KinKi Kids&吉田拓郎が語る、初の合作曲「Sayonara あいしてる」制作の舞台裏
7月21日(木)20時~『LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP』
https://t.cn/A6a4xrnf
見どころ調査隊
2022年6月25日
バラエティ
『LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP』より、KinKi Kids、吉田拓郎さんのコメントが到着。
KinKi Kids(堂本光一さん、堂本剛さん)と吉田拓郎さんという異色のタッグによる、伝説の音楽バラエティ番組『LOVE LOVE あいしてる』(1996年10月~2001年3月/フジテレビ)が、特別番組『LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP』(7月21日放送)として、5年ぶりに放送されます。
放送は、KinKi KidsがCDデビュー25年目を迎える、7月21日(木)20時~。
また、吉田さんは、この番組が最後のテレビ出演となり、番組も最終回を迎えることとなります。
吉田さんの“卒業式”には、篠原ともえさんや坂崎幸之助(THE ALFEE)さんら番組レギュラー陣に加えて、吉田さんが「最後のテレビ出演に会いたい」とオファーした超豪華ゲストも集結。
さらに、今回のためにKinKi Kidsと吉田さん、3人が初の合作に挑んだ楽曲「Sayonara あいしてる」を披露します。
番組開始から26年の集大成を飾る『LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP』は、7月21日(木)20時より、フジテレビで放送されます。
偶然から始まった奇跡が続いていて、今もその中に僕らが置かれている
<KinKi Kids&吉田拓郎 コメント>
フォトを見る『LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP』放送決定!
左から)堂本剛、吉田拓郎、堂本光一
――放送が決まったときは、どう思いましたか?
堂本光一:拓郎さんの一声で始まりました。『LOVE LOVE~』レギュラー放送のころから、拓郎さんの一声で、みんなが集中してひとつの方向に動き始めるということが多かった気がします。
昔はそういう感覚で物事が進むことは少なくなかったと思うんですけど、今の時代においては、なかなかないこと。今回実現できたのは、拓郎さんのリーダーシップのおかげですし、昔もそうやってやったなという感覚を思い出してうれしかったです。
堂本剛:番組が終わってからも、「『LOVE LOVE~』見てました」と、いろいろな方に言っていただける人生なので、『LOVE LOVE~』という番組が自分だけじゃなくて、いろいろな人たちの記憶に残ってるんだと、影響があった番組なんだなと実感することが多かったんです。
なので、すごくうれしいとともに「ラストか」という気持ちももちろんあります。
でも、リハーサルをやって、「こういう雰囲気だったよな」と、みんなでお話をして。番組が終わってから、長い時間がたったはずなのに、「先月もやっていた」みたいな雰囲気が、めちゃくちゃ不思議で。
篠原(ともえ)も随分会っていなかったですが、あっという間に当時に戻れる感覚。そういう関係性を、画面を通して改めて、みなさんにお届けできることがすごく幸せです。
だから、「放送が決まった」と聞いたときは、そこまで想像できていなかったですけど、改めてリハーサルをしてみてそういう空気感とともに、みなさんに伝えられるという機会をまたいただけたのでうれしいなと思っています。
吉田拓郎:僕は、年齢的にも2人より全然上で、いろいろなことをリタイアしたいなと考えていまして。そういう意味でいうと、テレビとのお付き合いも『LOVE LOVE~』で最後にしたいな、という決心が随分前からありました。
光一と剛と最後に一緒にやって、一緒の時間を過ごして、それを最後のテレビ出演とするのはどうかなと、かねてから思っていました。
それで、プロデューサーと話して、特番などでやれるといいんだけどねと話をさせてもらって。
僕は、とてもすてきな有終の美を飾れそうで、とても幸せ。光一、剛、篠原さん、みなさんに感謝しています。
――改めて、『LOVE LOVE あいしてる』という番組はどんな存在ですか?
吉田:2人ともよく話すのですが、この番組の始まりは偶然だった。海の物とも山の物ともお互いに何も面識もなく、年齢差もすごくあった僕らが集められて、僕らが意識して集まったわけではなく、集められたわけですから。
その偶然からいろんな奇跡が起き始めて、その奇跡をみんなで、僕ら3人だけでなくスタッフも含めて作り上げてきた。
番組が終わって、毎週スタジオに行くことがなくなった寂しさを考え、感じながら、「あの数年間は奇跡的だったな」と思うようになりました。
5年前の特番のときは、終わってから16年もたってから集まったのに、ずっと続けてやっていたような感覚に陥って。不思議なこと起こってるなって。
偶然から始まった奇跡が続いていて、今もその中に僕らが置かれている。残念ながら、この感覚はどなたにもわかっていただけないかもしれない。
でも、光一も剛も、篠原さんも、僕もずっと「何だろう、これ」という感覚を抱きながら、今ここにいるんじゃないかな。僕は、この感覚を感じられることがすごく幸せです。
「番組が特番として帰ってくることも奇跡だと思う」(光一)
――「最後のテレビ出演にする」と聞いたときの心境は?
光一:今回の特番が終わったあとに、拓郎さんに「最後を飾るのに本当にふさわしかったよ」と言っていただけることもすばらしいことだし、「いや、楽しいからもうちょっとやろうかな」と言っていただけるのもうれしいことです。
どっちに転がるかわからないですし、どっちに転がそうとも思っていません。だから拓郎さんがおっしゃったように、ずっと奇跡の中でやってきたので、終わりという言葉というよりも、これからまたどんな奇跡が起きるんだろうという思いでやれば、また奇跡が起きるかもしれない。
フワッとしてるかもしれないんですけど、そんな感覚です。
今こうやって改めて番組が特番として帰ってくることも奇跡だと思います。そこを大事にやっていけば、何かまた生まれるんじゃないかという期待感も込めながら、やりたいなと思います。
剛:僕も同じような気持ちですし、ひとりの人間の人生というのは、それぞれあるわけで。その中で出会いも別れもありますし、思うこともそれぞれ違うし、でも、お互いを尊重し合いながら生きていくのが“仲間”だと思うし、愛する人のためにできることだと思うんです。
リハーサルをして楽しかったし、収録の日も、どんな日も二度とないので、当たり前の中にある喜びをかみ締めながら当日は過ごしたいです。そこで生まれたコミュニケーションがまた何かに繋がるかもしれない。
コロナ禍で、自分自身が部屋でずっと過ごしていたら、拓郎さんから「アレンジをお願いしたい」と電話をいただいて。まったく予想していなかったです。
この大変な時代を、何とか自分なりに耐えている中で、そういうご連絡をいただいたときから今日までがどんどん繋がってるんです。
だから、収録の日も何かが生まれるかもしれないし、生まれないかもしれないけど、でも拓郎さんの言葉にもあったように、わかってもらえないような不思議な関係性の人たちが集う日だし、何かが、始まるんだろうなとは僕は思っています。
光一の言うように、何かが起こるようにわざと導こうとも思ってないし、自分たちらしく楽しく過ごせたら、まずはそれが幸せなんで、そんな日になればいいなと思います。
「久しぶりにこのメンバーで過ごして、めちゃくちゃ楽しい」(剛)
――初の合作曲「Sayonara あいしてる」についての思いは?
吉田:3人で一緒に作った曲を番組で演奏してみたいね、と以前、話をしていました。2人がその場で「ぜひ」と言ってくれたので、俺が詩を書くよ、と。それで、詩を光一と剛に送ったんです。
剛:次の日にきたんですよ。
光一:思いつきが過ぎるんです、拓郎さん(笑)。
剛:次の日にきちゃったから、そのスピード感で返したいと思って。僕は、たまたま家で作業だったので、やっていた作業をいったん止めました。
拓郎さんのスピードに対して、反応した自分のものを作りたいと思って、すぐに作ったんです。光一も、サビの部分を思い浮かべていたから、混ぜてみよう、と。
光一:お互いに拓郎さんの詩を見て、剛もスピード感を持ってやっていたし、僕は舞台中だったんですが、サビに関してはメロディが浮かんでいて。でも、それぞれ思いついたことを形にしていたので、作ってる曲のキーが違ってたので時間がかかってしまって…。
剛:世界観から全然違う。
光一:すり合わせる作業をしていましたが、最終的には「拓郎さんに丸投げするか!何とかしてくれるだろう!」という感じでした(笑)。
吉田:いや~早かった!俺が送ったら、すぐ2人からも「できました」と返事がきて。ずいぶん安易に作るなと思ったよ(笑)。
光一:安易じゃないですよ。
吉田:「人の詩をもっと練って、よく考えたらどうなんだ!」というくらい早かった(笑)。
剛:反射的に作りましたから!
吉田:前もって作ってあったんじゃないの(笑)?舞台中なのに、光一も早かったね。
光一:帝国劇場の楽屋に、拓郎さんの詩をずっと置いていました。
剛:だから、幻のサビがあることにもなるんで、これはいつか歌ってもいいかなとも思っています。拓郎さんは思いつく人だから、僕も同じ鮮度で返したいと思って。そこで躊躇(ちゅうちょ)したりいろいろやったりするよりかは、拓郎さんの詩にお互いに反応したものを見せ合って、それでひとつの曲を作る。それが正解の作り方だと思う。
今回は、サビを光一のサビにしようと決めて混ぜました。だから、ゼロから一緒に考えて作っていたら生まれなかったかもしれないメロディ。そんな制作過程が、この曲ならではの温度感につながったかなと思っています。でも、本当に大変でした(笑)。
吉田:「詩を読みました。感動しました。メロディが浮かんできました」と光一からメールがきて。「これから剛と二人で構築していきます」とメールがきたんですよ。そしたら何日かあとに、「僕と剛は、構築するために何かしたことがないんです」なんて言ってきて(笑)。
光一:お互いに連携を取ってやろうと考えていたんですけど、思えば連携なんて取ったことないなって(笑)。
吉田:剛からAというメロディがきて、光一からはBというメロディが届いて、俺にこれをくっつけてくれと。いかにも、KinKi Kids。委ねられたというか、勝手すぎる(笑)!
剛:光一は舞台をやっていたから、なかなか時間が取れなくて…。
吉田:お前たちは、連携を取るのがイヤなのか(笑)。
光一:なにしろ、会う時間がなかったんです。剛は、さっき言ったようにすごく早くて。勢いを殺したくないという思いはもちろんわかるし。でも、僕は僕の中で思い浮かんでいるものもあって…。
吉田:俺は、2人がどこかの喫茶店で話し合いながら頭を突き合わせて「剛、そこはこうじゃないの?」「光一、それはおかしいよ」なんて言いながら作っているのかと思ってたよ!
光一:そんな2人じゃないことは、わかっているじゃないですか(笑)。
剛:(笑)。大変でしたが、拓郎さんの詩がとてもすてきなので、とても良い曲ができました。久しぶりにこのメンバーで過ごして、めちゃくちゃ楽しいです。
『LOVE LOVE~』をもう一度やりたいなと思うくらい。この空気感を、みなさんに伝えるべく、本番はナチュラルに過ごそうかなと思っています。
光一:冒頭に言ったように「番組をやろう!」という拓郎さんの一言から始まって、「お前ら、曲作れ」と言われて。
「どうしよう!」と思いながらも、みんなでひとつに向かっていくエネルギーが生まれるんです。そのきっかけをくれる方で、それは昔からずっと変わらない。
剛:言い方を変えると「ちょっと、YOUやっちゃいなよ」です(笑)。
光一:本当にそう!今の時代、守りに入らず、そういうエネルギーを持っている人は、なかなか出会えないと思います。
おのずと道ができていく、そこに全員が向かっていってしまう、それが拓郎さんの持つエネルギー。
昔も今もそうやって変わらないのがすてきだし、そこにいられることが幸せだと感じながら準備しています。
公式HP:https://t.cn/A6a4ViJM
7月21日(木)20時~『LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP』
https://t.cn/A6a4xrnf
見どころ調査隊
2022年6月25日
バラエティ
『LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP』より、KinKi Kids、吉田拓郎さんのコメントが到着。
KinKi Kids(堂本光一さん、堂本剛さん)と吉田拓郎さんという異色のタッグによる、伝説の音楽バラエティ番組『LOVE LOVE あいしてる』(1996年10月~2001年3月/フジテレビ)が、特別番組『LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP』(7月21日放送)として、5年ぶりに放送されます。
放送は、KinKi KidsがCDデビュー25年目を迎える、7月21日(木)20時~。
また、吉田さんは、この番組が最後のテレビ出演となり、番組も最終回を迎えることとなります。
吉田さんの“卒業式”には、篠原ともえさんや坂崎幸之助(THE ALFEE)さんら番組レギュラー陣に加えて、吉田さんが「最後のテレビ出演に会いたい」とオファーした超豪華ゲストも集結。
さらに、今回のためにKinKi Kidsと吉田さん、3人が初の合作に挑んだ楽曲「Sayonara あいしてる」を披露します。
番組開始から26年の集大成を飾る『LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP』は、7月21日(木)20時より、フジテレビで放送されます。
偶然から始まった奇跡が続いていて、今もその中に僕らが置かれている
<KinKi Kids&吉田拓郎 コメント>
フォトを見る『LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP』放送決定!
左から)堂本剛、吉田拓郎、堂本光一
――放送が決まったときは、どう思いましたか?
堂本光一:拓郎さんの一声で始まりました。『LOVE LOVE~』レギュラー放送のころから、拓郎さんの一声で、みんなが集中してひとつの方向に動き始めるということが多かった気がします。
昔はそういう感覚で物事が進むことは少なくなかったと思うんですけど、今の時代においては、なかなかないこと。今回実現できたのは、拓郎さんのリーダーシップのおかげですし、昔もそうやってやったなという感覚を思い出してうれしかったです。
堂本剛:番組が終わってからも、「『LOVE LOVE~』見てました」と、いろいろな方に言っていただける人生なので、『LOVE LOVE~』という番組が自分だけじゃなくて、いろいろな人たちの記憶に残ってるんだと、影響があった番組なんだなと実感することが多かったんです。
なので、すごくうれしいとともに「ラストか」という気持ちももちろんあります。
でも、リハーサルをやって、「こういう雰囲気だったよな」と、みんなでお話をして。番組が終わってから、長い時間がたったはずなのに、「先月もやっていた」みたいな雰囲気が、めちゃくちゃ不思議で。
篠原(ともえ)も随分会っていなかったですが、あっという間に当時に戻れる感覚。そういう関係性を、画面を通して改めて、みなさんにお届けできることがすごく幸せです。
だから、「放送が決まった」と聞いたときは、そこまで想像できていなかったですけど、改めてリハーサルをしてみてそういう空気感とともに、みなさんに伝えられるという機会をまたいただけたのでうれしいなと思っています。
吉田拓郎:僕は、年齢的にも2人より全然上で、いろいろなことをリタイアしたいなと考えていまして。そういう意味でいうと、テレビとのお付き合いも『LOVE LOVE~』で最後にしたいな、という決心が随分前からありました。
光一と剛と最後に一緒にやって、一緒の時間を過ごして、それを最後のテレビ出演とするのはどうかなと、かねてから思っていました。
それで、プロデューサーと話して、特番などでやれるといいんだけどねと話をさせてもらって。
僕は、とてもすてきな有終の美を飾れそうで、とても幸せ。光一、剛、篠原さん、みなさんに感謝しています。
――改めて、『LOVE LOVE あいしてる』という番組はどんな存在ですか?
吉田:2人ともよく話すのですが、この番組の始まりは偶然だった。海の物とも山の物ともお互いに何も面識もなく、年齢差もすごくあった僕らが集められて、僕らが意識して集まったわけではなく、集められたわけですから。
その偶然からいろんな奇跡が起き始めて、その奇跡をみんなで、僕ら3人だけでなくスタッフも含めて作り上げてきた。
番組が終わって、毎週スタジオに行くことがなくなった寂しさを考え、感じながら、「あの数年間は奇跡的だったな」と思うようになりました。
5年前の特番のときは、終わってから16年もたってから集まったのに、ずっと続けてやっていたような感覚に陥って。不思議なこと起こってるなって。
偶然から始まった奇跡が続いていて、今もその中に僕らが置かれている。残念ながら、この感覚はどなたにもわかっていただけないかもしれない。
でも、光一も剛も、篠原さんも、僕もずっと「何だろう、これ」という感覚を抱きながら、今ここにいるんじゃないかな。僕は、この感覚を感じられることがすごく幸せです。
「番組が特番として帰ってくることも奇跡だと思う」(光一)
――「最後のテレビ出演にする」と聞いたときの心境は?
光一:今回の特番が終わったあとに、拓郎さんに「最後を飾るのに本当にふさわしかったよ」と言っていただけることもすばらしいことだし、「いや、楽しいからもうちょっとやろうかな」と言っていただけるのもうれしいことです。
どっちに転がるかわからないですし、どっちに転がそうとも思っていません。だから拓郎さんがおっしゃったように、ずっと奇跡の中でやってきたので、終わりという言葉というよりも、これからまたどんな奇跡が起きるんだろうという思いでやれば、また奇跡が起きるかもしれない。
フワッとしてるかもしれないんですけど、そんな感覚です。
今こうやって改めて番組が特番として帰ってくることも奇跡だと思います。そこを大事にやっていけば、何かまた生まれるんじゃないかという期待感も込めながら、やりたいなと思います。
剛:僕も同じような気持ちですし、ひとりの人間の人生というのは、それぞれあるわけで。その中で出会いも別れもありますし、思うこともそれぞれ違うし、でも、お互いを尊重し合いながら生きていくのが“仲間”だと思うし、愛する人のためにできることだと思うんです。
リハーサルをして楽しかったし、収録の日も、どんな日も二度とないので、当たり前の中にある喜びをかみ締めながら当日は過ごしたいです。そこで生まれたコミュニケーションがまた何かに繋がるかもしれない。
コロナ禍で、自分自身が部屋でずっと過ごしていたら、拓郎さんから「アレンジをお願いしたい」と電話をいただいて。まったく予想していなかったです。
この大変な時代を、何とか自分なりに耐えている中で、そういうご連絡をいただいたときから今日までがどんどん繋がってるんです。
だから、収録の日も何かが生まれるかもしれないし、生まれないかもしれないけど、でも拓郎さんの言葉にもあったように、わかってもらえないような不思議な関係性の人たちが集う日だし、何かが、始まるんだろうなとは僕は思っています。
光一の言うように、何かが起こるようにわざと導こうとも思ってないし、自分たちらしく楽しく過ごせたら、まずはそれが幸せなんで、そんな日になればいいなと思います。
「久しぶりにこのメンバーで過ごして、めちゃくちゃ楽しい」(剛)
――初の合作曲「Sayonara あいしてる」についての思いは?
吉田:3人で一緒に作った曲を番組で演奏してみたいね、と以前、話をしていました。2人がその場で「ぜひ」と言ってくれたので、俺が詩を書くよ、と。それで、詩を光一と剛に送ったんです。
剛:次の日にきたんですよ。
光一:思いつきが過ぎるんです、拓郎さん(笑)。
剛:次の日にきちゃったから、そのスピード感で返したいと思って。僕は、たまたま家で作業だったので、やっていた作業をいったん止めました。
拓郎さんのスピードに対して、反応した自分のものを作りたいと思って、すぐに作ったんです。光一も、サビの部分を思い浮かべていたから、混ぜてみよう、と。
光一:お互いに拓郎さんの詩を見て、剛もスピード感を持ってやっていたし、僕は舞台中だったんですが、サビに関してはメロディが浮かんでいて。でも、それぞれ思いついたことを形にしていたので、作ってる曲のキーが違ってたので時間がかかってしまって…。
剛:世界観から全然違う。
光一:すり合わせる作業をしていましたが、最終的には「拓郎さんに丸投げするか!何とかしてくれるだろう!」という感じでした(笑)。
吉田:いや~早かった!俺が送ったら、すぐ2人からも「できました」と返事がきて。ずいぶん安易に作るなと思ったよ(笑)。
光一:安易じゃないですよ。
吉田:「人の詩をもっと練って、よく考えたらどうなんだ!」というくらい早かった(笑)。
剛:反射的に作りましたから!
吉田:前もって作ってあったんじゃないの(笑)?舞台中なのに、光一も早かったね。
光一:帝国劇場の楽屋に、拓郎さんの詩をずっと置いていました。
剛:だから、幻のサビがあることにもなるんで、これはいつか歌ってもいいかなとも思っています。拓郎さんは思いつく人だから、僕も同じ鮮度で返したいと思って。そこで躊躇(ちゅうちょ)したりいろいろやったりするよりかは、拓郎さんの詩にお互いに反応したものを見せ合って、それでひとつの曲を作る。それが正解の作り方だと思う。
今回は、サビを光一のサビにしようと決めて混ぜました。だから、ゼロから一緒に考えて作っていたら生まれなかったかもしれないメロディ。そんな制作過程が、この曲ならではの温度感につながったかなと思っています。でも、本当に大変でした(笑)。
吉田:「詩を読みました。感動しました。メロディが浮かんできました」と光一からメールがきて。「これから剛と二人で構築していきます」とメールがきたんですよ。そしたら何日かあとに、「僕と剛は、構築するために何かしたことがないんです」なんて言ってきて(笑)。
光一:お互いに連携を取ってやろうと考えていたんですけど、思えば連携なんて取ったことないなって(笑)。
吉田:剛からAというメロディがきて、光一からはBというメロディが届いて、俺にこれをくっつけてくれと。いかにも、KinKi Kids。委ねられたというか、勝手すぎる(笑)!
剛:光一は舞台をやっていたから、なかなか時間が取れなくて…。
吉田:お前たちは、連携を取るのがイヤなのか(笑)。
光一:なにしろ、会う時間がなかったんです。剛は、さっき言ったようにすごく早くて。勢いを殺したくないという思いはもちろんわかるし。でも、僕は僕の中で思い浮かんでいるものもあって…。
吉田:俺は、2人がどこかの喫茶店で話し合いながら頭を突き合わせて「剛、そこはこうじゃないの?」「光一、それはおかしいよ」なんて言いながら作っているのかと思ってたよ!
光一:そんな2人じゃないことは、わかっているじゃないですか(笑)。
剛:(笑)。大変でしたが、拓郎さんの詩がとてもすてきなので、とても良い曲ができました。久しぶりにこのメンバーで過ごして、めちゃくちゃ楽しいです。
『LOVE LOVE~』をもう一度やりたいなと思うくらい。この空気感を、みなさんに伝えるべく、本番はナチュラルに過ごそうかなと思っています。
光一:冒頭に言ったように「番組をやろう!」という拓郎さんの一言から始まって、「お前ら、曲作れ」と言われて。
「どうしよう!」と思いながらも、みんなでひとつに向かっていくエネルギーが生まれるんです。そのきっかけをくれる方で、それは昔からずっと変わらない。
剛:言い方を変えると「ちょっと、YOUやっちゃいなよ」です(笑)。
光一:本当にそう!今の時代、守りに入らず、そういうエネルギーを持っている人は、なかなか出会えないと思います。
おのずと道ができていく、そこに全員が向かっていってしまう、それが拓郎さんの持つエネルギー。
昔も今もそうやって変わらないのがすてきだし、そこにいられることが幸せだと感じながら準備しています。
公式HP:https://t.cn/A6a4ViJM
当一个人不联系你,也不拉黑你,原因只有一个……
2022-06-21
网上看到这么一段话:
“人和人走散真的太容易了,一天不联系,一周不联系,一个月不联系,不知不觉就成了过去。”
人生路上,有些人常常在短暂并肩后,匆匆擦肩而过。
即便是数十载的感情,也难敌时间的侵袭,岁月的迁移。
不是情分不够深,也并非用心不真,只是缘来缘去不由人,渐行渐远才是世间常态。
《愿所有相遇,都恰逢其时》一书中写道:
“将来我们必定会抛弃彼此,拉铃,到站,通往各自新的人生,给彼此留一个缺口,等待时间慢慢填满。”
有些并肩,不过擦肩
姚晨曾在《朗读者》中讲过这样一段经历。
早年,她到北京参加考试,因为无处可住,便投奔了老友胖姑娘。
可当姚晨拖着笨重的行李箱到了胖姑娘的住处时,才发现原来胖姑娘住的地方,是一个很多人合租的大杂院,有男有女,有老有少。
而胖姑娘的房间,只有两个沙发那么宽,除了一块木板支起来的床,再无其他。
虽然胖姑娘在北京过得也不尽如人意,但她还是毫不犹豫地收留了姚晨。
多年以后,再回忆起这段经历,姚晨感慨道:
“虽然当时胖姑娘的住处,在现在看来,不太像一个房间,也不太适合居住,但当时胖姑娘还是向我伸出了援手,收留了我,让我感受到了温暖。”
可当主持人问姚晨,最后一次见到胖姑娘是什么时候,她却有些伤感地说:“已经不记得了,早就没有了联系。”
你是否也有过这样的时候:
儿时朋友,曾经形影不离,可随着年纪增长,渐渐少了联系,没了话题,再见面,彼此间只剩下尴尬和疏离。
大学室友,明明说好了几年就要聚一次,结果毕业后各奔东西,再见遥遥无期。
那个深爱过的人,你曾无数次把他写进未来的蓝图里,最后却在你的生命里销声匿迹。
年少时,总是盼望着天长地久,可长大后才知道,这世上哪有什么永不分离,多的只是在人海里走散的后会无期。
何炅曾在《向往的生活》中说:
“我从来没有奢望,要把任何一个人留一辈子,因为我知道,有的人,他来就是陪你一段。”
人生路漫漫,有些人,陪得了你一程,却伴不了你一生。
曾经遇见,并肩同行,便是万幸。
再好的关系,也难敌时间的过滤
听过一句诗:“人生南北多歧路,君向潇湘我向秦。”
寥寥数字,却道尽了人与人之间的聚散离合。
人生自古多别离,世上难得是欢聚。
岁月无声,太多的人在时光的洪流里,走上了不同的轨迹。
网友@猫耳朵在知乎上分享过一段心酸往事。
她有一个十几年的好朋友,从小学到高中,两人都在同一所学校念书。
念书的时候,她们总是黏在一起,无话不说。
可后来,她们去了不同的城市读大学,慢慢地,彼此的联系就少了。
但她不想就这样失去曾经的好友,便开始主动联系对方。
却发现,那个从前有说不完的话的朋友,变得疏远了许多。
有一次,她在手机上看到一个很有趣的视频,便兴冲冲地发给朋友,说以后想和她一起拍这种闺密搞怪视频。
对方却十分冷淡,对她的提议没有任何回应。
她不明白为什么曾经无话不谈的朋友,现在却变得话不投机。
每次给朋友发消息,得到的不是冷漠和敷衍,就是石沉大海般的杳无音讯。
评论区里,有位网友的留言甚是扎心:
那是因为年少的你们,有着相似的成长环境,总会有聊不完的话题。
可长大后,每个人都有着不同的经历,被生活打磨成不同的模样,奔赴不一样的人生。
岁月就像一张巨大的滤网,将太多的人和事,从我们的生命中一一过滤。
有些人,走着走着就散了;有些关系,处着处着就淡了。
来年陌生的,也曾是旧日里最亲爱的朋友;某天疏离的,也许是当初那个想要相守到白头的某某某。
人海里遇见的人,大都要还于人海
你知道吗?
地球上有 78亿人,238个国家,而我们这一生,大约会遇到2920万人。
两个人相遇的概率是十万分之四,相识的概率是千万分之四,相知的概率不过十亿分之三。
而最后能留在我们身边的,不过150人。
也就是说,这一生,我们大概会遇到2920万人,可真正能够走到最后的只有150人左右,而其他的大多数都要走散在人海里。
原来,相逢不过是意外,离别才是世间常态。
周迅说,李亚鹏满足了她对男人所有的幻想,可到头来,两人还是各自牵了别人的手。
张艺谋与张伟平这对多年的黄金搭档,一起创下了《英雄》《十面埋伏》《满城尽带黄金甲》等华语票房神话,也在16年后,对外宣布不再合作。
越长大,越是认同郑执在《生吞》中写下的那句:
“散伙是人生的常态,我们又不是什么例外。”
哪怕曾经互相陪伴,彼此温暖,见证过对方的成长,也难以逃脱渐行渐远的宿命。
不管当初的回忆有多么的美好,不管离别的时候有多么的不舍,可到了缘尽之时,也唯有接受,无法强求。
人生就是一列开往坟墓的列车,路途上会有很多站,但很难有人可以自始至终陪你走完。
当陪你的人要下车时,即使不舍也该心存感激,然后挥手告别。
很高兴你来,也不遗憾你离开
人生,就像是一场必散的宴席,生活处处是别离。
人和人的关系,其实都有期限。
那些我们在茫茫人海里遇见过的人,其实大都要归还给人海。
也许故事的最后,你成了别人的风景,但我仍会记得,你曾湿润过我的眼睛,我仍对那些并肩同行的岁月心怀感激。
想对你说一句:很高兴,我曾在人海里遇见你,不必一生,但念一程。
愿余生的每个日子里,你我都能珍惜所有的相遇,看淡所有的别离,聚散随缘,去留随意。
2022-06-21
网上看到这么一段话:
“人和人走散真的太容易了,一天不联系,一周不联系,一个月不联系,不知不觉就成了过去。”
人生路上,有些人常常在短暂并肩后,匆匆擦肩而过。
即便是数十载的感情,也难敌时间的侵袭,岁月的迁移。
不是情分不够深,也并非用心不真,只是缘来缘去不由人,渐行渐远才是世间常态。
《愿所有相遇,都恰逢其时》一书中写道:
“将来我们必定会抛弃彼此,拉铃,到站,通往各自新的人生,给彼此留一个缺口,等待时间慢慢填满。”
有些并肩,不过擦肩
姚晨曾在《朗读者》中讲过这样一段经历。
早年,她到北京参加考试,因为无处可住,便投奔了老友胖姑娘。
可当姚晨拖着笨重的行李箱到了胖姑娘的住处时,才发现原来胖姑娘住的地方,是一个很多人合租的大杂院,有男有女,有老有少。
而胖姑娘的房间,只有两个沙发那么宽,除了一块木板支起来的床,再无其他。
虽然胖姑娘在北京过得也不尽如人意,但她还是毫不犹豫地收留了姚晨。
多年以后,再回忆起这段经历,姚晨感慨道:
“虽然当时胖姑娘的住处,在现在看来,不太像一个房间,也不太适合居住,但当时胖姑娘还是向我伸出了援手,收留了我,让我感受到了温暖。”
可当主持人问姚晨,最后一次见到胖姑娘是什么时候,她却有些伤感地说:“已经不记得了,早就没有了联系。”
你是否也有过这样的时候:
儿时朋友,曾经形影不离,可随着年纪增长,渐渐少了联系,没了话题,再见面,彼此间只剩下尴尬和疏离。
大学室友,明明说好了几年就要聚一次,结果毕业后各奔东西,再见遥遥无期。
那个深爱过的人,你曾无数次把他写进未来的蓝图里,最后却在你的生命里销声匿迹。
年少时,总是盼望着天长地久,可长大后才知道,这世上哪有什么永不分离,多的只是在人海里走散的后会无期。
何炅曾在《向往的生活》中说:
“我从来没有奢望,要把任何一个人留一辈子,因为我知道,有的人,他来就是陪你一段。”
人生路漫漫,有些人,陪得了你一程,却伴不了你一生。
曾经遇见,并肩同行,便是万幸。
再好的关系,也难敌时间的过滤
听过一句诗:“人生南北多歧路,君向潇湘我向秦。”
寥寥数字,却道尽了人与人之间的聚散离合。
人生自古多别离,世上难得是欢聚。
岁月无声,太多的人在时光的洪流里,走上了不同的轨迹。
网友@猫耳朵在知乎上分享过一段心酸往事。
她有一个十几年的好朋友,从小学到高中,两人都在同一所学校念书。
念书的时候,她们总是黏在一起,无话不说。
可后来,她们去了不同的城市读大学,慢慢地,彼此的联系就少了。
但她不想就这样失去曾经的好友,便开始主动联系对方。
却发现,那个从前有说不完的话的朋友,变得疏远了许多。
有一次,她在手机上看到一个很有趣的视频,便兴冲冲地发给朋友,说以后想和她一起拍这种闺密搞怪视频。
对方却十分冷淡,对她的提议没有任何回应。
她不明白为什么曾经无话不谈的朋友,现在却变得话不投机。
每次给朋友发消息,得到的不是冷漠和敷衍,就是石沉大海般的杳无音讯。
评论区里,有位网友的留言甚是扎心:
那是因为年少的你们,有着相似的成长环境,总会有聊不完的话题。
可长大后,每个人都有着不同的经历,被生活打磨成不同的模样,奔赴不一样的人生。
岁月就像一张巨大的滤网,将太多的人和事,从我们的生命中一一过滤。
有些人,走着走着就散了;有些关系,处着处着就淡了。
来年陌生的,也曾是旧日里最亲爱的朋友;某天疏离的,也许是当初那个想要相守到白头的某某某。
人海里遇见的人,大都要还于人海
你知道吗?
地球上有 78亿人,238个国家,而我们这一生,大约会遇到2920万人。
两个人相遇的概率是十万分之四,相识的概率是千万分之四,相知的概率不过十亿分之三。
而最后能留在我们身边的,不过150人。
也就是说,这一生,我们大概会遇到2920万人,可真正能够走到最后的只有150人左右,而其他的大多数都要走散在人海里。
原来,相逢不过是意外,离别才是世间常态。
周迅说,李亚鹏满足了她对男人所有的幻想,可到头来,两人还是各自牵了别人的手。
张艺谋与张伟平这对多年的黄金搭档,一起创下了《英雄》《十面埋伏》《满城尽带黄金甲》等华语票房神话,也在16年后,对外宣布不再合作。
越长大,越是认同郑执在《生吞》中写下的那句:
“散伙是人生的常态,我们又不是什么例外。”
哪怕曾经互相陪伴,彼此温暖,见证过对方的成长,也难以逃脱渐行渐远的宿命。
不管当初的回忆有多么的美好,不管离别的时候有多么的不舍,可到了缘尽之时,也唯有接受,无法强求。
人生就是一列开往坟墓的列车,路途上会有很多站,但很难有人可以自始至终陪你走完。
当陪你的人要下车时,即使不舍也该心存感激,然后挥手告别。
很高兴你来,也不遗憾你离开
人生,就像是一场必散的宴席,生活处处是别离。
人和人的关系,其实都有期限。
那些我们在茫茫人海里遇见过的人,其实大都要归还给人海。
也许故事的最后,你成了别人的风景,但我仍会记得,你曾湿润过我的眼睛,我仍对那些并肩同行的岁月心怀感激。
想对你说一句:很高兴,我曾在人海里遇见你,不必一生,但念一程。
愿余生的每个日子里,你我都能珍惜所有的相遇,看淡所有的别离,聚散随缘,去留随意。
(劝修念佛法门)圆瑛法师讲述
世间有人。发心念佛。不明念佛旨趣。或问之曰。汝精进念佛。所求何事。则答之曰。为修来世。如是之人。就是愿头打错了。我佛所以立此念佛法门。乃是为著娑婆世界众生。备受众苦。逼迫心身。无法解除。故教人念佛。求生西方。可以离娑婆之苦。得极乐之乐。今念佛不愿往生西方。乃愿再生人世。享受人间福乐。实为可惜。殊不知人间。万般皆是苦、空、无常。何有真乐。纵得富贵荣华。得受世间财、色、名、食、睡。五欲之乐。此等快乐。都非真乐。古德云、‘只这色身。谁信身为苦本。尽贪世乐。不知乐是苦因。’
又经云、‘财色名食睡。地狱五条根。五欲不除。尘不可出。’若求来世福报。转生富贵之家。享受福乐。那知人间富贵花间露。世上功名水上沤。只恐福中不肯修福。报终必堕苦趣。其受乐之日短。而受苦之日长也。狮子峰云、个个恋色贪财。尽是失人身捷径。日日饮酒食肉。无非种地狱深根。眼前图快活一时。死后受苦辛万劫。
念佛、本来可以离苦得乐。若不求出娑婆。求生极乐。则身在娑婆苦海。苦终不离。娑婆是极苦世界。其苦无量。说不能尽。今按人中略说八苦。举世之人。皆不能免。
一、生苦。世人都是随业受报。依前生之业缘。与父缘母缘。三缘和合。中阴身方得投胎。初见父母交媾。忽动欲念。由是流爱为种。纳想成胎。处在母身。生脏之下。熟脏之上。中为胞胎。母吃热时。热深难忍。几如镬汤地狱。母吃冷时。冷触压迫。无异寒冰地狱。幽囚十月。臭秽杂处。是名胎狱。又当出胎之时。胎衣脱下。便受风刀割身之苦。故孩儿出世时。便就哇哇叫苦。凡为人者。莫不皆然。
二、老苦。岁月迁流。形容变易。眼花耳聋。发白面皱。身枯齿落。力弱气销。凡事不得自由。一切仰赖于人。楞严会上。佛问波斯匿王。‘大王汝之形容。应不顿朽。王言、变化密移。我诚不觉。寒暑迁流。渐至如此。我念孩孺之时。肤腠润泽。年至长成。血气充满。而今颓龄。迫于衰耄。发白面皱。逮将不久。’如此可见虽是国王。贵为天子。富有四海之内。老苦亦所不免。古人云、‘黄金不是千年业。红日能消两鬓霜。’
三、病苦。人身四大不调。百种病生。世间少有一生无病之人。古德云、‘病到方知身是苦。健时都为别人忙。’姑勿论沉痀酷疾。即使齿痛头晕。则不自在。行坐不安。寝食顿减。以此例知。一切诸病。无非是苦。三国张飞。性情刚勇。对诸葛武侯曰。我谁人都不怕。于是武侯掌中书一病字。与他一看。问曰、这个汝怕不怕。张飞大声疾呼曰。嗳呀可怕。足见病苦临身。即英雄力士。亦复无可奈何。吾人能于病中。一心念佛。不为病苦所恼。如是则临欲命终。百苦交煎之时。自然亦有把握。
四、死苦。经云、‘因缘和合。虚妄有生。因缘别离。虚妄名灭。’人身有生。则必有死。生时假借四大以为身。死时则四大分离。喻如生牛剥皮。痛苦万状。皮肉筋骨。为地大。津液精血。为水大。周身暖触。为火大。鼻息出入。手足运转。为风大。死时风大先离。故鼻息断绝。手足不动。次火大离时。身发冷触。三水大离时。尸水流溢。只剩皮包骨头之地大。谚云、‘白骨山头化土泥’是也。死之一事。为世人所必经之事。无一人可以幸免。吾人未至死时。当善观察。世间最大为生死。白玉黄金尽枉然。纵使妻儿相惜。无计留君。假饶骨肉满前。有谁替汝。我看他人死。我心热如火。不是热他人。也要轮到我。古人云、‘红红白白莫相瞒。无位真人赤肉团。死去不如猪狗相。即今便作死尸看。’猪狗死时。其肉尚有人要买。人若死时。谁人肯要。
五、爱别离苦。爱即恩爱。世间恩爱。莫过于父母兄弟。妻子眷属。最难舍离。总望常相聚会。举家欢乐。倘若别离。则心如刀割。即所谓千种情怀千种恨。一分恩爱一分忧。殊不知人生聚散。本属无常。有合则必有离。何须痛苦。古云、‘父母恩深终有别。夫妻义重也分离。人生似鸟同林宿。大限来时各自飞。’
六、冤憎会苦。冤即冤家。憎乃憎嫌。此皆宿业所感。重者结冤构仇。轻者厌憎嫉视。冤憎之人。若能远离。其苦自无。那知业力使然。欲离偏合。或为父子。或为兄弟。或为夫妇。或为朋友。冤则索命讨债。憎则刺激精神。因缘聚会。无法脱离。亦如哑子吃黄连(莲)。有苦说不出。罗状元诗云。是是非非何日了。烦烦恼恼几时休。
七、求不得苦。世间那有十足之人。若有不足。则必有求。所求顺遂。自必称心。喜形于色、若求不得。竟生懊恼。日坐愁城。此等都是痴迷不觉。当知得失有定。贫富在天。岂不闻、‘世事忙忙似水流。休将名利挂心头。粗茶淡饭随缘过。富贵荣华莫强求。’
八、五阴炽盛苦。五阴、乃色、受、想、行、识。五种烦恼之火。焚烧众生之心。烦恼若重。如火炽盛之貌。或依内根外尘。所起烦恼。属色阴。或依五识。领纳五尘。所起烦恼。属受阴。或依意识。想念法尘。所起烦恼。属想阴。或依七识。恒审思量。所起烦恼。属行阴。或依八识。微细流注。所起烦恼。属识阴。前七种苦是别。别指一种而言。此一种苦是总。总括诸苦而说。真是世事万般皆是苦。何如及早念弥陀。
以上八苦。但就人道略说。无论智愚贤不肖。皆不能免。所谓千人千般苦。苦苦不相同。若发愿修来世。再来做人。还是吃苦。岂不是打错了愿头。我平日教人念佛。一定要求生净土。方能离苦得乐。弥陀净土。是无有众苦。但受诸乐。超过诸佛国土。念佛之人。不但不可愿来生。再来人间享福。并不可愿身后。生天受乐。以天福亦有终尽。‘八万劫总是空亡。三千界悉从沦没。’永嘉禅师云。‘布施持戒生天福。犹如仰箭射虚空。势力尽、箭还坠。招得来生不如意。’当知求生净土。经称少善不生。多福乃致。省庵大师云。‘言多福。则莫若执持名号。言多善。则莫若发广大心。是以暂持圣号。胜于布施百年。一发大心。超过修行历劫。盖念佛本期作佛。大心不发。则虽念奚为。发心原为修行。净土不生。则虽发易退。是则下菩提种。附以念佛之犁。道果自然增长。乘大愿船。入于净土之海。西方决定往生。’故劝念佛之人。莫求天上人间福报。如以明珠。而贸一食一衣之饱暖。岂不可惜。应当愿生净土。如弥陀经。佛劝发愿云。‘众生闻者。应当发愿。愿生彼国。’
世间有人。发心念佛。不明念佛旨趣。或问之曰。汝精进念佛。所求何事。则答之曰。为修来世。如是之人。就是愿头打错了。我佛所以立此念佛法门。乃是为著娑婆世界众生。备受众苦。逼迫心身。无法解除。故教人念佛。求生西方。可以离娑婆之苦。得极乐之乐。今念佛不愿往生西方。乃愿再生人世。享受人间福乐。实为可惜。殊不知人间。万般皆是苦、空、无常。何有真乐。纵得富贵荣华。得受世间财、色、名、食、睡。五欲之乐。此等快乐。都非真乐。古德云、‘只这色身。谁信身为苦本。尽贪世乐。不知乐是苦因。’
又经云、‘财色名食睡。地狱五条根。五欲不除。尘不可出。’若求来世福报。转生富贵之家。享受福乐。那知人间富贵花间露。世上功名水上沤。只恐福中不肯修福。报终必堕苦趣。其受乐之日短。而受苦之日长也。狮子峰云、个个恋色贪财。尽是失人身捷径。日日饮酒食肉。无非种地狱深根。眼前图快活一时。死后受苦辛万劫。
念佛、本来可以离苦得乐。若不求出娑婆。求生极乐。则身在娑婆苦海。苦终不离。娑婆是极苦世界。其苦无量。说不能尽。今按人中略说八苦。举世之人。皆不能免。
一、生苦。世人都是随业受报。依前生之业缘。与父缘母缘。三缘和合。中阴身方得投胎。初见父母交媾。忽动欲念。由是流爱为种。纳想成胎。处在母身。生脏之下。熟脏之上。中为胞胎。母吃热时。热深难忍。几如镬汤地狱。母吃冷时。冷触压迫。无异寒冰地狱。幽囚十月。臭秽杂处。是名胎狱。又当出胎之时。胎衣脱下。便受风刀割身之苦。故孩儿出世时。便就哇哇叫苦。凡为人者。莫不皆然。
二、老苦。岁月迁流。形容变易。眼花耳聋。发白面皱。身枯齿落。力弱气销。凡事不得自由。一切仰赖于人。楞严会上。佛问波斯匿王。‘大王汝之形容。应不顿朽。王言、变化密移。我诚不觉。寒暑迁流。渐至如此。我念孩孺之时。肤腠润泽。年至长成。血气充满。而今颓龄。迫于衰耄。发白面皱。逮将不久。’如此可见虽是国王。贵为天子。富有四海之内。老苦亦所不免。古人云、‘黄金不是千年业。红日能消两鬓霜。’
三、病苦。人身四大不调。百种病生。世间少有一生无病之人。古德云、‘病到方知身是苦。健时都为别人忙。’姑勿论沉痀酷疾。即使齿痛头晕。则不自在。行坐不安。寝食顿减。以此例知。一切诸病。无非是苦。三国张飞。性情刚勇。对诸葛武侯曰。我谁人都不怕。于是武侯掌中书一病字。与他一看。问曰、这个汝怕不怕。张飞大声疾呼曰。嗳呀可怕。足见病苦临身。即英雄力士。亦复无可奈何。吾人能于病中。一心念佛。不为病苦所恼。如是则临欲命终。百苦交煎之时。自然亦有把握。
四、死苦。经云、‘因缘和合。虚妄有生。因缘别离。虚妄名灭。’人身有生。则必有死。生时假借四大以为身。死时则四大分离。喻如生牛剥皮。痛苦万状。皮肉筋骨。为地大。津液精血。为水大。周身暖触。为火大。鼻息出入。手足运转。为风大。死时风大先离。故鼻息断绝。手足不动。次火大离时。身发冷触。三水大离时。尸水流溢。只剩皮包骨头之地大。谚云、‘白骨山头化土泥’是也。死之一事。为世人所必经之事。无一人可以幸免。吾人未至死时。当善观察。世间最大为生死。白玉黄金尽枉然。纵使妻儿相惜。无计留君。假饶骨肉满前。有谁替汝。我看他人死。我心热如火。不是热他人。也要轮到我。古人云、‘红红白白莫相瞒。无位真人赤肉团。死去不如猪狗相。即今便作死尸看。’猪狗死时。其肉尚有人要买。人若死时。谁人肯要。
五、爱别离苦。爱即恩爱。世间恩爱。莫过于父母兄弟。妻子眷属。最难舍离。总望常相聚会。举家欢乐。倘若别离。则心如刀割。即所谓千种情怀千种恨。一分恩爱一分忧。殊不知人生聚散。本属无常。有合则必有离。何须痛苦。古云、‘父母恩深终有别。夫妻义重也分离。人生似鸟同林宿。大限来时各自飞。’
六、冤憎会苦。冤即冤家。憎乃憎嫌。此皆宿业所感。重者结冤构仇。轻者厌憎嫉视。冤憎之人。若能远离。其苦自无。那知业力使然。欲离偏合。或为父子。或为兄弟。或为夫妇。或为朋友。冤则索命讨债。憎则刺激精神。因缘聚会。无法脱离。亦如哑子吃黄连(莲)。有苦说不出。罗状元诗云。是是非非何日了。烦烦恼恼几时休。
七、求不得苦。世间那有十足之人。若有不足。则必有求。所求顺遂。自必称心。喜形于色、若求不得。竟生懊恼。日坐愁城。此等都是痴迷不觉。当知得失有定。贫富在天。岂不闻、‘世事忙忙似水流。休将名利挂心头。粗茶淡饭随缘过。富贵荣华莫强求。’
八、五阴炽盛苦。五阴、乃色、受、想、行、识。五种烦恼之火。焚烧众生之心。烦恼若重。如火炽盛之貌。或依内根外尘。所起烦恼。属色阴。或依五识。领纳五尘。所起烦恼。属受阴。或依意识。想念法尘。所起烦恼。属想阴。或依七识。恒审思量。所起烦恼。属行阴。或依八识。微细流注。所起烦恼。属识阴。前七种苦是别。别指一种而言。此一种苦是总。总括诸苦而说。真是世事万般皆是苦。何如及早念弥陀。
以上八苦。但就人道略说。无论智愚贤不肖。皆不能免。所谓千人千般苦。苦苦不相同。若发愿修来世。再来做人。还是吃苦。岂不是打错了愿头。我平日教人念佛。一定要求生净土。方能离苦得乐。弥陀净土。是无有众苦。但受诸乐。超过诸佛国土。念佛之人。不但不可愿来生。再来人间享福。并不可愿身后。生天受乐。以天福亦有终尽。‘八万劫总是空亡。三千界悉从沦没。’永嘉禅师云。‘布施持戒生天福。犹如仰箭射虚空。势力尽、箭还坠。招得来生不如意。’当知求生净土。经称少善不生。多福乃致。省庵大师云。‘言多福。则莫若执持名号。言多善。则莫若发广大心。是以暂持圣号。胜于布施百年。一发大心。超过修行历劫。盖念佛本期作佛。大心不发。则虽念奚为。发心原为修行。净土不生。则虽发易退。是则下菩提种。附以念佛之犁。道果自然增长。乘大愿船。入于净土之海。西方决定往生。’故劝念佛之人。莫求天上人间福报。如以明珠。而贸一食一衣之饱暖。岂不可惜。应当愿生净土。如弥陀经。佛劝发愿云。‘众生闻者。应当发愿。愿生彼国。’
✋热门推荐