生きていられることが、今は幸せだと感じているーー堂本剛が、自分の歌で伝えたいこと(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
「自分で楽曲を作って歌うということ。それは自炊に近い。心も体もすごく楽なんです」
シンガー・ソングライターの活動を始めて20周年、堂本剛は今、もっとも自分らしい状態にあるという。“本当の自分で生きられる喜び”を表現したものが、自分の作る音楽。この思いと行動が誰かの人生の、自分らしさを取り戻す幸せへとつながればうれしい……多忙なアイドル時代を駆け抜け、自身も生きづらさを抱えたからこそ見えてきた境地がある。仕事への矜持、そして死生観。堂本剛を突き動かすものとは。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
>インスタグラムの使い方を「間違いたい」
およそ1年前から堂本剛が始めたインスタグラムは、はなから不思議なものだった。ポートレートはほぼ同じアングルで、どんどん眉毛が濃くなっていき、最後には額全体がアイブロウで埋め尽くされる。コメントは一言、「どうもジャニーズです」。まるでモダンアートだ。何か強いメッセージ性を帯びているようにも見える。その後も眉毛写真の投稿は続き、ネット上ではさまざまな臆測が飛び交った。
これについて、本人はこともなげに語る。
「テーマは『インスタの使い方を間違いたい』でした。隙間時間で、他人の眉毛が太くなり、元に戻っていく写真を見るという無駄な時間をご提供することで、『笑い』『勇気』『なんでやねん』が発生すればいいなという、そんな発想です。無駄な時間って幸せだったりしませんか? 個人の日常を羅列するだけではなくて、こんな時代、笑ってほしくて、これ何? 説明して?ってみんなが困惑つっこみするようなものを軸にしました。インスタグラムを、宣伝の空間として使いつつ笑かしにかかっています。事務所の人たちがインスタをやりやすい環境にもつながればと思い、僕はこんな行動をしてみました。」
>「ジャニーズっぽくない」と言われて
「アーティスティック」「生活感がない」「不思議」「自由」……。
こうした堂本剛のイメージは、ジャニーズ事務所において相対的なものとして捉えられることが多い。堂本自身、それをよく理解していた。
「世の中に存在するイメージというものの多くは、第三者が作り上げているものじゃないですか? 僕はそんなことを言っていない、思っていないのに勝手にそうされてしまっている。その人の中では、『言いそう』で、『思ってそう』なんでしょうね。僕の周りにいる人は、僕を理解してくれています。理解するタイミングがない人は、丁寧に想像する前に疲れ、自分の情報の中だけで計算し決めつけた僕という答えを出して終わらせてしまうからか……導き出した答えと現実の僕、それが合わないから『~っぽくない』ということに自然となるんでしょうね」
かつて堂本は、「自由」ではなかった。
デビューしてすぐに大ブレーク。10代の頃は毎日3時間睡眠で、休日は年に3日。分刻みのスケジュールで動き、周囲の求めに応じて表情をつくった。しだいに堂本のメンタルには亀裂が入っていく。多忙な時期の記憶は、ほとんどが失われている。
故ジャニー喜多川の勧めでシンガー・ソングライターとなり、「自分らしく生きる選択」ができるようになったと実感した頃には、30代になっていた。
「最近でこそ、自分らしさが尊重される時代になってきましたけど、今でも自分らしく生きられない人、素直に生きる勇気や場所がない人たちがたくさんいます。世の中は自分らしく生きている人を批判するのではなく、『自分らしく生きる幸せ』を、みんなで優しい心を持って話すだけでいいのにな、と思うんです。優しい心で話しているうちに、人は本当の自分になれるものですから」
「ジャニーズらしさ」は、年々変わっていくもの。こだわることではない。一番大事なのは自分であり、それをファンの人たちにつなげること……堂本がジャニーズに所属し続ける理由は、ここにある。
「柔らかく穏やかに、そういう感覚で僕は生きているからこそ、『ジャニーズっぽくない』カテゴリーに入れられてしまうのかもしれないけど。全てを事務所の許可を得て生きて来ました。事務所に直談判に行くこともあります。たくさんの人を動かすことになるので、一筋縄ではいかないこともある。でも理由や展望を持って話しにいくので、何言ってんの?って弾かれてしまうことはないですね。クリアしていきたいと思っていることはまだまだありますけど。少しずつです。ジャニーズは積極的にSNSに参戦する会社ではなかったけど、それが時代とともに変わってきました。僕が変化してもせずとも、変化していく時代というものがあるので、その時代に反応と順応をしたいと、柔軟に動いているところです」
ジャニーズ事務所では特別な立場にあるように見える堂本だが、単に自由なのではない。それを獲得するために、試行錯誤を続けてきたプロセスがあるのだ。
>人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い
「自分で動く」。インタビューの間、堂本が何度も口にした言葉だ。
アイデアを形にするまでの動きはいつもスピーディーで、さらに二手、三手まで先を見ている。
「こんな世界状況の中でも、お金を出して作品を買ってくださる人がいる。僕が自分らしく仕事をしている姿を、家族や後輩君たちが見てくれている。そう考えたら、素直に動けます。人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い。例えば伝言ゲームで、中継ぎの人が先方に納期を伝える時間が遅れ、作業していただけたはずの時間が減り、締め切りを縮めたり、完成を遅らせてしまったりすることがある。そういう仕事の仕方をする人は多いから、疲れることがあります。作り手、職人の作品に対して必要な時間、作業工程などが、その立場でない人からすると想像してあげられないんでしょうね。だから、直接やりとりすることがほとんどです。相手の心を考えて動くことも、仕事ですから。毎日くたくたですけど」
それでも音楽を作ることは、この上なく楽しい。仕事のスピード感を大切にしているのも、生まれたばかりのアイディアを、新鮮なうちに楽曲として閉じ込めたいとの思いからだ。
「極端にいえば、今このインタビュー中でも曲がひらめいたら、PCを開いてキーボードで打ち込みたくなる、というくらい、アイデアの鮮度を大切にしています」
頭の中で鳴る音楽を可視化し、音符に換えていく。音色を探して、演奏し、形作っていく。予想外に生まれるノイズやバグが、ドラマチックな音につながることがある。
「こういう一連の作業は、生きているからこそできることで、魂になったら、想像を形にすることもできなくなるんです。だから音楽を作ることは、命あることに感謝することでもあるんです。ただ、作品が出来上がって、リリースをするまでには時間がずいぶんと経過するので、リリース時にはもう自分が違うステージに行っていることがほとんど。だから、きょう曲を作ったら1週間後ぐらいにリリースする、そんな時代がくればいいのになって、思ったりもします。メッセージを強く込めた作品は、時代が流れている分、タイミングもクリエーティブの一部なんです」
ラブソングよりも、命や愛を歌いたい。
これは自身が心に傷を負い、パニック障害や突発性難聴に苦しんだ経験から、強く意識するようになったことだ。
「世の中の人々が、理由を持ってたどり着いた傷とか痛みに寄り添う歌詞、メロディー。その役目を持つ楽曲にあの頃の僕は救われ、もう一度生きようという気持ちにまで立ち戻れました。だから自分が作る音楽も、そういう役目でありたい。ジャニーズっぽくないと言われてもいいんです。もっとラブソングのほうが売れるよとか、うん、わかってるけど、ジャニーズにもいろんな歌が存在していいし、自分で作る音楽に、自分ではない歌声を選択することは、しない。限界の中で命を諦めようとしている人を救える音楽を作りたいって、僕は本気で思っているんです。自分と同じ経験をしている人を思いながら書いています。そんな中で少し変わったことは、世界的な問題が起き、みんなが同じ傷や痛みを共有する今、ポジティブな曲を書くようにもなりました。これまで使ってこなかったような、明るい言葉を綴ったりしながら」
>シンガー・ソングライターを続けることは、ジャニーさんの思いを持続させること
10代は、毎日、命が苦しいと思って生きていた。
「いろんな人に助けていただいて、もう一度生きよう、そう思わせてもらえたから僕は生きているんです。その人たちがいなかったら、今この世に僕はいません。当時は変人扱いされたけれど、でも、人は、傷つけば死にたいと思ってしまうものです。そんな人が世の中にはたくさんいること、それをみんなで理解して生きるべきだと、僕は思う。生きたいのに、生きられない人もいるんですよ」
ジャニーズだから、命や愛をテーマにした重い歌を歌ってはいけない? それは違う、と堂本は首を振る。
「ポップな曲はたくさんの人の心を幸せにする。それも理解はしています。命と愛が重たいと言うのなら、人は重たい存在となってしまいます。僕らは愛の果てに生まれた命なのに。重たいと認識してしまうのは悲しいし不思議です。だから、人が理由あってたどり着いた涙や傷に寄り添った曲も、たくさんの人の心を幸せにすると、本気で僕は思っています。死にたいと思わされてしまった経験がない人からは理解されづらいんですけど。僕自身がそう思った過去が悲しくもありました。でも、生きていられることが、今は幸せだと感じていることを、歌を通してあの頃の自分にも、同じように過ごす人たちにも伝えたい。一人で音楽を作る時は、その心を生きたいと思うし、提供したいと思っています」
ジャニーズ事務所には、ほかに“シンガー・ソングライター”として立っている者はいない。
「ジャニーさんに声をかけてもらって、この会社に入り、またジャニーさんからの提案を受けてシンガー・ソングライターになった。形がないゼロの状態から始まり、1にすること。そして、1から2……10へとつなげていくのは生半可な思いでいたら不可能なことですからね」
「そして、いまだやっているのが僕だけだからそれはそれは大変なことも多いけど、ある程度の分かりきった答えに向かうのもつまらないし、続けてこられたのはそれを楽しんできているからです。続けることは、ジャニーさんの思いを持続させることにもなると思っています。今はジャニーズの中で、音楽家のエリアは大きくないですけど、ここを整理整頓する位置にいられたらいいなとは思ってます。後輩君たちにも歌いたい歌があるだろうし、一人ひとりの歌唱スキルを把握して、声の魅力を引き出してもあげたいし、そういうディレクションまでを、本当はやってあげたいですね」
才能のある人たちを、解き放ってあげたい。堂本はまっすぐにそう語った。
今年はシンガー・ソングライターとして、デビュー20周年。ENDRECHERIとして精力的に楽曲をリリース、夏フェスへの参加も決まった。GYAOでの新番組「つよしP」を始動し、ZOZOとのファッションデザインやLINE VOOMなど、さまざまな企画を展開する。
「『決めつけ』るのではなく、素直に発想を出すこと、変で、妙で、面白くて、独創的なモノをたくさん作り、それらをいろんなコンテンツを通して表現する一度きりの僕の人生でありたい。そして『本当の自分を生きることの幸せ』が伝染していくといいなと思っています。僕の心が、『決めつけ』で苦しんで生きている人たちの心に届いて、自分らしく生きてみようという笑顔を与えられたなら、とても幸せだなって思います」
「自分で楽曲を作って歌うということ。それは自炊に近い。心も体もすごく楽なんです」
シンガー・ソングライターの活動を始めて20周年、堂本剛は今、もっとも自分らしい状態にあるという。“本当の自分で生きられる喜び”を表現したものが、自分の作る音楽。この思いと行動が誰かの人生の、自分らしさを取り戻す幸せへとつながればうれしい……多忙なアイドル時代を駆け抜け、自身も生きづらさを抱えたからこそ見えてきた境地がある。仕事への矜持、そして死生観。堂本剛を突き動かすものとは。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
>インスタグラムの使い方を「間違いたい」
およそ1年前から堂本剛が始めたインスタグラムは、はなから不思議なものだった。ポートレートはほぼ同じアングルで、どんどん眉毛が濃くなっていき、最後には額全体がアイブロウで埋め尽くされる。コメントは一言、「どうもジャニーズです」。まるでモダンアートだ。何か強いメッセージ性を帯びているようにも見える。その後も眉毛写真の投稿は続き、ネット上ではさまざまな臆測が飛び交った。
これについて、本人はこともなげに語る。
「テーマは『インスタの使い方を間違いたい』でした。隙間時間で、他人の眉毛が太くなり、元に戻っていく写真を見るという無駄な時間をご提供することで、『笑い』『勇気』『なんでやねん』が発生すればいいなという、そんな発想です。無駄な時間って幸せだったりしませんか? 個人の日常を羅列するだけではなくて、こんな時代、笑ってほしくて、これ何? 説明して?ってみんなが困惑つっこみするようなものを軸にしました。インスタグラムを、宣伝の空間として使いつつ笑かしにかかっています。事務所の人たちがインスタをやりやすい環境にもつながればと思い、僕はこんな行動をしてみました。」
>「ジャニーズっぽくない」と言われて
「アーティスティック」「生活感がない」「不思議」「自由」……。
こうした堂本剛のイメージは、ジャニーズ事務所において相対的なものとして捉えられることが多い。堂本自身、それをよく理解していた。
「世の中に存在するイメージというものの多くは、第三者が作り上げているものじゃないですか? 僕はそんなことを言っていない、思っていないのに勝手にそうされてしまっている。その人の中では、『言いそう』で、『思ってそう』なんでしょうね。僕の周りにいる人は、僕を理解してくれています。理解するタイミングがない人は、丁寧に想像する前に疲れ、自分の情報の中だけで計算し決めつけた僕という答えを出して終わらせてしまうからか……導き出した答えと現実の僕、それが合わないから『~っぽくない』ということに自然となるんでしょうね」
かつて堂本は、「自由」ではなかった。
デビューしてすぐに大ブレーク。10代の頃は毎日3時間睡眠で、休日は年に3日。分刻みのスケジュールで動き、周囲の求めに応じて表情をつくった。しだいに堂本のメンタルには亀裂が入っていく。多忙な時期の記憶は、ほとんどが失われている。
故ジャニー喜多川の勧めでシンガー・ソングライターとなり、「自分らしく生きる選択」ができるようになったと実感した頃には、30代になっていた。
「最近でこそ、自分らしさが尊重される時代になってきましたけど、今でも自分らしく生きられない人、素直に生きる勇気や場所がない人たちがたくさんいます。世の中は自分らしく生きている人を批判するのではなく、『自分らしく生きる幸せ』を、みんなで優しい心を持って話すだけでいいのにな、と思うんです。優しい心で話しているうちに、人は本当の自分になれるものですから」
「ジャニーズらしさ」は、年々変わっていくもの。こだわることではない。一番大事なのは自分であり、それをファンの人たちにつなげること……堂本がジャニーズに所属し続ける理由は、ここにある。
「柔らかく穏やかに、そういう感覚で僕は生きているからこそ、『ジャニーズっぽくない』カテゴリーに入れられてしまうのかもしれないけど。全てを事務所の許可を得て生きて来ました。事務所に直談判に行くこともあります。たくさんの人を動かすことになるので、一筋縄ではいかないこともある。でも理由や展望を持って話しにいくので、何言ってんの?って弾かれてしまうことはないですね。クリアしていきたいと思っていることはまだまだありますけど。少しずつです。ジャニーズは積極的にSNSに参戦する会社ではなかったけど、それが時代とともに変わってきました。僕が変化してもせずとも、変化していく時代というものがあるので、その時代に反応と順応をしたいと、柔軟に動いているところです」
ジャニーズ事務所では特別な立場にあるように見える堂本だが、単に自由なのではない。それを獲得するために、試行錯誤を続けてきたプロセスがあるのだ。
>人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い
「自分で動く」。インタビューの間、堂本が何度も口にした言葉だ。
アイデアを形にするまでの動きはいつもスピーディーで、さらに二手、三手まで先を見ている。
「こんな世界状況の中でも、お金を出して作品を買ってくださる人がいる。僕が自分らしく仕事をしている姿を、家族や後輩君たちが見てくれている。そう考えたら、素直に動けます。人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い。例えば伝言ゲームで、中継ぎの人が先方に納期を伝える時間が遅れ、作業していただけたはずの時間が減り、締め切りを縮めたり、完成を遅らせてしまったりすることがある。そういう仕事の仕方をする人は多いから、疲れることがあります。作り手、職人の作品に対して必要な時間、作業工程などが、その立場でない人からすると想像してあげられないんでしょうね。だから、直接やりとりすることがほとんどです。相手の心を考えて動くことも、仕事ですから。毎日くたくたですけど」
それでも音楽を作ることは、この上なく楽しい。仕事のスピード感を大切にしているのも、生まれたばかりのアイディアを、新鮮なうちに楽曲として閉じ込めたいとの思いからだ。
「極端にいえば、今このインタビュー中でも曲がひらめいたら、PCを開いてキーボードで打ち込みたくなる、というくらい、アイデアの鮮度を大切にしています」
頭の中で鳴る音楽を可視化し、音符に換えていく。音色を探して、演奏し、形作っていく。予想外に生まれるノイズやバグが、ドラマチックな音につながることがある。
「こういう一連の作業は、生きているからこそできることで、魂になったら、想像を形にすることもできなくなるんです。だから音楽を作ることは、命あることに感謝することでもあるんです。ただ、作品が出来上がって、リリースをするまでには時間がずいぶんと経過するので、リリース時にはもう自分が違うステージに行っていることがほとんど。だから、きょう曲を作ったら1週間後ぐらいにリリースする、そんな時代がくればいいのになって、思ったりもします。メッセージを強く込めた作品は、時代が流れている分、タイミングもクリエーティブの一部なんです」
ラブソングよりも、命や愛を歌いたい。
これは自身が心に傷を負い、パニック障害や突発性難聴に苦しんだ経験から、強く意識するようになったことだ。
「世の中の人々が、理由を持ってたどり着いた傷とか痛みに寄り添う歌詞、メロディー。その役目を持つ楽曲にあの頃の僕は救われ、もう一度生きようという気持ちにまで立ち戻れました。だから自分が作る音楽も、そういう役目でありたい。ジャニーズっぽくないと言われてもいいんです。もっとラブソングのほうが売れるよとか、うん、わかってるけど、ジャニーズにもいろんな歌が存在していいし、自分で作る音楽に、自分ではない歌声を選択することは、しない。限界の中で命を諦めようとしている人を救える音楽を作りたいって、僕は本気で思っているんです。自分と同じ経験をしている人を思いながら書いています。そんな中で少し変わったことは、世界的な問題が起き、みんなが同じ傷や痛みを共有する今、ポジティブな曲を書くようにもなりました。これまで使ってこなかったような、明るい言葉を綴ったりしながら」
>シンガー・ソングライターを続けることは、ジャニーさんの思いを持続させること
10代は、毎日、命が苦しいと思って生きていた。
「いろんな人に助けていただいて、もう一度生きよう、そう思わせてもらえたから僕は生きているんです。その人たちがいなかったら、今この世に僕はいません。当時は変人扱いされたけれど、でも、人は、傷つけば死にたいと思ってしまうものです。そんな人が世の中にはたくさんいること、それをみんなで理解して生きるべきだと、僕は思う。生きたいのに、生きられない人もいるんですよ」
ジャニーズだから、命や愛をテーマにした重い歌を歌ってはいけない? それは違う、と堂本は首を振る。
「ポップな曲はたくさんの人の心を幸せにする。それも理解はしています。命と愛が重たいと言うのなら、人は重たい存在となってしまいます。僕らは愛の果てに生まれた命なのに。重たいと認識してしまうのは悲しいし不思議です。だから、人が理由あってたどり着いた涙や傷に寄り添った曲も、たくさんの人の心を幸せにすると、本気で僕は思っています。死にたいと思わされてしまった経験がない人からは理解されづらいんですけど。僕自身がそう思った過去が悲しくもありました。でも、生きていられることが、今は幸せだと感じていることを、歌を通してあの頃の自分にも、同じように過ごす人たちにも伝えたい。一人で音楽を作る時は、その心を生きたいと思うし、提供したいと思っています」
ジャニーズ事務所には、ほかに“シンガー・ソングライター”として立っている者はいない。
「ジャニーさんに声をかけてもらって、この会社に入り、またジャニーさんからの提案を受けてシンガー・ソングライターになった。形がないゼロの状態から始まり、1にすること。そして、1から2……10へとつなげていくのは生半可な思いでいたら不可能なことですからね」
「そして、いまだやっているのが僕だけだからそれはそれは大変なことも多いけど、ある程度の分かりきった答えに向かうのもつまらないし、続けてこられたのはそれを楽しんできているからです。続けることは、ジャニーさんの思いを持続させることにもなると思っています。今はジャニーズの中で、音楽家のエリアは大きくないですけど、ここを整理整頓する位置にいられたらいいなとは思ってます。後輩君たちにも歌いたい歌があるだろうし、一人ひとりの歌唱スキルを把握して、声の魅力を引き出してもあげたいし、そういうディレクションまでを、本当はやってあげたいですね」
才能のある人たちを、解き放ってあげたい。堂本はまっすぐにそう語った。
今年はシンガー・ソングライターとして、デビュー20周年。ENDRECHERIとして精力的に楽曲をリリース、夏フェスへの参加も決まった。GYAOでの新番組「つよしP」を始動し、ZOZOとのファッションデザインやLINE VOOMなど、さまざまな企画を展開する。
「『決めつけ』るのではなく、素直に発想を出すこと、変で、妙で、面白くて、独創的なモノをたくさん作り、それらをいろんなコンテンツを通して表現する一度きりの僕の人生でありたい。そして『本当の自分を生きることの幸せ』が伝染していくといいなと思っています。僕の心が、『決めつけ』で苦しんで生きている人たちの心に届いて、自分らしく生きてみようという笑顔を与えられたなら、とても幸せだなって思います」
【“抗疫母亲”的小城大爱】妈妈是村镇防疫“尖兵”
“想妈妈了,你就在手心里画个爱心,这就代表妈妈的心和你在一起。”隔着手机屏幕,永年区讲武镇党委副书记、组织委员、统战委员申艳莎对6岁的女儿说道。
手机屏幕里,女儿高举着小手,手心里有一个用红色彩笔画的爱心,爱心的一旁写着妈妈两个字。申艳莎强忍着哽咽,一边夸赞女儿,一边安慰她说:“妈妈只要忙完了工作,就会立刻去接你……”
申艳莎是两个孩子的母亲,女儿6岁,儿子3岁,她在给女儿打电话时,已经连续一个多月没有回家了。永年区实行封控管理期间,她主动请缨到讲武镇任务量最大的检测点开展工作,两个年幼的孩子只能委托家人和亲戚照顾。
在讲武镇疫情防控的各个角落里,都能看到申艳莎的身影。面对来势汹汹的疫情,她积极请战,加班加点,每天吃住在单位。为了提振大家的士气,她组建了讲武镇疫情防控党员先锋队、应急队、志愿者服务队、胡同长、楼长等多个队伍,并在全区率先号召党员重温入党誓词,带领志愿者宣誓,让大家坚定信心,为全镇疫情防控提供了有力的组织保障。
在开展全员核酸检测过程中,申艳莎每天凌晨4点起床,连夜布置核酸检测场地,对环境进行消毒消杀,从秩序维护、后勤保障、卡口封控,到密接人员流调、巡逻宣传,她都亲力亲为,既是指挥官又是战斗员。
申艳莎所负责的片区,涉及居民一万多人,为了确保核酸检测不落一户、不漏一人,她从早上开始,穿着防护服,举着小喇叭,走街串巷做宣传,向大家讲解核酸检测的重要性和必要性,耐心解答群众提出的各种疑问,号召大家按时测核酸,安心居家。同时,她还在全镇率先推出村庄防疫问卷调查,深入到群众家中了解情况,为全面排查重点人员作出突出贡献。
有一次,核酸采集现场误入一名不会说话的群众,申艳莎联系派出所通过人脸识别帮助其寻找家人。当看到该人戴的口罩又黑又脏时,申艳莎又赶忙找来一个新口罩,为其更换。在一次接送返乡学生时,她冒雨坚持到凌晨3点,连续三天每天的站立时间长达12个小时,同事们关心地让她歇会儿,她总是笑着说:“不累。”
采访中,申艳莎告诉记者,“我每次和女儿视频都会告诉她,如果想妈妈了,你就在手心里画个爱心。所以每次视频,我女儿都在手心里画上一个红色的小爱心。”
她说,“爱人也在抗疫一线,3岁的儿子一直由奶奶照顾,6岁的女儿暂时在亲戚家住。其实每次视频看到女儿手心里的爱心,我都想流眼泪,但我都强忍着,我要做女儿的好榜样。特殊时期,干好本职工作,这都是我应该做的。作为一名党员,关键时刻不掉链子,这是我必须的责任和担当。”
妈妈是流调“前哨兵”
47岁的高学英,现任邯郸市疾控中心突发公共卫生事件应急管理科科长,也是协查专班的负责人。
4月27日,匆匆赶去上班的高学英,接到了远在外地上大学的儿子的电话。一阵寒暄过后,心中挂念工作的她急着挂断电话,却听到儿子的询问:“妈,你还记着今天是什么日子吗?”高学英忘了,那天是儿子的生日。因为工作忙碌,高学英对家人的陪伴总是太少,作为母亲,她总是心存愧疚。但即便如此,她依然奋战在防疫一线,因为她深知,每完成一份协查函的推送,完成一个涉疫风险人员的流调与管控,这座城市的安全就会多一丝保障。
“邢台刚刚传来一封协查函,抓紧打电话。”“鸡泽那边的流调报告回传了吗?”“跨省协查平台推送的工单,还差哪些信息?”……凌晨3点,在市疾控中心流调协查专班的集中办公室内,依然灯火通明,键盘敲击声、电话铃声、交流沟通声此起彼伏……夜已深,高学英和同事们依然全神贯注,紧急开展各项排查研判工作。
疫情之下,流调工作格外重要,既要溯源找到传染源,又要截流阻断传播链,整个过程如同抽丝剥茧,一层一层揭开疾病传播与蔓延的真相,而每一次的流调,往往都是从接到相关推送信息的那一刻才真正开始,高学英负责的协查专班也因此被称为追踪病毒的“前哨”。
“叮铃铃……”传真机的电话响起,预示着工作的开启。五名流调人员开始马不停蹄地分工协作。有人负责接收传真的协查函,有人负责录入信息,有人对接县区流调人员,有人负责跨省平台协查工单的推送……大家分工协作,整个办公室“热闹”中却不失有序。
“这几台传真机基本没有闲下来的时候,主要通过它们接收来自全国各地的协查函,有省外的,也有省内其它城市疾控部门发送的,包括密接、次密接、重点人群等等。”高学英告诉记者,他们接收到协查函以后,会第一时间进行研判。“除了研判涉疫人员风险类别,还要区分本人是否在邯,我们会在初步核查信息后把协查函推送给相关县区的疾控部门再去进一步核实,争分夺秒尽快落实这些人的流调管控。”
因为协查函发送的时间不确定,有可能是白天,也有可能是凌晨,所以办公室的灯总是24小时亮着。高学英说,疫情紧张时,传真机里的协查函像雪片一样往外飞,一旁的沙发上、桌子上,到处都堆满了各种协查函。
“越早确认病例、密接、次密接等人员信息,越能尽快对其采取隔离措施,降低更多人被传染的风险。但如果管控速度比不上病毒传播速度,那感染数、感染风险将成倍增加。”高学英告诉记者,在这场和病毒的赛跑中,每个人都在为下一环节争取时间。
从3月初开始,办公室里的协查人员就手不停、脚不停、嘴不停、脑不停,24小时备勤,分秒必争、夜以继日开展协查工作已成为协查专班的工作常态。
因为工作岗位的特殊性,面对不能自理的83岁老母亲,高学英不能长久地守在病床前。无奈,她只好把母亲送进养老院,每周末请假去看望。而全城封控后,她只能借助工作间隙,短暂跟母亲视频。“上次去看她时,天还冷呢,现在天气都二十几度了,老妈还盖着厚被子,实在是没时间去送……”提起这些,高学英有些哽咽。
面对母亲,作为女儿的高学英满是亏欠。“前一段常跟母亲说现在疫情不能常去,等母亲节了,一定去养老院陪老妈!”如今,疫情趋势逐渐向好,高学英终于可以兑现自己的诺言,陪老妈过一个温暖的母亲节……
邯报融媒体记者 周聪 薛雅兰 王梦洁
“想妈妈了,你就在手心里画个爱心,这就代表妈妈的心和你在一起。”隔着手机屏幕,永年区讲武镇党委副书记、组织委员、统战委员申艳莎对6岁的女儿说道。
手机屏幕里,女儿高举着小手,手心里有一个用红色彩笔画的爱心,爱心的一旁写着妈妈两个字。申艳莎强忍着哽咽,一边夸赞女儿,一边安慰她说:“妈妈只要忙完了工作,就会立刻去接你……”
申艳莎是两个孩子的母亲,女儿6岁,儿子3岁,她在给女儿打电话时,已经连续一个多月没有回家了。永年区实行封控管理期间,她主动请缨到讲武镇任务量最大的检测点开展工作,两个年幼的孩子只能委托家人和亲戚照顾。
在讲武镇疫情防控的各个角落里,都能看到申艳莎的身影。面对来势汹汹的疫情,她积极请战,加班加点,每天吃住在单位。为了提振大家的士气,她组建了讲武镇疫情防控党员先锋队、应急队、志愿者服务队、胡同长、楼长等多个队伍,并在全区率先号召党员重温入党誓词,带领志愿者宣誓,让大家坚定信心,为全镇疫情防控提供了有力的组织保障。
在开展全员核酸检测过程中,申艳莎每天凌晨4点起床,连夜布置核酸检测场地,对环境进行消毒消杀,从秩序维护、后勤保障、卡口封控,到密接人员流调、巡逻宣传,她都亲力亲为,既是指挥官又是战斗员。
申艳莎所负责的片区,涉及居民一万多人,为了确保核酸检测不落一户、不漏一人,她从早上开始,穿着防护服,举着小喇叭,走街串巷做宣传,向大家讲解核酸检测的重要性和必要性,耐心解答群众提出的各种疑问,号召大家按时测核酸,安心居家。同时,她还在全镇率先推出村庄防疫问卷调查,深入到群众家中了解情况,为全面排查重点人员作出突出贡献。
有一次,核酸采集现场误入一名不会说话的群众,申艳莎联系派出所通过人脸识别帮助其寻找家人。当看到该人戴的口罩又黑又脏时,申艳莎又赶忙找来一个新口罩,为其更换。在一次接送返乡学生时,她冒雨坚持到凌晨3点,连续三天每天的站立时间长达12个小时,同事们关心地让她歇会儿,她总是笑着说:“不累。”
采访中,申艳莎告诉记者,“我每次和女儿视频都会告诉她,如果想妈妈了,你就在手心里画个爱心。所以每次视频,我女儿都在手心里画上一个红色的小爱心。”
她说,“爱人也在抗疫一线,3岁的儿子一直由奶奶照顾,6岁的女儿暂时在亲戚家住。其实每次视频看到女儿手心里的爱心,我都想流眼泪,但我都强忍着,我要做女儿的好榜样。特殊时期,干好本职工作,这都是我应该做的。作为一名党员,关键时刻不掉链子,这是我必须的责任和担当。”
妈妈是流调“前哨兵”
47岁的高学英,现任邯郸市疾控中心突发公共卫生事件应急管理科科长,也是协查专班的负责人。
4月27日,匆匆赶去上班的高学英,接到了远在外地上大学的儿子的电话。一阵寒暄过后,心中挂念工作的她急着挂断电话,却听到儿子的询问:“妈,你还记着今天是什么日子吗?”高学英忘了,那天是儿子的生日。因为工作忙碌,高学英对家人的陪伴总是太少,作为母亲,她总是心存愧疚。但即便如此,她依然奋战在防疫一线,因为她深知,每完成一份协查函的推送,完成一个涉疫风险人员的流调与管控,这座城市的安全就会多一丝保障。
“邢台刚刚传来一封协查函,抓紧打电话。”“鸡泽那边的流调报告回传了吗?”“跨省协查平台推送的工单,还差哪些信息?”……凌晨3点,在市疾控中心流调协查专班的集中办公室内,依然灯火通明,键盘敲击声、电话铃声、交流沟通声此起彼伏……夜已深,高学英和同事们依然全神贯注,紧急开展各项排查研判工作。
疫情之下,流调工作格外重要,既要溯源找到传染源,又要截流阻断传播链,整个过程如同抽丝剥茧,一层一层揭开疾病传播与蔓延的真相,而每一次的流调,往往都是从接到相关推送信息的那一刻才真正开始,高学英负责的协查专班也因此被称为追踪病毒的“前哨”。
“叮铃铃……”传真机的电话响起,预示着工作的开启。五名流调人员开始马不停蹄地分工协作。有人负责接收传真的协查函,有人负责录入信息,有人对接县区流调人员,有人负责跨省平台协查工单的推送……大家分工协作,整个办公室“热闹”中却不失有序。
“这几台传真机基本没有闲下来的时候,主要通过它们接收来自全国各地的协查函,有省外的,也有省内其它城市疾控部门发送的,包括密接、次密接、重点人群等等。”高学英告诉记者,他们接收到协查函以后,会第一时间进行研判。“除了研判涉疫人员风险类别,还要区分本人是否在邯,我们会在初步核查信息后把协查函推送给相关县区的疾控部门再去进一步核实,争分夺秒尽快落实这些人的流调管控。”
因为协查函发送的时间不确定,有可能是白天,也有可能是凌晨,所以办公室的灯总是24小时亮着。高学英说,疫情紧张时,传真机里的协查函像雪片一样往外飞,一旁的沙发上、桌子上,到处都堆满了各种协查函。
“越早确认病例、密接、次密接等人员信息,越能尽快对其采取隔离措施,降低更多人被传染的风险。但如果管控速度比不上病毒传播速度,那感染数、感染风险将成倍增加。”高学英告诉记者,在这场和病毒的赛跑中,每个人都在为下一环节争取时间。
从3月初开始,办公室里的协查人员就手不停、脚不停、嘴不停、脑不停,24小时备勤,分秒必争、夜以继日开展协查工作已成为协查专班的工作常态。
因为工作岗位的特殊性,面对不能自理的83岁老母亲,高学英不能长久地守在病床前。无奈,她只好把母亲送进养老院,每周末请假去看望。而全城封控后,她只能借助工作间隙,短暂跟母亲视频。“上次去看她时,天还冷呢,现在天气都二十几度了,老妈还盖着厚被子,实在是没时间去送……”提起这些,高学英有些哽咽。
面对母亲,作为女儿的高学英满是亏欠。“前一段常跟母亲说现在疫情不能常去,等母亲节了,一定去养老院陪老妈!”如今,疫情趋势逐渐向好,高学英终于可以兑现自己的诺言,陪老妈过一个温暖的母亲节……
邯报融媒体记者 周聪 薛雅兰 王梦洁
#小兴播报#【北京警方通报6类涉疫案件】 5月7日,#北京召开第327场疫情防控新闻发布会# ,北京市公安局副局长、新闻发言人潘绪宏介绍,北京警方从严从紧落实防控责任,依法严厉打击妨害疫情防控的违法犯罪行为。4月22日以来,已办理相关刑事、行政案件127起,采取刑事强制措施27人,行政拘留129人。会上,潘绪宏通报了有关情况:
一、故意隐瞒行程轨迹,造成病毒传播扩散
房山区确诊病例苏某某(男,59岁),承租并居住在窦店镇一街村某养殖大院内,并将该大院转租给25名住户。4月27日,苏某某核酸检测阳性,因担心养殖大院被封控,在接受流调中谎称自己一直在他处独自居住,直至养殖大院另一租户核酸检测阳性后,方承认自己居住在该大院内。本案中,苏某某刻意隐瞒实际居住地和行程轨迹,导致相关风险点位和人员未及时有效管控,造成疫情传播扩散。截至目前,与苏某某关联的确诊病例已达29人,窦店镇一街村860户、1300余人被临时封控,苏某某已被房山警方刑事立案调查。此外,朝阳区确诊病例孙某某(女,42岁)在接受流调中,未如实提供曾前往石景山区某商务中心的行程轨迹,导致其本人未被及时纳入风险人员管控,目前,警方已对其立案调查。警方提示:积极配合流调溯源,是每个人的责任和义务,隐瞒、谎报行程轨迹,需要承担法律责任,4月22日以来,北京警方已办理此类案件7起、刑事立案调查8人。
二、编造散布涉疫谣言,扰乱公共秩序
5月5日,有人在网上传播散布“北京石景山医院关闭,孕妇大门口分娩”的虚假视频。随后,石景山医院报警并辟谣,广大市民群众对造谣行为纷纷谴责。经警方调查,赵某某(男,52岁)在某微信群看到一段孕妇在路边分娩的视频,以及北京石景山医院暂停门急诊、收住院的信息后,刻意将两条毫无关联的信息拼凑在一起,移花接木编造谣言视频,并在网络社交平台首发传播,“雪山财金”微博博主卢某某(男,47岁)等未经核实进行转发,引发公众误解,造成恶劣影响。目前,赵某某已被刑事拘留,相关案件正在进一步侦办中。
三、擅自离开管控区域,增加疫情传播风险
5月1日,居住在门头沟三家店临时管控区的文某某(男,59岁),欲外出散步被防疫人员劝阻后,仍翻墙离开;居住在朝阳区十八里店某管控小区的康某某(男,25岁),为买奶茶擅自翻墙外出。目前,上述二人已被警方依法行政拘留。4月22日以来,北京警方已办理此类案件12起,行政拘留12人。
四、妨害核酸检测秩序,造成恶劣影响
5月2日,白某(男,29岁)在昌平区阳坊镇某核酸检测点,欲插队做检测时,被维护秩序人员李某某劝阻。白某因此心生不满,纠集辛某(男,23岁)、卢某某(男,25岁)等人对李某某进行殴打。同日,雷某某(女,56岁)在房山区长沟镇某核酸检测点接受检测过程中,因对防疫人员采样方式不满,将装有采集样本的试管打落在地,造成样本损毁。上述人员的行为不仅影响检测效率,而且扰乱检测秩序、增加病毒传播潜在风险。目前,相关人员已被警方分别予以刑事拘留、行政拘留。4月22日以来,北京警方已办理此类案件16起,采取刑事强制措施7人,行政拘留12人。
五、利用疫情实施诈骗,严重侵害群众利益
5月5日,丰台警方接群众举报,有人以“可消除北京健康宝弹窗”为名实施诈骗。经查,刘某某(男,22岁)通过网络社交平台发布“可消除北京健康宝弹窗4”的信息,以每次收取35至100元不等的价格,并使用“正在操作、后台审核”等话术拖延,先后骗取100余人付款。5月6日,刘某某被丰台警方依法刑事拘留。警方提示:涉疫类诈骗,看似“言之凿凿”“套路满满”,无论形式如何变化,最终目的都是诱导群众转账汇款。希望广大市民群众提高防范意识,谨防上当受骗,切实筑牢“防疫”“反诈”双防线。
六、黑车揽客违规出京,导致疫情外溢
4月29日,赵某某(男,43岁)驾驶无运营资质的车辆进京,拉载8人返回山东乐陵。到达乐陵后,赵某某及另一名同车人员任某某被确诊为无症状感染者,且导致当地多名群众被隔离管控,多个社区封控管理。对此,北京警方高度重视,按照首都严格进京管理联防联控协调机制发布的最新出京政策,进一步严密出京安全检查,截至目前,已劝阻不符合政策要求的拟出京人员4400余人。同时,积极会同有关行政执法部门,对非法客运开展专项整治,5月以来已查获跨省非法客运车辆20辆,违法行为人20人。警方提示:防范疫情外溢扩散,是责任也是担当。请广大市民群众坚持非必要不出京,尤其是中高风险地区人员、健康宝弹窗提示人员不得出京。对跨省非法运营涉嫌违法犯罪的,公安机关将依法打击处理。#查处涉疫情违法犯罪案件2.2万起# #疫情防控#
一、故意隐瞒行程轨迹,造成病毒传播扩散
房山区确诊病例苏某某(男,59岁),承租并居住在窦店镇一街村某养殖大院内,并将该大院转租给25名住户。4月27日,苏某某核酸检测阳性,因担心养殖大院被封控,在接受流调中谎称自己一直在他处独自居住,直至养殖大院另一租户核酸检测阳性后,方承认自己居住在该大院内。本案中,苏某某刻意隐瞒实际居住地和行程轨迹,导致相关风险点位和人员未及时有效管控,造成疫情传播扩散。截至目前,与苏某某关联的确诊病例已达29人,窦店镇一街村860户、1300余人被临时封控,苏某某已被房山警方刑事立案调查。此外,朝阳区确诊病例孙某某(女,42岁)在接受流调中,未如实提供曾前往石景山区某商务中心的行程轨迹,导致其本人未被及时纳入风险人员管控,目前,警方已对其立案调查。警方提示:积极配合流调溯源,是每个人的责任和义务,隐瞒、谎报行程轨迹,需要承担法律责任,4月22日以来,北京警方已办理此类案件7起、刑事立案调查8人。
二、编造散布涉疫谣言,扰乱公共秩序
5月5日,有人在网上传播散布“北京石景山医院关闭,孕妇大门口分娩”的虚假视频。随后,石景山医院报警并辟谣,广大市民群众对造谣行为纷纷谴责。经警方调查,赵某某(男,52岁)在某微信群看到一段孕妇在路边分娩的视频,以及北京石景山医院暂停门急诊、收住院的信息后,刻意将两条毫无关联的信息拼凑在一起,移花接木编造谣言视频,并在网络社交平台首发传播,“雪山财金”微博博主卢某某(男,47岁)等未经核实进行转发,引发公众误解,造成恶劣影响。目前,赵某某已被刑事拘留,相关案件正在进一步侦办中。
三、擅自离开管控区域,增加疫情传播风险
5月1日,居住在门头沟三家店临时管控区的文某某(男,59岁),欲外出散步被防疫人员劝阻后,仍翻墙离开;居住在朝阳区十八里店某管控小区的康某某(男,25岁),为买奶茶擅自翻墙外出。目前,上述二人已被警方依法行政拘留。4月22日以来,北京警方已办理此类案件12起,行政拘留12人。
四、妨害核酸检测秩序,造成恶劣影响
5月2日,白某(男,29岁)在昌平区阳坊镇某核酸检测点,欲插队做检测时,被维护秩序人员李某某劝阻。白某因此心生不满,纠集辛某(男,23岁)、卢某某(男,25岁)等人对李某某进行殴打。同日,雷某某(女,56岁)在房山区长沟镇某核酸检测点接受检测过程中,因对防疫人员采样方式不满,将装有采集样本的试管打落在地,造成样本损毁。上述人员的行为不仅影响检测效率,而且扰乱检测秩序、增加病毒传播潜在风险。目前,相关人员已被警方分别予以刑事拘留、行政拘留。4月22日以来,北京警方已办理此类案件16起,采取刑事强制措施7人,行政拘留12人。
五、利用疫情实施诈骗,严重侵害群众利益
5月5日,丰台警方接群众举报,有人以“可消除北京健康宝弹窗”为名实施诈骗。经查,刘某某(男,22岁)通过网络社交平台发布“可消除北京健康宝弹窗4”的信息,以每次收取35至100元不等的价格,并使用“正在操作、后台审核”等话术拖延,先后骗取100余人付款。5月6日,刘某某被丰台警方依法刑事拘留。警方提示:涉疫类诈骗,看似“言之凿凿”“套路满满”,无论形式如何变化,最终目的都是诱导群众转账汇款。希望广大市民群众提高防范意识,谨防上当受骗,切实筑牢“防疫”“反诈”双防线。
六、黑车揽客违规出京,导致疫情外溢
4月29日,赵某某(男,43岁)驾驶无运营资质的车辆进京,拉载8人返回山东乐陵。到达乐陵后,赵某某及另一名同车人员任某某被确诊为无症状感染者,且导致当地多名群众被隔离管控,多个社区封控管理。对此,北京警方高度重视,按照首都严格进京管理联防联控协调机制发布的最新出京政策,进一步严密出京安全检查,截至目前,已劝阻不符合政策要求的拟出京人员4400余人。同时,积极会同有关行政执法部门,对非法客运开展专项整治,5月以来已查获跨省非法客运车辆20辆,违法行为人20人。警方提示:防范疫情外溢扩散,是责任也是担当。请广大市民群众坚持非必要不出京,尤其是中高风险地区人员、健康宝弹窗提示人员不得出京。对跨省非法运营涉嫌违法犯罪的,公安机关将依法打击处理。#查处涉疫情违法犯罪案件2.2万起# #疫情防控#
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