もしこの絵から、夕焼け、船、高層ビルなどが見えたのなら、この景色を描き下ろした私の光栄です。携帯の向こうの君と、同じ景色を見ることができたので嬉しいです。
また、重要な報告がありますよ。
個人の事情によって、ここでは投稿を更新しないことにしました。今回は最後の投稿になります。幸いなことに、自分が描いた大好きなイラストでピリオドを打ちましたね。
(◍´ω`◍)
絵について、先週末に妹と「58小镇」という所(又の名を「西湖公園」という)に行きましたが、日が暮れたので、絵に写された景色は見えませんでした。妹から先日撮った写真を送信してくれて、その写真中の景色に心を奪われました。絵に描いてみようと思いました。
また、重要な報告がありますよ。
個人の事情によって、ここでは投稿を更新しないことにしました。今回は最後の投稿になります。幸いなことに、自分が描いた大好きなイラストでピリオドを打ちましたね。
(◍´ω`◍)
絵について、先週末に妹と「58小镇」という所(又の名を「西湖公園」という)に行きましたが、日が暮れたので、絵に写された景色は見えませんでした。妹から先日撮った写真を送信してくれて、その写真中の景色に心を奪われました。絵に描いてみようと思いました。
【漫画と日本語、そして商品】
“日本語の特徴は、漢字カナ混じりの上に、漢字が音訓読みになることである。...日本語では、同じ「字」が違った読まれ方をする。これは、はなはだ奇妙なことなのである。”
(『涼しい脳味噌』養老孟司)
漫画文化の起源は、日本語の音訓読みという説って初めて聞いた
漢字⇨ルビ/ふりがな(音声)、
漫画の絵⇨吹き出し(音声)
確かにそれが同じ構造を持っているな。
そうだとしたら、「音声言語=貨幣」の類似性という柄谷の観点から、漫画って現代日本の「言文一致」と言うべきか。(実際、漫画が世界を風靡するまで普及している)
一方で、日本語の「シニフィアン」の「恣意性」が自明的であるゆえに、(例えば、「英雄」と書いて、「ヒーロー」と読むとか)そういう意味で、日本語は、「価値実体論」的(労働価値説)というより、「価値形態論」的だよな。それが典型的に表しているのは、「オノマトペ」という音声表現ではないだろうか。「ぐるぐる」、「ゴロゴロ」...などの音声(シニフィアン)は決して、本来的・本源的なものではない。そして、重要なのは、その記号が指している意味内容は、単に「ぐるぐる」と「ゴロゴロ」との「間」にある「差異」によって決められる、ということだ。
それは、中国語(の漢字)との一番大きな違いだろう。言語学者ではないので、大ざっぱなことしか言えないが、中国語の漢字の記号は、商品に喩えると、「価値実体論」(価値内在)的であるゆえに、流通手段として、限定的だ(それが古代以来の識字率が低いことにつながる)。そのせいで、閉鎖的になりがち、グローバル資本主義の「価値」システムに接続できない。
その代わりに、中国は「デジタル」という数字=貨幣を導入した。漢字という古い貨幣の衰退の代わりに、アリペイなどのQRコードの変換によって、都市と農村の空間を越え、そして、世界的に共通の言語「IT」の波に乗ったおかげで、世界に接続できた、と僕は思っている。ただ、その果てにあるのは、「健康コード」という究極の数字化=商品化の世界が召喚された。つまり、マルクスが言う、ありとあらゆるものは商品になっている世界だ。そして、注意すべきのは、交換によって価値が決まる、という残酷だが、資本主義の論理だ。つまり、「買い手」に向かって「命懸けの一躍」(競争)において「売れない」時点で、それは「商品」ではない。ひたすら排除される一方だ。
“日本語の特徴は、漢字カナ混じりの上に、漢字が音訓読みになることである。...日本語では、同じ「字」が違った読まれ方をする。これは、はなはだ奇妙なことなのである。”
(『涼しい脳味噌』養老孟司)
漫画文化の起源は、日本語の音訓読みという説って初めて聞いた
漢字⇨ルビ/ふりがな(音声)、
漫画の絵⇨吹き出し(音声)
確かにそれが同じ構造を持っているな。
そうだとしたら、「音声言語=貨幣」の類似性という柄谷の観点から、漫画って現代日本の「言文一致」と言うべきか。(実際、漫画が世界を風靡するまで普及している)
一方で、日本語の「シニフィアン」の「恣意性」が自明的であるゆえに、(例えば、「英雄」と書いて、「ヒーロー」と読むとか)そういう意味で、日本語は、「価値実体論」的(労働価値説)というより、「価値形態論」的だよな。それが典型的に表しているのは、「オノマトペ」という音声表現ではないだろうか。「ぐるぐる」、「ゴロゴロ」...などの音声(シニフィアン)は決して、本来的・本源的なものではない。そして、重要なのは、その記号が指している意味内容は、単に「ぐるぐる」と「ゴロゴロ」との「間」にある「差異」によって決められる、ということだ。
それは、中国語(の漢字)との一番大きな違いだろう。言語学者ではないので、大ざっぱなことしか言えないが、中国語の漢字の記号は、商品に喩えると、「価値実体論」(価値内在)的であるゆえに、流通手段として、限定的だ(それが古代以来の識字率が低いことにつながる)。そのせいで、閉鎖的になりがち、グローバル資本主義の「価値」システムに接続できない。
その代わりに、中国は「デジタル」という数字=貨幣を導入した。漢字という古い貨幣の衰退の代わりに、アリペイなどのQRコードの変換によって、都市と農村の空間を越え、そして、世界的に共通の言語「IT」の波に乗ったおかげで、世界に接続できた、と僕は思っている。ただ、その果てにあるのは、「健康コード」という究極の数字化=商品化の世界が召喚された。つまり、マルクスが言う、ありとあらゆるものは商品になっている世界だ。そして、注意すべきのは、交換によって価値が決まる、という残酷だが、資本主義の論理だ。つまり、「買い手」に向かって「命懸けの一躍」(競争)において「売れない」時点で、それは「商品」ではない。ひたすら排除される一方だ。
ケンゴ:ティガ、僕の時空があなたの時空と似通ってることに何か理由があるとするなら。それはきっと、あなたに憧れ、惹かれていたたくさんの人々が、あなたに再び会いたいと願ったことから、生み出された時空だからなぁじゃないかと思うんです。
ティガ:トリガー
ケンゴ:僕はティガのようになれないかもしれません。だけど、こんな僕でも信じて応援してくれる人たちがいます、かけがえのない仲間たちがいる。その人たちの笑顔のためにも、倒れるわけには諦めるわけにはいけないです。
我能说这几分钟的特利迦的舞台剧台词,花费了我半个小时吗?我反复暂停地听,哪里听错了。我的日语本来就只学到中级,然后那么多年过去了,早就水平更下降了。
ティガ:トリガー
ケンゴ:僕はティガのようになれないかもしれません。だけど、こんな僕でも信じて応援してくれる人たちがいます、かけがえのない仲間たちがいる。その人たちの笑顔のためにも、倒れるわけには諦めるわけにはいけないです。
我能说这几分钟的特利迦的舞台剧台词,花费了我半个小时吗?我反复暂停地听,哪里听错了。我的日语本来就只学到中级,然后那么多年过去了,早就水平更下降了。
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