子女断诀节选自《命理精要》
子女断诀
乾以食儿伤为女,坤以伤儿食为女,全局不见再寻替,子息宫中细辨详。
食伤透在天干上,先看何星落天中,伤落空亡先有儿,食入天中见女儿。
食伤为辰子女多,再定象上是几人。子宫三刑子女伤,子宫伏吟多夭折。
日时若犯冲刑穿,花常开来结果少,留下一二接香火,到老还防无依靠。
食伤克坏元辰星,缺儿缺女无后人。元辰互战现食伤,必主花枯母也伤。
满盘火局如见子,若不两离亡一人。年时相冲少子女,只因祖上少阴功。
子息引在日干上,若在地支支带干,干在何宫是何支,要明阴阳顺逆行。
长生三子败一双,冠带临官是三子,旺地成群五六个,衰病一二得吉祥,
死墓无子女儿多,纵然有子不亲生。绝胎养中一个子,此诀明了断入神。
命理上子女的看法
命理上子女的看法有三种:一是无论男女命,以食伤星为子女星,以时柱为子女宫。二是男命以官杀为子女星,女命以食伤星为子女星,以时柱为子女宫。三是以命局用神为子女星,以时柱为子女宫。
子息宫所在五行为喜用神,该五行越旺且不受冲克,子女越优秀、孝顺。子女星为喜用神,该五行越旺且不受冲克,子女越优秀、孝顺。以上两条均符合者,子女必有大出息,孝顺。若为忌神或受冲克,则信息反之。
命中有子女且得力食伤星喜扶而得扶,喜抑而得抑,子必多。命局用神为食伤,子多且得力。日主旺,有食伤星,无印星,子必多。日主旺,比劫多,食伤藏地支,无印星,子必多。食伤星不遭冲克,必有子。日干弱,食伤重,有印星无财星,必有子。食伤星扶助用神子必佳。食伤星为喜用神,子女贤孝,享子女之福。地支食伤星为日主之长生、帝旺、临官,子息荣华聪明。喜用神集于时柱,子息得力。时上有天月德贵人者,子女孝敬。伤官坐杀有子,七杀在时柱,命局见食伤星,即七杀有制,有子而贵。食伤星居贵人者,子女貌秀聪明,又主子女富贵。男命,官星旺,早年得子。七杀在时辰,如为用神或有制者反吉。
命中有子女少或无子且不得力人命无子者,均系子星受扶太过,或受抑太过,或调候失宜所致。日干弱,满局食伤星,无子。日干弱,无比劫,食伤多,无印星,无财星,必无子。食伤星遭冲克无子。
男命,四柱干支全阳,无子之兆。女命,四柱干支全阴,无子之兆。
命局,印星太多,无子。命局,财官太旺,无子。日干弱,无比劫,食伤轻,财星重,必无子。日干弱,无比劫,食伤轻,官杀重,必无子。火炎土燥,无子。水泛木浮,无子。金寒水冷,无子。日主旺,印重,无食伤又无财,必无子。七杀过重无制,也无子。时支或食伤星与孤辰,寡宿同柱者,孤独命,或少子或子不得力。
命局日时两柱相刑,有克子之兆。子星居死绝之地而有刑冲者,克子或子不得力。日主旺,食伤轻,印星旺,子必少。食神、偏印两见,而偏印旺,食神只有一粒,轻则克子,重则绝嗣。印星有三粒以上,食神只有一位,子只有一个,多则夭折。食伤星入墓,克子。命局日时六冲,20--45岁损儿。申日亥时或巳日寅时是狡害杀,无子或子早夭。日主甚旺,官星遇空亡,且有伤劫财者,孤独无子。
男命多食伤者,损子,伤官极旺者损子。时柱遇孤辰寡宿,子息不肖。男命,官杀混杂,克子不肖。偏印坐时辰,子女性情不好,轻者克子,重则绝嗣,偏印为忌神尤验。时支或食伤星居桃花者,子女风骚好色。时支带华盖,孤独或克子。时支或食伤带丧门或吊客者刑克子女。甲子日又甲子时,子早死。阳日阳时得男子,阳日阴时先男后女,阴日阴时生女子,阴日阳时先女后男。四柱无子星,而遇旺子运,可能生子。官杀混杂,而带三刑,且无财星者,私生儿。四柱有偏官、偏财、偏印者是庶子或私生子。
男命,杀临死地,官临墓地,均主无子。男命,官杀库中藏,有子问偏房。官杀藏在辰戌丑未中,恰好是日主之库地,主无子,但天干透出者主有子,大运、流年冲库者或纳妾者有子。男女命,时支坐死墓、绝者,刑克子女,重则绝嗣。命局食伤星坐墓绝者刑克子女,重则无子(女命)。男命,阳日干以七杀为子,阴日干以正官为子。女命,阳日干以伤官为子,食神为女,阴日干以食神为子,伤官为女。
子女断诀
乾以食儿伤为女,坤以伤儿食为女,全局不见再寻替,子息宫中细辨详。
食伤透在天干上,先看何星落天中,伤落空亡先有儿,食入天中见女儿。
食伤为辰子女多,再定象上是几人。子宫三刑子女伤,子宫伏吟多夭折。
日时若犯冲刑穿,花常开来结果少,留下一二接香火,到老还防无依靠。
食伤克坏元辰星,缺儿缺女无后人。元辰互战现食伤,必主花枯母也伤。
满盘火局如见子,若不两离亡一人。年时相冲少子女,只因祖上少阴功。
子息引在日干上,若在地支支带干,干在何宫是何支,要明阴阳顺逆行。
长生三子败一双,冠带临官是三子,旺地成群五六个,衰病一二得吉祥,
死墓无子女儿多,纵然有子不亲生。绝胎养中一个子,此诀明了断入神。
命理上子女的看法
命理上子女的看法有三种:一是无论男女命,以食伤星为子女星,以时柱为子女宫。二是男命以官杀为子女星,女命以食伤星为子女星,以时柱为子女宫。三是以命局用神为子女星,以时柱为子女宫。
子息宫所在五行为喜用神,该五行越旺且不受冲克,子女越优秀、孝顺。子女星为喜用神,该五行越旺且不受冲克,子女越优秀、孝顺。以上两条均符合者,子女必有大出息,孝顺。若为忌神或受冲克,则信息反之。
命中有子女且得力食伤星喜扶而得扶,喜抑而得抑,子必多。命局用神为食伤,子多且得力。日主旺,有食伤星,无印星,子必多。日主旺,比劫多,食伤藏地支,无印星,子必多。食伤星不遭冲克,必有子。日干弱,食伤重,有印星无财星,必有子。食伤星扶助用神子必佳。食伤星为喜用神,子女贤孝,享子女之福。地支食伤星为日主之长生、帝旺、临官,子息荣华聪明。喜用神集于时柱,子息得力。时上有天月德贵人者,子女孝敬。伤官坐杀有子,七杀在时柱,命局见食伤星,即七杀有制,有子而贵。食伤星居贵人者,子女貌秀聪明,又主子女富贵。男命,官星旺,早年得子。七杀在时辰,如为用神或有制者反吉。
命中有子女少或无子且不得力人命无子者,均系子星受扶太过,或受抑太过,或调候失宜所致。日干弱,满局食伤星,无子。日干弱,无比劫,食伤多,无印星,无财星,必无子。食伤星遭冲克无子。
男命,四柱干支全阳,无子之兆。女命,四柱干支全阴,无子之兆。
命局,印星太多,无子。命局,财官太旺,无子。日干弱,无比劫,食伤轻,财星重,必无子。日干弱,无比劫,食伤轻,官杀重,必无子。火炎土燥,无子。水泛木浮,无子。金寒水冷,无子。日主旺,印重,无食伤又无财,必无子。七杀过重无制,也无子。时支或食伤星与孤辰,寡宿同柱者,孤独命,或少子或子不得力。
命局日时两柱相刑,有克子之兆。子星居死绝之地而有刑冲者,克子或子不得力。日主旺,食伤轻,印星旺,子必少。食神、偏印两见,而偏印旺,食神只有一粒,轻则克子,重则绝嗣。印星有三粒以上,食神只有一位,子只有一个,多则夭折。食伤星入墓,克子。命局日时六冲,20--45岁损儿。申日亥时或巳日寅时是狡害杀,无子或子早夭。日主甚旺,官星遇空亡,且有伤劫财者,孤独无子。
男命多食伤者,损子,伤官极旺者损子。时柱遇孤辰寡宿,子息不肖。男命,官杀混杂,克子不肖。偏印坐时辰,子女性情不好,轻者克子,重则绝嗣,偏印为忌神尤验。时支或食伤星居桃花者,子女风骚好色。时支带华盖,孤独或克子。时支或食伤带丧门或吊客者刑克子女。甲子日又甲子时,子早死。阳日阳时得男子,阳日阴时先男后女,阴日阴时生女子,阴日阳时先女后男。四柱无子星,而遇旺子运,可能生子。官杀混杂,而带三刑,且无财星者,私生儿。四柱有偏官、偏财、偏印者是庶子或私生子。
男命,杀临死地,官临墓地,均主无子。男命,官杀库中藏,有子问偏房。官杀藏在辰戌丑未中,恰好是日主之库地,主无子,但天干透出者主有子,大运、流年冲库者或纳妾者有子。男女命,时支坐死墓、绝者,刑克子女,重则绝嗣。命局食伤星坐墓绝者刑克子女,重则无子(女命)。男命,阳日干以七杀为子,阴日干以正官为子。女命,阳日干以伤官为子,食神为女,阴日干以食神为子,伤官为女。
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看惯了大女主人设、看惯了爽剧甜剧,我们渐渐遗忘了“女性成长”的书写应该是循序渐进的,而不是一蹴而就的。
赵盼儿不完美,宋引章不完美,每个角色都有缺点、弱点,正是因为人设不完美、不成熟,角色才能在磕绊中成长,“女子贵自立”作为中心思想贯穿了剧集的始终,才没有成为一句空洞的口号。
作为观众,倒不急于一时,去苛责一个正在成长中的人物。
对国产剧创作而言,比起动辄全盘否定,该肯定时肯定,该讨论时讨论显然更有价值。从这个角度来说,《梦华录》不封神也没关系。
唯有不捧高也不踩低,后来者才能迎难而上、青出于蓝。
看惯了大女主人设、看惯了爽剧甜剧,我们渐渐遗忘了“女性成长”的书写应该是循序渐进的,而不是一蹴而就的。
赵盼儿不完美,宋引章不完美,每个角色都有缺点、弱点,正是因为人设不完美、不成熟,角色才能在磕绊中成长,“女子贵自立”作为中心思想贯穿了剧集的始终,才没有成为一句空洞的口号。
作为观众,倒不急于一时,去苛责一个正在成长中的人物。
对国产剧创作而言,比起动辄全盘否定,该肯定时肯定,该讨论时讨论显然更有价值。从这个角度来说,《梦华录》不封神也没关系。
唯有不捧高也不踩低,后来者才能迎难而上、青出于蓝。
【わたし達はおとな】
木竜麻生×藤原季節×加藤拓也監督 インタビュー(1)
理解し合えないまま生きること、を考える。
突如として訪れる関係性の破綻。あれだけ親密な時間があったのに、修復しようと努めたのに、一体どこで間違えたのか…。私たちの多くが思っている、「話し合えばわかりあえる」という考えは誤解なのかもしれません。
大学でデザインの勉強をする大学生と演劇サークルに所属する大学生の恋愛模様が描かれる映画『わたし達はおとな』(2022年6月10日公開)。どこにでもいる恋人たちの日常風景の中にある、コミュニケーションのすれ違いや、言っていることとやっていることのズレ、見えない本音など、少しずつ積み重なっていく二人の齟齬を、俯瞰した視点から描き出します。
今回主人公の優美を演じた木竜麻生さんと、優美と恋人関係のようになっていく直哉を演じた藤原季節さん、本作がオリジナル脚本による監督デビュー作となった加藤拓也監督に、映画を観た残るザラッとした違和感を出発点にお話を伺いました。
木竜麻生×藤原季節×加藤拓也監督 インタビュー
私たちの「日常」を覗き見すると、見えてくるもの
映画で描かれるのは、かつての自分にも思い当たるような、一見すると「何気ない大学生の日常風景」です。しかし、観終わったあと、「おもしろかった」で済ましていいのか迷ってしまいました。
藤原その感想、めちゃくちゃわかります。体感としては、109分が一瞬で過ぎ去っちゃうくらいおもしろいんですが、おもしろいでは片付けられないというか。「この作品をおもしろいって言ってるやつ、大丈夫?」ってなりますよね(笑)。だけどやっぱり、おもしろいっていう感想になってしまうんですけど…。
覗き見するように人間を客観視してみると、行動とか言葉とか突っかかるし、納得できないところがこんなにあるんだなって。その不思議さなんですかね。「恋愛も人間もおもしろいな」と思いました。
木竜人がいて、生活があって、映画の中の出来事を見つめられる映画ですよね。私は、自分が出ているのに、他人を見ているような感覚になったんです。これまで、そんなことはほとんどなかったので、驚きました。
撮影中はどんなお話をされていたんですか? 繊細なやりとりが交わされるシーンが多かったので、監督と話し合うことも多かったのでしょうか。
藤原くだらない話ばかりしてました。
加藤ここで思い出せないくらい、どうでもいい話しかしてないです。
木竜個々に「ここは話しておきたい」という場面はあったと思うんですけど、3人揃って真面目に話す、ということはなかったですね。
藤原核心には触れられないですよね。核心に触れちゃうと、「これです」って決まっちゃうじゃないですか。かっこいいこと言っちゃったな(笑)。
加藤わかんないけど僕が「このシーンは、こう」って外側のことを言い切ってしまうと、僕の代わりを演じることになってしまうじゃないですか。僕の役割は、あくまで役者が考えたり行動したりするきっかけを演出すること。
ある花を咲かせたいと思っていたとして、どれだけ水をあげて、太陽に当てて、どんな肥料を与えるかっていうことはするけれど、結果花の咲き方みたいなものは俳優次第。
藤原そうですね。一緒に中華料理食べに行ったりしたけど、会話の内容は一つも覚えてない。
木竜私もまったく覚えてないです。
加藤僕が、頼んだメニューの3/4くらい残したんですよ。それを、季節が全部食べてくれて。
木竜そうそう、加藤さんが全然食べきれなくて。
藤原僕は、加藤さんが残したものを食べることがよくあります。加藤さんが脚本・演出を務める「劇団た組」の公演には何度か出させてもらっているので、ご飯に行くことも多いんですけど、よく残すんですよ。そういう話を延々してました。
加藤木竜さんは、撮影中にどんどん痩せていきましたね。
木竜意識的にというより無意識に、どんどん役に入り込んでしまったんですよね。
大学生の優美は直哉と半同棲状態になるものの、突然別れを告げられるなど関係性は不明瞭なまま。そんな中で予期せぬ妊娠がわかり、優美はどんどん体調を崩していきます。その過程で、痩せてしまったんですね。
木竜ふたりは「食べな!」と言ってくれてたんですけど、お弁当も2、3口とかしか食べられなくて。これまでの現場で、一番痩せてしまいました。
加藤似顔絵を台本に描たりしました。10日目くらいかな、砂時計みたいな女の子を描きました。
木竜ふたりはよく一緒に作品を作っているから、やり方もわかっているし、本番に入っていくスイッチングもほぼ同時なんですよ。
藤原さんは、加藤監督主宰「劇団た組」の舞台『まゆをひそめて、僕を笑って』(17)『貴方なら生き残れるわ』(18)『誰にも知られず死ぬ朝』(20)『ぽに』(21)に出演されていて、加藤監督も「僕の現場や作品におけるトーン&マナーみたいなことを十分理解してくれている」とコメントされていました。
木竜ふたりは控え室でたくさん盛り上がっていたのに、急に本番モードになる。それを1週間毎日やられると情緒がおかしくなりそうで、ほんとにやめてほしくて。初めて監督という存在に言いました、「バーカ!」って(笑)。
でも、そういうことを正直に言えるくらい信頼していました。藤原さんも知っていたので、ふたりを信頼して、身を委ねて現場に立てたのは大きかったと思います。
正常と異常は両極端ではない。
重なり合ったり、近くに存在したり。
映画では何度もふたりでコミュニケーションを図るシーンが描かれているのに、演じているふたりもボロボロになるぐらい、ふたりの関係性が破綻していきます。おふたりは「わかりあうこと」について、どう思われますか? 役を演じる中で、考えられたことはありますか。
藤原映画の中のふたりは、自分たちでは「理解し合っている」と思っているんですよ。第三者的に見ている僕たちからしたら「全然、わかりあえていないな」って思うけれど。だけど、優実と直哉にもわかりあえないことも愛しい、もしかしたらわかりあえていたかもしれない幸せな時間があった、というのが大事なことなんだと思います。
わかりあえない方ばかりに目が行きがちですけど、ふたりがわかりあえない互いを理解して、心を通わせていた時間もたしかにあったので。幸せな時間も忘れちゃいけないなって思います。
木竜そうですね。それはきっと、いろんな人間関係があるからで。優実にも恋人以外に、友人、家族といった人間関係が描かれて、それぞれ気持ちや立ち振る舞いが違う。だけど、時々別のグループに別の私を持ち込んでしまうから、理解できないことが生まれるのかもしれないですよね。
藤原つまり、「わかりあうこと」について考えるきっかけになるということ?
木竜「わかりあえないこと」についても考えられる。両方の側面があるかな。
藤原監督はどうですか?
木竜どうですか?
加藤いや、「わかりあう/わかりあえない」ということではなくて大前提、他人のことは絶対にわからないですよね。その「わからない」ということを、理解しているかどうかが大事なのではないかと思います。
藤原他人のことはわからなくて、当然?
加藤わからないでしょう。
木竜たしかにこの映画は、「“理解し合えないまま生きていること”は大前提としてある」を考えるきっかけになりますよね。
お互いに本音をずっと言わないから、理解し合えないのではないかと考えていました。
木竜優実はあけすけに本音を話すような子ではなかったと思います。話す相手がどんな人で、どんな状態か、他人を探る女の子だと思いました。ただ、どんな人も、今話したことが「ほんとの本音か」わからないと思うので、優実みたいな人はいっぱいいますよね。
藤原直哉も、本音はほぼ話さない。自分が悪者にならないように、計算し尽くした本音を相手にぶつけるんです。一度相手の意見に同意して、それから自分の意見を言う。
木竜肯定しているようで、してないんだよね。
藤原そうそう。「仮にそうだったとして、でも〜」って、自分の意見をうまく通そうとするんですよ。
監督の作品のベースには「伝えたいことと言っていることとやっていることは違う」という考えがあると拝見しました。今作のように日常生活を覗き見すると、日常にあるズレが浮かび上がり、こんなにも「異常」があることを感じました。
藤原僕も加藤さんの作品を観ていると、普通の延長に異常があるなっていうのは思います。この前まで上演されていた舞台『もはやしずか』でも、成人男性が包丁を振り回すシーンがあったんですけど、明日は我が身だと思わされるような場面で。
そこだけ切り取れば異常なんだけど、普通の延長に異常とされる行動があるんだと思いました。あと、普段から僕自身が「行動が異常」って言われます。
加藤水を飲んでいたら、急に吐き出したりするんですよ。
藤原みんなが笑うから、楽しくて(笑)。木竜さんは言われますか?
木竜私は「異常」と言われたことはないですけど、正常と異常が両極端に位置しているわけじゃなくて、実は重なり合ったりものすごく近くに存在していたりするんだなってことは思います。監督の舞台を観ても、そう思いました。
加藤僕は異常だとも、普通だとも思ってないです。普通だとか異常だとかカテゴライズはしてないし、そう思うことはあまりないです。
今回の映画は、恋愛で、しかも望まない妊娠をした女性とその恋人という何度も描かれてきたテーマでした。そうしたものを書くときに、加藤監督として決めていたことはありますか?
加藤ラブストーリーという主題は依頼としてあったので、そこから僕が思う「ラブストーリー」を書いた感じです。決めていたことを聞かれると難しいですね。
藤原何度も描かれてきたテーマですけど、描かれているものは極めて個人的な気がします。正常も異常も、人によって価値観や視点が全然違いますから。
その違いを真摯に見つめて、一人の人間を描いた結果、他人から見ると異常に見えるのかもしれない。人によっては、普通に見えるかもしれない。普通に見える女子大生のお腹には子どもが宿っていて、そこに正常や異常では片付けられない感情があるってことですよね。
木竜麻生×藤原季節×加藤拓也監督 インタビュー(1)
理解し合えないまま生きること、を考える。
突如として訪れる関係性の破綻。あれだけ親密な時間があったのに、修復しようと努めたのに、一体どこで間違えたのか…。私たちの多くが思っている、「話し合えばわかりあえる」という考えは誤解なのかもしれません。
大学でデザインの勉強をする大学生と演劇サークルに所属する大学生の恋愛模様が描かれる映画『わたし達はおとな』(2022年6月10日公開)。どこにでもいる恋人たちの日常風景の中にある、コミュニケーションのすれ違いや、言っていることとやっていることのズレ、見えない本音など、少しずつ積み重なっていく二人の齟齬を、俯瞰した視点から描き出します。
今回主人公の優美を演じた木竜麻生さんと、優美と恋人関係のようになっていく直哉を演じた藤原季節さん、本作がオリジナル脚本による監督デビュー作となった加藤拓也監督に、映画を観た残るザラッとした違和感を出発点にお話を伺いました。
木竜麻生×藤原季節×加藤拓也監督 インタビュー
私たちの「日常」を覗き見すると、見えてくるもの
映画で描かれるのは、かつての自分にも思い当たるような、一見すると「何気ない大学生の日常風景」です。しかし、観終わったあと、「おもしろかった」で済ましていいのか迷ってしまいました。
藤原その感想、めちゃくちゃわかります。体感としては、109分が一瞬で過ぎ去っちゃうくらいおもしろいんですが、おもしろいでは片付けられないというか。「この作品をおもしろいって言ってるやつ、大丈夫?」ってなりますよね(笑)。だけどやっぱり、おもしろいっていう感想になってしまうんですけど…。
覗き見するように人間を客観視してみると、行動とか言葉とか突っかかるし、納得できないところがこんなにあるんだなって。その不思議さなんですかね。「恋愛も人間もおもしろいな」と思いました。
木竜人がいて、生活があって、映画の中の出来事を見つめられる映画ですよね。私は、自分が出ているのに、他人を見ているような感覚になったんです。これまで、そんなことはほとんどなかったので、驚きました。
撮影中はどんなお話をされていたんですか? 繊細なやりとりが交わされるシーンが多かったので、監督と話し合うことも多かったのでしょうか。
藤原くだらない話ばかりしてました。
加藤ここで思い出せないくらい、どうでもいい話しかしてないです。
木竜個々に「ここは話しておきたい」という場面はあったと思うんですけど、3人揃って真面目に話す、ということはなかったですね。
藤原核心には触れられないですよね。核心に触れちゃうと、「これです」って決まっちゃうじゃないですか。かっこいいこと言っちゃったな(笑)。
加藤わかんないけど僕が「このシーンは、こう」って外側のことを言い切ってしまうと、僕の代わりを演じることになってしまうじゃないですか。僕の役割は、あくまで役者が考えたり行動したりするきっかけを演出すること。
ある花を咲かせたいと思っていたとして、どれだけ水をあげて、太陽に当てて、どんな肥料を与えるかっていうことはするけれど、結果花の咲き方みたいなものは俳優次第。
藤原そうですね。一緒に中華料理食べに行ったりしたけど、会話の内容は一つも覚えてない。
木竜私もまったく覚えてないです。
加藤僕が、頼んだメニューの3/4くらい残したんですよ。それを、季節が全部食べてくれて。
木竜そうそう、加藤さんが全然食べきれなくて。
藤原僕は、加藤さんが残したものを食べることがよくあります。加藤さんが脚本・演出を務める「劇団た組」の公演には何度か出させてもらっているので、ご飯に行くことも多いんですけど、よく残すんですよ。そういう話を延々してました。
加藤木竜さんは、撮影中にどんどん痩せていきましたね。
木竜意識的にというより無意識に、どんどん役に入り込んでしまったんですよね。
大学生の優美は直哉と半同棲状態になるものの、突然別れを告げられるなど関係性は不明瞭なまま。そんな中で予期せぬ妊娠がわかり、優美はどんどん体調を崩していきます。その過程で、痩せてしまったんですね。
木竜ふたりは「食べな!」と言ってくれてたんですけど、お弁当も2、3口とかしか食べられなくて。これまでの現場で、一番痩せてしまいました。
加藤似顔絵を台本に描たりしました。10日目くらいかな、砂時計みたいな女の子を描きました。
木竜ふたりはよく一緒に作品を作っているから、やり方もわかっているし、本番に入っていくスイッチングもほぼ同時なんですよ。
藤原さんは、加藤監督主宰「劇団た組」の舞台『まゆをひそめて、僕を笑って』(17)『貴方なら生き残れるわ』(18)『誰にも知られず死ぬ朝』(20)『ぽに』(21)に出演されていて、加藤監督も「僕の現場や作品におけるトーン&マナーみたいなことを十分理解してくれている」とコメントされていました。
木竜ふたりは控え室でたくさん盛り上がっていたのに、急に本番モードになる。それを1週間毎日やられると情緒がおかしくなりそうで、ほんとにやめてほしくて。初めて監督という存在に言いました、「バーカ!」って(笑)。
でも、そういうことを正直に言えるくらい信頼していました。藤原さんも知っていたので、ふたりを信頼して、身を委ねて現場に立てたのは大きかったと思います。
正常と異常は両極端ではない。
重なり合ったり、近くに存在したり。
映画では何度もふたりでコミュニケーションを図るシーンが描かれているのに、演じているふたりもボロボロになるぐらい、ふたりの関係性が破綻していきます。おふたりは「わかりあうこと」について、どう思われますか? 役を演じる中で、考えられたことはありますか。
藤原映画の中のふたりは、自分たちでは「理解し合っている」と思っているんですよ。第三者的に見ている僕たちからしたら「全然、わかりあえていないな」って思うけれど。だけど、優実と直哉にもわかりあえないことも愛しい、もしかしたらわかりあえていたかもしれない幸せな時間があった、というのが大事なことなんだと思います。
わかりあえない方ばかりに目が行きがちですけど、ふたりがわかりあえない互いを理解して、心を通わせていた時間もたしかにあったので。幸せな時間も忘れちゃいけないなって思います。
木竜そうですね。それはきっと、いろんな人間関係があるからで。優実にも恋人以外に、友人、家族といった人間関係が描かれて、それぞれ気持ちや立ち振る舞いが違う。だけど、時々別のグループに別の私を持ち込んでしまうから、理解できないことが生まれるのかもしれないですよね。
藤原つまり、「わかりあうこと」について考えるきっかけになるということ?
木竜「わかりあえないこと」についても考えられる。両方の側面があるかな。
藤原監督はどうですか?
木竜どうですか?
加藤いや、「わかりあう/わかりあえない」ということではなくて大前提、他人のことは絶対にわからないですよね。その「わからない」ということを、理解しているかどうかが大事なのではないかと思います。
藤原他人のことはわからなくて、当然?
加藤わからないでしょう。
木竜たしかにこの映画は、「“理解し合えないまま生きていること”は大前提としてある」を考えるきっかけになりますよね。
お互いに本音をずっと言わないから、理解し合えないのではないかと考えていました。
木竜優実はあけすけに本音を話すような子ではなかったと思います。話す相手がどんな人で、どんな状態か、他人を探る女の子だと思いました。ただ、どんな人も、今話したことが「ほんとの本音か」わからないと思うので、優実みたいな人はいっぱいいますよね。
藤原直哉も、本音はほぼ話さない。自分が悪者にならないように、計算し尽くした本音を相手にぶつけるんです。一度相手の意見に同意して、それから自分の意見を言う。
木竜肯定しているようで、してないんだよね。
藤原そうそう。「仮にそうだったとして、でも〜」って、自分の意見をうまく通そうとするんですよ。
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藤原僕も加藤さんの作品を観ていると、普通の延長に異常があるなっていうのは思います。この前まで上演されていた舞台『もはやしずか』でも、成人男性が包丁を振り回すシーンがあったんですけど、明日は我が身だと思わされるような場面で。
そこだけ切り取れば異常なんだけど、普通の延長に異常とされる行動があるんだと思いました。あと、普段から僕自身が「行動が異常」って言われます。
加藤水を飲んでいたら、急に吐き出したりするんですよ。
藤原みんなが笑うから、楽しくて(笑)。木竜さんは言われますか?
木竜私は「異常」と言われたことはないですけど、正常と異常が両極端に位置しているわけじゃなくて、実は重なり合ったりものすごく近くに存在していたりするんだなってことは思います。監督の舞台を観ても、そう思いました。
加藤僕は異常だとも、普通だとも思ってないです。普通だとか異常だとかカテゴライズはしてないし、そう思うことはあまりないです。
今回の映画は、恋愛で、しかも望まない妊娠をした女性とその恋人という何度も描かれてきたテーマでした。そうしたものを書くときに、加藤監督として決めていたことはありますか?
加藤ラブストーリーという主題は依頼としてあったので、そこから僕が思う「ラブストーリー」を書いた感じです。決めていたことを聞かれると難しいですね。
藤原何度も描かれてきたテーマですけど、描かれているものは極めて個人的な気がします。正常も異常も、人によって価値観や視点が全然違いますから。
その違いを真摯に見つめて、一人の人間を描いた結果、他人から見ると異常に見えるのかもしれない。人によっては、普通に見えるかもしれない。普通に見える女子大生のお腹には子どもが宿っていて、そこに正常や異常では片付けられない感情があるってことですよね。
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