【わたし達はおとな】
“自分”の範疇を超えていく――木竜麻生&藤原季節に訪れた、カメラの存在を完全に忘れた瞬間
――本作には、どのような経緯で参加することになったのでしょうか? 木竜さんは、加藤監督とは初タッグとなりました。
木竜:送られてきた脚本を読ませていただき、すぐにマネージャーさんと話したんです。「(脚本が)面白い。この作品はやろう」と。脚本は、最初から最後まで面白いと、純粋に感じましたし「2人(=優実と直哉)の事を見てみたい」と思いました。
――藤原さんは、加藤監督が演出した舞台「まゆをひそめて、僕を笑って」(2017)、「貴方なら生き残れるわ」(18)、「誰にも知られず死ぬ朝」(20)、「ぽに」(21)に出演されていますよね。
藤原:加藤さんとは付き合いが長いですね。「わたし達はおとな」に関しては、舞台の本番と重なっていて、元々出演することができなかったんです。「主人公は木竜さんに決まった」と加藤さんから報告を受けて「おめでとうございます。あとは相手役だけですね」と励ます立場だったんですが……参加するはずだった舞台が、コロナの影響で中止になったんです。それで加藤さんから声をかけていただき、すぐに脚本を読みました。
――どのように感じられましたか?
藤原:直哉を演じられるのは「僕しかいないな」と思いましたね(笑)。
一同:爆笑
藤原:脚本が本当に面白かった。「『面白い』。しかし、こんなことを言ってしまってもいいのだろうか」と感じる面白さがありましたね。二つ返事で出演が決まりました。
――では、クランクイン前に準備をしていたことはありますか?
藤原:加藤さんがリハーサルの機会を用意してくれて、何度も何度も繰り返していました。本作はラストに向かって、優実と積み上げていくものが必要になります。それには、役を演じる本人同士のコミュニケーションも大切です。なので、リハーサルの最中には、木竜さんと頻繁にコミュニケーションをとっていました。そういう時間は、加藤さんが用意してくれたんです。
木竜:今回の現場には、加藤監督と普段から仕事をしている方々が何人もいらっしゃったんです。リハーサルでは、共通言語を作る時間もとっていただけましたし、皆さんの作る“空気”に巻き込んでもらいながらセッションさせていただいた、という感じでした。
藤原:このリハーサルには、カメラも入っていたんです。まずは芝居の中で、僕たちが動きを作っていく。その後“カメラを何処に置けば、必要最低限のカットで、優実の表情の変化を撮れるのか”という点を、加藤さんたちが計算しながら探っていく。その一方で、僕らは芝居の精度を高める。スタッフと俳優のリハーサルが同時に行われているような感じだったんです。
――このリハーサルは、かなり重要な機会だったんですね。ちなみに、おふたりは初共演ですよね?
木竜:はい。でも、共通の友達がいるので、お互いの事を知ってはいたんです。
――“顔見知り”ではあったわけですね。では、今回の共演を通じて感じた「俳優・藤原季節」について教えていただけますか?
木竜:お芝居をすることに対して、何よりもまっすぐで強い。そんな印象を受けました。こんなにも芝居に対して夢中になれるのか……そんな風に感じてしまう方です。それは今回、実際に共演してみて強く思ったこと。「私も頑張らないと」「負けたくないな」という思いと、「でも、敵わないんだろうな」という考えが同時によぎってしまう俳優さんだと思っています。
――藤原さんは、いかがでしょうか?
藤原:木竜さんの出演作はほとんど見ています。ガラスのハートのように繊細なものを持ちながらも、それを突き抜ける“俳優としての強度”があるんです。同世代だと他に例がない。そうでなければ「菊とギロチン」のヒロインなんてできませんよ。
木竜:この事、いつも言ってくれるんですよ(笑)。
藤原:いやいや、誰にでもできる事じゃないから。“強度のある俳優”だということは、周知の事実だと思っています。
――では、加藤監督とのやりとりに話を転じましょう。木竜さんは、どのような対話を経て、優実の人物像を作り上げていきましたか?
木竜:リハーサルの最初から最後まで言われていたのは「今回は、どれだけ隠せるかが大切」ということです。心の中で思っている事、感情の動き、言いたい事、言えない事、言いたくはない事……これらをどれだけ隠せるのか。現場では、それらについて「出過ぎかな」「もう少しだけ出そう」と微調整を行ってもらったり、丁寧に強弱をつけていただいていました。もうひとつ言われていたのは「今回は暮らしを撮る。生活のある映画になる」ということ。この指針は、自分の中に持ち続けていたと思います。
――藤原さんは、前述の通り、加藤監督とは何度もご一緒されていますよね。加藤監督の魅力は、どのような点に表れていると思いますか?
藤原:“変化し続ける男”といえばいいんでしょうか……作品のカラーが、毎回異なる。そこがすごいですよね。でも、共通していることもあります。「善、悪」「好き、嫌い」「付き合う、付き合わない」「結婚する、結婚しない」という形では白黒がつけられない、“名前がつく前の曖昧な部分”を表現し続けているんだなと思っています。
――「映画の現場」だからこそ感じられた面白みはありましたか?
藤原:ワンカット・長回しを多用しているので、そういう意味では演劇に近いんです。演劇は“再現”をしないといけないので「感情をどこで出すか」という点は、稽古の時点で決まっていきます。「わたし達はおとな」のラストシーンは、ワンカット1発勝負をかけたところなんです。舞台上での“ライブ感”をそのまま生かした、たった1回のチャンス。俳優から何が出てくるのかは、誰もわからない。ここで感じた緊張感というのは、演劇の時よりも上だったかもしれません。どんなに良い芝居が撮れたとしても、例えば救急車の音が入ってしまったら、NGになってしまいますから。木竜さんの演技を見ているうちに「このワンカットで決まる。これは最後までいかないと、撮り直しがきかない」と感じたんです。だからこそ、ラストシーンは“目撃”してほしいんです。
――木竜さんの芝居を見て「ワンカットで決まる」と感じられた。それは、どのようなタイミングだったのでしょうか?
藤原:「わたし達はおとな」は、優実の物語なんです。優実が目的地まで運ばれるために、直哉と加藤さんという存在がいる。僕たちはラストシーンに勝負をかけていましたが、最後に戦うのは木竜さんひとり。最終的には、サポートできる部分が無くなっていくんです。カメラが回ってしまえば、任せるしかない。その時、木竜さんがしっかりと自分の足で立ち、優実になりきっている姿を見ました。それは木竜さんの範疇を超えているというか……。僕が演じている直哉も、僕の範疇から抜け出していく。次第に、優実と直哉の物語になる。木竜さんと僕はどこかに行ってしまった――そういう瞬間が、本番中にあったんです。
木竜:仰っていることが、とてもよくわかります。時間の感覚がない感じというか……。時間が止まっているわけでもなく、進んでいるわけでもないんです。
藤原:カメラの存在を、完全に忘れていますから。
木竜:そう、忘れていました! 映像を見返してみると、信じられない間(ま)ができていたり。でも、そんな間(ま)を作ろうという意識はなかったんです。初号試写を見た時に感じたのですが、自分の知らない声や顔がたくさんありました。(全編に)そういう自分がちらばっていて、少し変な感じだったんです。物語の後半になればなるほど、優実は直哉に思いの丈をぶつけていきます。藤原さんには、それを全部受け止めてもらいましたし、加藤組の皆さんの“芝居中の見守り方”も素晴らしかったんです。委ねることができた自分が、そこにいた――そう思えたのは、とても幸せな事でした。
藤原:芝居をする上では、全てが整っていた現場だったと思います。穏やかで、完璧でした。
――では、最後の質問とさせていただきます。「わたし達はおとな」というタイトルは“ヤングアダルトの時期”の象徴として付けられています。このタイトルは、改めて「おとな(=大人)」について考えるきっかけになりました。「おとなは『私はおとなだ』とは言わないのかもしれない」「『自分はおとなだ』と発言しなくなった頃から、本当の意味でおとなになるのではないか……?」等々。お二人にとって“おとなになる”とは、どういうことだと思いますか?
藤原:「おとな」と「こども」。自分の中には、その両方が存在しているんです。「おとな」の部分は、自分自身のことで悩まなくなったこと。僕はそんな「おとな」を嫌っていたんです。でも、そうやって嫌っていた存在に、きちんとなりつつある。それと同時に、自分はまだまだ「こども」なんだろうなと思うこともある。具体例を出すとなると、すぐには思いつきませんが……。役者という職業は、結局、現実逃避の延長線上にあると思っているんです。これしかできないという時点で、永遠に「こども」のままなのかもしれない。この感覚を失ってしまうと、ただのふざけた「おとな」になってしまうんです。映画に対する憧れ、純粋な気持ちを失うと、毎回毎回同じような芝居を繰り返し、それで満足するようになってしまう。それは全く“楽しくない”こと。表現というものには、きちんと向き合っていきたいんです。
木竜:わかりやすい点でいうと、頼る人の数が減ったのかなと思います。以前までは、幅広い関係性の中で甘えたり、頼ったりしていたと思うんです。でも、自分でしっかりと考えて、頼ってもいいと思える人を選択するようになりました。この変化が「おとな」になったのかなと思うんです。でも、誰かに頼ったり、甘えたりする自分を許容している部分は、まだまだ「こども」だなと思います。藤原さんが仰った「自分のことで悩まない」という点、私は「おとな」だなと感じました。私は、どうしても自分にベクトルが向きやすいタイプなので……。自分自身の「こども」の部分、そこもそうなのかなと思いました。
“自分”の範疇を超えていく――木竜麻生&藤原季節に訪れた、カメラの存在を完全に忘れた瞬間
――本作には、どのような経緯で参加することになったのでしょうか? 木竜さんは、加藤監督とは初タッグとなりました。
木竜:送られてきた脚本を読ませていただき、すぐにマネージャーさんと話したんです。「(脚本が)面白い。この作品はやろう」と。脚本は、最初から最後まで面白いと、純粋に感じましたし「2人(=優実と直哉)の事を見てみたい」と思いました。
――藤原さんは、加藤監督が演出した舞台「まゆをひそめて、僕を笑って」(2017)、「貴方なら生き残れるわ」(18)、「誰にも知られず死ぬ朝」(20)、「ぽに」(21)に出演されていますよね。
藤原:加藤さんとは付き合いが長いですね。「わたし達はおとな」に関しては、舞台の本番と重なっていて、元々出演することができなかったんです。「主人公は木竜さんに決まった」と加藤さんから報告を受けて「おめでとうございます。あとは相手役だけですね」と励ます立場だったんですが……参加するはずだった舞台が、コロナの影響で中止になったんです。それで加藤さんから声をかけていただき、すぐに脚本を読みました。
――どのように感じられましたか?
藤原:直哉を演じられるのは「僕しかいないな」と思いましたね(笑)。
一同:爆笑
藤原:脚本が本当に面白かった。「『面白い』。しかし、こんなことを言ってしまってもいいのだろうか」と感じる面白さがありましたね。二つ返事で出演が決まりました。
――では、クランクイン前に準備をしていたことはありますか?
藤原:加藤さんがリハーサルの機会を用意してくれて、何度も何度も繰り返していました。本作はラストに向かって、優実と積み上げていくものが必要になります。それには、役を演じる本人同士のコミュニケーションも大切です。なので、リハーサルの最中には、木竜さんと頻繁にコミュニケーションをとっていました。そういう時間は、加藤さんが用意してくれたんです。
木竜:今回の現場には、加藤監督と普段から仕事をしている方々が何人もいらっしゃったんです。リハーサルでは、共通言語を作る時間もとっていただけましたし、皆さんの作る“空気”に巻き込んでもらいながらセッションさせていただいた、という感じでした。
藤原:このリハーサルには、カメラも入っていたんです。まずは芝居の中で、僕たちが動きを作っていく。その後“カメラを何処に置けば、必要最低限のカットで、優実の表情の変化を撮れるのか”という点を、加藤さんたちが計算しながら探っていく。その一方で、僕らは芝居の精度を高める。スタッフと俳優のリハーサルが同時に行われているような感じだったんです。
――このリハーサルは、かなり重要な機会だったんですね。ちなみに、おふたりは初共演ですよね?
木竜:はい。でも、共通の友達がいるので、お互いの事を知ってはいたんです。
――“顔見知り”ではあったわけですね。では、今回の共演を通じて感じた「俳優・藤原季節」について教えていただけますか?
木竜:お芝居をすることに対して、何よりもまっすぐで強い。そんな印象を受けました。こんなにも芝居に対して夢中になれるのか……そんな風に感じてしまう方です。それは今回、実際に共演してみて強く思ったこと。「私も頑張らないと」「負けたくないな」という思いと、「でも、敵わないんだろうな」という考えが同時によぎってしまう俳優さんだと思っています。
――藤原さんは、いかがでしょうか?
藤原:木竜さんの出演作はほとんど見ています。ガラスのハートのように繊細なものを持ちながらも、それを突き抜ける“俳優としての強度”があるんです。同世代だと他に例がない。そうでなければ「菊とギロチン」のヒロインなんてできませんよ。
木竜:この事、いつも言ってくれるんですよ(笑)。
藤原:いやいや、誰にでもできる事じゃないから。“強度のある俳優”だということは、周知の事実だと思っています。
――では、加藤監督とのやりとりに話を転じましょう。木竜さんは、どのような対話を経て、優実の人物像を作り上げていきましたか?
木竜:リハーサルの最初から最後まで言われていたのは「今回は、どれだけ隠せるかが大切」ということです。心の中で思っている事、感情の動き、言いたい事、言えない事、言いたくはない事……これらをどれだけ隠せるのか。現場では、それらについて「出過ぎかな」「もう少しだけ出そう」と微調整を行ってもらったり、丁寧に強弱をつけていただいていました。もうひとつ言われていたのは「今回は暮らしを撮る。生活のある映画になる」ということ。この指針は、自分の中に持ち続けていたと思います。
――藤原さんは、前述の通り、加藤監督とは何度もご一緒されていますよね。加藤監督の魅力は、どのような点に表れていると思いますか?
藤原:“変化し続ける男”といえばいいんでしょうか……作品のカラーが、毎回異なる。そこがすごいですよね。でも、共通していることもあります。「善、悪」「好き、嫌い」「付き合う、付き合わない」「結婚する、結婚しない」という形では白黒がつけられない、“名前がつく前の曖昧な部分”を表現し続けているんだなと思っています。
――「映画の現場」だからこそ感じられた面白みはありましたか?
藤原:ワンカット・長回しを多用しているので、そういう意味では演劇に近いんです。演劇は“再現”をしないといけないので「感情をどこで出すか」という点は、稽古の時点で決まっていきます。「わたし達はおとな」のラストシーンは、ワンカット1発勝負をかけたところなんです。舞台上での“ライブ感”をそのまま生かした、たった1回のチャンス。俳優から何が出てくるのかは、誰もわからない。ここで感じた緊張感というのは、演劇の時よりも上だったかもしれません。どんなに良い芝居が撮れたとしても、例えば救急車の音が入ってしまったら、NGになってしまいますから。木竜さんの演技を見ているうちに「このワンカットで決まる。これは最後までいかないと、撮り直しがきかない」と感じたんです。だからこそ、ラストシーンは“目撃”してほしいんです。
――木竜さんの芝居を見て「ワンカットで決まる」と感じられた。それは、どのようなタイミングだったのでしょうか?
藤原:「わたし達はおとな」は、優実の物語なんです。優実が目的地まで運ばれるために、直哉と加藤さんという存在がいる。僕たちはラストシーンに勝負をかけていましたが、最後に戦うのは木竜さんひとり。最終的には、サポートできる部分が無くなっていくんです。カメラが回ってしまえば、任せるしかない。その時、木竜さんがしっかりと自分の足で立ち、優実になりきっている姿を見ました。それは木竜さんの範疇を超えているというか……。僕が演じている直哉も、僕の範疇から抜け出していく。次第に、優実と直哉の物語になる。木竜さんと僕はどこかに行ってしまった――そういう瞬間が、本番中にあったんです。
木竜:仰っていることが、とてもよくわかります。時間の感覚がない感じというか……。時間が止まっているわけでもなく、進んでいるわけでもないんです。
藤原:カメラの存在を、完全に忘れていますから。
木竜:そう、忘れていました! 映像を見返してみると、信じられない間(ま)ができていたり。でも、そんな間(ま)を作ろうという意識はなかったんです。初号試写を見た時に感じたのですが、自分の知らない声や顔がたくさんありました。(全編に)そういう自分がちらばっていて、少し変な感じだったんです。物語の後半になればなるほど、優実は直哉に思いの丈をぶつけていきます。藤原さんには、それを全部受け止めてもらいましたし、加藤組の皆さんの“芝居中の見守り方”も素晴らしかったんです。委ねることができた自分が、そこにいた――そう思えたのは、とても幸せな事でした。
藤原:芝居をする上では、全てが整っていた現場だったと思います。穏やかで、完璧でした。
――では、最後の質問とさせていただきます。「わたし達はおとな」というタイトルは“ヤングアダルトの時期”の象徴として付けられています。このタイトルは、改めて「おとな(=大人)」について考えるきっかけになりました。「おとなは『私はおとなだ』とは言わないのかもしれない」「『自分はおとなだ』と発言しなくなった頃から、本当の意味でおとなになるのではないか……?」等々。お二人にとって“おとなになる”とは、どういうことだと思いますか?
藤原:「おとな」と「こども」。自分の中には、その両方が存在しているんです。「おとな」の部分は、自分自身のことで悩まなくなったこと。僕はそんな「おとな」を嫌っていたんです。でも、そうやって嫌っていた存在に、きちんとなりつつある。それと同時に、自分はまだまだ「こども」なんだろうなと思うこともある。具体例を出すとなると、すぐには思いつきませんが……。役者という職業は、結局、現実逃避の延長線上にあると思っているんです。これしかできないという時点で、永遠に「こども」のままなのかもしれない。この感覚を失ってしまうと、ただのふざけた「おとな」になってしまうんです。映画に対する憧れ、純粋な気持ちを失うと、毎回毎回同じような芝居を繰り返し、それで満足するようになってしまう。それは全く“楽しくない”こと。表現というものには、きちんと向き合っていきたいんです。
木竜:わかりやすい点でいうと、頼る人の数が減ったのかなと思います。以前までは、幅広い関係性の中で甘えたり、頼ったりしていたと思うんです。でも、自分でしっかりと考えて、頼ってもいいと思える人を選択するようになりました。この変化が「おとな」になったのかなと思うんです。でも、誰かに頼ったり、甘えたりする自分を許容している部分は、まだまだ「こども」だなと思います。藤原さんが仰った「自分のことで悩まない」という点、私は「おとな」だなと感じました。私は、どうしても自分にベクトルが向きやすいタイプなので……。自分自身の「こども」の部分、そこもそうなのかなと思いました。
【#倖田來未# ・NEWS】
正体不明的艺术家#blank paper# 的新曲「High legacy」成为新日本职业摔角「BEST OF THE SUPER Jr.29」大会主题歌&朝日电视台系「ワールドプロレスリング(世界职业摔角)」节目6・7月度的战斗音乐!!数位发行日暂未定,还请等候续报.
新艺术家宣传照也已公开!
#njpw##BOSJ##bpm##幸田来未[超话]#
正体不明的艺术家#blank paper# 的新曲「High legacy」成为新日本职业摔角「BEST OF THE SUPER Jr.29」大会主题歌&朝日电视台系「ワールドプロレスリング(世界职业摔角)」节目6・7月度的战斗音乐!!数位发行日暂未定,还请等候续报.
新艺术家宣传照也已公开!
#njpw##BOSJ##bpm##幸田来未[超话]#
ウェブ面接「自宅の音ダダ漏れ」相次ぐ就活ハプニング
新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、企業の新卒採用活動は当初の予定から大幅な変更となっています。就職活動中の学生はどのような問題に直面しているのでしょうか。明治大2年生の4人が、首都圏の複数の大学の就活生に学生の視点で取材しました。明治大商学部の藤田結子教授がリポートします。【毎日新聞経済プレミア】
就活中の学生たちによると、2月下旬ごろから3月にかけて、多くの企業で説明会や座談会がキャンセルとなり、オンラインへ切り替わっていきました。
ウェブ説明会は、録画した映像を流す場合と、「Zoom」などのアプリを使って双方向・リアルタイムで説明会をする場合があります。女子大学生の中村さん(仮名)はある企業の説明会で、気まずい体験をしたそうです。
◇ウェブ説明会で家族の声
「その説明会は、参加者はウェブで参加しても直接行ってもよかったので、私は直接行った。説明会の最中、ウェブで自宅から参加している人のマイクがオンになっていて、親の声とか生活音が会場にダダ漏れだった(笑い)。会社側はどうしようもできないらしく、20 分くらいそのままだった。本当に怖い」
同様に、企業のウェブ説明会中に「慣れていない参加者がマイクをオンにしていて、家のテレビのワイドショーがずっと流れていた」「『このチューハイ、桃味おいしーっ』ていう女の子の声が聞こえてきた」など、マイク関連のハプニングが多発しているようです。
女子大学生の渡辺さん(仮名)は、ある企業が開催した少人数の座談会に参加しました。「濃厚接触しないようにするためか、すごく広い部屋に 12 人だけ入れられた。4 人ずつグループになって話すんだけど、グループ同士の距離がかなり遠かった。でも、同じグループの人同士は接近して話していて、変な感じだった」といいます。
企業も学生も戸惑いながら、説明会や面接を進めている様子がうかがえます。
◇ウェブ面接の背景は敷布団2枚
ウェブ面接に進んだ学生たちからは「カメラ写りの良い場所がない」という悩みが聞かれました。
男子大学生の鈴木さん(仮名)は、ウェブ面接に良さそうな部屋が自宅にありませんでした。余計なものが画面に映り込んでしまいます。そこで、敷布団2枚を合わせて背景が白く映るように工夫し、ウェブ面接に挑みました。ついでに、そのアイデアもウェブ面接でアピールしたそうです。
自宅に適切な部屋がなく、ネットカフェを利用している学生もいます。女子大学生の田中さん(仮名)はネットカフェでウェブ面接する理由をこう説明します。「個室でネットもあるし、家が汚くても大丈夫だし。それにコロナで家族が自宅にいる人も多いから、ネカフェは便利でしょ」
また、大学の共有スペースで他の学生がいる中、突然「御社を志望した理由は……」とウェブ面接を始める声が聞こえてきた、という話も聞かれました。
◇学生間の格差がオンライン就活に影響
このように個人の経済的状況や家庭環境 、つまり学生間の「格差」――パソコン(PC)やタブレットを持っているか、頻繁に使う動画のデータ通信料を支払えるか、ウェブ会議アプリに慣れているか、カメラ写りの良い部屋が準備できるか、同居家族の協力が得られるか――などが採用に影響するのではないか、という就活生の不安が聞こえてきました。
また、昨年のうちから青田買いを進めていた企業や、採用に関係ないはずのインターンに参加していた学生の方が、有利になってしまう不公平な状況が生まれていないか、という意見も聞かれました。
さらに「企業の雰囲気がよく伝わらない」「他の就活生が見れない」「自分から質問やアピールがしにくい」などの意見が問題点としてあがりました。
その一方で、オンライン就活にはメリットもあるそうです。たとえば、わざわざ出かけなくても自宅で説明会や面接に参加できるため、お金と時間が節約できるという利点です。
また、「カメラに映るのは上半身だけだから、上はスーツ、下はパジャマや普段着で面接受けた。リラックスしてできた」といった話もよく聞かれました。さらに「カンニングペーパーが使えるので楽」という意見もありました。
とはいえ大半の学生は、「企業の人と直接会ってやり取りしたい」と強く希望しており、一刻も早い事態の収束を願っています。
今回の調査担当者 小熊結子・松島祐也・山本啓太・吉川璃子(明治大商学部2年)
写真:企業が学生と対面する「ウェブ面接」のイメージ=東京都港区で2020年2月20日、成田有佳撮影
最終更新:4/5(日) 9:30毎日新聞
注:
ウェブ[1]【web】
World Wide Web(ワールド・ワイド・ウェブ、略名:WWW)とは、インターネット上で提供されているハイパーテキストシステムである。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
だだ漏れ 読み方:だだもれ
別表記:ダダ漏れ、だだ洩れ
(1)液体などが大量に漏れ出ること。容器からこぼれ、とめどなく外に流れ出るさま、あるいは、本来封じ込めておくべきものが大量に外部に放出されるさまなどを表す。
(2)情報が大量に外部に漏出すること。私事や個人情報が漏洩しているさま、あるいは、情報を隠さずに筒抜けになっているさまなどを表す。
出典:『実用日本語表現辞典』
就職活動
就職活動(しゅうしょくかつどう)は、職業に就くための活動の総称。略して、就活(しゅうかつ)とも呼ばれる。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、企業の新卒採用活動は当初の予定から大幅な変更となっています。就職活動中の学生はどのような問題に直面しているのでしょうか。明治大2年生の4人が、首都圏の複数の大学の就活生に学生の視点で取材しました。明治大商学部の藤田結子教授がリポートします。【毎日新聞経済プレミア】
就活中の学生たちによると、2月下旬ごろから3月にかけて、多くの企業で説明会や座談会がキャンセルとなり、オンラインへ切り替わっていきました。
ウェブ説明会は、録画した映像を流す場合と、「Zoom」などのアプリを使って双方向・リアルタイムで説明会をする場合があります。女子大学生の中村さん(仮名)はある企業の説明会で、気まずい体験をしたそうです。
◇ウェブ説明会で家族の声
「その説明会は、参加者はウェブで参加しても直接行ってもよかったので、私は直接行った。説明会の最中、ウェブで自宅から参加している人のマイクがオンになっていて、親の声とか生活音が会場にダダ漏れだった(笑い)。会社側はどうしようもできないらしく、20 分くらいそのままだった。本当に怖い」
同様に、企業のウェブ説明会中に「慣れていない参加者がマイクをオンにしていて、家のテレビのワイドショーがずっと流れていた」「『このチューハイ、桃味おいしーっ』ていう女の子の声が聞こえてきた」など、マイク関連のハプニングが多発しているようです。
女子大学生の渡辺さん(仮名)は、ある企業が開催した少人数の座談会に参加しました。「濃厚接触しないようにするためか、すごく広い部屋に 12 人だけ入れられた。4 人ずつグループになって話すんだけど、グループ同士の距離がかなり遠かった。でも、同じグループの人同士は接近して話していて、変な感じだった」といいます。
企業も学生も戸惑いながら、説明会や面接を進めている様子がうかがえます。
◇ウェブ面接の背景は敷布団2枚
ウェブ面接に進んだ学生たちからは「カメラ写りの良い場所がない」という悩みが聞かれました。
男子大学生の鈴木さん(仮名)は、ウェブ面接に良さそうな部屋が自宅にありませんでした。余計なものが画面に映り込んでしまいます。そこで、敷布団2枚を合わせて背景が白く映るように工夫し、ウェブ面接に挑みました。ついでに、そのアイデアもウェブ面接でアピールしたそうです。
自宅に適切な部屋がなく、ネットカフェを利用している学生もいます。女子大学生の田中さん(仮名)はネットカフェでウェブ面接する理由をこう説明します。「個室でネットもあるし、家が汚くても大丈夫だし。それにコロナで家族が自宅にいる人も多いから、ネカフェは便利でしょ」
また、大学の共有スペースで他の学生がいる中、突然「御社を志望した理由は……」とウェブ面接を始める声が聞こえてきた、という話も聞かれました。
◇学生間の格差がオンライン就活に影響
このように個人の経済的状況や家庭環境 、つまり学生間の「格差」――パソコン(PC)やタブレットを持っているか、頻繁に使う動画のデータ通信料を支払えるか、ウェブ会議アプリに慣れているか、カメラ写りの良い部屋が準備できるか、同居家族の協力が得られるか――などが採用に影響するのではないか、という就活生の不安が聞こえてきました。
また、昨年のうちから青田買いを進めていた企業や、採用に関係ないはずのインターンに参加していた学生の方が、有利になってしまう不公平な状況が生まれていないか、という意見も聞かれました。
さらに「企業の雰囲気がよく伝わらない」「他の就活生が見れない」「自分から質問やアピールがしにくい」などの意見が問題点としてあがりました。
その一方で、オンライン就活にはメリットもあるそうです。たとえば、わざわざ出かけなくても自宅で説明会や面接に参加できるため、お金と時間が節約できるという利点です。
また、「カメラに映るのは上半身だけだから、上はスーツ、下はパジャマや普段着で面接受けた。リラックスしてできた」といった話もよく聞かれました。さらに「カンニングペーパーが使えるので楽」という意見もありました。
とはいえ大半の学生は、「企業の人と直接会ってやり取りしたい」と強く希望しており、一刻も早い事態の収束を願っています。
今回の調査担当者 小熊結子・松島祐也・山本啓太・吉川璃子(明治大商学部2年)
写真:企業が学生と対面する「ウェブ面接」のイメージ=東京都港区で2020年2月20日、成田有佳撮影
最終更新:4/5(日) 9:30毎日新聞
注:
ウェブ[1]【web】
World Wide Web(ワールド・ワイド・ウェブ、略名:WWW)とは、インターネット上で提供されているハイパーテキストシステムである。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
だだ漏れ 読み方:だだもれ
別表記:ダダ漏れ、だだ洩れ
(1)液体などが大量に漏れ出ること。容器からこぼれ、とめどなく外に流れ出るさま、あるいは、本来封じ込めておくべきものが大量に外部に放出されるさまなどを表す。
(2)情報が大量に外部に漏出すること。私事や個人情報が漏洩しているさま、あるいは、情報を隠さずに筒抜けになっているさまなどを表す。
出典:『実用日本語表現辞典』
就職活動
就職活動(しゅうしょくかつどう)は、職業に就くための活動の総称。略して、就活(しゅうかつ)とも呼ばれる。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
✋热门推荐