンライトが色分けされているんですけど、赤いペンライトを持った人が僕に一生懸命手を振ってくれたりするんですね。そういうのがうれしくて。あと、僕に気を使ってくれる人もいるのか、(赤を)白いライトに変えたりして、手を振り直したりしてくれるんです。僕はどっちでも大丈夫なんですけど、そういう細かい思いやりとかが本当にいろいろある」
--ファンの優しさが伝わる
「車いすの方もいらっしゃるし、小さいお子さんもいらっしゃるし、お年を召した方もいらっしゃる。じっくりピアノ一本でバラードを歌いながら、いろんな人の表情を見ると、本当にコロナ禍の大変な中、いろんな思いをもってここに来てくださったんだなと深くしみてしまって…」
--そこでジャニーさんも思い浮かぶ
「ジャニーさんゾーンを通るときも、何かすごく切なくもなるし…。きっとジャニーさんはコロナ禍でもエンターテインメントを届けることを諦めなかっただろうし、『君が外周で音がいろいろなって歌いづらいのであれば、ピアノ一本でやればいいじゃない』って多分言っただろうなとか、『こんなフロートの使い方しないよ』とか言っている感じもして…。(映像出演となった)20周年の辛かった気持ちもステージにつながっているし、歌唱中に僕のいろんな感情がうごめいて、それをコントロールするのがとても大変なんですけどね。でも、まっすぐに皆さんにありがとう、愛しているっていう気持ちを伝えようと思って必死にやっています。より素直にそして力強くステージに立っているなという印象があります」
――光一との時間を振り返って
「もともと(最初から)2人(のグループ)ってわけでもなかったし、4人とか5人になろうとしていた時期もあったんです。気づけば仲間たちがCDデビューしていき、遅れて僕たちもCDデビューしましたけど、多分、光一君の方が負けず嫌いだったりとか強い感情がある人だし、僕はそこまでそういう感情をあまり持ったことがないから、ある意味全く違うんだと思う」
--どう違う
「静と動くらい違う。両極端に違う性質の2人が作る何かというのは面白いなって自分たちを客観的に見て思っています。ステージの上では(2人で)しゃべってるけど、別にこういう(取材の)状況のときとかは特にしゃべってないので。プライベートや食の趣味が一緒だったら、もうちょっとしゃべるタイミングがあるんですけど(笑)。それこそ(光一は朝の)8時、9時まで起きているとか言っているけど、8時までどう頑張っても起きていられないですよ、僕。いって4時か5時」
--就寝時間も違う
「本当に趣味嗜好とかいろんなものが違うし、無理にお互い寄せようとも思ってないからこそ、ステージの上で『はぁ?』みたいな話題が生まれるのかなって思う。両極にある2人なんで生み出せるものがあるし、〝合作〟っていうのは僕自身魅力的に感じているので、あの人と作ることで生まれる〝独特の香り〟はいいなって思っています。ちょっとクセがあって面白い」
――今後の展望は
「特に何も考えていないです。例えば今回の『Amazing Love』って楽曲も(山下)達郎さんに作っていただく流れが自然と出て、作詞する人がいないっていう話から2人で書けることになり、合作が始まったっていう…。僕らはいつも台本通りじゃなく、偶然なので、あまり深く考えていないんです。これから時代ももっともっと変わっていくんでしょうし、それに順応しながら、自分たちの色は見失わないよう素朴な感じでやっていきたい」
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人気デュオ、KinKi Kidsが7日、東京ドームでCDデビュー25周年イベントを行った。単独アーティストとして同所で最多の62公演目。名曲ぞろいの14曲に加え、9度にわたるMCでファン5万5000人に感謝を伝えた。(ペン・渡邉尚伸、カメラ・加藤圭祐)
――25周年の東京ドーム公演の実感は
「コロナで大変な時代の中、今まで支えてくださったファンの方々、共演者の皆さま、スタッフの皆さま、すべての方たちに対して感謝の気持ちを伝えたく、いろいろな場所、時間をもうけようと思ってきました。こうして大規模なドームでのイベントを開催できるというのも、やはり支えてくださる皆さんのお力添えはもちろん、一番は来場してくださるファンの皆さんのおかげ。マナーがとても協力的なので。本当に幸せいっぱいな時間ばっかりですし、改めてたくさんの方々の愛に包まれながら自分たちがあるんだなっていうことをより深く理解しています」
――62公演目となった東京ドーム公演。思い入れも強い
「ここに足を踏み入れると、亡きジャニーさんの姿も思い浮かびます。いつもベンチの方で見上げて僕らを見てくれていたので、そういう姿がよみがえってきますね。最初に東京ドームのステージに立たせていただいたときは、こんなにも長くライブをさせてもらえる人生だと思ってもなかったし、いろいろな方の思いでこの記録につなげてもらっているという所が非常に大きい。回を重ねれば重ねるほど〝当たり前ではない〟という気持ちがすごく強くなりました。このドームは本当に僕たちのさまざまなエンターテインメントを披露させてもらった場所でもありますし、さらに新たな挑戦とか違うステージに向かっていく勇気とかそういうものをもらったので、気づけば大切な場所になっているなっていう風に思います」
――20周年は突発性難聴で映像出演となったが、今回は2人で
「当時は何が何でもステージにいきたかったので、今回はそれがかなえられました。フロート(移動式ステージ)に乗って歌う演出は、以前ファンの皆さまの近くに行くことができなかったので、その思いもあり、僕自身が提案させていただきました。(フロートでの歌唱曲を)バラードにしたのは自分の耳が理由ですけど、皆さんの目を見ながらゆっくり歌う演出になったことによって、いつも泣くのをこらえるのに必死で…。表情とか、皆さんの言葉にならない何かがものすごく飛んでくるんです」
--どんな風景にグッとくる
「例えば僕たちは青(剛)と赤(光一)でペンライトが色分けされているんですけど、赤いペンライトを持った人が僕に一生懸命手を振ってくれたりするんですね。そういうのがうれしくて。あと、僕に気を使ってくれる人もいるのか、(赤を)白いライトに変えたりして、手を振り直したりしてくれるんです。僕はどっちでも大丈夫なんですけど、そういう細かい思いやりとかが本当にいろいろある」
--ファンの優しさが伝わる
「車いすの方もいらっしゃるし、小さいお子さんもいらっしゃるし、お年を召した方もいらっしゃる。じっくりピアノ一本でバラードを歌いながら、いろんな人の表情を見ると、本当にコロナ禍の大変な中、いろんな思いをもってここに来てくださったんだなと深くしみてしまって…」
--そこでジャニーさんも思い浮かぶ
「ジャニーさんゾーンを通るときも、何かすごく切なくもなるし…。きっとジャニーさんはコロナ禍でもエンターテインメントを届けることを諦めなかっただろうし、『君が外周で音がいろいろなって歌いづらいのであれば、ピアノ一本でやればいいじゃない』って多分言っただろうなとか、『こんなフロートの使い方しないよ』とか言っている感じもして…。(映像出演となった)20周年の辛かった気持ちもステージにつながっているし、歌唱中に僕のいろんな感情がうごめいて、それをコントロールするのがとても大変なんですけどね。でも、まっすぐに皆さんにありがとう、愛しているっていう気持ちを伝えようと思って必死にやっています。より素直にそして力強くステージに立っているなという印象があります」
――光一との時間を振り返って
「もともと(最初から)2人(のグループ)ってわけでもなかったし、4人とか5人になろうとしていた時期もあったんです。気づけば仲間たちがCDデビューしていき、遅れて僕たちもCDデビューしましたけど、多分、光一君の方が負けず嫌いだったりとか強い感情がある人だし、僕はそこまでそういう感情をあまり持ったことがないから、ある意味全く違うんだと思う」
--どう違う
「静と動くらい違う。両極端に違う性質の2人が作る何かというのは面白いなって自分たちを客観的に見て思っています。ステージの上では(2人で)しゃべってるけど、別にこういう(取材の)状況のときとかは特にしゃべってないので。プライベートや食の趣味が一緒だったら、もうちょっとしゃべるタイミングがあるんですけど(笑)。それこそ(光一は朝の)8時、9時まで起きているとか言っているけど、8時までどう頑張っても起きていられないですよ、僕。いって4時か5時」
--就寝時間も違う
「本当に趣味嗜好とかいろんなものが違うし、無理にお互い寄せようとも思ってないからこそ、ステージの上で『はぁ?』みたいな話題が生まれるのかなって思う。両極にある2人なんで生み出せるものがあるし、〝合作〟っていうのは僕自身魅力的に感じているので、あの人と作ることで生まれる〝独特の香り〟はいいなって思っています。ちょっとクセがあって面白い」
――今後の展望は
「特に何も考えていないです。例えば今回の『Amazing Love』って楽曲も(山下)達郎さんに作っていただく流れが自然と出て、作詞する人がいないっていう話から2人で書けることになり、合作が始まったっていう…。僕らはいつも台本通りじゃなく、偶然なので、あまり深く考えていないんです。これから時代ももっともっと変わっていくんでしょうし、それに順応しながら、自分たちの色は見失わないよう素朴な感じでやっていきたい」
KinKi Kids、CDデビュー25周年イベント 名曲14曲!ジェットコースターな2時間半
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光一(右)と剛は終演時に2人の指で「K」を作る粋なパフォーマンスを披露。ファンを歓喜させた
人気デュオ、KinKi Kidsが7日、東京ドームでCDデビュー25周年イベントを行った。単独アーティストとして同所で最多の62公演目。名曲ぞろいの14曲に加え、9度にわたるMCでファン5万5000人に感謝を伝えた。20周年イベントは突発性難聴で映像出演だった堂本剛(43)は「泣くのを堪えるのに必死」と感無量。堂本光一(43)は「われわれが伝える以上の愛をいただいた」と感慨もひとしおだった。(ペン・渡邉尚伸、カメラ・加藤圭祐)
KinKi Kids25周年の歩み
宝箱を開けたような2時間半だった。次から次へとあふれ出す名曲に合わせ、光一と剛をイメージした赤と青のペンライトが揺れる。1997年のデビュー曲「硝子の少年」から25年。ともに歩んできたファンと節目の時を祝った。
光一は「感謝の気持ちを伝える場所なのに、もらってばかり」と感激。剛は「たくさんの方々の愛に包まれながら、自分たちがある」と存在の大きさを噛みしめた。
ステージ上には、これまでの衣装252着がセットとして並べられた。オープニングでその〝一部〟となっていた2人が動き出し、ステージ中央で肘タッチを交わすと会場に万雷の拍手がこだました。
デビュー前から歌ってきた「FRIENDS」で幕を開け、その後は「硝子の少年」「ジェットコースター・ロマンス」など代表曲がめじろ押し。デビュー曲候補だった「Kissからはじまるミステリー」、剛が作詞、光一が作曲した「愛のかたまり」など珠玉の曲ばかりを届けた。
剛は2017年の20周年イベントで直前に左耳の突発性難聴を発症し、急きょ映像出演になった。その無念を晴らすべく「ファンの近くに」とフロートと呼ばれる移動式ステージでのパフォーマンスを7年ぶりに解禁。ピアノの伴奏のみで耳への負担を減らし、「Anniversary」などバラード2曲を熱唱して「ファン一人一人の表情を見ると泣きそうになる」と万感の思いがあふれた。
東京ドーム公演セットリスト
2人はJr.時代の1991年に出会った。東京ドームでの公演はデビュー翌年の98年から24年間で62回を数え、単独アーティスト最多を更新、計341万3000人を魅了してきた。光一は「ボクの背中には羽根がある」の歌唱時に「僕らを出会わせて、羽根をくれた」と〝生みの親〟でジャニーズ事務所前社長の故ジャニー喜多川さんに感謝した。
気づけば歌手活動を続けるジャニーズグループの最年長。剛は「皆さんと一緒にこれから新しいステージを積み上げていきたい」とキッパリ。光一も「また冬に、ここでお会いしましょう!」と恒例の年末年始コンサートでの再会を約束した。
ステージを後にする際、光一が立てた人さし指に、剛が指2本を重ねて「K」を作ると、この日一番の拍手が起きた。大人になった〝Kids〟の歩みは続いていく。
■KinKi Kidsアラカルト
★過去の公演実績
初コンサートとなる1994年の東京・日本武道館公演やイベントを含め計501公演を開催し、993万6900人を動員。
★東京ドーム公演
98年12月30日~99年元日の3日間公演が初で、イベントも含め62公演を開催。同所での単独アーティストによる最多公演数は最多で、計341万3000人を動員。
★シングル1位記録
7月27日発売で45枚目のシングル「Amazing Love」が8日付オリコン週間ランキングで初登場1位を記録。自身が持つ「デビューからのシングル連続1位獲得数」を45作に更新。
★ギネス世界記録
7日時点で「デビューからのシングル連続1位獲得数」は44作。「シングル連続1位獲得年数」も26年で世界記録。
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光一(右)と剛は終演時に2人の指で「K」を作る粋なパフォーマンスを披露。ファンを歓喜させた
人気デュオ、KinKi Kidsが7日、東京ドームでCDデビュー25周年イベントを行った。単独アーティストとして同所で最多の62公演目。名曲ぞろいの14曲に加え、9度にわたるMCでファン5万5000人に感謝を伝えた。20周年イベントは突発性難聴で映像出演だった堂本剛(43)は「泣くのを堪えるのに必死」と感無量。堂本光一(43)は「われわれが伝える以上の愛をいただいた」と感慨もひとしおだった。(ペン・渡邉尚伸、カメラ・加藤圭祐)
KinKi Kids25周年の歩み
宝箱を開けたような2時間半だった。次から次へとあふれ出す名曲に合わせ、光一と剛をイメージした赤と青のペンライトが揺れる。1997年のデビュー曲「硝子の少年」から25年。ともに歩んできたファンと節目の時を祝った。
光一は「感謝の気持ちを伝える場所なのに、もらってばかり」と感激。剛は「たくさんの方々の愛に包まれながら、自分たちがある」と存在の大きさを噛みしめた。
ステージ上には、これまでの衣装252着がセットとして並べられた。オープニングでその〝一部〟となっていた2人が動き出し、ステージ中央で肘タッチを交わすと会場に万雷の拍手がこだました。
デビュー前から歌ってきた「FRIENDS」で幕を開け、その後は「硝子の少年」「ジェットコースター・ロマンス」など代表曲がめじろ押し。デビュー曲候補だった「Kissからはじまるミステリー」、剛が作詞、光一が作曲した「愛のかたまり」など珠玉の曲ばかりを届けた。
剛は2017年の20周年イベントで直前に左耳の突発性難聴を発症し、急きょ映像出演になった。その無念を晴らすべく「ファンの近くに」とフロートと呼ばれる移動式ステージでのパフォーマンスを7年ぶりに解禁。ピアノの伴奏のみで耳への負担を減らし、「Anniversary」などバラード2曲を熱唱して「ファン一人一人の表情を見ると泣きそうになる」と万感の思いがあふれた。
東京ドーム公演セットリスト
2人はJr.時代の1991年に出会った。東京ドームでの公演はデビュー翌年の98年から24年間で62回を数え、単独アーティスト最多を更新、計341万3000人を魅了してきた。光一は「ボクの背中には羽根がある」の歌唱時に「僕らを出会わせて、羽根をくれた」と〝生みの親〟でジャニーズ事務所前社長の故ジャニー喜多川さんに感謝した。
気づけば歌手活動を続けるジャニーズグループの最年長。剛は「皆さんと一緒にこれから新しいステージを積み上げていきたい」とキッパリ。光一も「また冬に、ここでお会いしましょう!」と恒例の年末年始コンサートでの再会を約束した。
ステージを後にする際、光一が立てた人さし指に、剛が指2本を重ねて「K」を作ると、この日一番の拍手が起きた。大人になった〝Kids〟の歩みは続いていく。
■KinKi Kidsアラカルト
★過去の公演実績
初コンサートとなる1994年の東京・日本武道館公演やイベントを含め計501公演を開催し、993万6900人を動員。
★東京ドーム公演
98年12月30日~99年元日の3日間公演が初で、イベントも含め62公演を開催。同所での単独アーティストによる最多公演数は最多で、計341万3000人を動員。
★シングル1位記録
7月27日発売で45枚目のシングル「Amazing Love」が8日付オリコン週間ランキングで初登場1位を記録。自身が持つ「デビューからのシングル連続1位獲得数」を45作に更新。
★ギネス世界記録
7日時点で「デビューからのシングル連続1位獲得数」は44作。「シングル連続1位獲得年数」も26年で世界記録。
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