【#简单谭几点#:#揭秘辽宁舰近顶配演练背后的惊心动魄#】最近,中国海军宣布,辽宁舰航母编队在西太平洋海域进行远海实战化训练。
很多人可能不知道,这短短几十个字背后,还有一场惊心动魄的较量:
在西太平洋,辽宁舰和美国“林肯”号航母“狭路相逢”,最近时可能只相距两三百公里,同时进入了舰载机、反舰导弹、防空导弹的打击半径,几近贴身。
两个大型航母编队,以实战姿态接近到如此距离,非常罕见。
要知道,几十年来,美国航母在世界各地肆意“游弋”时,几乎没有碰到过旗鼓相当的“对手”,这次在中国“家门口”碰到了中国的航母舰艇编队,难免打破了美国的“自由自在”。
然而,让美国感到不自在的,还不止如此。
此次演练,谭主发现了两大特殊之处:
从舰艇数量上来说,此次演练的编队,是我国迄今为止一次出动的规模最大的航母编队。
此次辽宁舰航母共有7艘属舰,可以看下图三。
2013年,辽宁舰首次以航母编队形式出海训练,配了2艘051C驱逐舰和2艘054A护卫舰,共4艘属舰。
电影《红海行动》中,承担撤侨任务的,就是054A型护卫舰。而在现实中的也门和利比亚撤侨任务,也正是054A完成的。
到了去年12月出海,辽宁舰配的是1艘055型驱逐舰、1艘052D型驱逐舰、2艘054A型护卫舰和1艘901型综合补给舰,共5艘属舰。
而此次辽宁舰航母编队中,多了两艘052D型驱逐舰,进一步提升了编队的防空能力。
权威军事专家告诉谭主,辽宁舰一直在摸索航母战斗群内属舰的搭配。这一次的演练,接近“满配”。
从舰艇吨位上来说,近半个世纪以来,太平洋第一次出现了与美国航母编队吨位相同的舰队。
还是拿“林肯”号举例,此次“林肯”号航母编队的总吨位,在15万吨左右。
而辽宁舰航母编队中:舰队吨位和美国航母舰队大致相同,这在10年前,可能是很多人想都不敢想的情形。
10年前,2012年9月25日,辽宁舰正式交付中国海军,改写了中国没有航母的历史。
过去一段时间里,航空母舰一直是美国所拥有的“专有名词”,美国的航空母舰最多,也将航母的作用,发挥得淋漓尽致——每当美国想要插手地区事务之际,美国航母就频频现身。
在美国的词典里,航母不仅意味着制空权、制海权,它还有更大的意义——威慑:
进行海上封锁以逼迫别国
扩大力量投射范围以干预地缘政治
很长一段时间中,在西太平洋常驻两艘航母的美国,对亚洲国家有很大的军力优势。
即便是在辽宁舰下水后,美国军方也对辽宁舰是否能形成真正的作战能力心存怀疑。
而考验一艘航母作战能力的重要指标,是其舰载机起降的频率。
此次演练,辽宁舰上的舰载战斗机和舰载直升机进行了起降训练。
其中,有两个关键信息:一是训练次数超200次;二是夜间起降。
这表明,辽宁舰已经可以实现全天候、高频次的起降,拥有应对中高强度作战的能力。
从辽宁舰装备入列,到它以近乎“满编”的姿态,进行实战化训练,这条路,中国整整走了10年。
从无到有、从弱到强,从江河走向海岸、从近海走向深蓝,这其中的每一步,中国海军,都走得无比坚实。
而让某些人不自在的,除了辽宁舰的状况和训练科目,还有辽宁舰在5月6号之后的动向。东部战区新闻稿提到:
5月6日至8日,中国人民解放军东部战区组织海、空、常导等兵力,在台岛以东和西南海空域进行实兵演练,进一步检验提升多军兵种联合作战能力。
这样的演习不是第一次,之所以如此引发各方关注,正是因为辽宁舰的存在——尽管现在没有消息证实,辽宁舰参与了这场演习。
但在演习时,辽宁舰在动。这一动,牵一发而动全身。5月4日、5日,辽宁舰在位于冲绳东南方320公里处进行训练。
这一地点,是辽宁舰近些年最常来的训练区域,主要是进行宽阔洋面的海空对抗训练以及熟悉西太平洋的作战环境。
演习开始后,辽宁舰战斗群抵达石垣岛以南150公里处,并在这一区域停留了3天。
图一,是辽宁舰战斗群的位置。此时,某些人想必要算一下了。
台湾,有如下几种反舰导弹:
雄风二型,射程约150公里
雄风三型,射程约150公里
而辽宁舰,距离台湾280公里。
也就是说,辽宁舰所处的位置,受不到干扰和威胁。而辽宁舰作战群,有这些装备:
海红旗-9B舰空导弹,射程260公里
歼-15舰载机,作战半径可达1000公里以上
鹰击-21反舰导弹,射程超1500公里
这个距离,某些人,是该好好算算,掂量掂量。
围棋中,有一种说法叫做“点眼”,投一子而击要害。辽宁舰的位置,正是“点眼”。
也许是早就算到了反舰导弹对辽宁舰不起作用,演习前后,美国“林肯号”航母一度向辽宁舰靠近。
两者的距离,意味着远程侦查、电子对抗、模拟对抗等方面的演练,都是可以进行的。
至于为什么没再靠近,可以重新看看东部战区的新闻稿:
5月6日至8日,中国人民解放军东部战区组织海、空、常导等兵力,在台岛以东和西南海空域进行实兵演练,进一步检验提升多军兵种联合作战能力。
“常导”就是火箭军的常规导弹部队,通俗一点讲,就是我们平时说的“东风快递”。
其中的东风-21C,具有攻击大型海上移动目标的能力,因此也被称为“航母杀手”。而美国国防部,总结了个“拒止战略”——中国在将美国航母群“拒止”在核心利益范围之外。
2007年,东风-21C首次对外披露。
除了“常导”这个词,新闻稿中还有另外一个新变化:
一般来讲,这类实兵演练,相关表述都是“台岛周边”和“台岛西南”。
台岛西南,更靠近大陆一侧。而此次演练,专门提到了“台岛以东”。谭主注意到,有1架运-8反潜机、2架次轰-6轰炸机自台湾西南空域进入台湾东部空域。
军事专家兰顺正告诉谭主,军机飞越台湾东部空域,已经成为常态。回顾我军机飞越台湾空域,具有标志性意义的,正是2017年轰-6K的“绕岛飞行”。
轰-6K可以精确摧毁机场、指挥中心等关键设施。它以及同序列战略轰炸机的服役,意味着中国空军第一次拥有真正意义上的空中战略打击能力,也让中国成为全世界唯三具有三位一体战略打击能力的国家。
而它的绕岛飞行,也在正告那些试图“以武谋独”的“台独”分子,台湾全境都在打击范围之内,这些人,没有任何“后方”可言。
而谁在台岛以东,运-8反潜机又为谁反潜,不言而喻。
以上,都只是人民解放军的“常态化”演练。以后,这样的演练,会越来越多。
解放军一系列演习,就是针对美台勾连。美台之间明的暗的,各种小动作,相信都在解放军掌控之中。
至于对解放军演习感到不自在的某些国家,让他们感到不自在的与其说是中国,不如说是自己:不是中国的军事实力提升让他们感到不痛快,而是看到自身军力不具备碾压之势后的心态扭曲。
几天前,美“罗亚尔港”号导弹巡洋舰过航台湾海峡并公开炒作。这艘舰艇,即将在今年退役。派这样一艘舰艇,难免有几分“日薄西山”的意味。
半个多世纪以来,这些人信奉“武力至上”,以海上的绝对实力为威慑,肆意干涉别国内政。在台湾问题上,这些人一直给“台独”势力传递错误信号。
那个时代,过去了。
别忘了,台湾是中国领土不可分割的一部分。
这是中国的“家务事”,容不得别人说三道四,更容不得别人插手。
很多人可能不知道,这短短几十个字背后,还有一场惊心动魄的较量:
在西太平洋,辽宁舰和美国“林肯”号航母“狭路相逢”,最近时可能只相距两三百公里,同时进入了舰载机、反舰导弹、防空导弹的打击半径,几近贴身。
两个大型航母编队,以实战姿态接近到如此距离,非常罕见。
要知道,几十年来,美国航母在世界各地肆意“游弋”时,几乎没有碰到过旗鼓相当的“对手”,这次在中国“家门口”碰到了中国的航母舰艇编队,难免打破了美国的“自由自在”。
然而,让美国感到不自在的,还不止如此。
此次演练,谭主发现了两大特殊之处:
从舰艇数量上来说,此次演练的编队,是我国迄今为止一次出动的规模最大的航母编队。
此次辽宁舰航母共有7艘属舰,可以看下图三。
2013年,辽宁舰首次以航母编队形式出海训练,配了2艘051C驱逐舰和2艘054A护卫舰,共4艘属舰。
电影《红海行动》中,承担撤侨任务的,就是054A型护卫舰。而在现实中的也门和利比亚撤侨任务,也正是054A完成的。
到了去年12月出海,辽宁舰配的是1艘055型驱逐舰、1艘052D型驱逐舰、2艘054A型护卫舰和1艘901型综合补给舰,共5艘属舰。
而此次辽宁舰航母编队中,多了两艘052D型驱逐舰,进一步提升了编队的防空能力。
权威军事专家告诉谭主,辽宁舰一直在摸索航母战斗群内属舰的搭配。这一次的演练,接近“满配”。
从舰艇吨位上来说,近半个世纪以来,太平洋第一次出现了与美国航母编队吨位相同的舰队。
还是拿“林肯”号举例,此次“林肯”号航母编队的总吨位,在15万吨左右。
而辽宁舰航母编队中:舰队吨位和美国航母舰队大致相同,这在10年前,可能是很多人想都不敢想的情形。
10年前,2012年9月25日,辽宁舰正式交付中国海军,改写了中国没有航母的历史。
过去一段时间里,航空母舰一直是美国所拥有的“专有名词”,美国的航空母舰最多,也将航母的作用,发挥得淋漓尽致——每当美国想要插手地区事务之际,美国航母就频频现身。
在美国的词典里,航母不仅意味着制空权、制海权,它还有更大的意义——威慑:
进行海上封锁以逼迫别国
扩大力量投射范围以干预地缘政治
很长一段时间中,在西太平洋常驻两艘航母的美国,对亚洲国家有很大的军力优势。
即便是在辽宁舰下水后,美国军方也对辽宁舰是否能形成真正的作战能力心存怀疑。
而考验一艘航母作战能力的重要指标,是其舰载机起降的频率。
此次演练,辽宁舰上的舰载战斗机和舰载直升机进行了起降训练。
其中,有两个关键信息:一是训练次数超200次;二是夜间起降。
这表明,辽宁舰已经可以实现全天候、高频次的起降,拥有应对中高强度作战的能力。
从辽宁舰装备入列,到它以近乎“满编”的姿态,进行实战化训练,这条路,中国整整走了10年。
从无到有、从弱到强,从江河走向海岸、从近海走向深蓝,这其中的每一步,中国海军,都走得无比坚实。
而让某些人不自在的,除了辽宁舰的状况和训练科目,还有辽宁舰在5月6号之后的动向。东部战区新闻稿提到:
5月6日至8日,中国人民解放军东部战区组织海、空、常导等兵力,在台岛以东和西南海空域进行实兵演练,进一步检验提升多军兵种联合作战能力。
这样的演习不是第一次,之所以如此引发各方关注,正是因为辽宁舰的存在——尽管现在没有消息证实,辽宁舰参与了这场演习。
但在演习时,辽宁舰在动。这一动,牵一发而动全身。5月4日、5日,辽宁舰在位于冲绳东南方320公里处进行训练。
这一地点,是辽宁舰近些年最常来的训练区域,主要是进行宽阔洋面的海空对抗训练以及熟悉西太平洋的作战环境。
演习开始后,辽宁舰战斗群抵达石垣岛以南150公里处,并在这一区域停留了3天。
图一,是辽宁舰战斗群的位置。此时,某些人想必要算一下了。
台湾,有如下几种反舰导弹:
雄风二型,射程约150公里
雄风三型,射程约150公里
而辽宁舰,距离台湾280公里。
也就是说,辽宁舰所处的位置,受不到干扰和威胁。而辽宁舰作战群,有这些装备:
海红旗-9B舰空导弹,射程260公里
歼-15舰载机,作战半径可达1000公里以上
鹰击-21反舰导弹,射程超1500公里
这个距离,某些人,是该好好算算,掂量掂量。
围棋中,有一种说法叫做“点眼”,投一子而击要害。辽宁舰的位置,正是“点眼”。
也许是早就算到了反舰导弹对辽宁舰不起作用,演习前后,美国“林肯号”航母一度向辽宁舰靠近。
两者的距离,意味着远程侦查、电子对抗、模拟对抗等方面的演练,都是可以进行的。
至于为什么没再靠近,可以重新看看东部战区的新闻稿:
5月6日至8日,中国人民解放军东部战区组织海、空、常导等兵力,在台岛以东和西南海空域进行实兵演练,进一步检验提升多军兵种联合作战能力。
“常导”就是火箭军的常规导弹部队,通俗一点讲,就是我们平时说的“东风快递”。
其中的东风-21C,具有攻击大型海上移动目标的能力,因此也被称为“航母杀手”。而美国国防部,总结了个“拒止战略”——中国在将美国航母群“拒止”在核心利益范围之外。
2007年,东风-21C首次对外披露。
除了“常导”这个词,新闻稿中还有另外一个新变化:
一般来讲,这类实兵演练,相关表述都是“台岛周边”和“台岛西南”。
台岛西南,更靠近大陆一侧。而此次演练,专门提到了“台岛以东”。谭主注意到,有1架运-8反潜机、2架次轰-6轰炸机自台湾西南空域进入台湾东部空域。
军事专家兰顺正告诉谭主,军机飞越台湾东部空域,已经成为常态。回顾我军机飞越台湾空域,具有标志性意义的,正是2017年轰-6K的“绕岛飞行”。
轰-6K可以精确摧毁机场、指挥中心等关键设施。它以及同序列战略轰炸机的服役,意味着中国空军第一次拥有真正意义上的空中战略打击能力,也让中国成为全世界唯三具有三位一体战略打击能力的国家。
而它的绕岛飞行,也在正告那些试图“以武谋独”的“台独”分子,台湾全境都在打击范围之内,这些人,没有任何“后方”可言。
而谁在台岛以东,运-8反潜机又为谁反潜,不言而喻。
以上,都只是人民解放军的“常态化”演练。以后,这样的演练,会越来越多。
解放军一系列演习,就是针对美台勾连。美台之间明的暗的,各种小动作,相信都在解放军掌控之中。
至于对解放军演习感到不自在的某些国家,让他们感到不自在的与其说是中国,不如说是自己:不是中国的军事实力提升让他们感到不痛快,而是看到自身军力不具备碾压之势后的心态扭曲。
几天前,美“罗亚尔港”号导弹巡洋舰过航台湾海峡并公开炒作。这艘舰艇,即将在今年退役。派这样一艘舰艇,难免有几分“日薄西山”的意味。
半个多世纪以来,这些人信奉“武力至上”,以海上的绝对实力为威慑,肆意干涉别国内政。在台湾问题上,这些人一直给“台独”势力传递错误信号。
那个时代,过去了。
别忘了,台湾是中国领土不可分割的一部分。
这是中国的“家务事”,容不得别人说三道四,更容不得别人插手。
【interview】
生きていられることが、今は幸せだと感じているーー堂本剛が、自分の歌で伝えたいこと
https://t.cn/A6XMLwcE
5/13(金) 17:45配信
撮影:殿村誠士
「自分で楽曲を作って歌うということ。それは自炊に近い。心も体もすごく楽なんです」
シンガー・ソングライターの活動を始めて20周年、堂本剛は今、もっとも自分らしい状態にあるという。“本当の自分で生きられる喜び”を表現したものが、自分の作る音楽。この思いと行動が誰かの人生の、自分らしさを取り戻す幸せへとつながればうれしい……多忙なアイドル時代を駆け抜け、自身も生きづらさを抱えたからこそ見えてきた境地がある。仕事への矜持、そして死生観。堂本剛を突き動かすものとは。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
——インスタグラムの使い方を「間違いたい」
およそ1年前から堂本剛が始めたインスタグラムは、はなから不思議なものだった。ポートレートはほぼ同じアングルで、どんどん眉毛が濃くなっていき、最後には額全体がアイブロウで埋め尽くされる。コメントは一言、「どうもジャニーズです」。まるでモダンアートだ。何か強いメッセージ性を帯びているようにも見える。その後も眉毛写真の投稿は続き、ネット上ではさまざまな臆測が飛び交った。
——これについて、本人はこともなげに語る。
「テーマは『インスタの使い方を間違いたい』でした。隙間時間で、他人の眉毛が太くなり、元に戻っていく写真を見るという無駄な時間をご提供することで、『笑い』『勇気』『なんでやねん』が発生すればいいなという、そんな発想です。無駄な時間って幸せだったりしませんか? 個人の日常を羅列するだけではなくて、こんな時代、笑ってほしくて、これ何? 説明して?ってみんなが困惑つっこみするようなものを軸にしました。インスタグラムを、宣伝の空間として使いつつ笑かしにかかっています。事務所の人たちがインスタをやりやすい環境にもつながればと思い、僕はこんな行動をしてみました。」
——「ジャニーズっぽくない」と言われて
「アーティスティック」「生活感がない」「不思議」「自由」……。
こうした堂本剛のイメージは、ジャニーズ事務所において相対的なものとして捉えられることが多い。堂本自身、それをよく理解していた。
「世の中に存在するイメージというものの多くは、第三者が作り上げているものじゃないですか? 僕はそんなことを言っていない、思っていないのに勝手にそうされてしまっている。その人の中では、『言いそう』で、『思ってそう』なんでしょうね。僕の周りにいる人は、僕を理解してくれています。理解するタイミングがない人は、丁寧に想像する前に疲れ、自分の情報の中だけで計算し決めつけた僕という答えを出して終わらせてしまうからか……導き出した答えと現実の僕、それが合わないから『~っぽくない』ということに自然となるんでしょうね」
かつて堂本は、「自由」ではなかった。
デビューしてすぐに大ブレーク。10代の頃は毎日3時間睡眠で、休日は年に3日。分刻みのスケジュールで動き、周囲の求めに応じて表情をつくった。しだいに堂本のメンタルには亀裂が入っていく。多忙な時期の記憶は、ほとんどが失われている。
故ジャニー喜多川の勧めでシンガー・ソングライターとなり、「自分らしく生きる選択」ができるようになったと実感した頃には、30代になっていた。
「最近でこそ、自分らしさが尊重される時代になってきましたけど、今でも自分らしく生きられない人、素直に生きる勇気や場所がない人たちがたくさんいます。世の中は自分らしく生きている人を批判するのではなく、『自分らしく生きる幸せ』を、みんなで優しい心を持って話すだけでいいのにな、と思うんです。優しい心で話しているうちに、人は本当の自分になれるものですから」
「ジャニーズらしさ」は、年々変わっていくもの。こだわることではない。一番大事なのは自分であり、それをファンの人たちにつなげること……堂本がジャニーズに所属し続ける理由は、ここにある。
「柔らかく穏やかに、そういう感覚で僕は生きているからこそ、『ジャニーズっぽくない』カテゴリーに入れられてしまうのかもしれないけど。全てを事務所の許可を得て生きて来ました。事務所に直談判に行くこともあります。たくさんの人を動かすことになるので、一筋縄ではいかないこともある。でも理由や展望を持って話しにいくので、何言ってんの?って弾かれてしまうことはないですね。クリアしていきたいと思っていることはまだまだありますけど。少しずつです。ジャニーズは積極的にSNSに参戦する会社ではなかったけど、それが時代とともに変わってきました。僕が変化してもせずとも、変化していく時代というものがあるので、その時代に反応と順応をしたいと、柔軟に動いているところです」
ジャニーズ事務所では特別な立場にあるように見える堂本だが、単に自由なのではない。それを獲得するために、試行錯誤を続けてきたプロセスがあるのだ。
——人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い
「自分で動く」。インタビューの間、堂本が何度も口にした言葉だ。
アイデアを形にするまでの動きはいつもスピーディーで、さらに二手、三手まで先を見ている。
「こんな世界状況の中でも、お金を出して作品を買ってくださる人がいる。僕が自分らしく仕事をしている姿を、家族や後輩君たちが見てくれている。そう考えたら、素直に動けます。人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い。例えば伝言ゲームで、中継ぎの人が先方に納期を伝える時間が遅れ、作業していただけたはずの時間が減り、締め切りを縮めたり、完成を遅らせてしまったりすることがある。そういう仕事の仕方をする人は多いから、疲れることがあります。作り手、職人の作品に対して必要な時間、作業工程などが、その立場でない人からすると想像してあげられないんでしょうね。だから、直接やりとりすることがほとんどです。相手の心を考えて動くことも、仕事ですから。毎日くたくたですけど」
それでも音楽を作ることは、この上なく楽しい。仕事のスピード感を大切にしているのも、生まれたばかりのアイディアを、新鮮なうちに楽曲として閉じ込めたいとの思いからだ。
「極端にいえば、今このインタビュー中でも曲がひらめいたら、PCを開いてキーボードで打ち込みたくなる、というくらい、アイデアの鮮度を大切にしています」
頭の中で鳴る音楽を可視化し、音符に換えていく。音色を探して、演奏し、形作っていく。予想外に生まれるノイズやバグが、ドラマチックな音につながることがある。
「こういう一連の作業は、生きているからこそできることで、魂になったら、想像を形にすることもできなくなるんです。だから音楽を作ることは、命あることに感謝することでもあるんです。ただ、作品が出来上がって、リリースをするまでには時間がずいぶんと経過するので、リリース時にはもう自分が違うステージに行っていることがほとんど。だから、きょう曲を作ったら1週間後ぐらいにリリースする、そんな時代がくればいいのになって、思ったりもします。メッセージを強く込めた作品は、時代が流れている分、タイミングもクリエーティブの一部なんです」
ラブソングよりも、命や愛を歌いたい。
これは自身が心に傷を負い、パニック障害や突発性難聴に苦しんだ経験から、強く意識するようになったことだ。
「世の中の人々が、理由を持ってたどり着いた傷とか痛みに寄り添う歌詞、メロディー。その役目を持つ楽曲にあの頃の僕は救われ、もう一度生きようという気持ちにまで立ち戻れました。だから自分が作る音楽も、そういう役目でありたい。ジャニーズっぽくないと言われてもいいんです。もっとラブソングのほうが売れるよとか、うん、わかってるけど、ジャニーズにもいろんな歌が存在していいし、自分で作る音楽に、自分ではない歌声を選択することは、しない。限界の中で命を諦めようとしている人を救える音楽を作りたいって、僕は本気で思っているんです。自分と同じ経験をしている人を思いながら書いています。そんな中で少し変わったことは、世界的な問題が起き、みんなが同じ傷や痛みを共有する今、ポジティブな曲を書くようにもなりました。これまで使ってこなかったような、明るい言葉を綴ったりしながら」
——シンガー・ソングライターを続けることは、ジャニーさんの思いを持続させること
10代は、毎日、命が苦しいと思って生きていた。
「いろんな人に助けていただいて、もう一度生きよう、そう思わせてもらえたから僕は生きているんです。その人たちがいなかったら、今この世に僕はいません。当時は変人扱いされたけれど、でも、人は、傷つけば死にたいと思ってしまうものです。そんな人が世の中にはたくさんいること、それをみんなで理解して生きるべきだと、僕は思う。生きたいのに、生きられない人もいるんですよ」
ジャニーズだから、命や愛をテーマにした重い歌を歌ってはいけない? それは違う、と堂本は首を振る。
「ポップな曲はたくさんの人の心を幸せにする。それも理解はしています。命と愛が重たいと言うのなら、人は重たい存在となってしまいます。僕らは愛の果てに生まれた命なのに。重たいと認識してしまうのは悲しいし不思議です。だから、人が理由あってたどり着いた涙や傷に寄り添った曲も、たくさんの人の心を幸せにすると、本気で僕は思っています。死にたいと思わされてしまった経験がない人からは理解されづらいんですけど。僕自身がそう思った過去が悲しくもありました。でも、生きていられることが、今は幸せだと感じていることを、歌を通してあの頃の自分にも、同じように過ごす人たちにも伝えたい。一人で音楽を作る時は、その心を生きたいと思うし、提供したいと思っています」
ジャニーズ事務所には、ほかに“シンガー・ソングライター”として立っている者はいない。
「ジャニーさんに声をかけてもらって、この会社に入り、またジャニーさんからの提案を受けてシンガー・ソングライターになった。形がないゼロの状態から始まり、1にすること。そして、1から2……10へとつなげていくのは生半可な思いでいたら不可能なことですからね」
「そして、いまだやっているのが僕だけだからそれはそれは大変なことも多いけど、ある程度の分かりきった答えに向かうのもつまらないし、続けてこられたのはそれを楽しんできているからです。続けることは、ジャニーさんの思いを持続させることにもなると思っています。今はジャニーズの中で、音楽家のエリアは大きくないですけど、ここを整理整頓する位置にいられたらいいなとは思ってます。後輩君たちにも歌いたい歌があるだろうし、一人ひとりの歌唱スキルを把握して、声の魅力を引き出してもあげたいし、そういうディレクションまでを、本当はやってあげたいですね」
才能のある人たちを、解き放ってあげたい。堂本はまっすぐにそう語った。
今年はシンガー・ソングライターとして、デビュー20周年。ENDRECHERIとして精力的に楽曲をリリース、夏フェスへの参加も決まった。GYAOでの新番組「つよしP」を始動し、ZOZOとのファッションデザインやLINE VOOMなど、さまざまな企画を展開する。
「『決めつけ』るのではなく、素直に発想を出すこと、変で、妙で、面白くて、独創的なモノをたくさん作り、それらをいろんなコンテンツを通して表現する一度きりの僕の人生でありたい。そして『本当の自分を生きることの幸せ』が伝染していくといいなと思っています。僕の心が、『決めつけ』で苦しんで生きている人たちの心に届いて、自分らしく生きてみようという笑顔を与えられたなら、とても幸せだなって思います」
生きていられることが、今は幸せだと感じているーー堂本剛が、自分の歌で伝えたいこと
https://t.cn/A6XMLwcE
5/13(金) 17:45配信
撮影:殿村誠士
「自分で楽曲を作って歌うということ。それは自炊に近い。心も体もすごく楽なんです」
シンガー・ソングライターの活動を始めて20周年、堂本剛は今、もっとも自分らしい状態にあるという。“本当の自分で生きられる喜び”を表現したものが、自分の作る音楽。この思いと行動が誰かの人生の、自分らしさを取り戻す幸せへとつながればうれしい……多忙なアイドル時代を駆け抜け、自身も生きづらさを抱えたからこそ見えてきた境地がある。仕事への矜持、そして死生観。堂本剛を突き動かすものとは。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
——インスタグラムの使い方を「間違いたい」
およそ1年前から堂本剛が始めたインスタグラムは、はなから不思議なものだった。ポートレートはほぼ同じアングルで、どんどん眉毛が濃くなっていき、最後には額全体がアイブロウで埋め尽くされる。コメントは一言、「どうもジャニーズです」。まるでモダンアートだ。何か強いメッセージ性を帯びているようにも見える。その後も眉毛写真の投稿は続き、ネット上ではさまざまな臆測が飛び交った。
——これについて、本人はこともなげに語る。
「テーマは『インスタの使い方を間違いたい』でした。隙間時間で、他人の眉毛が太くなり、元に戻っていく写真を見るという無駄な時間をご提供することで、『笑い』『勇気』『なんでやねん』が発生すればいいなという、そんな発想です。無駄な時間って幸せだったりしませんか? 個人の日常を羅列するだけではなくて、こんな時代、笑ってほしくて、これ何? 説明して?ってみんなが困惑つっこみするようなものを軸にしました。インスタグラムを、宣伝の空間として使いつつ笑かしにかかっています。事務所の人たちがインスタをやりやすい環境にもつながればと思い、僕はこんな行動をしてみました。」
——「ジャニーズっぽくない」と言われて
「アーティスティック」「生活感がない」「不思議」「自由」……。
こうした堂本剛のイメージは、ジャニーズ事務所において相対的なものとして捉えられることが多い。堂本自身、それをよく理解していた。
「世の中に存在するイメージというものの多くは、第三者が作り上げているものじゃないですか? 僕はそんなことを言っていない、思っていないのに勝手にそうされてしまっている。その人の中では、『言いそう』で、『思ってそう』なんでしょうね。僕の周りにいる人は、僕を理解してくれています。理解するタイミングがない人は、丁寧に想像する前に疲れ、自分の情報の中だけで計算し決めつけた僕という答えを出して終わらせてしまうからか……導き出した答えと現実の僕、それが合わないから『~っぽくない』ということに自然となるんでしょうね」
かつて堂本は、「自由」ではなかった。
デビューしてすぐに大ブレーク。10代の頃は毎日3時間睡眠で、休日は年に3日。分刻みのスケジュールで動き、周囲の求めに応じて表情をつくった。しだいに堂本のメンタルには亀裂が入っていく。多忙な時期の記憶は、ほとんどが失われている。
故ジャニー喜多川の勧めでシンガー・ソングライターとなり、「自分らしく生きる選択」ができるようになったと実感した頃には、30代になっていた。
「最近でこそ、自分らしさが尊重される時代になってきましたけど、今でも自分らしく生きられない人、素直に生きる勇気や場所がない人たちがたくさんいます。世の中は自分らしく生きている人を批判するのではなく、『自分らしく生きる幸せ』を、みんなで優しい心を持って話すだけでいいのにな、と思うんです。優しい心で話しているうちに、人は本当の自分になれるものですから」
「ジャニーズらしさ」は、年々変わっていくもの。こだわることではない。一番大事なのは自分であり、それをファンの人たちにつなげること……堂本がジャニーズに所属し続ける理由は、ここにある。
「柔らかく穏やかに、そういう感覚で僕は生きているからこそ、『ジャニーズっぽくない』カテゴリーに入れられてしまうのかもしれないけど。全てを事務所の許可を得て生きて来ました。事務所に直談判に行くこともあります。たくさんの人を動かすことになるので、一筋縄ではいかないこともある。でも理由や展望を持って話しにいくので、何言ってんの?って弾かれてしまうことはないですね。クリアしていきたいと思っていることはまだまだありますけど。少しずつです。ジャニーズは積極的にSNSに参戦する会社ではなかったけど、それが時代とともに変わってきました。僕が変化してもせずとも、変化していく時代というものがあるので、その時代に反応と順応をしたいと、柔軟に動いているところです」
ジャニーズ事務所では特別な立場にあるように見える堂本だが、単に自由なのではない。それを獲得するために、試行錯誤を続けてきたプロセスがあるのだ。
——人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い
「自分で動く」。インタビューの間、堂本が何度も口にした言葉だ。
アイデアを形にするまでの動きはいつもスピーディーで、さらに二手、三手まで先を見ている。
「こんな世界状況の中でも、お金を出して作品を買ってくださる人がいる。僕が自分らしく仕事をしている姿を、家族や後輩君たちが見てくれている。そう考えたら、素直に動けます。人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い。例えば伝言ゲームで、中継ぎの人が先方に納期を伝える時間が遅れ、作業していただけたはずの時間が減り、締め切りを縮めたり、完成を遅らせてしまったりすることがある。そういう仕事の仕方をする人は多いから、疲れることがあります。作り手、職人の作品に対して必要な時間、作業工程などが、その立場でない人からすると想像してあげられないんでしょうね。だから、直接やりとりすることがほとんどです。相手の心を考えて動くことも、仕事ですから。毎日くたくたですけど」
それでも音楽を作ることは、この上なく楽しい。仕事のスピード感を大切にしているのも、生まれたばかりのアイディアを、新鮮なうちに楽曲として閉じ込めたいとの思いからだ。
「極端にいえば、今このインタビュー中でも曲がひらめいたら、PCを開いてキーボードで打ち込みたくなる、というくらい、アイデアの鮮度を大切にしています」
頭の中で鳴る音楽を可視化し、音符に換えていく。音色を探して、演奏し、形作っていく。予想外に生まれるノイズやバグが、ドラマチックな音につながることがある。
「こういう一連の作業は、生きているからこそできることで、魂になったら、想像を形にすることもできなくなるんです。だから音楽を作ることは、命あることに感謝することでもあるんです。ただ、作品が出来上がって、リリースをするまでには時間がずいぶんと経過するので、リリース時にはもう自分が違うステージに行っていることがほとんど。だから、きょう曲を作ったら1週間後ぐらいにリリースする、そんな時代がくればいいのになって、思ったりもします。メッセージを強く込めた作品は、時代が流れている分、タイミングもクリエーティブの一部なんです」
ラブソングよりも、命や愛を歌いたい。
これは自身が心に傷を負い、パニック障害や突発性難聴に苦しんだ経験から、強く意識するようになったことだ。
「世の中の人々が、理由を持ってたどり着いた傷とか痛みに寄り添う歌詞、メロディー。その役目を持つ楽曲にあの頃の僕は救われ、もう一度生きようという気持ちにまで立ち戻れました。だから自分が作る音楽も、そういう役目でありたい。ジャニーズっぽくないと言われてもいいんです。もっとラブソングのほうが売れるよとか、うん、わかってるけど、ジャニーズにもいろんな歌が存在していいし、自分で作る音楽に、自分ではない歌声を選択することは、しない。限界の中で命を諦めようとしている人を救える音楽を作りたいって、僕は本気で思っているんです。自分と同じ経験をしている人を思いながら書いています。そんな中で少し変わったことは、世界的な問題が起き、みんなが同じ傷や痛みを共有する今、ポジティブな曲を書くようにもなりました。これまで使ってこなかったような、明るい言葉を綴ったりしながら」
——シンガー・ソングライターを続けることは、ジャニーさんの思いを持続させること
10代は、毎日、命が苦しいと思って生きていた。
「いろんな人に助けていただいて、もう一度生きよう、そう思わせてもらえたから僕は生きているんです。その人たちがいなかったら、今この世に僕はいません。当時は変人扱いされたけれど、でも、人は、傷つけば死にたいと思ってしまうものです。そんな人が世の中にはたくさんいること、それをみんなで理解して生きるべきだと、僕は思う。生きたいのに、生きられない人もいるんですよ」
ジャニーズだから、命や愛をテーマにした重い歌を歌ってはいけない? それは違う、と堂本は首を振る。
「ポップな曲はたくさんの人の心を幸せにする。それも理解はしています。命と愛が重たいと言うのなら、人は重たい存在となってしまいます。僕らは愛の果てに生まれた命なのに。重たいと認識してしまうのは悲しいし不思議です。だから、人が理由あってたどり着いた涙や傷に寄り添った曲も、たくさんの人の心を幸せにすると、本気で僕は思っています。死にたいと思わされてしまった経験がない人からは理解されづらいんですけど。僕自身がそう思った過去が悲しくもありました。でも、生きていられることが、今は幸せだと感じていることを、歌を通してあの頃の自分にも、同じように過ごす人たちにも伝えたい。一人で音楽を作る時は、その心を生きたいと思うし、提供したいと思っています」
ジャニーズ事務所には、ほかに“シンガー・ソングライター”として立っている者はいない。
「ジャニーさんに声をかけてもらって、この会社に入り、またジャニーさんからの提案を受けてシンガー・ソングライターになった。形がないゼロの状態から始まり、1にすること。そして、1から2……10へとつなげていくのは生半可な思いでいたら不可能なことですからね」
「そして、いまだやっているのが僕だけだからそれはそれは大変なことも多いけど、ある程度の分かりきった答えに向かうのもつまらないし、続けてこられたのはそれを楽しんできているからです。続けることは、ジャニーさんの思いを持続させることにもなると思っています。今はジャニーズの中で、音楽家のエリアは大きくないですけど、ここを整理整頓する位置にいられたらいいなとは思ってます。後輩君たちにも歌いたい歌があるだろうし、一人ひとりの歌唱スキルを把握して、声の魅力を引き出してもあげたいし、そういうディレクションまでを、本当はやってあげたいですね」
才能のある人たちを、解き放ってあげたい。堂本はまっすぐにそう語った。
今年はシンガー・ソングライターとして、デビュー20周年。ENDRECHERIとして精力的に楽曲をリリース、夏フェスへの参加も決まった。GYAOでの新番組「つよしP」を始動し、ZOZOとのファッションデザインやLINE VOOMなど、さまざまな企画を展開する。
「『決めつけ』るのではなく、素直に発想を出すこと、変で、妙で、面白くて、独創的なモノをたくさん作り、それらをいろんなコンテンツを通して表現する一度きりの僕の人生でありたい。そして『本当の自分を生きることの幸せ』が伝染していくといいなと思っています。僕の心が、『決めつけ』で苦しんで生きている人たちの心に届いて、自分らしく生きてみようという笑顔を与えられたなら、とても幸せだなって思います」
1911年,刘半农登报邀请全国读者家对他“破口大骂”,怕大家太累,他还特地准备好茶水,甚至还特地登门章太炎家中求骂,喜提热搜!
刘半农是北京大学的教授,同时他也是我国著名文学家、语言学家以及教育家, 五四运动的先驱之一,为何他会做出如此奇怪的举动?
原来,这一年,刘半农突发奇想,想要编撰一本“骂人精粹”的书,为了得到最真实骂人语录,他便登报提出邀请全国读者亲自到他家对他各种口吐芬芳。
其实刘半农是个风趣幽默的人,天生的“骂人”体质, 出了名的“喜欢参与骂仗”,所以此举并不稀奇 。
这则消息一见报,瞬间引起满城热议,写文章难,骂人谁不会,一时间刘半农当时的住所是人满为患,好不热闹。
来自全国各地的各色人等都来了,浙江的、广东的,连西北边陲的都有。
他们虽说是来“登门破骂”的,但也要酝酿一下情绪,为此刘半农特地打开话匣子引导客人情绪,担心这些人骂人会口干舌燥,他每次都会备好茶水,给大家润肺清嗓。
每每遇到不曾听说的骂人句子,刘半农便赶紧坐下把他们骂人的话记下来,有时来不及记的还反复请教,记录完了还向人家道谢,送人家离去。
语言音韵学家赵元任先生对此事有所耳闻,半信半疑,登门拜访刘半农。
由于精通湖南、四川、安徽等多地方言,平日无处发挥,这下仿佛有了用武之地,便轮番用不同的方言把"痛骂"刘半农,酣畅淋漓。
鲁迅兄弟两都是刘半农的好友,虽然不是同乡,但也挨得很近,语言是相通的,弟弟周作人很是搞怪,隔三差五去刘半农家“骂”他,以此取乐。
这“找骂”越找越高级,还惊动了章太炎老先生。
章太炎是钱玄同、鲁迅等人的老师, 一位饱读诗书的文人,字字珠玑,句句用典,文绉绉的,常常让人觉得自己被骂了还不明所以。
为此,刘半农和同学一起去拜会章太炎先生。
没想到章太炎一时兴起,还真的“开骂”了, 咬文嚼字地“雅骂”了一上午,每“骂”一遍还问刘半农知不知道出处?
从汉朝到了唐朝,从文献到了语言, 一个“骂”、一个“听”, 相谈甚欢,大有一副要相坐到第二日的架势。
只苦了一同前来的同学,原本还有事要离开的,却无奈插不上嘴,最后忍不住向章太炎作揖告辞,这二人才悻悻然作罢。
刘半农不仅写书的时候“骂”, 在北大任职教授期间,更是写文章公开“骂”。
1918年3月,在新文化运动的主阵地《新青年》上,刘半农和好友钱玄同唱双簧分别发表了文章, 分别扮演一正一反两个角色,用骂仗的形式一唱一和,引起了许多人的关注,进一步扩大了新文化运动的影响力。
不过,上得山多终遇虎,刘半农也有被骂得不敢出门的时候。
原来,“五四运动”以前是没有这个“她”字的,不管男女老少都只有一个“他”来指代,很容易让读者混淆。
作为翻译家, 刘半农看到西方的书里可以用“he”或“she”来区别不同性别的对象,简洁明了,刘半农就发明了“她”字代表女性。
然而,这个“她”字一经推出就立即遭到女性的痛骂,大家一致认为这个字没有“人”字旁,便是对女性严重的歧视。
这一回可不得了,刘半农被骂得三年不敢出门,怕波及人身安全,切实感受了一回“人言可畏”。
1920年,刘半农写了一浪漫的小诗《教我如何不想她》,首次使用了这个“她”字。
没想到,这次不但没被骂,一经发表竟然备受女性读者的追捧 ,广为传唱,让这个“她”字快速地流行开来。
不过,因种种原因“骂人专辑”并没有编成,但刘半农也在“骂人”与“被骂”中,早已感受到了语言的力量。
于是,他潜心研究“语言文学”,著成了《汉语字声实验录》,此书荣获法国康士坦丁·伏尔内语言学专奖,成为我国获此国际大奖的第一人。
俗话说,舌虽无骨,亦能伤人;文不能言,字字诛心。无论是骂人者还是被骂者,都有可能遭受伤害,语言的力量实在不容小觑。
刘半农是北京大学的教授,同时他也是我国著名文学家、语言学家以及教育家, 五四运动的先驱之一,为何他会做出如此奇怪的举动?
原来,这一年,刘半农突发奇想,想要编撰一本“骂人精粹”的书,为了得到最真实骂人语录,他便登报提出邀请全国读者亲自到他家对他各种口吐芬芳。
其实刘半农是个风趣幽默的人,天生的“骂人”体质, 出了名的“喜欢参与骂仗”,所以此举并不稀奇 。
这则消息一见报,瞬间引起满城热议,写文章难,骂人谁不会,一时间刘半农当时的住所是人满为患,好不热闹。
来自全国各地的各色人等都来了,浙江的、广东的,连西北边陲的都有。
他们虽说是来“登门破骂”的,但也要酝酿一下情绪,为此刘半农特地打开话匣子引导客人情绪,担心这些人骂人会口干舌燥,他每次都会备好茶水,给大家润肺清嗓。
每每遇到不曾听说的骂人句子,刘半农便赶紧坐下把他们骂人的话记下来,有时来不及记的还反复请教,记录完了还向人家道谢,送人家离去。
语言音韵学家赵元任先生对此事有所耳闻,半信半疑,登门拜访刘半农。
由于精通湖南、四川、安徽等多地方言,平日无处发挥,这下仿佛有了用武之地,便轮番用不同的方言把"痛骂"刘半农,酣畅淋漓。
鲁迅兄弟两都是刘半农的好友,虽然不是同乡,但也挨得很近,语言是相通的,弟弟周作人很是搞怪,隔三差五去刘半农家“骂”他,以此取乐。
这“找骂”越找越高级,还惊动了章太炎老先生。
章太炎是钱玄同、鲁迅等人的老师, 一位饱读诗书的文人,字字珠玑,句句用典,文绉绉的,常常让人觉得自己被骂了还不明所以。
为此,刘半农和同学一起去拜会章太炎先生。
没想到章太炎一时兴起,还真的“开骂”了, 咬文嚼字地“雅骂”了一上午,每“骂”一遍还问刘半农知不知道出处?
从汉朝到了唐朝,从文献到了语言, 一个“骂”、一个“听”, 相谈甚欢,大有一副要相坐到第二日的架势。
只苦了一同前来的同学,原本还有事要离开的,却无奈插不上嘴,最后忍不住向章太炎作揖告辞,这二人才悻悻然作罢。
刘半农不仅写书的时候“骂”, 在北大任职教授期间,更是写文章公开“骂”。
1918年3月,在新文化运动的主阵地《新青年》上,刘半农和好友钱玄同唱双簧分别发表了文章, 分别扮演一正一反两个角色,用骂仗的形式一唱一和,引起了许多人的关注,进一步扩大了新文化运动的影响力。
不过,上得山多终遇虎,刘半农也有被骂得不敢出门的时候。
原来,“五四运动”以前是没有这个“她”字的,不管男女老少都只有一个“他”来指代,很容易让读者混淆。
作为翻译家, 刘半农看到西方的书里可以用“he”或“she”来区别不同性别的对象,简洁明了,刘半农就发明了“她”字代表女性。
然而,这个“她”字一经推出就立即遭到女性的痛骂,大家一致认为这个字没有“人”字旁,便是对女性严重的歧视。
这一回可不得了,刘半农被骂得三年不敢出门,怕波及人身安全,切实感受了一回“人言可畏”。
1920年,刘半农写了一浪漫的小诗《教我如何不想她》,首次使用了这个“她”字。
没想到,这次不但没被骂,一经发表竟然备受女性读者的追捧 ,广为传唱,让这个“她”字快速地流行开来。
不过,因种种原因“骂人专辑”并没有编成,但刘半农也在“骂人”与“被骂”中,早已感受到了语言的力量。
于是,他潜心研究“语言文学”,著成了《汉语字声实验录》,此书荣获法国康士坦丁·伏尔内语言学专奖,成为我国获此国际大奖的第一人。
俗话说,舌虽无骨,亦能伤人;文不能言,字字诛心。无论是骂人者还是被骂者,都有可能遭受伤害,语言的力量实在不容小觑。
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