《醉茶志怪》
天榜
邑先达邵君玉清,元旦梦有人牵一骑,状如骡,顶矗一角,促之骑。至一处,仿佛衙署。仰见悬榜,己名在第三,籍贯皆符。每名下均有批语,多不暇记,惟记己名下注“孝弟可嘉”四字。壁上有悬牌云:“二月初八日小直沽火。”视毕,其人复促之还。至家门,一惊而寤,乃粘条志之。至期,小直沽被灾,果如所梦。未几捷南宫,殿试鼎甲。
斩蛇将
武弁赵某,恶蛇,见辄杀之,众呼为斩蛇将。一日适野,丛薄间有大蛇粗盈握,赵击以刃,夭矫不驯,乃乘间断其首,蛇屈伸旋毙。弁归营,觉头目眩晕,体甚不快。因乘舆归家,夜卧觉有物如冰,横搭其腹,颇类蛇。急呼其母,取火照之,见有一无首大蛇,蜿蜒床褥间,血犹殷湿。母惊号,物忽不见。弁叹曰:“予不起矣!”因述其所为。母急延巫觋祈祷忏悔,巫作蛇语曰:“杀我抵命,谁惜汝饮食耶?”未几旋卒。
醉茶子曰:蛇虽毒物,苟无害于人,不必杀也。而蠢然之物,竟能报仇,可知素灵夜啼,青衣捣药,若非特出之人,焉能免于祸哉。
蓝怪
刘某,山左人,寄寓于津,夜卧吸烟,觉凉风飒然,肌肤起栗。怪而视床前,立一蓝面大鬼,冠服皆蓝,高几及屋,眉目悍怒可畏。张口向刘嘘气,便觉身冷如濯冰水,寒战不可耐。刘固武勇,拔佩刀逐之。鬼出寝室而没。归卧片刻,又觉身冷。视之,鬼又至,又逐之而没,已而复来,一夜不堪其扰,至天明始寂然。隔数日,复如前状,甚患之。或劝其移居他室,不从。不得已呼仆伴寝,鬼果不来。遣仆去,则鬼旋至。乃留仆越数日,鬼来如故,但仆无所见,惟觉冷耳。又招数人伴寝,而鬼仍至。刘形销骨立,委顿不复如前善斗矣。未几卧床不起,诸人亦惧而辞去。唯仆蒙被卧其侧;日渐危殆,无计可施。一夕,方撑拒时,见其亡母立床前,以身避蔽。而鬼高过其母,俯吹之,其虐益甚。自思遭此其祸,致忧及泉下老亲,不觉失声大痛,鬼退后三四步。已而复来,缠绕将半载,终以是殒命。
醉茶子曰:七尺之躯,意为鬼吹而殆,事亦罕闻。然太刚则折,势所必然。既无战胜之才,又无退避之意,其败也宜矣。而泉下慈亲犹来护庇,叹人之于子虽死不忘,为人子者当何如报其亲哉?顾孝念一萌,鬼即稍退,而终不能不索其命。得毋结怨已深,非小善所能抵者?非余之所知也。
魂归
邑陈姓从军南省,殁于战阵。家人得信,讳之,其妻某氏不知也。有友人并力归其柩,将至之夕。其妻与女寝,女忽梦其父浴血立其前,惊寤,呼其母。氏醒,仰见陈立窗上,浑身血污,片刻始不见。起唤其弟,诘之。弟不能隐,告之。举家悲哭。及天明,其友送柩至。噫!事亦奇矣。
醉茶子曰:慷慨从军,敢为身死,其英灵固不泯也。而魂随柩归,可见人之遗骨亦自郑重。故埋骨掩胔,仁人善政,是知通幽明之理者,其唯圣乎?
判官
邑绅某,性至孝,母殁已久,思念不忘。偶扶乩召仙,或焚以请城隍之符。乩书云:“吾城隍差役黄老也,奉命来问何事?”某云:“先母谢世多年,今在阴曹何处?得毋有所苦耶?”黄云:“不知,俟归查之。”遂退。越数日,又焚前符。忽窗外狂风骤起,屋中几案震响,沙盘飒飒,飞越作字,猛厉大书“判官到,索酒。”急供一大斗,须臾净尽。问何事见召,仍以母询。乩云:“已入转轮,可勿问也。”问:“黄公胡不来?”曰:“披奉公出差矣。速送。”众俱惊惧,焚符送之。遂罢扶乩之戏。
醉茶子曰:观此则轮回之说定非诬妄,而黄老之为神亦可信矣。予昔游武遂,有刘生能召仙。书符焚之,仙至。时有觋能走无常,亦在座。乩云:“诸君扶乩太劳,吾亦疲于作字,可遣彼口代予手可也。”觋乃作仙语。或问:“阴司信有之乎?”曰:“有。阴曹之赏罚必明,黜陟必当。凡负君之贼,败国之臣,当日受其爵、享其禄者,至此必罹其祸。昔日积善之家,修德之士,于世穷其身、厄其遇者,至此则蒙其福。阴曹所以补阳世之阙也。”问:“鬼犹念其尸身否?”曰:“人之生时,无尺寸之肤不爱,无尺寸之肤不养,岂魂既离壳,即不相关?无是理也。”问:“奢俭太过,皆有冥报。奢则宜矣,俭胡为然?”曰:“俭者廉,何罚之有?惟俭而刻薄待人,多生机械,贪婪取物,悭吝聚敛,鸟得不罚?”问:“宋儒无鬼之说固偏,释氏轮回之说非妄。然死即托生,往往见于载籍。顾此死彼生,转易之间耳,鬼安在?若云有鬼,必不托生而后可。若云无鬼,世之见鬼者比比,鬼之报怨报德者恒有,其故何也?”曰:“轮回之事,有当入不当入,与夫迟早先后之异。《传》云:新鬼大,故鬼小。非其验与?至旋死旋生者,不在此例。”问:“溺死缢死鬼皆求代,何也?”曰:“冥中恶人轻生,故不许速入轮回,非有代者不可,使知鬼趣之苦,所以警将来。”曰:“不离鬼趣,惟鬼知之,人未死,不知也。纵使鬼知悔惧,何以戒人不轻生?且缢或由己,若无意落水溺死者,非自轻生,何亦靳之不使托生耶?”曰:“天下无无弊之法,积重难返也。”问:“世之见鬼者,云多在墙阴厨间厨内,他处则少。然则鬼与人杂处于坐世矣。而何以死而复生者?有云路径生疏,或荒沙漠漠,又有云城郭衙署,是冥府矣。不知阴曹另有一世界不在尘寰耶?抻即在尘寰耶?然则即世之庙宇耶?”曰:“在虚无缥缈之间而已。”其所论近理,第云在虚无之间,必如蜃楼海市矣。惜予当日未之深究也。
天榜
邑先达邵君玉清,元旦梦有人牵一骑,状如骡,顶矗一角,促之骑。至一处,仿佛衙署。仰见悬榜,己名在第三,籍贯皆符。每名下均有批语,多不暇记,惟记己名下注“孝弟可嘉”四字。壁上有悬牌云:“二月初八日小直沽火。”视毕,其人复促之还。至家门,一惊而寤,乃粘条志之。至期,小直沽被灾,果如所梦。未几捷南宫,殿试鼎甲。
斩蛇将
武弁赵某,恶蛇,见辄杀之,众呼为斩蛇将。一日适野,丛薄间有大蛇粗盈握,赵击以刃,夭矫不驯,乃乘间断其首,蛇屈伸旋毙。弁归营,觉头目眩晕,体甚不快。因乘舆归家,夜卧觉有物如冰,横搭其腹,颇类蛇。急呼其母,取火照之,见有一无首大蛇,蜿蜒床褥间,血犹殷湿。母惊号,物忽不见。弁叹曰:“予不起矣!”因述其所为。母急延巫觋祈祷忏悔,巫作蛇语曰:“杀我抵命,谁惜汝饮食耶?”未几旋卒。
醉茶子曰:蛇虽毒物,苟无害于人,不必杀也。而蠢然之物,竟能报仇,可知素灵夜啼,青衣捣药,若非特出之人,焉能免于祸哉。
蓝怪
刘某,山左人,寄寓于津,夜卧吸烟,觉凉风飒然,肌肤起栗。怪而视床前,立一蓝面大鬼,冠服皆蓝,高几及屋,眉目悍怒可畏。张口向刘嘘气,便觉身冷如濯冰水,寒战不可耐。刘固武勇,拔佩刀逐之。鬼出寝室而没。归卧片刻,又觉身冷。视之,鬼又至,又逐之而没,已而复来,一夜不堪其扰,至天明始寂然。隔数日,复如前状,甚患之。或劝其移居他室,不从。不得已呼仆伴寝,鬼果不来。遣仆去,则鬼旋至。乃留仆越数日,鬼来如故,但仆无所见,惟觉冷耳。又招数人伴寝,而鬼仍至。刘形销骨立,委顿不复如前善斗矣。未几卧床不起,诸人亦惧而辞去。唯仆蒙被卧其侧;日渐危殆,无计可施。一夕,方撑拒时,见其亡母立床前,以身避蔽。而鬼高过其母,俯吹之,其虐益甚。自思遭此其祸,致忧及泉下老亲,不觉失声大痛,鬼退后三四步。已而复来,缠绕将半载,终以是殒命。
醉茶子曰:七尺之躯,意为鬼吹而殆,事亦罕闻。然太刚则折,势所必然。既无战胜之才,又无退避之意,其败也宜矣。而泉下慈亲犹来护庇,叹人之于子虽死不忘,为人子者当何如报其亲哉?顾孝念一萌,鬼即稍退,而终不能不索其命。得毋结怨已深,非小善所能抵者?非余之所知也。
魂归
邑陈姓从军南省,殁于战阵。家人得信,讳之,其妻某氏不知也。有友人并力归其柩,将至之夕。其妻与女寝,女忽梦其父浴血立其前,惊寤,呼其母。氏醒,仰见陈立窗上,浑身血污,片刻始不见。起唤其弟,诘之。弟不能隐,告之。举家悲哭。及天明,其友送柩至。噫!事亦奇矣。
醉茶子曰:慷慨从军,敢为身死,其英灵固不泯也。而魂随柩归,可见人之遗骨亦自郑重。故埋骨掩胔,仁人善政,是知通幽明之理者,其唯圣乎?
判官
邑绅某,性至孝,母殁已久,思念不忘。偶扶乩召仙,或焚以请城隍之符。乩书云:“吾城隍差役黄老也,奉命来问何事?”某云:“先母谢世多年,今在阴曹何处?得毋有所苦耶?”黄云:“不知,俟归查之。”遂退。越数日,又焚前符。忽窗外狂风骤起,屋中几案震响,沙盘飒飒,飞越作字,猛厉大书“判官到,索酒。”急供一大斗,须臾净尽。问何事见召,仍以母询。乩云:“已入转轮,可勿问也。”问:“黄公胡不来?”曰:“披奉公出差矣。速送。”众俱惊惧,焚符送之。遂罢扶乩之戏。
醉茶子曰:观此则轮回之说定非诬妄,而黄老之为神亦可信矣。予昔游武遂,有刘生能召仙。书符焚之,仙至。时有觋能走无常,亦在座。乩云:“诸君扶乩太劳,吾亦疲于作字,可遣彼口代予手可也。”觋乃作仙语。或问:“阴司信有之乎?”曰:“有。阴曹之赏罚必明,黜陟必当。凡负君之贼,败国之臣,当日受其爵、享其禄者,至此必罹其祸。昔日积善之家,修德之士,于世穷其身、厄其遇者,至此则蒙其福。阴曹所以补阳世之阙也。”问:“鬼犹念其尸身否?”曰:“人之生时,无尺寸之肤不爱,无尺寸之肤不养,岂魂既离壳,即不相关?无是理也。”问:“奢俭太过,皆有冥报。奢则宜矣,俭胡为然?”曰:“俭者廉,何罚之有?惟俭而刻薄待人,多生机械,贪婪取物,悭吝聚敛,鸟得不罚?”问:“宋儒无鬼之说固偏,释氏轮回之说非妄。然死即托生,往往见于载籍。顾此死彼生,转易之间耳,鬼安在?若云有鬼,必不托生而后可。若云无鬼,世之见鬼者比比,鬼之报怨报德者恒有,其故何也?”曰:“轮回之事,有当入不当入,与夫迟早先后之异。《传》云:新鬼大,故鬼小。非其验与?至旋死旋生者,不在此例。”问:“溺死缢死鬼皆求代,何也?”曰:“冥中恶人轻生,故不许速入轮回,非有代者不可,使知鬼趣之苦,所以警将来。”曰:“不离鬼趣,惟鬼知之,人未死,不知也。纵使鬼知悔惧,何以戒人不轻生?且缢或由己,若无意落水溺死者,非自轻生,何亦靳之不使托生耶?”曰:“天下无无弊之法,积重难返也。”问:“世之见鬼者,云多在墙阴厨间厨内,他处则少。然则鬼与人杂处于坐世矣。而何以死而复生者?有云路径生疏,或荒沙漠漠,又有云城郭衙署,是冥府矣。不知阴曹另有一世界不在尘寰耶?抻即在尘寰耶?然则即世之庙宇耶?”曰:“在虚无缥缈之间而已。”其所论近理,第云在虚无之间,必如蜃楼海市矣。惜予当日未之深究也。
日本K Style采访,请自行粘入翻译器[笑cry]
――軍入隊が近づいていますが、最近はどのように過ごしていますか?
エル:最近、僕は……普通だと軍入隊を控えていたら、一人で美味しい食べ物を食べたり、知人に会ったりする人が多いと聞きましたが、僕は仕事を頑張っています。雑誌のインタビューやナレーション参加など……。たくさんのことを準備しています。そんなことをしながら、日々を送っています。
――デビュー11周年を迎え、初のソロアルバム「Memory」を発売しました。今回のアルバムはファンに贈るプレゼントだと聞きましたが、どんな心境で準備しましたか?
エル:どんな心境というよりも、ただ、何というか……。僕の歌をお聞かせしたかったです。何か大きな意味が込められている訳ではないです。現在、僕は歌手としても活動しているので、軍隊に入る前に、皆さんの記憶に残るような曲をプレゼントしたいと思い、今回の新曲を準備しました。
――新曲「Memory」の歌詞で「本当に多くのことが恋しくなる / 目を閉じて / 少し、少しだけ / 僕は旅するように」という部分が、軍入隊を直前に控えている今、とても印象的に感じました。どんな気持ちが込められているのでしょうか?
エル:この歌詞は僕が書いている訳ではないので……(笑)。どんな歌詞も、とても包括的な意味が込められ、人の考え方次第でその意味のとらえ方が変わってきます。人それぞれが置かれている状況が異なるので、そこで感じられることをこの歌詞に当てはめることで、様々な解釈がされるんだろうと思っています。もちろん、軍入隊に関することをそのような歌詞で描くこともできるでしょうが、その歌詞以外にも「記憶と記憶の間で」「季節と季節の間で」など、とてもおぼろげな雰囲気の歌詞がとても多いです。初めて聴いたときよりも、2度目、3度目に聴いた時に、また異なる雰囲気が感じられるのがこの曲の特徴ですので、全体的にとても多くの意味が込められていると思います。なので皆さんには、それぞれの状況に応じて異なる捉え方で楽しんで聴いていただきたいです。
――韓国でのインタビューで「いつも歌いたかったし、良い歌を聴いてもらいたかった」と話されていましたが、エルさんにとって歌うこととはどんなことですか?
エル:現在は歌手として活動しつつ、俳優としても活躍していますが、実際に僕は歌うことがとても好きです。僕が好きなジャンルでも、新しいジャンルでもいいので、除隊後にも引き続きアルバムを出したいという思いが強いです。なので、今後も歌手としての活動やそれに関連した活動を続けていくだろうと思っています。
――今回の「Memory」のMVは、森や海の美しい風景の中で撮影されています。撮影時のエピソードがあれば教えてください。
エル:エピソードとしては、撮影時期が年末ごろで、ドラマの撮影の合間に江陵(カンヌン)に行って撮影をしたのですが、この時期はもともと気温も氷点下まで落ちるし、海辺だと風も吹き荒れることが多いのでとても寒いのですが、その日はすごく天気が良かったんです。僕は撮影がある時、毎回、とても天気が良い気がします。当時も気温が6度で秋のような天気でした。もちろん寒かったのですが、あまり苦労せずに撮影できた気がします。美味しい食べ物も買ってきて食べたりもしたので……。なので、今回のMV撮影はとても良い思い出として記憶に残っています。
――「Memory」は、心をなだめるようなメロディで、聴いていると安らかな気持ちになれる曲です。エルさんは、落ち着きたい時や心を安らげたい時には何をして過ごしますか?
エル:僕は呼吸をして心を落ち着かせます。息を吸って、吐くということ。これは以前、あるドキュメンタリー映画の撮影でフリーダイビングに挑戦した時に、水中で呼吸を長く維持する方法として学んだことなんですが、5秒間息を吸って5秒間で吐いて、そのまま息を止めるということを2~3分から、長い時には5分まで続けていると、心がとても落ち着いたんです。僕は、これが実生活の中でもとても役に立つ呼吸法だと思ったので、よく活用しています。
――デビューから今までを振り返って、最も記憶に残っている瞬間はいつですか?
エル:正直に言うと、今までの記憶がとても断片的にしか残っていないので、毎回最も記憶に残る瞬間が変わる気がします。でも、今、思い出した時に、最も記憶に残る瞬間というのは、最近撮影を終えたドラマ「暗行御史」の最後の撮影が最も記憶に残っています。実際の撮影が約5ヶ月だったんですが、準備期間なども含めると10~11ヶ月くらいの期間、体を鍛えたり、寒い中で撮影に臨んだり、アクションシーンに挑戦するなど、とても苦労した瞬間が頭をよぎるので、ドラマ「暗行御史」の最後の撮影の瞬間が最も記憶に残っています。
――日本活動の中で最も記憶に残っていることはありますか?
エル:日本の活動の中では、日本のファンの皆さんとファンミーティングなどでハイタッチをした記憶が一番残っています。皆さんパネルを手に持って、胸元には名札も付けていて。パネルに書かれた言葉や名前を呼んだ時に、とても喜んでくれたので、その場面が最も記憶に残っています。
――日本でのオフの時間やプライベートでの思い出、もう一度行きたい場所などあれば教えて下さい。
エル:僕は日本でスケジュールが終わってオフの時間があると、カフェに行って何もしないで過ごすのが好きです。ただ僕が見て「いいな」と感じた街の空間で、何もせずに時間を過ごすのが好きです。人々が何をしているのか見ることも好きですし……。また、僕が訪れた時には毎回、日本特有の空気感というものがありました。秋の香りのような……。そのようなものが思い出として残っています。コーヒーを飲みながら、美味しいケーキなどを食べて、そんな感じでプライベートの時間を過ごしていましたね。もう1度行きたい場所は……。何処か1ヶ所に行きたいというよりも、その時その時の気分や状況によって行きたい場所が変わる気がします。敢えて言うとしたら、日本に行きたいですね(笑)。
――海兵隊への入隊が決まって先輩や周りの人からアドバイスはありましたか?
エル:軍隊に関して誰からもアドバイスや連絡をもらったことがないので、つい昨日の夜、軍隊に関して準備するものや必需品などをコミュニティサイトで調べてみました。今の気分としては、思ったよりもとても淡々としているので一人で軍入隊に向けた準備を進めています。
――軍入隊、そして1年6ヶ月という空白期間について、不安や心配はありますか?
エル:心配していないと言えば嘘ですが、空白期間は不安ではないです。だからこそ、今のうちにたくさん仕事をして、入隊後にはできないだろうと思うことに挑戦しています。また逆に、軍隊でも学ぶことがたくさんあるだろうと思っているし、活動中は1人で心を休めたり、ゆっくりと考えを整理する機会がなかったので、軍隊に入隊することで内面的に成長できるのではないか思っています。除隊後にはより良い姿を皆さんにお見せできるだろうと考えています。
――韓国では30歳を迎えましたが、20代から変わったことはありますか? また、この先楽しみに感じていることはありますか?
エル:30歳を迎えて楽しみに感じているのは、先ほど話したように、今までよりも成熟した姿をお見せできるということです。20代から変わったことは……正直に、まだ感じられていないです。30歳になったばかりでもあるので。僕は、歳をとることについてあまり深く考えていないです。歳をとることは、人間として豊かになっていくことで、特にそれ以上に深い意味を持っていないと思います。キム・ミョンスという人間の、フレーズが大きくなっていくことではないでしょうか。
――「歌手エル」として、「俳優キム・ミョンス」として、どのように記憶されたいですか?
エル:徐々に大人っぽく成長していく姿を見せられる人間として記憶されたいです。
――歌手・俳優としても活躍してきましたが、エルさんにとってターニングポイントになったと思う曲や作品はありますか?
エル:すべての作品からそれぞれ新しく感じることがあるので、僕にとってのターニングポイントとなった特定の作品や曲があるわけではないです。なので、すべての作品や曲がターニングポイントになっている気がします。
――2月20日にはオンラインファンミーティングがありますが、どのような時間を過ごしたいですか?
エル:今回のオンラインファンミーティングに向けて本当にたくさんの準備を行いました。写真を撮ったり、歌を準備したり、ファンミーティングで行うコンテンツに関してもスタッフの皆さんと意見を出し合いながら準備を進めました。2月20日のオンラインファンミーティングが軍入隊前の最後のスケジュールなので、そのような意味でも期待感が大きく、とてもドキドキしました。このファンミーティングの後はすぐに入隊するので、特に何もせず、入隊の準備を行うと思います。
――入隊まであと少しですが、今一番ファンに伝えたいことは?
エル:いつも健康に、そして幸せで元気に過ごして欲しいです!
――最後に日本ファンの皆さんにメッセージをお願いします。
エル:Kstyleをご覧の皆さん、次回、ご挨拶できるのがかなり先になってしまうと思います。最近は新型コロナウイルスの感染拡大により、辛い日々をお過ごしでしょうが、いつも健康には気をつけて幸せいっぱいの日々を過ごして欲しいです。2021年は、健康で温かい1年にしてください! 以上、キム・ミョンスでした。
――軍入隊が近づいていますが、最近はどのように過ごしていますか?
エル:最近、僕は……普通だと軍入隊を控えていたら、一人で美味しい食べ物を食べたり、知人に会ったりする人が多いと聞きましたが、僕は仕事を頑張っています。雑誌のインタビューやナレーション参加など……。たくさんのことを準備しています。そんなことをしながら、日々を送っています。
――デビュー11周年を迎え、初のソロアルバム「Memory」を発売しました。今回のアルバムはファンに贈るプレゼントだと聞きましたが、どんな心境で準備しましたか?
エル:どんな心境というよりも、ただ、何というか……。僕の歌をお聞かせしたかったです。何か大きな意味が込められている訳ではないです。現在、僕は歌手としても活動しているので、軍隊に入る前に、皆さんの記憶に残るような曲をプレゼントしたいと思い、今回の新曲を準備しました。
――新曲「Memory」の歌詞で「本当に多くのことが恋しくなる / 目を閉じて / 少し、少しだけ / 僕は旅するように」という部分が、軍入隊を直前に控えている今、とても印象的に感じました。どんな気持ちが込められているのでしょうか?
エル:この歌詞は僕が書いている訳ではないので……(笑)。どんな歌詞も、とても包括的な意味が込められ、人の考え方次第でその意味のとらえ方が変わってきます。人それぞれが置かれている状況が異なるので、そこで感じられることをこの歌詞に当てはめることで、様々な解釈がされるんだろうと思っています。もちろん、軍入隊に関することをそのような歌詞で描くこともできるでしょうが、その歌詞以外にも「記憶と記憶の間で」「季節と季節の間で」など、とてもおぼろげな雰囲気の歌詞がとても多いです。初めて聴いたときよりも、2度目、3度目に聴いた時に、また異なる雰囲気が感じられるのがこの曲の特徴ですので、全体的にとても多くの意味が込められていると思います。なので皆さんには、それぞれの状況に応じて異なる捉え方で楽しんで聴いていただきたいです。
――韓国でのインタビューで「いつも歌いたかったし、良い歌を聴いてもらいたかった」と話されていましたが、エルさんにとって歌うこととはどんなことですか?
エル:現在は歌手として活動しつつ、俳優としても活躍していますが、実際に僕は歌うことがとても好きです。僕が好きなジャンルでも、新しいジャンルでもいいので、除隊後にも引き続きアルバムを出したいという思いが強いです。なので、今後も歌手としての活動やそれに関連した活動を続けていくだろうと思っています。
――今回の「Memory」のMVは、森や海の美しい風景の中で撮影されています。撮影時のエピソードがあれば教えてください。
エル:エピソードとしては、撮影時期が年末ごろで、ドラマの撮影の合間に江陵(カンヌン)に行って撮影をしたのですが、この時期はもともと気温も氷点下まで落ちるし、海辺だと風も吹き荒れることが多いのでとても寒いのですが、その日はすごく天気が良かったんです。僕は撮影がある時、毎回、とても天気が良い気がします。当時も気温が6度で秋のような天気でした。もちろん寒かったのですが、あまり苦労せずに撮影できた気がします。美味しい食べ物も買ってきて食べたりもしたので……。なので、今回のMV撮影はとても良い思い出として記憶に残っています。
――「Memory」は、心をなだめるようなメロディで、聴いていると安らかな気持ちになれる曲です。エルさんは、落ち着きたい時や心を安らげたい時には何をして過ごしますか?
エル:僕は呼吸をして心を落ち着かせます。息を吸って、吐くということ。これは以前、あるドキュメンタリー映画の撮影でフリーダイビングに挑戦した時に、水中で呼吸を長く維持する方法として学んだことなんですが、5秒間息を吸って5秒間で吐いて、そのまま息を止めるということを2~3分から、長い時には5分まで続けていると、心がとても落ち着いたんです。僕は、これが実生活の中でもとても役に立つ呼吸法だと思ったので、よく活用しています。
――デビューから今までを振り返って、最も記憶に残っている瞬間はいつですか?
エル:正直に言うと、今までの記憶がとても断片的にしか残っていないので、毎回最も記憶に残る瞬間が変わる気がします。でも、今、思い出した時に、最も記憶に残る瞬間というのは、最近撮影を終えたドラマ「暗行御史」の最後の撮影が最も記憶に残っています。実際の撮影が約5ヶ月だったんですが、準備期間なども含めると10~11ヶ月くらいの期間、体を鍛えたり、寒い中で撮影に臨んだり、アクションシーンに挑戦するなど、とても苦労した瞬間が頭をよぎるので、ドラマ「暗行御史」の最後の撮影の瞬間が最も記憶に残っています。
――日本活動の中で最も記憶に残っていることはありますか?
エル:日本の活動の中では、日本のファンの皆さんとファンミーティングなどでハイタッチをした記憶が一番残っています。皆さんパネルを手に持って、胸元には名札も付けていて。パネルに書かれた言葉や名前を呼んだ時に、とても喜んでくれたので、その場面が最も記憶に残っています。
――日本でのオフの時間やプライベートでの思い出、もう一度行きたい場所などあれば教えて下さい。
エル:僕は日本でスケジュールが終わってオフの時間があると、カフェに行って何もしないで過ごすのが好きです。ただ僕が見て「いいな」と感じた街の空間で、何もせずに時間を過ごすのが好きです。人々が何をしているのか見ることも好きですし……。また、僕が訪れた時には毎回、日本特有の空気感というものがありました。秋の香りのような……。そのようなものが思い出として残っています。コーヒーを飲みながら、美味しいケーキなどを食べて、そんな感じでプライベートの時間を過ごしていましたね。もう1度行きたい場所は……。何処か1ヶ所に行きたいというよりも、その時その時の気分や状況によって行きたい場所が変わる気がします。敢えて言うとしたら、日本に行きたいですね(笑)。
――海兵隊への入隊が決まって先輩や周りの人からアドバイスはありましたか?
エル:軍隊に関して誰からもアドバイスや連絡をもらったことがないので、つい昨日の夜、軍隊に関して準備するものや必需品などをコミュニティサイトで調べてみました。今の気分としては、思ったよりもとても淡々としているので一人で軍入隊に向けた準備を進めています。
――軍入隊、そして1年6ヶ月という空白期間について、不安や心配はありますか?
エル:心配していないと言えば嘘ですが、空白期間は不安ではないです。だからこそ、今のうちにたくさん仕事をして、入隊後にはできないだろうと思うことに挑戦しています。また逆に、軍隊でも学ぶことがたくさんあるだろうと思っているし、活動中は1人で心を休めたり、ゆっくりと考えを整理する機会がなかったので、軍隊に入隊することで内面的に成長できるのではないか思っています。除隊後にはより良い姿を皆さんにお見せできるだろうと考えています。
――韓国では30歳を迎えましたが、20代から変わったことはありますか? また、この先楽しみに感じていることはありますか?
エル:30歳を迎えて楽しみに感じているのは、先ほど話したように、今までよりも成熟した姿をお見せできるということです。20代から変わったことは……正直に、まだ感じられていないです。30歳になったばかりでもあるので。僕は、歳をとることについてあまり深く考えていないです。歳をとることは、人間として豊かになっていくことで、特にそれ以上に深い意味を持っていないと思います。キム・ミョンスという人間の、フレーズが大きくなっていくことではないでしょうか。
――「歌手エル」として、「俳優キム・ミョンス」として、どのように記憶されたいですか?
エル:徐々に大人っぽく成長していく姿を見せられる人間として記憶されたいです。
――歌手・俳優としても活躍してきましたが、エルさんにとってターニングポイントになったと思う曲や作品はありますか?
エル:すべての作品からそれぞれ新しく感じることがあるので、僕にとってのターニングポイントとなった特定の作品や曲があるわけではないです。なので、すべての作品や曲がターニングポイントになっている気がします。
――2月20日にはオンラインファンミーティングがありますが、どのような時間を過ごしたいですか?
エル:今回のオンラインファンミーティングに向けて本当にたくさんの準備を行いました。写真を撮ったり、歌を準備したり、ファンミーティングで行うコンテンツに関してもスタッフの皆さんと意見を出し合いながら準備を進めました。2月20日のオンラインファンミーティングが軍入隊前の最後のスケジュールなので、そのような意味でも期待感が大きく、とてもドキドキしました。このファンミーティングの後はすぐに入隊するので、特に何もせず、入隊の準備を行うと思います。
――入隊まであと少しですが、今一番ファンに伝えたいことは?
エル:いつも健康に、そして幸せで元気に過ごして欲しいです!
――最後に日本ファンの皆さんにメッセージをお願いします。
エル:Kstyleをご覧の皆さん、次回、ご挨拶できるのがかなり先になってしまうと思います。最近は新型コロナウイルスの感染拡大により、辛い日々をお過ごしでしょうが、いつも健康には気をつけて幸せいっぱいの日々を過ごして欲しいです。2021年は、健康で温かい1年にしてください! 以上、キム・ミョンスでした。
#儒家[超话]#98304
酒吧山林明两作
继照四方三十立;
无射英明天芮辅,
杜门已关冲伤路。
老 子: 「道 德 经」 : 第 二 十 五 章
有 物 混 成 , 先 天 地 生 。
寂 兮 寥 兮 , 独 立 而 不 改 ,
周 行 而 不 殆 , 可 以 为 天 地 母 。
吾 不 知 其 名 , 强 字 之 曰 道 , 强 为 之 名 曰 大 。
大 曰 逝 , 逝 曰 远 , 远 曰 反 。
故 道 大 , 天 大 , 地 大 , 人 亦 大 。
域 中 有 四 大 , 而 人 居 其 一 焉 。
人 法 地 , 地 法 天 , 天 法 道 , 道 法 自 然 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 二 十 六 章
重 为 轻 根 , 静 为 躁 君 。
是 以 君 子 终 日 行 不 离 辎 重 。
虽 有 荣 观 , 燕 处 超 然 。
奈 何 万 乘 之 主 , 而 以 身 轻 天 下 。
轻 则 失 根 , 躁 则 失 君 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 二 十 七 章
善 行 无 辙 迹 , 善 言 无 瑕 谪 ﹔
善 数 不 用 筹 策 ﹔
善 闭 无 关 楗 而 不 可 开 ,
善 结 无 绳 约 而 不 可 解 。
是 以 圣 人 常 善 救 人 , 故 无 弃 人 ﹔
常 善 救 物 , 故 无 弃 物 。
是 谓 袭 明 。
故 善 人 者 , 不 善 人 之 师 ﹔
不 善 人 者 , 善 人 之 资 。
不 贵 其 师 , 不 爱 其 资 ,
虽 智 大 迷 , 是 谓 要 妙 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 二 十 八 章
知 其 雄 , 守 其 雌 , 为 天 下 溪 。
为 天 下 溪 , 常 德 不 离 , 复 归 于 婴 儿 。
知 其 白 , 守 其黑 , 为 天 下 式 。
为 天 下 式 , 常 德 不 忒 , 复 归 于 无 极 。
知 其 荣,守 其 辱,为 天 下 谷。
为 天 下 谷,常 德 乃 足。
复 归 於 朴,朴 散 则 为 器 。
圣 人 用 之 ,则 为 官 长 , 故 大 制 不 割 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 二 十 九 章
将 欲 取 天 下 而 为 之 , 吾 见 其 不 得 已 。
天 下 神 器 , 不 可 为 也 , 不 可 执 也 。
为 者 败 之 , 执 者 失 之 。
是 以 圣 人 无 为 , 故 无 败 ﹔
无 执 , 故 无 失。
夫 物 或 行 或 随 ﹔ 或 嘘 或 吹 ﹔
或 强 或 羸 ﹔ 或 挫 或 隳 。
是 以 圣 人 去 甚 , 去 奢 , 去 泰 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 三 十 章
以 道 佐 人 主 者 , 不 以 兵 强 天 下 。
其 事 好 远 。
师 之 所 处 , 荆 棘 生 焉 。
大 军 之 后 , 必 有 凶 年 。
善 有 果 而 已 , 不 以 取 强 。
果 而 勿 矜 , 果 而 勿 伐 , 果 而 勿 骄 。
果 而 不 得 已 , 果 而 勿 强 。
物 壮 则 老 , 是 谓 不 道 , 不 道 早 已 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 三 十 一 章
夫 兵 者 , 不 祥 之 器 ,
物 或 恶 之 , 故 有 道 者 不 处 。
君 子 居 则 贵 左 , 用 兵 则 贵 右 。
兵 者 不 祥 之 器 , 非 君 子 之 器 ,
不 得 已 而 用 之 , 恬 淡 为 上 。
胜 而 不 美 , 而 美 之 者 , 是 乐 杀 人 。
夫 乐 杀 人 者 , 则 不 可 得 志 于 天 下 矣 。
吉 事 尚 左 , 凶 事 尚 右 。
偏 将 军 居 左 , 上 将 军 居 右 ,言 以 丧 礼 处 之 。
杀 人 之 众 , 以 悲 哀 泣 之 , 战 胜 以 丧 礼 处 之 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 三 十 二 章
道 常 无 名 。
朴 虽 小 , 天 下 莫 能 臣 。
侯 王 若 能 守 之 , 万 物 将 自 宾 。
天 地 相 合 , 以 降 甘 露 , 民 莫 之 令 而 自 均 。
始 制 有 名 , 名 亦 既 有 ,
夫 亦 将 知 止 , 知 止 可 以 不 殆 。
譬 道 之 在 天 下 , 犹 川 谷 之 于 江 海 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 三 十 三 章
知 人 者 智 , 自 知 者 明 。
胜 人 者 有 力 ,
自 胜 者 强 ,知 足 者 富 。
强 行 者 有 志 。
不 失 其 所 者 久 。
死 而 不 亡 者 寿 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 三 十 四 章
大 道 泛 兮 , 其 可 左 右 。
万 物 恃 之 以 生 而 不 辞 , 功 成 而 不 有 。
衣 养 万 物 而 不 为 主 。常 无 欲 可 名 于 小 ﹔
万 物 归 焉 而 不 为 主 , 可 名 为 大 。
以 其 终 不 自 为 大 , 故 能 成 其 大 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 三 十 五 章
执 大 象 , 天 下 往 。
往 而 不 害 , 安 平 泰 。
乐 与 饵 , 过 客 止 。
道 之 出 口 , 淡 乎 其 无 味 ,
视 之 不 足 见 , 听 之 不 足 闻 , 用 之 不 足 既 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 三 十 六 章
将 欲 歙 之 , 必 故 张 之 ﹔
将 欲 弱 之 , 必 故 强 之 ﹔
将 欲 废 之 , 必 故 兴 之 ﹔
将 欲 取 之 , 必 故 与 之 。
是 谓 微 明 。
柔 弱 胜 刚 强 。
鱼 不 可 脱 于 渊 , 国 之 利 器 不 可 以 示 人 。
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酒吧山林明两作
继照四方三十立;
无射英明天芮辅,
杜门已关冲伤路。
老 子: 「道 德 经」 : 第 二 十 五 章
有 物 混 成 , 先 天 地 生 。
寂 兮 寥 兮 , 独 立 而 不 改 ,
周 行 而 不 殆 , 可 以 为 天 地 母 。
吾 不 知 其 名 , 强 字 之 曰 道 , 强 为 之 名 曰 大 。
大 曰 逝 , 逝 曰 远 , 远 曰 反 。
故 道 大 , 天 大 , 地 大 , 人 亦 大 。
域 中 有 四 大 , 而 人 居 其 一 焉 。
人 法 地 , 地 法 天 , 天 法 道 , 道 法 自 然 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 二 十 六 章
重 为 轻 根 , 静 为 躁 君 。
是 以 君 子 终 日 行 不 离 辎 重 。
虽 有 荣 观 , 燕 处 超 然 。
奈 何 万 乘 之 主 , 而 以 身 轻 天 下 。
轻 则 失 根 , 躁 则 失 君 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 二 十 七 章
善 行 无 辙 迹 , 善 言 无 瑕 谪 ﹔
善 数 不 用 筹 策 ﹔
善 闭 无 关 楗 而 不 可 开 ,
善 结 无 绳 约 而 不 可 解 。
是 以 圣 人 常 善 救 人 , 故 无 弃 人 ﹔
常 善 救 物 , 故 无 弃 物 。
是 谓 袭 明 。
故 善 人 者 , 不 善 人 之 师 ﹔
不 善 人 者 , 善 人 之 资 。
不 贵 其 师 , 不 爱 其 资 ,
虽 智 大 迷 , 是 谓 要 妙 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 二 十 八 章
知 其 雄 , 守 其 雌 , 为 天 下 溪 。
为 天 下 溪 , 常 德 不 离 , 复 归 于 婴 儿 。
知 其 白 , 守 其黑 , 为 天 下 式 。
为 天 下 式 , 常 德 不 忒 , 复 归 于 无 极 。
知 其 荣,守 其 辱,为 天 下 谷。
为 天 下 谷,常 德 乃 足。
复 归 於 朴,朴 散 则 为 器 。
圣 人 用 之 ,则 为 官 长 , 故 大 制 不 割 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 二 十 九 章
将 欲 取 天 下 而 为 之 , 吾 见 其 不 得 已 。
天 下 神 器 , 不 可 为 也 , 不 可 执 也 。
为 者 败 之 , 执 者 失 之 。
是 以 圣 人 无 为 , 故 无 败 ﹔
无 执 , 故 无 失。
夫 物 或 行 或 随 ﹔ 或 嘘 或 吹 ﹔
或 强 或 羸 ﹔ 或 挫 或 隳 。
是 以 圣 人 去 甚 , 去 奢 , 去 泰 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 三 十 章
以 道 佐 人 主 者 , 不 以 兵 强 天 下 。
其 事 好 远 。
师 之 所 处 , 荆 棘 生 焉 。
大 军 之 后 , 必 有 凶 年 。
善 有 果 而 已 , 不 以 取 强 。
果 而 勿 矜 , 果 而 勿 伐 , 果 而 勿 骄 。
果 而 不 得 已 , 果 而 勿 强 。
物 壮 则 老 , 是 谓 不 道 , 不 道 早 已 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 三 十 一 章
夫 兵 者 , 不 祥 之 器 ,
物 或 恶 之 , 故 有 道 者 不 处 。
君 子 居 则 贵 左 , 用 兵 则 贵 右 。
兵 者 不 祥 之 器 , 非 君 子 之 器 ,
不 得 已 而 用 之 , 恬 淡 为 上 。
胜 而 不 美 , 而 美 之 者 , 是 乐 杀 人 。
夫 乐 杀 人 者 , 则 不 可 得 志 于 天 下 矣 。
吉 事 尚 左 , 凶 事 尚 右 。
偏 将 军 居 左 , 上 将 军 居 右 ,言 以 丧 礼 处 之 。
杀 人 之 众 , 以 悲 哀 泣 之 , 战 胜 以 丧 礼 处 之 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 三 十 二 章
道 常 无 名 。
朴 虽 小 , 天 下 莫 能 臣 。
侯 王 若 能 守 之 , 万 物 将 自 宾 。
天 地 相 合 , 以 降 甘 露 , 民 莫 之 令 而 自 均 。
始 制 有 名 , 名 亦 既 有 ,
夫 亦 将 知 止 , 知 止 可 以 不 殆 。
譬 道 之 在 天 下 , 犹 川 谷 之 于 江 海 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 三 十 三 章
知 人 者 智 , 自 知 者 明 。
胜 人 者 有 力 ,
自 胜 者 强 ,知 足 者 富 。
强 行 者 有 志 。
不 失 其 所 者 久 。
死 而 不 亡 者 寿 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 三 十 四 章
大 道 泛 兮 , 其 可 左 右 。
万 物 恃 之 以 生 而 不 辞 , 功 成 而 不 有 。
衣 养 万 物 而 不 为 主 。常 无 欲 可 名 于 小 ﹔
万 物 归 焉 而 不 为 主 , 可 名 为 大 。
以 其 终 不 自 为 大 , 故 能 成 其 大 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 三 十 五 章
执 大 象 , 天 下 往 。
往 而 不 害 , 安 平 泰 。
乐 与 饵 , 过 客 止 。
道 之 出 口 , 淡 乎 其 无 味 ,
视 之 不 足 见 , 听 之 不 足 闻 , 用 之 不 足 既 。
老 子: 「道 德 经」 : 第 三 十 六 章
将 欲 歙 之 , 必 故 张 之 ﹔
将 欲 弱 之 , 必 故 强 之 ﹔
将 欲 废 之 , 必 故 兴 之 ﹔
将 欲 取 之 , 必 故 与 之 。
是 谓 微 明 。
柔 弱 胜 刚 强 。
鱼 不 可 脱 于 渊 , 国 之 利 器 不 可 以 示 人 。
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