7月に入りました。コップの水じゃありませんが、「まだまだ半分もある!やるぞ!」と思わなければいけませんよね!

さて、来週土曜日、篠研イベントのセミナー講師をつとめることになりました。そして、おかげさまで、追加講演が9月に行われることになりました。

30代、私がまだ大学で教えていた頃は、自分たちで月1回北京市日本語大会を主催して、同時に北京市22大学の日本語学科の代表者を毎年9月に集め、オリエンテーションを開き、各大学が年1、2回日本語イベントを開催するように促しました。そうすると、どの学生たちも、年30回以上コンテストに参加するチャンスが生まれます。少し難しかったのは、日本語学科の代表者全員をやる気にさせることでした。当時はプレゼン方法と交渉術の本をよく読んでいました。

同時に、月1回のペースで、企業や日本国大使館にスーツを着て出向き、「普段日本語コンテストや日本文化祭などのイベントで活躍している学生たちを表彰してください!」と嘆願して回り、交渉していました。ありがたいことに表彰式では立派な会場を無償で貸してもらえたので、こちらとしては、学生たちが立派に挨拶できるよう、何度もリハーサルすることに専念できました。小林一三氏が「金がないから何もできない人間は金があっても何もできない人間である」とおっしゃいましたが、お金がなかったからこそできた部分が大きかったと思います。どこへ交渉に行くにも、「お金はありませんが」を枕詞にしていました。

当時、北京市以外の学生から声をかけてもらったら、すぐに企業に出向き、「交通費と宿泊費を出してください!」と嘆願し、チケットを片手に空港へ向かいました。そんな毎日を送っていた2010年頃、鑑真式典に出席されたある日本国大使館の方が、「揚州大学の学生たちが、『笈川先生に一度で良いから会いたいと言っていたよ』とおっしゃるので、「わかりました。では、今から中国全土を飛び回ります!」と答えました。その後、チベット以外の全ての地域へ行きましたが、きっかけは、その方のそのひとことでした。

確かに「お金がない」とか、「条件が足りない」とか、「自分にはそうする能力がない」とか、とにかく、なにをするにも、できない理由は山ほどあります。誰かに相談したら「できるわけがない!」と否定されてしまうかもしれません。私は途中から誰かに相談するのをやめて、勝手にやることにしました。普段からお世話になっている方々には事後報告をしてきました。そうやって、こっそりと成果を積み重ね「これは無理だな!」ということもたくさんチャレンジできました。こっそりやる最大のメリットは「こっそり失敗できるところ」だと思います。どんなことでも一年くらいこっそりやれば、誰もが驚くようなビフォー・アフターができあがると思います。

9月に再登板することになりました。とにかく来週のセミナー、しっかり頑張ります!

https://t.cn/A6afOFyz

///かちかち山///

昔、あるところに、お爺さんとお婆さんが、仲良く暮らしていたんだと。

ある日おばあさんは庭をはいて、豆粒三つ拾ったから、大事に手のひらに乗せて「おじいさん、おじいさん。これできな粉こしらえて、食べねえか。」と言った。

するとおじいさんが、「みんなきな粉にしたんでは惜しいから、半粒だけきな粉にして、残りの豆は種にしたらええ。」というので、おばあさんは一粒を半分にして、鍋でカランカラン煎ってから、手ぎねでスットントン、スットントンとついた。するとたまげたことに、つけばつくほどきな粉は増えてきて、たちまち一升ぐらいになったから、おじいさんとおばあさんは喜んで、うまい、うまいとしめてしまった。

次の日、二人は残りの豆を持って、山の畑にまきに行った。

おばさんが「半粒の豆こは一粒になーれ。」といえば、おじいさんが、「一粒の豆こは千粒になーれ。」と言って、二人で豆まきしていると、山からたぬきがガサゴソとやってきて、近くの切り株にちょこんと腰掛けた。そして、

「半粒の豆こはくーされろ

一粒の豆こは一粒のまーま」

とはやしたてから、おじいさんは怒って、こんちくしょうと追いかけた。たぬきはすぐにまたやってきて、はやしたて、しまいには赤んべをして、しっぽをふりふり山の中へにげていった。

おじいさんとおばあさんは仕方なく、家に帰った。それからおじいさんは、なんとかして狸をつかまえてやろうと、今度は鳥もちをどっさり持ってきて、切り株にべったりぬりつけた。そして、「一粒まいたら千粒になれー

二粒まいたら、二千粒になーれ」

と言いながら、種をまくふりをした。するとまた、狸がのこの子やってきて、切り株にちょこんと腰かけて、

「一粒まいたら、一粒のまーま

二粒まいても、二粒のまーま」

と歌った。

おじいさんは縄を持って、それっとたぬきにとびかかった。タヌキはさっと逃げようとのはたけれども、尻に鳥もちがねばりついて、どうにも逃げられない。とうとう捕まってしまった。

おじいさんは、タヌキをギリギリしばりあげると、どっこいしょとかついで、家に帰った。「おばあさんや、やっとタヌキを捕まえてきた。晩にはタヌキ汁が食いたいな。久しぶりに白い飯炊け。」と言って、たぬきを軒下につるすと、また畑に引き返した。

さておばあさんが一人でトントン、トントン米をついていると、タヌキが、「おばあさん、一人で着くのは大変だ。おらが手伝うから、この縄、ほどいてけろ。」と言った。「だめだ、そんなこと言って、お前にげるきだな。おじいさんに叱られるから、おら、いやだ。」「ええから、おら、逃げねえで、米つき手伝うから、ほどいてけろ。」と、タヌキがあまりやいやいせがむので、おばあさんは根負けして、とうとう縄を解いてやった。

タヌキはきぬを持つと、力任せについたから、米が臼からとび出した。おばあさんは、もったいないことだと、しゃがんで溢れた米を拾い始めた。タヌキはすかさず、きねでおばあさんを殴り殺してしまった。

タヌキは急いで、おばあさんの着物をはいで自分が着ると、すっかりおばあさんになりすまし、ばば汁をこしらえて、おじいさんの帰りを待っていた。そこへ、おじいさんが、寒い、寒いと帰ってきた。

おばあさんに化けたタヌキは、「さあさあ、おじいさん、あったかいタヌキ汁でも食べてけろ。」と勧めた。おじいさんが、「おばあさんや、お前、声が悪いなあ、」というと、タヌキは、「風、引いたんだ。」と返事した。「おばあさん、この肉はどうも硬いなあ。」とお爺さんがいうと、「古ダヌキだもの。」と、上手く誤魔化したから、おじいさんは、ばば汁を腹一杯食べて寝てしまった。

さて朝になると、タヌキは早くから起き出して、

「ばば汁食って美味かった。

まーだ奥歯に はさまってる

庭のすみこの 着物みろ

流しの下の 骨こみろ。」

とはやして、逃げていった。

おじいさんが飛び起きて、庭のすみと流しの下を見たら、おばあさんの着物と骨が出てきたから、おじいさんはぶったまげて、「オーん、オーん。」と泣いていた。

すると、いつぞや助けてやったうさぎが飛んできて、「おじいさん、なしてそんなに泣くんだ。」と聞いた。おじいさんは、これこれこういうわけで、タヌキの奴におばあさんを殺された上に、ばば汁まで食わされた、と泣き泣き話した。うさぎは、「よし、おじいさん、俺が是非とも仇をとってやるから。」と約束して、山へ帰っていった。

さて、うさぎが、かや山でかやを刈っていると、そこへタヌキがやってきた。うさぎは、しめたとばかり、「やあ、たぬき丼、いいところで出会った。冬が来たら寒くなったから、かやで囲いして、暖かくしねえか。」と誘った。するとタヌキは、「そうか、ええこと聞いた。おれもかや刈って、囲い作りてえ。」とうまく乗ってきた。二匹は一緒にかやを刈り、天でに背負うと、うさぎはタヌキのあとから、一足遅れて山を下った。

山の途中まで来ると、うさぎは火打ち石をカチッカチッと打って、タヌキのかやに火をつけた。すると、タヌキが、「うさぎどん、カチカチというのはなんの音だや。」と聞いた。「ああ、かちかち山で、カチカチ鳥が泣いているんだ。」と、うさぎは知らん顔で答えた。そのうちに、かやがボウボウも得てきたから、タヌキは、「うさぎどん、ボウボウというのは、なんの音だや。」と聞いた。「ああ、ぼうぼう山で、ぼうぼう鳥が鳴いているんだ。」いうが早いか、うさぎはピョーンとどこかへにげてしまった。そのうちにかやがバヤバヤ、バリバリともえあがり、タヌキは背中に大やけどをした。

それからしばらくして、タヌキはやっと歩けるようになると、なんとかしてうさぎをやっつけてやろうと、山をあちこち探し回った。

タヌキがとうがらし山に来てみると、うさぎがカラカラと、味噌をすっていた。タヌキはウサギの尻尾をふみけて、「やい、うさぎ。よくもお前、かや山で、俺の背中さ、やけどさせたな。もとの体にして返せ。」とわめいた。うさぎはとぼけて、「何、かや山のうさぎは、かや山のうさぎ。俺はとうがらし山のうさぎだから、そんなにこと知らねえな。さあ、しっぽをはなせ。」といった。タヌキは、「それもそうだな。」とあきらめて、「ところで、うさぎどんは、何してる。」と聞いた。「俺、ちょうど今、やけどの薬薬こしらえたところだ。」と、うさぎが言うと、タヌキは喜んで、「そしゃあ、ありがてえ。俺の背中さ、すぐ塗ってけろ。」と頼んだ。

うさぎは、とうがらしをしっかりすりこんだみそを、大きなヘラにたっぶりのせて、タヌキの背中に塗りつけると、さっと逃げていった。タヌキは、やけどであか向けになったところへ、とうがらしみそをつけられたので、いたくていたくて、転がりながら帰っていった。

しばらくしてきずの痛みが少しよくなると、タヌキは、今度こそ仇をとってやろうと、血まなこになってうさぎを探し回った。

タヌキが杉山に来て見ると、うさぎがカーンカーンと杉の木をきりたおしていた。タヌキはウサギのしっぽをふみつけて、「やい、うさぎ。よくもお前、とうがらし山で俺の背中さ、とうがらしみそを塗ったな。火傷の薬だなんて嘘ついて、ひどいめにあったぞ。」とわめいた。うさぎはとぼけて、「とうがらし山のうさぎは、とうがらし山のうさぎ。俺は杉山のうさぎだから、そんなこと知らねえな。さあ、しっぽをはなせ。」といった。タヌキは、「それもそうだな。」とあきらめて、「ところで、うさぎどんは、何してる。」と聞いた。「俺は杉の木けずって、舟作ってるんだ。今年の冬は、雪が多くって、山のものが取れねえっていうから、海のものでもとって食おうと思ってな。」と、うさぎがいうと、タヌキは、「なら、俺も舟にしらえてえ。」と言い出した。「ああ、ええとも。おらが手伝ってやるから、タヌキどんは、泥、運んでけろ。」

うさぎに言われて、タヌキが泥をいっぱい掘ってくると、うさぎは一緒になって泥の舟をこしらえた。それから二人は、めいめい自分の舟を運んでいって、海に浮かべてこぎ出した。

「木の舟こは すうっと走れ

ハア、エンヤ コラサノ エー

泥の舟こは ざっくりさけろ

ハア、エンヤ コラサノ エー」

うさぎが歌うと、タヌキが、「なしてそんな歌、歌うんだ。」と聞いた。

「だって、これ舟歌だもの。」というと、うさぎは今度は舟ばたをたたきながら、

「木の舟こは パッカパカ

泥の舟こは パッカパカ。」

と歌った。

「うさぎどん、なして舟ばた、たたくんだ。」

「こうしてたたくとな、魚がいっぺえ、よってくるんだ」

タヌキはそれもそうだと、思いっきり舟ばたを叩いたから、泥舟はざっくりさけて、とうとうブクブクっとしずんでしまった。タヌキも一緒に、沈んでしまったと。

こんで、一期さけえた。

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琉花|FALAFEL BROTHERS


イスラエル発「FALAFEL BROTHERS」は、東京で“ファラフェル”という言葉を定着させたと言っても過言でないヴィーガン料理のパイオニア。約5年前、日本ではまだ珍しい中東のファーストフード“ファラフェル”にフォーカスしたヴィーガン料理専門店を六本木にオープン。日本人の好みに合ったメニューを展開し、美味しく、楽しく、健康的な新しい食のカルチャーとして、その魅力は瞬く間に感度の高い若者へと広まった。「FALAFEL BROTHERSは大好きで何度も訪れるレストラン。デリバリーでも頼むこともあるぐらい! 私の定番メニューはピタに挟まれた野菜いっぱいのファラフェルサンドイッチ」と、プライベートでも頻繁に通う琉花さん。

「ファラフェル」とは、イスラエルやアラブ諸国・トルコなど中東一帯で食べられる、すり潰したひよこ豆やそら豆にスパイスを加えて揚げたコロッケのようなもの。琉花さんがオーダーしたのは、ファラフェルを主役にした「ブラザーズ サラダ ボールセット」と「ビガニクバーガー ジュニア セット」。一番人気のサラダボールは、ショーケースに並んだ色とりどりの新鮮な野菜の中から好きな具材やソースを選ぶことができ、その日の気分や自分の好みに合わせてカスタマイズすることができる。ヴィーガンチキンとひよこ豆を使用したバーガーはジューシーさが抜群で、味も食べ応えもヴィーガンメニューであることを忘れてしまうほどの満足感!
⁡#日本时尚流行文化##时尚生活自定义#


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