读书学典:《论语.宪问》14.31 子贡方人,子曰:“赐也贤乎哉?夫我则不暇。”
▲方人:评论、品鉴人物,犹言批评。方,比、比方的意思,即对比评论人物的优劣,古人谓之“品藻、品鉴”。《义疏》:“比方人不得不长短相倾。”一说是诽谤别人。郑注“言人之过恶”,即讥评别人。钱穆曰:“方人若指谤人,孔子何以仅谓不暇,而又称其贤?故知‘方人’当从前解。”
▲不暇:没有空闲。暇,空闲。
■现代翻译:子贡评论别人。孔子说:“赐啊,你真的就那么贤良吗?我可没有闲工夫去评论别人。”
●何晏等《论语集解》:孔安国曰:“比方人也。不暇比方人也。”
●皇侃《论语义疏》:子贡以甲比乙,论彼此之胜劣者也。夫人行难知,故比方人优劣之不易。且谁闻己之劣。故圣人不言,圣人不言而子贡专辄比方之。故抑之,我则不暇有比方之说。江熙曰:“比方人不得不长短相倾,圣人诲人不倦,岂当相臧否。”
●刑昺《论语注疏》:此章抑子贡也。子贡多言,尝举其人伦以相比方。夫知人则哲,尧、舜犹病,而子贡辅比方人,怒其轻易,故孔子曰“赐也贤乎哉”,所以抑之也。夫我则不暇比方人也。
●陈祥道《论语全解》:不器于人者然后能器人,器于人者不可以器人。子贡器于人而已,其方人也不亦过乎?孔子曰:“赐也贤乎哉?”以贤者过之也。子贡对卫将军文子则谓颜渊之相,冉雍有志之君子,仲由才任治戎,冉求好学博艺,至于公西赤、颛孙师、曾参、卜偃、灭明、高柴、南容之徒,莫不在其所议,而孔子笑之,盖讥其方人之过也,故子以为不暇。左氏之品藻,班固之变美,不免后世之讥者,以其不能器人也。
●朱熹《论语集注》:比方人物而较其短长,虽亦穷理之事。然专务为此,则心驰于外,而所以自治者疏矣。故褒之而疑其辞,复自贬以深抑之。谢氏曰:“圣人责人,辞不迫切而意已独至如此。”
●张栻《癸巳论语解》拟议人之优劣,非知者其能之乎?故亦可谓之贤。而曰“夫我则不暇”,求之他人,不若笃其在己也。圣人抑扬之间,所以长善救失者,宜深味也。
●清《四书解义》:此一章书见学者当以自治为先也。子贡平日比方人物,而较其短长,不可谓非穷理之事,然专务为此,则心驰于外,而疎于内矣,故夫子婉以警之曰:赐也,尔能方人其亦贤乎哉?盖惟自治有余,而后得以暇及于人耳。若以我自审方虑,义理无穷,虽日孜孜焉而有未逮,又何暇较量他人乎?凡人之为学,终其身无可已时,即终其身无有暇时。以孔子之圣,而犹自谓不暇,则凡有志于学者,其孰有暇时邪?于此知学至圣人,而其功愈专,希圣者可以勉矣。
●刘宝楠《论语正义》:《释文》云:“方人,郑本作谤,谓‘言人之过恶’。”卢氏文弨考证:“古论‘谤’字作‘方’,盖以声近通借。子贡言人遇恶,故子曰‘赐也贤乎哉’,言汝己身果皆贤乎?!而谤人也,夫我则不暇谤人而自治。”谤谓言其过失,使在上闻之而自改,亦是谏之类也。昭四年传:“郑人谤子产。”《国语》:“厉王虐,国人谤王。”皆是言其实事,谓之为谤。但传闻之事,有实有虚,或有妄谤人者,今世遂以谤为诬类,是俗易而意异也。《三国志.王昶传》昶戒子书曰:“夫毁誉,爱恶之原,而祸福之机也。是以圣人慎之。孔子曰:‘吾之于人,谁毁谁誉;如有所誉,必有所试。’又曰:‘子贡方人。赐也贤乎哉?我则不暇。’以圣人之德,犹当如此,况庸庸之徒而轻毁誉哉?”以方人为毁,是亦读“方”为“谤”,用郑义也。《庄子.田子方篇》:“鲁多儒者,少为先生方者。”是“方”训比也。学以相俌而成,故朋友切磋,最为学道之益。夫子尝问子贡与回孰愈?又子贡问子张、子夏孰愈?夫子亦未斥言不当问,是正取其能比方人也。此文何反讥之。
●钱穆《论语新解》:一部《论语》,孔子方人之言多矣,何以曰“夫我则不暇”?宋儒谢良佐见大程子,举书不遗一字,明道曰:“贤却记得许多,可谓玩物丧志。”谢闻之,汗流浃背。及看明道读史,又却逐行看过,不差一字。谢甚不服,后来醒悟,常以此事接引博学进士。其事可与本章互参。
●南怀瑾《论语别裁》:“方”是说子贡比较直爽,看见不顺眼的人,当面就说人家,得罪人。孔子说,子贡啊!你要求别人,不要过于高了,不要希望别人都是贤人啊!有时候要马虎一点,而且老是得罪人,也不太好。假如是我,就没这个工夫去批评别人。
★此章论轻易议人当戒之也。“方”有正反两种解释,“贤乎”也有两种理解。但“不暇”二字,意味深远,无论是“品鉴”他人,还是“诽谤”别人,或者是“直言陈过(谏)”;也不说“贤乎”是赞、是讥,或是抑、是扬。孔子以“不暇”表示对这几种行为都不“许”之,学者宜思齐内省,汲汲乎治身而未已,岂有暇检点他人?故就方人之见,而提醒之,深于教矣。 https://t.cn/RxRVHIh
▲方人:评论、品鉴人物,犹言批评。方,比、比方的意思,即对比评论人物的优劣,古人谓之“品藻、品鉴”。《义疏》:“比方人不得不长短相倾。”一说是诽谤别人。郑注“言人之过恶”,即讥评别人。钱穆曰:“方人若指谤人,孔子何以仅谓不暇,而又称其贤?故知‘方人’当从前解。”
▲不暇:没有空闲。暇,空闲。
■现代翻译:子贡评论别人。孔子说:“赐啊,你真的就那么贤良吗?我可没有闲工夫去评论别人。”
●何晏等《论语集解》:孔安国曰:“比方人也。不暇比方人也。”
●皇侃《论语义疏》:子贡以甲比乙,论彼此之胜劣者也。夫人行难知,故比方人优劣之不易。且谁闻己之劣。故圣人不言,圣人不言而子贡专辄比方之。故抑之,我则不暇有比方之说。江熙曰:“比方人不得不长短相倾,圣人诲人不倦,岂当相臧否。”
●刑昺《论语注疏》:此章抑子贡也。子贡多言,尝举其人伦以相比方。夫知人则哲,尧、舜犹病,而子贡辅比方人,怒其轻易,故孔子曰“赐也贤乎哉”,所以抑之也。夫我则不暇比方人也。
●陈祥道《论语全解》:不器于人者然后能器人,器于人者不可以器人。子贡器于人而已,其方人也不亦过乎?孔子曰:“赐也贤乎哉?”以贤者过之也。子贡对卫将军文子则谓颜渊之相,冉雍有志之君子,仲由才任治戎,冉求好学博艺,至于公西赤、颛孙师、曾参、卜偃、灭明、高柴、南容之徒,莫不在其所议,而孔子笑之,盖讥其方人之过也,故子以为不暇。左氏之品藻,班固之变美,不免后世之讥者,以其不能器人也。
●朱熹《论语集注》:比方人物而较其短长,虽亦穷理之事。然专务为此,则心驰于外,而所以自治者疏矣。故褒之而疑其辞,复自贬以深抑之。谢氏曰:“圣人责人,辞不迫切而意已独至如此。”
●张栻《癸巳论语解》拟议人之优劣,非知者其能之乎?故亦可谓之贤。而曰“夫我则不暇”,求之他人,不若笃其在己也。圣人抑扬之间,所以长善救失者,宜深味也。
●清《四书解义》:此一章书见学者当以自治为先也。子贡平日比方人物,而较其短长,不可谓非穷理之事,然专务为此,则心驰于外,而疎于内矣,故夫子婉以警之曰:赐也,尔能方人其亦贤乎哉?盖惟自治有余,而后得以暇及于人耳。若以我自审方虑,义理无穷,虽日孜孜焉而有未逮,又何暇较量他人乎?凡人之为学,终其身无可已时,即终其身无有暇时。以孔子之圣,而犹自谓不暇,则凡有志于学者,其孰有暇时邪?于此知学至圣人,而其功愈专,希圣者可以勉矣。
●刘宝楠《论语正义》:《释文》云:“方人,郑本作谤,谓‘言人之过恶’。”卢氏文弨考证:“古论‘谤’字作‘方’,盖以声近通借。子贡言人遇恶,故子曰‘赐也贤乎哉’,言汝己身果皆贤乎?!而谤人也,夫我则不暇谤人而自治。”谤谓言其过失,使在上闻之而自改,亦是谏之类也。昭四年传:“郑人谤子产。”《国语》:“厉王虐,国人谤王。”皆是言其实事,谓之为谤。但传闻之事,有实有虚,或有妄谤人者,今世遂以谤为诬类,是俗易而意异也。《三国志.王昶传》昶戒子书曰:“夫毁誉,爱恶之原,而祸福之机也。是以圣人慎之。孔子曰:‘吾之于人,谁毁谁誉;如有所誉,必有所试。’又曰:‘子贡方人。赐也贤乎哉?我则不暇。’以圣人之德,犹当如此,况庸庸之徒而轻毁誉哉?”以方人为毁,是亦读“方”为“谤”,用郑义也。《庄子.田子方篇》:“鲁多儒者,少为先生方者。”是“方”训比也。学以相俌而成,故朋友切磋,最为学道之益。夫子尝问子贡与回孰愈?又子贡问子张、子夏孰愈?夫子亦未斥言不当问,是正取其能比方人也。此文何反讥之。
●钱穆《论语新解》:一部《论语》,孔子方人之言多矣,何以曰“夫我则不暇”?宋儒谢良佐见大程子,举书不遗一字,明道曰:“贤却记得许多,可谓玩物丧志。”谢闻之,汗流浃背。及看明道读史,又却逐行看过,不差一字。谢甚不服,后来醒悟,常以此事接引博学进士。其事可与本章互参。
●南怀瑾《论语别裁》:“方”是说子贡比较直爽,看见不顺眼的人,当面就说人家,得罪人。孔子说,子贡啊!你要求别人,不要过于高了,不要希望别人都是贤人啊!有时候要马虎一点,而且老是得罪人,也不太好。假如是我,就没这个工夫去批评别人。
★此章论轻易议人当戒之也。“方”有正反两种解释,“贤乎”也有两种理解。但“不暇”二字,意味深远,无论是“品鉴”他人,还是“诽谤”别人,或者是“直言陈过(谏)”;也不说“贤乎”是赞、是讥,或是抑、是扬。孔子以“不暇”表示对这几种行为都不“许”之,学者宜思齐内省,汲汲乎治身而未已,岂有暇检点他人?故就方人之见,而提醒之,深于教矣。 https://t.cn/RxRVHIh
#电影剧照# 【CC碟报】
1136. 驾驶我的车 Drive My Car (2021)
『只有滨口龙介——他对人类互动的神秘共鸣有着非凡的敏感度——能凭借一部三小时的电影横扫国际奖项,激励各地的观众。这部发人深思的电影改编自村上春树的故事,用九种语言 [注] 呈现安东·契诃夫戏剧的实验性舞台。滨口龙介通过《驾驶我的车》,确认了他成为当代电影最重要的声音之一。
在妻子意外死亡的两年后,家福 (西岛秀俊饰)抵达广岛,为一个戏剧节导演《万尼亚叔叔》。其间,他与演员(冈田将生饰)分享了一段纠结的历史,他和司机(三浦透子饰)建立了惊人的融洽关系,发现自己正面对情感创伤。
这是一个关于爱、艺术、悲伤和治愈的安静迷人的故事,最终是一个宣泄性的探索:当前方似乎没有路的时候,继续生活意味着什么。』译自CC官网。
注:九种语言包括汉语普通话,官网标注为 Japanese, English, Korean, Korean Sign Language, German, Mandarin, Tagalog, Indonesian, Malay
1136. 驾驶我的车 Drive My Car (2021)
『只有滨口龙介——他对人类互动的神秘共鸣有着非凡的敏感度——能凭借一部三小时的电影横扫国际奖项,激励各地的观众。这部发人深思的电影改编自村上春树的故事,用九种语言 [注] 呈现安东·契诃夫戏剧的实验性舞台。滨口龙介通过《驾驶我的车》,确认了他成为当代电影最重要的声音之一。
在妻子意外死亡的两年后,家福 (西岛秀俊饰)抵达广岛,为一个戏剧节导演《万尼亚叔叔》。其间,他与演员(冈田将生饰)分享了一段纠结的历史,他和司机(三浦透子饰)建立了惊人的融洽关系,发现自己正面对情感创伤。
这是一个关于爱、艺术、悲伤和治愈的安静迷人的故事,最终是一个宣泄性的探索:当前方似乎没有路的时候,继续生活意味着什么。』译自CC官网。
注:九种语言包括汉语普通话,官网标注为 Japanese, English, Korean, Korean Sign Language, German, Mandarin, Tagalog, Indonesian, Malay
KinKi Kids、CDデビュー25周年。ニューシングル「高純度romance」で松本隆が描いた2人の姿
text by その他
https://t.cn/A66Iu3dB
3月16日にリリースされる、KinKi Kids、44枚目のシングル「高純度romance」は、25年前、彼らのデビュー曲「硝子の少年」を手掛けた、松本隆による作詩である。CDデビュー25周年を迎えるこのアニヴァーサリーの始まりに、彼を起用した意味は大きい。この楽曲の歌詩について、昨年、松本隆50年の軌跡を追った評伝「風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年」(KADOKAWA)を上梓した音楽評論家、田家秀樹による考察を軸に「高純度romance」を分析する。2人を傍で、つかず離れず、ずっと見続けてきた人だからこそわかることがある。これは愛に溢れた1曲だ。
(これは『音楽と人』4月号に掲載された記事です)
松本さんらしい歌詩だな、という印象を受けました。
過剰な言葉も使わないし、説明もしないんだけど、何を唄いたいのかがすごくよくわかる。
〈絆〉ですよね。そしてこんな美しい曲なのに、美化してないし、綺麗事にもしていない。すごくリアリティがある。
〈引きこもってた日もあったよね/悩んだり凹んだり〉
何かを肯定する時に、こういう否定的なことも呼び込みながら、絶妙なバランスで書く。これは、松本隆の技以外の何者でもないですよ。
はっぴいえんどの頃からずっとそうなんですけど、松本さんは1曲の中で、光と影のどちらも書くんです。どちらかではなく全体を。すごくフラットに物を見ながら、その中にあるいろんなデコボコから目を背けない。そしてそれを肯定的に描けるから、嘘っぽさが全然ない。どんな人にも影があって、美しいだけじゃないことをわかって書いている。この曲は、言ってみれば結成25周年のお祝いソングですよね。そんなおめでたい曲に普通、〈引きこもってた日もあったよね〉なんて引き合いに出さないでしょう? でもそれが、この歌のリアリティに繋がっています。
有名なエピソードですけど、松本さんがKinKi Kidsのデビュー曲を依頼された時、なかなかジャニーさんからOKが出なかったんです。ミリオンヒットを獲れる曲という至上命令が出ていて、「Kissからはじまるミステリー」と「ジェットコースター・ロマンス」を先に書き上げていたものの、デビュー曲としてはOKがもらえなかった。煮詰まった松本さんが、仕事場の居間でテレビをつけたら偶然KinKi Kidsが唄っていて、その姿を見た松本さんは「あ、硝子の少年だ」と思った、と。
硝子は脆くて崩れやすく、だからこそピュアで透明、そして美しい。今回のタイトルの〈高純度〉とは、そういうことでもありますよね。この関係がこのままで壊れないでほしい、という願いもあったと思います。そこに松本さん自身を重ねたところもあるでしょうね。
松本さんが分身だと言ってる人が3人いるんです。細野晴臣、大滝詠一、筒美京平。きっと、自分とその人たちの間にあった、他の人にはわからない独特な関係性を、光一くんと剛くんの関係に見たんだと思います。ずっと傍にいるけど交わらない。でも絶対に離れられない。そして誰よりもお互いを理解してる。
だから、この人にはこうであってほしい、という願いが歌詩にこもってるんですよね。松本さんがそんなスタンスで歌詩を描いた唄い手は、おそらくKinKi Kidsと松田聖子さんだけだと思います。松田さんには、等身大の彼女より、ちょっとだけ大人なテーマの歌詩をつねに与えてきたんですよ。彼女は飛び抜けた歌唱力でそれを唄い、それによって、歌手としても人間としても大人になっていった。
KinKi Kidsもそうだと思うんです。デビューがいきなり「硝子の少年」じゃないですか。18歳で、自分たちのあり方のようなものを提示されて以降、その後の松本さんの歌詩は、つねに彼らの生き方のようなものを提示してきている気がします。「ボクの背中には羽根がある」も「スワンソング」もそう。そんな長年のいろんな積み重ねのうえに「高純度romance」が生まれている。それを思うと、25年という時間を背景に、大人になった2人に対し、その次、みたいなものを指し示してるのかもしれません。〈家庭〉という言葉もかなり踏み込んでるように聴こえますけど、でもそれが、さっき話したようなどんな人でも思い当たるリアリティを曲に与えてくれるんです。
〈純度高めの日々育んだ〉という一節もそうですね。つまり自分たちがやっている活動があって、お互いがその純度を高め続けている。プライドもあるし、自負もあるから折れない。そう簡単には交わらない。そんな状態で続けてきた彼らのことを、松本さんはちゃんと見てるということですよね。
そしてラストにある〈真実の蝶結び〉という言葉。〈蝶結び〉って、すぐ解けてしまう脆さがあるじゃないですか。ギュッと固く結ぶのではなく、綺麗だけど、紐を引いたらすぐに解けてしまう〈蝶結び〉。純度が高いからそれができるということでもあるし、そこに到達したということでもある。でも壊れやすいものでもある。これは「硝子の少年」にあった儚さ、脆さの象徴ですよね。そういうものが25年を経てもちゃんと結ばれている。
やはり松本さんがKinKi Kidsにずっと見ているのは、壊れそうで陰りのある、でもとても儚くて、ピュアな青春なんですよ。それを最初、近藤真彦さんに見たと思うんですけど、彼はソロだから、1人の人物の視点でしか描けない。KinKi Kidsはそこに2人の関係性が加わるから、近藤さんよりも歌で表現する視点が深くなる。そこにあの時代のいろんな青春群像が散りばめられているのが「硝子の少年」ですけど、それから25年経って、大人になった時に、いろんなことを言わなくてももういろいろ経験してるから、以前よりも言葉数が少なくなって、整理されて唄われていますね。
松本さんは作詞家として、太田裕美や寺尾聰、南佳孝や松田聖子の作品で、歌謡界で一時代を築いた後、89年から94年まで、作詞家としての活動を休憩するんですが、最前線に復帰したのがKinKi Kidsでした。おそらく松本さんは、2人と出会い、「硝子の少年」がミリオンヒットを飛ばし、代表曲として唄い継がれてきたことで、彼が70年代からずっと描いてきた〈青春の永遠性〉みたいなものを確信できたんじゃないでしょうか。つまり古い新しいは関係なく、みんなが持っているものなんだ、と。
松本さんの歌詩には、時折〈ジェームス・ディーン〉がモチーフとして出てきます。青春のシンボルとでも言うべきもので、矢沢永吉さんの「サブウェイ特急」や原田真二さんの「てぃーんずぶるーす」にも出てきます。若々しく孤独感があり、陰りもある。ジェームス・ディーンのそんなイメージが、松本さんの中にある普遍的な青春でしょう。それがKinKi Kidsにも繋がっているんですけど、さっきお話したように、ジェームス・ディーンは1人だけど、その精神を、2人の関係性として描けるのがKinKi Kidsなんだと思います。
ジェームス・ディーンは若くして亡くなっています。つまり孤独感や陰りというのは、それを抱えたまま死ぬことでしか永遠にならない。人によっては、歳を重ねるごとに、そういうものが失われていく。むしろそのほうが多い。でもKinKi Kidsは、2人の関係が続いていく中で、孤独や陰りが失われることがない。その素晴らしさがある。松本さんが描いてきた〈青春の永遠性〉。その先にあるものを彼らは見せてくれている。あんな硝子のように脆く、儚い美しさを湛えてきた2人の25年。この記念すべきアニヴァーサリーに書いた「高純度romance」は、松本さんが描きたかった世界観の集大成に近い。そして松本さんが、KinKi Kidsの2人に言いたかったであろう一言が、この曲の中にありました。
〈ほんとに愛してるよ〉
これが2人に伝えたかったことですよ。松本さんは大切なタイミングで、歌詩にそういうことを盛り込みますね。松田さんとのコンビを解消したアルバム『Citron』の最後の曲「林檎酒の日々」では〈もうさよならね〉と書いてますけど、それと同じです。この〈ほんとに愛してるよ〉は、松本さんがKinKi Kidsの2人に伝えたかったメッセージだと思います。
よく松本さんは「人の心を引きつける詞は、5%の真実と95%の想像から出来ている」とおっしゃっているんですが、その5%の真実が、25周年というタイミングもあって、そういうところににじみ出た気がします。それと、〈そんな時背中をポンと叩く/君の手に救われたのさ〉という一節は、ジャニーさんの病室で光一さんと剛さんが交わした光景を、KinKi Kidsとして歌にしていると編集長の金光さんから聞いたんですが(註:「YOU... ~ThanKs 2 YOU~」のKinKi Kidsヴァージョン。『KinKi Kids Concert Tour2019-2020 ThanKs 2 YOU』で披露)、松本さんはその話を知らなかったかもしれないですね。というのは、マーケットリサーチみたいなことをする人じゃないんですよ。人から聞かされたのなら別ですけど、自分から最近のKinKi Kidsについて細かく調べたりはしてないと思います。だとしたらすごい話ですけど、松本隆という人とKinKi Kidsの関係を知れば、そんな偶然もありそうだなと、そんな気持ちになりますね。
談=田家秀樹
構成=金光裕史
text by その他
https://t.cn/A66Iu3dB
3月16日にリリースされる、KinKi Kids、44枚目のシングル「高純度romance」は、25年前、彼らのデビュー曲「硝子の少年」を手掛けた、松本隆による作詩である。CDデビュー25周年を迎えるこのアニヴァーサリーの始まりに、彼を起用した意味は大きい。この楽曲の歌詩について、昨年、松本隆50年の軌跡を追った評伝「風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年」(KADOKAWA)を上梓した音楽評論家、田家秀樹による考察を軸に「高純度romance」を分析する。2人を傍で、つかず離れず、ずっと見続けてきた人だからこそわかることがある。これは愛に溢れた1曲だ。
(これは『音楽と人』4月号に掲載された記事です)
松本さんらしい歌詩だな、という印象を受けました。
過剰な言葉も使わないし、説明もしないんだけど、何を唄いたいのかがすごくよくわかる。
〈絆〉ですよね。そしてこんな美しい曲なのに、美化してないし、綺麗事にもしていない。すごくリアリティがある。
〈引きこもってた日もあったよね/悩んだり凹んだり〉
何かを肯定する時に、こういう否定的なことも呼び込みながら、絶妙なバランスで書く。これは、松本隆の技以外の何者でもないですよ。
はっぴいえんどの頃からずっとそうなんですけど、松本さんは1曲の中で、光と影のどちらも書くんです。どちらかではなく全体を。すごくフラットに物を見ながら、その中にあるいろんなデコボコから目を背けない。そしてそれを肯定的に描けるから、嘘っぽさが全然ない。どんな人にも影があって、美しいだけじゃないことをわかって書いている。この曲は、言ってみれば結成25周年のお祝いソングですよね。そんなおめでたい曲に普通、〈引きこもってた日もあったよね〉なんて引き合いに出さないでしょう? でもそれが、この歌のリアリティに繋がっています。
有名なエピソードですけど、松本さんがKinKi Kidsのデビュー曲を依頼された時、なかなかジャニーさんからOKが出なかったんです。ミリオンヒットを獲れる曲という至上命令が出ていて、「Kissからはじまるミステリー」と「ジェットコースター・ロマンス」を先に書き上げていたものの、デビュー曲としてはOKがもらえなかった。煮詰まった松本さんが、仕事場の居間でテレビをつけたら偶然KinKi Kidsが唄っていて、その姿を見た松本さんは「あ、硝子の少年だ」と思った、と。
硝子は脆くて崩れやすく、だからこそピュアで透明、そして美しい。今回のタイトルの〈高純度〉とは、そういうことでもありますよね。この関係がこのままで壊れないでほしい、という願いもあったと思います。そこに松本さん自身を重ねたところもあるでしょうね。
松本さんが分身だと言ってる人が3人いるんです。細野晴臣、大滝詠一、筒美京平。きっと、自分とその人たちの間にあった、他の人にはわからない独特な関係性を、光一くんと剛くんの関係に見たんだと思います。ずっと傍にいるけど交わらない。でも絶対に離れられない。そして誰よりもお互いを理解してる。
だから、この人にはこうであってほしい、という願いが歌詩にこもってるんですよね。松本さんがそんなスタンスで歌詩を描いた唄い手は、おそらくKinKi Kidsと松田聖子さんだけだと思います。松田さんには、等身大の彼女より、ちょっとだけ大人なテーマの歌詩をつねに与えてきたんですよ。彼女は飛び抜けた歌唱力でそれを唄い、それによって、歌手としても人間としても大人になっていった。
KinKi Kidsもそうだと思うんです。デビューがいきなり「硝子の少年」じゃないですか。18歳で、自分たちのあり方のようなものを提示されて以降、その後の松本さんの歌詩は、つねに彼らの生き方のようなものを提示してきている気がします。「ボクの背中には羽根がある」も「スワンソング」もそう。そんな長年のいろんな積み重ねのうえに「高純度romance」が生まれている。それを思うと、25年という時間を背景に、大人になった2人に対し、その次、みたいなものを指し示してるのかもしれません。〈家庭〉という言葉もかなり踏み込んでるように聴こえますけど、でもそれが、さっき話したようなどんな人でも思い当たるリアリティを曲に与えてくれるんです。
〈純度高めの日々育んだ〉という一節もそうですね。つまり自分たちがやっている活動があって、お互いがその純度を高め続けている。プライドもあるし、自負もあるから折れない。そう簡単には交わらない。そんな状態で続けてきた彼らのことを、松本さんはちゃんと見てるということですよね。
そしてラストにある〈真実の蝶結び〉という言葉。〈蝶結び〉って、すぐ解けてしまう脆さがあるじゃないですか。ギュッと固く結ぶのではなく、綺麗だけど、紐を引いたらすぐに解けてしまう〈蝶結び〉。純度が高いからそれができるということでもあるし、そこに到達したということでもある。でも壊れやすいものでもある。これは「硝子の少年」にあった儚さ、脆さの象徴ですよね。そういうものが25年を経てもちゃんと結ばれている。
やはり松本さんがKinKi Kidsにずっと見ているのは、壊れそうで陰りのある、でもとても儚くて、ピュアな青春なんですよ。それを最初、近藤真彦さんに見たと思うんですけど、彼はソロだから、1人の人物の視点でしか描けない。KinKi Kidsはそこに2人の関係性が加わるから、近藤さんよりも歌で表現する視点が深くなる。そこにあの時代のいろんな青春群像が散りばめられているのが「硝子の少年」ですけど、それから25年経って、大人になった時に、いろんなことを言わなくてももういろいろ経験してるから、以前よりも言葉数が少なくなって、整理されて唄われていますね。
松本さんは作詞家として、太田裕美や寺尾聰、南佳孝や松田聖子の作品で、歌謡界で一時代を築いた後、89年から94年まで、作詞家としての活動を休憩するんですが、最前線に復帰したのがKinKi Kidsでした。おそらく松本さんは、2人と出会い、「硝子の少年」がミリオンヒットを飛ばし、代表曲として唄い継がれてきたことで、彼が70年代からずっと描いてきた〈青春の永遠性〉みたいなものを確信できたんじゃないでしょうか。つまり古い新しいは関係なく、みんなが持っているものなんだ、と。
松本さんの歌詩には、時折〈ジェームス・ディーン〉がモチーフとして出てきます。青春のシンボルとでも言うべきもので、矢沢永吉さんの「サブウェイ特急」や原田真二さんの「てぃーんずぶるーす」にも出てきます。若々しく孤独感があり、陰りもある。ジェームス・ディーンのそんなイメージが、松本さんの中にある普遍的な青春でしょう。それがKinKi Kidsにも繋がっているんですけど、さっきお話したように、ジェームス・ディーンは1人だけど、その精神を、2人の関係性として描けるのがKinKi Kidsなんだと思います。
ジェームス・ディーンは若くして亡くなっています。つまり孤独感や陰りというのは、それを抱えたまま死ぬことでしか永遠にならない。人によっては、歳を重ねるごとに、そういうものが失われていく。むしろそのほうが多い。でもKinKi Kidsは、2人の関係が続いていく中で、孤独や陰りが失われることがない。その素晴らしさがある。松本さんが描いてきた〈青春の永遠性〉。その先にあるものを彼らは見せてくれている。あんな硝子のように脆く、儚い美しさを湛えてきた2人の25年。この記念すべきアニヴァーサリーに書いた「高純度romance」は、松本さんが描きたかった世界観の集大成に近い。そして松本さんが、KinKi Kidsの2人に言いたかったであろう一言が、この曲の中にありました。
〈ほんとに愛してるよ〉
これが2人に伝えたかったことですよ。松本さんは大切なタイミングで、歌詩にそういうことを盛り込みますね。松田さんとのコンビを解消したアルバム『Citron』の最後の曲「林檎酒の日々」では〈もうさよならね〉と書いてますけど、それと同じです。この〈ほんとに愛してるよ〉は、松本さんがKinKi Kidsの2人に伝えたかったメッセージだと思います。
よく松本さんは「人の心を引きつける詞は、5%の真実と95%の想像から出来ている」とおっしゃっているんですが、その5%の真実が、25周年というタイミングもあって、そういうところににじみ出た気がします。それと、〈そんな時背中をポンと叩く/君の手に救われたのさ〉という一節は、ジャニーさんの病室で光一さんと剛さんが交わした光景を、KinKi Kidsとして歌にしていると編集長の金光さんから聞いたんですが(註:「YOU... ~ThanKs 2 YOU~」のKinKi Kidsヴァージョン。『KinKi Kids Concert Tour2019-2020 ThanKs 2 YOU』で披露)、松本さんはその話を知らなかったかもしれないですね。というのは、マーケットリサーチみたいなことをする人じゃないんですよ。人から聞かされたのなら別ですけど、自分から最近のKinKi Kidsについて細かく調べたりはしてないと思います。だとしたらすごい話ですけど、松本隆という人とKinKi Kidsの関係を知れば、そんな偶然もありそうだなと、そんな気持ちになりますね。
談=田家秀樹
構成=金光裕史
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